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2004年01月28日(水) |
この特技が履歴書に書けたらなー…。 |
フォトショップの講習会はとりあえず今日で無事終了。あー、大変だった。 明日はエクセルの講習会だ。それで今月の講習会の予定はすべて終わりだ。
2月はちょっとお休み。 そして3月、再び講習会がスタートする。 このお休み期間中、私はやるべきことがあるのだった。 勉強&体操だ。勉強はマジで真剣に打ち込まないといけない状況。 とある検定試験を受験するためだ。
ところで、今夜はシーフード焼きそばと餃子を焼いて食べた。 私の焼く餃子はもー、天才的!! パリッとジュースィーなのだ。 なんたってお店の人が焼く餃子にひけをとらない出来ばえなのだ。 私は「パスタのアルデンテ具合」と「餃子の焼き具合」に関しては、自分で言うのもナニだが全国レベルでも上位に入賞するのでは?と思っている。 特に餃子の焼き具合は、今まで一度も失敗したことがないのだった!! 以前テレビで「島田しんすけ」が餃子の焼き方を紹介していたのをたまたまみていたのだが、後日その内容を思い出しながら作ってみたところ恐ろしいほどに完璧な「焼き」を完全再現することに成功したのだった。
さて、 餃子自慢はこの辺にして、今日は眠いのでもう寝ようと思う。
3ヶ月ぶりの体操場。
寸前まで「行く…行かない…」と自分自身の中で戦っていた。 今日はアクアビクスの日だった。 レッスン15分前に「よっしゃー!!」と自分に気合を入れ猛スピードで水着を取り出し体操場グッズをカバンに詰め込み家を出発したのだった。
久々に汗を流しての感想…。 行ってよかった。本当に行ってよかった。 カラダは覚えていた。筋肉がみるみるよみがえる感じがしたよ。
帰り際、体操場のフロントでプール用のシューズが販売されていることに気づいた。 プールの中ではくシューズなのだが、靴底には滑り止めが付いておりおまけに数ヶ所の穴があいている。 これさえ手に入れれば、もー水中でツルツルすべることはないのだ。なんというすぐれもの!! フロントのスタッフに
「まー、3ヶ月もお休みしてたんですかー。まずは道具からですよ。」
と背中を押され衝動買いしてしまった。
今日は友達が遊びにきた。
友達はただいま妊婦中。(妊婦中?)
大きくなり始めたおなかを触らせてもらった。 んー、確かにナニかが入っている手触り。
いいともをみながら私のてづくりランチを二人で食べた。(テレビはつけていただけ。ほとんどしゃべりっぱなしでみてはいなかったのだった。) 妊婦さんなので、なるべく塩分少な目を心がけえたつもりが、普段作る料理よりも味がこゆ〜くなってしまった。うちはどちらかというと薄味派で、味噌汁も煮物もかなり味が薄い。なのになぜ、妊婦さんに作った今日のご飯はこゆ〜くなってしまったのか? でも性格のよい彼女は「おいしい、おいしい」と食べてくれた。うれしかった。
病院からもらったという胎児の写真を見せてもらった。 ご主人はその写真を見て
「うわー!鼻は俺に似てるー。」(←本気で言っている)
と、なんとも気の早いパパぶりを発揮しているとのこと。
先日テレビにて、ハロゲンヒーターによる火災の特集をしていた。 火災の現場検証のシーンを見て私は目を疑ってしまった。
どーして真っ赤に発色しているハロゲンヒーターに濡れたバスタオルを覆いかぶそうと考えるのか!?
実際、そのような使い方をして火災をおこす家庭が増えているとのこと。 洗濯物を早く乾かしたかったとか、そのような理由だそうだ。
ハロゲンヒーターにバスタオルをかぶせ、危うく火災を起こしそうになった人が、その後こりもせず乳幼児が眠るベットの30センチほど先でハロゲンヒーターを使用し、乳幼児の上にかけていたタオルケットをこがしてしまったというなんともヒヤリとする話があった。もーこれはなんと言っていいやら…。
メーカーではこの状況に対し、取扱説明書の内容を改良する必要があると考えているらしいが、はたしてそうだろうか? では、包丁の取扱説明書に「人を刺してはいけません。」とわざわざ明記しなければいけないというのか。
私は現代人の想像力の欠落に問題があると思う。
久々に体重を計ったところ…
がーん…。
見事2キロ増!!
