Experiences in UK
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2004年08月31日(火) |
第54-55週(週末・連休編) 2004.8.16-30 リッチモンド、リーズ城 |
8月下旬以降のロンドンは、長袖の上にもう一枚欲しくなる日があるくらい涼しくなってきました。一瞬の夏が通り過ぎるとただちに深まりゆく秋を感じる気候になります。 先週からラスト・サマー・ホリデー(祝日)にかけての夏季休暇には、英国の「秋」を満喫する日帰りの行楽に出かけていました。
(リッチモンド Richmond) リッチモンドは我が家のあるパットニーの隣町です。この小さな町は、テムズ河にかかるリッチモンド・ブリッジ周辺を中心としたお洒落な街並みとテムズ河沿いの美しい風景、ロンドン一の広さを誇るリッチモンド・パーク、世界遺産に登録されたキュー・ガーデン、そして山の手にはお金持ちの豪邸が共存する魅力的な町です。 車でリッチモンド・パーク内を突っ切ってリッチモンド・ゲートを出ると、リッチモンド・ヒルと呼ばれる小高い丘の上に出ます。このリッチモンド・ヒルからテムズ河を見下ろす眺めはロンドン随一といわれ、実際に画家ターナーなどが好んでその風景を描いたそうです。リッチモンド・ヒルは高級住宅街になっており、また三つ星レストランがあることで有名なピーターシャム・ホテルがひっそりと、しかし最高の眺めの場所に門を構えています。 あるガイドブックには、「リッチモンドは英国の本質的な魅力と美しさをそのまま形にしてみせてくれる」と記述されていましたが、必ずしも大袈裟な表現ではないでしょう。
先日、リッチモンド・ヒルを下りたテムズ河畔の遊歩道沿いにあるパブWhite Crossでランチを取っていた時、パブの前の道が車両通行止めになっていました。道路の真ん中に一隻のプレジャーボートがでんと居座っていたためです。テムズ河は干満の変動がかなり大きく、満潮の際にはWhite Cross前の道は完全に水没するのですが、潮が引き始めた時に移動を怠った船が道路に乗り上げたまま残ってしまったようでした。こういう場所にあるパブWhite Crossの店の横手には、階段つきの裏口があり、そこには”Entrance at high tide”(満潮時はこちらから)の表示があります。 リッチモンドの町自慢で忘れることができないのが、キュー・ガーデン沿いにあるお菓子屋さんのMaids of Honorです。店においてあるリーフレットによると約300年前からレシピを守り続けているという名物パイの味は格別です。おいしいお菓子とはこういうものです、といった感じのけれんみのないおいしさは、まさに300年の伝統がなせる技なのでしょう。
ところで、リッチモンドに豪邸が建てられ始めたのは現代に始まったことではありません。テムズ河畔の美しい自然の中の立地条件を求めて数百年前から競うように名士が豪華な邸宅を作っていたそうです。とくに17〜18世紀頃、英国ではイタリア絵画に描かれた理想郷アルカディアにもっとも近い風景を具現した場所としてリッチモンドの人気があがり、現在も残るいくつかの大邸宅が作られました。これらの邸宅は、今では広大な庭が公園になっていたり、お屋敷内を見学できるようになっていたりします。 それら数百年前に建てられた豪邸の代表格がハム・ハウスです。17世紀に作られた立派な邸宅と整然と幾何学模様に造形された美しく広大な庭園は、現在はナショナル・トラストにより管理されています。
(英国の名所・旧跡) 英国の多くの名所・旧跡には、なにかしらすがすがしい雰囲気が流れているように感じます。 今回の休暇中、ハム・ハウスの他にいくつかのナショナル・トラストのプロパティを訪れたのですが、我々はすでに会員になっているため、入場料や駐車場代が無料または割引になります。会員証を提示して会員である旨を告げると、受付の人が必ず”Lovely!”と言って満面の笑みで通してくれるのはなかなか心地よいものです(英国人は男女問わずにlovely=素晴らしい、を連発します)。
