Experiences in UK
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2004年07月26日(月) 第49-50週 2004.7.12-26 ガーデン・パーティ、Dead Pan Joker

ロンドンも少し暖かくなってきて、夏らしい日が多くなりました。といっても最高気温は25度くらいで今年の日本の酷暑とは比べものになりません。昨年はロンドンの夏も38度まで気温が上がる異常気象でしたが、今年はどうなのでしょう。

(ガーデン・パーティ)
24日(土曜)の午後、住居があるマナーフィールズの真ん中の庭園でガーデン・パーティが開かれました。200世帯あまりが暮らしているマナーフィールズ住民の親睦を深める主旨のパーティです。
芝生の庭園に三つのテントが設置されて、右端のテントでは飲み物やお菓子が供され、真ん中のテントでは住民から収集された古本市が開かれ、左端のテントではミュージシャンによる生演奏が行われていました。質素ながら上品なパーティです。晴天に誘われるように多くの人が家から出てきて、思い思いにパーティを楽しんでいました。

我々は、マナーフィールズの管理人であるニコルソン氏からの要請により、小道具として「ゆかた」を持参していきました。彼は今回のパーティで、奇妙な日本の伝統衣装を誰かに着せたくてしょうがなかったようです。
結局、ニコルソン氏が「生け贄」として連れてきたのは、洒落たサングラスをかけた大柄な一人の英国人男性でした。この陽気なおじさんがノリノリで洋服の上に浴衣を着てはしゃいでいたのですが、なかなかの着こなしっぷりで、黙っていればやくざの親分のような迫力でした。
このおじさん、私が抱いていた生後一ヶ月の長女をえらくかわいがってくれて、自ら抱いたあげくに「お前より上手だろ。ん?おまえあんまり似てないな。本当にこの子の父親か?」とかひっきりなしに冗句をとばしていました。ただ、ラテン系の人にありがちな無遠慮に盛り上がる感じではなくて、長女を抱く時には日陰になるように身体の向きを変えるなど、見かけに反して心配りが細やかで紳士的な印象でした。
その時は知らなかったのですが、後で聞くと、実は高名な舞台音楽関係者らしく、ロンドンの大ヒット・ミュージカル「レ・ミゼラブル」の指揮者をされている方とのことでした。吃驚です。

(Dead Pan Joker)
さて、ガーデン・パーティの主催者であるニコルソン氏は、ちょっと変わった面白いおじさんです。いつも生真面目な顔をしていて一見堅物のような印象を与えるのですが、そのままの表情で皮肉を言ったり、いたずらを仕掛けたりするのが大好きな、実は茶目っ気たっぷりなおじさんです。
ニコルソン氏のように真面目な顔でジョークを飛ばすことを「Dead Pan」といいます。英国人の特徴の一つとしてしばしばあげられるものですが、ニコルソン氏のような人物こそDead Pan Jokeの使い手と言えましょう。

彼は、毎月「Manor Fields News Letter」なるものを作成して各家庭に配っています。マナーフィールズや地域の情報などがまとめられたものなのですが、A4の紙ペラ一〜二枚の「おしらせ」に過ぎないこのニューズ・レターの英文解釈が一筋縄ではいきません。
ある月、最近マナーフィールズ内に毒蛇が出たので駆除作業をしたという一文がありました。「皆さん、とくに子供さんの木登りには十分に気をつけて!」と結ばれたこの文章を読んだある日本人が大いに驚愕し、子供に対して木登りを固く禁じた、という話がニコルソン氏の耳に入りました。すると、次号のレターで、「ある日本人があの一節を真に受けてびびっているらしいけど、もちろんジョークです。でも、木が傷むから木登りはしないでね」と種明かしがなされていました。びびった日本人の話を聞いた時のニコルソン氏の喜悦の表情が目に浮かぶようです(なお、毒蛇にびびった日本人家族とは我々のことではありません。為念)。
この手のジョークを完全に解するのは英文読解の能力だけでは難しく、英国人のジョークに対するセンスや英国での常識(コモン・センス)に関する知識が必要になってきます。したがって、これらが欠ける日本人にとって、理解に苦しむ内容のことがままあります。また、それを見透かしたニコルソン氏は、しばしば日本人を標的にしたジョークを創作して喜んでいるのでしょう(きっと)。
でも、最近はようやく慣れてきて、「またやってるな(笑)」と思えるようになってきましたが。


