Deckard's Movie Diary index|past|will
巷で評判の宜しくない『シークレット・ウインドウ』ですが、オイラはけっこう楽しめました。まぁ、『ホワット・ライズ・ビニーズ』でも楽しんだオイラですから、この手の映画に関してのハードルがきっと低いんでしょう(笑)。そりゃ、今更のネタですけど、そこにツッコミ入れてもねぇ・・・だって、難病モノの恋愛映画のように今更のネタだったとしても面白い映画はたくさんあるじゃないですか!(ダメダメな方が圧倒的に多いですが♪〜( ̄ε ̄;))また、この手の映画だと毎度の如く「途中で分かっちゃったんで、楽しめませんでした」って云う輩も出没するからなぁ・・・ボソ。例え今更のネタだとしても、そこへ向かう過程の方が大事ですから。確かにその点はヌルいんだけどね(結局はヌルいんかい!)。上っ面のストーリー・テーリングは良いとしても、結局はそうなってしまった過程の描き方がおざなりなんだよなぁ(って、ダメじゃん!)。だから、いきなりタネ明かし〜!みたいな流れになって、チャンチャン!っつー結末になっちまいます。まぁ、ハリウッドのこの手の映画って、ほとんどがこのパターン。だから「途中で分かっちゃったんで・・・」みたいに云われちゃうんだよなぁ。もう少し文学的なセンスとかが混ざればイイんだけどなぁ・・・例えばポランスキーの『反撥』に出てきたような象徴的なカットの積み重ねみたいなね。ミッキー・ロークが出てた映画でもそんなんのがあったなぁ・・・アレも監督はイギリス人だったわ。ティモシー・ハットンもどうしてこんなに軽い野郎なんでしょうか(苦笑)。ラストは原作とは大きく違っているそうですが、個人的には気に入りました!キッパリ!それにしても、先へ進みたい時にかかって来た電話の鬱陶しいコトと言ったらありゃしない!それも計算のうちなんでしょうけど、思いっきり「こいつ、ウザイ!」って心の中で叫んでいました(苦笑)。
『トリプルX』『S.W.A.T』『ワイルド・スピード』の製作者ニール・H・モリッツの新作『トルク』。もちろん!その手の映画です。四輪が二輪に変わっただけで、大して変わりはありません。ただ、監督がTV出身のジョセフ・カーンという人なんで小気味良い編集は上手いんだけど、全体の関係を見せるような説明カットが下手なんですよ。だから、アクションシーンでの位置関係が良く分からなかったりします。ロブ・コーエンはその辺りは職人でしたからね。まぁ、それでも勢いだけは四輪よりあるのでそれなりに観られちゃいますけどね(苦笑)。で、それなりに楽しめるじゃん!と思っていたら、ラストでズッコケたわ!ラストはバイク同士の追っかけっこになるんですけど、コレが信じられないくらい陳腐なCGなんですよ。今どきこんなCGは卒業制作でも作らないだろ!制作費を使い切っちゃったとしか思えない情けなさでした。え、アイス・キューブですか?相変わらずキュートでしたよ(苦笑)。
『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』の特別上映に行ってきました。お目当ては10年前に公開された時にも併映されていたティム・バートンのデビュー作『ビンセント』。『ナイトメア』のコレクターズ・エディションにも収録されている『ビンセント』ですが、コレ好きなんですよ。主人公の少年ビンセント・マロイは名前が同じビンセント・プライスが大好きで、エドガー・アラン・ポーを愛読するという、ちょいと変わった子供です。誰が観ても思うように、この作品はティム・バートンの子供時代そのものなんでしょう。本人も語っているように「何も無い町で、いつも空想に耽っていた・・・」まさにその様子が描かれています。何を撮ってもプライベート・フィルムになってしまうティム・バートンですが、その原点がこのフィルムに凝縮されています。バートンがそんじょそこらのオタクと違うところは、この『ビンセント』を観ても分かるように、キチンと一般ウケ?するような娯楽性を持ち合わせているところだと思います。今回併映されている『ビンセント』と『フランケンウィニー』を続けて観ると、子供丸出しの感性で嬉々として映画を作っているのが見えてきて、微笑ましくなってしまいます。『フランケンウィニー』のファースト・シーン、フランケンシュタイン少年が家族や友人に自作の映画を披露している場面があるのですが、今でもバートンの心の中はあんな感じ、つまり「ねぇ、今度のボクの『映画」観て!観て!」って感じなんでしょう。そしてそれこそが、オイラがバートンを愛して止まない理由です。「いつまでたっても子供なんだから」と姉は言いました。「子供は楽しいぜ!」とコーディ(ストリーツ・オブ・ファイアー)は返します!このヤリトリこそが、オイラにとってのバイブルです(・_・)ヾ(^o^;) オイオイ。子供は楽しい!子供は一度やったら止められない!子供万歳!!バートン万歳!
