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2001年12月30日(日) |
クレヨンしんちゃん/嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲 |
まさに年の瀬、という感じですが、いかがお過ごしですか?
とりあえず、21世紀最初の年に見られてよかった…という意味で、 本日はこちらの映画を。
クレヨンしんちゃん /嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲 2001年日本 原恵一監督
あのミュージシャンの財津和夫さんも、 「映画シリーズのファンで、毎回見ています」と言い、 野原家の長女ひまわり初登場の回にはテーマ曲も提供したという、 なかなか渋いところで人気の「クレヨンしんちゃん」劇場版の中でも、 「最高傑作」として、しばらく語り種になる1本だと思います。
春我部(春日部に非ず)に「20世紀博」なる常設見本市ができてから、 しんちゃんの周囲の大人たちは、どこが様子が変でした。 レトロに浸り、童心にかえって楽しむのはいいけれど、 気持ちの切り換えはできず、仕事もせずにフラフラ遊び、 それこそ「大人げない」態度で自分勝手を通します。
その挙げ句、困惑する子供たちを置いて、 空荷のトラックの荷台に満載されていく姿は、 まるで「ハーメルンの笛吹男」に登場する子供たちのよう。 どこかに、それもあの「20世紀博」に深くかかわったところで 「笛を吹いている」人物がいるようです。 大人たちをすっかりさらってしまうと、今度は子供狩りが始まります。 しんちゃん初め春我部防衛軍は、知恵と勇気で追手を逃れ、 20世紀博会場に乗り込んでいくのですが…
笛吹男の正体は?そしてその意図するところは? 90分、目が離せません。
20世紀博には多くの親子連れが来ますが、 おおむね子供たちは退屈し、 大人たちは子供そっちのけで楽しんでいました。 ひょっとして、この映画を劇場で見た親子連れが、 そのまま投影されているのではないか、と思ってしまうほど、 今までになく苦くて大人向きの筋立てでしたが、 考えてみれば、「早く大人になりたいなー」と 思いながら過ごせる子供時代のすばらしさというのは、 テレビ放映の「しんちゃん」の中でも、 これまでしばしば取り上げられてきたモチーフでした。 テレビアニメのファンだったら、あのエピソード、あの小話、 ああ、この映画の前哨戦だったのかな?と、 思い当たるものも結構あると思われます。
つい先日、「失業率5.5%に」という小さな新聞記事を見ました。 デフレ、デフレ・スパイラルといった言葉も人口に膾炙し、 虚無的なギャグ(嫌いじゃないけど)だけが栄える2001年、 こんな21世紀に誰がした!と叫びたいこともしばしばですが、 幸いなことに、21世紀は始まったばかりです。 見通しは全く明るいとは言えませんが、 ユメもチボーもない(古いなあ)と嘆く前に、 この映画のために「90分の暇」をつくることをお勧めします。
1934年12月28日、女優のマギー・スミスが生まれました。 最近では、『ハリー・ポッターと賢者の石』の マクゴナガル先生(変身術)役にもさっそうと登場しましたが、 彼女が、30歳以上離れたヘレナ・ボナム・カーターのいとこ役で 口うるさいおばちゃんぶりを軽妙に披露した映画を御紹介します。
眺めのいい部屋 A Room with a View 1986年イギリス ジェームズ・アイボリー監督
E・M・フォースターの原作を、 ジェームズ・アイボリーが映画化した作品は、 ほかにも『モーリス』『ハワーズ・エンド』があり、佳作ぞろいですが、 最も見やすい作品は、この『眺めのいい部屋』ではないかと思います。
イギリスの名家の娘ルーシー(H.B.カーター)は、 いとこでお目付役のシャーロットとともに、 イタリアはフィレンツェを訪れますが、 映画のタイトルとは裏腹に、ホテルでは 「なんじゃこりゃ」な眺めの部屋をあてがわれ、落胆します。 この辺の皮肉な描写からして引き込まれました。
旅先で知り合った同国人の青年ジョージ(ジュリアン・サンズ)の 気ままなムードにちょっと興味を惹かれるものの、 国に帰れば(退屈を絵に描いたような)婚約者のセシルが待っており、 退屈だけど、波瀾もなくこの人と結ばれるんだろうなと ぼんやりと考えながら、彼の退屈さにつき合う日々… と思いきや、ジョージと再会します。
例によって、「いい映画にありがちな、ありきたりな話」なので、 人によっては、婚約者セシル並みの退屈さを感じるでしょう。 (紳士的だし、別に悪い人ではないんですが… ダニエル・ディ・ルイスがスノッブに演じていました)
最後まで見ないと、どの辺がどう「眺めのいい部屋」なのか、 よくわからない作品でもありますので、最後までどうぞ。 ダレそうなところに、シャーロットことマギーおばさんが登場して、 ガーガーまくしたてたり、 馬車の代金は誰が払うのかでモメたりするので、 その辺も楽しんでみてくださいませ。
先日のジャック・マイヨールの自殺は、ショッキングでしたね。 追悼というのも安っぽいのですが、こちらの映画をどうぞ。
グレート・ブルー The Big Blue 1988年フランス リュック・ベッソン監督
「おいおい…『グラン・ブルー Le Grand Bleu』の間違いでしょ」 とおっしゃる方もいらっしゃるかと思いますが、 実は私、いわゆる『グラン・ブルー』(完全版)は見ておりません。 だものですから、私が見たものは、 せりふは英語、もちろんカットもされていたわけですが、 イルカ顔の美女ロザナ・アークェットと、 男人魚(マーマン)のようなジャン・マルク・バールと、 後にガソリン会社のCMにパロディーされた(←多分)ジャン・レノと、 青い海と、山盛りのパスタと、辺境と言いたいような南米の地と、 「感動までできてしまう」リゾート映画として、 いつまでも印象に残っています。
J.M.バールが演じたフリーダイバー、ジャックのモデルが ジャック・マイヨールだったのは、余りにも有名な話ですが、 ジャックを子供の頃からライバル視していたエンゾ(ジャン・レノ)の モデルは、今も御健在のダイバー、エンツォ・マイオルカだそうです。 (何年か前、NHKのネイチャー系の番組で見て驚きました) もっとも、映画でのエンゾの人物像や母親の描写などに異議を唱え、 裁判沙汰になったりして、マイオルカ氏とこの映画との関係は、 良好とは言えないようですが… (というか、平たく言うと、裁判起こすほど嫌っていると…)
この映画は、ビデオが出てからじわじわと人気が出て、 今やある種のカルトムービーですらありますが、 一番最初の英語版が公開当時は非常に地味なものでした。
ちょうどシュワルツェネガーのポリス・アクション『レッド・ブル』が 同時期に公開され、そこそこヒットしていたせいもあり、 『レッド・ブル』と『グレート・ブルー』を聞き間違えられた、 みたいな話は結構あったようです。 (私自身、友人と電話で話していて、そんなことがありました)
決してディレクターズ・カットでなかったことだけが 原因ではないと思います。 公開され、ビデオ化されてしばらくして、 いわゆるバブルがはじけ、景気がしぼんできたことと、 因果関係までを求める気はありませんが、 無関係ではない気がします。
イケイケムードだったあの時代には、 ちょっとトロくさい映画に思えたものが、 実は非常に癒しのための要素をはらんでいることが知れ渡り、 目にしみる青の世界に浸りきり、 人間として生きることを拒絶しているようなジャックにも、 共感できるようなできないような… そんな時代の気分が、この映画を愛すべきものにした気がします。
未見の方、済みません。ストーリーにいっこも触れていませんでした。 保険会社のOLが、調査に訪れた南米でダイバーに一目惚れし、 ついでにNYでの世知辛い生き方に飽き飽きしていたもので、 ダイバーの彼をシチリアまで追っかけていって結婚、妊娠。 でも彼は、体は人間でも、どうも中身は人間ではないような… そんなこんなが織りなす、切ない物語です。 冬に見るには、ちょっと涼しいかもしれません。
1938年12月26日、中谷宇吉郎博士らのグループが、 雪の人工結晶に成功したそうです。 「雪は天から送られた手紙である」 の名言でも知られる博士に因み、 雪のシーンが印象的な映画を…と思ったものの、数限りないので、 では、人工結晶にちなみ、本物の雪ではないものの、 とびきり美しいシーンが見られた次の作品を。
シザーハンズ Edward Scissorhands 1990年アメリカ ティム・バートン監督
上品な老婆に孫が「どうして雪は降るの?」と尋ねるところから、 あくまでファンタジックに、かわいらしく、映画が始まります。
両手がハサミになっている人造人間エドワード(ジョニー・デップ)は、 自分をつくってくれた科学者の死後、 ひっそりと身を寄せていた廃屋(一応お城)にセールスに来た 化粧品のセールスレディ(ダイアン・ウィースト)に引き取られ、 おっかなびっくり、人間世界で暮らし始めます。 心が優しく芸術的センスのあるエドは、両手のハサミを生かして、 ヘアカットや犬のトリミングなどにも才能を発揮し、 何となく界隈の人気者になるのですが、 いつもおどおどしていました。
