ぬかるんだ・微笑に・路地裏で眠りこけていた
     2003年02月22日(土)

 目の前でくるくる目玉風船がまわっている。秋ごろになると通学路わきの田んぼでよく見たような。みっしり重そうにぶらさがった米の粒。粒だらけ。
 うずまき模様がくるくるまわる。ゆらゆらゆれる。米はさっきたくさん呑んだ。
 田舎に帰れと怒鳴られた。尻の下にぬかるんだ酒かすのかたまりがある。
 五月を過ぎると畑やら田んぼやらからすごい臭いがしはじめる。中学でも高校でも窓ぎわの席に座り続けて、夏になるまで苛々し通しだった。緑など嫌いだった。視界を塞ぐもののない平らな土と米とトマトの土地が憎くて憎くて仕方がなかった。
 背中の表にあったかい空気を感じる。あったかい空気に肩の上はずっしり、暑い。
 目の前でひらひら女がわらっている。オレンジ色の照明がぐにゃぐにゃ曲がる。
 誰だっけ、こいつ、誰だっけ。なんでこんなところで呑んでるんだろう。
 グラスの中身は米だったか、考えてみたらこれは麦だ。地元で作ってるのは米とトマトだ、これは田舎の空気の臭いはしない。ゆらゆらわらう。ぐらぐらゆれる。
 田舎に帰って今更どうなる。米もトマトも牛も嫌いだ、広い空も空気も嫌いだ。
 馬鹿なことを言うんじゃねえよ、帰るか、帰るかよ、帰れるか。
 笑ってるな、馬鹿な奴め、馬鹿が、馬鹿が、馬鹿にするな。

 襟をつかんで引き寄せた瞬間、白い手がひらめいて脳みそがゆれた。


 ぐらぐら。


 目がさめると背中の表がかたまっていた。路地裏で眠りこけていた。




/三題話「ぬかるんだ」「微笑みに」「路地裏で眠りこけていた」

     デスクトップアクセサリー「みみ」
     2003年02月21日(金)

 がらんと肌寒い薄暗い部屋は、朝脱いだパジャマも朝飯の残りもそのあたりに転がされている。玄関から入ってすぐ、その生活感が全く自分ひとりだけのものであることに、ひとつため息をついた。
 大学を卒業して、二年になる。地元の神奈川でも進学先の埼玉でもなく、就職して栃木に住んでいる今の状況を考えることができていたら、大学一年だった頃の俺はもう少し有意義に遊んで暮らせていただろう。こんな、毎日毎日朝から夜まで馬車馬のように働かされる生活のために、俺は四年の楽しみ全てを投げうってきたのだ。ああ。
 ネクタイを引き抜いて、投げる。靴下も脱いで、投げる。日に日に散らかっていく部屋を掃除するのは俺。どうせ俺。
 PCの前に座って、電源を入れる。あかりを点けないままの部屋の中に響く起動音が寒々しい。
『こんばんは、健! 今の時刻は2002年6月29日午前0時29分だよ!』
 デスクトップに今住んでいるのは、このあいだ作ったばかりの人格「みみ」。時間を報せてくれるだけではなく、メールチェックやスクリーンセイバーの起動もしてくれる。
「よお、みみ、今日も可愛いなあ」
『もう、なんでこんな時間まで起きてるんだよっ!? 早く寝ないと明日起きられないぞっ』
「でもさあ……仕事以外で人と話さないとさ、荒むんだよ……って、お前も生身じゃないけど」
 みみは頭の後でひとつにまとめたみつあみをぴょこん、と振って一回転した。
 正面を向いたその手に、なべをひとつ持っている。
『お夜食、作ってあげるから、まあそこで待ってなよっ!』
 ねっ、とウィンクをしてくれるみみに癒されながら、こんなんじゃ俺駄目だよな、と虚しくなった。
『ほら、肉じゃが。お前もいいかげん彼女作れよなっ!』

 今夜の俺の晩飯は、でもまたチキンラーメンなのである。



/出題「生意気可愛い」「料理人」

※「みみ」は料理人の格好をしたキャラクターです。
※生意気で可愛いという人格設定です。
※起動後に一芸でお料理(意外に家庭料理が多い。ランダム)を作ります。
※夜更かしすると怒ります。

     ストライプ
     2003年02月20日(木)