キムタクが出ているので、何かと話題になっているウォン・カーウァイの新作『2046』。とにかく眠たかった♪〜( ̄ε ̄;)。コジャレタ映像にコジャレタ音楽を当てはめて、ハイ!一丁上がり〜♪みたいなお安い映画でした。そりゃ、雰囲気はありますけど、ストーリーは陳腐だし、涙の大安売りだし、何処が面白いのかサッパリ理解出来ません。役者陣は皆さん達者ですけど、ひとつも胸に残るエピソードはありませんでした。ウォン・カーウァイはもういいかなぁ・・・ボソ。
「少年Aは無差別殺人を犯したワケですが、少年の心の闇には何が潜んでいたんでしょうか?児童心理学者の○○さん、どうですか?」「そうですねぇ、まず彼の家は厳格な教師の家庭なんですが、過剰な期待に応える為に、極度の緊張を強いられていた生活だったのが考えられます。その場合、得てして子供というのは〜云々」等とワイドショー辺りでしたり顔で答えたりしてるのって、どうなんでしょう?だいたい“過剰な期待”って、何処からが“過剰”で、何処からが“過剰”じゃないんでしょうか?勉強漬けになること自体、ひょとしたら子供自身が自ら望んでいるのかもしれませんよ。「親が子供に期待するのは当たり前だろ!」という言葉が劇中にありますが、多かれ少なかれ親なんてそんなモンです。「ウチのなんて、全然ダメだから」と言いながら、何処かで淡い期待をしてますよ。そんな、ごく普通の生活の中から、突然“モンスター”と呼ばれるような殺人鬼が生まれて来るんですから、何がどうなってそうなったのか?なんて、そんなもん誰にも分かりませんよ!平凡な男女関係の当事者同士だって相手の心の内を理解するのが難しいんですから、そんなに簡単に人の心の奥底なんて分析出来るワケはありません!この映画の評価されるべき部分のひとつは無差別殺人を犯した少年の内面を放ったらかしにしたコトだと確信しています。もちろん、ただ放ったらかしにしたワケではありません。彼の発する少ない言葉はリアルに胸に迫って来ます。もちろん、それだけで彼の内面なんて分かりませんし、製作者側だって表現しようとは思ってないでしょう。彼は“モンスター”なのかもしれませんが、生身の人間の部分も、未成熟な少年の部分も丁寧に描いているので、その存在感は十二分に感じさせてくれます。オイラだって心の奥底では誰にも言えない、他人から見れば“モンスター”のようなコトばかり考えている未成熟でヤバい人間です(っつーか、全ての人間の遺伝子の中に“モンスター”という遺伝子が元々存在しているんじゃないでしょうか?)。彼とオイラとの違いは行動を起こしたかどうかですが、それはちょっとした運命の悪戯かもしれません。この映画を受け入れられない人々はその辺りの曖昧な表現やラストの描き方が納得出来ないのでしょう。でも、とってつけたような理由とか、嘘臭いヒューマニズムなんて必要ありません。作品は登場人物同士の距離感が実に的確に描かれており、それは対象と真摯な態度で真正面から向き合っている証拠だと思います。個人的には、同じような年頃の息子を持つ父親として心に迫るモノがあり、特に最後に彼が父親に向けて発した言葉は忘れられません。そして、内藤剛志演じる父親が息子へ向かう姿は十分納得出来るだけに、悲しくてやりきれない気持ちで一杯でした。分からないモノは分からない・・・その潔さが、この映画に凄まじい緊張感を生んでいるのは間違いありません。邦画でここまで緊張感を強いられる映画は久々でした。音楽の使い方も、これ以上入るとクドくなるギリギリのところで仕上がっていますし、この藤原健一という監督の今までのフィールドはVシネマ中心だったらしいのですが、かなりの力量の持ち主だと思いました。今まであまり評価したコトの無かった内藤剛志でしたが、今回は本当に素晴らしかった!というワケで、見切れているような写真を据えたチラシのセンスの良さは作品にも反映されていた!ってコトです。また、自分でも驚いたのですが(苦笑)、ある登場人物が決着をつけようと行動を起こした時、結末が自分の望む形になるのを必死に祈っていた自分が居ました・・・・。観終わった時にゴツゴツした印象を残す映画ですが、時が経つにつれてダイアモンドの原石のような光を放つ作品と言えるでしょう。
