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川の流れに草は青々 在那河畔青草青/The Green, Green Grass Of Home 1982年台湾 侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督
侯孝賢といえば、『非情城史』『冬冬(トントン)の夏休み』 など多くの名作で知られる、今や台湾映画の重鎮ですが、 昔は軽いタッチの、いわゆるアイドル映画なども撮っていたそうです。 この『川の流れに…』は、その頃撮られた1本で、 70年代の日本の教育映画を思い起こさせるような、 何だか牧歌的でほっこりするお話でした。 (そういう教育的趣旨でつくられた映画かもしれませんが、 エピソードの一部に生々しいところがありました)
大年という青年が、台北から内湾という田舎町に 代用教員としてやってきました。 優しく教育熱心な彼は、すぐに子供たちや町の人々に慕われ、 下宿先のお嬢さんで同僚でもある女性といい関係になりますが、 台北から派手な押しかけフィアンセに来られて困惑したり、 荒っぽい方法で魚をとっている人といさかいが起こり、 それがきっかけで、 「川をきれいにしよう運動」を展開することになったり、 のどかな田舎町ながら、何かと事件が絶えません。
地味、と言い切ってしまいたいほどに何気なく、 見る人の世代や生まれ育った環境によって、 “懐かしさ”と“新鮮さ”と、受ける印象は2つに分かれそうな作品です。 (ちなみに私は、少しだけ懐かしいものを覚えました) そして、俳優の顔も何もろくに覚えていないくせに、 作品の全体像が、不思議なほどにいつまでも心に残りました。 一言でいえば、「ほっとする映画」だと思います。
ハッピィブルー The Pallbearer 1996年アメリカ マット・リーブス監督
突然ですが、大人気のアメリカ製シットコム『フレンズ』、 ごらんになったことはありますか? 今はWOWOWだけでなく、地上波でも古いものが見られるし、 ビデオやDVDも定期的にリリースされているので、 私もやっと去年あたりから見られるようになりました。
その主要メンバー6人の中に、古生物学者ロスがいますね。 メンバーで唯一の子持ちで、ユーモアと知性を持ち合わせた 清潔感のある好男子というイメージですが、 (そういうイメージでごらんになっていない方には悪いですが…) 私がそのロスを演じるデヴィッド・シュワイマーを初めて見たのは、 この『ハッピィブルー』という映画でした。 だものですから、「あの情けない男が、いい役やっているなー」と、 『フレンズ』を初めて見たとき思ったくらいです。 ある意味、ロス役もちょっと情けないところがありますけども。
シュワイマー演じるトムは、職が見つからないので親と同居し、 何となくブラブラしている男です。 ある日、全く覚えていないビルという男の母親から電話があり、 「ビルが死んだので、生前親友だったあなたに 棺の担ぎ人(Pallbearer)をやってほしい」と言われ、 それがきっかけで、妖艶なビルの母(バーバラ・ハーシー)と 肉体関係を持つようになりますが、 その一方、学生時代に憧れていたジュリー(グウィネス・パルトロウ)と 再会し、いいムードになってしまったので、 ややこしくなってしまいます。 その上、婚約者シンシア(トニ・コレット)もいる、 トムの友人で色男のブラッド(マイケル・ラパポート)が、 ジュリーに接近したり…。 さて、トムとジュリーの恋はすんなりうまくいくのか、 そして、ビルの正体って一体?
時々、葬式のシーンをお笑いにくるめてしまい、 「不謹慎だ」と投書でそしられているテレビドラマなどがありますが、 そういうシーンを苦々しく思っている方がこの映画を見たら、 まさに「開いた口がふさがらない」状態かもしれません。 というのも、全体がコミカルなこの映画でも、 葬式のシーンの処理は、かなり“はじけて”いるからです。 私は個人的には不愉快を感じませんでした。 死者ビルに実体というものがないように思えたせいもありますが、 全体のバランスを考えると、悪いシーンではなかった気がします。
昨日の『スウィンガーズ』に引き続き、情けなくも悩み多い 青春の一コマを描いた、いってしまえば小品なのですが、 不思議に心に残る1本でもありますので、お勧めします。
また、下世話なゴシップネタで恐縮ですが、 『フレンズ』のロスの初恋の人レイチェルを演じたのは ジェニファー・アニストン(つまり、ブラッド・ピットの奥様) この映画のジュリーはグウィネス(要するに、ブラピの元カノ)で、 意外なところに共通項がありました。 (その上、映画には役名“ブラッド”の二枚目くんが…) アメリカのショウビズ界は、 この辺のプライベートな恋愛事情を御本人たちもおおっぴらにするし、 パパラッチの頑張り?もあり、変な小ネタで笑いを誘います。 それでいて、皆さん「だから何なんだ」と思うような いい仕事を見せてくださるのが潔くて、うらやましい限りです。
1月29日は女優ヘザー・グレアムの誕生日です(1970年)。 お人形のように(いい意味で)リアリティのない美貌で、 『キリング・ミー・ソフトリー』『フロム・ヘル』と、 新作公開も相次ぐ彼女は、これからもっと人気が出そうですが、 どうもパッとしなかったものの、 80年代後半から地道に映画に出てきたのですね…
『ブギーナイツ』『オースティン・パワーズ:デラックス』など、 ちょっとイヤラシ系の役もこなしてしまっている彼女が、 出番こそ少ないけれど、非常に好感の持てる役を好演していた この作品をどうぞ。
スウィンガーズ Swingers 1996年アメリカ ダグ・ライマン監督
主演のジョン・ファブローが脚本を書き、 実際プライベートでも仲のいい俳優らとともに、 軽いノリで、それこそ体をふらふらと揺らし(スウィング)ながら 遊び人を気取る青年たち(みんな売れない役者とか)の、 それなりに悩み多きカッコワルイ青春グラフィティーを、 非常にかっこよく見せてくれました。
英語に堪能でもないくせにナンですが、 この映画の魅力の1つに「タイトル」が挙げられると思います。 文法などを完全無視して安易にカタカナ表記にするのも含めて、 間抜けな映画邦題のしようもなさが糾弾されて久しいけれど、 原題に全く責任ないと言えるかー!と言いたいこともあります。 そこいくと、この映画の場合、そのままカタカナに置き換えて 大正解という感じでした。 「なんとなくかなー」というニュアンスが、よく伝わってきます。
ヘザーが登場するのは本当に終盤ですが、 身も心もチャーミングという女性の役でした。
…と書いていたら、この映画には、 確固とした筋がないことに気づきました。 というか、細々と説明してもヤボな感じになりそうです。 引き合いに出して適切かどうかわかりませんが、 エドワード・バーンズ自作自演の映画とか、 デビッド・シュワイマーとグウィネス・パルトロウが共演した 『ハッピィブルー』あたりが好みに合うという方の中で未見の方、 「何となく」楽しんでみてくださいませ。
2002年01月27日(日) |
アタック・ナンバーハーフ |
