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1986年の7月31日、在リトアニア日本領事代理時代に、 職を賭してユダヤ難民のためにビザを発給し、 後に「日本のシンドラー」などと呼ばれることになる 杉原千畝〈すぎはらちうね〉氏が亡くなりました。享年86歳でした。
氏の偉業を題材にし、1997年短編映画がつくられ、 アカデミー短編賞も受賞しました。 26分と本当に短いのですが、見応えは十分です。 ただ、どこのビデオショップにでもあるという代物では ないかもしれませんが、 興味を持たれた方は探してみてください。
ビザと美徳VISAS AND VIRTUE 1997年 クリス・タシマ監督
俳優陣には日系とおぼしき名前が並んでいますが、 なぜか家族で内々に話すシーンまで英語になっています。 ここのところが少々?ではありましたが、 見て損はないかと。
同じ題材で、加藤剛が杉原氏の役でドラマ化されたことがありました。 「チウネ」が発音できないユダヤ人に、 「センボ、でいい」と気遣いを見せるシーンなどが印象的です。 (おかげで、戦後恩人を、「センボ」の名を手がかりに探した人たちは 非常に苦労したという、微笑ましくさえあるエピソードのおまけつきで)
今日の映画は、「見てなんぼ」だと思うので、 細かい解説は省かせていただきます。 長い長い大河ロマンがお好きな方も、 たまには良質の短編もいかがですか?
いつものように、記念日関係のサイトをチェックしておりましたら、 7月30日、次のような出来事があったことを知りました。
☆南アフリカ政府が映画『遠い夜明け』の上映を禁止(1988年)
となれば、素直にこれを採用しましょう。 私も感銘を受けた映画の1本です。
遠い夜明けCry Freedom 1987年イギリス サー・リチャード・アッテンボロー監督 (※1993年には“ロード”の称号を授与されています)
R.アッテンボローといえば、 『ガンジー』での大量オスカーゲットの印象も強い名匠ですが、 今でも俳優としても活躍していて、 特に94年製作の『34丁目の奇跡』でのサンタクロース役などは、 結構おなじみではないでしょうか。
『遠い夜明け』に描かれたのは、ずばり、 南アフリカの悪名高き人種隔離政策“アパルトヘイト”です。 デンゼル・ワシントンが、実在の黒人活動家スティーブ・ビコに扮し、 そんな彼に「白人差別主義者だ」とかみついたことで、 少なからず南アの裏の現実を見る機会を得、 友情を育むことになる白人リベラル派記者を、 芸達者のケヴィン・クラインが演じていました。
これはあくまで個人的な感想なんですけど、 このときのクラインが演じたドナルド・ウッズという人物は、 「奇をてらって」そう言ったようにしか見えないタイプの人物でした。 だものですから、見ているこちら側としては、 「ああ、こういうおっさんってよくいるよね。 とりあえずインパクト与えとこ、みたいな」 と、変に親しみのようなものを抱き、 場違いな社会派映画見にきちゃったかな? 腹具合も悪いのに……などという軽い後悔が、 一気に拭えてしまいました。 おかげで、1度もトイレに立つことなく、 じっくりと堪能することができたのでした。 あくまで個人的な感想ですが……。 それにしても、腹具合の悪いときに、 なぜわざわざ映画を見に出たのか、全く思い出せません。
それはさておき。
ワシントンは、この映画あたりから、 「第二のシドニー・ポワチエ」と騒がれ出した覚えがあります。
アパルトヘイト下で、南アに経済的な支援もし、 “名誉白人”などと言われた日本人としては、 見ていて辛い部分も多かったのですが、 サスペンス色を増す終盤まで、見応えは十分です。 良心的な社会派でありながら娯楽性すらあり、 見ておいて損はない1本として、 強く推したいと思います。
1991年、アパルトヘイト関係法は廃止され、 制度上は廃絶されたことになっています。 94年にネルソン・マンデラ氏が正式に大統領に就任したことも、 世界中で好意的に受けとめられたかに見えました。
でも、どうなんでしょうね。 何しろ、そのたった3年前、映画の上映を禁止した国です。 また、人種差別そのものについては、 責められるべきは南アだけではないはず。
映画が究極の高見の見物だからこそ、 無責任に怒ったり、笑ったり、泣いたりできて、 だからこそ私たちは「映画を見る」ということが 好き(少なくとも私は)なわけですが、 社会的問題を描いた映画の“現実”は、 いつも地球上のどこかにあるんですよね……。
根本的解決のために、庶民レベルでは何ができるわけではない。 でも、いつでも、「こういう現実もある」ということを、 心に留めておきたいと思います。
2001年07月29日(日) |
名探偵コナン/世紀末の魔術師 |
1871年の今日7月29日、「怪僧」と呼ばれたロシアの修行僧、 グレゴリー・ラスプーチンが生まれました。 もともとは貧農の出身ながら、 修行で体得した怪しげな「能力」を、 時のロマノフ王朝ニコライ二世の皇后アレクサンドラに特に買われ、 やがては政治的人事にまで力をふるうようになったため、 反ラスプーチン派に暗殺されたということです。
で、今日はこの映画にしました。
名探偵コナン/世紀末の魔術師 1999/日本 こだま兼嗣監督
ロシア・ロマノフ王朝最後のお宝 「インペリアル・イースター・エッグ」、 怪盗キッドの犯行予告、怪しげな人物たち、 謎解きの数々…… 舞台、役者、小道具、ストーリー展開、どれをとっても、 劇場版「名探偵コナン」シリーズの中で、 個人的に最も気に入っている作品です。 (といっても、2001年公開のものは未見なのですが) インペリアル・イースター・エッグの美麗さと、 その裏に隠された心温まるエピソードが、 今でもほのぼのと思い返されます。
この手の話は、どこを切ってもネタばらしになりそうで うっかり言えないのですが、 「1999年なのに、どうして“世紀末”なのか」 と、些事が目についた方には特にお勧めします。 もっとも、98年制作のテレビドラマでも、 この世紀末という言葉は使われていましたけど、 この映画の世紀末は、本当に本当の意味での“世紀末”なのでした。 (さすがにくどいですね……)
いつもながら荒唐無稽と言っちゃえば、 そこでオシマイなお話なのですが、 思い切り楽しもうと思えば、 人がゴロゴロ死ぬことによる後味の悪さは、 見事に払拭されてしまいそう。 今回のメーンも、怪盗キッドからお宝を死守せよ!ということなので、 本当なら無血で事を進めてほしかったのですが、 やっぱり犠牲者は出ました。 そこのところに不満が残るものの、 子供向けアニメにとどめておくのはもったいない おもしろさがあるので、お勧めいたします。
