Comes Tomorrow
ナウシカ



 世界最弱のヒーロー

『かあちゃん、アンパンマンの歌、歌って〜♪』と4歳の娘にせがまれ、『ええ〜?かあちゃん、アンパンマンの歌、知らんねん』と困ってしまったことがありました。
保育所でアンパンマンの歌を歌いながら踊るそうで、それで私に歌えと言われたのでした。

これは、子供を持つ親としては、アンパンマンの歌ぐらい歌えんとあかんな〜と思い、ドラえもんやら、いろいろ子供の歌が入っているテープを買ってきました。
そして、訪問看護に回る車中で、テープをかけながら必死に歌詞を覚えました。
それで、アンパンマンの歌に、心を鷲掴みにされてしまいました。

あちこちで話題になってましたが、本当にいい歌ですよね。
これは〜子供の歌だからといって、バカにできないぞ〜
ものすごく深い意味のある歌だな〜と思いました。
大人こそ聞いてほしい歌かも…

以下、歌詞を紹介します。

『アンパンマン』の歌

作詞:やなせたかし 作曲:三木たかし 編曲:大谷和夫 
歌:ドリーミング

******

そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも

なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられないなんて
そんなのは いやだ!

今を生きる ことで
熱い こころ 燃える
だから 君は いくんだ
ほほえんで

そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも

ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため


なにが君の しあわせ
なにをして よろこぶ
わからないまま おわる
そんなのは いやだ!

忘れないで 夢を
こぼさないで 涙
だから 君は とぶんだ
どこまでも

そうだ おそれないで
みんなのために
愛と 勇気だけが ともだちさ

ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため


時は はやく すぎる
光る星は 消える
だから 君は いくんだ
ほほえんで

そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ どんな敵が あいてでも

ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため

******

ある情報によると、アンパンマンの作者のやなせたかしさんは、親しい人に裏切られ続けながらも、はい上がってきたということを、テレビの番組で言っていたそうです。

もうひとつのアンパンマンの歌です♪

******

もし自信をなくして くじけそうになったら
いいことだけ いいことだけ 思い出せ

そうさ空と海を越えて 風のように走れ
夢と愛をつれて 地球をひとっとび

アンパンマンは君さ 元気を出して
アンパンマンは君さ 力のかぎり
ほら きらめくよ
君はやさしいヒーローさ


大事なものわすれて ベソかきそになったら
好きな人と 好きな人と 手をつなご

そうさぼくと君をつなぐ 虹の橋を渡れ
雨と雲がにげて 太陽ひとまわり

アンパンマンは君さ 勇気を出して
アンパンマンは君さ 信じることさ
ほら 輝くよ
君はやさしいヒーローさ


楽しいこといっぱい でもさびしくなったら
愛すること 愛すること 捨てないで

そうさ鳥も花もあそぶ みんな君が好きさ
涙なんかひいて 太陽ひとまわり

アンパンマンは君さ いつでも君さ
アンパンマンは君さ かわいい君さ
ほらきらめくよ
君はやさしいヒーローさ

******

『潮』という雑誌の11月号に、アンパンマンの作者のやなせたかしさんのことが載っていました。
マルチタレントのような活躍をしていても、漫画家としては無名で、アンパンマンが大ヒットしたのは60歳を過ぎてからだそうです。

★やなせさんの言葉★
『ボクはいつも不思議に思ってたんだけど、この世にヒーローはたくさんいるけれど、相手をとことん叩きのめして森や街を破壊して、何が正しいのかよくわからないんです。
戦争も同じで、立場によって正義は逆転する。
だったら変わらない本当の正義って、自分の身を犠牲にしても、ひもじい人に食べ物をあげられることじゃないのか?
そんな思いがありました。
飢えるってことはつらい。
どんな理由があっても、戦争はしちゃいけない』

★潮本文★
初期の絵本には、砂漠で飢えた旅人や、道に迷った子供に少しずつ顔を食べさせて、ついには頭がまったくなくなってしまうアンパンマンの姿が描かれている。

『子供に一番受けるのは今も同じ場面ですよ。
しかしこれは大人には一番攻撃された部分でねぇ。
顔を食べるなんて残酷だ、もう二度とあんな本を描かないでくださいと、出版社にも言われたよ』