アタック・ナンバーハーフ Sa tree lex/The Iron Ladies 2000年タイ ヨンユット・トンコントーン監督
実力は十分なのに、オカマであることが理由で 一流バレーボールチームの選考試験から漏れてしまったモンが、 学生時代からの友人(やはりオカマ)のジュンに励まされ、 一緒に国体選抜チームの試験を受験します。
性別や性癖で差別しない監督に力を認められ、 (というか、自分も差別される側にいるオナベの人…) 偏見や嫌がらせにも負けずに快進撃を続ける 「おねえさん方」の姿が痛快な、 ユーモアと活力に満ちた、魅力的なスポーツコメディーでした。
「オカマと一緒にバレーがやれるか!」と、 選抜されながら辞退する“ストレート”の選手が続出する中、 1人だけ、監督の手腕を信じて残るチャイは、 どうしてもオカマというものへの偏見が拭えず、 時には衝突もあるのですが、 ケンカしないと見えてこない真実、みたいなものも、 うまく表現してあったと思います。
映画を1本見ただけで、 その国のことを判ったような気になるのは危険ですが、 タイといえば「微笑みの国」という異称もあり、 個人的には非常に陽性のイメージを持っていました。 この映画はだから、タイという国そのものだったと思います。 それでいて、性差別のナンセンスさをちくっと告発することも忘れず、 とてもバランスかとれていました。
ところで、この映画が実話をもとにしていることは有名な話ですが、 その辺を踏まえて、 「最後の最後まで」丹念にごらんになってくださいませ。
ぼくのバラ色の人生 Ma Vie En Rose 1997年 イギリス・フランス・ベルギー合作 アラン・ベルリネール監督
主人公は、リュドヴィックという7歳の少年です。 赤とピンクが飛び交うポップでキュートな映像の中で、 「自分は女の子になるはずだったのに、 X染色体の片方を生まれるときに落っことした」 と思い込んでいて、 (つまり、ハナから自分にはY染色体があるという認識がゼロ) 女の子になって、 好きな男の子と結婚することを夢見ていました。
でも周囲はというと、希望的観測も含めて 「誰にでもありがちな通過点」だと決めつけ、 リュドヴィックという少年そのものを理解しようとしません。 そんな彼に対する誹謗中傷がもとで、 せっかく溶け込んだ地区から 一家そろって引っ越さざるを得なくなり、 リュドヴィックは居心地の悪さの中、 いよいよ空想の中の「パムの世界」※での遊びに入り込みます。 でも、そんな彼を救ったのは…… ※バービー人形を髣髴とさせる“パム”が登場する 女の子向けテレビ番組のタイトル
性同一性障害など、課題提起するような色合いも濃いのですが、 何しろ画が非常に美しくファンタスティックで、 考え込んでしまうというよりは、 心にしみ入ってくるような映画でした。 何かの要素で、自分って場違いな人間だなと感じることがある、 (でも、その居心地の悪さが、その人を 慎み深いチャーミングな人間にしている場合も、 往々にしてあるのですが…) そんなすべての愛すべき人々に見ていただきたい作品です。
うちの長女は今日で11歳になりました。 いつも寒色系の服を着ていて、髪も短く、 遊びの興味の対象も男子小学生系にシフトしております。 (ちなみに、コロコロコミック愛読者です) ですから、初対面の人は十中八九「お兄ちゃん」と呼びます。 彼女が5年後10年後、どんなふうになっているのかは判りませんが、 もしも彼女が、社会の中での自分自身の身の置きどころが わからなくなることがあっても、 「家にいれば、余計なこと考えなくていいし…」 と思ってもらえる程度の親でいたいと思います。 (言うだけは簡単なのですけど)
私事で恐縮ですが、昨日、 ウディ・アレン監督の『ギター弾きの恋』を見ました。 悪くはないのですが、同監督作ならこっちの方が… と思ってみてしまうと、ちょっと食い足りなかった気がします。
そこで、ほかにちょっと思いつくものもなかったし、 アレン作品で、なぜかまだ取り上げていなかった作品を きょうは御紹介いたします。
カイロの紫のバラ The Purple Rose of Cairo 1985年アメリカ ウディ・アレン監督
この映画については、絶対に事前知識なしで見るに限る… これは、私がこの映画についての事前情報を 全く持たずに見にいって感じたので、 特にそう思います。
なのに、取り上げてしまうというのも矛盾があるのですが、 この映画を劇場で上映することはもうなさそうだし、 (上映にまつわる権利関係はわかりませんが) となると、これからごらんになる方は、 ビデオ・DVD、あるいはテレビ等を利用なさるでしょう。 そんなときのガイドとして、 タイトルだけでも覚えていてくださったらと思います。
強いていえば、主人公セシリアというウェートレスを演じたのは、 当時アレンと恋人同士で、 80年代のアレン作品のほとんどに出ているミア・ファローでした。 (私は個人的に、この人とラブラブだった頃のアレン作品が 最も好きです) セシリアは、呑む・打つ・買うのダメ亭主(ダニー・アイエロ)に 泣かされつつ、 休日の映画鑑賞だけを楽しみにしている、内気な女性でした。
おっと、ここまでです。 この映画はネタバレポイントが非常に早くやってまいります。 もっとも、この辺はネタバレにカウントされていないようで、 積極的に解説なさっている媒体もよく見かけますけど、 やはり、何も御存じない状態で見るに限ると思います。
1つだけいえば、映画ファンの夢を描いた作品でした。 彼女の人生の転機ともなるような映画作品のタイトル、 つまり作中作が、『カイロの紫のバラ』だったというわけです。
以前御紹介した『ラジオ・デイズ』とともに、 W.アレン入門編として、併せてお勧めします。 いや…どちらかというと、「アレン中毒初期」作品かも。 実は、私が初めて見たW.アレン監督作は、この映画でした。
1月24日は、どちらかというと戦争映画などの悪役でおなじみの アーネスト・ボーグナインの誕生日です(1918年)。
…ですが、私はこの人の作品を1本しか見ておらず、 それがとてもハートウォーミングな市井劇で好みだったので、 それを御紹介させていただくことにしました。
マーティ Marty 1955年アメリカ デルバート・マン監督
マーティとは、母親と2人暮らしの主人公の名前で、 このタイトルロールをE.ボーグナインが演じていました。 「不細工(というか無骨で粗削り)な顔でハートは上等」な彼は、 理想の女性と出会うことを願っていました。 母親も、もてない息子の浮いた話を期待するものの、 マーティがダンスホールで知り合った教師クララ(ベッツィ・ブレア)と いいムードになると、母親は彼女が職業婦人なのが気に入らず、 どうもうまくいきません。
映画としては非常に地味なのですが、しっかりできています。 よくよく見ると、本当にマーティはいい奴なのか? 少々あやしい部分もあります。 こう言ってはナンですが、自分の顔を棚に上げて人並みに面食いで、 清楚で十分魅力的なクララにすら、ちょっと文句があったりして… でも、そんな欠点もうそ偽りなく描いているところが魅力でもあります。
「人間は顔じゃなくて性格が大切」だということが、 この映画を紹介されるときには強調されがちなんですけど、 実際、我が身に置き換えたら、 性格や人間性のよさは最低条件でしかなく、 顔は、不細工とか美形というよりは、 「好み」「好きになれる」ということの方が大切ではないでしょうか。