昨日の新聞記事で、 「ハムスターによるアナフィラキシーショックの症例報告」 というのがありました。 ハムスターにかまれることにより激しいアレルギー反応を起こし、 死に至ることもあるという恐ろしいものですが、 アナフィラキシーショックで有名なところでは、 ハチに刺されて……というのもありますね。
そんな悲劇が、映画の中で描かれたこともありました。
マイ・ガール My Girl 1991年アメリカ ハワード・ジーフ監督
1972年、アメリカ・ペンシルベニアの小さな町が舞台です。 主人公ベーダ(アナ・クラムスキー)は、 自分を生んだ2日後に母親が亡き後、 母親がわりに世話をしてくれた祖母も亡くなったので、 葬儀屋の父親ハリー(ダン・エイクロイド)と2人暮らしでした。
葬儀用のメイクをする美容師を募集したところ、 シェリーという魅力的な女性(ジャーミー・リー・カーティス)が 職を求めて訪ねてきました。 キャンパー暮らしで気さくなシェリーは、ベーダともすぐ仲良くなり、 ハリーとは、一緒にビンゴゲームに出かけるなどしているうちに、 ただならぬ関係になります。 (で、それまでシェリーに好意的だったベーダが、 ちょっと反抗的になったりもします)
ベーダは、ビクスターという若い教師に憧れていて、 彼が市民講座で担当している詩の教室に行きたいと思っていました。 それには35ドル必要なのですが、そのお金を調達するために、 ちょいと手癖の悪いことをしたりもしました。
そうまでして出た市民講座で、ベーダはいいところを見せ過ぎようとし、 何となく浮いてしまうのですが……。
ベーダの一番の親友は、 トーマス.J(マコーリー・カルキン)というおとなしくて優しい少年でした。 彼女のビクスター先生への気持ちを知っていますが、 あくまで見守るようにそばにいて、 「先生がもし死んじゃったら結婚してくれる?」 などと、涙ぐましいことまで言います。
ベーダはある日、大切なお守りの指輪をなくしてしまいました。 ベーダ命!のトーマス.Jは、それを森に探しにいって……
考えてみたら、 どの人がアナフィラキシーショックで亡くなるか、 書いてしまったらネタばれなんですね…… (大方の予想はつくと思いますが)
大切な友人を失い(ヤケ起こして、結局ネタばれ)、 傷つきながらも何かをつかんだベーダは、 その後市民講座で発表した詩も好意的に評価されました。
ベーダの一夏の成長を非常に清々しく描いている好編でした。 悲しいエピソードが少々差し挟まれることを除けば、 強いインパクトもない分、不愉快を感じる部分も少なく、 気持ちよく、素直に見られるかと。 テンプテーションズの同タイトルの曲も、効果的に使われています。
この3年後には、ベーダが学校の宿題のレポートで 母親について書くことになり、単身ロサンゼルスに行く 『マイ・ガール2』がつくられました。 ハリーとジュリーのその後やベーダの出生ルーツがわかり、 なかなかおもしろかったので、こちらも併せてお勧めします。 続編の正統派という感じのお話でした。
アナ・クラムスキーの、 ちょっと生意気そうな美少女ぶりは愛らしかったけれど、 虚実ないまぜなんですが、 マコーリー・カルキンを失ったような、 ちょっと苦い気持ちも味わいました。 でも、そんなところもひっくるめてお勧めします。
毎日暑いですが、いかがお過ごしですか? 私は昨日、少しだけ涼しく過ごしました。
何のことはない、一番気温が高くなる時間帯に、 市民プールに行ったのです。 水温は、さながらぬるくなった風呂のようでしたが、 オカに上がって風に吹かれれば、かなり涼しく感じました。
子供向けの浅いプールで、 長女の表現をかりれば、「背中で登り竜飼ってる人」が、 小さな子供を遊ばせていました。 (スチャダラパーの表現をかりれば、「ピクチャーマン」) 気の好さそうなアンちゃんという感じでしたが、 根っから小心者だものですから、 「私、何も見てませんよ〜」という顔をしつつ、 チラチラ横目で見たのですが、 若いのに御立派なものを彫っていらして……
家に帰って相方にその話をしたら、 「タトゥーシールじゃないの?」とのことでしたが、 あんな面積の広いのが、やっぱり今はあるんでしょうか。 具体的にお見せできないのが残念なほど、堂々としたものでした。
といった前振りと今日の映画は、やはり無関係なんですが……
今日7月26日は、映画スターの誕生日ラッシュでもあるのですが、 1934年にお生まれになった森山周一郎さんに注目し、 あの渋過ぎる声で、ちょっと見には珍妙なキャラクターに生命を吹き込んだ、 次の映画を取り上げたいと思います。
紅の豚Crimson Pig 1992年日本 宮崎駿監督
この映画ほど予告編に騙された!と思う人の多い宮崎作品は、 ほかにないのではないでしょうか? この映画に関しては、男女同時に見ると、 男性の方が思い入れを強くする場合が多いようですが、 私どもの場合も、相方の方が心酔したようです。 私はといえば、「こういうのもいいじゃん」という感じでした。 というのも、あの予告編……何しろ森山さんがあの刑事コジャック声で、 「飛ばねぇ豚はただの豚だ」ですよ。 ところが、本編でこの台詞が使われた後、彼が受けた扱いはというと…… それは、ごらんになった方だけの楽しみということで。 (この映画が気に入らなかった方は、 そういうところがダメとおっしゃるかもしれないけれど)
「彼がポルコ(豚)じゃなくて、ただのマルコというおっさんだったら?」 と考えると、森山さんの声ではしっくり来ない気がします。 時々差し挟まれるのが、本当に青年期(人間当時)の彼の顔なので、 この顔なら平田広明さんが似合うのでは、と、 (『ER』のノアー・ワイリー、『フレンズ』のマット・ルブランク、 『ONE PIECE』のサンジなど) 若目の声を連想してしまったせいもありますが。
この映画には、明確なストーリーって存在したでしょうか? 1920年代のシチリアで、 飛行艇乗りにも空賊と賞金稼ぎといて、 多分、そのうちムッソリーニみたいなおっさんが 出てくるんだなあという空気で、 美女ジーナ、かわいいフィオと、訳ありそうなおっさんたち、 元気で働き者のおばちゃんたち。 昔気質のポルコは、「女に自分の飛行艇を任せるなんて」と 最初は抵抗を示しますが、 働き者のまぶしい彼女たち(老若問わず)の前では、 ゆりかごを揺らすくらいししか、することがなくなる始末です。
イタリアと「縁がないわけではない」アメリカの助っ人は、 恋に破れると、国に帰って映画で一山当てるというおまけつき。 (あの人、絶対アメリカ第40代大統領になった例の人ですよね?)