それでも描いておきたかった。
正義とは、自分が傷つくことを覚悟すること、決して格好いいものじゃない。
だからアンパンマンもパンゆえに、水に濡れるとパワーがなくなるほど弱い。

(バイキンマンの誕生について)バイ菌は食品の敵だけれど、アンパンを作るパンだって、イースト菌という菌がなければ作れない。
敵だけれど味方、味方だけれど敵。
善と悪とはいつだって、闘いながら共存している。

『この世は善と悪、光と影。
対立するものは、それだけでは存在できないから一方があるんです。
絵を描く場合もそうです。
光を描こうとすれば、それは影をしっかり描くということ。
バイキンマンを丁寧に描けば、アンパンマンは自然に出てくる。
影があるからこそ光がわかる』

(やなせさんのことで)「世界最弱のヒーロー」という点も、どこかアンパンマンに似ているのかもしれない。
白内障に膵臓炎、結石や糖尿病を患い、手術多数。
病院通いは欠かせない。

『ボクは思うんだけど、この世におもしろくないものは何もない。
だって生きてるから病気にもなるわけで、病院へも行けるわけ。
それを楽しんでしまえば、入院体験からだって物語は産まれるんです。
私は老後が不安でとか何とか言う人がいるけど、不安なのが当たり前。
病気も失恋も何もなかったら、死んでるのと同じでバカみたい。
生きてる以上はいろいろな苦しみがあって、そのなかでどう生きるか、つまりそれが生きるってことですよ』

******

私も何が正しくて、何ができるのかわからないけど、日々、悩み葛藤しながらも、自分の人生を生きていきたいですね。


2004年10月14日(木)



 人のために灯りを灯すということ

私は、大学病院の小児科で働いている友人がいるんですが、よくいろんな話をします。
そこには不治の病と闘う子供たちが多くいます。
死んでいく子も、実に多くいる。
長い闘病生活の中で、医療費がかさみ、親たちはお金を捻出するために、両親共働きだったり、または他の子供(兄弟)の面倒も見なきゃいけないという理由だったりで、なかなか入院している自分の子供を見舞えない親たちがいる。

ただでさえ病気で辛いのに、親はあまり病院に来てくれない。
甘えたい盛りなのに、そばにいてほしい親はいない。
愛情に飢えてる子供たちが、現実問題、たくさんいるとのことです。
親も疲れていることが多々あって、段々、目の前の現実問題のお金を稼ぐことだけに気持ちを向けてしまっている親たちもいる。

それで子供たちは看護師という身近な人に、ベタベタに甘える。
ただ甘えるという可愛いものではなく、時には我儘放題、いたずら放題、まともに相手をしていたら、仕事ができないというようなこともたくさんあるそうです。
愛情や愛着行為にとても飢えてるので、少しでも優しく接すると、とんでもないことになったりするそうで、それがナースステーションの問題にまでなってるそうです。

そこで、出た結論は、所詮は私たちナースは親代わりにはなれない。
どんなに、その場で、その子の欲求(抱きしめるという行為ひとつにしても)を受け入れて、やってあげたところで、その場限りになることもあり、かえって期待持たせて、後で失望させるだけじゃないか?

子供たちも、ナースという母性を求めてるというよりは、親を本当は求めているんだけど、それが得られないから、目の前にいる人誰かれ構わず、抱きついているだけで、その行動自体、本物の愛情を求めているのでもないから、それを下手に受け入れてやってあげると、子供たちの方でも混乱するのではないか?
だから心を鬼にして、一線を引いて、突き放すべきじゃないか?
という話し合いになったそうです。

私の友人は言いました。
『いいじゃない、その場限りになっても抱きしめてあげれば!
その子は、ただ今、寂しくて、誰かに抱きしめてもらいたくて、駄々をこねてる。
親がいいのは当たり前、だけど、その親は今はいない。
いいじゃない、その場限りでも、代わりになってあげれば!
本当は代わりにもならないけど、でも、その子には、今、抱きしめてもらいたい欲求がある。
いいじゃない、今、私たちナースができることをしてあげたら!
本当は、自分たちが面倒臭いから、しないだけじゃないの?
可哀想すぎると言って、現実から目を背けたいだけじゃないの?
自分の無力さを見つめることから逃げるための口実じゃないの?』と。

