Comes Tomorrow
ナウシカ



 待ちに待ったカウンセリング

今週の木曜に少し遅れのカウンセリングに行ってきました。
ほんとは先々週に予約が入っていたんだけど、子供も私も40℃の高熱を出してダウンしてたんで月1のカウンセリングがズレました。
実はこの2月はしんどかったんで、早くカウンセリングに行きたかった。

何があったって訳でもないのに、仕事は行きたくないし、家事も面倒だし、なんか悶々と日々を過ごしていて…それでも比較的元気な時もあって…
(ああ〜また鬱に陥りかけてるよ〜)と抗うつ薬に手が一瞬伸びかけたけど、(いやいや、まだこれぐらい大丈夫だ)と言い聞かせて…

カウンセリングでは、仕事のことや家族のこと、ネットのこと、自殺未遂した友達のこと、詩集出版のこと、いろいろ話した。

取り合えず今は落ち着いて、仕事行きたくない病は治まってきた。
今週の火曜から新しいナースも入って、私は教育係としてその人に付いている。
それに院長から「PCができるなら、居宅療養の患者さんのデーター打ちを週1程度でいいから、昼間に残ってしてほしい」と言われている。
院長は介護支援医をしていて、ケアマネージャーとしてケアプランも立てているから、その手伝いをしてほしいということなのだろう。
前にもそのことは言われていて一度断ったけど、今度は断りにくいなあ〜
まあ〜違うことを始めるのも気分が変わっていいかもしれない。
もう引き受けてみようかな…
嫌いな分野じゃないし、いい経験にもなるかもしれない。

妹は結婚することは止めたらしい…やっぱりあの親からは離れられないんだ!
もう30にもなるというのに自立はまだまだできそうもない。

自殺未遂した友達は救急車で運ばれ事なきを得た。
何もしてあげられない自分がもどかしい。
…って言うより、そんな余裕のない自分がいる。
早く人を励まし勇気づけてあげられるだけの自分になりたい。

詩集は何社か出版社に提出したけど、いつも会議で揉めてるらしい。
無難な線で売りたい上層部と、一つの賭けに出てみたい現場の人達との間で意見が分かれるらしい。
そこで私達の誰かを取材したいと申し出があった。
だけど、メンバーは全国に散らばってるし、親から受けた虐待の体験談を初対面の第三者に話すのは、ものすごく苦痛に満ちた勇気のいる行為だ!
治りかけた傷口のかさぶたをベリッと剥がし、それをえぐるような感覚を覚える人も少なくない。
まだまだ困難を極める作業だ。

そんなこんなな日常…来月はいよいよ引越しだし…
ああ〜結果を出したいなあ〜(何を!?)

2002年02月23日(土)



 異性との友情は永遠に続く!?

今週の日曜日、ポエムにも書いていた異性の親友がうちに結婚報告に来た。
ずっと付き合っていたナースの彼女と、とうとうゴールインするらしい。

私はいつになく緊張していた。
…と言うのは、彼とは10年来の付き合いで、ずっと定期的に電話で話したり長文の手紙をやり取りしていた。
それがお互い携帯でメールをするようになって、またちょうどその頃ぐらいから彼には彼女ができて、私達の仲はどことなくギクシャクするようになった。

私と彼は別に昔付き合っていた訳ではないし、ずっと友達の枠を超えることはなかったから、彼女ができたぐらいで気まずくなるのもおかしな話なんだけど、私と彼との間にあった強い絆(友情)が彼女の存在が大きくなるにつれ崩れてきた。

それでお互い気持ちが行き違い、喧嘩別れのようになってしまった。
しばらく私達は当たらず触らず、頻繁に連絡を取っていたのをパタッと止め、しばらく疎遠になっていた。
それから1年半の時が流れた…それで結婚報告である。
正直ホッとしたのと、また更に彼がもう私の届かない遠くの人になってしまった気がした。