映画の中で、マダム・ジーナが、この人↑に迫られ、 「ここでは恋も人生も、あなたのお国より少し複雑なの」 とあしらうシーンがありましたが、 口説き好きとしか思えないようなこのおっさんの方が、 (カーティスですね。今思い出しました) 私たちが共同幻想で持っているようなイタリア人像よりも、 ずーっとイタリア人っぽかったのが笑えました。
この映画は「説明不足」だと感じる人も多いのではないでしょうか。 何よりも、「いかにしてマルコはポルコになったのか」が さっぱりわかりません。 いや、それ以前に、「なぜポルコなのか」も。 が、全体を通して見ると、ジーナが自分を残して他界した男たちの消息を、 ごくごくさりげなく言うシーンですら「くどいなあ」と感じるくらい、 大抵のことが、「ま、いいか。細かいことは」と済ませたい気分にさせられました。 (そうは思わない!という方のメールをお待ちしております。 今こうして書く時点では、私の感想しか書けませんので…)
カーティスとの一騎討ちが、ああいう結末を迎えるのも、 何だか間抜けな憎めない感じがして私は好きです。 とりあえず、「フィオ、よかったね」とだけ言いたくなりました。
ところで、ちょっと漏れ聞いたのですが、 この映画のフランス語吹替版でポルコ・ロッソを演じたのは、 あのジャン・レノだそうですね。 考えてみれば、あの人はもともとイタリア系です。 『グラン・ブルー(グレート・ブルー)』『ロザンナのために』の彼が いわゆるベタなイタリア男のイメージに近いけれど、 この映画の吹替えというキャリアの前には、 やっぱり「『レオン』の」がふさわしいでしょうか。
この映画を取り上げようと決めたのはいいけれど、 何せ地上波でも、しかもノーカットで何度も放映されていますし、 見た人は多いだろうな……と思うと、 何となくぎこちなくなってしまいました。 (思い入れのある方も、かなりいらっしゃるのではないでしょうか) 未見でいらいらした方(昨日からこればかり)、 この機会にごらんになってみては? 特に、ダンディズムとコメディーを同時に愛する方にお勧めします。
2001年07月22日(日) |
ドクター・ドリトル2 |
ドクター・ドリトル2 Dr.Dolittle2 スティーブ・カー監督
前作と違い、ドリトル先生が動物と話せることが前提となった今回は、 のっけから動物がしゃべる、しゃべる! これだけで、少し疲れてしまいました。
医者としての仕事の傍ら、 世界中の動物のカウンセリングにも大忙しのドリトルのところに、 アライグマを介して、森のゴッド・ビーバーからのSOSが入りました。 (ビーバーとの出会いのシーンで、ゴッドファザー風の曲!) 悪徳業者による森林伐採をやめさせてほしいという依頼です。
ドリトルは、弁護士である妻リサや、動物の専門家に相談し、 その森に1頭しか確認されていないウェスタン・パシフィックという熊を 保護するという名目なら、 森の伐採を遅らせる(中止も視野)命令を裁判所からとれると、 同じ種類の熊で、サーカス団のアイドル、アーチー(♂)と、 森にたった1頭のエバ(♀)をカップリングさせるため、 すっかり野生を抜かれたアーチーを野生に戻すために奮闘します。 (このトレーニング時の曲、 時に『ロッキー3』のテーマ曲風←イントロだけだったかな)
努力の甲斐あって、アーチーとエバはいいムードになりますが、 悪徳業者の陰謀により、 アーチーは人里に降りて人家を荒らす危ない熊に仕立てられ、 メキシコのサーカス団に再び売られそうになります。 でも、業者の陰謀を実証する証人は、森のイタチ1匹だけです。 イタチを証言台に引きずり出そうにも、裁判長はふざけるなと怒り、 取りあってもらえません。
そこで、アーチーを、ひいては森を救うために、 ドリトルの呼びかけに応え、まさに世界中の動物たちが立ち上がりました。 (この辺の描写が、なかなかユーモラスです)
軸となる話から少し逸れると、 ドリトル家の長女シャリースは、16歳の誕生祝いを、 ドリトルと既知の(前作に出ていた?)ドブネズミに邪魔され、 父親のヘンな能力に嫌気がさしていました。 ドリトルを演じているのがエディー・マーフィーで、 妻リサが、ブラック・ビューティーのクリスティン・ウィルソンですから、 この2人から生まれた娘たちも、黒人の美少女です。 かわいくて年頃のシャリースには、ボーイフレンドが当然いますが、 ドリトルは、自分のことを「ドクターD」などとラッパーみたいな呼び方をする、 調子ばかりいいその少年が気に入りません。 その辺のやりとりも笑えます。
こんなふうに、いかにもファミリー向けの映画で、 一体何を考えさせられたかといえば、 「この映画、悪用されないといいけどな」ということです。 何しろ、森林伐採反対!の立場ですから、 これは文句のつけようのないエコロジー重視の思想です。 それ自体はいいでしょう。
でも、これはあくまで個人的な見解なのですが、 「為にする」というか、エコロジーの考え方を敢えて曲げて解釈して、 「これさえやってりゃ、まあよかろう」的な環境保護行動が、 最近、余りにも多い気がするのです。 エコロジーって、そもそも「生態系」のことのはずなのに、 どこかに寄っている「しわ」を完全に無視し、 「環境にやさしい」「地球にやさしい」をお題目のように唱えて売る商品とかね。
ところで、私が時々覗かせていただくサイトがあるのですが、↓ http://www.ne.jp/asahi/doken/home/charoko/index.htm
こちらを運営なさっているのは、 カヤネズミの生態を研究なさっている学者さんです。 私はこういう人を「エコロジスト」と呼ぶべきなんだろうなと思うのですが、 今、ある意味でかなり苦境に立たされているようなのですよね。 「ケナフ」という言葉を聞いたことありませんか? 木にかわる紙の原料として注目されているアレですね。 あの植物に、多少なりとも興味を抱いている方は、 上のURLからジャンプしてみてくださいませ……とだけお勧めしておきます。
この映画が、自然環境を守ろう!と、 社会派バリバリで前面に出しているのではなく、 わかりいいおもしろコメディーであることに非常に不安を覚えました。 大抵の人は、口当たりのいいものが好きなはずです。 映画本来の内容が曲げてとらえられ、 自分たちの活動に有利になるようにだけ扱うような団体が現れないことを ただ祈るばかりです。
では、この辺で……。 人一倍紙を使う仕事をしているので、ちょっと避けて通れない気がして、 社会派を気取ってしまいました(これでもっ)。
2001年07月20日(金) |
ハンバーガーショップが登場する映画 |
今日7月20日は、1971年に東京は銀座・三越に マクドナルド1号店が出店されたことに因む、 「ハンバーガーの日」(1996年制定)だそうです。 そこで、ハンバーガーショップが登場する映画を。 といっても、何しろちょっとでも登場するだけなら数限りないので、 思い返してみて、比較的重要な役割を果たしていた映画を 特に取り上げたいと思います。
『ラヴソング』 1996/香港 Comrades: Almost a Love Story 甜蜜蜜(Tianmimi) ピーター・チャン監督 天津から香港に出てきたレオン・ライが、マギー・チャンと 初めて出会うのが、マクドナルドでした。 マギーは自分と母親の家を買うという目標のため、 バイトを掛け持ちしてお金を稼ぐのですが、その1つがマック。 物慣れた様子で客をさばくマギーに対し、 マック初体験のレオンは、注文をするにしても、 「ハンバー“バー”とコケーコケー(コーラ)」といった調子で、 トレイに敷かれている紙を、 きれいだから便箋にしようと持ち帰ろうとします。 あそこまで素朴だと、いっそかっこいいと思いました。
『ぼくの美しい人だから』1990/アメリカ White Palace ルイス・マンドーキ監督 ユダヤ系エリート青年のジェイムズ・スペイダーは、 「ホワイト・パレス」という仰々しい名のバーガーショップで働く イタリア系の中年女性スーザン・サランドンと出会います。 知り合うきっかけとなったのは、 スペイダーが仲間の分まで大量に買ったハンバーガーが、 包装紙だけで、中身が入っていないことに気づき、 お店にクレームをつけたことでした。
『アメリカン・ビューティー 』1999/アメリカ American Beauty サム・メンデス監督 広告代理店をくびになったケヴィン・スペイシーが、 気楽にバイトを始めたのが、バーガーショップでした。 妻アネット・ベニングの浮気を知り、 不気味な笑顔で応対するドライブスルーのシーンは、 しばしばテレビ等の映画紹介でも使われていました。
