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2003年09月14日(日) |
映画よろず屋週報 Vol65 |
9月14日は、コスモスの日 プレゼントにコスモスを添えて交換し、 お互いの愛を確認しあう日 ……だそうです。
そんなわけで、 恋人たちの姿が描かれた映画を集めてみましたが、 若く清々しく前途洋々の恋人たちの映画ばかりでは、 いまひとつひねりがないので、 何かと障害を抱えた恋人たちにスポットを当てて見ました。
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「暴走する純愛カップル」 エンジェル・ベイビー Angel Baby 1995年オーストラリア マイケル・ライマー監督 精神病を患うハリー(ジョン・リンチ)と ケイト(ジャクリーン・マッケンジー)は、 病院で知り合い、 同棲して2人で病気を克服しようと決意します。 しかし、ケイトは妊娠後、著しく情緒不安定になり……。 2人を支えようとするハリーの兄夫婦や患者仲間の存在が 絶望的になりそうなこの映画のムードを救っています。 (ただ、『○○』より激しく、『△△』より切なく……調の 過去の作品群と対比したつくりの日本版予告編は、 出来の悪いパロディみたいで、ちょっといただけません)
「愛があれば年の差なんて?」 マイ・スウィート・シェフィールド Among Giants 1998年イギリス サム・ミラー監督 イングランド北部の鉄冷えの町シェフィールドで、 鉄塔のペンキ塗り直しの仕事を通して出会った 流れ者の若い女性ジェリー(レイチェル・グリフィス)と、 初老の男レイ(ピート・ポスルスウェイト)。 親子ほど年の違う2人は、結婚を考えるほど 真剣に愛し合いますが……。 あのP.ポスルスウェイトを 若い個性派美女の恋のお相手として配したセンスに (もちろんいい意味で)脱帽します。
「応援したくなるふたり」 オンリー・ザ・ロンリー Only the Lonely 1991年アメリカ クリス・コロンバス監督 差別意識が強く口の悪い母ローズ(モーリン・オハラ)に 頭が上がらない警察官のダニー(ジョン・キャンディ)。 葬儀屋の娘でイタリア系の父とポーランド系の母を持つ テリーサ(アリー・シーディー)に好意を持ち、 デートを重ねますが、 母親の民族差別的な心ない言葉が彼女を深く傷つけます。 どこか『マーティ』を彷彿とさせる、 ちょっと掘り出し物の1本。 M.オハラの老いてもなお衰えない美貌が、 かえって意地悪ばあさん役にぴったりでした。 (近日中に単独紹介を検討)
「心変わりは何かと辛い」 アンナ・カレーニナ Anna Karenina 1997年アメリカ/イギリス バーナード・ローズ監督 御存じ、有名なトルストイ作品の7度目の映画化。 高官カレーニン(ジェームズ・フォックス)の 若く美しき妻アンナ(ソフィー・マルソー)は、 兄と兄嫁の仲裁のために訪れたモスクワで プロンスキー伯爵(ショーン・ビーン)と出会い、 恋に落ちてしまいますが、 それはもちろん、幸せな結末を約束されたものではなく、 周囲をも不幸の渦へと巻き込んでいきます。 ほかのどんな美人女優にもない、 独特の愛らしさを持ったソフィーが 体当たりの熱演を見せました。 ロシアでのロケーション撮影も目を楽しませてくれます。
2003年09月11日(木) |
受験生が登場する映画 |
1985年9月11日、「赤尾の豆単」でおなじみの (今の受験生にもお馴染みか?) 赤尾好夫氏(元旺文社会長)が亡くなりました(享年78歳)。
そこで、受験生が出てくる映画、 何かの受験という状況が描かれた映画を 特集してお届けしましょう。 (既に単独紹介された映画も多いのですが、あしからず)
きれいなおかあさん 漂亮媽媽(Piao liang ma ma) Breaking the Silence 1999年中国 スン・チョウ監督 実話がベースになった物語。 仕事を掛け持ちしながら、耳の不自由な子供を養育する リーイン(コン・リー)。 息子ジョンダーを健聴児と同じ学校で学ばせたいと、 一度不合格になった学校の受験を再度目指します。
キューティー・ブロンド Legally Blonde 2001年アメリカ ロバート・ルケティック監督 ハーバード大学に進学予定の彼氏から、 「(未来の)政治家の妻がマリリン・モンローでは困る」 と言われ、振られてしまった西海岸の能天気お嬢様が、 猛勉強と強烈な売り込みにより、 みずからもハーバードの入学資格を得て 東海岸に乗り込んで「一旗揚げる」お話。 そういえば、主人公エル・ウッズ (リーズ・フィザースプーン)の愛犬も 愛らしくておしゃれなチワワちゃんでした。