また、ナショナル・トラストのプロパティをはじめ大抵の名所・旧跡に入ると、必ず多くのスタッフ(解説要員)がいます。ハム・ハウスにも数多ある部屋ごとに一人ずつスタッフがいて、巨細にかかわらず質問に丁寧に応えてくれ、時には問わず語りで滔々と話を始めてくれます。彼らはたいていかなり高齢の市井のおじいさん、おばあさんなのですが、おそらくさほど高くない対価で(あるいはボランティアで?)自分の大好きな建物や庭園について知っているだけの知識やその良さを訪問者に伝えることを余生の楽しみにしているのでしょう。それはなかなかいい雰囲気のものです。 これは日本の名所・旧跡ではあまり見られない風景だと思うのですが、私が知る限り、実家近くにあって帰省するごとに必ず訪れる司馬遼太郎記念館がよく似た雰囲気です。たしか同記念館は司馬遼太郎記念財団とボランティアたちにより運営されており、司馬さん好きの人々が静かに集うような場所になっています。
(リーズ城 Leeds Castle) イングランド南東部(ケント県、イースト・サセックス県)は、肥沃な土壌と温暖な気候に恵まれていることから「英国の庭園」とも呼ばれる美しい田園風景が広がる地域です。ロンドン南部に住んでいる我々にとっては交通の便がいいこともあって、これまでも何度か訪れていましたが、今回の休みの間も数度にわたって出かけました。イングランドの南海岸であるセブン・シスターズは三回目の訪問になりましたが、白く切り立つ石灰の岸壁と陸地に広がる果てしない田園風景の眺めは何度見ても飽きません。
休みの一日、ケント県の北部に位置するリーズ城に訪れました。リーズ城は起源を遡ると12世紀頃になるとされる英国でもっとも古いお城の一つです。小振りながらも湖に囲まれた気品に満ちた姿をしており、リーズ城のガイドブックによるとある城郭歴史家が「世界で一番見事な城」と絶賛したそうですが、あながち我田引水でもないと思います。 特筆すべきは湖の周囲にさらに広がる途方もない広さの美しい庭園(公園)と自然環境です。湖に流れ込むレン川には様々な水鳥が棲息しており、城のシンボルとされている黒鳥(ブラック・スワン)が水面を優雅に滑っていく様には息をのみました。
さて、このような美しく広大な敷地と古い歴史を持つお城の維持・管理は誰が行っているのでしょうか。リーズ城は、かつてはヘンリー八世をはじめとした王族などが所有していたようですが、近世以降は様々なお金持ちの手に渡りました。 20世紀はじめに最後の個人での所有者となったあるフランス系イギリス人の女性が、城の補修・維持と周囲の自然環境の改善・保全に注力し、現在の美しい姿があるそうです。彼女の没後は、永久所有者として設立されたリーズ城財団が城を含むリーズ城公園の運営をしており、国などからの補助金は一切受けずに観光客やイベントなどからの収益で必要経費を賄っています。立派なものです。
2004年08月30日(月) |
第54-55週 2004.8.16-30 英国人の愛国心2、英国の携帯電話事情 |
(英国人の愛国心2) 前回、PROMSラストナイトに象徴される英国人の愛国心の強さについて、やや興奮気味に書きました。この件について周囲の人に取材してみたところ興味深い話を聞くことができました。 まず、Promsラストナイトにおける国家主義的な熱狂について、あるパキスタン系の英国人(40歳前後、女性)に話したところ、「私はああいうノリは嫌いだ。また、あれが英国人の一般的傾向を示すものとも思わない。」との反応が返ってきました。さらに彼女は「あれは純粋な英国人のなかの一部が盛り上がっているもの。我々(パキスタン系英国人)は、彼らと歴史を共有しているわけでもないから、ああいう盛り上がりにはついて行けない」とも言いました。 また、英国に十年以上滞在している日本人は、英国におけるナショナリズムはここ五年から十年ほどでかなり強くなっていると感じると言っていました。スポーツ・イベントやPROMSなどで今ほどたくさんの旗が打ち振られる傾向が強くなったのは最近のことで、近年ことあるごとにUniteという言葉が使われるようになっているとのことでした。
以下はこれらの話を聞いたうえでの私の推測ですが、表面的な現象としてみられる英国ナショナリズムの高まりには、英国をめぐる三つの環境変化が関係しているように思われます。 第一に、非英国系住民の急増にともなう純粋な英国人の間でのナショナリズムの高まりです。何度かご紹介しているとおり、英国(とくにイングランド)では旧大英帝国植民地をはじめとした各国からの移民が増殖しています。実感としてロンドンの街を歩いている純粋な英国人の割合は半分程度です。 第二に、大陸欧州との関係において英国としての独自性・優位性を強調する動きです。ご承知の通り、英国はEU(欧州連合)には遅ればせながら加盟したものの、欧州単一通貨ユーロの使用は拒否しており、世論調査によると現在も国民の七割程度が反対しています。また、今年六月の選挙においては、EU脱退など強烈なナショナリズム(反欧州の考え)を打ち出した政党UKIP(UK Independent Party, 英国独立党)が大躍進しました。 第三に、97年に発足したブレア政権以降の英国政治におけるトレンドであるデボリューション(地方分権)の反動としてのナショナリズムの高まりです。ブレア政権はドラスティックな地方分権改革を実行し、中央政府の権限を大幅に地方政府へ委譲しています。たとえばスコットランドやウェールズにおいて独立した議会の設置を認めるなどの措置を実現しました。その反作用として英国としての統一性を強調するベクトルが強く働いているような気がします。