『リアリティ・バイツ 』1994/アメリカ Reality Bites ベン・スティラー監督 仕事をくびになった(このパターン、多いなあ)ウィノーナ・ライダーが、 とにかく収入源を得ようと、バーガーショップの面接を受けますが、 計算が苦手なのでボツになったようです。 大学の卒業生総代を務めるような秀才でも、 計算は苦手……という人が多い国なんだなあと、 勝手に納得しました。
『八月のクリスマス 』1998/韓国 Palwol Ui Christmas ホ・ジノ監督 具体的に店舗は出てこなかったのですが、 シム・ウナ演じる交通巡視員とその先輩が ランチをとろうとお店に入っても、 彼女たちの制服を見た客が取り締まりと勘違いしてみんな出ていってしまうので、 「営業妨害だ」と店から言いがかりをつけられ、 行き着いたところがマクドナルドのテイクアウト……というような、 ちょっとかわいそうなシーンがありました。 でもそんなとき、シム・ウナは買い物帰りのハン・ソッキュに出会い、 「春雨炒めつくれる?「ああ、うまいもんだよ」と言葉を交わす、 そんな微笑ましい展開になるのですが。
明日公開の『千と千尋の神隠し』に因み、今日も宮崎アニメを。 でもって、ヤケ気味なのですが、これもまた高畑勲監督作です。
パンダ・コパンダ 1972年日本 高畑勲監督
宮崎駿さんが原案を書いた、いわば「日本版長靴下のピッピ」です。 ところで、ピッピのお話は御存じですよね? スウェーデンの児童文学者リンドグレーンが書いた、 Mr.ニールセンという猿と、馬とともに暮らす、 「世界一強い女の子」の物語です。
『パンダ…』の主人公・ミミコは、もともとはおばあちゃんと2人暮らしですが、 おばあちゃんが長く留守をすることになり、 竹藪のそばの小さな家でのしばしの独り暮らしが始まろうとしていた矢先、 ひょんなことから、パンダ父子と一緒に暮らすことになります。 この父子はサーカス団から逃げてきたのですが、 「ミミコもいない、竹藪もない」サーカスに戻るのは嫌だと言って、 戻ることを断固拒否します。 ミミコとて、すっかり打ち解けた2頭(というより2人)を、 易々と引き渡す気はありません。
今見ると稚拙極まりないものの、 紛れもない宮崎さんデザインのキャラで、 ミミコの吹替えは、「ハイジ」こと杉山佳寿子さんで、 今は亡き山田康夫さんまで、ルパンを彷彿とさせる ルックスのキャラクターの声を担当していました。 つまり、ごっつ70年代の薫りがするアニメでして、 もともとの上映が、ゴジラシリーズとの併映だったそうです。 今や邦画の稼ぎ頭である宮崎ワールドの原点は、 こんなにも素朴でしたよ〜ということを味わう意味でも、 見てみれば楽しめると思います。 そういえば、ミミコの家は、どこか「となりのトトロ」の クサカベさんちを彷彿とさせるものがありました。 しっかりものの少女、間抜けな大人の男、愛すべき老人、 人間以外の動物がしゃべっても、 「そういうもの」として受け入れてしまうような、恐るべき柔軟性…… 80年代以降、大人も見られる映画としての市民権を得た宮崎アニメの、 どこかに出てきたモチーフばかりではありませんか!
ところで、今年の初めに那須のテディベアミュージアムに行ったら、 売店でこの「パンダ・コパンダ」のぬいぐるみが少しだけ売られていました。 まあ、クマには違いないけれど、何か違うような……
そうそう、ここのミュージアムには、 (時々ディスプレイの入れ替えはあると思いますが) 映画のワンシーンをクマさんオールスターキャストで 再現したコーナーがあるのですが、 『カラーパープル』でウーピー・ゴールドバーグが演じた セリー役のクマさんが見事でした。 『カラーパープル』を見たことがない我が長女ですら、 一目で彼女だとわかったほどです。 (というか、あのドレッド風のヘアのせいかな)
ただし、映画のタイトルは一々ついていないので、 思い込みの激しい人だけにそう見えるコーナーだったかもしれませんが、 でも、あれは絶対ウーピーだったと思うなあ……
おっ、気づいたら、結局宮崎さんの名前しか出てきませんでしたぞ。
既に試写等でごらんになった方もいらっしゃるかな? もうすぐ『千と千尋の神隠し』が公開になりますね。 個人的には、予告を見る限り、 『もののけ姫』よりは乗れそうな気がします。 (私はあの映画を見て、たっぷり1時間は寝ました。 テレビ・ビデオ等で後々フォローしたけれど、 これを見ることは日本人の義務、とまで おっしゃっていた三輪明宏さんにドツかれそうです。 でも、苦手なものは苦手なので、どうにも…)
だから、本日はこの映画です。
おもひでぽろぽろ Memories of Teardrops 1999年日本 高畑勲監督
製作は宮崎駿氏なので、「宮崎作品」とくくられますが、 心成しか、評判の芳しくなかった「宮崎モノ」は、 みんな高畑さんが監督している気がします。 その上、『平成狸合戦ぽんぽこ』はともかくとして、 私は結構おもしろいと思ったけどなあ…という作品が多いのも、 1つの特徴です。
この映画が公開になったのが1991年で、 映画自体は、主人公タエ子の1966年(子供時代)と 1982年(27歳OL)の時代が 交互に展開されるというつくりでした。
タエ子が住んでいたのは、東京の練馬あたりでしょうか? 「演劇をやっている日大のおにいさん」が登場するので、 江古田とか、「日大芸術学部生」になじみのある町と見ました。 (私のごくごく身内で、 あの学校に5年も通っていた勉強好きが約1名おります)
1966年、小5のタエ子には、流行に敏感な美大生の長姉と、 秀才で宝塚フリークでちょっと性格のきつい次姉がいます。 あとは、タエ子を「ター坊」と呼ぶ無口な父親と、 良妻賢母型の母親(納得いかないところもありますが)、 そして、父方か母方か不明(父方?)のおばあちゃんと、 5人家族です。
おやつのマーブルチョコを食べながら、 ピアノの上にフランス人形が置かれているような部屋で、 テレビで「ひょっこりひょうたん島」を見るタエ子が、 1968年生まれの私から見ても、 そこそこ裕福に育ったということはわかります。 あれで気のいい家政婦さんの1人もいたら、 石坂洋次郎が描いたプチブルの世界でしょう。
タエ子には「田舎」がありません。 夏休み、同級生がこぞって「田舎の親戚」の家に遊びに行く中、 何とか熱海の温泉に連れていってもらうのが関の山で、 長い長い夏休みを、1人でラジオ体操してつぶしたりしていました。
1982年、27歳のOL・タエ子が、長い夏休みをとって行った先は、 長姉の御亭主の本家に当たる山形の農家でした。 タエ子は大張り切りでベニバナ摘みをし、 にこやかに迎えてくれた親戚の人たちとも仲よくなり、 殊に、かなり遠縁に当たるトシオとは、 何か色っぽいものが芽生えそうな気配すらあります。 が、27歳のタエ子は、この山形行に、 「11歳の自分」をも連れてきてしまいました。 折ふしで思い出す11歳当時の記憶が、 (時には人に聞かせるスタイルで) 効果的に顔を覗かせています。
「ここが好きなら、トシオの嫁になってここに住むか?」 本家のおばあちゃんの一言が、タエ子には冷水となって浴びせかかります。 この前振りとして、「田舎は最高!東京は人の住むところじゃない」的な、 タエ子の、「本心なのに、おべっかに聞こえる」台詞が かなり効いていました。 みんなの嫌われ者だった男の子に対して11歳の自分がとっていた、 ある意味残酷な態度を思い出したりして。 「今の私は、あのときの私と同じだ…」
その彼女の葛藤のごときを拭ってくれたのはトシオでした。 あのエンディングが安易だと感じた人も多いようですが、 私は、ああしかしようがなかったろうと思っています。 ついでに言うと、彼女がその後幸せになったかどうかは、 この映画とは全く別の話という気がしました。
1991年というと、まだバブル崩壊の実感もなく、 何となく浮かれていた頃だったと記憶しています。 金銭的に満たされた働く独身女性が、 精神的にも満たされたいと願っての精神活動等を指して、 「自分探し」という言葉が使われ始めた頃でしょうか。 いってしまえば、『おもひでぽろぽろ』は、自分探しの映画でした。
ただ、この映画の設定は、あくまで1982年なんですよね。 要するに、後日談が存分に語れるだけのブランクがありますが、 映画の中では全く触れられていません。 原作となったコミックは読んでいないので、正確なところはわかりませんが、 この辺の処理に、高畑さんの優しさと残酷さの両方が見える気がしました。
「東京でのタエ子の生活の中には、辛口な描写もあったのに、 田舎の人はみんないい人、みたいな表現が安易」 だという趣旨の感想文を、当時読んだことがあります。 でも、そうでしょうか?