私は、ここで言うと血を見そうなので明言は避けますが、 女性に非常に人気のある某俳優の顔を見るたび、 「今は変わった顔が人気なんだなー」とただ思うのみです。 多分、その俳優さんが好きな人から見たら、 私の好みの方がよっぽどゲテだと思われるであろうことは、 想像に難くありません。 そういう人々がそれぞれに生きているから、 何となくカップリングがうまくいったりいかなかったりするのでしょう。
生活くさい恋愛ドラマですが、そんな中でも十分夢は見せてくれます。 いざ、お近くのレンタル店の「アカデミー賞」コーナーへ! (うちの近所の店にはあるのですが、ない場合はごめんなさい)
余談ですが、この「マーティ」の名は、 30年の時を超え、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』での マイケル・J.フォックスの役名になったという説があります。 御丁寧に『BTTF3』には、メーリー・スティーンバージェン扮する 「クララ」という女性まで登場しましたね。 (もっとも、このクララはマーティの恋の相手ではありませんが…)
本日1月23日はハンフリー・ボガードの誕生日です(1899年)。 彼が自称「神経質持ちの大学生」になって(笑)、 かわいいヘップバーンに恋をしてしまうお話をどうぞ。
麗しのサブリナ Sabrina 1954年アメリカ ビリー・ワイルダー監督
90年代に入ってから、シドニー・ポラックの監督でリメイクされました。 何しろオリジナルの評判がいいので、どうも分が悪い作品ですが、 あれはあれで決して悪くないと思います。
飼っている魚の世話係まで擁する大富豪ララビー家には、 ライナス(H.ボガード)とディビッド(ウィリアム・ホールデン)という 2人の息子がいました。 兄ライナスは仕事の虫、弟ディビッドは軽い遊び人ですが、 専属運転手の娘サブリナ(オードリー・ヘップバーン)は、 ディビッドに夢中でした。 かなわぬ恋をあきらめさせようと、サブリナの父は、 フランスはパリの料理学校に彼女を通わせることにしますが、 パリの水に洗われ、すっかりきれいになってアメリカに帰ってきた (もともとチャーミングな)サブリナは、 それまで自分など眼中になかったディビッドを魅了します。 が、ディビッドを、仕事に有利な取引先の娘と結婚させたいライナスは、 ある手を使ってサブリナとディビッドを引き離し、 その間、自らサブリナの相手をしているうちに、 だんだん、仕事人間だった自分を顧みて、 サブリナに恋のような感情も覚えてしまうのですが……
この映画でのボギーは、がちがちの堅物仕事人間ですが、 そんな生真面目さから、かえっておかしみがにじみ出ているような、 本当に魅力的な役でした。 気持ちのいいコメディーであるこの映画の笑わせポイントは、 かなりの比率でボギー絡みのシーンとも言えます。
華麗なファッションに身を包むヘップバーンや、 二枚目役でありながら三枚目的な演技を強いられる ホールデンはもちろん、 おちゃめボギーのよさを堪能してみてください。
1月22日、 イギリスの俳優ジョン・ハートが生まれました(1940年)。 東洋人にもいそうな顔だちで、不思議に印象に残る性格俳優ですが、 近作では、『コレリ大尉のマンドリン』のペネロペ・クルズの父、 『ハリー・ポッターと賢者の石』の“杖屋のおじさん”なども おなじみですね。 でも、本日はこちらにさせていただきました。 (『コレリ大尉…』も『ハリポタ』も取り上げ済みだったので…)
エレファントマン The Elephant Man 1980年イギリス/アメリカ デビッド・リンチ監督
公開当時は、その素材やグロテスクな表現ゆえ、 せっかくのヒューマニズムを欺瞞的に感じさせたほどの怪作でしたが、 今見直したら、別な発見もあるかもしれません。
19世紀も終盤のロンドンで、「エレファントマン(象男)」の呼称で 見世物小屋で見せ物として働いている男がいました。 彼はジョン・メリック(ジョン・ハート)という名で 母親が妊娠中に象に腹を踏まれるという事故から、 (この辺が無茶ですけど) 人間でありながら、象のような風貌になってしまったのでした。 口をまともに利こうとしないこともあり、 人間の“脳”は持ち合わせていないだろうと思われていた彼ですが、 彼に興味を持った医者(アンソニー・ホプキンス)の研究の結果、 非常に高い知能と、温かな人間性を持ち合わせていることに 気づかされました…
この映画のプロデューサーは、コメディアンのメル・ブルックスです。 もしもD.リンチではなく、この人が自らメガホンをとっていたら、 何か別な映画になっていたろうなと容易に想像できます。 そして、もっともっとある意味グロテスクでブラックになっていたかも… M.ブルックスの奥様、アン・バンクロフトも、 ジョン・メリックに興味を持つ大女優という役どころで出演し、 彼とシェークスピアを読み合わせたりするシーンがありました。
「知能が高いから尊ぶべき」という傲慢な発想を肯定している、 ちょっと安っぽい映画だなという印象も、ないではないのですが、 何しろあの変態ぶりに定評のあるD・リンチ監督作ですから、 彼が本当に言いたかったのは、そういうことではないかも…とか、 いろいろ考えながら見られます。 嫌な性格の奴はとことん嫌な奴で、いい人は心も体も美しいという 非常にわかりいいキャラ設定も、おとぎ話のようでいいですね。 ここで「複雑な人間性」や、「心のひだひだ」を持ち出されると、 かえってうそっぽくなっていた気がします。 D.リンチ監督作品の中ではとっつきやすいことも事実です…。
余談ですが、『彼女がステキな理由 The Tall Guy』(1989年)で、 ジェフ・ゴールドブラムが売れない役者役だったのですが、 『エレファントマン』の舞台ミュージカル版出演のチャンスを得るという エピソードがありました。 その中で笑ってしまったのが、エージェントの 「多分タイトルは、『エレファント!』みたいになると思う」 という台詞でした。 ミュージカルのタイトルって、確かに感嘆詞のついたのがありますね。 『サラフィナ!』とか。
見たばかりのビデオがなかなか拾い物だったので、今日はこれを。
シーズン・チケット Purely Belter 2000年イギリス マーク・ハーマン監督
『リトル・ヴォイス』『ブラス!』など、 イギリス下層階級の悲喜こもごもを描いては好評の マーク・ハーマン監督作品ですが、 音楽がもう1つの主役だった前2作に比べると、 この映画での音楽は、あくまでBGMの域を出なかったものの、 「サントラ探してみようかな」くらいの興味は湧くものでした。 中でも、ジョン・レノン&ヨーコ・オノの『HAPPY CHRISTMAS』の 使い方など、なかなか皮肉でよかったと思います。
ジョナサン・タロックの原作に材をとったとのことですが、 小さくて細いジェリー(気が強い)と、 太っちょで大きなスーエル(人が好いけどトロい)の組み合わせも、 2人がサッカーのシーズンチケット(500ポンド)をゲットするために あの手この手で資金稼ぎに頑張る姿も(非合法な行いアリ)、 どこか、少年版『フル・モンティ』という風情があります。 でも、もっともっとシビアではありますが。