ザ・カンニング[IQ=0] Les Sous-doues (The Under-Gifted) 1980年フランス クロード・ジディ監督 バカロレア(大学入学資格試験)合格を目指す 予備校生たちが織りなす、 フランス産ナンセンス・チーティング・コメディ。 (そんなジャンルが本当にあってもいいのでは…と思うほど、 使われるチーティング(カンニング)の手段が見事!) 今や名優然としているダニエル・オートゥイユや、 「ロマーヌのパパ」としてもおなじみ?の リシャール・ボーランジェも出ています。 個人的なことですが、 中学生のとき、友人と、なぜか国語教諭と連れ立って ある映画を見に行ったとき、この予告をやっておりまして、 『学校関係の方は立入禁止です』のフレーズに 大ウケした覚えがあります。
青春デンデケデケデケThe Rocking Horsemen 1992年日本 大林宣彦監督 学園祭の後、バンドの仲間が早々に進路を決め、 1人取り残された心境のちっくん(林泰文)。 受験間際に仲間たちが、「勉強の成果を試してやる」 ということで、即席で口頭試問をするシーンに 何というか、じわっとした感動の種が隠れています。 この映画の中の“ちっくん”は、 実際に「赤尾の豆単」を使っていた、かも。
熱帯魚(Redai yu) Tropical Fish 1995年台湾 チェン・ユーシュン監督 勉強よりも好きな女の子のことで頭がいっぱいの少年が、 とばっちりで誘拐されてしまいますが、 犯人一家の面々は、妙に気のいい苦労人ばかりで、 彼が高校受験に間に合うように身代金を要求し、 勉強の心配までする始末でした。
耳をすませば(アニメーション) If You Listen Closely Whisper of the Heart 1995年日本 近藤喜文監督 読書好きの月島雫(声・本名陽子)は、 図書館で何を借りても、 必ず自分に先んじてそれを借りている 天沢聖司(高橋一生)という少年に興味を惹かれ、 本人と直接会うと、口の悪い彼に反発しながらも やはり惹かれていく。 成績優秀でいい家の“ぼん”でもある彼が、 中学卒業後、夢をかなえるためにイタリアに行くと聞き、 触発されるように、受験勉強そっちのけで ファンタジー小説を書くが……。
灰とダイヤモンド Popiól i diament (Ashes and Diamonds) 1958年ポーランド ビデオ あり(ポニーキャニオン) 監督 アンジェイ・ワイダ 脚本 イエジー・アンジェウスキー/アンジェイ・ワイダ
製作年は諸説あったので、IMDbを参考にしました。
往年の名画、それも「不朽の名作」の誉れ高い作品について 自分の言葉で御紹介するのは至難の業です。 端的にいえば、 自らもレジスタンス活動の経験を持つワイダ監督が撮った、 いわゆる「抵抗三部作」の最後の作品で、 ビデオを借りれば、そのラベルには あっさりと最後のオチまで書いてある始末です。 確かに、ラストシーンはかなり有名だと思いますが……。 (往年の名作についてはネタバレは解禁だと思っている方が多いようで、 正直、困ったことだと思います。 どんな映画でも、見たことがない人には「新作」も同然なのに…)
1945年、ポーランドの田舎町。 対ドイツテロリストのマチェク(ズビグニエフ・チブルスキー)は、 共産党の大物の暗殺を命令され、 教会に来るはずのターゲットを待ち伏せますが、 思い切りぶっ放した相手(2人)は全くの別人で、 ただの罪なき労働者だったのです。 彼がそれを知ったのはほんの偶然で、 泊まった宿の向かいの部屋に住む女性の 嘆き悲しむ姿によってでした。 この宿のクラークに詰めているおっさんが、 親近感を覚えたマチェクとあれこれ話すくだりは、 映画の中では、箸休め的にほっとさせると同時に、 後々涙を誘うことにもなります。
ドイツが無条件降伏した5月8日、「祝賀ムード」の中、 マチェクは再度、暗殺を実行しようとしますが、 宿の飲み屋で働くクリスティナ(エヴァ・クジジェフスカ)に 一目惚れし、彼女を口説き落とすと、 その計画から降りようとまで考えるのですが……
歴史的背景をある程度知らないと、※ ちょっとわかりにくい点もありますが、 初めて目にしたときの年齢が若ければ若いほど、 その影響力のヤバさぐあいが増す、 とにかく、そんなタイプの「青春映画の傑作」であることは確かです。 想像力をかき立てる「灰とダイヤモンド」というタイトルは、 19世紀ポーランドの詩人ノルヴィッドの詩からとられたもので、 酒場を抜け出したマチェクとクリスティナが、 地下水道の壁面に彫られたその詩を マッチの炎で読むシーンがありました。
マチェクが酒場にへしゃげた「マイマグ」を持参したり、 シーツが大量に干された中を、 手負いのマチェクが逃げまどったり、 映像作家たちにすぐに真似されそうなシーンも たくさんありました。 確かに、そういうのはいろいろな意味で とってもスタイリッシュではあるけれど、 それらから、「訴えたいこと」を読み誤らなければ、 もー、なんぼでも影響受けてちょうだいって話です。
マチェクは上官に当たるアンジェイという男に、 計画から降りたい旨伝えますが、 「何言ってやがる」という調子で却下されます。 そのくせアンジェイ自身、 ターゲットを本当に殺ってしまう必要があるのか、 さらに自分の上官に相談したりするのでした……。