タエ子が田舎で歓迎してもらえるのは、話の筋からして自然だし、 平生接していない人には、 「親切」という名の警戒でもって接するのも普通です。 (があがあ悪態をつけるのは、親しい、近しい証拠ですよね) そんな彼女に、「嫁に来るか(プロポーズというよりスカウト)」と 単刀直入に言ったおばあちゃんは、堂々としたものでしたが、 その家の嫁(といっても年配)のフォローなど、イカニモという気がしました。 「こっちに来たって外に働き口はあるし、考えてみても…」
あの辺のくだりを見てどういう感想を持つかで、 見た人のそれまでの境遇が、何となくわかる気がします。 山紫水明という意味ではない「田舎」というのを 多少なりとも知っている人ほど、 見ていて痛かったのではないかと思います。 だから「嫌い」と言う人と、 「うまいとこ突いたなあ」と思う人に分かれる、 それだけの話です。 あるいは、1982年版タエ子のエピソードは一切無視し、 1966年の少女タエ子の生活に、ひたすら郷愁を覚えたりするのも、 (その時代を知らない人間には、新鮮さがあるし) 1つの見識かと思います。
この映画に関して好意的な声って余り聞いたことがないのですが、 丁寧なつくりだし、絶対悪い映画ではないと思います。 無理に感情移入しようと思わなければ、 そこそこ楽しめるのではないでしょうか。 トシオ(吹替えを担当した柳葉敏郎そのもの)のお気に入りだという ハンガリー民謡の使われ方も印象的に残るものでした。
2001年07月13日(金) |
誕生日のにおいのする映画 |
ははは。33歳になりました。 10年前には23だったし、20年前には13歳でした。 そして、30年前の記憶も、何となくあります。 我が福島県の県立磐城高校が甲子園に出場し、 準優勝した年でした。 当時はちょうどいわき市に住んでいたし、 東北勢がいい線いくと必ず出てくる、 「優勝旗は白河関を越えるか?」 の言葉が現実味を帯びた年だったので、 うちの両親を含む大人たちが浮足立っているのを、 子供ながらに感じ取ることができた、あっつい夏でした。
それは、ともかくとして。
何か記念になる映画1本に絞ろうと思うと、 浮かんでくるのは既出のものばかりだったので、 誕生日のにおいのする映画を羅列させていただきます。 最近、このパターン多いのですが。
『すてきな片想い Sixteen Candles』 1984年アメリカ ジョン・ヒューズ監督 主人公サマンサ(モリー・リングウォルド)は、 16歳のバースデイを家族じゅうから忘れられていたけれど、 私も大差ありませんでした。 母から3,000円もらい、2,800円で「ゲルニカ」 ( 戸川純と上野耕路のユニット)のテープを買って、 おつりで(なぜか)ロッ☆リアでアイスクリームを食べました。
『スリーパーズ Sleepers』 1996年アメリカ バリー・レビンソン監督 シェイクス(ジョー・ペリノー、後にジェイソン・パトリック)は、 少年院の中で、多分忘れたくても忘れられないような、 傷跡のような誕生日を迎えました。
『ペギー・スーの結婚 Peggy Sue Got Married』 1986年アメリカ フランシス・F・コッポラ監督 ペギー・スー・ケルチャー(キャスリーン・ターナー)は、 恋人チャーリー・ボデル(ニコラス・ケージ)から、 自分と彼が子供の頃の写真をおさめた ペンダントロケットをもらいました。 ヒューヒューです。
『ライフ・イズ・ビューティフル La Vita e bella』 1998年イタリア ロベルト・ベニーニ監督 主人公グイドの息子ジョズエの5歳の誕生日、 ユダヤ人グイド、ジョズエ、グイドのおじの3人が 強制収容所に連行され、 ユダヤ人でなかった妻ドーラは、 自ら収容所に入ることを希望しました。
『ボーイズ・オン・ザ・サイド Boys on the Side』 1995年アメリカ ハーバート・ロス監督 非常にいい加減で申し訳ないのですが、 ケーキにロウソクを立てる3大ヒロインの画ヅラは すぐ頭に浮かぶのですが、 あれって結局、誰の誕生日なんでしたっけ?
『ガープの世界The World According to Garp』 1982年アメリカ ジョージ・ロイ・ヒル監督
次男ウォルト亡き後、T.S.ガープ(ロビン・ウィリアムズ)と ヘレン(メーリー・ベス・ハート)の間に生まれた女の子には、 偉大なるグランマ(グレン・クローズ)にあやかって、 “ジェニー”という名前がつけられました。 事故で片目が義眼になってしまった長男ダンカンが、 生まれたばかりの妹見たさに パタバタと走ってくるシーンを思い出すと、 それだけで泣けてきます。 (涙腺、だらしないもんですから)
今朝の新聞を読んでいたら、東京では、7月に入ってから今まで、 真夏日(最高気温30℃以上)でなかった日が、 たった1日しかなかったそうですね。 我が福島も、大した事情は変わりません。
そこで、せめて目に涼しい(あるいは寒い)、 寒い寒い北極圏が登場する映画を。
心の地図 Map of the Human Heart 1993年英=カナダ=豪=仏 ビンセント・ウォード監督
北極圏(カナダ)で育ったイヌイットの少年と、 白人とネイティブアメリカンのハーフの少女が、 モントリオールの病院で幼い恋をし、 後に第二次大戦下のイギリスで出会う…というような 美しく静かで、それでいて激しいメロドラマでした。 いまいち知名度が低いのが悔しいので、 ぜひとも探してみてください。 成人してからの男女を演じるのは、 ジェイソン・スコット・リーと、アンヌ・パリローです。
イヌイットの少年が、 文明とは程遠いけれど心豊かな生活をしていたのに対し、 ハーフの少女が、自分が純粋な白人でないことに 過激なほどのコンプレックスを持っているというのが 印象に残りました。 彼女のそのこだわりが、悲恋を招くのですから。
北極圏のきらきら光る氷雪が、自然の過酷さよりも、 ひたすら憧れを誘います。 「あんなところでオーロラを見たい」なんてね。
2001年07月10日(火) |
シューティング・フィッシュ |
シューティング・フィッシュShooting Fish 1997年イギリス ステファン・シュワルツ監督
失読症だけれど、輝く笑顔と口八丁が売りのディラン、 頭はいいけれど、人づきあいが下手なジェズは、 幼少時代を同じ施設で過ごし、 共通の夢……大邸宅をゲットするために、 ジェズがつくった怪しげな発明品を、 ディランが売りさばくという格好で稼いでいました。 はっきり言えば、詐欺師コンビです。 オープニングから、超高性能音声認識コンピュータの売り込みが 笑わせてくれます。
ディランを演じたのは、『バードケージ』でR.ウィリアムズの息子役を ニコヤカに演じていたたれ目ハンサムのダン・ファターマン、 ジェズ役が、海砂利水魚(くりいむしちゅう)の片方か、 OASISのギャラガー兄弟のどっちかかという顔立ちの、 スチュアート・タウンゼントでした。
金持ち(それも悪党)から金品を巻き上げる分には、 何せ「鼠小僧」みたいな義賊も名高い国で生まれ育った者としては、 「もっとやれー」と応援したくなりますが、 この2人、その辺の一般ピープルもだましているのが ちょっと感心しません。 その辺に不満はあるのですが、 なんだかんだ言って、楽しんでしまいました。