引き取られた家には、 キム(ウィノーナ・ライダー)という美しい少女がいて、 エドワードはいつしか彼女に惹かれていくのですが、 彼女にはマッチョで金持ちのバカ男の彼氏がいますし、 最初はエドワードを薄気味悪がり、疎ましく思うのでした。 が、マッチョバカの尊大さが鼻につくと同時に、 エドの純粋過ぎて傷つきやすい精神性に 徐々に惹かれるようになっていきます。 けれども、それは決して幸せな恋ではありませんでした…。
エドワードには、邪心というものは全くありません。 が、両手のハサミが邪魔で、傷つけてしまうので、 愛する人を抱きしめることはおろか、触れることもできません。 実際、厚意からキムの弟に助けたはずが、 ハサミでけがを負わせてしまったりして、 誤解され、だんだんに排斥されるようになってしまうのでした。 けれども、彼がハサミによって悲劇的な方向に向かえば向かうほど、 キムは彼を愛してやまなくなるように見えました。
老婆が孫に聞かせたのは、このエドの物語でした。 雪は、エドがハサミで氷を削って降らせてくれるのだそうです。
ところで、この映画のウィノーナ・ライダーは、 金髪のロングヘアでしたが、 ブルネットの印象が強い彼女、実は金髪の方が地毛だとか。 「自分には金髪は似合わない」からと、かなり若いうちから 染めた髪をトレードマークのようにして仕事をこなしてきましたが、 ちょっとわがままで、それでいて優しい面も持った少女役には、 金髪のはかなげなルックスがぴったりでした。
1972年12月22日(23日説もあり)、 飛行機墜落事故から71日後に、生存者16人が救出される… という出来事がありました。 この出来事は、その事故現場により『アンデスの奇跡』と呼ばれ、 事故から21年後、映画化もされました。
生きてこそ Alive 1993年アメリカ フランク・マーシャル監督
英語の原題といい、邦題といい、的確でいいタイトルだと思います。
遠征に向かう学生ラグビーチームを含む乗客を乗せた飛行機が、 1972年10月、アンデス山脈に墜落しました。
パイロットなど即死状態で亡くなった犠牲者もいましたが、 若く体力のある学生連中は、この先の苦難に気づくことなく、 チョコレートやお酒を少しずつ分け合ったり、 犠牲者の亡骸を丁重に弔ったりしながら、 冗談を飛ばす余裕すら見せますが、 アンデスの空気の薄さと、万年雪が物語る気温の低さの中、 墜落9日目に、「捜索打ち切り」のニュースをラジオで知ります。 そして、絶望につぶされない体力をつけ、 徒歩で下界に降りて助けを求めるため、 「神の食糧」を食べる決意をするのですが…
この出来事について御存じの方も、そうでない方も、 「神の食糧」が意味するものは何か? 想像がつくのではないでしょうか? 彼らが生き抜くために越えた一線は、確かに衝撃的でした。 幾らでも興味本位に映像化できたであろうこの出来事ですが、 犠牲者に対しても生存者に対しても敬意を忘れずに、 丁寧に良心的に映画化してありますので、 さわやかと表現したいほどの感動作に仕上がっていました。 映像の美しさも魅力です。
2001年12月21日(金) |
パニック・イン・ホスピタル/緊急病棟・医師たちの戦場 |
12月21日は、俳優キーファー・サザーランドの誕生日です(1966年)。 近作では『スペース・カウボーイ』などでもおなじみの 名優ドナルド・サザーランドの御子息ですが、 個性的な顔も演技力も父親譲りながら、 残念ながら、あの格好よく伸びた上背は似なかったようですね。
で、彼の出演作ですが…
パニック・イン・ホスピタル /緊急病棟・医師たちの戦場 Article 99 1992年アメリカ ハワード・ドイッチ監督
日本未公開作品ですが、ビデオやテレビ放映でおなじみです。 どっちが副題だかわかりゃしませんが、 「ドク・ソルジャー/白い戦場」などと銘打っている場合もあり、 いずれにしても、タイトルで損をしている映画です。
記憶が曖昧だったので検索もかけてみたのですが、 原題のArticle 99(99条)というのがどういう法律の条項だったか、 結局確認できませんでした。 どなたか御存じの方、メールくださいませ。
退役軍人のための病院が舞台です。 上層部の徹底した経費削減のせいで、 患者をろくに診察できないことに業を煮やした 若く気骨ある医療スタッフたちが立ち上がり、 法を無視した治療を施そうとし、 (この辺の医者・看護婦の連携プレーが愉快でした) ついには要求貫徹のために病院立てこもりまで企てる… というようなお話でした。
そのリーダー格になるのが、レイ・リオッタ扮する医者で、 彼に憧れ、従うのがキーファー・サザーランドの役でした。
タフでハードなアクションを想像させるタイトルとはちょっと違う、 笑いあり涙ありのヒューマンコメディーといってもいい作品です。 「ちょっと過激な『E.R』」といったところでしょうか。 (実際、喫緊の状態の患者もたくさん出てきますしね)
1952年12月20日、日本初のボウリング場である 東京ボウリングセンターが、東京・青山に開場したそうです。
そこで、ボウリング場でアルバイトをする、 2人の魅力的な“少年”を思い出しました。
月を追いかけて Racing with the Moon 1984年アメリカ リチャード・ベンジャミン監督
日本未公開ながら、豪華キャストということもあり、 ごらんになったことのある方もいらっしゃるのでは? とはいっても、やはり知る人ぞ知る青春映画の傑作です。
1942年のアメリカ・カリフォルニア州という舞台設定で、 ショーン・ペンとニコラス・ケージが「17歳」の少年役で登場しますが、 申し訳ないけれど、2人の演技力を持ってしても、 17歳には見えません……。
2人はボウリング場でアルバイトをしていますが、 ピンを主動で並べるのが仕事だったりして、 なかなかハードそうです。 どちらかというと無責任でチャラチャラしたニコラスを、 「しようがねえなー」とショーンが面倒を見るという力関係で、 ショーンの恋人で映画館でアルバイトをする少女の役を、 最近めっきり見なくなったけれど、 この2人に呑まれないだけの演技力と美しさを備えた エリザベス・マッガバンが演じていました。
御時世というべきか、2人は兵役に駆り出されますが、 そこまでの過程を、当時の若者風俗などをうまく取り入れた、 ノスタルジックな画ヅラで見せてくれます。 よくある青春もの、といえばそうなんですが、 何しろ豪華キャストなので、今や随分落ち着いた名優たちの (エリザベスはどこに行ってしまったのでしょう、ほんと) 若き日のお宝映像というつもりでごらんになるのも 一興だと思います。
2001年12月19日(水) |
ハイヤー・ラーニング |
12月19日は、女優クリスティ・スワンソンの誕生日です(1969) 典型的なブロンド美人で、非常にふんわりとした感じのいい人ですが、 どうも個性が生かしきれていないのが残念なところ。 『マネキン2』のマネキン役や、『ホット・ショット』、 近作では『ビッグ・ダディ』にも出演しています。
ハイヤー・ラーニング Higher Learning 1995年アメリカ ジョン・シングルトン監督
この映画のテーマは、「人種差別」と「性的暴力」でした。 ちょっと辛口の青春映画といった風情です。
大学には優秀な黒人の学生がたくさんいましたが、 いわゆる急進派の白人学生にとっては目障りな存在でした。 白人の女子学生が黒人の男子学生とデートをしていると、 暗闇で2人まとめて暴行されるというような事件も発生しました。
クリスティ・スワンソンは、そんな中、余り裕福でない家の娘で、 名門大学に入ったものの、学費を延滞せざるを得なかったりして、 自分に自信のない、おどおどした女子学生を好演していました。 デートの最中、無理やり組み敷かれたことを契機に、 寮のルームメイトである黒人の女子学生のつてで、 全く接触のなかった黒人学生グループのリーダーに助けを求めたり、 レズビアン傾向のある美しい女子学生(ジェニファー・コネリー)との “交際”を通したりの中で、 だんだんに自分をつかんでいくのでした……。
クリスティに憧れながら声もかけられず、 引っ込み思案で友達もできない気弱な男子学生が、 ネオナチに声をかけられ、洗脳されていくという描写も、 心成しか『ルシアンの青春』なんかをほうふつとさせ、 胸の痛むものでした。
若さゆえの傲慢さによる価値観のぶつかり合いだけでなく、 根深いアメリカの人種差別を目の当たりにさせられる、 結構残る1本だと思います。 原題を直訳すれば、「高等教育」といったところでしょうか。 テーマを考えると、非常に皮肉な感じです。
2001年12月18日(火) |
ジョー・ブラックをよろしく |
きょう12月18日は、ブラッド・ピットの誕生日とか。 (63年説と64年説あり…で、64年がやや有力?)