 学校に着くと、案の定まだ誰も来ていなかった。朝練があるわけでもなかったのだけれど、とても自分の部屋にそのまま居続ける気分にはなれなかった。
 窓の外をぼんやりと眺めてみた。机の上に頬杖をついてみた。大袈裟にため息をついてみた。
 窓から見えるのは半分以上が空だった。そしてどこにも雲が無かった。
 しばらく雨の日が続いていて、青い空を見るのは久しぶりだった。光の多い朝も久しぶりだった。

 学校に着くまでだらだらと歩いた道のことを思った。
 朝もまだ早いうちで、陽がめいっぱいに自己主張をしていた。空一面で青より白が勝っていた。
 夏が始まっていたことに今さらのように気がついた。そういえば今日は夏至だった。
 日が昇るのも一年でいちばん早いこの日に、太陽より早くに目を覚ましたことを憎らしく思った。
 憎かったのは夢の内容だった。

 昨日の夕焼けは綺麗だった。陽が落ちてはまた再生するのを日課として見る生活が割と好きだった。空の色にたくさんの言葉を当てはめられるようになったのは高校に入ってからだった。
 夕焼けがあるから朝にも朱が生きるんだと思った。そう思ったことを伝えたくてメールをした。
 用事が無いならメールしないでと返された。
 昨日の朝焼けには蝶が飛んでいた。そのこともわざわざメールしたから怒ってるのかもしれないと思った。青紫の綺麗な蝶だった。好きな色なんだと言っていたのを思い出したら、言葉をかけて欲しくなった。それだけのつもりだった。

 用事もないのにメールするのが迷惑だなんて考え付かなかった。すぐに返信してくれることに思い上がっていた。思い上がっていたことに気付いた直後に、彼女の友達に呼び出された。
 屋上には、頭の上一面に夕焼けの空が広がっていた。


 青紫を好き、と言ったのが嬉しかった。物心ついた時からもらうもの、選ぶものに青紫が多くて、妙な縁を感じていた。彼女の着てくる服に青と紫が多くて、目に付いたのもそれがきっかけだった。
 邪険にされたことが無かったから、とても気が付かなかった。
 夢の中にいっぱいに広がっていた朱は、たしかに屋上に乗っかっていたあの空だった。

『もう、ウザいと思ってるって』

 嫌な汗はもう引いていた。そのくらいのこと、と割り切れるほどどうでもいいことではなくなっていた。一面の朱が心底怖かった。嫌われていたことがわかって苦しかった。
 ぼんやりするとすぐに浮かんでくる彼女の顔が憎かった。憎いほど執着している自分はおかしい気がした。彼女の着ていた青紫のシャツが目の覚めるようなあざやかな色で、はっきりと頭に焼きついて苦しいくらいに胸が痛んだ。

 昨日だって笑ってたのに。
 嫌な顔なんて一度だって見ていないのに。

 窓の外の白っぽい空に浮かんだ笑顔が、朱と青紫にひらめいて見えてこめかみが痛んだ。みんな幻想だ。
 教室に、まばらに人が集まりだしていた。相変わらず窓の外を見つめたままで、引き戸が開く音にも気配にも気付かないふりをしていた。
 そのうちに彼女も来る。顔を合わせることよりも、その顔にどんな表情が乗るのかと考えてみて怖くなる。それでも執着はきっと消えない。まだ六月だ、これから何ヶ月も何ヶ月も、彼女と同じ教室で授業を受けて、きっと目が合うこともあって。
 そのたびに胸によみがえるのは、きっと昨日の夕焼け。

 頭を振って色を払い落とそうとして、その拍子にちょうど入ってきた人影に気付いてしまった。
 瞬時に目をそらしても、もう新しく目に焼きついてしまった、彼女の色。

 教室に入っても、席まで行くことをためらう気配。
 ふたたび頬杖をつこうとして、でも耐え切れずに顔を向けてしまって、また後悔が胸を襲った。
 青紫と朱のストライプが目に映った。




/出題「青紫と朱のストライプが目に映った」

     観察二十八日目
     2003年02月19日(水)

