Experiences in UK
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2004年09月27日(月) 第59週 2004.9.20-27 旧型ロンドンバスの余命は1年、欧州諸国の保守・右傾化

(旧型ロンドンバスの余命は1年)
英国には在英邦人向けの日本語活字媒体がいくつかあり、そのうちのひとつである週刊「英国ニュースダイジェスト」の最新号に大変残念なニュースが掲載されていました。ロンドンの象徴の一つである旧型ロンドンバスが2005年末をもって姿を消し、すべて新型バスに入れ替えられるというものです。

ロンドンの旧型バス(通称、ルートマスター)は私の通勤の足でもあり、これまで何度もその独特の味わいと魅力について書いてきました(03年9月15日04年2月23日、参照)。最大の特徴は、乗降口が車体後方のオープンデッキになっており、信号待ちなどのタイミングを見計らって自由に飛び乗ったり飛び降りたりできる点です。
車体はかなり古く、よく故障して道路上に立ち往生しています。それもそのはずで、ルートマスターの車両は1968年をもって生産が中止されており、もっとも若いルートマスターでも現在36才という高齢になります。当初、耐久年数は17年として設定されていたそうなので、予定の倍以上も生き長らえているということになります。いかにもイギリスらしい古きものを愛する精神といいましょうか。

ただ、ルートマスターは、古きものを愛する英国人気質だけから延命されてきたわけでは必ずしもなくて、上記のような利便性からもロンドナーに愛されてきたのだと思います。
英国にはRoutemaster Assocoationなる団体があります。今回、そのウェッブ・サイトをのぞいてみたところ、ルートマスターは9月24日をもって50才の誕生日を迎えたらしく、それを大々的にお祝いしていました(1954年の同日に第一号が走り始めたらしい)。ただし、それに続いて、ルートマスター消滅のニュースを悲しみをこめて報じていましたが。

(英国と大陸欧州の関係)
ところで、ルートマスターが姿を消すことになった背景ですが、ここには国際政治の問題が関係しているようです。「ニュースダイジェスト」記事によると、安全性と車椅子利用者などへの差別助長という二つの問題から、EU(欧州連合)が定める基準に合わないためにルートマスターはお払い箱にされるとのことでした。

EUというのが、単なる政治的な同盟関係や、近年流行の貿易・投資協定のような経済的な連携強化を目指す関係をはるかに超えた、より広汎で深くて強い国家間の結びつきを志向したものであることは、日本に住んでいるとなかなか実感できません。
EUは、政治、経済、外交、安全保障から社会制度まで含めて同一の方向・体制を目指して関係の深化に向かっています。このため、膨大な量の「規制」「基準」の類がEU本部のあるブリュッセルの官僚によって定められ、それが加盟各国に下達されてきます。政策の大枠に関するレベル(単一通貨ユーロの導入など)から生活の細部にかかわるレベル(食品の成分表示に関するルールなど)まで、国家を超えた場所で定められたルールによる改変が実施され続けているのです。

ルートマスター廃止の背景にもそれがあるというのが「ニュースダイジェスト」の解説でしたが、そもそもルートマスターは68年から生産中止となっていたのであり、EU規制との関係が無いわけではないのでしょうが、むしろルートマスターを新型に切り替えたがっていた当局の口実として使われている感がなきにしもあらずです。

(欧州諸国の保守・右傾化)
とはいうものの、ブリュッセルで制定される無数のEU規制が、加盟各国に過度の負担をもたらしたり、国家主権の問題に抵触したりすることで、摩擦や反発をもたらす事例が増えているのも事実です。とくに、当初からEUの理念にどこか懐疑的なスタンスをつねに持ち続け、単一通貨ユーロの導入もいまだに拒否するなど、EU内の異端児である英国で近年この傾向が強くなっているように思われます。ユーロの使用どころかEUからの脱退を唱える勢力が、公然と社会的パワーを獲得してきています。

