Comes Tomorrow
ナウシカ



 『世界一受けたい授業』

『世界一受けたい授業』という番組で、昨日また「正常性バイアス」のことが取り上げられていました。
http://www.ntv.co.jp/sekaju/index.html

■災害時の心理 〜常識の落とし穴

2004年に大きな被害をもたらした台風23号上陸時、かねてから防災対策に積極的だった兵庫県豊岡市は各家庭に無線機を設置し、避難指示が市長から発令されました。
しかし実際に避難した家庭は全体の1割しかいませんでした。
それはなぜか?

■解説

「まさかの時、自分だったら迅速に反応する」と思っている事が災害時の人間心理の落とし穴です。

災害心理学では正常性バイアスと呼ばれており、災害に慣れていない現代人特有の反応です。
現代人は常日頃の安全な状況を“正常な事”として慣れきってしまい、通常は起こり得ない異常な状況に反応出来なくなっています。
つまり危険の幅を非常に狭くとっているのです。
あまり危険に敏感になりすぎてしまうとノイローゼになってしまうので、心は少しゆとりを持っています。
それが仇となって、本当に危険な状況に自分自身が巻き込まれてしまいます。


われわれは安心していたいものです。
しかし安心したいために安全を疎かにしてはいけません。
パニックを恐れるあまり、危険な状況を過小に受け取ったり伝えたりする事は、最悪の危険も招きかねません。
ですから、むしろ少し不安になって、そこで努力して安全を高める方が重要です。
また、災害や事故が起こった時は、自己責任で行動しなければいけません。
自分の身は自分で守らなければなりません。
周りが動かないから自分も動かない、と自分の貴重な命を失う事はあってはいけません。

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番組の中で紹介された、確かアメリカのホテルだったかな?被害が2番目に多かった火災で、誘導していた従業員が、パニックを引き起こしてはいけないとして、火事の様子を過小に伝えていたそうです。
『火事と言っても、ボヤ程度ですから、まだ大丈夫ですよ』と。
それで逃げ遅れた人が多くなり、被害が拡大したそうです。
ほんと悲惨な話です。

この話は災害のことを言っていますが、何も災害に限らないのではないかと思います。
社会の中の法律を司る政治のことにも通ずる話だと思います。
マスコミは時々、不安を煽りすぎるぐらい過剰に報道することもあるけど、逆に正常性バイアスが働いて過小に伝えることもあるのではないか?
有権者も、正常性バイアスによって、危機感をあまり感じ取れず、ほとんど声をあげない。

ある政党を応援する団体も、『ちょっとおかしいんじゃない?』とふと思ってはみても、『皆そんなに大騒ぎしてないし、大丈夫だよね』と思って、危機感を感じず、いつも通りの支援をする。
災害時の正常性バイアスでも、一人でいる時よりも、数人でいる時の方が、より正常性バイアスが強まり、一人でも立ち上がって何らかの行動を起こさない人がいると、それに引きずられて、そこから逃げ出さないという信じられない心理が働くそうです。

群衆心理といって、多くの人がこうだからと、自分自身確かめもせず、危機意識も持たず、流れのまま行動する。
これって、とっても危険なことだと思います。
その中で、危機感を持ち、訴え、大騒ぎする人が現れると、人の不安を煽って、和を乱す危険人物だとして敵対視する。
そして、排除していく。
最も性質の悪い正常性バイアスですね。

以前、ある識者の講演でも、ナチスドイツで、なぜあそこまでの残虐な行為を、国民が気づかずに放置してきたのか?ということを話されていたと思います。
最初は小さな動きであったといいます。
一部の人が、何らかの制約を受けていたり、抑圧を受けていても、大多数の人は安穏に暮らせていたので、あまり気にも留めなかった。
それが少しずつ、その抑圧が広がりだし、気がついた時には既に遅く、もう取り返しのつかないところまで来ていて、どうしようもなかった、ナチスの暴走を止められなかった。

最初はほんの小さな動きであっても、その小さな動きは見過ごすと、どんどん大きくなって、とんでもない事態になる。
そうなってからでは遅いと思います。
今の日本も、まさにそんな状態ではないかと思います。

マスコミも、こんな時はもっと危機感を煽ってもいいんじゃないか!
セレブだの何だのと、おもしろおかしく安心感を植え付けて、ほんとおかしいよ!