感動が「痛み」となって残るような1本でした。 (注…朝の4時にたまたま目が覚めたからって、 勢いで見てはいけません)
※キーワード、みたいなもの ワルシャワ蜂起 1944年8月1日、ナチス占領下のポーランドで 「国内軍」と呼ばれた地下活動組織がドイツ軍に対して一斉蜂起した。 ワイダ監督による「灰と…」の前作『地下水道』で描かれたのが ワルシャワ蜂起の顛末 (とか言いつつ、実はこちらはまだ見ていないのですが)
2003年09月09日(火) |
アバウト・ア・ボーイ |
1960年9月9日、ヒュー・グラントが生まれました。
アバウト・ア・ボーイ About a Boy 2002年アメリカ/イギリス/フランス ビデオ&DVD あり 監督 ポール・ウェイツ&クリス・ウェイツ 脚本 ポール・ウェイツ&クリス・ウェイツ/ピーター・ヘッジズ
一発屋の作曲家だった父親のおかげで 仕事をしなくても優雅に暮らせる ウィル・フリーマン(H.グラント)は、 38歳になっても、フラフラと腰が落ち着きません。 顔だけはいいせいか、デートの相手にはそう不自由しませんが、 特定の女性に本気になることもなく、 「何かあると責任を感じて勝手に身を引いてくれる シングルマザーは、後腐れなくつき合えてイイ!」 などという不埒なことさえ考え、 2歳の息子を1人で育てるシングルファザーのふりをして、 シングルペアレントの集会でデート相手を探すほどでした。
そんな彼は、ひょんなことから フィオナ(トニ・コレット)という女性の12歳の息子、 マーカス(ニコラス・ホールト)と知り合います。 マーカスは、学校ではいじめられっこ、 家では情緒不安定な母親を心配するという 何とも気の毒な少年です。 ウィルは決して子供は好きではないものの、 のっぴきならない理由でマーカスの面倒を見るうちに、 何か、通じ合うものを感じるようになります。 マーカスもマーカスで、決して「いい人」とは思えないけれど、 なぜか自分に靴やCDを買ってくれたり、 カッコワルイ話も聞かせてくれるようなウィルに、 なぜだか懐くのでした。 小ネタですが……マーカスが、 「僕はH.J.オスメントみたいな子役スターじゃない」 と言うくだりがありましたが、 彼を一躍スターに押し上げた『シックス・センス』で、 孤独な少年コールを女手一つで育てる女性を演じたのも、 トニ・コレットでした。 狙ったのでしょうが、何となく笑えます。
その後ウィルは、あるパーティーで知り合った レイチェル(レイチェル・ワイズ)という女性に 今までになく本気になり、 彼女にマーカスと同い年の息子がいると知ると、 マーカスを息子を偽って、彼をだしにしてまで レイチェルに取り入ろうとするのですが……。
端的に言うと、12歳と38歳、2人のBoyの成長物語です。 ウィルは、テレビのクイズ番組を見ながら誤答しても気づかず、※ (厳密には、誤答というよりは誤解って感じでしたが) ネットサーフィンで日々を費やしているような「イタイ奴」で、 女性に対して誠実であろうという気もない。 それこそ容姿でもよくなければ、全く絵にならない男性像です。 12歳の苦労人・マーカスの方が、よほど大人に見えました。 接点がなさそうに見える2人が出会ったことで、 どんな物語が繰り広げられるか? 100分間見守ってみてくださいませ。
ウィルという男自身はごくごく暇そうなのに、 映画としてのエピソードが盛り沢山なので、 ちょっと散漫な感じも否めませんが、 逆にいえば、バラエティーに富んだ楽しさがあります。 ウィルとレイチェルの恋愛話は そこそこ丁寧に描かれてはいますが、 マーカスとウィルの結びつきに比べると、 何だか添え物に思えるような扱いでもあります。
※英国の本家本元「ミリオネア」で 「No man is an island…」と言ったのは誰?という問題。 選択肢は、ジョン・ダン/ジョン・F・ケネディ/ジョン・レノン/ジョン・ボ ンジョヴィと 「ジョンつながり」の4人でした。 私、最近まで知らなかったのですが、 ボン・ジョヴィの曲で、このフレーズが出てくるものがあるのですね! だから間違えたというオチのようですが。
念のために……正解は「ジョン・ダン(17世紀の英国神学者)」です。 No man is an Island,entire of it self; every man is a piece of the Continent, a part of main; if a clod be wished away by the sea, Europe is the less; as well as if a promontory were, as well as if a manor of thy friends or of thine own were; any man's death diminishes me, because I am involved in Mankind; And therefore never send to know for whom the bell tolls; it tolls for thee.