友人は、看護部長、看護婦長と喧嘩してまで、自分の信念で訴え、自分の信じる道を貫きました。
そして、親を思って泣く子を抱きしめ、『あんたじゃない、ママを呼んで〜(イメージ)』という感じに暴れる子を慰めたり透かしたり…
『そんなに泣くんなら、看護婦さん行っちゃうよ〜』と、時には脅し?ながら、病室の扉前で行ったり来たりしてみせて、『もう〜しゃぁないな〜あんたで我慢しとくから、抱っこして〜(イメージ)』という感じになった子を、ぎゅっと抱きしめる。
『今だけは、あなたのお母さんだよ、甘えたいだけ甘えてごらん』と、数分でも精一杯の愛情を注ぐ。

彼女は、『それでいいんだよ、そんなことぐらいしかできんないんだけど、でも、その子には、その一瞬が大事なんだよ、それが例え本物(母親)じゃなくてもね〜』と笑いながら、私に話すんですよ。
なんて大きな慈愛なんだろう、なんて、彼女は強いんだろうと、私は本当に感動してしまいました。
ちなみに彼女は当時独身でした。
今は結婚したけど、その頃はまだ年も20代前半でした。

生命を救うというレベルの話ではないけど、彼女は充分、自分の出来うることを、一瞬一瞬真剣に取り組んで、やってきたという感じです。
目の前で亡くなっていく幼い子を、たくさん見てきたと思います。
大人の入院する成人病棟にはない、残酷なまでの悲しさと悔しさに満ち溢れた小児科病棟(親より先に死ぬという意味で)

彼女は、『悲しんでなんかいられない、自分が悲しんだからといって、子供たちを救える訳じゃない、親の悲しみを取り除ける訳じゃない、実際は何もできなんだよ、生命を救うことすらできないことが多いんだよ、そんなことで悩んでる暇があったら、私は今、できることを精一杯して、愛情たっぷり、子供たちに接するよ』と。

私は、彼女から実に多くのことを学びました。
彼女、私よりも3つ年下なんですよね〜
いかにも母性があるような感じの子でもなく、身体も華奢で小さい、普通に可愛らしい子なんですよ。
ほんと、私なんか脱帽。

『荷物を一緒に背負ってあげるのではなく、その荷物の重さは軽くならなくても、それでもその荷物を背負って歩く道のりが、少しでも楽になるように助けること…』という話をされていた人がいました。
ほんと、その通りだと思います。

あともう1つ思うことは、『一人の人を大切に』ということ。
幸福や平和という言葉で語ると重く考えがちですが、つまりは人のために灯りを灯すということだと思います。

悩んだ分だけ、何かができるんではないでしょうか?
私も偉そうなことは言えません。
私も現実、逃げたことがあるから…
でも、その時の後悔があるから、私は今、頑張れる。
日々、悩み、模索し、行動です。


2004年10月12日(火)



 アップダウンは関係ない日常

アップダウンはきつくても、心は比較的元気なような気がする今日この頃。
でも、今度は身体が疲れてきたのかなという感じです。
いや、実はたぶん、まだ軽い鬱なんだろうなとは思います。

何かしなければいけないことをする以外は、すぐに横になって眠ってしまいます。
眠るといっても、熟睡はしてなくて、夢ばかりみてます。

土曜は台風も接近してたこともあり、保育所休ませて子供たちも家にいたし、今日は、子供たち連れて、どこか遊びに行こうかなと思いつつ、なんかしんどくて、ダラダラ過ごしていたら、仕事中の旦那から電話があり、私の友人(私の先輩で家族ぐるみの付き合い)が道で倒れて意識をなくして、それで救急車で運ばれたらしいとのこと。

彼女の子供たち(小学低学年)は別の友人が連れて帰ったと言ってて、倒れた友人は、救急車で一旦は病院に運ばれたものの、途中で意識を取り戻したとかで、病院前で下りて診てももらわず、遠いのに『歩いて帰って下さい』と救急隊員に言われ…
歩き出したのはいいけど、またしんどくなって座り込んでしまって、それで、うちの旦那と一緒に仕事してる彼女の旦那さんに電話が入り、それで、すぐには帰れないから、私に迎えに行ったってくれと連絡が入り…