ジョー・ブラックをよろしく Meet Joe Black 1998年アメリカ マーティン・ブレスト監督
1934年製作の『明日なき抱擁 Death Takes a Holiday』のリメイク。 一応、ロマンチックコメディーにカテゴライズしていいのでしょうが、 とにっかく長いです(181分)。 例えば、コメディーはウディ・アレンに限るというタイプの方には、 絶対お勧めできません。
メディア王パリッシュ(アンソニー・ホプキンス)は、 65歳の誕生日を目の前にしていました。 少し間の悪い既婚の長女(マーシア・ゲイ・ハーデン)は、 そのお祝いの準備に忙しく動き回り、 医者としてキャリアを積む才色兼備の次女(クレア・フォラーニ)は、 婚約者そっちのけで、仕事に熱中していました。
そんな彼の前に、 「人間界を見物したい死に神」を自称する男があらわれ、 パリッシュに向かって、彼がもう長く生きられないことを告げ、 人間界を案内してくれたら、 ほんの少し長生きさせてやると提案します。
一方、次女スーザンは、コーヒーショップで偶然に出会い、 妙に話が弾んだ好青年(ブラッド・ピット)が、 目の前で交通事故に遭い、 死んでしまったことにショックを受けますが、 その青年が、父を訪ねて自分の家を訪れたことにびっくり! 死に神が、青年の身体をかりて乗り込んできたのでした。
ジョー・ブラックというごくテキトーな名前を名乗る彼が、 最初の印象とは大分違う雰囲気が違うのに戸惑いつつ、 彼も、そして愛する父も、じきこの世からいなくなることに 全く気づかないまま、スーザンはジョーに惹かれていくのでした…。
ジョーは、人間界の食べ物の中でピーナッツバターが気に入り、 始終スプーンを持ち歩いて、ぺろぺろなめたりしますが、 ブラピのファンにとっては、何ともかわいいサービスショットでしょう。
私はアンソニー・ホプキンス目当てで この映画を見に行ったのですが、 見終わってみると、最も共感できたのが、 マーシア・ゲイ・バーデンが演じる「間の悪い長女」でした。 お父様を敬愛しつつ、完璧な妹に比べてぱっとしないため、 どうしても手応えある愛情は得られないけれども、 一生懸命歓心を買おうとして空振りしたり、 ささいなことで涙したり、何だかうっとうしい役なのですが、 彼女の不思議な表現力が、 共鳴できる役柄にすり換えてくれた気がします。
とにかく長~い(飽きる長さです…演出のせい?)ということと、 ジェー・モーが演じるスーザンの婚約者が、 影が薄いくせにステロタイプのヤな奴なのが難ですが、 丁寧につくられた、チャーミングな作品でした。
もうすぐ公開の話題作「バニラ・スカイ」も手がけた、 キャメロン・クロウ監督の映画をどうぞ。
シングルス Singles 1992年アメリカ キャメロン・クロウ監督
一時期日本でも、グランジ(GRUNGY「汚い」の意味)と呼ばれる 音楽、ファッションがもてはやされたことがありますが、 その発祥地であるアメリカ・ワシントン州シアトルが舞台です。 恋人がいると厄介なことも多いけれど、やっぱり欲しい! そんな20代男女の恋愛模様が、 見やすく感じよくまとめられていました。
クラブで知り合う公務員(職場は別)のカップルに、 キャンベル・スコットとキラ・セジウィック。 アメリカの公務員は、クラブで遊ぶそのままのスタイルで出勤し、 お仕事をするのですね! やるべきことやってくれれば、スタイルは何でもいいけれど…。
パッとしないミュージシャンがマット・ディロン(似合う…)で、 その彼女気取りの追っかけがブリジット・フォンダでした。 この2人がやっぱり最もグランジの薫りがします。
また、いつも「趣味悪い」と評判の悪いイヤリングをつけて、 お見合いビデオの撮影に恋人探しの望みをかける、 気のいい美女も登場しましたが、 この役をやっていたシーラ・ケリーという女優さん、 残念ながらよく知りません。 でも、なかなか雰囲気のいい人でした。 (L.A.LAW 7人の弁護士」に出ていたらしいけれど…)
ちなみに、作中ブリジットがマットの歓心を買うために、 豊胸手術を思い立つというエピソードがありましたが、 このとき彼女を説得し、ついでに口説こうとして振られる医者役が、 「ハリウッド一のフラれ男」などと言われた時期もあるほど フラれ役が多かった、ビル・プルマンでした。 彼は1954年12月17日生まれだそうです。 いつも「あなたはいい人よ」と言われながら振られるのが、 本当に絵になっちゃっていたんですよね…。
2001年12月16日(日) |
ポケットモンスター ミューツーの逆襲 |
1997年12月16日、テレビ東京で放映の人気アニメ 『ポケットモンスター』を見ていた子供たちのうち、 光過敏症と思われる失神・嘔吐などの症状を訴える子供たちが 続出…という、世に言う「ポケモンパニック」が出来しました。
実は私、この対象になった放送を見ておりません。 何しろ当地では、4~6週遅れぐらいでやっと放映されるので、 この週も、全く違うエピソードが放映されましたし、 ビデオ化されたときも、そのお話は削除されていました。
他局の番組だというのに、自分のお子さんがファンだということで、 誤解や偏見を解かんと、「内容はいい番組なんです」と 必死で訴えていた、Fテレビのアナウンサーがいました。 直接間接に、さまざまな人々を巻き込んだ、 まさにパニックだったのですね。
が、この翌年夏、劇場版映画は予定どおり製作され、 公開に至りました。 (私も劇場だけで都合4回ほど見.るはめになりました) 他愛もないお子ちゃま向けととるか、 クローン技術が進む方向への警鐘と見るべきか、 微妙な作品なのですが、 世界中のちびっこの笑いと涙と感動を搾り取って大ヒットしました。
ポケットモンスター ミューツーの逆襲 Pocket Monsters: Mewtwo Strikes Back! 1998年日本 湯山邦彦監督
ポケモンマスターを目指して旅をしているサトシたちのもとに、 「最強のポケモントレーナー」を自称する謎の人物から、 パーティーの招待状が届きます。 全国選りすぐりポケモントレーナーたちが、 パーティー会場、ニュー・アイランドへと赴きますが、 港に着くと、しけの海の前で、なすすべもありません。 が、サトシ、カスミ、タケシの三人組と、数人のトレーナーたちは、 荒海にもくじけない水系(みずけい)ポケモンなどの力をかり、 会場にたどり着きますが、そこで待っていたものは?