ジェリーは荒れた家庭環境の中でグレぎみではあるものの、 小さな姪の面倒もよく見て、なかなかいい子なのですが、 いつもつまはじきにされる学校というものに不信感を抱いていて、 まずまじめに登校しようとしません。 そんなとき、ソーシャル・ワーカーから、学校に一定期間通ったら サッカーのタダ券をやると言われ、とりあえず通ったりもしてみます…
1つ達成しかけてはつまずき…の繰り返しですが、 イギリスらしい毒とユーモアと、露骨でない温かみがよく混ざり合い、 最後まで飽きさせない話です。 また、私はサッカーのことをよく知らないのですが、 96年からニューカッスル・ユナイテッドで活躍中のアラン・シアラーも、 自分自身の役で、少しだけ顔を出しています。 2人にとってはアイドルなのですが、その扱いが、 アメリカ映画でよく見るhimself出演とはまた違うのも笑えます。
イギリス映画ファンはもちろん、そうでない方にもお勧めします。 (サッカーファンというには、邦題やビデオジャケットから受けるだろう 印象ほどはお勧めできませんが、いい映画ではあると思います) 私自身は、今まで見たマーク・ハーマン作品の中で、 最も好みでした。
1993年1月20日、銀幕の妖精と呼ばれたA.ヘップバーンが 亡くなりました(享年63歳)。 数々の映画の出演だけでなく、 チャリティー活動にも熱心に一生を全うした女性ですが、 やはり、50年代に出演したロマンチックコメディーで、 最もその魅力が輝いていたと思います。 そこで、この作品をどうぞ。
昼下がりの情事 Love in the Afternoon 1957年アメリカ ビリー・ワイルダー監督
『麗しのサブリナ』とどちらにしようか迷いましたが、 そういえば、どちらもB.ワイルダー作品でした。
パリの音楽学校の生徒アリアーヌ(ヘップバーン)は、 私立探偵である父親が調査中の富裕でハンサムな独身男、 フラナガン(ゲイリー・クーパー)に興味を示します。
ひょんなことから彼と急接近した彼女は、 父親の依頼人や調査対象者のプロフィールやエピソードを、 聞きかじりのまま「自分のこと」として流用し、 希代のプレイガールのふりをして、フラナガンを翻弄します。 一人の女性に深入りすることのなかった彼も、 アリアーヌの手練手管(のまねっこ)にはすっかり骨抜きにされ、 彼女がつき合った(架空の)男たちに、嫉妬さえ覚える始末でした。
しかし、アリアーヌとフラナガンの関係を知った父親は、 フラナガンのような遊び人と娘の接近は、 結局アリアーヌが傷つく結果に終わることを懸念して、 愛する娘のため、一番いい手を打とうとするのでした……
フラナガンが単なる脂ぎった金持ちのスケベおやじだったら、 もちろんこんなに粋な映画にはならなかったでしょう。 ヘップバーンの、とても20代後半とは思えない女学生ぶりや、 強がってお遊び女のふりをする様子も、確かに非常に魅力的ですが、 フラナガンを演じたG.クーパーの、 何人もの女性を渡り歩いても決して汚らしい感じがしない、 お得な美貌も生きていました。 B.ワイルダー一流のコミカルな演出も随所に見られ、 コメディー作品としても、本当に上等だと思います。 また、ワイルダー作品には欠かせない、味のあるじいさんキャラは、 ヘップバーンの父親を演じたモーリス・シュバリエが 「担当」していました。
Loveをわざわざ「情事」と訳した意図はわかりませんが、 もしもタイトルを見て手に取ることをためらっている方がいらしたら、 即刻ごらんになることをお勧めします。 ラブストーリーが苦手な男性にも、ぜひ見ていただきたいと思います。
1946年の今日、NHK(ラジオ)の 「素人のど自慢」がスタートしました。 そんなわけで、今日はのど自慢の日、 そして転じてカラオケの日でもあるそうです。 では、素直にこちらの作品を。
のど自慢 Amateur Singing Contest
1998年日本 ビデオ&DVD あり(ポニーキャニオン) 製作 李鳳宇/石原仁美/根岸洋之 監督 井筒和幸 脚本 井筒和幸/安倍照男
毎週日曜日、高らかな採点の鐘とアコーディオンの音を聞きながら、 お昼を召し上がっている方もいらっしゃるのでは?
NHKの「のど自慢」公開予選会&本番を前に、 出場を目指す人々の熱気で盛り上がる群馬県桐生市を舞台に、 ちょっと泥臭いけれど、丁寧に誠実につくられた、 気持ちのいいヒューマンコメディーです。
プロデューサーがこの番組を映画のモチーフにしようとしたのは、 阪神大震災の後、まだ災禍の傷跡深いあの町の食堂で、 お昼に番組を見ながら、あいつは下手だ、こいつはうまい…と、 適当な批評を交えつつ、楽しそうに話す人々の姿を見たことだったと、 公開当時の記事で読みました。 歌には、何か人々に活力を与えるものがあるのだろうと、 感じ入ったとのこと。 挑戦するのは本当にいろいろな年齢、境遇の人たちですが、 何かしら抱えているものがあり、それを打破したいと考えていたりして、 ちょっと和製『フル・モンティ』の趣がありました。
前述の記事には、 「桐生市クラス(去年11月末時点で人口約11万7000人)の町が、 最ものど自慢に向く」 ともありました。 それよりも大きな都市だと、 どうもそういうイベントへの反応がクールで盛り上がらないし、 小さな町だと、「おらがまちの祭り」のノリで、 盛り上がりの方向がちょっと違ってきてしまうのだということです。 私は桐生はおろか、 群馬県という場所にも1度も行ったことがありませんが、 町の雰囲気は非常によく伝わってきたと思います。
また、余談ではありますが、 群馬県自体が、非常に映画製作に協力的な土地柄らしいですね。 某大林監督作品で、主人公のモデルの生まれ故郷でありながら、 許可が下りなかったばかりに隣県でのロケになってしまった…という 福島在住の者としては、非常にうらやましい限りです。
売れない演歌歌手・赤城麗子を室井滋が、 商才がなく、次々と商売替えをする「カラオケだけが取り柄」の男を 大友康平が、 それぞれ好演しているのを初め、 コメディーセンスのある達者な皆さんが、 安心して見られる演技を披露なさっています。 (個人的には、麗子が営業で行くCD店の息子を演じた 近藤芳正がいい感じだったと思います)
ふだん邦画はちょっと合わないと思っていらっしゃる方にこそ、 ぜひともお勧めしたい1本です。 洋画並みというよりは、 日本映画ならではのよさを実感できると思いますので。
1月17日の誕生花はデンドロビウムで、 花言葉は「わがままな美人」だそうです。 (誕生花については異説もあり) そこで、こんな映画を思い出しました。
2つの頭脳を持つ男 The Man with Two Brains 1983年アメリカ カール・ライナー監督
監督C.ライナーは、『スタンド・バイ・ミー』『恋人たちの予感』 『ミザリー』などで知られるロブ・ライナーのお父様だそうです。 80年代、スティーブ・マーチンと組んで、 コメディー映画を数本監督しましたが、ほとんど日本未公開… 『2つの…』もその1本ですが、中でも傑作の誉れ高く、 ごらんになったことのある方もいらっしゃるのでは?