といったように「英国人の愛国心」というキーワードの背景には複雑な事情が存在するわけで、単純に「英国人は愛国心が強い」と言ってしまうのはミスリーディングということなのでしょう。それでも、「愛国心を表現する形を持つ」という点が日本と大きく異なるのは事実でしょう。日本にはnationalism/ナショナリズムというややネガティブな意味合いを帯びて使用されることの多い言葉はあっても、patriotismという言葉は実態として存在しないような気がします(善し悪しは別問題として)。
(英国の携帯電話事情) 先日、日本から英国を訪れている大学生と会う機会がありました。夏休みを利用して一ヶ月余り滞在するとのことでした。英国に来るのは初めてというその学生が、それまで二週間あまりの滞在で感じたこととして二つの点を強調していました。一つが物価の高さで、もう一つが英国の携帯電話事情です。 英国の高い物価は、ほとんどの日本からの来訪者が口にします。多くの問題がある各種の「物価の国際比較調査」では、いぜんとして東京が第一位で、英国はランク上昇中ながらも二〜五位程度になっていますが、実感としてロンドンの物価は東京よりも確実に高いと言えます。なにしろ、ちょうど一年前にも書いたとおり、地下鉄の初乗り料金が2ポンド=400円という国なのですから。
携帯電話事情について学生が口にしていたのは、「着信音がださい」という点でした。日本では、各個人の趣味に合わせた着メロなるものが普及していますが、英国ではそんなものはほとんどありません。多くの人は、欧州で携帯電話のシェアがもっとも高いノキアの電話に標準装備されている数種類の着信音(ノキア・サウンド)を使用しています。したがって、英国の地下鉄などで携帯電話が鳴ると、何人かの人が自分の電話かと思って鞄を探るという光景にしばしば遭遇します。 英国でもようやくカメラ付き携帯電話を持っている人を見かけるようになりましたが、携帯電話の先進性という点では、英国は日本に大きく遅れをとっているといえましょう。携帯電話に限らず、ハイテク系機器のバラエティとその普及度合いは、英国は日本に大きく水をあけられているように思われます。裏返して言うと、こういったハイテク分野での日本の凄さ(供給する側と需要する側の双方における)が実感されます。
ところで、携帯電話といえば、観点は違うのですが、私も日英の違いを感じるところがあります。英国人は公共交通機関の中などで、どんな人でも辺りを憚ることなく携帯電話で会話しています。日本では、公共ペースにおける携帯電話使用に関するマナーがメディアなどでよく議論の俎上にのぼっていましたが、この国ではそういう議論自体がそもそも全くないように思われます。電車などでその手のアナウンスが流れることもありません。 技術が日進月歩で進化している携帯電話は、ハードとソフト(使用の流儀)の両面で国ごとの差異が大きいのでしょう。もっとも、日本で携帯電話を持ったこともなく、今も仕事用に支給されているノキア・サウンドの携帯を時々使うだけの私が、携帯電話についてとやかく語る資格はないのですが。
2004年08月16日(月) |
第53週 2004.8.9-16 英国人の愛国心 テムズ河の上流へ |
(英国人の愛国心) 一年間の英国暮らしで思い知ったことのひとつが、英国人のナショナル・アイデンティティへの熱い思いです。以前、英国人のアイデンティティの複雑さについて書いたことがありましたが(4月26日参照)、「英国」であれ「イングランド」であれ、英国人が愛国心を臆面もなく表現する様子は、日本人と大きく異なります。 戦後の日本人は、国に対する過剰な思い入れを自重するように刷り込まれて育ってきているので、善悪はおくとして、素直にまた熱烈に自らの「国」への愛情を表現する英国人を見ていると、日本人とは違うなあと感じます。これら愛国心が具現化される機会としては、ラグビーやサッカーなどスポーツの応援の場面が一般的ですが、ふだん英国人と接していても過去の歴史を含めたBritishとしての誇りや愛国心を感じる場面がしばしばありました。 もちろんこれらの感情は我々日本人も持ち合わせていると思うのですが、日本人にはそのような感情を形にする際にある種の制約を意識下で課してしまうようなところがあります。この点が、邪気なく愛国心をさらけ出す形を持っている英国人との違いなのだと思います。 背景として、英国は過去に大きな戦争で負けた経験がないという点がよく指摘されるのですが、どうなのでしょうか。