「パイナップルとピーマンだ。」
 炯太は憮然とした顔付きで、目の前のどうにも似合わない二つの食材を見下ろした。「どう見てもパイナップルとピーマンだ。」
 そんな様子で何度も同じ言葉を繰り返す炯太に、芳は小さくため息をついた。
「だから、それがどうしたの?」
 芳がいつものように炯太の部屋にやってきて、かれこれ一時間近く経つ。今までにも変だ変だと思うことはよくあったけれど、今日ほどおかしいと思ったことはなかった。
「実家から送られてきた」
 相変わらず目は二つのころころした食べ物から離さない。視線を逸らしたら逃げ出すというわけでもないだろうに、と半ばあきれながら、芳も同じように二つの食材を眺めてみた。パイナップルの葉も、ピーマンの表皮も、なんだかやけにてらてらとしている。家具らしい家具がひとつもない、四角い箱のような炯太の部屋で、生命感や躍動感すら感じられそうなそのお二方は、あからさまに不自然で異質だった。
「送るにしたって、どうしてその二つを選んだのかしらね?」
「実家で作ってるんだ」
 炯太が今回の訪問ではじめて芳を見た。力一杯寄せられた眉根と目元から察する炯太の機嫌は、過去最悪と言ってよさそうである。
「俺はピーマンが嫌いなんだ」
 炯太と芳には三歳の年齢差がある。芳が高校入学の年に、炯太は制服とお別れし、大学生になった。
「あんた……今年でもう二十三でしょ、好き嫌いなんてまだあるんだ?」
「世の中の人間がみんな成人とともに大人になると思うなよ」
 おいしいんだけどなあ、ピーマン。
「小さい頃から毎日毎日食わされてきたんだ、もう一生分のピーマンを食べてる! 自立して今度こそ永久にお別れできたと思ったのに、しつこすぎるんだこの青野菜めが」
 芳はまたひとつため息をついた。実家から何か送ってもらえるだけ、炯太は恵まれていると思うのだけれど。家を出てから、食糧どころか送金ですらしてもらった覚えが無い。それに、好き嫌いなんて、本当ならいちいち言っている場合ではないのだ、炯太は。
「まあ、とにかく、ご両親も炯太の体を心配してるんでしょ。ほら、ちゃんとおいしく料理してあげるから、そんな顔しないで」
「芳の料理は好きだ」
「一応、このスキルで生活立ててますんで」
「でもどんなにうまくても俺は半分しか食べられないんだろ、不公平だ」
「…………………。」
 知り合ってからもうすぐ一月になる。その間、食材を抱えてこの部屋に来たのは三回。料理に使った食材が二十種類。「嫌いだから」とはねつけられた食材が十八種類。
「……まあ、出来上がったら一口だけでも食べてみようよ」
 それでも食べさせることをあきらめないのは、炯太があんまりにも不健康そうだから。目を放したら、それこそ炯太の魂が炯太の体から逃げ出していってしまいそうだから。栄養士の資格を持ち、健康こそが人間の宝と信じている芳には、たとえただの知り合いの一人だとしても、むざむざ栄養失調で死なせてしまうことが、ひどい罪のように思われたのだ。
 この部屋に来て、食べられるものがあったのは初めてだった。灰色の六枚の板に囲まれた、まるで水の入換え口の無い水槽のような部屋の中で、確かに生命のあるもの――あったものが存在するのは、だから、ひどく、不自然だった。
 澱んでいるわけでなく、ただ何の生命も育まない温い水のあつまり。主であるはずの炯太さえ、時には生きていることを忘れていそうなこの空間で。
 ……陶器の魚、というのを思いついて、でもそれが炯太に似合うとは思えなくてひとりで苦笑した。
 できあがった料理はピーマンとパイナップルのスープ。案の定炯太は一口だけ口に入れてすぐ吐き出した。ひどく気分悪そうに丸めて向けた背中越しに投げられる、もうすでに何度もお世話になっている小さなポットに、ため息をつきながら残り物をつめていく。
 次のチャレンジには、ピーマンだけはやめておこう。

     空飛ぶ
     2003年02月10日(月)

 感傷的だからってすぐ何でも乙女チックだなんて言われたくない。何も知らないくせに決めつけないで、と妹は言う。
 死人を出して。台所の出刃包丁を持ち出して妹は外に出ていく。血を吸って笑え、いや輝け、なんて馬鹿。

 妹は学校に通っている。夜中になってからやっと部屋から出てくる。外に出るときは出刃包丁を持っている。
 昼間に学校に行くのは見た事がない。見ようもない。僕もまた夜中にしか動き出さない。
 いつものようにずるりと部屋から這い出した妹のうしろに、僕も同じく這いつくばっていく。
 横顔を見せて僕をにらみつける、妹の顔は、左半分がやたらに白ぬられている。美しい。
 美しい、僕の妹は美しいのだ。