ちなみに、for whom the bell tolls(誰がために鐘は鳴る)というフレーズ は、 後にヘミングウェイが小説のタイトルとして引用しました。
1664年9月8日、「ニューヨーク」という街が誕生しました。 そこで、ややニューヨークが舞台になっている映画を やや変化球でお届けします。
天使のくれた時間 The Family Man 2000年アメリカ ビデオ&DVD あり(パイオニア) 監督 ブレット・ラトナー(『ラッシュアワー』など) 脚本 デヴィッド・ダイアモンド/デヴィッド・ウェイスマン ニューヨークの超高級アパートに住む 絵に描いたようなヤンエグ(今どき聞かんな、この言葉) ジャック(ニコラス・ケージ)は、クリスマス・イブも仕事、仕事です。 そんな中、かつての恋人ケイト(ティア・レオーニ)から 電話があったと秘書から告げられますが、 イブなので人恋しくなったのだろう、くらいの考えで かけ直しもしませんでした。 ジャックには、13年前、キャリアアップのために ケイトを置いてロンドンに行ったという過去がありました。
ジャックは、勤め帰りに立ち寄ったコンビニで、 黒人男性(ドン・チードル)が、 ロトの換金を断られているのを見て、場を治めるため、 その“賞金”を自分が建て替えると申し出ます。 すると男は、意味ありげな言葉を残して去っていきました。 それが心にひっかかりながら、何とか眠りについたジャックは、 翌朝、生活やつれした金髪の女性と同じベッドで、 犬と、小さくて元気な女の子にたたき起こされます。 見覚えのない小さな家の寝室……とはいえ、 隣に寝ていた女性がケイトであることはすぐにわかりました。 じゃ、この女の子は誰?げっ、もう1人、赤ん坊までいる!
大あわてて車で家を飛び出したジャックは、 自分が本来住んでいる(はずの)アパートや、 自分が勤めている(はず)の会社に行きますが、 どこへ行っても、顔なじみのはずの人々から、 「あんた誰?変なまねすると警察呼ぶよ」的扱いを受けます。 どうやら、昨夜コンビニで出会った男の“仕業”のようですが、 元の生活に戻る方法は教えてもらえません。
ニュージャージーの小さな街で、小さな家に暮らし、 タイヤ安売り店を経営する義父を手伝うのが仕事。 妻ケイトはボランティアの弁護士で、 仲間とボウリングをするのが大好き! 当たり前に着ていたブランドもののスーツを買うのも 夢のまた夢で、 金持ちとは言えないけれど、家庭を大切にする男。 13年前、ロンドン行きを急遽取りやめ、 ケイトと結婚することを決めたジャックの人生は、 そんなふうでした。 それは当然、ヤンエグとしての生活体験を持つジャックが 望んでいたものではありませんでしたから、 ただただ、戸惑うばかりです。
人生の分岐点で、こういう選択をしていたら?という仮定は、 確かに映画になりやすい素材ではあります。 この映画も、その辺は特に目新しいものではありません。
でも、この映画の褒められていいところは、 自分を敗残者だと思っている人間が、 ああ、あのときああしていたらなあと嘆くのではなくて、 自分は成功者だ幸せだと思っている人間が、 他人(特に負け組)の人生を「くだらない」ものとして見下しがちで、 それがどんなに傲慢であるかに気づくべきだということが きちんと描かれている点だと思います。 ケイトにしても、ジャックと結ばれなかったことで 歩んでいた人生があったわけですが、 この辺のフォローも怠りありません。 そして、解釈のしようはいろいろあれど、 希望を見出さずにはいられないラストシーンを迎えます。
もしもジャックが、原題のとおりのFamily Manに なっていたら?というシークエンスで、 ジャックが、ふと見たケイトの顔を改めて「美しい」と感じ、 それをきっぱりと口に出すというシーンがありました。 (何せティア・レオーニですから、美しいに決まっているのですが) たとえ所帯やつれした糟糠の妻にだって、 惚れて一緒になった女性なら、 そんなふうに思える瞬間があるはず。 なかなか「突いている」シーンだと思いました。
ところで、邦題の「天使」って、 やっぱりドン・チードルのことでしょうか。 往年の名作『素晴らしき哉人生!』に置き換えて考えれば、 そういうことになるのでしょうが、 何も無理やり「天使」を引っ張りださなくても…… という役どころでした。
2003年09月07日(日) |
映画よろず屋週報 Vol64 |
本日9月7日の花は「オレンジ」 花言葉は「花嫁の心」だそうです。
ということで、花嫁やウェディングドレスが登場する映画を 何本か集めてみました。 よくよく見ると、 単純なハッピーウェディング系が1本もないのですが、 これは「結婚モノのメジャーどころを避けた結果です。 まだごらんになっていないもので、 これはイケるかもというものがありましたら、 ぜひともお試しを。
