Life
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2004年10月27日(水) 自分で自分に言い聞かせて。

受け止めれる許容範囲は無限でね、
いつだってその幅はどんな風にも広がる。
そしてそれは、全部自分たちで形成していけるんだって気づいてしまった。

素直になること、伝えていくこと、行動を起こしていくことも。

私が笑って、笑って、笑っていられる毎日は、私が作っている、現実だった。

いつもいきなり現れる、嬉しくて泣きそうな瞬間を、もっともっと大事にしたい。
ずっと、言葉に出していくことを恥ずかしいことだと思わず。
このままどうぞ変わらず、londonだろうが日本だろうが私は私の今のままでいてね、自分に思うのです。

昔私も周りが気になって、比較して自分の自信がどうにかなってしまいそうになったことがあるよ。
でも、実はみんなが皆そう思っているんだって、ある時ふと、知ってしまってからは、なんだかまったく気にならなくなってしまっていた。

芝も芝のままで、世間の目も他人の目も、その視線さえも感じず、そこへ向かわず。

周りから私がどう映ろうと、自分の楽しいと思うこと、大切な人とその大切な人が思う、大切なものを、自分の事のように受け止めてみたい。
それは今からはじめられることだ。londonでも。

もっともっと、身軽になりたい。どこへでも飛んでいきたい。
「さよなら」を大切な人に伝えたり、どんどん自分から会いに行きたい。
周りが行動が遅くて、受身でも、私はもっともっと進んで、ぶつかって、抜かして、いけるって思って。

そのとき受け止めることのできる許容範囲は、これからは本当に無限。
このlondonでそれは大声で叫んでいろんな人に教えてあげたいくらい、どんどんどんどん、広がる。

今この一秒一瞬も。

夢を持つ時も、それに向かう時も、夢を叶える時だって、それは私の体を全部使って私が私で掴んで行かなくてはいけないんだよn


いまから、フルハムへサッカーの試合を見に行くってきます。
そして水曜の夜は、flatと皆で見る、映画の日。maraga今日は何を見たいんだろう。


2004年10月26日(火) 最後まで人に会ってたいなぁ。

土曜日カンタベリー、日曜にノッティンガム。
先週も、とことこと出かけて、それからまたクラスメイト皆で郊外ウィンザーへ。
コーチの旅は少し疲れるけど、友達と笑っているとあっという間。
バスで3時間のノッティンガムさえも、ずぅぅっと笑っていたからあっという間だっ。

私は今、イングランドの秋を満喫しているよ。秋、今では大好きな季節だなぁ。昔は、春だったんだけど。

そしてlondonも小さな秋が、大きな街を包んでいるよ。
学校へ行く朝のバスの中からいつも、眺めて見ては思うこと。

それから、londonの駅から切符を買って旅をするとは、実は想像もしていなかった。
というのは、一人旅大好きだけど、やっぱりlondonは大きくて、最初は怖かったから、来た時はそんなことできないなぁって思ってたんだもの。

来週日曜はフランスへ行ってくるよ。ワインの村へ。
そして11月の3日間、今度はフランスのニースに行ってきます。
ニースはどうしても行きたかった国で、もちろんベストシーズンが夏だって事も知っているけど、あえてこの時期に一人で行ってみたかったの。

というのは、私が小学校のころから大好きな、シャガールの美術館があるから。
海でも、夏でもなく、ただ彼の美術館のあるニースへ。
どんなことを思うのかな。それもすごく楽しみなこと。

金曜の夜は一緒に行きたい相手、tomoと、くにちゃんと3人でcafeへ。
私は、彼と話をしていると、日本にいる大切な友達、しのさんやまどかを思い出すなぁっていつも思う。
彼は男の子だけど、女の子以上に通じるものが会って、それは多分私の言葉をちゃんと受け止めてくれて、彼も届けてくれるから。
心に思う大切なものがお互いに、自然にはなすことが出来ているんだと思わずにいられないの。

いつも、見返りを求めていないつもりでも、自分の友達との間にある愛情に一方通行を感じたらそれは皆、本当に悲しいことなのではないかと思う。
同じ言葉をしゃべる相手だからこそ、伝わるものも余計ストレートで、ずどーーんって重いよ。
それをわかっているから、私は友達に対して、そこだけはいつも慎重。
ほかのことはどうでもいいくらい気を抜いてしまうけど、気持ち対気持ちは、いつだっていい意味で気を使って向き合いたい。