ニュー・アイランドでは、ポケモンのクローンを製造しており、 そこで行われた“バトル”とは、オリジナルとコピーを戦わせるという、 軍鶏の蹴合いのようなものでした。 カワイイ系、コワイ系、カッコイイ系ひっくるめて、 同じような姿の者同士が傷つけ合う姿は、見ていて心が痛みます。 特に、賢いピカチュウは、この不毛な戦いにどうしても応じられず、 一方的に殴られ続けます。
「コピーでも、生まれてきた以上は同じ生き物なんだ」 という趣旨のせりふを、サトシが言います。 そして、ポケモンたちを救うために身を呈した彼でしたが…。
パーティー会場で待つ謎のポケモン“ミューツー”の吹替えが 舞台俳優の市村正規さん、 水先案内人“ボイジャーさん”の役で歌手の小林幸子さんなど、 豪華なゲストも印象に残ります。 また、幻のポケモン“ミュー”を担当した山寺宏一さんは、 翌年からポケモン劇場版の常連キャストになりました。
ビデオ店で手に取るのは、少々勇気が要るかと思われますので、 たまたま機会があれば、ごらんになってみてくださいませ。
余談ですが、この映画は劇場リピーターが多かったようで、 3度目に見にいったとき、台詞を先取りしている子供を見ました。 何だか『ニューシネマ・パラダイス』のワンシーンのようで、 (やかましいっ)と思いつつ、笑ってしまいました。
2001年12月15日(土) |
ハリー・ポッターと賢者の石 |
このタイミングでこの映画というのは、 いろいろな意味で勇気が要るのですが、 やっと見てきました……という意味で、御紹介いたします。
ハリー・ポッターと賢者の石 Harry Potter and the Sorcerer's Stone 2001年アメリカ/イギリス クリス・コロンバス監督
アメリカ資本が入っていて、監督もアメリカ人とはいえ、 役者もロケ地もイギリスにこだわって、 非常にいい雰囲気を醸し出していて、 どうしてこうも「アメリカ映画」みたいなのか? (いえ、それが悪いとは言いませんが) どうも、あのジョン・ウィリアムズの手になる音楽に、 その訳があったようです。
J.K.ローリング女史の原作の爆発的な大ヒットにより、 その映画化作品も、イベントムービー的に上映中ですが、 もしもそう大きくない扱いだったら、 後々「見た人だけが味わえた至福」「隠れた名編」てな言葉で 表現されていたかもしれません。
生まれてすぐ両親を亡くしたハリー・ポッターは、 叔母の家で虐待されて育ちました。 11歳の誕生日が近づいた頃、 毎日のように自分宛の手紙が来るようになりますが、 全部叔父(叔母の夫)に握りつぶされてしまいます。
そして11歳の誕生日、ハグリットという髭面の男が自分を迎えにきて、 ハリーは、自分の本当の生い立ちや、両親の死の謎を知るのでした。 と同時に、ホグワーツ魔法魔術学校への入学も許可され、 未知なる世界へ飛び出していきますが…
考えてみれば、ハリーが叔母夫妻に当たるダーズリーの家で、 それも、イギリスの感覚でいえば中産階級に属しそうな家庭で、 不当なまでの冷遇を受けていたことは、想像に難くないのですが、 あの環境下で、あんな好いたらしい顔で笑える子供が育ったことが、 それこそマジックだったのではないか?とすら思えます。
原作が有名なばかりに損をしている気がしますが、 丁寧につくってあって、決して悪い映画ではないと思いました。 少なくとも、原作を読んでみようという気にさせるには十分です。
メーンの子役3人とも、自分の持ち分をきちんと理解した すばらしいパフォーマンスでしたが、 脇を固める大人たちも、 ホグワーツの校長役が、リチャード・ハリス、 (個人的には『潮風とベーコンサンドとヘミングウェイ』の 憎めないエロじいさんとして記憶しています)。 その他、『天使にラブソングを…』などのマギー・スミス、 ジョン・レノンを2度演じたことのあるイアン・ハート、 いつものダンディーさはどこへやらの おどろおどろしいアラン・リックマンなど、 非常に豪華です。
2001年12月14日(金) |
ウワサの真相/ワグ・ザ・ドッグ Wag the Dog |
今日の出来事の中で、こんなのがありました。
「1973年 女子高生の冗談がもとで豊川信用金庫が20億円の取り付け騒ぎに」
この話は結構有名らしいですね。 ある女子高生が、愛知県の豊川信金に就職が決まった友達を、 「あの信金、危ないらしいよ」※とか何とか言ってからかったのを機に、 うわさが広まって、次々とさまざまの人の口に上せているうちに、 あたかも本当のことであるかのように人々が危機感を覚え、 大挙して預金を引き出そうとした……とか。 こういうのを、風説の流布とでもいうのでしょうか。 与えられた情報を何の疑いもなく頭からかじると、 恐ろしいことがあるものです。 ※ウィキペディアを参考にすると、 「信用金庫なんて、銀行強盗とかの心配があって危ない」 というニュアンスだったらしい…とのことで、 特定の信金を指して「経営が危ない」と言ったわけではないようですが、 これも、「ウィキペディアのみをソースにした」場合の見解です。 情報に誤りがあったため、大勢の学生が全く同じミスをしたという理由で 外国のどこぞの大学で、レポートを書く際の ウィキペディア使用禁止令が出たというニュースを読みましたが、 裏をとるというのは、全く難しいことです。
そこで、「つくられた情報」によるこんな映画はどうでしょう?
ウワサの真相/ワグ・ザ・ドッグ Wag the Dog 1997年アメリカ バリー・レビンスン監督
監督が『グッドモーニング、ベトナム』や『レインマン』の バリー・レビンスンで、 ロバート・デ・ニーロとダスティン・ホフマンが共演で、 アン・ヘッチ、ウディ・ハレルスンなど旬(当時)の若手も使い、 キルステン・ダンストが小味の利いた役で登場… なのに、ここまでおもしろくなかったのはなぜなのか? 私にとっては、はっきり言って疑問の残る1本です。 御丁寧にD.ホフマンは、 アカデミー主演男優賞にノミネートされていましたが、 これも基準がよく判りませんでした。 (受賞しなくてよかったと心から思います)
強いていえば、邦題はいい線行っていたような気がします。 類似(というか用字が違うだけ)の雑誌も実在しますが、 クレームはつかなかったのでしょうかね。 正直、宣伝になると歓迎されるような映画とも思えなかったし…
選挙を前にした大統領のセックススキャンダルが発生! 嘘っぽちの戦争を“勃発”させ、連日その報道をすることで 世間の関心がそちらに向いている間にもみ消すという 非常に大胆な陽動作戦と、 その結末を描いた皮肉なコメディーです。 もみ消し屋をデ・ニーロ、 “戦争”をつくるように依頼される映画プロデューサーを、 ホフマンが演じていました。
素材は最高だし、レシピも間違ってはいない…はず。 そうすると、何かの調味料のさじ加減の問題だったのでしょう。 絶対、もっとおもしろくなったはずの映画だと私は思います。 このままで十分おもしろかったとおっしゃる方もいるでしょうが、 申し訳ないけど、私はダメでした。
戦争のでっち上げまではしませんでしたが、 やはり大統領選挙に絡むスキャンダルもみ消しの話では、 ジョン・トラボルタ主演の 『パーフェクト・カップル』というのがありました。 はっきり言って、これは邦題が×ですが、 映画としては、こちらの方がよくできていたと思います。 (原題はPrimary Colors「大統領予備選挙」の意味とか) こちらで「もみ消し工作員」を演じたのは、キャシー・ベイツで、 やはり助演女優部門でノミネートされていましたが、 こちらが受賞を逃したことは、かなり惜しいと思いました。
今日はいつにも増して、 個人的に「好きになれる・なれない」だけで書いてしまいましたが、 期待しないで見た映画に限って「拾い物」で、 期待に胸膨らませていると、「あれれ?」というのが世の常です。 そんな「あれれ?」の中でも、 どう考えても、つまらないはずないのになーという、 いわば安心のブランドで選んだはずの映画って、結構ありますね。 そんな映画についての、皆さんのお話も伺いたいと思います。
ところで、評判のよさだけにつられて見にいった作品が、 「金返せ!」の出来だった場合、 これも風説の流布による被害でしょうか? 人の感性までは管理できないものですから、 おもしろいと思う人がほかにいる以上、 泣き寝入りするしかないのでしょうね…