タイトルだけ聞くと、物すごい天才の物語みたいですが、 この映画の主人公ハフハール(脳外科医)が所有しているのは、 「頭脳」というよりは、人間の体の器官として「脳」そのもの! それも、自分の意思を持ち口を利く、 気立てのいい女性の脳「アン・マールメヘイ」なのでした。
愛妻レベッカを亡くし、悲嘆にくれていたハフハールは、 ある日事故を起こし、ドロレスという被害者の女性に 一目惚れし、再婚までしてしまいますが、 実は彼女はめちゃくちゃ性格の悪い、傲慢な美女でした。 よその男に色目を使い、自分との夫婦生活を拒否するような 彼女との関係に疲れたハフハールは、 心優しい「アン・マールメヘイ」との語らいを心のよりどころにする中、 とんでもないことを考えつくのですが……
ハフハールをスティーブ・マーチン、 ドロレスをキャスリーン・ターナーが演じています。 キャスリーンといえば、悪女タイプの「強気なブロンド」がぴったりですが、 この映画での彼女は、そのセクシーさで男を翻弄するシーンより、 むしろ最後の最後、セクシーとは無縁な姿が魅力的なので、 どうぞお見逃しなく!
きょうは何も思いつかなかったので、 「とっておき」にしようと思っていた映画を 引っ張り出すことにしました。
アメリ Le fabuleux destin d'Amelie Poulain 2001年フランス ジャン・ピエール・ジュネ監督
フランスで巻き起こったという 「アメリ現象」ともいうべきブームは 日本でも進行中のようで、 すこぶる評判がよろしいのですが、本当におすすめの1本でした。
さきに御紹介した『マグノリア』にも通じるような描写で、 でももっとユーモラスなオープニングから始まって、 ウェイトレスとして働くちょっと変わった娘、アメリ・プーランの 生い立ちが紹介されます。
教師の母と医者の父の間に生まれたアメリは、 父親の勘違いから学校に行かせてもらえず、 母親から勉強を教わり、幼少時代は友達と遊ぶことなく過ごします。 そんな生活の中で培われた想像力は、 全くもって「映画の主人公」向きなのですが、 (彼女の頭の中をのぞくための映画、みたいな面があるので) とにかく、「現実との対峙」ってやつが苦手です。
ごく限られた交遊関係しか持たなかったアメリでしたが、 1997年、ダイアナ妃の事故死を伝える報道を見た日、 彼女が「外の世界に飛び出してみよう」と思う出来事が起こります。 そうして、自分の周囲の人々を、今より少しだけ幸せにするための ちょっとしたかわいい悪戯をすることにハマるのですが、 「自分と同じにおいを持った男性」に恋したことから、 どう気持ちを伝えたらいいか、あたふたとしてしまい…
性的な用語から日常語になった感のある 「フェチ」という言葉がありますが、 人間、誰もが何かしらの「フェチ」で、 全く逆に、「これだけは許せん!」というものを持っているはず。 そういうこだわりを恥じたり誇ったりしながら大切にしている、 すべての映画好きに見ていただきたい映画です。
主演のオドレイ・トゥトゥーの愛らしさは、 往年のオードリー・ヘップバーンか(そういえば、同じ名前)、 『汚れた血』の頃のジュリエット・ビノシュかといった雰囲気があって、 好みかどうかはともかくとして、ぱっと見て惹かれるものがあります。 私も、彼女タイプが特に好みというわけではなかったけれど、 見終えた頃には、あんな妹がいたらかわいがるだろうなーと思いました。 (というか、敵に回したらヤバそうな子なので)
1622年1月15日、劇作家のモリエールが生まれました。 そこで、彼に因んでこの作品を。
女優マルキーズ Marquise 1997年スイス=フランス=イタリア=スペイン ベラ・ベルモン監督
喜劇を得意としたモリエール、悲劇作家のラシーヌ、 そして時のルイ14世の3人から愛されたという実在の女優マルキーズを、 フランスきっての人気女優、ソフィー・マルソーが演じました。
リヨンに住む踊り子にして売春婦のマルキーズは、 劇作家モリエールと、喜劇役者のグロ・ルネの2人連れに見出され、 ミジメな生活から抜け出し、女優の夢をかなえるために、 グロ・ルネのプロポーズを受け入れて結婚。 同時に、モリエールの一座で女優としてデビューを果たしますが、 生き生きと踊る姿が皆から愛される彼女は、 台詞のある、女優らしい役がなかなかつかないのが不満でした。
そんな中で、不遜なほどに自信家の若いラシーヌと出会い、 夫グロ・ルネの黙認するもとで、2人は激しく愛し合います。
ラシーヌは、マルキーズを独占したいと考えるようになり、 怪しげな薬を手に入れてグロ・ルネの毒殺を企てたり、 かなり危険なドロドロの関係になっていきます。
一方、大女優へと成長するマルキーズは、 大舞台の前に風邪をこじらせ、 自分の身の回りの世話をしていた娘に役をとられたショックから、 ある「間違い」を犯してしまいます…
代表的な大物3人の名前を挙げましたが、 マルキーズの魅力は、男性なら誰でもなびかせてしまうほどの魅力で、 特にラシーヌとの恋愛が、よくも悪くも彼女に影響を及ぼします。
自由奔放という言葉がぴったりの彼女を見ていると、 逆に、自由に生きるための困難の多さにも、改めて気づかされます。 女優が主人公ということで、劇中劇もしばしば出てきますが、 フランス語という言語それ自体のお芝居っぽさもあり、 とにかく、映画全体がドラマチックでした。
それにしても、ソフィー・マルソーという人は、 幾つになっても「かわいい顔」をしていて、 魔性の女性を演じても、客をとらされても、エロチックに踊っても、 何だか「かわいいなあ」と思って見てしまいました。 それがこうした役を演じる上で、損か得かはわかりませんが、 私自身は、映画へのとっつきがよくなったことで、 とても素直に見ることができて、よかったとすら思っています。
2002年01月14日(月) |
シティ・スリッカーズ |
1959年1月14日、南極観測隊に同行し、置き去りにされた 樺太犬のタロとジロの生存が確認されたことに因み、 きょう1月14日は、愛と希望と勇気の日だそうです。 …が、残念ながら、私はドンピシャリの映画『南極物語』を未見で、 この先も、見ることがあるかどうかわからない有様なので、 「愛と希望と勇気」というインパクトの強い並立から思い出した映画を 本日は取り上げさせていただくことにしました。