勿論これからも家族ぐるみの付き合いはしていくと思うけど、以前のような異性の親友として親しく付き合うことは難しくなったように思う。
もう二人でドライブをして、港であれこれ語り合うことはできないのかと思うと寂しい。
これからは彼女も交えたらいいのにと思うかもしれないけど、彼女がいると私も彼も気を使ってしまって、本来の自分と言うか、お互い話したいと思うことも上手く話せなくなってしまう。
それは仕方ないことなのかな、やっぱり…

お互い境遇が似ているところがあって、分かり合えるところもいっぱいあったんだけど、もう過去のことなのかな…
お互い家族を持つと、遠くなる友情…何だか寂しいな。

同性の友達もほとんどが結婚出産と、物質的にも遠くなってしまった。
会いたくてもそうそう会えなくなってしまった。
ああ〜今、無性に友が恋しい…友達が欲しいなぁ〜

2002年02月12日(火)



 年賀状の返事は結構重要

私は結構、筆まめで会わなくても年賀状だけは必ず出す。
その中には友達だけでなく、今までお世話になった先輩や先生、患者さんまでいる。
だから年齢はバラバラで、毎年年賀状の返事がくるかこないかでハラハラする。
…というのは、患者さんの知り合いの中には70代80代の方が結構いるからだ。

(年賀状のお返事がきた)と思ったら、ご家族から(永眠いたしました)ときたことも一度や二度ではない。
だから年賀状の返事を待つのがハラハラヒヤヒヤなのだ。
「便りがないのは元気な証拠」と言うけれど、いつもお返事をくれる人からこなかったら、そういう意味で心配だ。

でも今回はまだ年も若い、准看護学校時代の先生から便りがなかった…
看護学校の先生の中でも最も尊敬する好きな先生だ。
必ず先生の方から便りをくれてた。

私がうつ病で高看護学校を中退した時も、親から虐待を受けてたと告白した時も、先生は理解を示してくれて「力になるから…」って言ってくれてた。
在学中から恋愛の相談でも何でも乗ってくれる先生だった。
看護を教えてくれる時も、一方的に看護の考えを押し付けるのではなく、私達の考えや気持ちを尊重した上で、静かにたたみかけるように指導してくれる先生だった。
病院実習では、いつも挫けそうになってた私を励まし、自信のなかった私を褒め、勇気づけてくれた。
こんな私が無事卒業できたのは、この先生のおかげだ。

その先生から遅れて年賀状の返事がきた。
ビックリ…昨年暮れにクモ膜下出血で倒れ、入院手術してたらしい…
でも今年の1月8日には職場復帰も果たしたらしい…良かった。
人間何が起こるかわからないな。
車の免許も取れたことだし、学校まで会いに行こうかな。
先生の元気な顔を見に…

2002年02月10日(日)



 最近はまっているもの

PCをやり始めてもう5ヶ月になるけど、自分でHPなんかを開くと他の人のHPなんかも気になって、いろんなとこ覗いたりしてた。
ほんとにいろんな人がいるもんで、感心したり涙したり、私自身いろんな感情が湧き起こってくる。

みんないろんな悩みを抱えながらも、日々の生活を精一杯頑張っている。
それでも泣きたいときはWeb上で泣き、時には笑い、そうやって自分史を綴っていってるんだなあ〜
特にうつ病の人や引きこもりの人は外に出せない分、Web上で吐き出す場合が多い。
私もそうだ…鬱で人と話せない時でもメールなら出来る。
言いにくいことでもHPになら書ける。

一昔前ならPCやってる人間はオタクと呼ばれていたけど、ところがドッコイだわね〜
初期の頃の人は可哀想に…
今ではだいぶ普及してPC持つ人も増えたものね〜
それもiモードが普及したからだろうな〜
私も携帯を持ってなかったらPC買おうなんて思わなかったかも…
携帯のHPサイトに、はまってしまって請求書が恐ろしい額だったのよね〜

子供の前ではあまりPCを開かないんだけど(邪魔されるだけだから)たまに開けると大騒ぎです。
マウスの矢印を、メル友さんから頂いたピカチュウにしてるもんだから、それを追いかけてキャーキャー!
でもPCを閉じる時は「ピカチュウ〜バイバーイ」って言うと素直にバイバイしてくれるから助かってる。
そのうちPC占領されたりしてね…

2002年02月08日(金)
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