DOMINO
     2003年03月03日(月)

 目が覚めると辺りは真っ暗だった。
 自分が今までどこにいたのか、残っている記憶だけをぐるぐるこね回してみる。思い出せない。けれども、明るい場所でなかったのは確かだった。突然こんな闇の中に放り出されても、ほら、地面の草や自分の姿がはっきり見える。目が暗闇に慣れている。
 遠くにぼんやりと月が浮かんでいる。空には雲が出ているようで、オレンジよりもくすんだ色が、祭りの提灯のように、神社のかがり火のように、ゆらゆら、ぼう、と漂っていた。ところどころがむらになって凝り固まった綿のような雲、包まれている月はきっとあの雲の裏側で、磨いた真鍮板みたいに光ってるんだろう。
 足元の草がかさ、と揺れた。虫だ。空気に触れた銅線のような鈍い色の、細くて硬そうな足をもじょもじょ動かしている。こおろぎに似た、でも大きさはその1.5倍はありそうな醜悪な虫だった。月を背にしているせいか、それとも草の陰にいるせいか、鎧のように段々になった背はてらてらと色を返しているのに、巨大な複眼には光りのひとかけらも浮かんでいない。闇だ、あの丸い目玉の薄い甲殻の裏側には途方も無い闇が詰まっている。虫の顔の何が怖いって、表情が読めないのが不気味で気持ちが悪い。虫には脳味噌があるんだっけ、それともなかっただろうか。意識しているのかしていないのか、けれども確実に虫は自分の方へ近づいてきているように思った。あの眼がにじり寄ってくる。怖気が立って体を後ろへ退こうとした、が、動かない。
 柔らかい土が僕の足を押し返して
































 目が覚めると辺りは真っ暗だった。
 自分は箱のような部屋の中で、じっとうずくまって座っていた。部屋はがらんとして、自分以外のものは何もない、というよりも、自分以外のものの気配は何も感じ取れなかった。あまりに暗すぎて視界は全くの零だった。
 突然、しかし天井がぱっくりと割れた。箱のようなこの部屋は、真実箱だったのだとその瞬間に気がついた。空からの光は人工的で、部屋の外にはまた部屋があるのだと理解できた。その光をさえぎって、大きなものが降りてくる。それはこの小さい箱の四方の壁も飛び越すほど長い何かにつながれていて、僕の両脇をつまんで持ち上げようとしている。あたたかかった。そう、これは指だ、途方も無く大きな手だ。それも僕が理解がいった。
 それではこの大きな手は真実大きいのか。僕が小さいだけなのではないのか。
 足が部屋の床を離れて宙に浮く。どんどんと部屋の上部に吊り下げられていき、だんだんと視界が開けてくると、自分が元いた部屋の外にはやはりまた広く部屋が広がっていた。
 上から見下ろしてみると、その小さな箱は箱のような形のランドセ




































 目が覚めると辺りは真っ暗だった。
 と、いきなり横様に何かから振り落とされる感覚があって、僕は突然教室の中にいた。周りを机がせわしなく行ったり来たり、そうだ、掃除の時間なのだ。
 「ちょっと、何座り込んでるの、早く机を運びなさいよ」いつのまにか自分の隣に立っていた女生徒がしかりつけるような声で言った。慌てて飛び起きる。ごめんなさいを言おうとしたのだけれども舌がもつれてうまく言葉にならず、僕は背中を丸めて彼女から眼をそらした。そしてちょうどそこで腹に当たった机をよいしょ、と持ち上げる。
 黄色く茶色い木の表面は新品のように傷一つ無く、教室の前から後ろへ運ばれる机はみな一様にぴかぴかと脚や腹や背を光らせていた。男の子も女の子も、たくさんの生徒が一心不乱に机を運んでいる。目を合わせるものも私語をするものもない。掃除の音楽が遠くで小さく鳴っているだけだった。
 僕は気まずい気持ちで、先ほどの女生徒を探した、けれどももうどの子がその子かわかりようがなかった、
 彼女も彼も区別無くみな一様に机のような顔を 、僕












































 目が覚めると辺りは真っ暗だった。
 家族と旅行した先は思いもかけず寂れた場所で、企画をした母と父との間にも気重な空気が流れていた。この旅館についてから、まだ自分たち以外の宿泊客を見ていない。
 通された部屋は畳の匂いが古臭く、少しかびの匂いがした。まだ暗闇とお化けを恐れる妹は、これはまずいと思ったのか、僕と一緒の部屋に寝ることを拒んで母と父との寝る部屋へ行った。夜中にトイレに起こそうとしても、僕は応じないと踏んだのだ。おかげで僕がひとりでこの湿っぽい空気の中でかびと畳に包まれて眠ることになったのである。
 ただこの旅館の良いところは、夏の間は蚊帳をつるしてくれることだった。田舎の祖母の家でもお目にかかったことのないこの蚊帳というものは、なんだかひどく僕と波長が合うようだった。遠く、かすかに蚊取り線香の匂いを幻に嗅いだ。ああ、おばあちゃんに会いたいなあ。
 窓を開け放していたせいか、草の匂いと呼吸する虫たちの声が聞こえるような気がして少し心が動いた。夜中の空気は夏でも密度が高くて溺れそうになる。蚊帳の中にいるせいで、電灯には手が届かない。ああ、明かりが欲しい、暗いのは嫌だ、溺れてしまう。
 真っ暗闇の中に伸ばした僕の手に、かすかに触れたのは幻のようなはかない白い羽。
 指先に触れた蝶は止まったか止まらないかそれともこれも僕のま








