タイピングの腕を買われ、 2人の“ビジネス”の秘書的な仕事をこなすために、 バイトに雇われた医大生ジョージーを演じていたのが、 ケート・ベッキンセールでした。 正直、今この人が出ているシャンプーのCMなど見ていると、 「この人、こんなにオカチメンコだったかな」と思ってしまうのですが、 この映画では、ベリーショートが非常に似合う、 何というか硬質の魅力を放っていました。
色気不足のためか、 女性に強いディランにはいまいちアピールしませんが、 カタブツのジェズが彼女にまいってしまい、 ジョージーはジョージーで、 ジェズを「キュート」だと思うようになります。 なかなかナイスなカップルなんです、これが。
2人に騙されて、 詐欺に加担している格好になっているジョージーにも、 実はすごい秘密があるのですが、 それはごらんになってのお楽しみ。 びっくりするようなハッピーエンドなので、 ハッピーエンド支持派にはお勧めします。
“Shooting Fish”とは、(樽の中の)魚を撃つのはチョロい、 転じて、「簡単に騙せる」というような意味ですが、 さほど長くない(100分足らず)映画の中で、 そんな若者のおごりに釘を刺すようなスケッチも、ちゃんとあります。 人生観を変えるほどの作品ではありませんが、 気軽に楽しめるかと思います。
お互いの欠点を、それぞれの美点で補い合うタイプの犯罪コンビだと、 同じくイギリスの『プランケット&マクリーン』なんかもそうでした。 おまけに、ヒロインの美人度も半端ではないし。 ただ、こちらの作品は、ロバート・カーライル!ジョニー・リー・ミラー! そしてリブ・タイラー!という、 まことに絵になりそうな人たちの名前だけに騙されたみたいな気持ちです。 私はちょっと乗れませんでした。 もし、「いい映画じゃない。どこ見てたの?」と異議ありの方がいらしたら、 レビューなどお寄せくださいませ。
2001年07月09日(月) |
ミス・エバーズ・ボーイズ |
ミス・エバーズ・ボーイズ(テレビ) 1997年アメリカ
アルフレ・ウッダード扮する看護婦ユーニス・エバーズが、 1932年から40年間、「タスキギー・スタディー」と呼ばれる 黒人の梅毒治療プログラムに尽力し、 後に議会で「あれは非人道的な人体実験だったのでは?」と 審問される……というシーンから、ドラマは始まりました。 実話がベースになっているということです。
「タスキギー・スタディー」は、議会の指摘どおり、 実は人体実験以外の何者でもないという側面を持っていました。
アラバマ州の医療スタッフがすべて黒人という病院で、 綿花農場で働く黒人などを対象に、 無料の梅毒検査・治療が行われることになり、 若く正義感が強いやる気まんまんのユーニスは、 小学校時代の同級生だったケイレブを含む4人の男性を説得し、 病院に来させるなどして、精力的に仕事をこなします。
その4人の男性は、 ダンスと器楽のグループを結成していて、 コンテスト出場の際、彼女の名をとって、 グループ名を「ミス・エバーズ・ボーイズ」と名乗り、 優勝をかっさらうなど、 公私ともに交流を深めていきます。 殊に、幼なじみだったケイレブとは、 次第に愛し合うようになりました。
4人とも検査の結果、 「梅毒ポジティブ」であることが判明しますが、 ユーニスは、ふとしたことからケイレブだけにそれを打ち明け、 治療すれば絶対によくなるのだと諭すのでした。
が、資金難でプログラムのための 資金援助が打ち切られそうになり、 まずは人件費削減のためと、ユーニスは一たん解雇され、 白人の家のメイドをして時機を待ちます。
しかし、ユーニスが呼び戻されたとき、 医師が彼女に信じられないことを告げました。 「黒人と白人とでは、梅毒の症状に差が見られるか?」 ということを具体的に検証すれば、出資が得られるので、 治療とは名ばかりの「観察」を今後は続けるのみというのです。 一番有効だと言われたペニシリンの投与も、 患者の無知をいいことに、 「副作用が怖い」だのともっともらしいことを言われ、 打ち切られてしまいました。
失望し、他地へ移ろうかと思ったユーニスでしたが、 彼女を頼りにする患者を見捨てることはできません。 個人的に何とかペニシリンを投与され、 軍隊に入れるほどの体になったケイレブは、 戦争から帰ってきたとき、北部で一緒に暮らそうと、 ユーニスにプロポーズするのですが、 彼女はそれすら断腸の思いで断りました。
1時間55分の放送でしたが、 ユーニスにすっかり感情移入して、 悔し涙が出てきました。 「なぜ死にゆく患者たちに治療を施さないでいられたのか」と 詰問する議会。当然、議員たちは皆さん白人だったりします。 同胞たちの酷い扱いに腹を立てながらも、 「黒人地位向上のための犠牲やむなし」と思うことで、 自分を納得させようとする黒人医師、 プログラムがうまく行くかに思えたころやってきた、 気のいい白人の医師は、 NYのショークラブ「コットンクラブ」に行ったことがあると話し、 黒人患者の羨望の眼差しを集めますが、 「コットンクラブ」では、黒人は舞台に立てるだけで、 客席には座れないのでした…。 ミス・エバーズ・ボーイズの1人ウィリーが、 コットンクラブのステージに立てるかな?と言ったとき、 ユーニスは、 「私は舞台に椅子を置いてあなたを見るわ」と返しました。
映画で「重要な役を黒人俳優に演じさせると当たる」という説は、 まだあるのでしょうか。 そういえば、『ペリカン文書』のデンゼル・ワシントンの役も、 『ショーシャンクの空に』のモーガン・フリーマンの役も、 原作では黒人ではありませんでした。 (本当は『ペリカン文書』の原作は読んでいませんが、だそうですね) 最近は黒人の俳優の層が厚く、 このドラマでケイレブを演じたのも、 『マトリックス』でも注目された、 「黒い佐々木主浩(マリナーズ)」という風情の ローレンス・フィッシュバーンでした。 そもそもこのドラマは、黒人の魅力的な俳優を使わないことには 成立しないものではあるので、 重要な役云々というのも、ここで語るべき問題ではないのですが、 差別的なにおいがぷんぷんとする説で、ずっとひっかかっています。
肌身に染みる人種問題を、幸か不幸か私は知りません。 ティーンの魔女が主人公のドラマ『サブリナ』でも、 サブリナの親友ドリーマ(というか、彼女も魔女だけど)は黒人ですが、 殊さら人種問題を強調するシーンを見たことがありませんし、 ほかのドラマでもそうです。 白人と黒人はかくも協調し合えていると誇張している、 という話を聞いたこともあります。 アメリカの「現代」を描いたものを見る上で、 黒人の苦難の歴史と、 理不尽な差別はアホだとわかっている “良識ある”白人の戸惑い、勘違いを、 どこかで意識しながら触れていきたいと思いました。
ユーニスという女性は、 「ヒットラーがいつまでものさばる世の中は続かない」と信じ、 決して自らは国外に逃げようとしなかったという エーリッヒ・ケストナーをどこか思い出させました。 逃げることも、逃げないことも、 それが自分の信念に基づいたものならば、“正義”なんですよね。 と言いつつ、逃げなかった方により感銘を受けてしまうのは、 自分自身がいつも逃げ腰だからかなぁ?