1957年12月13日、俳優のスティーブ・ブシェミが生まれました。 1度見たら忘れられない顔の彼は、意外と出演作の多い人ですが、 日本では劇場未公開の作品で、次のようなものがありました。
28DAYS(原題同じ) 2000年アメリカ ベティ・トーマス監督
サンドラ・ブロックがアルコール依存症という設定で、 酒のせいで姉の結婚式に遅刻した上、大失態を演じたので、 28日間、更生施設で過ごすことになるというお話です。
あのサンドラがですよ。 どちらかといえば、中毒でへろへろになっている男を張り倒し、 カツを入れる方がよほど似合いそうなサンドラが、です。
最近はちょっと方向性の違う使われ方をしている気もしますが、 アダルド・チルドレンという言葉は、 そもそもが、アルコール依存症の親と接し、 トラウマを抱えたまま大きくなった子供、というようなニュアンスで、 略称ACのAは、アルコールにも通じる……というような話を、 以前何かで読んだことがあります。 とすれば、この映画の中のサンドラ扮するグエンは、 まさにACでした。 更生施設でのリハビリ中も、 酔いつぶれた母親、それを見る幼かった自分と姉という図式が、 何度も頭に浮かんできてしました。
グエンは協調性ゼロで、最初は施設の鼻摘みものでした。 が、あるトラブルを理由に刑務所送りをほのめかされたことと、 リハビリ仲間から責めたてられ、自分の弱さをさらけ出したことで、 だんだんプログラムにもまじめに取り組むようになり、 施設の人間関係にも溶け込んでゆきます。 でも、そもそもサンドラが出ている映画を 今まで好印象をもって見てきた人にとっては、 「ちょっとわがままだけど、なんか憎めない」 とさえ思わせてしまうのが、彼女の大きな特徴だと思いました。
ところでブシェミですが、なんと更生施設の医師役でした。 彼が出演しているほかの作品を見た人なら、 彼がこの映画に出演していると知ったら、 絶対、患者の方の役だと思い込むでしょう。私もそうでした。 大体、初登場のシーンからしてイカニモ、なんですもん。 (そりゃ、アル中・ヤク中の医者もいるでしょうけど。 実際彼も、立ち直り組の1人という設定でもありました)
ヤク中の野球選手役にビィゴ・モーテンセン。 弱い自分と戦いつつ、グエンに大いに示唆を与える役でした。
『ショーシャンクの空に』で、50年刑務所にお務めした老人が、 出所が決まったら怯えて騒ぎを起こすという場面がありましたが、 この更生施設でも、一見和やかそうに見えて、 卒業は怖いもののようです。 酒も薬も携帯電話も取り上げられ、 清らかで静かな生活を余儀なくされる施設にいる間はいいけれど、 出たらまた飲んでしまうのでは?手を出してしまうのでは? というおそれがつきまとうのでしょう。 グエンは何とか乗り切れるんじゃないかな、と、 エンディングに入る前の園芸店のシーンを見て思いました。 なかなか心温まるシーンです。 このシーンが最もサンドラ・ブロックらしい顔でした。
2001年12月12日(水) |
ムトゥ 踊るマハラジャ |
さて、大御所の登場です。 といっても、スーパースター・ラジニカーントことラジニの出演作は、 昨日既に御紹介済み(『アルナーチャラム』)なのですが、 日本でのインド娯楽映画人気を決定的なものとした作品ということで、 本日、ラジニのお誕生日に御紹介したいと思います。 (それにしても、日本での人気は何となく南インド優勢ですね。 かく言う私も、北インドの作品は、結局1本しか御紹介しませんでした)
ムトゥ 踊るマハラジャ Muthu 1995年インド(タミル語) K・S・ラヴィクマール監督
「幸せは、象に乗ってやってくる」 3年前、この映画が日本で公開されたときの謳い文句です。 そして、芸術的な美しさの女優ミーナの一枚看板みたいな映画に 見せておいて、実は…というポスターも、 目に焼きついたかのように、よく思い出されます。
この映画のオープニングで使われた曲は、 バラエティー番組などの「インドっぽいもの」を登場させるシーンで いまだによく使われているので、1度は耳にしたことがあるでしょう。
インドの農村部の大変立派なお屋敷で、 身なりのいい、主人やその家族に当たると思われる人から、 腰に布を巻いた姿が独特な召使と思しき人々まで、 みんなが異口同音に、「ムトゥ!」と叫んでいるところから、 映画が始まります。
ところが、肝心の「ムトゥ」が出てきません。 「ムトゥはどこだ、この大事なときに」 どうやら召使の1人らしいのですが、 よく仕事をサボる困ったちゃんかと思いきや、 彼が登場するや否や、 “スーパースター”という独自のロゴがスクリーンにあらわれ、 改めてテーマ曲が高らかに鳴り、 「♪俺の御主人はただ一人」と歌いながら、 我らがラジニが初めて登場します。
要するに、主人に仕える召使であることを自ら高らかに歌いつつ、 その割に非常に偉そうに馬車を操って登場するのですが、 このシーンだけで延々と5分以上…訳がわかりません。 とにかく、どんな人間も(主人ラージャーでさえも) 彼には一目置いているということが、 嫌というほど思い知らされました。
ムトゥ=ラジニは、行動力があって賢く、だれもが憧れる男です。 ラージャーも彼には全幅の信頼をおき、 自分の趣味の芝居見物にもいつも同行させますが、 実はムトゥには、これが退屈でたまりませんでした。 ある日、主人にいつものようにつき合ったムトゥは、 芝居の退屈さに難癖をつけると、 その何かの口上のような口調が、芝居よりおもしろいと大ウケ。 一方のラージャーは、主演女優(ミーナ)にすっかり夢中になって、 ぜひとも自分の嫁として迎えたいと熱望しますが…。
秘密、家の伝統、謎の人物の出現等、エピソードてんこ盛りの、 (例によって)長い長い映画になっています。 唐突な場面転換による踊りと歌のシーンも、いつものとおり。 もっともそれは、際どいラブシーンが表現できないが故の 代替としてダンスを用いているということで、無理もないのですが、 それがいい味になっています。
この映画を見にいった劇場で、いつもならば 「携帯電話、ポケベルの電源をお切りください」 などとアナウンスが入るべきところで、 「皆さんが今までごらんになった映画とは全く違う作品です。 手拍子、足拍子を入れて、ノリノリでごらんください」 と言われ、そう言われてもちょっと…と思いつつ、 なるほど、かなり高テンションを保ったまま見ることができました。 (おとなしい東北人に、手拍子足拍子を強要されても…) ストーリーは至極単純ですので、 映画の持ち味だけを存分に味わってお楽しみくださいませ。 見終わった頃には、ムトゥasラジニをまねた、 鮮やかな手ぬぐいさばきを披露できるようになる…かもです。 (ちょうどブルース・リーにインスパイアされて、 ヌンチャクを操ろうとするように…ヌンチャクよりは簡単そうですが)
12月31日、NHK教育テレビでこの『ムトゥ』が放映されるそうです。 これを機会にごらんになっては?
2001年12月11日(火) |
アルナーチャラム・踊るスーパースター |
アルナーチャラム・踊るスーパースター Arunachalam 1997年インド(タミル語) スンダルC監督
御存じというべきか、知る人ぞ知ると言うべきか、 南インドのスーパースター、ラジニカーント(以下“ラジニ”)が、 人望の厚い農村の良家の青年と、 都会のヤンエグ!?の両方の顔を見せる、 非常においしい作品です。
村の富豪の息子として信望の厚かったアルナーチャラムは、 身内の結婚式で出会った ヴェーダヴァッリという美女と恋に落ちますが、 実は自分が捨て子であったことを明かされ、 祖母に反対されて、ヴェーダヴァッリとの結婚を断念。 失意のまま都会マドラスへと旅立ちます。
ところが、マドラスで偶然出会ったわがままな金持ちの令嬢を助け、 彼の父親と会って話したところ、自分が実は、 大実業家だったヴェーダチャラムの息子だったことを知り、 彼が残した遺言を実行しなければ、遺産が相続できないと知ります。 その内容のすさまじさと、もともと金に執着しない性質ゆえ、 最初は相続自体を断ろうとしたアルナーチャラムでしたが、 悪党4人がヴェーダチャラムの遺産を狙っていることを偶然知り、 その連中から遺産を守るため、条件を呑むことにするのですが、 その「条件」とは一体!? そして、(本当は)富豪の息子でないからと結婚を反対され、 その後一発逆転で大金を手に入れようとしている状況で、 ヴェーダヴァッリとの恋の行方は?