(PROMSラスト・ナイト) 英国人の熱烈な愛国心が表現される場の一つとして、PROMS最終日の公演があります。70回あまりの公演の掉尾をかざるラスト・ナイトの熱狂的な模様はPROMSの名物ということで、先週のPROMS初体験後、2000年の最終公演の模様を収録したDVD、”The Last Night of the Proms”を購入し、鑑賞してみました。 最終日の公演は、まず観客の服装が通常とは全く異なります。タキシードを着込みながらも頭の上には英国の国旗ユニオン・ジャックをかたどった帽子などをかぶっている人が多数おり、老若男女を問わず人々はイングランド、ウェールズなどの国旗を手にしています。ホール内にも、ユニオン・ジャックのみならず様々な「国旗」が多数掲げられています。 前半は概ね通常のクラシック・コンサートと変わらないのですが、休憩後の後半に入って毎年定番の曲が演奏され始めると、ロイヤル・アルバート・ホールはアリーナのみならずボックス席も含めて総立ちで半ばダンス・ホールと化していました(ダンスといっても上下に身体を揺らす程度ですが)。ただし、定番曲でも静かなパートでは座って聞き、演奏がある箇所にさしかかるとやおら立ち上がって身体を揺らして合唱するという具合です。
定番の曲は、いずれも強烈な愛国心を表現したものです。例えば、20世紀初頭の英国人作曲家エドワード・エルガー作の”Pomp and Circumstance March No.1(威風堂々)”や、PROMSの創始者である指揮者ヘンリー・ウッドによる”Fantasia on British Sea-Songs”や、18世紀に作られた愛国的唱歌”Rule Britania”などです。そして、もちろん最後に必ず演奏されるのは、英国国歌”God Save the Queen”です。 「威風堂々」には、中間部のサビの部分に”The Land of Hope and Glory(希望と栄光の国)”という歌詞がつけられており、演奏がその箇所にくると指揮者がくるりと観客席の方に方向転換して指揮棒を振り、観客も一斉に立ち上がって歌を歌い始めます。また、”Rule Britania”の歌詞は改めてみると強烈です。サビの部分は「支配せよ、ブリタニア/全ての海を支配せよ/ブリトン人は決して服従しない」という風で、このような調子の歌を全ての観客が高らかに歌い、踊っています。 PROMSラスト・ナイトの模様は、巨大スクリーンを通じてロンドンのハイド・パークやその他の英国内各所に集まった人々に向けても同時中継されます。これら野外会場では、人々は完全にロック・コンサートのノリでPROMSをエンジョイしています。
このようにPROMSラスト・ナイトの後半は、キメの定番ソングを並べて盛り上がるロック・コンサートとまったく同じ状況を呈しています。RCサクセションのコンサートで「雨上がりの夜空に」のギター・イントロが鳴り始めた瞬間、また甲斐バンドのコンサートで「漂泊者」のギター・リフが流れ始めた瞬間、一挙に会場のボルテージが上がり、そのまま観客全員が歌い踊りつつコンサート終了になだれ込むという、あの感じです。 こんな風にクラシック音楽を楽しむことや、愛国心を発揚する機会を持つということは、日本人にとっては新鮮であると同時に、ある意味で衝撃的なものではないでしょうか。少なくとも私にとってはそうでした。
今年も9月11日(土曜)に、ラスト・ナイトの日がやってきます。PROMSラスト・ナイトの模様はNHKでも放映されるらしいので、機会があったらぜひ一度ご覧ください。