2004年07月12日(月) 第48週 2004.7.5-12 F1「ロンドン・グランプリ」、リビングストン市長

英国は、7月も半ばというのに肌寒い日が続いています。このところ最高気温が二十度を超える日は滅多にありません。

(F1「ロンドン・グランプリ」)
6日(火曜)の夕方、ロンドンのど真ん中で、「歴史的」という表現が誇張ではない大イベントが敢行されました。週末にひかえたF1英国グランプリ(シルバーストーン・サーキット)に向けたデモンストレーション・ランとして、本物のF1カーがロンドンのど真ん中に位置する目抜き通りリージェント・ストリートをレースさながらに爆走しました。
この日の「コース」となったリージェント・ストリートは、朝10時から一般車両が閉め出され、午後3時以降はバスなどの公共交通機関も乗り入れができなくなりました。ローアー・リージェントの南端にあるウォータールー・プレースにピットが設けられ、ここをスタートするF1カーは、リージェント・ストリートを一気に駆け上がり、ピカディリー・サーカスを経てアッパー・リージェント北端付近にあるローラ・アシュレイの脇から小径に入って折り返し、同じ道を戻るというルートを走行します。

走る車は、今年のグランプリを走っている現役車で、ドライバーとしては92年のF1ワールド・チャンピオンであるナイジェル・マンセルをはじめ、新旧・英国人を中心としたメンバーが参加しました。出走車とドライバーは、以下のとおりです。
 1.トヨタ(クリスチャン・ダ・マッタ)
 2.ジョーダン(ナイジェル・マンセル)
 3.フェラーリ(ルカ・バドエル)
 4.BARホンダ(ジェンソン・バトン)
 5.ミナルディ(ゾルト・バウムガトナー)
 6.ウィリアムズBMW(ジュアン・パブロ・モントーヤ)
 7.マクラーレン・メルセデス(デビッド・クルサード)
 8.ジャグァー(マーティン・ブランドル)
私は、こんなエキサイティングな出来事がこの世にあるだろうかという心境で、朝からこのF1ショウ見物を心待ちにしていました。

最初のトヨタ車のスタートが午後6時40分ということで、6時過ぎにロウアー・リージェント・ストリートまで出かけたのですが、予想されたとおり、付近の通りはもの凄い人であふれており、ものものしい警備体制が敷かれていました。
ようやく入り込める人垣を見つけたのですが、それでも前から10列目くらいの位置でした。改めて見ると沿道のあらゆるビルのあらゆる窓(のみならず普段は使用していないであろう建物の屋上)には、幸運にも特等席から前代未聞のF1ショウを見物できる人たちの姿が鈴なりになって見られます。F1カーを見るために少しでも上から見物しようと、建物の壁にスパイダーマンのようにへばりついている人たちやサインボードや街灯などによじのぼってしがみついている人たちもいました。上空からは旋回している数台のヘリコプターの音が聞こえてきます。「コース」周辺は完全に非日常の世界と化していました。

さて、スタートは若干おして、口火を切るべくトヨタ車がエンジンに着火したのはもう7時前となっていました。トヨタ車から順に10分おきくらいで各車がピットを出て行きました(各車3分程度で帰還)。私はそのころまでにじりじりと前進して前から5列目くらいのところにいたのですが、大きなイギリス人に囲まれて、残念ながらF1カー自体は1ミリたりとも目にすることができませんでした。
ただし、目の前数メートルを加速していくF1カーの迫力は十分に体感することができました。スタート前にギアをニュートラルにしてエンジンをふかしている時のキューンキューンという高音と、目の前を通り過ぎる際の爆音、そして地響きは想像をはるかに越えたものでした。
ピット近くにいたために、帰還した各車がパフォーマンスとしてスピンターンを演じる「音」を聞くこともできました。音だけではなく、もうもうと何十メートルもわき上がる真っ白いタイヤスモークはしっかりと目にすることもできました。