シティ・スリッカーズ City Slickers 1991年アメリカ ロン・アンダーウッド監督
この映画が日本公開されたときのキャッチフレーズを聞いて、 映画の中のミッチ(ビリー・クリスタル)たちと同じような、 何となく都会でのキリキリした生活に倦んでいた人たちは、 自分へのメッセージだと思ったのではないでしょうか。
覚えていますか? 「人生に必要なのは、愛と勇気と有給休暇」 というやつです。
映画の冒頭、「エンシェロ」(牛追い…というか追われ?)で知られる スペインのサン・フェルミン祭りに、 ミッチが友人たちと参加するシーンが見られます。 勇壮というべきか、アホっぽいというべきか、 テレビなどであの牛と人間が街中を走る映像を見るたびに、 「なんなんだ…」と理解しがたいものしか残らなかったせいか、 どうも、「善良であるがゆえに生活に疲れてるアメリカ小市民」たちの、 自己実現の考え方みたいなものがよくわからず、 それでも、「はっはは。バカだねー」と思いつつ見ました。
まあ、そんなふうに、金を出してスリルを買い、 何かを打破しようとしている男たちでしたが、 そんな中、カウボーイ体験ツアーに参加し、 ガイドの老人(ジャック・パランス)との交流や、 つくられたスリルではない、本物のアクシデントなどにも遭遇し、 そんな体験の中で、大切なもの、 大切にすべきものを見つけていくのでした。
予定調和といっちゃえばそれまでなんですけど、 「シティー・スリッカーズ」というタイトルとは裏腹に、 真っ直ぐなつくりで、なかなか爽快感を味わえる映画です。
この映画は、往年の西部劇の悪役ジャック・パランスに、 アカデミー助演男優賞をももたらしました。 (『バグダット・カフェ』で、ヤスミンに求愛する画家役もよかったですね) 渋くて存在感のあるかっこいいじーさんでしたが、 個人的にはミッチの天然ボケの親友を演じたブルーノ・カービィが、 何だか好きです。
リフレッシュのために有給休暇をとって、 シティー・スリッカーズ(迷える都会人)を返上しよう! と高らかに言うには、 現在の日本の状況は何かとお寒いけれど、 映画で擬似体験というのも悪くないと思います。
なお、この続編『シティー・スリッカーズ2』の方は、 聞けば聞くほど前作とは違うテーマで、全く興味が持てなかったので、 私自身は未見なんですが、実際のところどんな感じでしょう?
1月13日は、ペネロープ・アン・ミラーの 誕生日です(1964年)。 結構キャリアのある人ながら、どうもパッとしませんが、 今日御紹介の映画での彼女は、 そのおっとりしたムードをよく生かし、 出番は少ないながらも光っていました。
ブルースが聞こえる Biloxi Blues 1988年アメリカ マイク・ニコルズ監督
劇作家ニール・サイモンによる「自伝的3部作」の2作目で、 「ビロキシー・ブルース」のタイトルのまま、 日本の劇団の舞台でも上演されているようです。 …が、私は演劇方面は全く疎いので、 これ以上のことはよくわかりません。
第二次大戦下、ミシシッピー州ビロキシーの軍事訓練所で、 結局は戦地に駆り出されることなく終戦を迎える 主人公ジェローム(マシュー・ブロデリック)を初めとする 若者たちのさまざまなエピソードが綴られています。 言葉は悪いけれど、作文の余り得意でない小学生が、 「ありのままを書きなさい」と言われて書いたものを そのまんま映像化したら、 思わぬ繊細な心理描写の効果が「たまたま」生まれちゃった、 みたいな発想をさせられる部分もあり、 地味だけれど独特の味を持った、忘れ難い作品です。
ペネロープは、 地元のダンスパーティーでたまたまジェロームと踊る、 デイジーという少女の役でした。 読書好きのジェロームが、 「好きな小説のヒロインと同じ名だ」と言えば、 「デイジー…ミラー?ブキャナン?」 と返し、ジェロームを驚かせるという1シーンもありました。 「南部は読書が盛ん」なんだそうです。
いいなー、私は自分と同じ名前(本名)のヒロインといえば、 34年になんなんとする人生の中、 さるエロ小説で「たまたま」1つ見かけた記憶しかありません。 それも、バカで自分というものを持たない女で、 しかも、とりあえず容姿端麗な 「デイジー・ミラー」(H.ジェイムズ)や 「グレート・ギャッツビー」のデイジー・ブキャナンと違い、 ルックスも野暮ったさを想像させる描写しかなく、 何だか悲しい気分になったことを覚えています。 (というか、これは作家の筆力のせいもあるのでしょうが)
それはともかく…。 そう評判のいい作品ではありませんが、 決して悪くないと思うので、お勧めします。
1月12日は、女優カースティ・アリィの誕生日です(1951年)。 そこで、彼女が主演した、ちょっと懐かしいコメディーをどうぞ。
ベイビー・トーク Look Who's Talking 1989年アメリカ エイミー・ヘッカリング監督
美しく有能な会計士のモリーが、不倫の末に妊娠し、 周囲には精子バンクを利用したと偽って出産。 その、妊娠までのプロセスで、 精子の段階からしゃべり出すという設定のユニークさ、 生まれてきた坊やマイキーの愛らしさも、 この映画ヒットの要因でしょうが、 モリーが産気づいたときに助けてくれた タクシー運転手ジェイムズ(トラボルタ)とマイキーとの 実の親子のような微笑ましい交流も、 この映画を好ましいものにしていました。 カースティのコメディエンヌぶりはあっぱれでしたが、 何だか、産んだ母親でありながら、 子育てにおいてはカヤの外に見えてしまいそうな親密さです。 だから、この作品は、ジョン・トラボルタの 90年代に入ってからの快進撃の前哨戦的な意味合いもありました。
続編(2・3)もつくられていますが、 正直、あんまり必然性を感じない、とってつけたようなお話で、 この1作目ほどはお勧めできません。
ちなみに、精子の段階から雄弁に語り始める マイキー坊やの「声」に、 ブルース・ウィリスのちょっと高めのかすれ声がぴったりでした。 金曜ロードショーで放映時は、 福澤朗アナウンサーが吹き替えたりしていますが、 氏の好感度の有無は別として、どうもイタダケない感じです。
1928年1月11日、イギリスの詩人トマス・ハーディが 87歳で亡くなりました。
そこで、氏の『日陰者ヂュード』を原作とした、 この映画なんていかがでしょうか。
日陰のふたり Jude 1996年イギリス マイケル・ウィンターボトム監督