アルナーチャラムと「ビデオ出演」のヴェーダチャラムの両方を ラジニが演じていました。 遺産を相続するための条件を、 ここに書いたらネタばれになるかどうかわかりませんが、 何も知らない状態でごらんになった方が、絶対楽しめると思います。
ヴェーダチャラムの話の中で、 自分がまだ幼かった頃、タバコを吸っているところを父親に見られ、 父親は、自分がタバコをやめるように、 タバコなど見るのも嫌になるほど吸わせるという 逆療法をとった、そんなエピソードがありました。 まあ、その辺がヒントです。 ヴェーダチャラムは、アルナーチャラムに相続させるに当たり、 金の亡者にだけはなってほしくなかったのでしょう。
ストーリーの性質上、この映画のラジニはとにかく着替えまくります。 そこへ加えて、メーンとなる人物中に美女2人ですから、 嫌でもスクリーンは華やかになります。 ただ、ヒーローをめぐる美女2人というと、 さきに御紹介した『ラジュー出世する』でも見られたように、 恋のさやあてやら、強い方の弱い方への攻勢などを連想しますが、 この映画では、「どちらかというと強そうな方」の彼女も、 最初はわがままでも、基本的に性格がよかったので、 ちょっと気の毒な健気さを見せてくれました。
数々の矛盾に片目をつぶり、 もう片方の目で華やかな画ヅラを楽しめるゆとりのある方に、 特にお勧めします。
ほんの少し先なのですが、12月12日は、 南インドが誇るスーパースター、ラジニカーントの誕生日だとか。 そういえば、いわゆるマサラムービーを取り上げたことがなかったので、 本日から12日までの4日間、インド映画を特集したいと思います。 (途中で気が変わったらごめんなさい)
本日は、「北インドの織田裕二」出演作を。
ラジュー出世する Raju ban gaya gentleman 1992年インド(ヒンディー語)アズィーズ・ミルザー監督
ダージリンの大学を卒業し、エンジニアとして働くために ボンベイに出たラジュー(シャー・ルク・カーン)は、 就職の力添えをしてくれると思っていた知人に夜逃げされ、 その後、バケツの水を頭からぶっかけられるなど(古典的!) トラブル続きで途方に暮れますが、 「大道哲学者」のジャイという男に助けられ、職探しを始めます。 図書館の整理係の仕事を経て、 結局、自分に水をかけたレヌという女性が、そのことや、 彼に一々つっかかって憎まれ口をたたいたりしたことを反省し、 自分の勤める会社(ゼネコン、みたいな)を紹介するのですが、 これがきっさかけで、レヌ(絵に描いたようなインド美人)と恋に落ち、 すべてが順調、我が世の春を謳歌する…かと思いきや、 会議の席で、都市計画について率直に意見を述べ、 社長令嬢でキレ者のサブナ(こっちもとりあえず美人)に 関心を持たれたことがケチのつき始め。 サブナのラジューへの関心が仕事上でプラスになるのはいいけれど、 それがレヌとの仲にも亀裂を生じさせるわ、 出世欲ギラギラで、ラジューをよく思わない親子の妨害に遭うわで もー大変です。
インド映画をごらんになったことのある方ならおわかりでしょう。 ひたすらひたすら踊る、歌う、踊る……です。 例えば、ラジューの就職が決まったとき、 その辺の人まで巻き込み、“Raju ban gaya gentleman”の大合唱です。 (字幕は「ラジューが出世した」…って、就職決まっただけなのに)
アクションシーンも派手です。ジェームズ・キャメロン並みにしつこい! 人間のすべての感情を1本の映画に込めるのが、 インド娯楽映画の基本だそうですが、 泣きどころも笑いどころも怒りどころも全く半端ではないので、 感情の振幅を大きくして、ココロの底から楽しむに限ります。
大昔から、ミュージカルの傑作は幾つもつくられ、 それらを見てきたつもりでも、 インド映画における唐突な歌と踊りには、 何か特別に反応してしまうのですが、 さきに亡くなったジョージ・ハリスンも傾倒したという エキゾチックな調べもさることながら、 西洋のミュージカルにはない何かがあるのでしょう。 大まじめな国民性が醸し出すおかしさ…といったら意地悪ですが、 そんな感じです。
先ほど、「北インドの織田裕二」と書きましたが、 主演のシャー・ルク・カーンが本当に彼に似ています。 彼も確かに格好いいのですが、 彼の兄貴分的なジャイを演じたおじさまが、 ちょっと血の気の多いスナフキンさんという風情で、またすてきです。 女優の美の競演だけでなく、男優対決!?も楽しんでください。
2001年12月08日(土) |
リヴァプールから手紙 |
1980年12月8日、ジョン・レノンが ダコタハウスの前で凶弾に倒れました。 そんなことから今日をレノンズ・デイといったりもするそうです。
個人的には、当時12歳で、洋楽を意識して聞くことのなかった私には、 歴史的事実の1つでしかない部分も正直言ってあるのですが、 その後、「ビートルズから影響を受けた人々」の音楽を聞くようになり、 (アーチスト名を挙げると、枚挙にいとまがありませんが) したがって、リヴァプールという地名には、やはりロマンを感じます。
リヴァプールから手紙 Letter to Brezhnev 1985年イギリス クリス・バーナード監督
私が借りたビデオショップでは、 伝票に『リヴァプールから“の”手紙』と記されていました。 が、不自然ですわりの悪い感じは否めないものの、 『リヴァプールから手紙』が正解です。
原題はごらんのとおり「ブレジネフへの手紙」です。 そのまんま、ブレジネフに手紙を書く女性が登場するのですが、 その手紙の内容が大反響を呼ぶというのが、 ともすればよくある運命任せの恋物語になっていたであろう この映画に、メリハリをつけました。
冷戦時代。 イギリス北部の町リヴァプールに、 一隻のロシアの船が入港してきました。 「リヴァプールだ!ビートルズだ!」と、 希望に顔を輝かせるロシアの船乗りさんの明るい声で、 映画が始まります。
夜のリヴァプールの街。 失業中でうぶな娘エレーンは、 薄給に文句を言いつつ元気に働くちゃっかり者のテレーザと 遊び歩いていましたが、 あるバーで、自分を見つめる強い視線を感じます。 停泊中のロシア船から一時的に降りてくつろぐ ピーターという水夫でした。 ピーターはセルゲイという大男と一緒でしたが、 セルゲイはテレーザと意気投合し、 エレーンも、ためらいながらもピーターの繊細さに惹かれ、 一夜を共にします(でも、肉体関係はありませんが)。
ピーターとエレーンは、 別れ際に結婚の約束をするほどに惹かれ合いますが、 帰国後のピーターはソ連体制下で自由に国を出ることもできず、 手紙すら差し止められていました。 彼を思って落ち込むエレーンを慰めるつもりで、 テレーザは(半分冗談で)ブレジネフに手紙を書くことを提案しますが、 エレーンがそれを真に受けて書いた手紙に対し、 返事ばかりかロシアまでの航空券も送られたことで、 ちょっとした騒ぎになりました。 「愛するピーターに会える」と、ロシア行きを決意するエレーンに、 外務省の役人は、ピーターは実は結婚していると告げ、 ソ連行きを断念させようとしますが…
出演者のうち、比較的メジャーな人といえば、 セルゲイ役のアルフレッド・モリーナくらいのもので (近作では『ショコラ』にも出演) あとは、イギリス労働者階級映画の常として、 みーんな「その辺にいそうな人」に見えます。 エレーンも、デビュー当時のデミー・ムーアにちょっと似た、 やぼったいけれどかわいい雰囲気の女優さんが演じていて、 ピーターというすばらしい男性に出会うまで、 ソ連という国を偏向報道でしか知らず、 イデオロギーなど考えたこともない女性を好演していました。
世相は色濃く反映されていますが、 ごく普通の恋愛映画として見た方が、 より内在する問題の深さが伝わる気がしました。
この映画とは直接の関係はないのですが、 この年の11月、ミュージシャンのスティングが、 “Russians”という曲を発表しました。 ぶっちゃけて言えば、 「ロシア人も同じ人間だ」ということを訴えていたのですが、 あえてそう歌わなければならないような不幸な状況があったことが、 残念でなりません。 ちなみに、この映画がつくられた1985年は、 “ペレストロイカ(再構築)”や“グラスノスチ(情報公開)”で 西側諸国からの支持さえ得たゴルバチョフが 書記長に就任した年でもあります(3月)。
追いつめられて No Way Out 1987年アメリカ ロジャー・ドナルドソン監督
原作は、ケネス・フィアリングの『大時計』。 既に1948年、ジョン・ファロー(ミア・ファローの父)監督によって 映画化されていて、 いわばこの80年代版はリメイクです。
売り出し中だったケヴィン・コスナーと、 何となく美人女優としては報われていない感じのショーン・ヤングの ロマンスが盛り込まれ、 ベテランのジーン・ハックマンが重鎮的な役に配された、 かなりおいしいサスペンス映画です。
CIAの連絡将校(コスナー)は国防総省に潜入し、 バーティーで出会った美しい女性(ヤング)と恋に落ちますが、 彼女は実は長官(ハックマン)の愛人でした。 そして、女性が謎の死を遂げたことと、数々の物的証拠から、 将校に犯人の容疑がかかるのですが… 果たして真相は!?