彼の好きな彼女の話も友達の話も、全部彼の目から移るものの見方がいいなぁと思う。
それは私の日本にいる友達に共通することすべて。

本当にlondonで会えてよかったねぇとお互いしつこくしつこくいいまくるよ。
そんな相手がいると、すごく安心するよ。本当にありがとうと思う。

抱えられるものはすごく小さいけど、それを大切に抱えていく事が私に出来る一番の大きな事。
それは世界を狭くするのではなくて、私の心に安心だったり、信頼だったり、十分な力強い大きさなんだって知っているんだよ。


2004年10月21日(木) 秋と冬の間

秋と冬の間だなぁと、今朝ハイドパークを歩きながら。
いろんな映画で、何度も何度も見た、あの 風景が広がっていたよ。

芝生は緑なのに、ハイドパーク全体の木は黄色や赤い色をしていて、空気はカラッとさむくて。
でも今朝は太陽がでていて、その光がきれいで、それだけで気持ちがいい朝。

昨日の夜はmargaとdemiとmoteの4人でdinnerを食べながら、なんだか3人に会ってからがあっという間だったなぁと思った。
そして、皆が口々に
「前のフラットで一緒だったときはすごくよかったね、でも今もこうやって会えていることが良いよね。」というよ。

それにつられて、わたしはもうずっと、
「私は本当にラッキーだと思う。そしてこの生活が本当に幸せなんだよ。ありがとう。」と何度も言わずに入られなかった。

南アフリカにも、スペインにも必ずこの先行くからね。

大切なことは心に黙っていること、それも賛成。
でも、私は大切なこと、大切な瞬間は、そのときすぐに、大切な人に伝えたい。
それはずっと変わらないことで、しつこいといわれても、その一つ一つが私にとっては大切なことだから、ずっとずっと大好きな人に伝えて生きたい。


2004年10月18日(月) 自分で環境を選べれること。

もうずっとその人の側にいられるのなら、何もいらないっていう生き方は出来ない。
その人がいるから、そこで生きていくっていう選択が出来ない。

自分のしたいことが出来ない環境に身をおくということが、想像できなくて、
今までの私の毎日も、ずっと心で描いていたこと、いつかは出来るように、するすると目の前が開いてきたような気がする。

それはもちろんたくさんの人がその扉を造ってくれて、そして開けてくれたからなんだって思う。
あぁ・・幸せだったんだよなぁって一人ハイドパークをうろうろして思ふ。

金曜の夕方、すごく素敵な隠れ家カフェに連れて行ってもらった。
その、リバプールからの帰り、バスの2階で揺られながら、少しだけ雨の降るロンドンの町がすごくきれいに見えて、また色々な事思ってしまった。
そして、9時頃家に付くと誰もいなくて家全体が真っ暗。
土曜の朝、早く起きても、シーンとしている我が家は、今ではロンドンのどんなに素敵な場所よりも落ち着く空間。

今から心配するなんて悪い癖だと思うけど、帰国をしたら私の環境はどうなるのかなぁって少し思う。

今までは好きな仕事があって、こっちにくる前も少しだけ美術館でお仕事が出来て、
そのときはすでに心はロンドンで、その事を想うだけでどんなことも笑い飛ばせてきたように想う。

ロンドンに居続けたい人が多い中、私は帰る場所も、私がしなきゃいけないことがある場所も、ここじゃないって知ってる。
そしていつかここに帰ってきたいって想っていることも知ってる。

ロンドン大好きだけど、本当の本当はここで好きな人たちと一緒にずっと暮らしていたいけど、それは体全体で感じているけど、私はここでは何もはじめることが出来ないって知っているんだよ。

自分の国のこと、ここまで一生懸命考えることが今まではなかった。
戻る場所がある私は幸せなのに、帰ってきたい場所を、心にこの先持って生きていくことを、逆に私の楽しみや強さにしていけるのかなと、思う。

今週は、みんなが国に帰っているので、jonと2人だけ・・なんとなく早く家に帰ってみると、
「2人で食べるためにチキン焼いたよ」なんて待ってってくれてた。

こういう優しさも、自分が返りたいと思う場所も、日本の家、私の家族に会いたいと思う気持ちと同じくらい大きなもので、それをここで抱えて笑顔に変えているよ。
そして、夜がどんどんふけて、また朝がくるよ。


2004年10月17日(日) 羨ましいなぁって言葉は使わないって決めたの。

楽しい旅のあとの必ず何日間は、疲れとその時間の会った人や風景を想ってなぜか、ものすごくものすごく、会いたくなって、心に思いが募る。

だからきっと、londonを離れたら今当たり前に身近にあるもの、その全部が愛しくなるんだって今からわかる。
と、想っていたら大親友のまどかから、
「rikaは何ヶ月か先の帰国の日のことを今から少しずつ思って、ブルーになっているのではないかと心配しています。」
と書いた手紙が届いていた。うぅ・・ビンゴだ。。