もっとも顕著な例は、6月の欧州議会選挙や地方議会選挙におけるUKIP(英国独立党)の大躍進です。まさに、大陸欧州(EU)から距離を置いて英国としての独自性を強調することを党是とした政党が、二大政党(労働党・保守党)の票を大きく食って議席を伸ばしました。
また、先々週に野党・保守党内で行われた「影の内閣」改造で、反ユーロを主張する代表的な有力政治家であるジョン・レッドウッドが入閣しまた。レッドウッド氏は、EUとの関係を抜本的に見直す主旨の発言を行っているようです。レッドウッドの入閣については、「来年春の総選挙でUKIP票を取り込むための選挙対策」との解説もありますが(FT紙)、そうであっても英国社会の「右傾化」を反映した動きであることは間違いありません。

90年代後半の欧州では、英国・ブレア政権など中道左派が勢いを増した時期がありました。しかし、数年前から英国のみならず欧州各国で「右傾化」あるいは「保守化」が進んでいるとされています。国家主権をどこまで保持するのかというEUの将来ヴィジョンに関する考え方の違いを淵源とする揺り戻し現象とみられますが、911後の世界情勢と共鳴し合ってキケンな方向に向かわなければよいのですが。


2004年09月20日(月) 第58週 2004.9.13-20 英国の翳り?、ものが壊れる

このところ、個人的に興味・関心を持っている領域で、英国に関する冴えないニュースがたて続けに聞こえてきます。

(ラグビー監督辞任騒動)
まず、ラグビーですが、8月の終わり頃にイングランド代表チームのキャプテンであるローレンス・ダラリオが突如、代表キャプテンから身を引くことを発表しました。そしてその直後には、監督のサー・クライブ・ウッドワードの去就がメディアの注目を集めました。協会との間で代表チームの強化方針をめぐる軋轢が増し、やめる・やめないの問題に発展したのです。
すったもんだの末にやめることになったようなのですが、ウッドワードは地元のサッカー・チーム監督の座への転身をねらっているらしく、「そもそもラグビーよりもサッカーの方が何十倍も好きだったんだ」との捨てぜりふを残してやめていったのには驚きました。昨年、W杯優勝を果たしてイングランド中を熱狂の渦に巻き込み、サーの称号まで授与されておいて、そのせりふはないだろうという感じです。

(F1移籍騒動)
そして、F1の世界においても、先月初め頃に晴天の霹靂といった感じのニュースが伝えられました。BARホンダの英国人ドライバー、ジェンソン・バトンの来季以降のウィリアムズBMWへの移籍です。
今シーズンのBARホンダはシーズン前の予想を遙かに上回る好成績を残しており(現在チームランキング2位)、とりわけバトンはチームを盛り立て、牽引してきただけに「なぜ?」と感じたのは私だけではありません。BARのチーム関係者にとっても晴天の霹靂の知らせだったらしく、感情的な面を含めて大きな問題になりました。BARとの間に2005年までドライバー契約があるバトンの移籍は、契約書の盲点をついたものらしく、現在も法的な係争が続いています。
英国人の若手有望ドライバーによる突然の移籍騒動は当地メディアでも様々な議論を呼んでおり、FT紙のスポーツ欄でも論説記事に取り上げられていました。「勝てると考えるチームに移籍するのはスポーツの世界では常にあることだけど、周囲とのコミュニケーションを怠ったバトンのやり方は禍根を残すだろう」と、バトンの振る舞いに対して大人の立場からたしなめるような意見でした。

(英国の翳り?)
ラグビー・イングランド代表チームは、今年に入ってから一転して負けがこんでおり、昨年までの常勝軍団がウソのようなていたらくです。監督とキャプテンの交替がチームの再生につながる可能性もありますが、しばらくは立て直しに時間がかかりそうです。また、バトンについては、名門ウィリアムズへの移籍が吉と出る可能性も少なくないでしょうが、今回の一件でF1界に生きる人間としての評価にミソをつけたのは事実であり、さらに上昇気流に乗った新興チームを捨てて名門チームへ移籍するギャンブルにどの程度の勝算があるのかは難しいところです。
これらのニュースが、国として数十年ぶりのピークにあるとも言える現在の英国の勢いに翳りがさし始める予兆でなければよいのですが・・・。

(ものが壊れる)
実は、個人的な英国生活においても冴えない出来事が続いています。最近ものがよく壊れるのです。
先日、DVDプレーヤーが作動しなくなりました。一年前に入居した際に新調したものです(日立製)。
今週末、家の中の電球を3つ取り替えました。英国の一般家庭には蛍光灯というものがほとんど存在せず、当家の照明器具はことごとく電球なのですが、これがしょっちゅう切れます。あまりに切れるので大量に買ってストックしてあるのですが、いちいち替えるのが面倒で放置していたものをいっせいに取り替えました。しかし、うち一つはソケットに問題があるらしく、取り替えてもついたり消えたりする始末です。