と、大ざっぱに言うと、かなり大味な映画に思えますし、 実際大味ではあるのですが、 どんでん返しの妙が効いていて、なかなかおもしろい作品でした。 そういえば、米国防総省のことを、その建物の形から ペンタゴン(五角形)と呼ぶのだということは、 この映画を見て知ったような覚えがあります。
実は『大時計』の方は見ていないのですが(原作も未読) こちらは雑誌出版社が舞台と聞きます。 非常に興味があるのですが、 ごらんになったことのある方、ぜひともメールをお寄せくださいませ。 (HPの方からどうぞ)
こんにちは。らすてのです。 今日12月6日は姉の日だそうです。
実はこの半年前、6月6日の「兄の日」には、 個人的に「お兄ちゃんにしたい俳優№1」と思っている人の 主演映画を取り上げたのですが、 その俳優には、彼そっくりの顔だちのすてきなお姉様がいました。 個性的な美人であることが災いし、どうも主役を張れない人ですが、 「主人公の友人」役がやたら印象に残る、かなり多作な人です。
ワーキング・ガール Working Girl 1988年アメリカ マイク・ニコルズ監督
実は、この映画について簡単にリサーチしようとしたとき、 そういえば同時期、売春で生計を立てる女性のドキュメンタリーで、 『ワーキング・ガールズ』というタイトルのがあったなあと思い出し、 併せてそちらも調べてみたのですが、 余りにもマイナー過ぎて、どう絞り込んでもひっかからず、 しまいには「該当なし」の宣告をされてしまいました。 どなたか、この映画をごらんになったか覚えていらっしゃるという方、 ぜひとも御一報くださいませ。 ビデオはなさそうだし、 あったとしても、その辺のレンタル店では借りられないと思われます。
閑話休題。 実は私、この映画がそんなに好きではありません。 上司役のシガーニー・ウィーバーと主演のメラニー・グリフィスが、 同じ30歳という設定だったところからしてギャグっぽいし、 (30の娘がいてもおかしくないような貫祿があるんですもの、Sさん) メラニーが余りにもセンスが悪いせいか、どうしても切れ者に見えず、 したがって、どんなに努力をしている様子を見せられても、 やみくもにただ「出世した~い」と言っているだけみたいというか、 説得力が感じられないのでした。 彼女という人自体はいい女優だと思うのですが、 アカデミー賞の候補に挙がるほど役に合っていたと思えませんでした。
ストーリーは、いわばビジネス系シンデレラ物語です。 スキルアップに励んでいる有能なOLテス(メラニー)は、 学歴がないため、なかなか出世できませんが、 自分と同い年の上司(シガーニー)に買われ、喜んでいたら、 実は自分のアイデアを盗むなど利用しようとしていることがわかり、 彼女がスキーで足を折って休職中に出し抜いて、 仕事も、そして彼女のすてきな恋人(ハリソン・フォード)も 奪ってしまうのでした…
そんなテスの親友シンを演じていたのが、 「私の理想の兄の姉」ジョーン・キューザックでした。 こちらもテスに負けないほどの派手なメイクに じゃらじゃらのアクセサリーで、 彼女と仲良くフェリー通勤をし、 (当時、海辺に住む就職1年生だったので、 この画ヅラには憧れもしましたが)、 彼女の出世を我が事のように手放しで喜ぶ女性を好演していました。
また、テスが出世の足掛かりにしようと思ってデートする男を、 まだ少し若い頃のケヴィン・スペイシーが演じていましたが、 頭髪の後退ぶりには20代とは思えないものがありました。 そう出番は長くないので、お見逃しなく。
ドラマシリーズ『ホテル』の主題歌 “Let the river run”のオリジナルが、 カーリー・サイモンが歌った『 ワーキング・ガール』の主題歌だということも、 一応付言させていただきましょう。
1901年12月5日、アカデミー賞獲得数ナンバーワンの人物、 ウォルト・ディズニーが生まれました(1966.12.15没)。
大きな声では言えないのですが、私はディズニーが大の苦手で、 東京ディズニーランドすら、1度も行ったことがありません。 『くまのプーさん』は好きですが、 あれはA.A.ミルンの童話だとしか思っていません。 が、これだけは別!という映画がありますので、本日はそれを。
ダンボ Dumbo 1941年アメリカ ベン・シャープスティーン監督
ある日、サーカスの一員である雌象ジャンボは、 耳の大きなかわいい赤ちゃん象を出産しますが、 意地の悪い連中に大切な赤ちゃんがばかにされたのに腹を立て、 乱暴な振る舞いをしたため、 生まれたばかりのその子供と引き離されてしまいます。
ダンボとつけられた子象は、 芸の覚えも悪く、何をやっても失敗ばかりでしたが、 ネズミのティモシーに励まされ、 自分の大きな耳で空が飛べることに気づき、 一躍人気者になるのでした…
この映画を見た日から、ティモシーという名前は、 「しぶちんスクルージ」「金貸しシャイロック」「アホの坂田」と同様、 私にとって「心の友ティモシー」と、代名詞になりました。 ダンボをからかう連中は本当に憎たらしくて、 実は、ディズニー映画が苦手な理由として、 このステロタイプなキャラ像が挙げられるのですが、 ならば、ティモシーという奴は「ステロタイプのいい奴」です。 下手をすると自分を踏みつぶしかねない体を持ったダンボに、 「お前はかわいい」「サイコーだ」と賛辞を惜しまず、 あらゆる罵詈雑言からダンボをかばおうとします。 ティモシーにとっても、この物言わぬ哀しい目をしたかわいい象は、 自分を全面的に信頼してくれる、大切な友達だったのでしょう。 今こうして書いているだけで、本当にほろっと来るものがあります。
ダンボはたまたまかわいそうな境遇にあるサーカスの象でしたが、 これは人間生活にもそのまんま当てはめられる気がします。 どんなに辛いことがあっても、全面的に自分を受け入れてくれる人が、 たった1人でもいいからいてくれたら、本当に報われることでしょう。 が、その「たった1人」を得るのが本当に難しいというのも事実。 どんな人にも、その「たった1人」がいてくれたらいいのと、 祈らずにいられません。
本日12月4日は、1982年の映画公開に因むE.T.の日だとか。 日本国内で1000万人動員という大ヒットだった記録は、 16年後に『タイタニック』に抜かれるまで守り通したとか。 う~ん、考えてみれば、確かに80年代・90年代って、 多種多様な映画が見られるようにはなりましたが、 その分、みんなが見た作品って意外となかったかもしれませんね。 ということで…
E.T. E.T. the Extra-Terrestrial 1982年アメリカ スティーブン・スピルバーグ監督
私はこの映画を中学2年のとき、学校の予餞会で見ました。 我が校は、予餞会といえばなぜか映画上映がならわしだったのですが、 大抵そのとき最も話題になっていた映画を見ることができました。 ちなみにその翌年、私たちが卒業という年は、 『戦メリ』こと『戦場のメリークリスマス』でしたが、 中学生には理解が難しかったような… 前年の『ブッシュマン』は映画としての魅力が薄かったので、 『E.T.』はある意味最も正統派といえました。
ヘンリー・トーマス扮するエリオット少年と、 地球に取り残された“植物学者”E.T.の交流を描いた、 夢いっぱいの心温まるファンタジーでした。 …私感ですが、残念ながらそれ以上でも以下でもありません。
それでも、E.T.をかくまおうとして学校を休んだエリオットが、 勤めに出るママに、 “No T.V.”(テレビはだめよ)と言われているシーンで、 せりふが聞き取れたこと、 また存外簡単な言い回しにびっくりしたことなど、 妙に思い出のある映画でもあります。 当時まだ7歳だったドルー・バリモアの、 まるっきりお人形のような愛らしさや、あの叫びっぷりも、 今となってはお宝映像ですらありますね。 また、作中作として、E.T.がテレビで見ていた映画『静かなる男』も、 ちょっとしゃれた使われ方をしていますので、お見逃しなく。
お話の展開は、いわば『竹取物語』的です。 21世紀になり、秀作・怪作・珍作出揃ったところを たんと見た後に見ると、 何だか先が読める、ありきたりな話に思えるのですが、 それが古典の負った宿命なのでしょう。 優しく美しい映像や、ドラマチックな音楽は感動的ですが。