(ロンドンGPが実現?)
ところで、ここで二つの疑問があろうかと思います。第一にどうして「ロンドンGP」なるデモンストレーション企画が実施されたのか。第二に、何でそんなことが実現可能だったのか。
これらの答えの根っこには共通の問題があります。それは、伝統的に英国GPが開催されているシルバーストーン・サーキットの老朽化が甚だしく、財政的な問題を含めて同サーキットでの英国GP続行が危ぶまれる事態が持ち上がっていることです。今回の「ロンドンGP」は、英国GPを盛り上げるための企画として実現されました。ただし、単なるアドバルーンとして行われる企画としてはあまりにも大々的です。実は、この企画は、シルバーストーンの代替案として浮上している本物のロンドンGP実施への布石の意味も持っているのです。市街地コースを走るF1レースとしてはモナコGPが有名ですが、同様の市街地レースをロンドンで行うというプランが、かなり本気で検討され始めています。

現在、シルバーストーン・サーキットの契約は2006年まで残っているのですが、現状ではその後の契約延長の可能性は限りなくゼロに近いとみられています。このような事態を受けてロンドンでのF1レース開催の噂はかなり前から浮上していました。今回、各メディアをみていると、内外のF1関係者をはじめ大方のロンドン市民の意見としても、2007年以降のロンドンでのF1レース実現を望む声が高まっているようです(正式には、2006年までのシルバーストーンの契約も今年9月末まで未確定とのことで、早ければ来年からロンドンGP開催の可能性もある)。
ロンドンGP推進派のメディアの論調は、概ね次のような感じです。第一に、モナコでできていることがロンドンで出来ないわけがない。第二に、ロンドン・マラソンができてF1レースができないわけがない。第三に、ロンドン、ひいては英国に対する有形無形のプラス効果は計り知れない。一部メディアは、ロンドンGP開催が実現した際のコース予想という、わくわくするような記事で盛り上がっていました。

ただし、ロンドン市街地でのF1レースという破格のイベントが、そう易々と実現できるはずはありません。予選を含めて三日間に渡って大都市ロンドンの中心市街を封鎖することのフィージビリティや安全への配慮、環境への問題、バンピーなロンドンの道路の修復にかかるコストなどの問題があります。そして、もちろんF1に対してなんの興味もない多数の市民に対して、騒音や生活・ビジネスにおける不便などの負担を強いることの問題もあります。
「ロンドンGP」翌日、その熱狂と興奮を伝えるメディアが多数を占めた中で、(私の知る限り)上記のようなネガティブな市民の声を大きく取り上げていたマスメディアは、左系新聞のガーディアン紙のみでした。

(リビングストン市長)
今回のデモ・ランを含めて本物のロンドンGP実現に向けて強力な推進役となっているのが、ロンドン市長のケン・リビングストン氏です。
先月実施されたロンドン市長選挙で再選を果たしたばかりのリビングストン氏は、ロンドナーが誇る(?)名物市長です。政治家としても一般市民としても型破りな言動が目立つリビングストン氏は、しばしば石原慎太郎・東京都知事と比較されます。ただし、政治的立場は正反対で、極右ともいえる石原氏に対して、リビングストン氏は極左の立場であり、レッド・ケンというニックネームを持っています。
リビングストン氏の型破りで過激な言動の実績を一部ご紹介すると、80年代にロンドン議会のリーダー(労働党)として当時のサッチャー首相(保守党)と大喧嘩、90年代には労働党の党首であるブレア首相と大喧嘩をして労働党を出奔(ただし、今年になって復帰)、昨年11月のブッシュ米大統領訪英の際にはブッシュ訪英反対デモの先頭に立ち、「ブッシュは地球上の生命に対する最大の脅威。大統領の政策は人類を絶滅に追いやる。私はブッシュ氏を正式な米国大統領とは認めない」と公言、市庁舎にて「ブッシュ氏を除く全ての人々を歓迎する平和パーティ」を開催、といった具合です。