いとこ同士で愛し合い、形にとらわれない関係を育てようとする スウ(ケート・ウィンスレット)と ジュード(クリストファー・エクルストン)の 何とも救われない話ではあるのですが、 見た後、よくも悪くも印象深く残るタイプの映画です。
日陰者というと、何か後ろめたい関係を連想させますが、 どちらかというと、「報われない2人」とでもいうべきで、 本当は日の当たる場所にいてもいいはずの2人が、 数々の艱難に悩み、心を痛めながらも、 虚勢を張るかのように「私たちは間違っていない」と 堂々と振る舞おうとする姿(特にスウ)に、 胸がつぶれそうにさえなる悲恋物語でした。
『タイタニック』でも見られたケートの脱ぎっぷりのよさは、 この映画(の方が先ですが)でも見られました。 大開脚での出産シーンも厭わず、 本当に体当たり女優という感じですが、 しょぼい演技を繕うような無茶をしているわけではなく、 やはり、しっかりとした演技力の裏打ちがあってこそです。
…といった映画の大筋とは関係ないのですが、 舞台となったビクトリア朝の時代の女性の装いが、 少々堅苦しさを感じさせつつも、非常にかわいらしく、 ケート“スウ”ウィンスレットのドレスなど、 どれもこれも欲しくなりました。 着こなす彼女がお世辞にもやせ型ではないので、 「あ、私でもイケそう」と 勘違いをしてしまったというのもありますが…
今日1月10日は、「爆笑問題」のツッコミ、 田中裕二の誕生日だそうですね(1965年)。 そこで、小男ながら光っているあるヒトの、 この映画を御紹介します。 (田中さんから「小男である」というキーワードしか 引き出さないなんて、ファンの方、ごめんなさい)
リフ・ラフ Riff-Raff 1991年イギリス ケン・ローチ監督
「りふらふ」と、何だか舌で転がしたら心地よさげなタイトルですが、 「最下層」というほどの意味のようです。 描かれているのは、ケン・ローチの十八番ともいうべき イギリスの労働者階級の生活や苦悩プラス・アルファでした。
主演スティーブを演じているのは、ロバート・カーライルです。 この人はとにかく小柄ですね。 『トレインスポッティング』『フル・モンティ』などで、他の男優と並ぶと、 大抵「ちびだなー」と思ってしまう背格好でした。 顔も二枚目系ではないのに、何だかとても色気があって、 演技力を買われてのことでもありますが、なかなか多作です。 その出演作の中でも、かなり地味で知名度も低いと思うのですが、 粗削りさと優しさ、常識と非常識が同居した、 何だか魅力的な人物が、この『リフ・ラフ』のスティーブです。
舞台はサッチャー政権下のイギリス。 グラスゴー出身のパトリックは、 後ろ暗いところがあり、“スティーブ”という偽名を使って ビルの建築現場で働く、いわゆる日雇い労働者です。 不満たらたらの労働環境で働き、気晴らしに行ったハプで、 下手で舞台度胸もイマイチの歌手スーザンが 唄えなくなってしまったのをかばったのがきっかけで、 彼女と恋仲になります。 が、彼女がよくないオクスリに手を出したのがきっかけで、 2人の仲は破局し、そして…
底辺を這って生きているようなスティーブの役ではありますが、 なぜだか非常に紳士的に見えてしまいました。 気骨もあるし、結構仲間思いの優しいところもあるし、 絶対にヤクには手を出さないという一線を越えないし、 惹かれてしまうキャラクターでした。 ひょっとして、同じようにグラスゴーの労働者階級出身だという カーライル自身の地に一番近いのかもしれません。
映画全体のトーンである体制批判も暑苦しくなく、 後味悪いはずの終わり方にも、いっそ清々しさを覚えました。 あまたある「傷をなめ合う恋愛系映画」の中でも、 かなり強力におすすめしたい1本です。
今日1月9日は、「1・9(いっきゅう)」ということでとんちの日、 さらにはクイズの日だそうですね。 ストレートに「クイズ・ショウ」なんて映画もありますが、 既に取り上げ済み(4月19日)なものですから、 ならば、全く無関係でもないこの作品を。
マグノリア Magnolia 1999年アメリカ ポール・トーマス・アンダーソン監督
3時間以上にわたる長尺もの(だからビデオは2巻組)の 「ながいながいにんげんの話」……と言いたいところですが、 実は、ある1日の、12人の人々の生活を描いたものです。 レイモンド・カーヴァーの短編と詩をうまく編んだ、 ロバートアルトマンの傑作『ショート・カッツ』とか、 J.ジョイスの『ユリシーズ』などを連想なさる方もおいででしょう。
監督は、1970年生まれの分際?で、 70年代のアメリカポルノ映画産業の裏幕を生き生きと描いた 『ブギーナイツ』も撮ったP.T.アンダーソンです。 (ドラマ『ロズウェル』のマックス役でおなじみのジェイソン・ベアや、 『シン・レッド・ライン』のジム・カヴィーセルあたりにちょっと似た なかなかの二枚目でもあります) 何にしても、人間群像劇に強い人のようですね。
L.A.サン・フェルナンド・バレーのマグノリア通りに住む 12人の老若男女の人生の絡み合いなので、 誰に焦点を当てて語ることもできないのですが、 強いて言えば、トム・クルーズが非常に怪しげな役で アカデミー助演男優賞にノミネートされました。 確かに熱演でしたが、どちらかというと、 彼の父親である元TVプロデューサー(ジェーソン・ロバーズ)の 看護人フィルを演じていたフィリップ・シーモア・ホフマンの演技の方が より印象に残るものだと、個人的には思います。 ちなみに、その父親が制作したものの1つが長寿クイズ番組でした。 (御長寿クイズ、ではありません) その司会者、出場者、さらにその家族・身内などのつながりもあり、 番組の全編を、このクイズ番組が貫いているような 描き方にもなっています。
「人生とは偶然の重なり合いである」ということを言いたいがために、 3時間以上の時間を割いているわけですが、 乗れない方にとっては、本当に「金と時間返せ映画」の最たるもので、 気に入った方・嫌いじゃない方にとっては、 もう2,3回見てみようか?という気にさせられる作品でした。 (私はこうして紹介するくらいですので、後者です)
また、いわゆるネタばらしってものについても 改めて考えさせられました。 私は念のために言及を控えますが、 この映画のラスト何分かは、 いろいろな意味で映画史に残るものと言われています。 なのに、なぜかあちこちで積極的にネタばらしされていたので、 「え〜、そう来るか」と驚くというよりは、 「ああ、こういうふうにしたわけね」と冷静に感心してしまいました。