最近、めっきり寒くなりました。 この季節になると、水仕事で指先がガサガサになり、 皮がむけて血が出てきたりしますが、 何しろ体の中で最も活躍してくれる指先ですから、これは痛手です。 こんなとき、やっぱりE.T.の指が持つ治癒能力に憧れます。
1968年12月3日、俳優ブレンダン・フレイザーが生まれました。 大ヒット作『ハムナプトラ』シリーズのヒロイックな役どころは むしろ彼のキャリアとしては異色なようで、 『タイムトラベラー』『ジャングル・ジョージ』など、 浮き世離れした主人公が繰り広げるコメディーという おバカ路線も定着してきましたが、 そんな彼(以下、ブレン)の原点とも言えそうな作品が、 きょうの映画です。
原始のマン Encino Man 1992年アメリカ レス・メイフィールド監督
もてない高校生コンビ(ショーン・アスティンとポーリー・ショア)が、 卒業前に何か目立つことをしたいと考え、 自宅の裏庭にプールを掘ることを考えついたのですが、 氷づけになった原始人の男(ブレン)を掘り出してしまいます。
言葉も通じず、警戒心いっぱいの野生動物という風情の彼も、 風呂に入れ、服を着せるとなかなか人懐っこいハンサムで、 “ミッシング・リンク”からとって“リンク”と名付けられ、 親切に接しているうちに、だんだんと心を開きます。
東欧からの留学生(だから言葉が通じない)という触れ込みで 学校に連れていくと、 独特の雰囲気が生徒たちの興味を引き、 積極的な美少女に迫られたり、 美的センスを買われてCGをやらないかと誘われたり、 (『インディー・ジョーンズ』や『グーニーズ』のキー・ホイ・クアンが、 ジョナサン・キーと改名し、コンピューター部の部長役で出ています) 学校生活にすっかり溶け込んでしまうのですが、 校外学習で訪れた博物館で、 ホームシックのような状態になってしまいます。
また、彼に人気を奪われておもしろくない「学園の元プリンス」が、 実は原始人だという彼の素姓を突き止め、 プロムパーティーの場でそれを暴露するのですが…
厳密にいえばブレンは主役ではないのですが、 コメディー映画としての出来がなかなかよかったし、 彼の持ち味もよく生かされていました。
それにしても、アメリカの学園ドラマには、 素姓のよくわからない転校生や留学生がよく登場しますが、 日本では考えられませんね。 もっともアメリカでも、そんなドラマみたいなこと そうそうないのかもしれませんが…
2001年12月02日(日) |
アンドリューNDR114 |
7月に劇場で映画を見たとき、 『ハリー・ポッターと賢者の石』の予告を見ました。 あのときは、ずいぶん先のように思えたものですが、 とうとう封を切られてしまいましたね。 (というか、東京国際映画祭あたりで既に上映されていた?)
ということで、公開を記念して、コロンバス監督作品を。
アンドリューNDR114 Bicentennial Man 1999年アメリカ クリス・コロンバス監督
アイザック・アシモフの「バイセンテニアル・マン」を原案とした、 ある一家とアンドロイド“アンドリュー”(ロビン・ウィリアムズ)との 200年にわたる交流を描いたエンターティンメントでしたが、 ヒューマノイド・ロボットの開発が進められている現在、 考えさせられる部分も多い作品でした。
近未来。マーティン家の主人(サム・ニール)は、 時流に乗ってアンドロイドを購入し、自慢げに家族に紹介します。 家事用のロボットとして買ったものでしたが、 次女“リトル・ミス”ことアマンダが、アンドロイドと発音できず、 “アンドリュー”と呼んだのがそのまま名前になり、 “アンドリュー”ことNDR114ロボットと“リトル・ミス”は 大の仲良しになりました。
長女グレースが、アンドリューに変な命令をしたことで、 “生命の危機”にさらされるという事件をきっかけに、 主人はアンドリューを人間として扱うと宣言するのですが…
チャチだということではなくて、 いろいろな意味で人間臭いアンドリューを見ていると、 「変なかぶりものをした、ちょっと融通の利かないだけの好人物」 に思えてきてしまうのですが、 考えてみれば、主人たる人間の言うことに絶対服従のロボットが、 自分の考えを持ったり、 独創性を持って芸術作品を作り出したりするのって、 ある種の欠陥なんですよね。
人間(リトル・ミスの孫ポーシャ。エンベス・ダビドスがきれいです)に 恋をして苦悩し、少しでも人間に近づこうとしては非難され、 それでもくじけずに信念を通すアンドリューにとっての幸せって 何だったのでしょうか? 「One is glad to be of service」(お役に立てれば幸いです) が口癖の彼の、200年にわたる幸せ探しを、 131分間のダイジェストで見せてもらえるという気持ちで ごらんになってはいかがでしょうか。
2001年12月01日(土) |
ピーターズ・フレンズ |
12月1日は、1988年に制定された世界エイズデーです。 …で、この映画を取り上げるのは、 はっきり言ってネタばれもいいところなのですが、 いい作品だと思うので、敢えて御紹介させていただきます。
ピーターズ・フレンズ Peter's Friends 1992年イギリス ケネス・ブラナー監督
大学時代の気の合った仲間が、 父親から爵位と土地を相続し、 家政婦(フィリーダ・ロウ)に小言を言われながら 気ままな暮らしをしているピーター(スティーブ・フライ)の屋敷に招かれ、 10年ぶりに顔を合わせましす。
映画関係の仕事をしていて、 人気女優と結婚したばかりに、 どこに行っても悪目立ちすることにうんざりのアンドルー(K.ブラナー)、 昔からピーターを慕っていたマギー(エマ・トンプソン)、 夫婦でCMのジングルを作曲する仕事をしているロジャーとメアリ、 奔放で、一時はアンドルーと婚約もしていたサラーなど、 懐かしい顔が集まります。
みんなそれぞれ大なり小なりの悩みを抱えていて、 相変わらずみんなに好かれるピーターだけがただ変わりなく…と思いきや、 実はピーターがみんなを呼び集めたのには、訳があったのでした。
よくある群像劇と言い切ってしまえばそれまでなのですが、 イギリス映画ファンなら「おっ」と反応せずにいられない豪華キャスト、 恋せずにいられないサラを、 アンドルーが“ロマンス中毒”と評するようなところ、 「大人なんて、金を持っている子供にすぎない」 というピーターのせりふなどなど、 印象に残る部分がたくさんありました。 オープニングで使われるティアーズ・フォー・フィアーズの “Everybody wants to rule the world”を初め、 音楽の使い方も、ある世代以上には感涙ものでしょう。
さて、この映画とエイズ(HIV)の関係は何でしょうか? それだけは、言わないでおきます。 ただ、一言だけ申し上げさせていただければ、 意外と忘れがちなことですが、 「HIVポジティブ」と「エイズ患者」は違うそうです。 そういえば…そうですね。
参考までに、家政婦役を好演したフィリーダ・ロウは、 エマ・トンプソンの実母だそうです。 彼女とはほかに『ウィンター・ゲスト』でも共演していて、 ロバート・カーライル主演のテレビシリーズ『マクベス巡査』にも、 仕切り屋体質が嫌われるオバサンの役で元気に出演なさっていました。 また、『十二夜』と『恋におちたシェイクスピア』の2本で、 何となーく似た役(侍女)を演じていたイメルダ・スタントンは、 この映画ではCM作曲家ロジャーの妻メアリの役でしたが、 実はこれ、言われるまで気づきませんでした。 侍女の2役で「すてきなおばば様」だと思い込んでいたので、 1956年生まれと意外と若いことがわかったとき、 本当にびっくりしました。 そのかわり、10年後も印象がそう変わらないんだろうなと思います。 それって女優としては損なのか得なのか… すてきなおばば様系女優は個人的に好みなので、 そういう人たちがきちんと使われる映画が もっと増えればいいのになと切に願います。
さて、本日は『パリー・ポッター記念日』?でもありますね。 早速ごらんになった方、 感想を掲示板に書き込んでくださいませんか?待っています。
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