帰国までにしたいことが山のようにあって、今一つずつしているところ。
大好きな大好きなとある場所へ一人で行ってこようと思っているし、
スペインのteresaにも会いたいし、ドイツへも行ってきたい。
全部やれるかな?やってみるつもり。
きっときっとやれるはず。

それからこの国で出会った、自分からちゃんと会いたい会いたいと言って、
合ってもらっている数少ない友達には何ができるかなって思って考えているんだよ。

昨日はサトコサンの旦那jamesと2人で高級中華店でのお食事の日だった。

さとこさんがここ数週間、日本に帰国している今、その間中ずっと冷凍食品だったという彼と、ここのとこ毎日マフィンばかり食べている私。
そんな栄養の偏りが激しい2人は、「おいしいねーいい時間だねー。」と言いあって、2人でパクパク、ぱくつきながらずっと笑っていたよ。

思えば最初、jamesの英語が早くて早くて、2人で会うのが怖かった。
でも今では、ギャグだらけの会話に笑って、そして突っ込むことができるように。この時間をくれた、jamesに大感謝して家に帰るよ。

今、遠くに会いたい人もいるけど、ここにも会いたい人たちがいること。
私にとって会いたい人に会うことができて、関係が続けれること。
それこそ、本当に意味があることだっていつも思っている。

今、持っている もの は私だけのもの。
周りと自分とを比較しながら、自分にないものを求めて、つかんでも、最後は何も ここ には残っていないって知ってる。
ここ にあるものは、私だから持っているのであって、隣の人が持っているものはその人だから持っていけるんだ、って思う。

私が与えてもらって、受け止めた私だけのものたちを、もっともっと大切にしなくては。

だからね、(羨ましいなぁ)って言葉は、使わないって決めたんだ。


2004年10月11日(月) 皆が優しくて泣いたこと。

小さい頃読んだことがある景色だって思った.
それは日本じゃない何処かの空だって事は間違いなくて、澄んだ深い青の中に白くて大きい雲が浮かんでいる物.

今週末coventryのイギリス人の家に遊びに行った.
その彼とrikaは恋人ではなくて、本当の友達.日本にるときからの友情を育んできた仲.

留学してからも良くあっていたけど、いつも生まれ故郷に来いと言ってくれて、それに甘えてお邪魔することにしたの。

駅で彼が待っていて、車でしか回れない街コッツウオルズすべてを回ってくれたよ.
そのあと彼の家に着いて、ドアのベルを鳴らしたらrickyのママ・クリスは大歓迎で私を迎え入れてくれた.
そして山のように日本のことを聞かれて後、クリスとその友達、お父さん皆で、タイ料理のお店へ.
そのあとも彼の友人たちが集まってくれて、大学内のパブへ行ったよ.

「この小さい町で日本人に会うことは無いよ.だから一週間日本のことをずっと考えてみた.」
と皆に言われてまたたくさん質問を受けたよ.

夜は彼の家でお兄ちゃんと3人でトランプをして、
その後クリスにつれていってもらった私が泊まる部屋は本当に素敵で、でもお化けが出るのかもと思うくらい広かった.
それでも今日彼の家族や友達が私を迎え入れてくれた優しさが、作られたものではないことはびしびし伝わって、
それからクリスが私の母に似ていて、ものすごく疲れていたけど、何故か泣けてきた.

日曜の朝は防寒対策をばっちりして、彼や友人たちの近所のサッカーチームの大事な試合を見に行ったよ.

そのグランドはすごく広くて、ここでもたくさんのイギリス人にお会いして、
また皆が私をきずかってくれて、でも私もその中に溶け込みたくてがんがん入っていったよ.
rickyも兄のような目でうれしそうに見てくれてた.

で、はっと気づいたら広いグランド、皆のプレーその上に昔みた絵本の中の空がぽっかり浮かんでいて、
あぁ、本当に存在するんだって思ったら、この田舎のただ何も無いグランドでサッカーをしている皆とその優しさと空と雲が、どんどんぼやけて涙が泊まらなかったんだよ.

rickyはそんな私は実は面白いというよ.
rikaはいつも泣いたり笑ったり怒ったりを作るねぇと言うよ.
私も本当だと思って、なんだか泣きそうだったのにまた笑ってしまった.

彼のおかげで特別な経験が出来て、それからカントリーサイド更に大好きになって、充実した週末だった.