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ブライド The Bride 1985年アメリカ フランク・ロダム監督 ビデオあり 1935年の『フランケンシュタインの花嫁』のリメーク。 マッドなフランケンシュタイン博士を、 ミュージシャンで俳優のスティング、 彼の手になる美しい人造人間エヴァを ジェニファー・ビールスが演じました。 エヴァにかなわぬ恋をして、屋敷を追い出された モンスター、ビクターが旅をするくだりが なかなかハートウォーミングです。 「グロテスクという裏打ちのついた美」を感じる ちょっとお勧めのファンタジー。
プロポーズ The Bachelor 1999年アメリカ ゲイリー・シニョール監督 ビデオ&DVD あり 1925年に製作された 『キートンのセブン・チャンス』のリメーク。 祖父の遺産を相続する条件として、 30歳の誕生日までに結婚しなければならない、と 言われた青年、ジミー(クリス・オドネル)が、 最愛の恋人アン(レニー・ゼルヴィガー)への プロポーズがなぜかうまくいかず、 「条件」を満たすための花嫁を探すことから起こる騒動。 ウェディングドレス姿の女性が、嫌というほど見られます。
ビートルジュース Beetlejuice 1988年アメリカ ティム・バートン監督 ビデオ&DVD あり(ワーナー) 新居購入早々に事故死してしまった 若い夫婦アダムとバーバラが (アレック・ボールドウィン&ジーナ・デイビス) ゴーストになって、 自分たちの「死後」に越してきた一家を追い出すため、 人間を退治するバイオ・エクソシスト “ベテルギウス(ビートルジュース)”を召還します。 越してきた一家の変わり者の娘で、 ビートルジュースの花嫁として捧げられる人間の少女役を ティーンのウィノーナ・ライダーが 愛らしく不気味に演じました。
自由な女神たち Polish Wedding 1997年アメリカ テレサ・コネリー監督 ビデオ&DVD あり(東北新社) 原題は「ポーランド式結婚」。 貧しいポーランド移民の一家の悲喜こもごもを描いた 「惜しい、あと一歩」で めちゃくちゃおもしろくなりそうだった一編。 悪役イメージも強いガブリエル・バーンが、 妻(レナ・オリン)の浮気を とがめられない気弱な夫を好演しています。 奔放な母親のやんちゃな振る舞いもさることながら、 15歳の娘ハーラ(クレア・デインズ)の 突如の妊娠騒ぎまであり、 なかなか落ち着かない一家のてんやわんや…はいいのですが、 どうやら、ポーランド移民という設定に関しての考証は 大げさで、大ざっぱで、割といいかげんなようです。
エバースマイル、ニュージャージー Eversmile, New Jersey 1989年アルゼンチン/イギリス ビデオあり パタゴニアをバイクで回りながら現地の人々に歯ブラシを配る、 まるで「アンパンマン」のキャラクターのような 歯科医ファーガス(ダニエル・ディ・ルイス)と、 彼に恋をして、結婚をドタキャンする娘 エステラ(ミルハナ・ヤコビッチ)の珍道中。 バイクのサイドカーから覗く ウェディングドレスの裾を思い出しただけで 何だかわくわくします。
本日9月5日は、クリーンコールデイです。 一昨年も昨年も同じ「因み」でしたが、 ことしも、炭坑町が(ちょっと)出てくる1本を。 私の中で、フランス製ハートウォーミング社会派映画 『今日から始まる』に競り勝った、 (この映画は、別な日に御紹介するのがよりふさわしそうなので) フィンランド製超脱力系クライムアクションコメディーです。
真夜中の虹 Ariel
1988年フィンランド ビデオ&DVD あり(ユーロスペース/アップリンク) 製作・監督・脚本 アキ・カウリスマキ(『浮き雲』など)
製作から27年のブランクを経て日本公開された ケン・ローチの『ケス』(1969)を見たとき、 このケン・ローチという人は、 何十年たっても同じ映画をつくっていそう……と 「褒め言葉」としてそういう表現をした人がいました。 アキ・カウリスマキの一連の映画についても、 全く同じ言葉を拝借できそうな気がします。 本編は、氏の映画としてはかなり初期の作品ですが、 このころから脱力系、無駄口たたかず、 寒い画面なのに妙にゴージャス……という雰囲気は 変わらずのようです。
フィンランドというと、FinのLandというほどで、 失礼ながら、まさに最果ての地のイメージですが、 その中でもまた北のラップランドで炭鉱夫をしていた カスリネン(トゥロ・パヤラ)は、 閉山に伴って職を失ってしまいます。 一緒に働いていた父親は、 別な方法で苦境を乗り切りますが、 スカリネンは、ほかの多くの人間同様、 南に新天地を求め、父の車で旅立ちました。