2004年01月23日(金) |
知能が高いにもほどがある |
今日は仕事が休みだった。ラッキーだ。 こんな積雪量ではとてもじゃないが仕事場へ行くのは困難だ。
今日は久々に昼寝をしてみた。 してみた…というより、してしまった…というのがほんと。 うっかり眠ってしまった。 でもいいのだ。旦那助のワイシャツを5枚もアイロンがけしたのだからそれぐらい許されるだろう。
ところでさきほど私の実家の母から電話があった。 黒パグのクロ助をなんとかしてくれとの「うらみ節」の電話だった。 なんとクロ助ったら私の結婚式のアルバムにしょんべんをひっかけたとのこと!!母が丹精込めて作ったアルバムだというのに。 ちゃんと扉がついているところにしまっていたアルバムだった。 クロ助はわざわざ扉を開けてソコめがけて片足を上げしゃ〜とやったとのこと。
アイツの知能の高さは日ごろからわかっていたが、そこまで知能が高いとは想像を絶していた。 クロ助、お前はいったい…!? いったい何を目論んでいるというのか…!?
数日前から我が家には新しいパソコンがあるのだった。 そう、旦那助の自作パソコンなのだった。
はっきり言ってすごいマシーンができたもんだ!! すごいぞ、すごい!!とにかく何をやっても早い!! ディスプレイなんて17インチもあるのでとっても見晴らしが良い。
そういえば、数日前映画をみたのだった。 ラストサムライ。 うわさ通り、渡辺謙がすごかった。 主演のトムクルーズを食ってしまうほどの存在感。 この映画をみて
「これで借金が返せるのでは…」
と誰もが考えたはず。
昨日の夜、 布団に入りながら聞いたラジオからピアノの曲が流れたのだが、なぜかリリーを思い出してしまい、隣で眠る旦那助を起こさないうシクシク泣いていた。
ところで、 今日の夕飯後、アイロンをかけながらNHKラジオを聞いていたのだが懐かしい歌謡曲が流れたのだった。 その曲が流行ったのは私が高校生のころだったろうか…、「セカンドラブ」だった。 私はアイロンをかけながら「恋も二度目なら〜♪」と一緒に口ずさんでいた。
曲の最後にアナウンサーがアーティスト名と曲目を告げたのだが 私には「仲代達矢のセカンドラブでした。」と聞こえたのだった。「え!?なんでっ!?」と一瞬マジで驚いたのだった。
今夜はピザの宅配を頼む予定。わーい!!
ところで、ところで…
旦那助は今、自作パソコンの製作に取り組み中。 完成したパソコンは私のものになる。 オフィスは「2003プロフェッショナル」がのるのだった。 CPUはペンティアム4だし、なんだかものすごいマシーンができるらしい。
ちゃんと完成しますよう…(祈)
2004年01月11日(日) |
リリーが天国へ旅立ちました。 |
リリーが天国へ旅立って1週間が経とうとしている。
1月4日の午前11時過ぎに実家の父から電話が入った。
リリーが死んだことを告げる父の声はいつもの父とは違い、涙をこらえるので精一杯の様子。 すぐに実家へかけつけた。 私は助手席に座りながらあとからあとから流れる涙をこらえられずにいた。 そして、リリーを最後に抱っこしたのはいつだったろう…そのようなことを考えていた。
リリーはメスのパグ犬。 15歳の高齢のおばあちゃん犬だ。 別れが近いことをそろそろ覚悟しなくちゃなーとは思っていた。 でもこんなにも突然にその日がやってくるなんて…。
リリーがはじめて我が家にやってきた日。 リリーは段ボール箱に入っていた。 箱の中をのぞくと小さい小さいパグがいた。不安げにきゃしゃな首を伸ばし箱の外を見ようとする目がとってもたれ目だったのが今でも印象的だ。 リリーという名は私の妹がつけた。