そして、もっとも厄介だったのが、車のバッテリーが老朽化により上がってしまったことです。一年前に購入した95年式の中古車(トヨタ)なので仕方ないのですが、事態は予想以上に深刻でした。
日本のJAFに相当するロードサービス会社と契約していたので、電話をしたところすぐに来てくれました。そこまでは良かったのですが、エンジンのリスタートくらいすぐに済むと思っていたのにいっこうにエンジン音が聞こえてきません。尋ねると、車のセキュリティー・システム(イモービライザー)がリセットされてしまってエンジンがかからない状態になっているとのことでした。車を購入した際、前のオーナーから「この車には一つだけ問題があって、セキュリティー・システムが作動しなくなっている」とのことで受け渡されたはずなのですが、バッテリーが上がったことで再び作動し始めてしまったようです。結局、セキュリティー解除のためにガレージ行きとなってしまいました。

DVDプレーヤーはうちの息子が犯人のような気がしますし、車の件もいずれは訪れた不幸だったのでしょうが(それでも日本の車検に当たるMOT検査の直後だったのでちょっと納得いかないのですが)、一年暮らしてものがぼろぼろと壊れ始めるというのはいかにも英国らしいような気がしています。


2004年09月13日(月) 第57週 2004.9.6-13 英国人のブッシュ嫌い、ヒューエンドン・マナー

ロンドンは最高気温が20度を超えない日が多くなってきました。そろそろセントラル・ヒーティングの季節です。

(英国人のブッシュ嫌い)
アメリカの大統領選挙が大詰めを迎えつつあります。これに関連して9月8日付のタイムズ紙に目をひく記事が掲載されていました。米大統領選に関する英国人への世論調査結果です。
結果は、「全ての年齢層、社会階層、政治勢力の間でケリー候補(民主党)が圧倒的支持を得ている」というものでした。全体でみると、ブッシュ支持が29%、ケリー支持が52%という結果です。これは、私の実感にぴったりと合致するものです。

こちらに来て英国人と話していて少し驚いたのが、ブッシュ米大統領を蛇蝎の如く嫌悪している英国人が非常に多いということです。ある程度予想はされましたが、予想を遙かに超える不人気度合いでした。興味を覚えたので、一時期、近所のおじさん、おばさんから仕事関係の人を含めて、なるべく多くの人にブッシュ大統領について聞いてみた時期があったのですが、ほとんどの人が「論外!」といった口調でブッシュを拒絶していました。
理由については、必ずしも論理的でないもの(「論外!」ですから)や感情的なものも多かったのですが、私なりに総括すると(ごく限定されたサンプルですが)、ブッシュは言動と政治思想において著しく品性が欠けているとみなされており、そこが嫌われているように思いました。つまり、政治家として、場合によっては人間として、人格を否定されているといった感じです。政策の問題ではないのです。

必ずしもイラクで戦争を始めたから嫌いというわけではないことは、彼らがブレア首相についてはやや異なる反応を示したことからもわかります。
一般論としてブレアの人気は絶頂期と比べると地に墜ちた感があり、世論調査などで次期首相として支持しないという人も増えているのですが、私が接した人たちの中では、政策は支持できないけどブレアの立場も認めるという意見が多い印象でした。イラクでの参戦について、自らの信念を貫いて厳しい政治決断をくだした姿勢に対し勇気ある政治家と賞賛するおじさんもいました。米国に追随した格好でイラク戦争に参加した際、歴史的とも評される大演説をぶって自身の考えを熱心に説き議会を説得した姿勢について、英国の一般国民は少なからぬ評価を与えているようです。一部マスコミでは「米国のプードル犬」などと揶揄されていたブレアですが、真摯な政治姿勢への国民の支持は根強いのかもしれません。

