Comes Tomorrow
ナウシカ



 なりきりチャット

昨日深夜にTVの情報番組で、今”なりきりチャット”というのが流行っているというのが話題になっていた。
自分でキャラを作って、ネット上でそのキャラになりきり、いろんな人と対話するというものらしい。
まぁ〜ごっこ遊びみたいなものかなと思っていたら、これにハマり過ぎて、リアルでもそのキャラになってしまい、同居していた友人を監禁までした人がいたと言っていた。

ここまでくるとやり過ぎよねと思うけど、人間ってそういう生き物なんだろうかと思ったりもする。
囚人と看守役に分かれてしばらく生活すると、本当にそういう行動を演技ではなく取るようになるという実験もあるという。

変な者になっちゃうのは問題ありだろうけど、逆手にとって自分の理想とするキャラを作ってなりきったらどうなんだろう?
誰でも多少は、人前で自分を作って演じてる部分はあるんじゃないだろうか?
でもやっぱり、そればかりでは本当の自分が無くなってしまうかな?

私は、そういう演じてる部分の多かった私自身に疲れて、ありのままでいようと決めて努力してきた訳だけど、これはこれでいろいろとしっくりこないこともある。
違うキャラで生きられたらなぁ〜と、ふと思うこともある。
リアルなありのままに疲れた人が、そういう”なりきりチャット”にハマってしまうのかもしれないね。

ありのまま…も時としてしんどいよね。
さて、私は何になりますかね!


2006年05月31日(水)



 嫌な声…聞いちゃった

毎年そうなんだけど、この時期になると妹から悲壮な電話がかかってくる。
5月病というのか…

ここんとこ忙しくて電話に出れなくて…というか、いつも間が悪い時に電話をかけてくる。
今日はやっと電話に出れたんだけど、出ると案の定『最近…調子が悪いのに全然わかってくれへんねん…』と泣き声で話す。
ここまでは普通というか、いつものことなので『じゃ〜入院したら?』と勧めた。

すると電話の向こうで『最近、ワガママやねん』と、この世で一番嫌な人の声がする。
何しゃべっとんねん!と思い、私はすぐに電話を切った。

相変わらずというか何というか、精神を病んでいる妹に追い討ちをかけるように、この人はワガママと断じるわけね。
相変わらず冷酷ね。
本当は、妹が調子悪くて自分の手元に居ざるをえないことを内心は喜んでいるクセに!
それを証拠に、妹が回復に向かい自立しようとすると、必死に邪魔しにかかるんだから!

でも、そういう時に飛び出さない妹も悪いけど、まぁ〜磁石のように吸い寄せられる関係のようだから仕方ないのかな?

今の私には無慈悲と言われようが何だろうが、この親子に関わることはできません。
妹の相談にはいつでも応じるけど、私に具体的に支援できることはないのよね〜
散々やってきて、ダメだったし…
ただ祈ることだけは忘れないけど…でもやっぱり無慈悲よね〜
でもでも…あなた方の人生は、私は代わりに生きれないから…と言うしかない。


2006年05月28日(日)



 人を愛するということは、相手の人生をも生きること

先日『ナイロビの蜂』という映画を観て、ほんと考えさせられました。
究極、自分の命に危機が迫った時、人を守る行動をできるだろうか?と。
そういう感慨を持てる映画で、私自身、正直なところ、その時になると尤もな言い訳をして逃げてしまうだろうと思えました。
…ってことは、信仰なんかもあっさり捨ててしまうかも?そういう環境に置かれたら…
そういう危機感を感じ、怖くなりました。
そういう自分を脱皮できない自分が、何よりも怖いです。

なので、愛する者のため、人のため、社会のために命を賭けれる人は羨ましいです。
社会の不正に怒り、情熱的に行動したテッサという妻を愛した夫・ジャスティン。
その愛する女性を失い、ジャスティンが最後にとった行動は…
それを可哀想と見るのか?男らしいと見るのか?

