兎に角日記
三日に一度は兎に角と書いてしまう。

2005年03月31日(木) 最終日 / 宴会で腹を壊す

学校勤務最終日でした。名目上はもう離任したことになっているので(離任式をしてもらったので)今日の、職員たちの離任式に参加することもありませんでしたから、終わりという気分はあまり無かったのですが。

部活の活動時間の連絡が上手くいっていなかったらしく、最後の部活で会えたのが4人。しかも午後も来るのかな〜となんとなく送り出したら、ほぼそれが生徒と会って話をする最後になってしまいました。
実際そこのところが結構ショックで、後からあれが最後かと気づいてカナシイ気持ちに。
そういえば、部員にHTMLホームページ作成本を貸したけど、結局戻ってこなかったな。いや、まぁそれはいいとしても。

その後職員室での離任の式の時、退職される給食の配膳職員さんの挨拶を聞いて涙が出た。
ほぼ突然の通達での……リストラといったら言葉が悪いですが、市からの職員の大幅な整理があったことで、13年の勤務を終えることになり、第二の家のように慣れ親しんできたのに、明日から何をしたらいいか‥‥と涙ながらに。
後に催された飲み会で、お話ししましたけど……。なんだか、ショックで毎晩眠れない、とやつれた調子で泣いてましたよ。
キャリアとかこれまでの尽力とか、学校への愛着とか、そういうものは市の人事にはきっと関係ないんでしょう。顔の見えない人事でした。

***

結局私たちも、離任される先生方と合わせてあわただしく学校を追い出される形で、こう……なんというか余韻の無いままに送り出された午後。
会費5000円の送別会に出ました。
しかし……離任する先生25名、総勢50名弱の先生方が居るこの学校での飲み会というのは、ほとんど自席に居ることができず、ビール瓶とウーロン茶を持って、回っておしまいというようなもので。
お世話になった先生(その中には自分が中学校の頃に実際習っている先生も居るわけで、担任だって居るわけで)には勿論こちらからお酌に行くし、話しも長引くしで、多分1000円分も食べてない。勿体無い。悔しい。

それもあわただしくかっ込んで、飲み物ばかり飲んでいたところ。
腹を下してしまいましたがな。
帰る間際だったのでセーフですが、バイクで行ったので、帰りの寒さが腹に来ました。

まぁ……でも任期満了で退社(?)ですから、腹の調子は兎も角、すがすがしい終わり方でした。


もう学校にも行かないし生徒にも近い場所で教えたりというのは無くなる、というのは寂しいことですけどね。


では、また明日。



2005年03月30日(水) の、ような。

北海道在住。20代半ば、家族構成は存在感の薄い祖父、自転車屋を営むやさしい父、おっとりした母、どうしょうもうない叔父、自分、年の離れた弟、妹で、福祉施設勤務。女性。
北海道弁(イントネーションはでも沖縄ぽい)を操り、「兵ちゃん」という名前の元走り屋・現交番勤務の熱い男(父親も交番勤務で、熱い)が幼馴染で彼氏。

問題の叔父さんはちょっとズレている50代、メガネにくたびれたスーツに、ちょっと後ろ頭がはげていて無職。最近経営難に陥った居候中の自転車屋を守り立てるべく、つい昨日、「貸し自転車と自転車置き場を経営してはどうか」と線路内に進入し、黒ペンキで、「○○自転車店、自転車置き場貸します」と駅舎に大きく書いてしまった。

問題になって、幼馴染が出てきて怒られて、でものほほんと「叔父さん、しょうがないね」にっこり。とすると幼馴染もしかたねぇな、という顔をする。


……の、ような夢を見た。
幼馴染の男性と、主人公の女性はかなりラブラブしてました。
面白かったので、続きが見たいです。


では、また明日。



2005年03月29日(火) ローレライ / 史上最低のレガッタ

31日までのタダ券を一枚貰ったので、一人で観に行ってきました。「ローレライ」
や、なんていいますか。
「役者はいいのに」「観るんじゃなかった」でした。

ネタバレあらすじ。
戦艦イ507は、ローレライと呼ばれるナゾの敵探査システムを搭載したドイツからの最終兵器として日本に持ち込まれた。艦を任されたのが、特攻に反対する意向から「弱虫」と呼ばれている絹見(役所さん)だった。そして船員たちは寄せ集めのはみ出し者ばかり。
広島に原爆が落とされ、次の原子爆弾投下を阻止することを目的に、彼らはテニアン沖へと潜行する。
そして潜行途中に敵船に発見され、やむなく使用した最終兵器とは、敵艦隊・地形を寸分の狂いも無く表示立体化させる、現システムよりはるかに性能の高い「Nシステム」というものだった。しかしその実体は。
水を媒介にした精神感応能力を持つ一人の少女を媒介にした、人体兵器だったのだ。