『フォーン・ブース』の製作とか似合わない(オイオイ…( ;・_・)ッ( ゚ー゚)ウキ…)仕事をしていたデヴィッド・ザッカーの久々の監督作は、あの“絶叫シリーズ”最新作『最‘狂’絶叫計画』。ハッキリ言って今までの“最強シリーズ”で一番面白いと思います!弟・ジェリー・ザッカーの傑作『ラット・レース』ほどではないですが、バカ笑いを十分に堪能出来ます。『リング』『サイン』『8マイル』をパロッたストーリーも上手く収まっていて、矢追純一というよりタマ出版の韮澤氏が喜びそうな映像も満載です(誉めてるんかなぁ・・・)。コメディってあんまり健康的だったり、やたら下ネタとか、単にパロディだけじゃ、なんか腹一杯にならないんですよねぇ・・・やっぱりブラックだったり不謹慎だったりしないと喰った気がしません!でも、ツボはカメオ出演のあの監督だったりして(爆)。難を言えばトップギアに入るまで多少時間がかかるってコトでしょうか。しかし、シャーリー・チーン?って、こんな映画ばかり出てるなぁ・・・今回は夫婦で夫婦役だし。
中島らもの原作は“伝説の名作”だそうです。簡単に言ってしまえば『チャンプ』の『ロッキー』風味と言った塩梅です。おそらくは良く出来た話なんでしょう。それはこの映画を観ながらもなんとなく分かりますし、原作に忠実に沿ったと思われる脚本も悪くないと思いますよ。でもね、面白い?って聞かれたら、歯切れの悪い表現しか出来ません。演出がなぁ・・・ボソ。前半がやたらともたついています。小ネタを散らばしてるんですけど、バラッバラの印象でスカスカです。さすがに後半はこの手の映画のパターン「エイドリア〜ン」とか「立て!立つんだ!ジョー!」みたいなスポ根感動モノなので、それなりには盛り上がりますがね(笑)。そう言えば思いっきり目立つところに『練習生募集!丹下ジム』っつー張り紙がありましたなぁ(苦笑)。良く分からないのが、舞台設定が24年前(1980年)なんですが、トップとエンドにナレーションで補足するだけで本編上では当時の雰囲気や世相をほとんど感じさせてくれません。だからノスタルジックになるだろうシチュエーションが古臭いモノにしか見えません。コレって、致命的な演出ミスじゃないでしょうか?その辺りの表現がもう少しキチンとされていたら、もっと面白い映画になったような気がしてならないんですよねぇ。当時流行っていたモノとかで幾らでも表現出来ただろうに・・・少年ジャンプだけじゃなぁ(苦笑)。しかし、宇梶剛士は下手ですねぇ、それに比べて天才子役と呼び声の高い神木隆之介(『キリクと魔女』のキリク役の吹き替えも担当)の達者なコトと言ったら(笑)。
ジョン・フランケンハイマーが亡くなり、ポール・シュレーダーが降板(噂によりますと、ほとんど撮影終了していた時点で降ろされたらしい)、最終的には『ドリヴン』以来のレニー・ハーリンが全編取り直して完成させた『エクソシスト ビギニング』・・・・・ぇ、ええ〜!!!ハーリンかよ!!!(´―`)┌ ヤレヤレ…さて、今回はオカルト映画の傑作『エクソシスト』以前を描いたストーリー。主人公は『エクソシスト』でマックス・フォン・シドーが演じたメリン神父ですが、今回はステラン・スカルスゲールド(奇跡の海/ディープ・ブルー/キス★キス★バン★バン/ドッグヴィル/キング・アーサー)がハリウッド初主演で頑張っています。