人の愛を感じ、それを信じ、その覚悟で生きていく。
簡単なようでいて、難しいんじゃないかなと思う。

このテッサにはモデルがいるらしく、実在の情熱的な活動家だったそうです。
女性でも、こんなに勇気のある人がいるんだな。
とにかく羨ましい生き方だと思いました。
そういう私はというと…悶々ズブズブな日々。


2006年05月27日(土)



 笑えない笑える話

うちの娘も今年から小学1年生になり、やっと学校も慣れてきた様子。
私にガミガミ急かされながら準備しつつも、ニコニコ笑いながら学校に向かってくれるのは、ほんとホッと安心する。

その子が最近微妙なことを言うようになった。
保育園卒園時には『うみちゃんな、ひ○とくんとけっこんするねん』と言っていたのが、最近では具体的な人生設計に入ったようで『けっこんしたら、うみちゃんココにすむわな、かあちゃん、さびしいやろ』と言ったりする。
これはこれで嬉しいけど、出て行ってくれた方がいいねんけど(勿論いい意味で)と思いつつ『仕事はどうする?何する?』と聞くと『かあちゃんとおんなじのするねん、ちゅうしゃするねん』と言う。
たまに訪問看護の仕事について来ることがあるので、見ていて興味を持ったんだと思う。
これはこれで嬉しいなぁ〜♪
将来アドバイスとかいろいろしてあげれるなぁ〜私もいろいろ新しいこと教われるなぁ〜と、今からいろんな想像をして楽しんでます♪

で、この子は、私がおばあちゃんになったら自分はこうするという話をよくするようになったんだけど、それが最近、過去に遡りだした。
『かあちゃんがちいさかったとき、きょうとのおじいちゃんおばあちゃんとこにおったんやろ?』
えっ!?と思った。
おじいちゃんおばあちゃんが、お父さん(旦那)の父親母親であることは常々話しているからわかっているはず。
なのに、私も京都のおじいちゃんおばあちゃんとこにいたと認識してるってことは……?
えっ!?兄妹で結婚したと思ってるんかいな!

う〜む、私の両親に会わせてないから、こういう認識になるのかな?
旦那の両親を、私は”おとうさん””おかあさん”と呼んでるもんね。
うちの子はおぼこいから、まだ両方に両親がいるもんだということを認識してないんかしら?
でも、もう時間の問題よね…『かあちゃんのおとうさんとおかあさんは?』とそのうち聞かれそうよね。
今は何とかごまかしてるけど…


2006年05月24日(水)



 さよならは別れの言葉じゃなくて

さよならは
別れの言葉じゃなくて
再び逢うまでの遠い約束

そんな昔よく聴いた歌がふと浮かんで、今夜は涙が溢れてくる…
ちょうど15年前、ネパールの友人を縁にして知り合った友人が亡くなりました。
まだ40を少し過ぎたところ。
今月4日、病院で急変し亡くなったと、共通の友人の電話で知りました。

先月だったか、体調が悪くて入院していると聞いて、お見舞いに行こうと思ったのだけど、先にお見舞いに行っていた友人の話によると、今はかなりしんどい状態だからGW明けにしてほしいとのことでした。

そんなに頻繁に会ったり連絡取ったりする仲ではなかったけど、心のどこかで、いつも気にかけてる大切な友人の1人でした。
彼の人懐っこい優しい笑顔は、何年も会ってなくても容易に思い出せるぐらい印象的で、話せばいつも面白いジョークで笑わせてくれて、自分のことは何も語らなくても、彼の何かを秘めた芯の強さというものをいつも感じて、ああ〜私も頑張ろうと自然に思える人でした。
ほんと不思議な感じのする人でしたね。

”今はしんどいからGW明けにしてほしい”という彼の要望…
私には悩んでることとか、辛いってこととか、全然話してくれたことも見せてくれたこともない彼。
いつも元気に明るく笑ってて、ちょっとした苦労話は全部ジョークにしちゃって、見た目の少年ぽさとは裏腹に男らしくて…

私は彼の気持ちを察して、お見舞いには行かないことにしていました。
もっと元気な時に会っていろいろ話したかったと思ってはみたけれど、彼のことだから、また全部ジョークにしちゃって笑い話で閉めるんだろうと思うと、このまま送り出してあげて良かったかなとも思います。

それでも、やっぱり涙は溢れてくるのだけど…


2006年05月09日(火)
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