前情報なしで行ったので、期待していたのは、もうちょっと、こう…ギリギリの圧迫感というか。
水圧にきしむ船体、ギリギリでかわす魚雷、狭い船内の息苦しさ、破損部から漏れ出す水との格闘・閉まる防水壁に滑り込めるか! そして終戦迫る日本の状況を知らず、孤立する一機の潜水艦に残された乗員達の人間模様! みたいな。
いや…それは一応あったんですけど。

なんちゅーか、SF(ファンタジー?)だったんだー…へー…。みたいな。

原作を読んでいないのでなんともいえませんが、映画よりは漫画向けだったと思います。
フジテレビと東映が合作したそうで、出てきた俳優さんは、いつものメンバー。
役所さん以外にもいい役者さんは出ていて、国村準さんとか、キレた演技がうまい堤真一さんとか。
ウォーターボーイズから流れて、妻夫木くんと佐藤君。ヤナギバさんも泣かせどころで出てきた。重要な役どころなのに、現代風が抜けきらない妻夫木くんと、そうそう重要な役どころじゃないのに、最後に向けていっぱい出させられて、ひいきされてしまってむしろかわいそうな佐藤君。

CGはいまいち。別々に見ればかなりいいんだろうけど、合成のところで何か間違ってる。
ストーリーは多分、自分と同じ期待をして観に来たらしい人にはガックリだ。初老の男性がいたが、さぞかし驚いていたことだろう。


…タダで観たのにここまで言うのもどうか…。でも、これでも手加減したつもりですすみません。

***

「史上最低のレガッタ」を読みました。私がスポ根漫画(そしてソレを取り巻く人間模様)にハマったきっかけともいえる塀内夏子さんが最近書かれた、青年漫画全3巻ですな。
最近マラソン漫画「ROAD」でやっぱり感動させていただいてましたが、更にマイナーなスポーツ「レガッタ」で来るとはお流石でございます。
レガッタといえばラグビーで有名な早慶戦ですけど、王道には走りませんよ。舞台は少年院。

あらすじ。

さまざまな問題を抱えた少年たちが、寄せ集められてきた山間の施設では、9人一チームになり、レガッタをこぐ。スタートから1500メートル離れた水門が開いているうちに潜り抜けることができれば、罪状を問わず社会に出ることができる。
ただし、水門があいている時間はスタートの合図からたった6分間。日本記録とほぼ同じスピードでこぐことができなければ、脱出は不可能である。


まず、「あいているうちに通り抜けられたら社会に」っていうところが漫画だっと言うのは分かってるんですが、そこは兎も角、まずバラバラだった9人がレガッタに乗ろう、漕ごうという風にまとまるまでがドラマ。
神経性の万引き常習、子供虐待などなど、一人一人に過去があって、それをサイドストーリーとしながら、自分と自分がしたことを見つめなおし社会にもう一度出て行こうとする勇気が今。みたいな。
施設には、レガッタに乗ることをあきらめてしまう少年たちも居るし、記録が6秒に近づくほどに、臆病になってしまう子もいる。

なんていうか、「ROAD」も落ちこぼれたチームが努力によって羽ばたく様を、一人一人のストーリーを追いながらつづっていく、というものだったので、つくりはまるきり一緒なんですが、塀内さんは「できない子」を描くのが凄く上手く、彼等がまっすぐ前を見詰めたときの視線とか、ところどころにある独白の台詞がたまらなく心に響く。
狙ってるのかもしれないが、狙い撃ちされている読者がここに。

最近三国志をあの絵柄で描かれているのを本屋で見つけましたが、塀内さん独特のキャラクターで描かれていましたね。賛否両論色々あるみたいです。



ちなみに今年のレガッタ早慶戦は4月17日テレ東で放映される模様。

早慶レガッタ公式サイト

私もその年毎に、運が良ければ観てますが、レースを放映するだけではなく、チームメイトたちのドラマが観られるので、そこがいいですよ。
コックスの人が激痩せしていく様とか‥‥キャプテンがプレッシャーと戦う様とか、レギュラー争いとか‥‥見所たっぷり。