私、お風呂から出てすぐで、髪の毛を急いで乾かして、昼寝していた下の子を起こして、ご飯を即行食べさせて、近所の知人に電話して、子供をしばらく預かってほしいと頼んで、それで車で迎えにいったんですよね〜
点滴セットなんかも持って…こんな時は便利ですね〜訪問看護してると。

彼女、意識失ってる間に失禁もしてて、倒れる前にあちこちぶつけたらしく、ズボンは破けてるし、青タン作ってるし、青白い顔して…
家まで送り届けたら、シャワーを浴びるということだったんで、うちの子を預けてた知人が、東京からお客さんが来る予定だから、あまり長くは預かれないと言っていたので、取り合えず、子供たちをお迎えに行って、それで友人宅に戻って、点滴して…
私、昼ご飯も食べてなくて、友人宅で、私も横になってたら、うつつと寝ちゃって…
子供たちは、勝手に遊んでたんだけどね〜

それで夕方、子供たちと少しまた昼寝しようと横になったけど、子供たちはなかなか寝なくて、騒ぎ回ってて、ゆっくり休むこともできず、そうこうしてるうちに、旦那が帰って来て、外出の予定があったので、一緒に準備して出て…
いつもなら、難なくこなさせるスケジュールだけど、今の私には、ちょっとハードでしたね。

う〜ん…明日は、また友人宅に点滴を打ちに行く約束してるし、保育所で一緒のお母さんが、うちに遊びに来る予定でもあるんですよね〜
中国人の人なんですけど。
旦那も明日は仕事休みだから、家族で動物園に行こうかと言われてるし、超ハード過ぎて、う〜ん…悩み中。


2004年10月11日(月)



 94歳の生き甲斐

今日いつも通り、94歳の一人暮らしの女性(Tさん)のところに訪問看護に行ってきました。
すると、これまた、いつも通りTさんは、はぎれ(布)などを縫い合わせて、いろいろと作っていました。

『私はな〜これがないとあかんのや。
針仕事ができんようになったら、もうあかん。
これだけが生き甲斐なんや。
これ、いるか?どうや?』
と言って、可愛いはぎれで作ったティッシュカバーを見せてくれました。
まだ裁縫途中のもので、『できたらあげるわな』と嬉しそうに、ひろげて見せてくれました。

Tさん宅には、実にたくさんの種類の布があります。
近所の人だったり、デイサービスで行く福祉施設など、行く先々でくれるのだそうです。
そういう私も、うちに眠っている布を持って行ったりしてました。

『これ(布)いいやろ?変わってるやろ?
こんな風にしてな、縫ってな、袋作ろうと思うねん。
これは、しゃれてて、ええで』

私があげた布だということも忘れて、得意げに話すTさん。
思わず吹き出しそうになるんですが、そこは我慢。
『へぇぇ〜ええね〜』
それと、そこで『ええね〜それ欲しいわ、頂戴!』
なんて、調子こいて言ったりなんかすると、絶対くれないTさん。

『わぁ〜可愛い〜この柄いいね〜へぇぇ〜すご〜い』
とかなんとか言ってると、ごっそりタンスから作り置きの物を出して『ほいっ、これやるわ!』と言って、私に向かって放り投げたりして…
すっごいわかりやすい性格。

と思えば、たまに本を読んでいる時もあって、見たら、『死刑制度と廃止論について』…これにはびっくり!
『へぇぇ〜Tさん、こんなん読んでるんですか〜!?
わぁ〜難しそう…それで、Tさんは死刑制度について、どう思うんですか?』
『まあな、死刑はええと思うよ。
悪い極悪人は、死刑にしたらええねん』
これまた、率直なご意見!