途中、全財産を暴漢に襲われて盗られ、 たどりついた町で日雇いの仕事を得、 また、家のローンのためにせっせと働いている シングルマザーのイルメリ(スサンナ・ハーヴィスト)と 知り合います。 彼女と過ごしている数日のうちに、 職にあぶれ、簡易宿も追い出され、 唯一の財産である車を売る手続をしたその日に、 自分を襲った暴漢を見つけて追いつめますが、 ナイフを振りかざしてきたので、そのナイフを奪い返し、 逆に男をそれで脅してしまったところが防犯カメラに映り、 いきなり2年弱の実刑を食らって刑務所に入ることになります。
息子リキを連れて面会に来たイルメリに、 カスリネンはプロポーズをします。 そんなことがあり、看守にいやらしい冗談を言われ、 珍しく腹を立てたカスリネンは、 看守を殴ったことで反省房に入れられてしまうのですが、 その間にイルメリがカスリネンに持ってきた 差し入れのおかげで、事態は大きく変わるのでした。
ネタバレになるかどうかわかりませんが、↑ 要するに、イルメリが脱獄の手引きをするわけです。 が、それに気づいたのは、カスリネンではなくて、 彼と同室のミッコネン(マッティ・ペロンパー)でした。 彼が、カスリネンが反省房に入っている間に、 厚かましくも差し入れのケーキを食べてくれたおかげで、 それに気づくことができた……という言い方もできます。 ミッコネンの、 長いお務めで培われた勘の賜物とも言えましょう。
言葉だけであらわすと、 「万事休す」という状況にも何度も陥っているのですが、 実際に映画を見てみると、 ちっともハラハラもドキドキもしません。 短い時間の中で、妙にたくさんのエピソードが 並べられ、画面は動くのですが、 余りにも淡々としているため、 何が起きても「あ、そう」と受け流してしまうのです。 そんな映画が果たしておもしろいのか? おもしろいんですよ、これが。 というより、私は実はハラハラ、ドキドキが苦手な人間で、 それでいて、よくできたクライムものは嫌いな方ではないので、 「こんなの待ってたんだ!」とさえ思いました。 観点は違えど、映画データベースサイトを覗くと、 この映画は(意外なほど)多くの人々に 愛されていることがわかり、嬉しくなりました。
原題の「Ariel」というのは、カスリネンたちが脱獄後、 国を出るために乗ろうとした船の名前です。 映画には登場しない、 監督自身が想定した「本当のオチ」も実はあるそうですが、 それはそれとして、いろいろと解釈のできる幕切れまで、 たったの1時間14分ですが、お楽しみくださいませ。
2003年09月04日(木) |
クレイマー、クレイマー |
9月4日は、語呂合わせで ク(9)ラシ(4)ックの日だそうです。 ……昨年の今日も、全く同じ導入部で始まり、 何本かの映画を少しずつ御紹介しましたが、 本日は、それらの中で唯一単独では未紹介だった 次の作品をどうぞ。
クレイマー、クレイマー Kramer vs. Kramer
1979年アメリカ ビデオ&DVD あり(SPE) 製作 スタンリー・ジャッフェ(『サハラに舞う羽根』など) 監督・脚本 ロバート・ベントン(『ノーバディーズ・フール 』など)
この映画といえばこの曲というほど「抱き合わせ」で思い出す、 ヴィヴァルディの『マンドリン協奏曲』 ストリートミュージシャンが演奏しているシーンもありました。 川本三郎さんのシネエッセイタイトルが、 『ダスティン・ホフマンは「タンタン」を読んでいた』だったり、 (D.ホフマンが息子役のジャスティン・ヘイリーに エルジェのコミック「タンタン」を読み聞かせるシーンから) フレンチトーストというものを作ろう!という衝動を催したり、 何かと記号がちりばめられた映画でもありました。(昨年の紹介文)
テッド・クレイマー(ダスティン・ホフマン)は、 広告代理店勤めのサラリーマンです。 昇進が決まり、喜んで家路に着くと、 妻ジョアンナ(メリル・ストリープ)に、 まるで青天の霹靂のように「離婚」を言い渡されるのでした。 結婚8年、すべて順調だと思っていたのに、 妻は、満たされないものを抱えていたのでした。
テッドは、残された7歳の息子 ビリー(ジャスティン・ヘイリー)の世話と 仕事の両立を余儀なくされますが、 遅くまで会社にいられないので、仕事を家に持ち帰れば、 やんちゃなビリーは、案の定というべきか、 仕事の邪魔をしてくれちゃったりします。 「どうしてお前は、してほしくないなと 思ったことに限ってやるんだ!」 という、テッドのいらいらした怒鳴り声も、 お子さんの面倒を見ながら仕事をした経験のある人ならば、 他人事でなく聞けるのでは?