映画を見ていて、伏線に気づいて内心ニヤッ…という感覚が お好きな方に、特にお勧めします。
今日1月8日は、 オースティン・オブライエンの誕生日です(1981年)。 といっても、この名前だけでピンと来る方は、 余りいらっしゃらないかもしれませんね。 『ラスト・アクションヒーロー』のかわいい子役君ですが、 もう21歳なのでした。
で、彼の出演作をひとつ。
マイ・ガール2 My Girl 2 1994年アメリカ ハワード・ジフ監督
「2」というくらいで、91年にはこの1作目がまずつくられています。 好感の持てる作品ではありましたが、 (当MLでは、7月27日に御紹介させていただきました) 「2」という格好で続編がつくられたことに、正直驚きました。 主人公の少女ベーダ(アナ・クラムスキー)の成長を見る作品といっても、 もっと別なタイトルがつきそうな気がします。 (「〜2」「「〜3」って、圧倒的にアクションやホラーのシリーズに 多いタイトルという気がするし…)
前作は、主人公ベーダの、うんと年上の先生への淡い恋心、 自分をいつも見守ってくれる少年に起こった悲劇、 男手一つで育ててくれた父親の再婚などが軸でしたが、 今回は、それらを受け入れ、少し大人になったベーダが、 社会科の課題のため、 自分を産んですぐ亡くなった母親のルーツを探しに、 単身ロサンゼルスに赴くという物語でした。 その旅先で案内役を買って出て、ベーダを憎からず思いつつ、 「ピアスは野蛮だ」などとオヤジっぽいことを言う少年を、 オースティン・オブライエンが演じていました。
自分も2児の母親なので思うのですが、 親というのは、自分の幼少時代や少し若い頃の話をするとき、 結構都合のいいことしか話さないものです。 失敗談にしても、「寸止め」もいいところだし… だから、独自の方法で親のルーツを探るというのは、 なかなか勇気の要ることではないでしょうか。
ベーダにしても、母は美しくて「いい人」ではあったけれど、 父親との電撃的な結婚の前、 それなりにいろいろと抱えていた人だということがわかりました。 が、彼女は、やはりそれらを彼女なりに受け入れます。 これも『マイ・ガール』当時と比べての“成長”の賜物ではと思います。
今回は出番の少ない父ハリー(ダン・エイクロイド)、 彼が経営する葬儀屋にメイク係で就職したのがきっかけで 結婚するシェリー(ジャーミー・リー・カーティス)など、 前作と同じメンバーも出ています。 ちなみにシェリーは妊娠中。添え物的エピソードではありましたが、 悪くなかったと思います。
つくり手の良識を感じる、とても印象のいい作品でした。
こんにちは。新年早々「開店休業」状態で、 いっそ「週刊きょうの1本」に改題しようかと本気で考えましたが、 今年も基本は1日1本で頑張ってみようと思います。 どうぞよろしくお願いいたします。
さてさて、本日1月7日は、 ニコラス・ケージの誕生日です(1964年)。 そこで、彼の初期作でも名作の誉れ高い作品を。
バーディ Birdy 1984年アメリカ アラン・パーカー監督
80年代後半、なぜか「ベトナム戦争関連映画」がブームのように つくられたことがありましたが、 それより一足先んじて製作されたこの作品は、 ベトナム戦争の残した禍根と、 戦争において戦力になってしまう若者の青春像を、 非常にバランスよく描いていました。
主人公は、鳥が好きで好きで鳥になることを夢見る バーディと呼ばれる青年(マシュー・モディン)で、 戦争後、いわゆるPTSDの症状が悪化し、 自分を鳥だと思い込むようになります。 そんな彼を、自身も大きな負傷をしながら、 何とか救いたいと胸を痛める健気な親友アルを、 ニコラス・ケージが演じていました。
戦争に行く前の2人は、ちょっと変わり者のバーディと、 ごくごく当たり前に軽薄な若者アルの名コンビで、 なかなかに笑いを誘うシーンもたくさん見せてくれます。 バーディに興味を持った少女が、彼の歓心を買うために 自慢のバストをあらわにするものの、 彼が「性的に」少しもそそられず…というあたり、 「笑ってもいいものかどうか」と思いつつ、 やはり笑ってしまいます。 しっかりした体つきの美青年が、 「バストなんて、ただの張った乳腺じゃないか」 と言い放つあたり、もったいないような、腹が立つような…
「青春映画名作選リスト」を脳内にお持ちの方、 この映画のリストアップをお忘れなく!
さて、1月2日といえば、初夢ですね。 と言いつつ、自分の見た初夢がどうしても思い出せないのですが、 「夢っぽい映画」ということで(「夢のような」ではなくて)こちらを。
ルナ・パパ Luna Papa 1999年ドイツ=オーストリア=日本 バフティヤル・フドイナザーロフ監督
まことに映画的というべきか、 辛うじて理屈に合った現象の範囲内にとどまっている夢を、 延々と見せられているような気分になりました。 適切でないかもしれませんが、明晰夢という印象もあります。
戦乱のタジキスタンが舞台です。 (外務省のランクづけを調べたら危険度4) はずみでたまたま「結ばれてしまった」男の子供を身籠もった若い娘が、 頑固な父と、知的障碍のある兄を伴って、 お腹の子供の父親探しをする物語ですが、 ところどころにお腹の赤ん坊のナレーションが差し挟まれます。 イスラム圏らしい倫理観に基づいて、 娘は人々の偏見や好奇の目にさらされ、 絶望して自殺を図ろうともしますが……
主人公マムラカット(国家、の意味とか)を演じた チュルパン・ハマートバという女優が、 とにかく愛らしい魅力に満ちていました。
嫌でも難航が予想される父親探しの描写が 冗長でなくてよかったと思います。 (といっても、人によって感じ方はさまざまでしょうけど) 全編を通して、美しき冗談映画とでもいおうか、 “現実”というしっかりしたベースを持ったファンタジーでした。 『ブリキの太鼓』あたりをほうふつとさせるところもありますが、 あの映画から独特のグロテスクさを抜いた感じです。
そういえば、この映画もドイツ資本で撮られているし、 ドイツ人の役者さんもずいぶん使っているようです。 大まじめにボケをかますというのも、ひょっとしてドイツ的かも。
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