帰りの電車がくるまで家族の皆がいっしょに居てくれて、口々にまた来いとか、いろんな事を言う.
それからrickyはiknow we can stil be brother sister.なんていう.
ぼろぼろ泣く私をけらけら笑う彼と、すごく不思議な友情が育めたことを幸せに思うよ.

私の英語はぺらぺらじゃない.
英語を母国語とする人の前ではずっとしゃべれないって思ってた.ましてやその数が増えたらなおさら.
でも私は今回、日本の事私のことを話したくて、そして皆の輪に入りたくてどんどん入っていったら、皆もどんどん私を囲んでいたよ.

国でも言葉でもないって思う.
私たちは一人の人で、皆が一対一、怖がることは一つも無いよね.

だからその皆のいつも近くにある限りない自然をみて、涙が出て、この先また何年かは会えないのかなと思ったら本当に本当に悲しかった.
でも私は今ここに居るのだから、その時間、皆に会えた事、景色をすべてを心に残していきたいとおもうの。


2004年10月07日(木) みんなが誰かを想っている

何が好きなの?
どこが好きなの?
何度も何度も確認してしまうよ。

このロンドンを心の奥から好きな人はきっと星の数ほど。
心の奥のその一番下の、ハートの先のとがった部分から、私も私の全部で大好き。

普通に生活していればあたりまえになること、その一つ一つがどうしようもないくらい好き。

フラットメイトとvideoを見たり、
おかしなフランス人crisuの歌うlovesongを聞いたり、
雨と雨の間のはれた空を見上げながら歩いていても、
その時間、一分一秒が大切で、落ちこてこぼれてしまったと想うものすべてが、ここでは染み込んでいくよ。

ボンドストリートから少し横道入った小さなコーヒーショップで、お茶をして帰る。
日本ではしのさんやはっせとよくこうやって、話をしながらお茶をしてさっくり帰ったなぁって想ったの。
ここでも数少ない大切な友人のtomoとrikaはそんな関係で、今日もさっくり話をして、また別々の方向へ向かって帰るよ。

その行き先は違うけど、想いは一緒。
感じ方も、気持ちの持ち方も、それから不安も抱えて、でも私たちはちゃんと前を向いていくんだ。
この先も、一緒にお互いの人生を少し気にしながらも、いつか合流することが楽しみと想いながらがんばれることが、私は本当に嬉しい。

私が大切だとおもう友人たちを想う、大切な人の存在。
まだ、お会いしたこともないことが大半だけど、その人たちが、私の周りの大切な人を、遠い日本から想う気持ちは、私に強く伝わる。

嫌いな自分がどこにもない。
嫌いな人も、時間も文化もない。
ただ苦手なことは、苦手とちゃんと持って認めていたいの。

ありがとうは体中の大半を占めていて、そして気づかせてくれた、時間や人に本当にありがとうと想う。

私が大切と想う人や私自身が、後悔のない先へ進めますように。
そしてここで出会えたことを、皆で一緒に私たちの 先 へつなげていけますように。





2004年10月05日(火) 全部自分にご褒美。

沈みかけてた船を立て直すために、金曜日の朝起きてすぐ学校に向かうのをやめた。
それでバスに乗って遠くへ行こうと決めたけど、出発から2時間でまだlondonbrige。
ボロマーケットによってお昼を買っていたら、偶然さとこさんの彼jamesのお友達の再会。

あったかいカプチーノとcarrotケーキをご馳走になって、londonで大好きになった青い小さいぶどうも買って教会前のベンチで一緒に食べることに。

彼が「ところで、rika。君はどこへ行くんだ?」というから、
「え。今から旅行。」
「今から?どこへ?冗談。大切な週末に?」と笑い飛ばされた。
なんだかつられてげらげら笑っていたら、すっきり。

そしてmikeと分かれて、テムズ川沿いを歩いて、テートモダンへ。
ミレニアムブリッジを渡って、セントボール大聖堂の前に出たときは私はもうすっかり元気だったよ。

なぁんだ、と胸をなでおろす。
なんだぁぁ、本当に本当に、よかった。

希望で満ちすぎてみていること、
あるときを境にぷっつり否定されたり、
そのことが目の前からどんどん遠く離れて消えたりすると、
心の中が空っぽで、もうすべてを否定されたかのような気持ちになる。

でも私は私なんだったと、強く持ち直せたつもり。

今まで楽しいことばかりではだめだって思っていたけど、もちろんその中に厳しさが存在してこそだとわかっているけど、
なんだか最近は私は楽しいことだけをずっと求めていってもいいなぁって思ってしまっているの。
その、自分がもう心から楽しいことを知って、毎日こんな気持ちで生きて、進めたらなんて素敵なんだろうって思う。