あらゆる歯車が狂い、 会社をやめざるを得ない状況にまで追い込まれたテッドでしたが、 ジョアンナの友人マーガレット(ジェーン・アレクサダー)という よき相談相手の存在もあり、 皮肉なことに、子育ての方は要領を得てきました。
そんなある日、ジョアンナがテッドを訪ねてきます。 今はよい仕事を得て収入もあるので、 自分がビリーを引き取って育てたいと言い出しました。 ジョアンナの勝手な言い分に腹を立てたテッドは、 全面的に裁判で争うことにしました。 テッド・クレイマー対ジョアンナ・クレイマー、 Kramer vs. Kramerというわけです。
テッドは裁判に間に合うよう、何とか新しい仕事を探すものの、 収入は大幅にダウンしました。 ジョアンナが戻ってくるまでの子育ての「実績」を主張しても、 ジョアンナ側の弁護士に、 たまたま公園で遊んでいたビリーが顔につくった傷について 父親としての保護責任を問われてしまいます。 テッド側の弁護士は、 ジョアンナがテッドとの「結婚」という人間関係を破綻させたとして、 あなたは健全な人間関係を築けるのか?と問い詰め、 醜い足の引っ張り合いになります。 ママのことは大好きだけれど、 パパと2人きりの生活で強い絆を結んだビリー。 誰にとっても不幸な裁判でしたが、その行方は……?
今見ると、正直言って、一歩手前の映画という感じです。 幼児の子育て家庭で、 母が家を出、父が一人で狼狽するというのは、 最近のレディースコミック系のマンガでも取り上げられる素材ですが、 それらは(女性目線で描かれていることもあり) 「ああ、俺はこんな大変なことを妻に押しつけていたのか」と 男性が反省する……みたいな、 新たな紋切り型が出来上がってさえいます。
ジョアンナが幾ら「坊や、愛してるわ」と繰り返しても、 「あなた(テッド)は話し合おうとしても、聞く耳を持たないから」 と言いたげでも、 結局は子供を見捨て、自己実現とやらを成し遂げた途端、 ちゃっかり恋人までつくってのこのこ戻ってきた女、 くらいにしか思わせなかったのは失敗でした。 前時代的な「女の役割」に縛られる理不尽に気づき、 だんだんと女権運動が盛り上がってきた、 いわば夜明け前だったんだろうなと解釈して、 やっと何とか…という感じです。 一から十まで説明しろとは言いませんが、 もう少し、ジョアンナの苛立ちを説得力ある形で描いてくれたら、 共感も抱きやすかったのですが。 所詮は男がつくった映画だよねと鼻白んで見られてしまう、 そんな不幸を負っているような気がします。
ニューヨークの四季の移り変わり、 (つまり、ジョアンナは結構長いこと家を空けてわけですね) ビリー坊やのいたいけな愛らしさ、 フレンチトーストの名シーンなど、 見るべきところもいっぱいあるんですけどね。 あんまり「おすすめ」になっていないのですが、 この映画がある方面では高く評価され、ヒットし、 あまつさえ、アカデミー賞もとってしまったという意義について 考えずにはいられません。
そもそも、離婚裁判がそのまま映画になるって、 今なら考えられませんな。 ちょっとした1エピソードになるのが関の山でしょう。
1964年9月2日、キアヌ・リーブスが生まれました。
リプレイスメント The Replacements
2000年アメリカ ビデオ&DVD あり(ワーナー) 製作 ディラン・セラーズ(『ザ・ペーパー』など) 監督 ハワード・ドイッチ(『恋しくて』など) 脚本 ビンス・マケウィン 音楽 ジョン・デブニー(『スコーピオン・キング』など)
NFLのスター選手たちが、 年俸の上限を撤廃するためのストを起こしてしまいます。
その中の1つ、ワシントン・センティネルズは 既に引退していたマクギンティ監督(ジーン・ハックマン)に 依頼し、リプレイスメント(代理選手)を立てて プレーオフまでの残りの試合をこなそうとします。 が、これがまあ、フットボールの実力は確かとはいえ、 一癖ある有象無象という風情なのでした。 特に、花形たるクォーターバックとして白羽の矢が立ったのは、 精神的な弱さから一線を退いていた シェイン・ファルコ(K.リーブス)という男でした。
彼を中心に、 ばくち大好きのイギリス人だの、 敬虔なクリスチャンだの、 なぜかスモウレスラーだのが (今どきびっくりするくらいの「ステロタイプの日本像」が拝め、 懐かしい気持ちにさえなるのは御愛嬌?) 正規選手たちの嫌がらせにもめげず、 時には一緒にはめを外して 警察の御厄介になったりしながら、 自分たちの仕事をこなしていきます。