ベルイマン映画の常連だったマックス・フォン・シドーの若き日を、やはりスウェーデン出身のステラン・スカルスゲールドが演じるのは誰が考えても当然のコトでしょう。若き(若くはないけどね)メリンは魅力的だったのですが、映画の出来はなぁ・・・最初は良かったんですけどねぇ・・・やっぱりハーリン節というか、結局は底の浅い仕上がりになってしまいました。ただ、最初はもっと観たことのないようなトンでも作品になるのかと思っていましたが、意外や意外!ハーリンは抑えた演出も出来るんですねぇ!っつーか、成長したのかな(苦笑)。個人的にはそれなり楽しめたんですけど、それは一にも二にも元祖『エクソシスト』が好きだからです。だって、あのランカスター・メリン神父がDQ2でも有名なバズズとのファースト・コンタクトを描いている作品と聞いちゃあ〜元祖好きとしては避けて通れませんよ(笑)。ストーリーの骨子(メリンと女医のトラウマ・・・つまり現実の『悪』と超自然の存在『悪魔』の結びつきとかね)は悪くないと思うので、やっぱり演出なんでしょう。ハーリンにフリードキンのような硬質で緻密な演出を期待するのは無理!ってモンです。全編を通して甘く、最後はそこら辺に転がっている三流ホラーになってしまいました(苦笑)。しかし、このシリーズって純粋にキリスト教と悪魔の戦いだったのに、この作品ではキリスト教と異教徒の殺し合いも起きたりして(もちろん悪魔が絡んでるんですけどね)、コレって先進国と第三世界の国って図式を思わせるんですけど(砂漠だし・・・)、考え過ぎなんかなぁ・・・脚本ってやっぱりウイリアム・ピーター・ブラッティが書いてるんかなぁ・・・まぁ、いいや!で、正直な話し、おそらく元祖の作品にナンの思い入れも無い人にはしょーもない映画にしか見えないんじゃないでしょうか?どうなんだろう・・・。それにしても劇場での閑古鳥の鳴き方と言ったら・・・“エクソシスト”の名前が冠してある作品でこの不入りは淋しい限りですわ・・・トホホ。
“ゴーゴー夕張”の栗山千明が出ているっつーことで観に行ってしまいました。矢沢あいの人気コミックが原作の『下弦の月』です。栗山の他には伊藤歩、富田靖子、うじきつよし、小日向文世、大森南朋、緒形拳、陣内孝則とけっこう渋いところが出演していて、さらにラルク・アン・シエルのHYDEが適材適所の重要な役割で登場しています。監督はMV出身の二階健。出だしから安っぽい演技とストーリー展開で、いきなり観に来たことを後悔していたら、次にはクリップ仕込みの生活感の無いシーンが続いて、いい加減ウンザリ!ところが生活感の無いシーンは狙いだったワケです(⌒o⌒;A。話が進んでいくと、「ああ、そういうことなのかぁ」と観客は分かるんですけど、出演者には分からない仕組みになっている脚本で、これが大失敗!つまり、演出がもったいぶっているので出演者達がなかなか核心に迫れずに、観ている方がイライラしてしまいます。ストーリーは如何にも少女漫画風味ですが、けっこう良く出来ていて、こんな脚本じゃなかったらもっと面白くなったのになぁ・・・ちょっと勿体無いですね。まぁ、それを抜きにしても全体的に幼稚な雰囲気が漂っているんで、なんだかなぁ・・・なんですけどね(苦笑)。ところで、成宮寛貴扮する安西知己の生活空間がモッズ一色(移動手段はライト一杯のスクーター、皆で集まる場所には『さらば青春の光』のポスター、CDショップにはTHE WHOのステッカー!)なんですが、コレってストーリー的には悪くない設定なんですけど、原作からこうなってるんですか?それとも監督の趣味なんですか?別にどっちでもイイんですけど、やっぱりちょいと嬉しかったりします(苦笑)。