リリーは幼な妻で、我が家にやってきてしばらくするとすぐに妊娠、出産。 結局リリーは二度の出産を体験。 幼な妻とは言え、リリーの子育てはしっかりしたものだった。 誰が教えたわけでもないのにきちんとおっぱいを与え、タンスの陰に入ろうとする子犬がいるとすぐに現場へ駆けつけ首根っこをくわえ安全な場所へ子犬を戻したりしていた。
リリーは私のことが大好きだったようだ。 私もリリーが大好きだった。相思相愛というやつ。 リリーが卵巣摘出の手術を受ける前夜は一緒に布団に入り眠った。 退院すると真っ先に私に飛びついてきたリリー。
頭をなでられるのが大好きだったリリー。 なでるのを休むと前足を使って「やれ!!」と強要してきた。 これが結構大変。なにせエンドレスなのだから。 「リリー、もう勘弁してー。お姉ちゃんゆっくりテレビがみたいよー。」と言ってもリリーは許してはくれなかった。
リリーは自分がカワイイということをちゃんと知っている犬で、いつも自信たっぷりだった。 ちゃっかり屋で要領がよく、夫であるプー助を上手に操っていたという感じ。 普段は自分のことを「ライオン」だと勘違いしているプー助も、リリーのヒステリーにはダンマリを決め込んでいた。
毎晩父と晩酌をしていたリリー。 特に水割りが大好きで、飲みすぎた夜は犬小屋から「うーん、うーん…(苦)」と悪酔いで苦しむリリーの声が聞こえたりもした。 リリーはお風呂も大好きだった。まるでオヤジのような犬。
大きな手術を一度受けただけで、基本的には体が丈夫だったリリー。 父の育て方が良かったのか、もともと丈夫だったのかは不明。 食べたいものを食べ、飲みたいものを飲み、首輪をされた経験もなく、されるとしたら散歩のときだけ。 その散歩だって、帰り道は必ず「抱っこ」をお願いしてきた。 散歩に飽きてしまっての行動なのか、それとも怠け者だったのかは今でもナゾだ。 普段は庭で好きなように昼寝をしたり遊んだりしていた。 リリーは思った通りに生きる自由な女だった。
出産した子供達は皆、それぞれのところへもらわれていったが、一匹だけを我が家に残した。それが龍之介なのだが、お互い親子だという認識はもうないようだ。しかし親子で暮らせるリリーは人間の目には幸せモノにうつる。
最近のリリーは、すっかり耳も遠くなり目もあまり見えていないようだった。 大好きだったクッキーもあまり食べなくなっていた。確実に老化は見えていた。 あんなに相思相愛だった私のことも思い出すのに時間がかかるようで、日によっては思い出せないこともあったようだ。 犬小屋へ続くステップの昇り降りもできなくなって、最近父がリリーのためにもう一段ステップを作り段差を緩和してあげたばかりだった。
実家に到着すると、 そこにはバスタオルと毛布に大切に包まれたリリーがいた。 体に触れると、まだ温かかった。 リリーの顔はまるで眠っているかのようで、声をかけたらすぐに目を覚ましそうだった。 病院から退院してきたあの日のように、私の顔をを見た途端ちぎれんばかりにしっぽを振って飛びついてきそうな気がした。 旦那助がリリーの前足のツメを大事そうに指でなぞっていた。
父の話によるとその日はいつも通りの朝だった。 一番はじめにリリーが吠え、父に早くこっちにくるよう催促したそうだ。これは犬と父との間で取り交わされる毎朝の定例行事。
そして朝ご飯を食べさせたのだが、リリーはめずらしくご飯を口にしなかった。 そこで父は、冷蔵庫からかまぼこを出してそれを食べさせた。 するとパクパクと食べはじめた。
そしてその後水飲み場までひとりで歩いて行ったそうだ。
飲み終わり父のそばに戻ってくると、リリーはそこで横になりスースーと寝息をたてて眠ったそうだ。 そしてその直後、そのまま息をひきとったのだった。 あまりの突然の出来事に、目の前で一部始終を見ていた父が一番驚き、そして現実を飲み込むまでに時間を要したのではないだろうか…。