是非。

では、また明日。



2005年03月25日(金) 終了式・離任式

終了式でしたね。一年間が(生徒にとっては)終了です。
後は部活を見守ったり、備品集めしたり、こまごましたことを終えればおしまいです。むしろやることがないので、丸一日勤務などしても仕方ないので、これから3月31日までは、半日勤務も多くなります。ま、自分で決められるんですけどね。

終了式と同時に離任式が行われました。
私たち非常勤、もしくは特殊な講師の離任の式です。
てっきり31日にやるもんだと思っていました。
スーツで来ること、壇上でスピーチをすることは連絡されていたのですが、それが25日の式であることを、同僚さんが……はは……っ。
察せ無かった自分も悪いですが、式にカジュアルな服で出ることになってしまいましたよ。……恥しくて、悔やまれます。

スピーチのほうは、壇上に上がる前までに一生懸命考えはしたものの、何を話してるか良く分からなくなってしまいましたね。多分それは、心の準備をしていたとしても変わらないでしょうが、心臓がばっくばく跳ねてました。


それにしても、さまざまな式があるもんです。謝恩の気持ちなんて個人で示せばいいものを。
面倒で、中学生には戻りたくないな。


では、また明日。



2005年03月20日(日) 梅を見に / エターナル・サンシャイン

毎年恒例の、「ものすごい」梅の谷へ行ってきました。

本当に、山の斜面一面に白梅が咲き乱れ、絶好の梅見スポットです。
初めて訪れたのはもう10年以上も前になりますが、それ以来、徐々に観光客も増え、谷を一望に見下ろせる秘密の崖っぷちへとたどる獣道も、人の足でくっきりと小道が付くようになってしまいました。
私たちもその、増えた観光客の一部ながら、ちょっと物寂しい思いです。

以前はじっと座って一年のことやこれからの事など、友人と二人、長話できた岩場も、ひっきりなしに人がくるので、もう無理です。
それでも懐かしみなど持ちつつ、その場を去りました。8分咲きといったところでしたでしょうか。満開になると、本当に一面真っ白になります。

その後、久しぶりにコース料理を食べに行き、ゆっくりとした午後を優雅に過ごし、映画にでも行きますかという話になり。

観にいったのが、「エターナル・サンシャイン」という映画でした。
ジム・キャリー主演。
友人の薦めによると「好きだから、相手の記憶を消す」という恋愛ものだそうで、記憶を消してしまうっていうのは切なそうでいいなぁと思い、恋愛物は苦手ながら珍しく観にいったのですが……。

うー……ん。ちょっと期待はずれかな。
始まりのシーンと終わりのシーンとのつながりが、序盤からでは予想できず、細切れで進む時間の流れが過去のものか現在のものか、凄く頭を悩ませながら観ていました。
単館映画系でしたねぇ。特に映画館で観なくても良かったかもしれない。映画館でなければ観られないかもしれませんが。

見終わったあとに、ふと、そういえばそろそろ高崎映画祭の季節だなぁと思い出し、もし私も春休みがもらえるものならば、ちょっと遠いけれども数年ぶりに行きたいなと思いました。
高崎映画祭公式HP
マイナーなのからメジャーなものまで、1日五本ずつほど上映してくれます。
3/26-4/10 買うなら期間中通しチケットが良いと思います。全作品を見ても12000円ですたい。まぁ、実際は上映時間が被ったりするので、それは少し難しいですが。

では、また明日。




2005年03月14日(月) ありがとうのチョコを貰った

生まれて初めて、なんとうか、無償のチョコを貰いました。
ELTの先生からだったのですが、きれいに包装されていた上、全員の先生に揚げたというわけでも無さそうなので、多分、ツールの話をしているうちに盛り上がって、いろいろ会話していたのが原因なのでしょうが、ちょっと嬉しかった。

「ありがとう」っていう気持ちで、普通にチョコをいただいたのは初めて。

嬉しかったので、エキサイト翻訳を使って御礼の手紙をしたためましたが、ちゃんと相手に伝えたい事が伝わったのかどうかは、ナゾ。


お返しに、はるか昔に買った、「ただマイヨジョーヌのためでなく」というアームストロングの本が家にあったはずなので、中古であげようかと(失礼かもしれないが、気にしない人のようなのでいいかと)探してみたけれど、どこにも見当たりませんでした。残念。