今回、ロンドンGP開催に向けてリビングストン氏は、次のように言っています。「我々は真剣にロンドンGPを検討している。(F1を仕切っている)FOCA会長に対しても本当にロンドンでF1レースをする気があるのなら、万難を排して協力する旨を伝えてある。我々はすでに、王室や警察とも話をつけてある。みんながF1レース開催はロンドンにとって非常に大きなプラスをもたらすと思っているのだ。(中略)モナコでできることがロンドンでできないわけがない」。
今回のデモ・ランにしても、誰がどこをどう仕切ればこんな大それたイベントが実現できたのか、たいへん興味深いところですが、名物市長リビングストン氏の怪気炎がどこまで実現性を帯びてくるのか、今後の展開が大変に注目されます。


2004年07月05日(月) 第47週 2004.6.28-7.5 ヘンマニア、シャラポワ、ウィンブルドン雑感

うちから歩いてすぐの場所に通称チベット・コーナーと呼ばれる大きなラウンド・アバウトがあり、ここで道路がパットニー、キングストン、ウィンブルドンなどの各方面に分岐しています。この週末、チベット・コーナーを中心にうちの近くの道路は大変な混みようでした。ウィンブルドンの全英オープンテニス観戦に向かう車両が各地から押し寄せたためです。

(ヘンマニア)
英国人No1テニスプレーヤーのティム・ヘンマンに対する英国民の思い入れは、尋常ならざるものがあります。英国ではヘンマンを偏愛するテニスファンのことをHenmaniaと呼び、とくに毎年この時期の英国にはヘンマニアが急増するようです。
何しろこの数十年の英国人テニスプレーヤーの中で最高の成績を残している選手であり、ヘンマンは数十年分の英国テニスファンの期待を一身に背負っています。実際に、ヘンマンは96年以降のウィンブルドン大会において、2000年を除いて毎年準々決勝まで勝ち進んできました。ただし、ウィンブルドンで決勝戦の舞台を踏んだことは一度もなくて、毎年いま一歩のところでの敗退が続いています。英国人にとってヘンマンのウィンブルドン制覇は悲願中の悲願なのです。

準々決勝進出をかけた月曜日(28日)の試合では大接戦の末に勝利をもぎ取りました。タイブレークにもつれ込んだ第4セットのセンターコートは異様な熱気に包まれていました。ウィンブルドンのセンターコート観客席でウェイブ(86年のサッカーW杯メキシコ大会で流行したために英語でmexican waveというらしい)を見るなんて、固陋なまでに保守的なことで有名なウィンブルドン大会においては、かつては考えられなかったことです。
接戦を制した翌日の新聞報道がまた尋常でないほどのはしゃぎぶりでした。タイムズ紙の見出しは、”Mr Cool manages to avoid doing a Henman”となっていました。いつも冷静なヘンマンのことをMr Coolと称し、いつも接戦の末に破れることをもじってdoing a Henmanと表現しています。今回はいい意味で予想を裏切って接戦を制したために、英国民の期待はいやが上にも盛り上がりました。

ところが、そのヘンマン、水曜日(30日)の準々決勝でノーシードの20才の選手に敗れてしまいました。くじ運からいっても今年のヘンマンはついているというのが一般的な見方でしたので、英国民は総がっかりです。ヘンマンらしくなかったために余計に哀しみを倍加させたのが、0-3のストレート負けを喫したことです。
翌日のメディアの報道は、ヘンマンがこれきりで引退するのではないかとの観測が流れたこともあり、いかにも重苦しい記事が並びました。それでも、各メディアの扱いから滲み出ていたのは、英国民のヘンマンへの愛情です。いつも冷静で紳士的な態度を貫きつつ、十分な実力がありながら肝心なところで負けてしまうヘンマンのことを英国民はこよなく愛しているようです。

もっとも象徴的な記事が7月1日付タイムズ紙の一面に掲載されています。”Let’s celebrate a winner as Henman loses again”と題されたその記事は、ヘンマンの過去のウィンブルドン大会での健闘を讃え、敗者ヘンマンを責めるべきではないという主旨のものでした。ヘンマンの素晴らしさを示すエビデンスとして、以下のようなデータが掲載されていました。
 「ヘンマンはベッカーよりも上?」
 (ウィンブルドン出場回数に対する準々決勝に進出した割合のランキング)
 1. 9/8 Bjorn Borg
 2. 10/8 Tim Henman
 3. 15/11 Boris Becker
 4. 14/9 John McEnroe
 4. 14/9 Pete Sampras
 6. 11/7 Rod Laver
記事の締めくくりはこうです。「ありがとう、ティム。今年もまたウィンブルドンでの重圧は大変だったね。来年もまたしんどい思いをしようぜ」。阪神ファンを上回る愛情あふれるコメントではありませんか。