たまに介護ヘルパーなんかが、掃除をしに来たり、ご飯を作りに来たり、デイサービスにお誘いに来たり…
はたまた、ひ孫が学校サボって、Tさん宅で寝ていたり、小遣いをせびりに来たり…

いつも小ぎれいに服を着て、部屋には、Tさんの手作りの壁掛けなんかであふれ、かと思えば、玄関の土間(古い家屋なんです)には、米を精米する古びた機械が放置してあったり(元お米屋さん)、乳母車という表現の方がぴったりくるようなサビついた乳母車があったり…
(なんで捨てずに置いてるのかな〜と疑問に思いつつ、でも時代を感じさせるものに、妙に気持ちが落ち着いてしまう自分がいたり)

戦争体験を話してくれたり、百日咳で半年も学校に行けなかった話。
妹とえこひいきをされて親から虐待を受けた話。
一人目の夫も、二人目の夫も、病気で自宅で介護して、最期まで看取った話。
お米を一人で売りに歩いて、苦労して子供達を育てあげた話。

どれもこれも、暗〜い苦労話なんかではなく、『こんなんもあってな、あんなんもあってな…』と明るく話をしてくれる、Tさん。
私は大好きでした!

今日も、そんな一日が当たり前にあると思って、私は訪問しました。
いつも通り、裁縫に一生懸命なTさん。
和やかに脈をとり、血圧も測って、『大丈夫、ちょうどいいよ、風邪だけは引かんとってね〜』と言ってた矢先…

Tさんの娘さんという人が来ました。
とても化粧の濃い、細○数子みたいな人…

『今日、老健施設に入れるんです。
最近、ボケてきてね、おしっこやうんちも漏らすし、オシメ替えるのが大変なんです。
夜は徘徊するしね、一人でこんな所に置いといても寂しいやろし、施設に入った方がお友達もできるやろしね、本人もそうしたいと言うので』

『…えっ!?…私、トイレに一人で立って行ってるの何回も見ましたよ。
漏らしてるなんてこと、ないですよ。
それに施設には入りたくないって、本人さんは、いつも言われてますけど。
ボケてるなんて、多少の物忘れはあっても、そんなボケてどうしようもないなんてこともないですよ、全然…
昼間、お一人で散歩に行かれてる時もあるし…(徘徊ではない、明らかに)』

『あなたは知らないでしょう!
この人、何もできないし、何もわかってないの!』

『いや、裁縫だって、こうやってやってはるし、そりゃ〜年も取ってはるから、できないこともたくさんあるでしょうけど、それはヘルパーさんが時々入って、やってくれてるし…』

『(裁縫)こんなのねー昔作ったやつを出してきて、眺めてるだけなのよ!』

『いや、実際、今もこうして…』

『違うわよ〜あなたにどうのこうの言われる筋合いないわ!
家族が大変だから、入れるって言ってるんだから!』

『いや、私は入れる入れないの話をしてるんではなくて、私には勿論、決定権はないですから、それはまぁ〜、本人さんとご家族の話し合いで決められたらいいと思いますけど、Tさんは、そんなに何にもできないほどボケてるってことはないってことを言いたかったんです。
お年の割には、しっかりされてますよ』

『あなたは何もわかってないわ!
知らないでしょう!
あなたに、どうのこうの言われたくないわ!』

『・・・・・・』

Tさんの顔をちらっと見ると、(いいよいいよ、もうやめとき)というような目で、首を少し横に振って、静かに座ったままでした。
私もTさんも、畳の上に座って話をしていましたが、この娘さんは、ずっと仁王立ちで、上から見下ろしてしゃべっていました。

あとで聞いた話では、この細○数子、福祉協議会?に勤務していて、結構、権力も持っている人とのこと。
つい最近、Tさんのキーパーソンだった長女さんから、この次女さんに変わったらしく、その途端、『要介護2なんて、おかしい!要介護3でしょう!今のサービスには不満がある!』と、役所やら、うちのクリニックやら、介護事業所のケアマネージャーさんの所に怒鳴り込んできたらしい。

でも、ほんとの裏事情というのは、Tさんの子供さん達(兄弟)の間の相続権争いがあるらしく、また、Tさんが今住んでいる家は亡くなった、Tさんのご主人名義なんだけど、その辺の絡みやらなんやらあって、Tさんとは全然、関係ないところで、泥沼化してる様子。

そこで、何とかTさんを、そこから追い出したい?が為に、『ボケてどうしようもない!』と、いつも、Tさんを見てきて知っている、介護・医療関係者に喧嘩を売ってきたんです。
それを、また、Tさんの前でやっちゃう冷酷さ…本当にボケてた方が、Tさんに取っては幸せだったかも…

私 『今日、施設に入るんですか?じゃぁ…今日が最後…?』

Tさん 『もう、あんたに会われへんと思ったら寂しいな…』

私 『じゃぁ…これ(裁縫道具)も持って行かないとね…』

数子 『そんなのいいんです!あなたが心配することじゃないでしょう!よけいなお世話です!』

(Tさんの生き甲斐の裁縫道具なのに…それだけは取り上げないで!)