ところで、冒頭でご紹介した世論調査結果に戻りますが、面白いのは左系の労働党支持者よりも右系の保守党支持者の方が、左系・民主党のケリー候補を支持する割合が多い点です。労働党の現ブレア政権が親ブッシュ政権とみなされているのでしょうが、ちょっと異常な感じもします。
また、ドイツやフランスの各国で実施された同種の世論調査結果も紹介されていました。大陸欧州では英国以上にケリー候補の支持率が高く、ブッシュの支持率は一桁台という殆ど無きに等しいものでした(ケリー支持の割合は、ドイツで81%、フランスで78%)。この間の国際情勢から判断すると、当然のことなのかもしれませんが。
(とここまで書いた翌9日付のFT紙に主要30か国で同様の世論調査を実施したという記事が掲載されていました。結果は、やはり一握りの国を除いてケリー圧勝というものでした。)

(プロムス・ラストナイト)
9月11日(土曜日)、2004年のBBCプロムス・ラストナイトをテレビで見ました。DVDでみた2000年版と同様、大変なお祭り騒ぎのクラシック・コンサートでした(8月16日参照)。今年は前半で「マダム・バタフライ」が演目に入っていたからなのでしょうか、着物姿の女性や日の丸を打ち振る日本人の姿がテレビで何度も映されていました。
指揮者は、ユニオンジャックをあしらった蝶ネクタイとネッカチーフを身にまとい、右の胸には赤いバラの花一輪をさして登場していました(バラの花は英国の国花)。今年も後半では、エルガーの「威風堂々」(歌詞付き)をはじめとした愛国的唱歌のオンパレードで熱狂的な盛り上がりをみせていました。
今年の野外版ラストナイト(Proms in the park)は、ロンドンのハイド・パークをはじめ、マンチェスター(イングランド中部)、スゥオンジー(ウェールズ)、ベルファスト(北アイルランド)、グラスゴー(スコットランド)の各地で行われました。ハイド・パークには四万人が集まったそうです。国家的大イベントですね。

(ヒューエンドン・マナー Hughenden Manor)
週末、例によって近隣のナショナル・トラストめぐりに出かけました。今回は、ロンドンから北西の方角に延びる高速道路M40沿いのバッキンガムシャーにある邸宅ヒューエンドン・マナー(Hughenden Manor)を訪ねました。ヴィクトリア時代末期に首相を務めたディズレーリが住んでいた邸です。
ディズレーリは、19世紀後半に保守党のリーダーとして、自由党のリーダーであるグラッドストンとしのぎを削った名宰相として知られています(当時の英国は、「保守」と「自由」の二大政党制)。政策的には植民地主義を強力に推進し、大英帝国の拡大にもっとも貢献した政治家の一人です。また、夫アルバートの死後、十年近くも喪に服してふさぎ込んでいたヴィクトリア女王を再び政治の表舞台に引っ張り出した(ヴィクトリア女王の寵愛を政治的に利用した)ことでも有名です。

ディズレーリが活躍したのは明治時代はじめ頃なので、日本でいうと例えば明治の元勲・伊藤博文の邸宅を訪ねるようなイメージになるでしょうか。邸宅とゴシック調の凝った調度品(奥方の趣味らしい)、蔵書の類がそのまま保存されていました。隣接するイングリッシュ・ガーデンや敷地内に広がる庭園、散歩道、森も当時のままきれいに整備されて残っています。近隣の牧草地や教会などの風景も、当時と大して変わっていないと思われます(変わりようがない)。変わったのは車道が整備されて車で多くの人が訪れるようになったことくらいでしょうか。ロンドンから車を飛ばして一時間もかからない場所なのですが・・・。
邸宅と敷地の維持・管理は、やはりナショナル・トラストを主体としてボランティアを中心に運営されているらしく、建物内には「ボランティア募集」の掲示がありました。「あなたも素晴らしく意義深い経験をしませんか?」という謳い文句に応じてくる人は、どんな人でどの程度の数なのでしょうか。