25年前、京都在住のカナダ人・クロード・ガニオンが監督した映画『Keiko』は当時としては実に新鮮で不思議な魅力を放った作品でした(主演が無名の女優で、ドキュメンタリータッチで、OLの日常を淡々と描いていた・・・っつーくらい内容しか憶えてないんですよねぇ・・・(⌒o⌒;A)。たった1本の作品を残してカナダへ帰ってしまったクロード・ガニオンが再び日本を舞台にして作った作品が『リバイバル・ブルース』です。予告編からは「これはちょっとヤバいんじゃないのかなぁ・・・懐古趣味っぽい作り出しなぁ、甘いんじゃないのかなぁ・・・」という印象でした。始まって直ぐに感じられた間合いが70年代風でちょっと懐かしかったです。暫くすると、その懐かしく感じた間合いやドキュメンタリー風な台詞のヤリトリが少しずつ鼻についてきて、だんだんと観る前に予想したような流れになって行くので観に来たコトを後悔し始めてました。ストーリーは70年代にブルースバンドとして活躍していたバンドが解散。それは内藤剛志演じるベーシストが無難な道を選択したのがきっかけだった。ヴォーカルの女(桃井かおり)はゴールデン街のママになり、ギタリストだった男(奥田瑛二)は沖縄に逃避した。26年後、仕事で沖縄にやってきた男・内藤剛志が男・奥田瑛二に声をかけたことから、新たなストーリーが始まるが、男・奥田瑛二はガンに侵されていた・・・。とまぁ、如何にもありがちな展開なんです。ところが、男・奥田瑛二が上京してから、「え、そっちの方向に行くの?」と、ちょっと面食いました。それからは地味なのは変わらないんですが、それなり観られました。まず、桃井かおりと内藤剛志のやりとりがだんだん面白くなってきましたし、内藤が演じるキャラクターが本当に嫌な奴で、こういう奴って誰の周りにも居ると思うんですけど(オイラなんてこういういキャラだと思われている節がけっこうあるんだよなぁ・・・まぁ、当たらずも遠からずだったりしますが・・・ボソ)、得てしてこういう嫌な奴が美味しい思いをして、仕事もそこそこ出来て、挙句の果てに長生きしたりもするんですよね。決して絶賛映画ではありませんし人に薦めようとも思いませんが、オイラの心には深々と残るモノがありました。やっぱり、外国人が描く日本人・・・一筋縄では行かないですねぇ。
そりゃ、確かに予告編からダメダメなオーラは出ていましたが、なんてたってフィリップ・カウフマンですからねぇ・・・『テイキング・ライブス』のD.J.カルーソーとか言う監督とはワケが違います(笑)。それに主演がオキニのアシュレイ・ジャドですからね、そりゃあ観に行きますよ!霧のゴールデンゲイト・ブリッジからアシュレイの瞳に集約していくオープニング、そして始まる連続殺人事件・・・中盤までは良かったんですけどねぇ(苦笑)。いつしか「コレって、ヤバいパターンになっているような気が・・・」という思いが頭を過ぎり始め、案の定でした(>_<)アチャ!全世界に溢れ捲くったウンザリするくらいのハリウッドスタイル。フィリップ・カウフマンも普通の監督になっちゃったなぁ・・・。途中、アシュレイ・ジャドとアンディ・ガルシアのツー・ショットを見てたら「ああ、この二人って、二人ともHONDAのCMに出てたなぁ・・・“HONDAFUL LIFE!”とか“怪傑セイバー!”とか言ってたよなぁ・・・」な〜んて考えちゃったりしてました。
3年も公開されなかった『デビルズ・バックボーン』はスルーしましたが、ギレルモ・デル・トロ最新作『ヘルボーイ』にはTRYしました(笑)。結論から言えば、けっこう面白かったです。かなりテンポがダルいですし、話も良くわかりません!っつーか、単なる恋愛映画?(苦笑)それでも、ちょいと惚けた味わいのヒーロー・ヘルボーイもそこそこ魅力的ですし、なんてたってセルマ・ブレア演じる“リズ”がファイアースターターなんですよ!これは個人的にポイント高いです!好きなんですよねぇ、女性が“火”を扱うのって(笑)。また今回の敵役で登場したクロエネン!ドイツの将校服に身を包み(元々、将校なので・・・)、顔面には特製のガスマスクを付け、トンファのような形をした刃を振り回すんですよ。で、ひと言も喋らないでクラシックばかり聴いている。身体は砂で、心臓のところにゼンマイ仕掛けのような華奢な動力を入れていて、それで動いてる。こいつが目茶苦茶ツボでした(苦笑)。このキャラは得がたいなぁ・・・。というワケで、毛色の変わったアメコミヒーロー物としてのフィールドは確立出来るんじゃないですかぁ。