さらに、2日付同紙には、自称ヘンマニアの少年がどうして我々はヘンマンが好きなのかを綴った投書をしていました。その中で印象深かったのが、次の一節です。「ティムは単に国籍が英国というだけではなくて、彼は英国の精神そのものなのだ。彼は、イングリッシュネスを体現した最高の英国大使として世界中を回っているのであり、サッカーのフーリガンからの連想で地に墜ちつつある英国の評判を修復させている」。
英国人が理想とするイングリッシュネスを知りたければ、ヘンマンのプレーをウォッチするのがいいようです。

(ウィンブルドン冷やかし記)
1日(木曜)、所用により午後に休暇を取得していたので、夕方から大会10日目の全英オープンを冷やかしに行ってみることにしました(現在のロンドンは9時過ぎまで青空が残っています)。うちから会場までバスと徒歩で20分程度です。
夕方4時半頃に会場入りしました。この時間帯であれば、入場チケット(一人12ポンド)は並ぶこともなくゲットすることができます。会場内には、19のグラウンド・コートとshow courtと呼ばれる3つのスタジアムコート(センターコートとNo1コート、No2コート)があり、グラウンド・コートは座席指定がなく、いつでも観戦することができます。
入り口近くにあるボードを見ると、久しぶりに復帰したナブラチロワ(47才!)のミックス・ダブルス準々決勝がグラウンド・コートで組まれていたので、これを見に行くことにしました。ナブラチロワのプレーには、さすがに往年の面影はありませんでしたが、若いジンバブエ人のコンビ(ブラック兄妹)相手に大接戦を繰り広げていました。我々は試合途中で帰ってしまったのですが、この試合は2回の日没サスペンディッドを経て3日がかりで決着がつく大接戦となり、結局ナブラチロワ組みは敗退してしまいました(対戦相手のブラック兄妹は、その後も勝ち進んで優勝)。

会場北端にあるNo1コートでは、杉山愛の女子ダブルス準決勝戦が組まれていました。これらshow courtのチケットも、夕方から売り出されるリセール・チケット売場で少し並べば、比較的容易にゲットすることが可能です。ということで、並びに行ったのですが、息子と一緒に並んでいたところを係員に呼び止められ、「show courtには5才未満のこどもは入場できない」と言われてしまい、残念ながら杉山組の応援は断念せざるを得ませんでした。
No1コートの外側は芝生の小高い丘になっています。スタンジアムの外壁に設置されている巨大なスクリーンで、センターコートなどshow courtの試合の模様が常時放映されていて、show courtに入れない多くの観客がビール片手に試合の様子を観戦していました。この丘、正式名称もあるのですが、通称をヘンマンズ・ヒルと呼ばれており、毎年多数のヘンマニアがここで盛り上がっているそうです。

(シャラポワ)
今年の全英オープンの話題の目玉は、なんといっても女子シングルスにおいて、マルチナ・ヒンギスに次いで戦後二番目の若さで優勝したロシア人の新鋭マリア・シャラポワ(第13シード、17才)です。準々決勝(杉山愛)、準決勝(リンゼイ・ダベンポート)と、いずれも逆転で勝ち上がるというプレーにおける活躍とともに、そのチャーミングな容姿が英国メディアで大注目を集めました。この間、タイムズ紙などは”Ave Maria(ようこそマリア)”という見出しのフィーチャー記事を掲載したりしていました。
決勝戦はテレビ観戦したのですが、BBCで女子決勝戦を解説していたのは、ジョン・マッケンローとトレーシー・オースティンの二人でした。我々の世代にとっては、懐かしくかつ豪華な解説陣です。決勝戦は、相手のセリーナ・ウィリアムズがまったく本領を発揮できなかったことにも助けられましたが、パワーに対して瞬発力とプレースメントで対抗したシャラポワのプレーも見事でした。

