サッカー奥のほそ道
じぇんとるNこと、ころらどによるサッカー観戦(旅行)記

代表からJ1・J2はもちろん、JFL、地域リーグ、
さらには大学、ユース、ジュニアユース、そして女子サッカーまで
(一応、川崎フロンターレと清水エスパルスを応援しています)

1997年04月20日(日) 第6回JFL 第1節 川崎−ジャトコ (等々力)

この年の3月末で3年間勤めた会社を辞めることにしたころらど。
住んでいた学芸大学のマンションは会社の借り上げ社宅だったため、4月下旬に有休消化が終わるまでに出て行かなくてはいけなかった。

学生時代に元住吉に住んで以来、東急東横線沿線になじんでいたため、再び元住吉か武蔵小杉辺りに戻ろうと考え、3月頃は週末にその周辺の不動産屋をあたっていた。
武蔵小杉駅のバスターミナル側の階段を登っていた時、壁一面に大きくサッカーチームの広告が出ているのに気づいた。
広告には「川崎のプロサッカーチーム 川崎フロンターレ」とあり、「ファンクラブ会員募集」という部分を良く見ると、何と「申し込み先着5,000名様に自由席入場回数券15枚進呈(ホームゲーム全15試合)」と書いてあるではないか。私は大いに興味をそそられたのだが、思えばこれがフロンターレとの腐れ縁の始まりだった。

昨年末の天皇杯のこともあり、JFLの富士通川崎がプロ化されることや、清水から向島や長橋といった選手が移籍することは知っていたが、実際には大して興味を持っていたわけではなかった。

4月に入り、引越しを済ませた後、私は川崎フロンターレのファンクラブ事務局に電話をかけた。
「ファンクラブに入りたいのですが。」
「今から申込書を郵送して、振込みしていただくと、回数券が開幕戦に間に合うか微妙ですので、開幕戦当日にファンクラブのブースにいらしてください。」
「先着5,000名というのは大丈夫なんですか?」
「ええ、当日でもまだ大丈夫だと思いますよ。」
こうして、4月下旬の好天に恵まれた日曜日、等々力に足を運ぶこととなった。

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メンバー:
<川崎>
GK浦上壮史
DF大場健史、小泉淳嗣、戸倉健一郎、シャイデ
MF桂 秀樹、中西哲生、大塚真司(→77分土居)、向島 健
FWベッチーニョ、ムタイル
(SUB)境 秋範、源平貴久、土居義典、長橋康弘、浦田尚希

<ジャトコ>
GK沖田政夫
DF上野陽道、井上和彦、吉田 謙、マルセーロ
MF森野章三(→61分田中)、ジェルソン、井上和明、坂口健司(→72分福島)
FW望月昭英、ネネー
(SUB)右田靖夫、植田雅彦、高山雅光、福島宏太郎、田中秀昌

     川  ジ  
シュート 16 5
CK    8 0
FK   24 21


得点:
(川崎)20分、24分、59分ムタイル、72分桂
(ジャトコ)なし

川崎の先発メンバーを見ると日本人は全てJ1からの移籍選手。中西は大塚とのダブルボランチだったのだろうか。サブには境パパ、源平(現・専修大コーチ)、土居ちゃん、ヤスそしてウラチョ。ウラチョは大卒新人でベンチ入り。シャイデは後にセレソンとして凱旋来日を果たすことになる。(実際にチーム事務所を訪れたとファンクラブの機関紙に出ていた)
対戦相手のジャトコはこの年にJFLに昇格したばかりだった。FWの望月は元日本代表でJ1神戸に在籍する望月重良の実兄であるが他のメンバーは正直言って良く知らない。

試合に先立って、川崎市助役の挨拶があったのだが、彼は「JFLの開幕戦はこれが最後ですから・・・」とやってしまった。これが3年間に及ぶケチのつき始めだったとはこの時誰が想像しただろう。
でもホント実際に豪華なメンバーだ。・・・・・・監督を除いて。

ちなみにこの試合の主審は北村、観客は3,411人だった。

試合は昇格してきたばかりのチームが相手ということもあり、終始フロンターレがペースを握り完勝。この日の観客のうちの誰もが来年度のJリーグ入りを確信しただろう。しかし、その水面下ではすでにもう、今後このチームに欠かせない年中行事となる監督交代の兆しと今も続く芸風となる「勝負弱さ」の蔓延が着々と進行していたのであった。

川崎フロンターレ 4−0 ジャトコ


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