(テムズ河の上流へ) ロンドンを東西に横切るテムズ河は、ロンドンの風景に欠かせない重要な一要素ではありますが、大都市(しかもロンドン)の中心を流れる川ということで、目の当たりにしてみるとお世辞にも美しい川とは言えません。ただし、そんなテムズ河も上流に遡ると水も澄んできて、英国カントリーサイドの美しい田園風景に溶け込んで風情ある佇まいをみせてくれます。 そのような風情に絶妙な風味を加えているのが、テムズの大河にまとわりつくように張り巡らされた運河の流れです。産業革命以前の英国イングランドにおいては、運河を利用した水運が産業における主たる交通手段となっていたそうです。鉄道の普及・発達でその本来の役割を終えた現在の運河には、たくさんのレジャー用船舶がゆっくりと就航しています。運河に浮かぶ船はナローボートといって、その名の通りに細長い形状のプレジャー・ボートで、キッチンやベッドなどを完備したこの船で宿泊しながら一週間程度の運河の旅を楽しむというレジャーが英国にはあります。
15日(日曜)、ウィンザーからさらに上流に遡った場所にあるマーロウ(Marlow)、クッカム(Cookham)、メイデンヘッド(Maidenhead)の散策に出かけました。うちからは車で一時間程度の場所です。 マーロウは、川べりにある美しい景色の場所として日本の英国ファンの間で有名な場所らしく、私も赴任前に英国駐在経験のある方からご推奨頂いていました。マーロウといえば、テムズ河に面した世界的に名高いホテル、コンプリート・アングラーがあることでも有名です。クッカム、メイデンヘッドは、マーロウから少しずつテムズ河沿いに南下した村々です。 この辺り一帯には、運河とテムズ河をつなぐ水門(ロック)が多数設けられていて、プレジャー・ボートは、これらの水門を時間をかけて順番に通過していきます。また、川沿いには、水辺の美しい自然環境に引き寄せられるように瀟洒な別荘が建ち並んでおり、田舎でありながらもリッチな雰囲気を醸し出しています。 我々は、白鳥など様々な水鳥が戯れるテムズ河のゆったりとした流れに沿って、豪華な別荘群にため息をつきながら、ハイカー用に設けられたテムズ河沿いのフット・パスを散策しました。マーロー・ロックなどでは水門を通過する船を時間をかけて眺め、途中、地元のパブに立ち寄ってランチをとり、歩くのに疲れたらアイスクリームをなめて休憩するという、平凡なような贅沢なような休日の一日を過ごしました。
2004年08月09日(月) |
第51-52週 2004.7.26-8.9 PROMS、カニザロ・フェスティバル |
7月の半ばあたりからロンドンはホリデー・シーズンに入りました。通勤の際の道路混雑は大いに緩和され、逆に街中には外国からの観光客と思しき人々が急増しています。日本のお盆のビジネス街と比べて閑散度合いは半分くらいながら、それが一ヶ月以上にわたって続く点が日本との違いです。
(PROMS) 6日(金曜)の夜、英国伝統のクラシック・コンサートである「BBC PROMS」に行ってきました。両親が来ているため、子供を見てもらって妻と二人で出かけることができました。 Promsというのは、気軽に楽しめる音楽会という意味であるプロムナード・コンサートの略称ですが、英国でプロムスと言えば、毎年夏にロイヤル・アルバート・ホールを会場にして行われる音楽イベントのことを指します。英国における夏の風物詩の一つとなっています。 英国のPROMSは、今年で110回を数えますが、国民に気軽に音楽に親しんでもらおうという主旨で19世紀終わり頃に始められたクラシック音楽のイベントです。7月から9月にかけて毎晩異なる演目のクラシック・コンサートがのべ70公演以上も繰り広げられます。戦前のある時期から主催者がBBC(英国国営放送)になり、7月に入ると各メディアで「BBC PROMS」というロゴが頻繁に目にとまるようになります。 会場のロイヤル・アルバート・ホールは円形ホールなのですが、真ん中のアリーナと最上階は立ち見席になっており、4ポンド(800円)という低価格で一流の演奏者によるクラシック音楽を楽しむことができます。ある英国人に言わせると、「立ち見席は学生と年金生活者のための席」ということらしいですが、2時間も立ったままでいるのはきついので、座り込んだり寝そべったりしながら音楽を楽しんでいる人もいます。ドレスコードのようなものも全くなくて、このPROMSに限っては、多くの人が普段着で会場にやってきています。PROMSとはそういうコンサートなのです。