週明けの報道も溌剌とした戦いぶりへの賛辞であふれていましたが、タイムズ紙には容姿に着目した面白い記事がありました。ロシア出身で美貌のテニスプレーヤーといえば、アンナ・クルニコワを誰もが連想するわけですが、最近はテニスでさっぱり奮わなくなったクルニコワを他山の石とせよという内容です。「クルニコワのような末路を辿らないための六つの方法」として、以下があげられていました。1.試合に勝つこと。2.著名人のボーイフレンドを作らないこと。3.テニス以外のこと(財テクとか)にかまけないこと。4.セクシーな衣装を身につけないこと。5.ダブルスのパートナーとの関係を良好にすること。6.両親に冷たくしないこと。シャラポワにとっては大きなお世話なのでしょうが・・・。
それにしても、今年の女子シングルスの上位シードを見ると、シャラポワの13シードまでで半分以上がロシア人となっているのには驚きました。

(ウィンブルドン雑感)
ウィンブルドンの全英オープンに関するメディア記事を見ていると、SW19という表現が頻出します。これは、ウィンブルドン地区の郵便番号であり、ウィンブルドンのテニス大会を示す符丁になっています。例えば、シャラポワに関するある記事の見出しを拾うと、”Blonde bombshell: From Siberia to SW19 -the rise of Russia’s Maria Sharopova”といった具合です。
郵便番号で表現されてしまうというのは、それだけこのテニス大会が特別だということを示唆するのでしょう。今回、実際にその華やぎに接してみて、改めてそのことを再認識させられました。
7月2日付のフィナンシャルタイムズ紙に、英国は有力なテニスプレーヤーが少ないけどウィンブルドン大会を持っていることを誇りにしようという内容の論説記事が掲載されています(Wimbledon: Britain’s undisputed world number one)。曰く「結局、全英オープンが醸し出している独自性の多くは、テニスとは関係ないところにあるのだ。それは、(会場で売られている)ピムズやストロベリー、show courtsにいる軍人のように折り目正しい接客係、不順な天候に耐えつつの観戦、そしてどのテニス大会よりも古い過去の歴史である」。
テニスの四大大会の中で全英オープンが「特別」であることはテニスファンの間では常識な訳ですが、実際に会場に足を踏み入れるとそれを改めて確認する思いがしました。ウィンブルドンの独自性を構成する要素について、上記FT紙記事に付け加えるとするならば、選び抜かれたボール・ボーイズ&ガールズのきびきびとした仕事ぶりと十年一日の如く変わらない審判の威厳に満ちたコールがあげられるでしょうか。

今年のウィンブルドンは、いい大会だったという評価が多いようです。女子シングルスで超新星(となりうるタレント)が出現したうえに、男子シングルス決勝戦(フェデラーvsロディック)が印象深い好ゲームだったことがそのような評価につながっているのでしょう。7月5日付FT紙は、今年の男子決勝戦が、二つの意味でウィンブルドン大会の伝統に沿った素晴らしいものだったと述べています。第一に、卓越した技を軸にした好ゲームだったこと。第二に、試合後の優勝者と準優勝者のコメント・態度が立派だったことです。
前者については、私も同感でした。FT紙はこのように述べています。90年代以降のテニス界はパワー全盛の時代であり、「テニスのクォリティという点では、20年以上昔であるボルグ、コナーズ、マッケンローの時代に時計の針を戻さねばならない。それは懐古趣味的なくだらない話なのかもしれないけど。(中略)しかし今や我々は、卓越した強さと優雅さと体力を兼ね備えたプレーヤーを得ることができた」。
後者について、同紙記者はロディックのコメント(”I threw the kitchen sink at him, but he went back and got the tub”)がウィンブルドン決勝における敗者の古典的なものだと言っています。力を尽くして及ばなかったことを率直に表現する様に対して好感が持たれているようです。

ヘンマンやウィンブルドンの全英オープンを通して、英国人がどんな価値観の人たちであり、どんな価値観を大切にしようとしている人たちなのかが、少し実感できた気がしています。


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