 目が覚めると辺りは真っ暗だった。
 ああ、そうだ、ビルの間に挟まってしまったのだっけ。こんなところ、誰も除いたりしないんだろうなあ。僕はこれからどうなるのだろう。
 うっかり自販機からおつりを受け取り損ねて、手のひらから転がった百円玉はころころとそのまま建物の隙間に滑り込んでいった。普段の僕ならそこでもうあきらめるところだろうが、月末で仕送りが入るまであと三日もあるこの現状では、たとえ百円でも笑って済ませるわけにはいかなかった。下手をするとあれが僕の生き残りに関わるかもしれないのだ、なんてことは無いのだろうけど。
 隙間はひどく寒い風が吹き込んでいた。そして、子供でも頭が大きければつっかえてしまいそうに狭かった。自分が元来細身であり、またちょっと食を抜いているせいでやせている自覚が無ければ、きっとこんな無茶はしなかったのだろう、と思う。
 さて、どうしたものか。声を出そうにも腹をこんなに押されてしまってはうまく発声できない。それどころか肺がめいっぱいには膨らまない。大声を出すだけの空気は得られない。
 隙間の冷たい風は僕をあざけるように頬を撫でていく。この狭さで地面の百円玉を拾えると思うほうが間違いだった。ああ、しかしかすかな光に百円玉が光るのが見える。見えるけれども届きはしない。
 声を出そうとする僕の努力を体は別に受け止める。押しつぶされる悲鳴のように、腹はぐうと情けなく鳴った。
 ああまた意識を手放してしまえば僕は楽にな
















































 目が覚めると辺りは真っ暗だった。
 学校で部活を終えて自転車をこぐ夢を見ていた、そう、夢だった。
 自転車の足元、ペダルのすぐ上に小さな人の顔がついていた。そう、そんなのは夢なのだ。
 小さな人は「自転車を止めたら死にます」と言った。だから僕は慌ててしまって、信号を無視して歩行者を無視して一心に自転車をこいだ。家がどんどん近づいてきて、でも小さな人は止めないで止めないでと繰り返して、それなら僕はどこまで行けばいいのだろうと途方に暮れた。
 いくつめかの信号で横断歩道を立ちこぎで突破しようとした僕に向かって、横手のバンがクラクションを鳴らした、不満たらたらの音だった。歩行者の安全を考えて、というより、交通ルールを無視した若者の行動に腹を立てて、というよりも、ただ自分が停滞している脇を通り抜ける自転車が憎くて鳴らしたような音だった。
 一心になっている割にどこか脳みその別の部分でそんなことを思いつつ、でも僕は必死だった。小さい人は相変わらず死にます死にますといって、ああだからこれは夢なのに。
 だったら今まだ自転車をこいでいる僕は一体何処にいるのだろう、もう何もかもがわからない。
 またひとつ信号が近づいてきた、これを無視したら今度こそトラックに跳ねられるかもしれない、ダンプにひきつぶされるかもしれない、でも小さい人は僕を睨んで死にます死にますと、ああ、夢なんだろう?そうなんだろう?
 額に大きな衝撃があった、瞬間的に目に映ったものは青く発光した小さな人で    死んでしま















































 目が覚めると辺りは真っ暗だった。
 生暖かい柔らかさと湿った空気と何よりも匂いで、自分が土の中にいるのだと直感した。僕は死んだから埋められたのだっけ、ああ違う、これから芽を出すのだ。自分の尻の下で何かもぞもぞと動く気配がする。これはきっと根が出ようとしてるのだ、僕はこれから背を伸ばし、新しい日の光を浴びるのだ。
 何がどうなってこうなったのかは微妙に記憶が混乱して困った。秩序立てて思い出すことができないから、当然言い表すこともうまくいかないのだけれど、聴いてくれるかい?
 僕は、母親の頭のてっぺんから飛び立ったことを覚えている。よく晴れた五月の真昼の風は、そこらじゅうに散らかっていたコーラやサイダーや早売りの漫画のインクの悪臭に冒されていたけれど、それでも陽は温かくて動物の背中の匂いがしそうな色をしていた。
 飛んでいる最中には不安なんて無かった、どこに落ちようが僕は僕でどんな環境でも耐えて芽を出すだけの力を持っていると思っていた、ねえ、ほらもう根を張ろうとしているんだ。どうだい?
 ああ、でも、そこから先のことをあんまりよくは覚えていない。僕はどうやって土にもぐったっけ、落ちた途端に気でもやってしまったのかな、何度も雨に晒された気がする、だってほら、体がこんなにぼろになっている。皮がもうゆるゆるだ。根を出してしまったからかなあ。
 これからのことを考えるとなんだかぼんやりしてしまうよ、だって、ねえ、咲いてしまったらもう役目が無くなってしまうもの。それまではどうとでもなるでしょ、それだけを目標にしてさあ。でも母さんが言ってた、あんたたちを送り出したらあたしの役目はみんな終わり、さあ、もう何も思い残すところはないわ、グッバイ息子ら、元気でおやり。グッバイのあとの母さんはどうなっただろうね?
 ああ、そうか、だから考えても仕方の無いことなんだ?こうして膝を抱えていても、僕の考えてることとは無関係に根がのびるもの。生きるように生きるしかないんだね、そうか、ごめん。こんな話は退屈だったかい?
 ああ、そうか、だったら僕はゆったりと葉の上にかたつむりを飼って生きたいな、ね、そうするくらいは自由になるんでしょう?



 今度目覚めたときには明るいところが良いのだけれど、そうぼんやりと思いながらまた目を閉じる。

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