私 『…気をつけてね…今日は雨が降ってるから、ほんと風邪とか気をつけて…』

Tさん 『ありがとう…』

私 『Tさんのこと、私、忘れないよ…絶対忘れないから!元気でね…』

握手を固く交わしながら、涙が出そうになるのを必死に堪えました。
その場で、私が泣いてしまったら、Tさんが、あまりにも惨めになるような気がして…
顔をすぐに横に向けながら、『…失礼します』と言って、そこをあとにしました。

今日は一日、涙が止まりません…


2004年10月08日(金)



 イチローJr

私がシアトルに看護短期留学している時のこと。
ある店で昼食を取っていると、まだ数ヶ月の赤ちゃん連れの日系三世の夫婦がいた。
その子があまりに可愛かったので、『名前はなんていうんですか?』と聞くと、『イチロー』と言うので、一緒に来ていた友達と『Oh〜イチロー!』と叫んでしまった。

『イチローと言えば、日本では、とても有名な大変人気もある野球選手ですよ〜きっと、この子も大物になりますよ〜』と、わいわい話していたのを思い出す。
それから、数年後にはイチローがシアトルマリナーズに入団して、いまや大スター!

あの時の坊やも、もう7歳ぐらいになってるはず…
日本から来た私たちのこと覚えててくれてるかな〜?


2004年10月04日(月)



 人の気持ち

随分前の出来事だが…

『姉ちゃんはな〜私みたいに障害がないし、私の気持ちなんかわからへんわー』
と泣きながら言われたことがある。
私は『ああ〜わからんさ〜わかる訳ないやん!
私は、あんたみたいに足も悪くないし、身体のことで、あんたほど苦労してないし、嫌な思いもしてない。
代わってあげたいと思っても、代わられへんし、正直に言うて、代わりたくもない。

じゃ〜聞くけど、あんたは障害者の妹を持つ姉の気持ちがわかんのか?
障害者の子を産み、育てた母親の気持ちがわかんのか?
あんた、わかってくれへん、わかってくれへんって、あんたかって、わかってないんちゃうの?
自分一人だけ、苦労した言い方して、自分だけ悲劇のヒロインになって!

あんたが、どれほど嫌な思いして、悔しい思いして生きてきたかって、傍で見てる私でも、全部が全部はわからんと思う。
そんなもんちゃうの?
卑屈になるなよー僻むなよー
誰がなんと言おうと、どう見られようと、堂々としてたらいいねん!
私は、あんたという妹をもったこと、全然恥ずかしいと思ってないよ。
あんたも、自分で自分を可哀想と思うなよー』

妹の目からは、怒りや悲しみの涙から、また違った涙が流れているのを見た。
私は妹をいじめている時があった。
腹が立ったら、怒りが止まらず、思いっきりビンタなんかもしていた。
子供の頃は、ただただ妹を守りたいと思って、親の代わりのようなこともしてきたけど、それでも、時々、無性に腹が立って…

でも、いろんなことを通して、妹も私も成長してきた。
妹によって、私も成長できたし、妹もそうだと思う。
親にはわからない、私達だけの思いがある。
う〜ん、言葉にするのは難しいな…
この問題は、どこまでも永遠に続く問題かな?


2004年10月03日(日)



 差別意識のない差別

人権という視点について、私なりにいろいろ考えることがある。
私の妹が、脳性マヒの障害者ということもあり、そういった問題は本当に子供の頃から身近にあった。

私が中学2年生、妹が中学1年生の時のこと。
ある日、私は生活指導の先生に呼び出された。
先生の体罰は当たり前の大変厳しい学校だったので、『えっ…私、何かしたかな!?』とドキドキしながら職員室に行くと…

『K(旧姓)、おまえの妹、障害持ってるやろ?
それでな、朝の朝礼でな、みんなに話したいことがあるんやけどな。
おまえの妹、足が悪いのに、プールも休まず、いつも頑張って泳いでるやろ?
先生、それに感動してな〜それで、みんなに言いたいことがあるんや。
朝礼でみんなの前で話してもええか?』