クラシック音楽に造詣が深いわけでもない私にとって聞き覚えがあったのは、会場であるロイヤル・アルバート・ホールです。70年代ブリティッシュ・ロックを代表するバンドであるディープ・パープルがオーケストラと共演したライブ盤を作成していたのが、このホールでした。また、かつてローリング・ストーンズやクイーンなどもここでコンサートをしていたはずです。 我々が行った日の公演内容ですが、たまたま指揮者が日本人の方で(オオタカ・タダアキ)、演奏はウェールズのBBCナショナル・オーケストラでした。演目は、タケミツ、ドボルザーク、ラベル(歌曲)、レスピーギの順で、ドボルザークのチェロ協奏曲ではノルウェー人のチェリストが熱演を見せてくれて、ラベルの歌曲シェーラザードではスウェーデン人の歌手が登場していました。 このように国際色豊かなコンサートだったわけですが、満員の会場は多いに盛り上がっていて、「気軽にクラシック音楽を楽しむ」ということを実感することができました。このような文化を背景として、ディープ・パープルとロンドン・フィルの共演という発想も生まれるのだろうと納得できた気もしました。 それにしても、私としてはあの立派なホールでディープ・パープルのライブが聞けたらどんなにいいだろうかという思いを残して帰途につきました。
(イースト・ベルゴット再訪) 翌7日(土曜)は爽やかな快晴の日だったため、両親と長男を連れて、ナショナル・トラストに管理された風光明媚な村イースト・ベルゴットを再訪しました(最初の訪問は、4月13日参照)。 三歳になったばかりの息子と一緒に牧草地帯のフット・パスを二時間余り歩きどおしに歩きました。以前にもご紹介したとおり、ナショナル・トラストのプロパティは遊具や土産物屋の類が一切ないので、歩いて、見て、話をするくらいしかすることがないのです。 途中、一千年近い歴史を持つ村の古い教会で結婚式が行われていました。欧米の映画によくある一コマのような、年端もいかない子供を含めて着飾った老若男女と幸せそうな笑顔がいっぱいの光景に遭遇できたのはとてもラッキーでした。
ところで、車での行楽に音楽はつきものですが、我々は大抵London Magicというラジオ局にチューニングしています。放送中にしきりに流れるジングルが”More music, less talk”というもので、その通りにほとんど音楽をかけっぱなしにしている日本の有線放送のようなラジオ局です。 どういう基準で選曲しているのかはよくわかりませんが、新旧取り混ぜた曲が流れていて、最近の音楽に疎い私でもわかるような80年代のヒット曲、例えばユーリズミックスやシンディー・ローパーなど、も非常によくかかります。最近は日本のラジオ局も洋楽がよくかかりますが、その選曲は日英でもよく似通っていて、ラジオから流れる音楽を聴いている限り日本と英国の差をほとんど感じないというのはこちらに来てからの一つの発見です。
(カニザロ・フェスティバル) ウィンブルドン・ビレッジ近くのホテル、カニザロ・ハウスの名前は、これまでもしばしば登場しましたが、ホテル敷地内の広大な庭園をカニザロ・パークといいます。夏の約一ヶ月間にわたって週末ごとに、同パークにおいてカニザロ・フェスティバルというイベントが行われていました。パーク内の一角で、本格的な音楽や演劇を楽しむことができます。 8日(日曜)、その最終日に開かれたランチタイム・ジャズ・コンサートに、両親と生まれて7週間の長女を含めた家族全員で繰り出しました。 芝生の上に設置されたテント内でミュージシャンが演奏し、その周りを取り囲むようにした観客も芝生に寝そべったりしながら音楽を聴いています。別のテントでは、ビールやハンバーガーが売られていて、日本でいう夏祭りのような感じです。ただし、シャビーな舞台装置の割にミュージシャンは名のある人だったらしく、ジャズ・ファンの人によると演奏のレベルも高かったようです。
マナーフィールズのガーデン・パーティでもミュージシャンの生演奏がありましたが、当地の人たちの音楽の楽しみ方は日本とは少し違うような気がします。日本の夏祭りだと、BGMはCDを流して済ませるか、テキトーな人にテキトーな楽器を演奏させるのが一般的でしたが、PROMSに象徴されるように、英国では本物の音楽を身近に楽しむ機会が多いようです。 そういえば、先日ロンドンで日本の「NHKのど自慢」が開催されました。当地の日本人にとってはかなり画期的な出来事で、六千人もの日本人が見に行っていたようです(うちはパスしましたが)。英国メディアでも一部で取り上げられており、その中に「カラオケをTVで流して何がおもしろいのだろう」という主旨の論評をしているものがありました。のど自慢はカラオケではないのでしょうが、素人の歌をきいて楽しむという行為が英国人には違和感があったのでしょう。
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