1951年7月8日、 女優のアンジェリカ・ヒューストンが生まれました。 名匠故ジョン・ヒューストンを父に持つ、 何ともエキセントリックで迫力ある美女ですね。 (『アダムス・ファミリー』の母が務まるほどだから) 彼女が演じた役では、 『バッファロー’66』のV.ギャロの母親が最も好きです。 アメフトに入れ揚げていたオバチャンですね。 『女と男の名誉』(85)でいきなりオスカー獲っちゃった頃から、 十分すぎるほどの貫祿があったけれど、 実はまだ若かった……
でも、役はともかく、彼女の出演作で最も好きなのは、 やっぱりこれでしょう。
エバー・アフターEver After 1998年アメリカ アンディ・テナント 監督
誰もが知っているいわゆる サンドリヨン(シンデレラ)の物語を、 豪華キャスト、痛快アクション仕立て、 笑っちゃうような勧善懲悪で 描いたのが、この作品です。
シンデレラ的ヒロイン“ダニエル”を演じたのは、 1999年、「もう『E.T』の子、とは言わせない!」とばかりに、 『エバー……』を含む3本の主演作が日本公開になった ドルー(ドリュー)・バリモアです。 ただ美しくかわいらしいだけでなく、 タフさも要求される役だったので、 小柄ながらしっかした体つきで、 意志の強そうな目をした彼女にはぴったりでした。
シンデレラにタフさ……とな?と思われた方も、 いらっしゃるかもしれませんね。 この映画のダニエルは、舞踏会に行きたいわぁと言いつつ、 めそめそと台所仕事をする女性ではありません。
忘れがち?ですが、シンデレラはもともと城主の娘で、 父ちゃん亡き後、 継母と姉たちにいじめられるという設定でしたが、 この映画では、それがよりはっきりとわかります。 考えてみれば、子供向きの童話本では、 シンデレラが1人でお屋敷の雑事を やらされている印象を受けますが、 ほかにも小間使いは何人もいると考えた方が 常識的ではないでしょうか。
ダニエルは、泥遊び好きなお転婆娘が そのまんま背だけ伸びたような娘で、 彼女を昔からよく知っている お屋敷の気のいい小間使いたちと一緒に、 1日じゅう(楽しそうに)働いています。 「可憐な容姿に似合わない」 と敢えて言いたいような強さがあり、 知恵と教養があり、 (トマス・モアの言葉をさりげなく引用したりする!) 艱難を自分の力で乗り越えてゆく勇気があって、 (要するに、『オズの魔法使い』で カカシくんたちが欲しがったものを、 すべて持っているということです) 王子を体を張って助けることすらあります。
で、継母役のアンジェリカですが、 何しろ後妻とはいえ、新婚生活に水をさされるように 夫が亡くなってしまう上、 その新婚夫が最期に気にかけたのは娘ダニエルのことだけで、 やりきれない気持ちになったのも、一応は理解できます。 (一応初対面のときは、 ダニエルの歓心を買おうという歩み寄りは見られました) 彼女の連れ子は、ダニエルから見ると、 一応美女風で、性格は母そっくりの上の姉と、 ぽっちゃり型で、基本的には性格がいい下の姉。
王子の両親(つまり王と王妃)なんて、 ほとんど夫婦漫才のようなコンビだし、 なぜかあのレオナルド・ダ・ヴィンチが王子のカテキョーだし、 全体にコミカルなこの映画の中で、 アンジェリカは、コミカルな中にも、 なんとも言えない業のようなものをにじませたねちっこい演技で、 それがまた「浮く」というよりは「際立って」いる感じで、 飽きない映画でした。
2001年07月07日(土) |
タイトルが日本語に直訳されている映画 |
1960年7月7日、王様の誕生日だそうです。 と、いきなり切り出しても、「はぁ?」かもしれませんね。 少し前「日本語直訳ロック」で鳴らした、あの「王様」です。 白タイツにTシャツベースのけったいな服、 王冠をかぶり、サルバドール・ダリのようなカールひげを顔に描いて、 まるでトランプのキングのようだというのでついた芸名のようですが、 最近はやはりライブ活動中心なのでしょうか。 私、結構ファンだったのですが。 思えば、“王様”というのは、 “キング”ことエルビス・プレスリーにあやかった、 というのもあったのでしょうかね。
そこで、彼のコンセプトに従い、 タイトルが日本語に直訳されている映画をまとめて御紹介いたします。 古典名作にはそのパターンが結構多いので、 80年代・90年代の作品に絞ってみました。
交渉人 The Negotiator 1998年アメリカ F・ゲイリー・グレイ 監督 ケビン・スペイシーとサミュエル・L.ジャクソンが 知力と体力を使って楽しませてくれるので、 小面倒くさい割に、頭を使わずに楽しめるアクションです。 この映画が遺作となった名バイプレイヤー、 J.T.ウォルシュへの献辞に、 ファンなら涙を誘われるかも。 彼は最後まで、映画の中では愛される男になろうとしなかった、 その潔さには頭が下がります。 本当はどんな人物だったのでしょうね。 意味の通じにくい片仮名羅列のタイトルが主流みたいな昨今、 「ネゴシエーター」ではなく、「交渉人」としたセンスを買いたいです。 (エディー・マーフィーの映画で、その少し前に ズバリ『ネゴシエーター』というタイトルのがあった… という事情もあるかとは思いますが)
カイロの紫のバラ The Purple Rose of Cairo 1985年アメリカ ウディ・アレン監督 映画ファンの夢を美しく描いたロマンチック・コメディーです。 80年代(厳密には82年から?)のアレン映画を見ていると、 必ずミア・ファローが出ていて、 気の弱い女から姐御タイプまで、実にいい感じで演じているのが確認できるので、 90年代に入ってからの2人の一連のスキャンダルが、本当に残念でたまりません。 この映画でのファローは、 ダメ亭主に逆らえない映画好きのウェートレスを好演していました。
存在の耐えられない軽さ The Unbearable Lightness of Being 1989年アメリカ フィリップ・カウフマン監督 チェコの作家ミラン・クンデラの同名小説の映画化 1968年のいわゆる“プラハの春” そして同年8月のソ連によるチェコ侵攻などが描かれています。 劇場で見たとき、隣に座っていたカップルの会話が笑えました。 ♀「なんかぁ、私ドンパチって嫌いだしぃ」 ♂「俺、寝ててわかんない」 おめーら何しに来た! エロチックで美しい映画でした。 特に、ダニエル・ディ・ルイスと「オトナの関係」にある レナ・オリンの妖艶さにはぞくぞくします。
ソフィーの選択 Sophie's Choice 1982年アメリカ アラン・J.バクラ監督 “選択”の内容が余りにも残酷で、 改めてナチスの罪深さについて考えさせられます。 メリル・ストリープの演技には、誰も文句がつけられません…が、 彼女に思いを寄せる青年スティンゴを演じていたのが、 今思うと「アリー・マクビール」シリーズの“ちびクッキー”こと ピーター・マクニコルだったんですよね。
セックスと嘘とビデオテープ Sex, Lies, and Videotape 1989年アメリカ スティーブン・ソダーバーグ監督 さきのアカデミー賞で、 2本の映画で監督賞にノミネートされたソダーバーグが、 20代のときに撮った作品ですが、 実は私、何が言いたいのかがよくわかりませんでした。 80年代の憎まれっ子ジェームズ・スペイダーが、 「意地悪ではないが、変態と思われても仕方ない」男を演じています。 私は、映画キャラとしては、 意地悪よりは変態の方がましだと思います。