 台所に続く廊下は冷たくて、肌にはりつく感じがする。腹の下にひろがるフローリングは生き物の背中のようである。水と黴と生魚の匂いをかぎわけて、台所の位置を探り出すのは妹のすることで、僕はその妹のうごく尻を追いかけていくだけで良いのだから楽である。

 家の照明はすべて落としてある。光など無くても不便など感じない。この家のすべては僕と妹に支配されている。というのは負け惜しみで、二ヶ月前から電気が止められているだけである。
 這いつくばらなければいけないというのは、実のところ天井が低まっているからである。
 だから台所というのも正確には台所の天井裏である。がしかしそれはどうでもいい。僕たち二人が住む空間が狭くなるのはとても喜ばしいことである。

 屋根裏に住み始めた理由は生活空間をその他の場所に見出すことができなくなったからである。
 この屋根の下には僕たちの愛が気化して充満している。
 前にうごめく妹の尻が視界を塞ぐ。白い脚が頭をからめとる。幸せな死に方をしたい。
 ふりかえった妹の手には光もないのに輝く抜き身の刀があった。
 にらみつける瞳に一瞬で心臓をとめた。

 夜空に向かって落ちていく、飛んでいく自分を刃の仲に反射で見つける。
 空飛ぶ夢は成長のあかし。飛んでいく先に幸せがあるか。





/出題「空飛ぶ」

     人形劇場
     2003年02月01日(土)

『さあ、てっぺんについたわよ』
『ついた』
『ミドリ、お弁当出して』
『だすー』
『天気が良くてよかったわね』
『よかったー』
「ソーコは草の上に赤いビニールシートを広げました。空には雲がひとつも無く、丘の上には気持ちのいい風が吹いていました。」
『今日のお弁当はなあに? ミドリ』
『たまごやき、ゆでたまご、たまごそぼろ、にらたまご』
『たまごばっかりじゃない』
『のみものはミルクセーキ』
『もういいわ。お母さんてば、わたしがたまご好きじゃないこと知ってるのに』
『ぼくはすき』
『あんたのことなんか聞いてないわよ』
『ぼくもおねえちゃんのことなんかしらない』
『生意気!』
「ソーコはミドリの長いひげを引っ張りました。」
『いたいっ、なにするんだよ!』
「ミドリもソーコの長い耳を引っ張りました。」
『この馬鹿! もう遊んであげないから!』


 テーブルの上に顔を出して、蒼子は手に持ったウサギの人形を放り投げた。テーブルの足元には、赤い頬をふくらませた緑が、言い返す言葉に詰まって黙り込んだまま座っている。
 蒼子はそんな弟を見下ろし、ふふんと鼻で笑った。言葉でも力でも、緑はまだ自分にかなうわけが無い。緑はまだ四歳なのだ。

「ほら、劇を続けるわよ。緑も人形持って」


『ほら、ミドリ、お弁当食べるわよ』


 ネコの人形は、テーブルの下に落ちたまま、動かない。
 大きなテーブルの向こう側を、いらいらしながら蒼子は覗き込んだ。


『ミドリ! ミドリ! 寝てるの!?』


 ふたたびテーブルの上に顔を出して、向こう側から出てこない人形と弟を待ってみる。
 と、ひょこり、とネコのひんまがった鼻がテーブルからのぞいた。


『もう! いつまで待たせるの、ミドリってば! あんたのせいで、お弁当もう冷めちゃったんだからね!』
『いいかげんにしろよ、ソーコ。お前はいつからそんなに偉くなったんだ? 姉なら姉らしく、もっと大人になれよ。お前、俺よりも四つも年上なんだろ? 卵も食べられないなんて、恥ずかしくないの?』


 蒼子は面食らって目をぱちくりさせた。テーブルの向こうから、ぴょこん、と緑の頭が飛び出した。顔には満面の笑みが浮かんでいる。
 緑の隣から、ゆっくりと立ち上がったのは、二人の母親の藍生。

「さあ、反省しなさいね、蒼子? 緑も、けんかなんてしないのよ。
 今日はふたりとも、おやつぬき」

 蒼子も、緑も、とたんに真っ青になった。





/出題「黒幕」

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