2004年09月06日(月) 第56週 2004.8.30-9.6 やっぱりイギリスはおいしくない?、ポールスデン・レーシー

(やっぱりイギリスはおいしくない?)
ご存知の通り、英国料理はまずい、というのは世界の通説のひとつになっています。私は英国の伝統的な料理も決して嫌いではありませんが、それはおいしいかどうかとは少し違った評価軸による判断ともいえます。
ところで、うちの娘(2ヵ月半)は通常は母乳を摂取しているのですが、不足したときなどに粉ミルクをあげています。生まれた直後は英国製の粉ミルクをごくごく飲んでいたのですが、やがて断固として拒絶するようになり始めました。
周囲の知り合いなどに聞いたところ、なんと日英の粉ミルクには味の点で格段の違いがあるらしく、英国製の粉ミルクを拒絶する乳児は他にもいることが分かりました。なかには、日本製の粉ミルクをわざわざ送ってもらっているという人までいました。日本製はおいしそうに飲み干すそうです。
どうやら料理における世界の通説は、粉ミルクにまで適用されるみたいです。妻は試飲していましたが、我が子の味覚に納得していました(乳児の段階で本当に味覚があるのかどうかわかりませんが)。英国人の赤ん坊は平気なのでしょうか。

(ポールスデン・レーシー Polesden Lacey)
週末、束の間の残暑(といっても最高気温が30度に届かない程度ですが)という感じの暖かい行楽日和になりました。そこで、近隣のナショナル・トラストめぐりに出かけました。ナショナル・トラストのプロパティは、有名なものから無名のものまで英国内に300〜400か所もあるそうです。うちから車で30分の圏内にもいくつかあり、そのうちの3つをはしごしました。
最初に訪れたポールスデン・レーシーは、グレート・ブッカムという町にある広大な庭園つきの邸宅です。ここは、現エリザベス女王の両親である故ジョージ6世と故クィーン・マザーがハネムーンを過ごしたことで知られています。邸の主だったグレビル夫人がクィーン・マザーの知己だったことによります。
人里を離れて左右に羊や馬を見ながらポールスデン・ロードという一本道を進むと立派な門が現れ、さらに直進したところに駐車場があります。車をとめて少し歩いた先にある丘のてっぺんに当たる場所に立派な邸はたっていました。邸の側面から芝生の丘が一面に見下ろせて、おりきった場所には柵があり、その先に連なる丘に羊が放牧されていました。邸の背後には、美しく整えられたバラ園が延々と続いています。こんな場所でゆったりとした時間を過ごすハネムーンと観光スポットをせわしなく渡り歩くハネムーンとどちらが幸せなのかとふと思いましたが、ハネムーンは原則として一度しか経験できませんから、自分のハネムーンが最高だったと思うしかないのでしょう。
この日は、たまたま敷地内で英国ナショナル・プロパティの風景画を描き続けているという日本人画家(小野たくまさ氏)の個展が開かれていました。

(ボックス・ヒル Box Hill)
グレート・ブッカムの隣にボックス・ヒル(Box Hill)という小高い丘があります。この丘は、景色の素晴らしさから英国人の遠足のメッカとして古くから知られていた場所のようです。現在は、何本かのウォーキング・ルートが整えられ、様々な動植物がみられる自然環境とともにナショナル・トラストにより保護・管理されています。
丘の頂上からはサリー県のなだらかな丘陵のうねりが一望できました。この日も多くの人々が訪れており、芝生に覆われた斜面沿いに寝転がって日向ぼっこをしていました。

丘の頂上までは、zigzag roadという文字通りに曲がりくねった道を車でのぼります。ただし、頂上といってもそこは標高193メートルという高さであり、車で上ればあっという間です。日光のいろは坂や六甲山ドライブウェイ、阿蘇のやまなみハイウェーと同系統の道なのでしょうが、「大人と子供」といった感じです。それでも、非常に多くのバイク乗りが集まっていたのは、英国人にとって貴重な山道のツーリングを楽しめるからなのでしょう。
ところで、英国内を走っているバイクは、私のみたところ7〜8割が日本のバイクです(ヤマハ、スズキ、カワサキ、ホンダ)。英国人は、「KATANA」とか「隼」とかのロゴが入ったバイクを乗り回しています。

あと一カ所、クレアモント・ランドスケープ・ガーデンに立ち寄って夕方に帰宅しました。バギーを押しながら美しい庭園や風景を眺めて歩き、また3歳の息子を安全な場所で思う存分に走り回らせて一日を過ごし、かかった費用が全部で昼食代の10ポンド程度ですから、非常にリーズナブルかつ健康的な休日となりました(ナショナル・トラストの会員でないと、けっこうなお金がかかります)。


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