要するに、『メジャーリーグ』(1989)の フットボールバージョンってことですが、 (御丁寧に、服役中の人を引っぱってきたりもします) こういう話ですから、 最初から「スポーツコメディー」という認識で見ないと、 「ナンダヨ、これ、コメディーじゃないの!?」と、 コメディーの評価が低い方が多いこの国の状況下、 不当に腹を立てることになってしまいます。
個人的には、さわやかスポーツコメディーだというのに 腹のたるんだリス・エヴァンスを 起用してくれちゃっていることに、感動すら覚えます。
また、最初は 「クォーターバックは大きい子供と同じ」だと言って ファルコを相手にしないけれど、やはりというべきか、 しまいには彼と恋仲になってしまうチアリーダー、アナベラ役で、 健康的な美貌が光るブルック・ラングトンが花を添えます …というより、「映画を元気づけています」と言うぺきでしょうか。 こういっては何ですが、まだ大したキャリアはないようですが、 あの好感度の高さは先々「買い」だと思います。
『メジャーリーグ』と違い、 あくまで“代理選手”の集まりなので、 何だかアメリカ映画には珍しいと思ってしまうような ちょっと切ない幕切れを見せますが、 こういうのもたまにはいいと思いますよ。
2003年09月01日(月) |
ボウリング・フォー・コロンバイン |
ボウリング・フォー・コロンバイン Bowling for Columbine 2002年アメリカ ビデオ&DVD あり(タキコーポレーション) 監督・脚本 マイケル・ムーア(『ロジャー&ミー』など)
ユーモアを多分に含んだドキュメンタリーですし、 ことしの話題作の1つなので、 「粗筋」を詳らかにするのは野暮というものでしょう。 ……と勝手に判断し、感想を中心に書かせていただきます。
個人的には、アカデミー賞授賞式のときに 口角泡飛ばす勢いでブッシュを非難するM.ムーアを見て、 パフォーマンスくささにちょっと引いてしまったのですが、 本編を見て、「ああ、この人は本気だ」と思えました。
言っていることはもっともだし、 アカデミー賞授賞式の場で政治的発言するのは 何もこの人が初めてではないわけですが…… 主演男優賞を受賞したエイドリアン・ブロディの 知的で静かな、各方面に配慮しつつも言いたいことを伝えた コメントと比べてしまったこともあったかと思います。
1999年4月20日、 コロラド州リトルトンのコロンバイン高校で 2人の少年が、生徒12人と1人の教師を射殺し、 自らも自殺を図るという事件が勃発しました。 メディアはこのショッキングな事件に対し、 やれアニメ「サウスパーク」が悪い、 ロッカーのマリリン・マンソンのせいだと、 とにかく、どっかに責任を押しつけようとしますが、 少年は事件の朝、ボウリングをしていたのです。 あれれ…… じゃ、何で誰も「ボウリングが悪い」って言わないの…?
かわいい?キャラが毒を撒き散らして人気の 「サウスパーク」の作者の1人マット・ストーンは、 実はコロンバイン高校の出身でした。 退屈な町での退屈な高校生活での鬱屈を、 銃の乱射ではなく、アニメ製作で発散したというわけです。 事件に関わった2人の少年が好んで聞いていたという マリリン・マンソンにしても、 悔しいが自分の曲よりも大統領の挙動の方が よっぽど社会的な影響があると認めています。
アメリカの歴史は殺戮で血塗られている…というなら、 歴史的におぞましい大量殺戮は、他の国でも起きています。 家庭崩壊や離婚率の高さはイギリスの方が深刻だし、 失業率の高さでいえば、 それが貧困に直接つながるかどうかの差こそあれカナダはアメリカの倍。 バイオレンスが売りのゲームは、日本製が多い。 なのに、何がどうしてどうなって、アメリカは銃による暴力が こんなに横行しているんだろう?
ムーアはこんな切り口で素朴な疑問を積み上げ、 アメリカばかりがどうして銃犯罪が多いのか、 さまざまな角度から検証していきます。 殊に、すぐお隣で、しかも下手するとアメリカ以上に 個人的に銃を所持するのが簡単なカナダとの対比に 興味深いものがあります。
アホでマヌケな?アメリカの白人たちが、 黒人やヒスパニック系の人々に抱いている 差別・偏見から来る恐怖心のようなものも、 そこにはしっかりと描かれていました。
人それぞれ、あらゆることを考えずにいられない作品ですが、 私は、 「偏見を持たずに何かを見るためには、 一旦、自分の中にある偏見の芽と対峙しなくちゃなぁ」 ということを再認識しました。 でないと、いけしゃあしゃあとリベラル派を気取り、 実は人種的マイノリティへの差別意識を 明らかにするような発言をしていても、 それに自分自身で全く気づいていない、 そんな、作中にも登場する某氏のようになってしまいそうです。
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