では、また明日。




2005年03月13日(日) 半分仮病のような

半分は仮病のような、半分は本気で具合が悪いような状態で、寝ては起き、おきては寝て、ゆっくりと過ごしました。
実家に戻ってきて数週間は経ちましたが、日曜にこんなにゆっくりしているのは久しぶりですね〜。
一応、ゲームなんかもしてみるか、と電源は入れてみましたが、30分もしないうちにさすがに起きていられなくなって、ぐったりと布団にダウン。
ダメでした。


実家にいるからといって、誰かが世話をしてくれたりするわけでもなく。
それでも人の気配がするのはいいもので。
うとうとしているうちに日が暮れて、やっぱりちょっと1日損した。という気分になりました。

では、また明日。



2005年03月12日(土) 寝てた。

微熱かなと思っていたけれども、結局38度以上になってしまい、潔く医者に行きました。
案の定インフルエンザの検査をされましたが、陰性だったので仕事を休む事は無くて済みそうです。

あれですね、インフルエンザの時期に風邪を引くなんて、ここ数年来だったんですが、一昔前とは検査の方法が全然違うんですね。
以前は注射で血液を採取され、30分以上待たされて結果が出たと思いますが、今は長い綿棒を鼻の奥に突っ込まれて、グリグリと粘膜を取られ、人差し指第二間接くらいの透明容器にそれを突っ込んで反応を見るみたいですね。

夕べは確かに寝つきが良くなく、夜中に何度も目が覚めましたが、食欲はしっかりあったので、大した風邪じゃないと思っていましたし、医者に聞かれたときにもそう答えたら笑われました。
熱を計った後は、ちょっとさすがに具合が悪いような気もしましたけれど、ちゃんと動けましたしね。点滴も薦められましたが、貧乏だし、時間ももったいないし、断って帰ってきました。

あんまり点滴の効果を信じていないんですが、本当は、打ってもらった方が一気に調子が戻るんでしょう……。

では、また明日。



2005年03月11日(金) 風邪続行

夕べのうちに薬を飲んで、兎に角寝たところ、朝になったら一応動ける状態にまで回復していました。
学校生活もあと残り数週間ですし、ここで休むのももったいないわ莫迦らしいわですよね。

昨日の状態が最悪だったので、出勤するなり、「休むと思ってたわー!」といわれたりしましたが、そこでむしろ来て良かった。と思ったり。意地っ張りなところがあります。
勿論、人に移してはいけないので、マスクもがっちりしていきました。
毎週金曜日というのは、ほとんど授業もなく、パソコンメンテナンスが中心なので、体を休める時間も多いからいいかな……と。

でも結局、年度末と言うこともあり、校内のパソコンを全部回収する作業や、備品調査などで1日動き回るばかりでした。ちょっとだけ、大変だったかな……。

教室パソコンは広報委員会の生徒たちが運んできてくれるからいいのですけどね。


この半年、ほとんど日記を書く機会がありませんでしたが、こうやって委員会の名前など書くにつけ、学校に勤めてるんだなぁという実感や、いろいろ細かい事を書いておけばよかったと、しみじみ思います。面白いこと沢山あった…て、こればっかり書いていますが。


帰宅後熱を計ってみると、37度5分までぶりかえしていて。
あー、明日は医者に行かなくちゃと思いながら気を失うように就寝。

では、また明日。



2005年03月10日(木) 風邪だー / 卒業式でした

先週末から風邪だったけれど、ココに来て高熱が。
仕事休めばいいのだけど、同僚が働かないのと、仕事を請け負っている意地で明日も学校へ行ってやる。
(でも半日お休みもらって医者に行くんだ)

***

そんな今日は卒業式でした。
残念ながら式に出席する事はできず、最後の見送りのみ参加しました。
三年生との付き合いは、正直あまり無く、顔と名前の一致する生徒はごく一部だったけれども、見送りの最中には、やっぱり泣きが入りましたね。
ちらっと手を振ってくれる子などいたりすると、もうたまらんです。