父は真っ先に私に連絡をくれた。 母や妹に知らせる前に、その場ですぐに受話器を握ったのだろう。 私とリリーは一番仲がよかったから。
私は本当にリリーが大好きだった。 あまりにも好き過ぎて、いつか必ずやってくる別れの日を考えることが時々あった。その日を私はどのように迎えるのか…考えるだけで変になりそうだった。
今目の前にいるリリーは、 どんどん体が冷たくなってゆき、間違っても再び目覚めることはないのだった。 本当に、本当に、リリーは死んでしまったのだった。 しかしあまりにも最期の表情が安らかで、私の心の中には「悲しみ」という感情はあまりなかった。 その時流した涙は、もう二度と会えないという「寂しさ」と、苦しまずに眠るように逝った「安堵」からだった。
生きていたリリーを最後に見たのは去年のクリスマスだった。 母からもらったクリスマスコンサートのチケットをにぎりしめ出かける直前の夕方のことだった。 実家の庭には犬が遊べるスペースをフェンスで仕切って確保しているのだが、 その日リリーは一匹だけ「遊びスペース」に現れフェンス越しに私のことをじーっと見つめていた。 ひょっとしたらリリーはあの時、段ボールに入ってやってきた日から今までの、私との想い出に浸っていたのではなかろうか。 そして無言でお別れを告げていたのではなかろうか。
おねえちゃん、さようなら…。
リリーが天国へと旅立った日はとても天気が良い日だった。 毛布に包まれたリリーの顔をみんなで眺めていると窓の外でははらはらと雪が舞いはじめていた。 青空の下、まるで桜の花びらのように雪が舞っていた。
「人間の場合、雪が降ると大往生なんだって…。」
と母が言った。 母は生前と同じようにリリーの頭や背中をいつまでもなでていた。 最初は「リリー、お願いだからかたくならないで…。」と泣きつづけていた母だった。しかしとっても穏やかな表情をしたリリーは知らぬ間に母をなぐさめていたようで、自然と母の涙の量も減っていた。
「そっかー、大往生だね。」 とみんなで雪を眺めた。 まるでリリーのように可憐でかわいらしい雪だった。
リリーは我が家にきて本当に幸せだったのだろうかと妹は今でも心配している。 最近の妹は仕事が忙しく、生前あまりリリーにかまってやれなかったととても悔やんでいる。 妹は死んでなおリリーをいとおしく感じているようだ。
リリーのかわいいところばかりが思い出され、事務職である妹は仕事中も机の上で涙ばかり流しているそうだ。 そして、次に出会う犬もリリーがいいなどと絶対にムリなことを本気で望んでいる様子。
あのように小さな体をしたリリーが、これほどまでに我々の心を魅了していたとは…。 ステキな想い出をいっぱい作ってくれたリリー。 その分、リリーのいない寂しさを我々はしばらくの間味わうことになるだろう。
でも今の私は、とてもリリーを近くに感じる瞬間があるのだった。 その時は、不思議と寂しさを感じないのだ。 リリーが死んでから、連日あれほど「坂本龍一」のピアノを聴いて涙したのに、リリーを近くに感じる時は彼のピアノを耳にしてもまったく元気でいられるのだった。 リリーが離れるとやはり彼のピアノはとても切なく心に響くのだが…。
私が今一番望んでいること。 それは夢の中でリリーに会うこと。
「お散歩」という言葉に敏感だったリリー。 その反応が見たくて行く気もないのに「お散歩」という言葉を乱発していた私。 本気にしたリリーは扉の前でジャンプし、喜びを全身で表現していた。 それでも出かける様子のない私を「伏せ」をしながらいつまでも待ちわびていたリリー。 ごめんね、リリー。 お姉ちゃん、本気で反省してます。
夢で会えたらリリーの気がすむまでどこまでも散歩しようね。
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