『ああ…いいですよ。
妹もスイミングを習ってたんで、泳げるんですけどね』

『一応、姉である、おまえの許可をもらっとこかな〜と思ったんや、ありがとう』

(妹本人じゃなく、なんで私に許可取るねん)
と疑問に思いながらも、まぁ〜好意的に妹を見てくれてると思って、私は少し嬉しい気持ちになった。

そして全校集会(朝礼)の日…

『今日はみんなに話したいことがある。
みんなも知ってるように、2年○組のKの妹は足が悪くて、障害があるわな。
そやけど、いつもプールも嫌がらず休まず、出席してるわな。
おまえらみたいに、着替えんのが面倒じゃ、泳ぐのが嫌いじゃ言うて、ズル休みなんかしてないな。
溺れながらも、いつも一生懸命泳いでる。
溺れながらも、最後まで諦めず泳いでるわな。
それ見て、おまえらは、何とも思わんのかー!
恥ずかしいと思わんのかー!
障害を持ってるKでさえ、溺れながらも、ちゃんと泳いでるのに、健康なおまえらは何やねん!
少しは、あいつを見習えー!』

ここまで読んでくれた人は、どう思われるだろう?
さぁ〜間違い探しです!じゃないけど、これって、何?これが指導?
おいおいおい、止めてくれよ〜って感じだった。
妹が、どう感じたかが気がかりだった。

まず、なぜ先生は、妹にではなく私に話を持ってきて、私の妹という紹介の仕方をするのか?
妹は足が悪いだけで、知的障害はなかった。
勉強も普通にできて、養護学級にも入っていなかった。
なぜ、妹本人に許可を取らないのか?

それと、(溺れながら)をやたらと強調して話していた。
本当に溺れてると思うなら、感心してんと助けなあかんやろーとも思った。
妹と私は、小学生の頃、3年スイミングに通っていた。
妹にしたら、溺れてるつもりはない。
先生の目から見たら、溺れてると見えたのかしれないけど…(これこそ偏見)

私は家に帰ってから、妹に冗談ぽく言った。
『溺れながらも…やって?
お・ぼ・れ・な・が・ら・も…やって?
あんた、溺れてたんや〜私、全然知らんかったわ〜
ちゃんと泳いでると思ってたわ〜』

『ほんま、参るわー!
溺れてへんのに、溺れてる溺れてるって…
あれでも、ちゃんと泳いでるつもりやのに…
ほんま、みんなの前で恥ずかしいわ〜』

『ほんまやな〜
あの先生は全然わかってないな〜
溺れてるんやったら、助けなあかんやんな〜
今度、先生に会ったら言うたりー
あれでも、私はちゃんと泳いでますって!』

こうは言いながらも、私も妹も、笑いながら話していた。
私と妹が姉妹という関係で、信頼関係があってこそ、語れる内容の話
だ。

人権人権って、言うは易し、本当はものすごく難しい…
だけど、ほんとのほんとは、当たり前の人間感覚、人を人と当たり前に見ることでいいのであって、難しく考える必要はないんだけどね〜
『差別をなくそう』と声高に叫んでる人ほど、差別意識が強いんじゃないかと、私は思ってしまう。

健常者、障害者という言葉分けは嫌いだが、どちらにもお互いに対して偏見があると感じてしまうことがある。
健常者側だけじゃなく、障害者の方にも、健常者に対して偏見、壁がある場合があって、その辺が難しいなと感じる。


2004年10月02日(土)



 介護保険制度改悪?

今朝の毎日新聞を読むと、来年度の介護保険制度改正で、現在は保険給付対象になっている特別養護老人ホームなどの施設入所者のホテルコストが、全額自己負担になるとのこと。
保険料の負担も40歳以上から、20歳以上になる可能性大。

これは〜現場は〜大変なことになりますよ〜
私が所属してる訪問診療を中心にやっているクリニックの院長、特養施設も持ってるので、現場は混乱するだろなぁ〜て、今から想像できます。

ますます生活弱者(こういう表現は嫌だけど)にしわ寄せが…




2004年10月01日(金)
初日 最新 目次 MAIL


My追加