後援会も個人の有権者も、もっとちゃんと一人ひとりが考えて協議しようよと思います。
みんながやってるから、上の人が言うから、これは○○の戦いだから…
本当に、このままでいいんでしょうか?
非常ベルが、誤報ならいいですよ。
でも本当だったら、いったいどうするんでしょうね。


2005年08月14日(日)



 官から民へ

『世界』7月号、P154〜若者は「右傾化」しているか〜の「リスク社会の自己責任」でも、少しこのような問題に似ていることが書かれていましたが、要は『 「みんなと同じように、自己責任でリスクをとれ」と要求する、「捻れた平等主義」 』なんではないでしょうか?

バブルの景気のいい頃は、公務員は安定しているけど、よっぽど出世しない限り、とび抜けて儲けることもできず、面白みがないといって、青年実業家がもてはやされた時期がありましたね。
それがバブルがはじけて、景気が悪くなると、雇用が安定していて、一定の給料をもらえる公務員は、何だか得している人種に見えてくる。
『あまり面白みもない、たいした仕事もしてないのに、国というものに守られて、おまえたちはいいよなぁ〜』という僻みというか、そんな意識を持つ人が増えたんではないでしょうか?

そして、一部の甘い汁を吸っている官僚と公務員を一くくりにして、『私たちと同じようにリスクを背負え!』と言っているのではないか。
官僚というと、一般庶民には手の届かない巨大な権力という感じだけど、公務員だと、より庶民に身近で叩きやすい。
『元々は一般庶民だったくせに、国の保護のもと、甘い汁を吸いやがって!』みたいな、日常生活での自分たちの不満や政府への不満なんかを、よりぶつけやすい目の前の公務員にぶつけて、うっぷんを晴らすという、仏法でいう畜生界の生命でやっているのではないでしょうか?

結局、小泉さんがやっていることは、自分たちに向く国民の不満の矛先を、公務員に向けさせて、公務員がさも小官僚であるかのように吹聴し、ガス抜きさせて、上手く誤魔化しているのではないか!
本当は、公務員も財政難に伴い給料やボーナスをカットされたり、政府が丸投げで下ろした法案を、現場で働く公務員に押し付け、その責任は政府が取らず、公務員に責任をなすりつけたりしてるのに、大多数の善意?の国民は、自分たちの生活苦の不満を公務員に向けて、文句を言っている!

本当は自己中心的な考えであるのに、言葉では平等主義を掲げて発言している。
ここに民主主義の落とし穴があると思います。
そういった国民性というか性質というか、それを上手く利用するのに長けているのが、小泉さんではないかと思います。

やはり自己変革というか、人間革命の必要性が、こんな時ほど求められる時はないですね。
結局は、人のためというのは、自己犠牲のように見えて、実は自分たち一人一人のためになるという考え方(本当はとてもシンプルなことなのに、これが難しい)に通じていくことなのに、それに気づかず、小泉さんの言っていることが、さも正義にように聞こえてしまう。

本当に怖いことです。


2005年08月13日(土)



 ダークな母親業

私の場合、産後うつではなかったんですが、妊娠中はうつで、何度も死にたくなりました。
お腹に子供がいるのに、無性に死にたくなるんですよね〜
心身ともに最悪な状態でした。

夢では、お腹に刃物を突き刺される夢を何度も見ました。
また生まれた子供の体がバラバラだった夢も見ました。
妊娠したことは嬉しかったのに、逆の発想ばかりで、本当に不安で不安で、産み育てていくのに自信がありませんでした。

死ぬことは何とか思いとどまったものの、子供を産み落としたら、私は死ぬんじゃないかと本気で思うようになりました。
子供の生命と引きかえに、母親が死ぬということ、ドラマでもありますよね?
あれを何だか望んでる自分がいたりして…

実際、生まれてみると、子供は可愛いし、ちゃんと育てなくちゃと思う反面、そんなに長く、この子は生きていられないんじゃないかという想像が頭をよぎるようになりました。
ベビー服を買いに行って、子供はすぐに大きくなるから、少し大き目の服を買おうと考えた一瞬、本当に着られるかどうかわからないから、今はまだ買わないでおこうという思考が湧いてきます。

この時、本当にゾッとしました!
私…子供の死を考えながら、育ててる!
必死に、そんな思考を打ち消して、いやっ大丈夫、大丈夫…この子は絶対、無事に育つ!
未来を描くことができなかった私は、もう何が何でもって感じで、子供との将来を描き、とにかく必死でした!