今の二年生の方がずっと、授業にも関わっているし部活動などでの付き合いも長いので、もし、来年度の卒業などを見たら、こんなものでは済まないのだろうと、ぼんやりと考えました。
思えば、人生初めての「お見送りする側」の立場となったんですね。今まで引越しや派遣先の変更で、見送られることは多々有れど……。
先生達も、この瞬間がいちばん幸せと言っていたのですが、それも良くわかる気がします。やけに晴れ晴れした気持ち。

結局、式に参加せず何をしていたかというと、来賓接待だったわけで。
久しぶり桜茶など淹れたり飲んだり、桜餅を配ったりと割合忙しい1日でした。
この仕事があったから余計に休めなかったわけです。


では、また明日。



2005年03月01日(火) 引っ越した /ネットに繋がった

もう、半月も前になってしまうけれど、ようやく引越しをしました。
2月の三連休の話。それで今日はもう3月か。早いねぇ。

引越し業者は頼まずに、距離もそう無いこともあって、自力引越しだったので、さすがに体に負担が来た。
まずは持病の腰。それから、なんともいえないだるさ……と思っていたら、どうやら風邪を引いていたらしい。そこは気合で直してしまったけれど(インフルエンザなどでは無かったのが幸い)、今年に入ってからどうも体が弱くなっているようなので、気をつけなくちゃいけないな。
単なる不摂生だというのもあるけれど。

何より実家に引っ越したことで、山のように置いてあった漫画本を、どこにやったら寝る場所ができるのか、というところからの問題だったけれど、翌週も、その翌週も、休みといえば荷物の片付けだったけれど、それもようやく解決したという感じです。
うーん……三段ボックスに換算し、前後に詰めて、15箱位かな。10箱あることは確認したけど、後は、ほかの本棚に詰めてみた。
すぐに読まないなら捨てることも売ることもできるのに、勿体無くて無理。
唯一のコレクションだからなぁ……。特に、古い少女漫画……。美内すずえの短編集とか、結構綺麗なまま残っていて、高階良子とか、柿崎普美とか。読み返していたら時間があっという間に過ぎていく。一巻完結なのにあの面白さは何? ……とと、この話は長くなるから、後にまた。


***

ま、そんなこんなで引越しが終わったあとは、その日のうちにでもインターネットに接続したかった。ネット中毒だから。
家族の分も含めて、ケーブルテレビから家庭内LANで4台のPCをつなぎ、複合機プリンタへの接続、ということになるのだけれど、最近ネットワークにも自信ができてきたし、LAN配線くらいお手のもの〜、なんて意気揚々として取り掛かりました。が。
どういうわけか、二階にある私と姉のWin2000が、ネットワークに入れない。
単純にローカルエリア接続でIPの自動取得をすればいいだけのはず。(ちゃんと、クライアントやプロトコルは確認しましたよ)
ルーターやHUBは経由しているけれど、階下にあるXP同士はちゃんとネット接続もプリンタへの接続もできる。ということは、ルーターに自動IP割り振りの機能が無いはずがないし、と、ローカルエリア接続の速度を見てみれば送信はしているが、どうやら受信はしていない様子。
いろいろ調べてみましたよ。でも、どこにも、WinXPのネットワークに2000が入れないなんて事は書いてない。(WinXPHOMEが○台以上だったとき、XPProが入れない、とかそういうのはありましたけど)
ルーターの電源を一度全部OFFにしてみたり。
分からないながらもがんばってみたのに。
できんかった。

そこで、最後の手段として、私のPCもXPに変えてみたところ。
あっさりと自動取得してくれました。ああ、ほんと、なーんにも弄らないも同じ位に。
理屈は今も分からない。ありえないと思うんだけどな。XPと2000が混在する環境なんていくらでもあるはずだし。

それでもココに詳しく書いておこうと思ったのは、自分がいろいろとネットサーフィンで調べ物をするとき、日記などに、「○○があって困った!」とうい事以外に、修復の方法まで書いてくれていると、すごく助かっていいなというのがあって。
初心者のつぶやきですけど。


今気になってるのは、IME2000と2002の表示がされなくなる事についてかな。
ちゃんと解決方法は見つけて実行したのだけれど、それでは直らなかった。
レジストリまで弄ったんだけどな……。
ちなみに通常の解決方法はこちら
マイクロソフト版
heartsnetさん版

ブログじゃないんで、こういう使い方はいけないのかもしれない、と思いつつ、ビクビクしながらリンクを。

では、また明日。


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