「恐怖は『感染』し、死を『予言』する」・・・抑制の効いた津賀山正種のナレーションが耳について離れないので、この呪縛から逃れる為に観てきました(笑)。何でも“Jホラー・シアター”とか言うシリーズだそうで全6作品は全て海外での上映も決っているそうです。で、その最初の2本がコレ!1本の値段で2本楽しめるワケですが、それがけっこう気が重いっつーか、合計で3時間20分ですからねぇ・・・しょーもないホラーだったら、そっちのがよっぽど怖い!っつーの!最初の1本は『パラサイト・イヴ』『催眠』の落合正幸監督作『感染』。この監督はマジでつまらないですからねぇ、期待していませんでしたが、相変わらずの低レベル仕様でした。とにかく全然怖くない。そりゃ、「わ!」と驚かすドッキリ演出くらいはありますが、本筋とは関係ない幽霊の登場や、な〜んの説得力もないオチですから、ちっともゾワゾワする怖さが生まれません。安っぽい色とSEで描かれたストーリーは結局どういう話だったのかさえ分かりませんし、どうもこの人はホラー映画の恐怖をお化け屋敷的怖さと勘違いしているような感じなんだよなぁ・・・だいたい注射するのに、ナイフで刺すように勢いつけて腕に刺そうとする看護士なんて居るわけないじゃん!それで先輩看護士が「アンタ、本当に下手なんだから!」って、一体どういう演出だよ(笑)。まぁ、そういうホラー映画はやたらと多いんですけどね(苦笑)。続いて始まった『予言』ですが、始まって直ぐに「コレって『恐怖新聞』じゃん!」とツッコミ入れてたら、直後に原作がクレジットされました。いやぁ、『恐怖新聞』が原作だなんて全く知らなかったんですよ。監督は『リング0〜バースデイ』『案山子』の鶴田法男。こちらも期待していなかったんですが、拾い物でした。原作はどういう話だったか(予言する新聞というコト以外)全く忘れていましたが、この映画は良く出来ていました。かなりゾワッと来ましたもん(苦笑)。間違いなく観て損のないホラー映画です。今回の試み(二本立て)で一番面白かったのは、この2本を観るとホラー映画の優劣が如実に分かるってコトです。ダメダメホラーの『感染』と、ヨシヨシホラー(なんじゃ、そりゃ!)の『予言』。違いは、登場人物に本当に生きている人間の息吹が感じられるかどうかなんだと思います。まぁ、当たり前のコトなんですけどね。
日曜から降り続いていた雨がようやく止み、どこまでも気持ち良い青空が広がった水曜日。日向はジワっと暑く、日陰はヒヤっと涼しく本当に心地良いお日和。昼頃までは夏の雲が広がっていましたが、午後になって秋の雲が幾分強くなった風に乗って登場してきて、まるで季節の変わり目を象徴するような一日でした。そんな日に相応しい映画は『雲・息子への手紙』しかないでしょう(笑)。小さい頃から空を見ているのは好きでしたし、雲も大好きです。今の住まいで何が一番気に入ってるかって、それはベランダから東京一面は見渡せる景色以外にありません。近くに高い建物が無いので、台風一過の時にはディズニーランドの花火、貿易センタービル、六本木ヒルズ、新宿副都心、サンシャイン60、富士山がバッチリ拝めます(ちょっと自慢・・・お許しあれ!って、誰に言ってるんだよ(苦笑))。以前は東京タワーもキッチリ見えていたんですが、この下町にも高層化の波が!Σ( ̄□ ̄;) 一昨年に誕生した高層マンションの陰にスッポリ納まっちまいました(>_<)アチャ!