それと、嬉しい事、大好きな人とずっと共有すること。
だけど、逆に、悲しいことは人にすぐ言えないよ。
そういうことを含めて全部を出せる相手が目の前にいたらどんなに楽しいかと思う。

最後にここロンドンでもう3回見ているけど、
帰国前にどうしてもいい席で一人で見たくて、自分へのご褒美ですごくいいチケットを買った。
このライオンキングを見たら、私も日本へ帰国だよ。


2004年10月04日(月) 朝方のロンドン

朝方のロンドンの町はとても静か。
私は家はねノッティングヒルの駅一本渡ってすぐの所です。
そこは、土曜日ポートベローマーケット狙いの人であふれ返る街なのだけど、とは対照的な日曜の朝。とてもとても静か。

土曜の夜は誰かの家でチェスをしたり、パブで飲んだり、一晩中皆と踊ったりして、
その余韻冷めぬまま2階建てバスの一番前に座って帰る朝、
この街にヒトリポッツンとおろされると、今この時間は現実なのかなって思ったりするんだ。

「もっともっと、遊んで楽しんできなさい。」
と久しぶりに電話をかけてきた父に言われた言葉。

私の留学はずっとずっと生きたかった国で
ただただ純粋に生活をしたくて、そして英語を使っていたくて、それできているのだと言う事、
それから素朴な焼き菓子や、暮らしのスタイルを感じたくてここにきているってこと、
だから堂々、学んで遊んで感じて帰ろうぞ、と、うきうきする気持ちがまたぐぐぐーっと復活。

私は私の人生のご褒美で今ここにきているんだった。
そしてこなかったら後悔するって知っていたよ。

現実離れしているなって今思うこの時間は、明らかに私の毎日。
それを作ってきたのは私や私を好いてくれる皆のおかげだからこの毎日を大切にしようっていつも思い直す。
3日間も寝込んでいる場合ではなかった。へへ。

私は朝いつも同じ時間に目がさめてしまうんだ。
だから今誰もいないキッチンで牛乳いっぱい入れてミルクティーを飲んでいるよ。
フラットの皆は週末思いっきり遊んで
今日はぐっすり寝ているから、日曜の朝の家は家中でシーーんとしている。

このゆるくて、やわらかい空気がいっぱいの私の家の中や、
町も、公園も、道も、それから人も、
その全部が大好きと思える今は、私の大切な現実たちなんだ。


2004年10月01日(金) 落ち込みお化け

3日前ぐらいから風邪を引いてしまって、
学校も休みに休んで、でもみんなにも会いたいってずっと思っていたら、
金曜の今日、目がさめたらすっきりすっきり。

でも、3日間の風邪をきっかけに、とてつもなく落ちるところまで気持ちが落ちていて、気づいたらその底へどっぷり。

寂しい気持ちが津波のように押し寄せて、なんだか母の声が聞きたくてかけて出た母の、
相変わらずの押せ押せ・前向きムードがロンドンまで漂ってきて一気に元気になった。

それから前のフラットメイトのユタカはぴゅーっと飛んで来てくれた。
私の学校は日本人が本当に少なくて、プライベートまで仲良くできているのは今ではようこだけだけど、彼女も毎日家にきてくれて、薬をくれたりご飯を作ってくれて、彼女のメールひとつでも泣きそうになった。
そしてユタカはここへきても、疲れていたのかちょっと寝て、パソコンをちょっといじって、jonと少し話をして、帰っていって、
何をしにきたのかまったくわからなかったけど、ロンドンにいるという存在にそして2人のやさしさに感謝。

「俺もロンドンで、3回くらい落ちとるよ。そのたびに一人はキツイなぁっておもうけん。」
といわれて、そんなこと話してくれるから私まで救われたようだ。

毎晩毎晩、レモンとハニーのドリンクを作ってくれたmarugaや、
jonの仕事仲間のなんだかすごくかっこいいでもいまさら名前を聞けないミュージシャンの彼を含めて、フラット全体で私の風邪を心配してくれて、
部屋で休んでいたものの「トントン」とドアをノックされるたびに「私は大丈夫」と大丈夫じゃないのに声を出していたよ。

だから、本当は少し日本が恋しくなったのだけど、
まだまだここで生活してかえろうって思っているの。

それから落ちた原因は自分でわかっているから、これも自分であがるしかないし、そのきっかけも自分で持っているって知ってるよ。



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