5〜6ヶ月の時には、時々、一時預かりの託児所に預けたりもして、ストレスを発散しました。
子供が1歳を過ぎたら、教習所にも通い免許を取って、保育所に預け、仕事も復帰しました。
パートの仕事で帰宅は早かったけど、保育所にはウソをついて長く預かってもらいました。
それは、子供が2人できた今でもしてるかな…

子供は可愛い…だけどなるだけ離れていたい、1人になりたいと思うことが度々あります。
子連れで友達と遊んでる人もいるけど、私はどちらかというと、子供抜きで遊びたいと思う方です。
もう、どうしようもないダメダメ母だなって思うけど、そう思うことを許すことで、母親業という大仕事?(自分にとっては)を割り切って、こなす自分がいます。

自分の心身の健全が、子供の心身の健全にもつながり、それが共に幸福になる道だと信じてやってますよ。
もし悩んでいる人がいたら、気楽な気持ちでね、自分だけだと思わずにね。
こんな母親もいますから…


2005年08月10日(水)



 吉本佳代

NHKのみんなのうたで、彼女の『アオゾラ』という歌がとても良くて、めったに買わないCDを3枚も買ってしまいました♪
まだ曲は全部聴いてないけど、カセットに録音したので、仕事中の車中で聴こうと思ってます。

彼女の書く詩は、悲しみやいろんな現実を抱えながらも、平和の祈りを紡ぎだすといった、そんなメッセージが織り交ぜられていて、とても心に響く歌詞です。
声も、とても伸びやかな透明感のある声で、すっかり大ファンになってしまいました♪

2003年にデビューしたばかりの人で、アルバムはまだ2枚目です。
富山県のラジオ番組でパーソナリティーをしてるとか。
今後の活躍に期待したいもんです。


『アオゾラ』〜吉本佳代

世界中 誰もが いつの日か
響きあい 心で 歌いだす

悲しむためだけに
傷つくためだけに
ここに 生まれてきたんじゃないよね

荒野に根ざす 花さえも
その胸はって 生きている
青空見上げ 笑いながら
朝を 待っている

僕の声 君に届いたら
手をとって 一緒に 駆け出そう

僕たちの翼は 飛べないわけじゃない
風が吹くのを 待ってただけだよ

かけがえのない この日々を
心でそっと 抱きしめる
頬をつたう涙のあとも
やがては 虹になる

荒野に根ざす 花さえも
その胸はって 生きている
青空見上げ 笑いながら
朝を 待っている

かけがえのない この日々を
心でそっと 抱きしめる
頬をつたう涙のあとも
やがては 虹になる


2005年08月04日(木)



 郵政法案に関する質疑

先ほど訪問看護先で、郵政法案に対する質疑(国会中継)を観ました。
そこで、公明党議員の草川さんが、こんなことを言われてました。

昭和初期の頃の郵政事業の話を、『赤い自転車』という映画の話題を交えて話していました。
名前は、確か、まえかわひそかという人物を紹介していました。
配達中に竹やりで襲われたり、物騒な時代に活躍した人物として紹介していて、この人が配達員一人ひとりに拳銃を持たせて、活発にいろんな改革をしたとして、この、まえかわひそかという人物は本当に偉い人だなぁ〜と思ったと、何度も強調して話されていました。

そして、今の郵政事業を民営化にし、もっと自由に縛られることなく活発に活動できるようにしてあげてほしいと思うと話され、小泉首相には、国民にもっと説得力ある言葉で語って欲しいと要求してました。

こんな大昔の話を引き合いに出し、今の郵政法案に関する質疑で、いったい何を言いたいのだろう?
拳銃を使ったという話を例えに出すのも、ほんと論外だし、今回の改革と、どういう関係があるのか!
法案の中身は全然わからず、時代錯誤の答弁!
もう失望を通り越して、怒りが湧いてくる!

その後、若手の公明党議員、谷合さんも質問してました。
国際ボランティア貯金(利子分を寄付するもの)について、これは民営化にしても残していく意義があるのではないかというものでした。
竹中大臣は、民営化になったら、それを強制してさせるわけにはいかないということを言ってました。
私も、国際ボランティア貯金してるけど、あれはいい法案だと思うけどなぁ〜

小渕内閣当時、公明党議員の浜四津さんが、国会で質問していた時、教育のことや福祉のこと、少子化問題に関することや、ありとあらゆる問題に対して、具体的に素晴らしい具体策を提示していました。
その長い答弁を聞いていて、私は本当に素晴らしいと思ったし、それが全て実現したら、どんなにいいだろうと思って、テレビ前で拍手喝采を送りました。

でも、小渕さんは、簡単に『前向きに検討します』と答えるだけで、ズッコケたことがあります。

ほんと、これからどうなっていくんでしょうか?
私たち、有権者は具体的に何をしていけばいいんだろう?
いろいろ聞くにつけ、悩んでしまいます。


2005年08月02日(火)
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