とまぁ、そういう環境ですから空もタップリと見えます!これから冬になるにつれて、また様々な空色と雲姿?で楽しませてくれるでしょう♪さて、映画ですが、雲から水蒸気、竜巻、噴火、間欠泉と広がって行くのは悪くないのですが、本来の“雲”の映像が意外と平凡なんで、なんだかなぁ・・でした。(⌒o⌒;A。もっと様々な色や形があると思うんだけどなぁ・・・もちろん、よく撮ったなぁ!というシーンもありますけどね。全体的には平板で、雲好きのオイラでもちょいと退屈でした。雲のパフォーマンスの間に無人の生活空間が映され、そこに息子への手紙の朗読が入るのですが、雲との関係が良く分かりませんでした。女性が観ると多少は違うのかもしれませんが・・・諸行無常の景色かなってな感じでしょうか。
友人と二人で前の回が終わるのをドアの外で待っていた時、エンドタイトルが流れていると思われる辺りで80年代のノリの良いヒットソングが聴こえてきたので思わず友人に「こんな曲を使ってんのかよ・・・なんだかなぁ・・・」とボヤいてたのですが、2時間後・・・この曲がこんなにも哀しく胸に響いてくるとは思いませんでした。とにかく辛い映画でした。その生い立ちからなのか、人より大きな夢を抱き続けた為に歯車の狂った一人の女性の人生。地道に働き、慎ましい生活を選ぶことも出来たかもしれないのに、傍からは妄想としか思えない大きなコトばかりを口にして、いつのまにか連続殺人犯になってしまったアイリーン。ラスト、有名になりたかったアイリーンは最終的には皆から注目を集める存在になったのですが、法廷でのアイリーンのふてぶてしい態度もその心情を慮ると・・・本当に心に痛い映画でした。アイリーンが他のシリアルキラーと一番違う部分は動機です。殺人に絡む感情に“快楽”とか“妙な信仰”とかは一切無く、あるのは防衛と復讐と理想と欲望が入り混じった複雑な肉体的な女心(女性の肉体を持っているだけで生じる様々な出来事に絡む心模様)なんだと思いました。そして、当然ですが、その女心は“男”のオイラには理屈としては理解出来ても、実感としては一生分からないモノなのでしょう。そんなオイラでも、この映画は心に痛く、切なく、哀しく響く映画でした。辛く感じた要因のひとつは、シャーリーズ・セロン演じるアイリーン・ウォーノスの容貌が、最後の最後までキッチリと“娼婦”そのものだったからのような気もします。それは、女性監督(パティ・ジェンキンス)だから描けたような気がしてなりません。男性監督の演出だったら、どうだったんでしょう?おそらく観客に「最後は可愛く見えるのよねぇ・・・」な〜んて印象を与えるような甘い演出をしたんじゃないでしょうか?常に不安定な精神状態の主人公を恐ろしいほどのテンションで演じきったシャーリーズ・セロンは間違いなくアカデミー賞に値するでしょう。もちろん、相手役のセルビーを演じたクリスティーナ・リッチも素晴らしいのですが、これは監督の演出の的確さもあると感じました。また、セルビーの性格づけ(自立心に欠け、自己表現力にも欠け、それでいて自己防衛本能だけはしっかり持ち合わせている若者@copyright by ぶらん丼)は映画の中では説得力のあるモノですが、実際にはどうだったんでしょうか?実際は“タイラ”という名前らしいですから、名前を使わせなかったコトを考えても思うところがあるのでしょう。この手の映画ではついて回る問題ですが、第三者の無責任な感想としては、この映画を観ることが出来て良かったとしか言えません。余談ですが、かの『テルマ&ルイーズ』もこの事件にインスパイアされた作品だったそうで、そう聞くと驚くと共にちょっと複雑な想いが頭を過ぎりました。
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