気がつけば、90年代の作品は1本だけでした。 「交渉人」のところでも書きましたが、 直訳でなくて、片仮名羅列は非常に多いんですけどね。 それも、原題の文法を無視したようなやつ。 そもそも、原題がまたどうでもいいのが増えてきた気もします。
2001年07月06日(金) |
恋におちたシェイクスピア |
1951年7月6日ジェフリー・ラッシュが生まれました。 そこで、彼が助演男優賞にノミネートされ、 受賞は逸したものの、 映画自体は作品賞・主演&助演女優賞を受賞した 次の作品を御紹介します。
恋におちたシェイクスピア SHAKESPEARE IN LOVE 1998年 ジョン・マデン監督
若き日のウィリアム・シェイクスピアが、 どうにもスランプに陥ってしまい、いいホンが書けない…… するってえと、彼のホン頼みの興行主ラズロは、 資金繰りがうまくいかず、借金取りに追い回される…… その興行主を演じたのが、ラッシュでした。 例えば、比較的公開が近かった『レ・ミゼラブル』の直後に見たら、 混乱してしまうような別人キャラクターでした。 騒がしくて小ずるそうな、でも憎めない、という。 そして、そのずっこけぐあいが、 この映画にはまたぴったりなのです。
一応、古典悲劇の傑作「ロミオ&ジュリエット」の 誕生秘話という仕立ての、このフィクションで、 ウィル・シェイクスピア役はジョゼフ・ファインズ。 既に名をなしていたレイフ・ファインズの弟で、 (↑『シンドラーのリスト』『クイズ・ショウ』など) レイフによると、「ファインズ家のきょうだいは、 下にいくほど顔がいい」のだそうですが、 実際はレイフの方が無難な二枚目だと思います。
若きウィルは芸術家らしく、 インスピレーションが得られないことに苦悩しているのかと思いきや、 結構俗なことを、当時の精神分析医みたいな人に 打ち明けているのが笑えました。 (この映画自体が、実在したとされる人物も出てくるものの、 大いなるフィクションですので、 時代考証などは、あんまり考えないで見た方がいいようです)
シェイクスピアが活動していた時代ですから いわゆるエリザベス朝ですが、 エリザベス女王役が、助演女優賞を受賞したジュディ・デンチでした。 同年のアカデミー賞合戦でともに話題になった 『エリザベス』を併せて見ると、興味深いかと思います。
「書けない病」のウィルにひらめきを与えたのは、 芝居に出たい一心で男装までした(女性は舞台に立てなかったのですね…) 貴族の姫君ヴァイオラ(グウィネス・パルトロウ)との恋でした。 ヴァイオラは、以前からウィルの評判を知っており、 密かに思いを寄せていたのですが、 ウィルの方は、まさに一目惚れでした。 実は、間もなく金持ちの男に嫁ぎ、 新大陸へと行くことになっているヴァイオラでしたが、 そんな彼女の逢瀬に協力的な侍女を演じていた イメルダ・スタントンにも御注目いただきたいと思います。
私はこの映画を人に勧めるときに、 必ず抱き合わせで『十二夜』(1996)も勧めるのですが、 イメルダ・スタントンは、 この映画でも貴族の令嬢の侍女を演じています。 2本を一遍に見ると、 必ずしも偶然だったとは思えないほどのはまり役です。 (一部で不評らしい)『恋に…』ラストを見れば、 なぜ『十二夜』なのか、どうしてスタントンなのか、 わかっていただけるんでは……と思います。 だから、『恋に…』未見の方は、『十二夜』を先に見た方が、 より理解がスムーズではないかと思います。 ただし、あのラストの処理が気に入るかどうかは、また別の話ですが。
スタントンだけではなく、この映画には味な脇役が多数登場します。 借金取りの1人で実は芝居好きという男の役を、 『フル・モンティ』『ラッシュアワー』のトム・ウィルキンソン、 ウィルの先輩格の作家役でルパート・エヴァレット、 グウィネスの婚約者がコリン・ファース、 男装したグウィネスに主役をとられてクサってしまうものの、 最後にはいい芝居にするため脇で頑張る“花形役者”が、 ベン・アフレックでした。
実は、この映画を初めて見た直後、 これは非常に傑作だと思ったのにもかかわらず、 何日かすると、 「運命の出会いだけに頼った恋愛って安っぽいなあ」と、 なぜか毒づきたい気分になってしまい、 そのように映画好きの知人に吹聴したりしました。 何と罪なことをしてしまったのでしょう。 それを言ったら、もっとひどい映画はたんまりありますわね。 この映画は、とにかく一見に値すると思います。
今日7月5日は、私たち夫婦の11回目の結婚記念日です。 披露宴も挙式もなしで、 時間休をとって婚姻届を市民課に出しに行っただけという、 これ以上ないほどの地味婚でした。 そういえば、11年前も木曜日だったなあ。
そして、今日御紹介する映画の夫婦は、 結婚16年目だそうです。
結婚記念日 SCENES FROM A MALL 1991年アメリカ ポール・マザースキー監督
弁護士のニックと精神分析医のデビーは、 子供にも恵まれ、人もうらやむような仲良し夫婦ですが、 実はお互いに浮気の古傷あり。 それをよりによって結婚記念日に 2人で買い物に行ったショッピングモールで告白し合うから、 もう大混乱……というような、いわば他愛もないコメディーでした。
90分足らずの短さで、舞台はほとんどショッピングモール内で、 正直、こんなんで映画になるのか?と思うような設定ではありますが、 何しろニック役を、この映画に限っては俳優に徹したウディ・アレン、 デビーはエンタティナーのベット・ミドラーという、 ユダヤ系大物スターがタッグを組んだ格好となりました。 いや、タッグを組んだわけではなくて、 モールを舞台にしたガチンコ勝負を展開したというべきでしょうか。
大きなショッピングモールに行くと、何だかわくわくしませんか? 私は根っから田舎者のせいか、 テナントがいっぱい入っているような建物に足を踏み入れると、 とにかくなんだかんだ見て歩くのが楽しくて、 必要なものを買って、アイスクリームの1つも食べれば、 「ああ、楽しかった」という気分をいつでも味わえます。
5年くらい前、故・伊丹十三氏は、愛妻・宮本信子主演の 『スーパーの女』を撮りましたが、 あの映画、実は夫が会社から「仕事の参考に見に行くように」と言われ、 しぶしぶ私もつき合って見にいきました。 でまあ、これも、もっとおもしろくしようと思えばできたろうに、 どうしてああもベタベタな演出をするんだろうと思ってしまい、 決して満足のいく映画ではなかったのですが、 商品があふれ返るシーンでは、自然とわくわくしました。 (夕方のローカル情報番組にありがちな、 「値切ります」コーナー見てもわくわくしますが)
アメリカは、日本以上に消費大国というイメージがあります。 満艦飾の商品パッケージや生鮮品に心をおどらせてしまうなんて、 エコロジーの発想からいくと、かなり罰当たりなのでしょうが、 結婚記念日にモールという生活くさいところにに出かけた仲良し夫婦が、 よりによってそこでけんかおっぱじめてしまう。 ついでに、「何だったのさ」と言いたくなるような仲直り…… くだらないけど、なんだかそういうのっていいなあと思えるのは、 危ない橋を渡りながらも、 何とか11年目を迎えることができたからかもしれません。
そして、この映画を表現するときに、「夫婦の機微」などという インテリくさい言葉を使ってはいけないのです。 夫婦なんて、そんなカッコイイもんじゃないですよ。 (本当にカッコイイと思っている人がいるかどうかも疑問ですが)
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