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「暗幕」日記

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2002年07月30日(火) 口マネ

「ブッ●す」と口走って、「そんなこと言うもんじゃありません」とたしなめてもらえるのはせいぜい中学生くらいまでだと思う。親切にも叱ってくれる人は、あなたが今口にしたそれが、昨日のTVドラマの口マネだということも知っていて、あなたが本当にナイフか何かを持って誰かを刺しに行くところだとは思わないだろう。

大人が同じことを言っても、誰もそう取ってはくれない。
ましてや、ただの口マネだったとは思ってはくれない。
大人だったら気をつけたほうがいい。あとから「ここの言いまわしをそのまま使いました」と言っても失笑されるだけだ。

あなたは子どもじゃないみたいなので、これでも、プライドを傷つけないよう気を遣って注意したつもりなのだが。今と将来のあなたに関心がなければ黙っていただろう。
私が悩まなかったと決め付けるなら、そう判断した根拠を示せ。(尤も、行動主体が不明確だったり複文中で主語が入れ替わるような意味不明の文章に付き合わされるのは御免なのでリンクは張らない。)追記:←こういうのがまさしく「自分の気分をよくするため」のコメントだな。公の場に書くことではなかったと反省。


2002年07月28日(日) 夢記録:郊外の古い家

【夢の内容】
感じのいい若い人に招かれて彼女の家にいる。彼女の家庭教師として仕事先が増えそうだ。片道電車で2時間くらいかかるがその手間をかけても、この子に関わることができるのが嬉しい。
ご両親に話を聞いた。おととしまでイギリスに滞在していて、この地に越してきたのは最近だそうだ。借家らしい古い家屋は居心地がいい。先生(私のこと)には不便だし、通勤のこともあるから引っ越す話も出ているという。父親が明日でかける先とは私が非常勤で勤めている研究室の隣だった。思いがけず専攻分野で話に花が咲く。


2002年07月25日(木) クレタ人のパラドックスと

※よく知られた話を引き合いに出して始めるだけなので、実在のクレタ島出身者の方には全く関係がないことを最初にお断りします。

「クレタ人はうそつきだ」と私に言ったのがクレタ人だった場合、実際には他の情報も合わせて対処を決めるだろう。そのクレタ人と私との交友をとりまく状況や、当のクレタ人について私が知っているすべてを。ただ今そのクレタ人は同胞たちと土地所有権について争っている最中かもしれない。そのクレタ人は嘘つきの癖がある人かもしれない。単に発言に含まれる「クレタ人」が発言者をも含む属性であることを理由に「あなたもクレタ人だからその発言はパラドックスだ」と面と向かって言うのは、揚げ足取りと取られても仕方がない。

「あなたとは話し合うつもりがない」というメールがきた場合、そのメール自体が相手に読まれることを期待し相手に理解させる意図をもっているのは自明である。「『話し合うつもりがない』というメールを送るのは矛盾だ」と言い立てるのは、上の例と同じく、揚げ足取りでしかない。

ところで、私と関わりたいと思っているのだろうあなたに対し、関わる気がないと私はすでに態度で示しているのにあなたは気づいているだろうか?
あなたは論点をわざとずらしてただ絡みたいだけなのか、それとも論点が何なのか読み取る力をそもそもお持ちでないのかは私には既に興味がない。

[カウンターメモ:10840]


2002年07月24日(水) 関わるからこそ反発されても/誤解とその対処について

MUSICA FICTA(7月24日・追記2)経由でそれはただの気分さ(7月24日)
逆に言えば、その長期的に見れば善となり得る(これもまた送り手の推測に過ぎません。しかし推測ではなく確実に善となり得ると判断することは恐らく、不可能です。送り手はいわば善となると「賭ける」わけです)可能性を見過ごしてまで「嫌な気分」を与えてはならないと語るいずしさんの言葉が、私にはとても現実離れしたもののように思われるのです。

同意。どうでも良い相手に対しては、相手を不快にさせまた自分自身も不快になる危険を冒してまで意見しようとは思わない。関わりを持ちたいと思う相手だからこそ物言いをつけ批判することもある。相手は素直に耳を傾けてくれるかもしれないし、逆に「おしつけ」と見なされて嫌われるかもしれないけれど、結果がどちらに転ぶかは確実に予測することはできない。
つまり、私は相手を気分よくさせておくことを至上として人と関わってはいない。


異なる意見のすり合わせ


ネットにおいて交流するために最低限必要な、ある程度の読解力と文章表現力を誰もが持っているとは限らないと最近ますます思うようになった。同時に、誤解された際の対応法もまだ常識にはなってないということがわかった。
自分の書いた文章を、意図とは異なって理解(誤解)されたとき、ふつうは誤解を解くよう最善を尽くすものだと思っていたがそうしない人もいる。誤解されたままでふてくされて「どうでもいい」というのはものぐさなんだか大物なんだか。
先日、ある語句が、読み手を感情的に刺激するキーワードになり得ることに無自覚に使ってしまった。わざと相手を怒らせる戦略もあるが、意図せずそうなってしまったとのは私のミスだ。そのことに気づかせてもらい、意図が正確に伝わりやすい文章を書くヒントになったのはありがたいと思っている。
批判や誤解を受けたとき、その原因を相手に転嫁して自らを省みるということをしない人は、せっかくの機会をみすみす捨てている。勿体無いと私は思うが思うだけでただ眺めている。

[カウンターメモ:10750]



2002年07月22日(月) 業務連絡

落ちてます
またtDiaryを置いている、tcnwebが落ちている模様。
[追記:翌23日午前に復旧]

夢記録
【夢の内容】
入社試験らしい。ダイレクトメールにつかう、チラシを五枚ほど重ねて、長4封筒に入るよう三つ折している。角がきちんと折れるよう中に指を入れて丁寧に折る。縁がずれてしまったのでまた広げて揃えてから折りなおす。


2002年07月21日(日) 私はあなたと違う存在であることを「許され」たくなんかない

「価値観の違いと『許し』」


MUSICA FICTA(2002/07/18 (木) 許すとは、なんとも大仰な)で知った、「価値観の違いを"許す"」について。

本日憂鬱な昨日に猫キック 不安な明日に猫パンチ でまとめて下さっているのを読んで、議論の発端となった胡桃の中の航海日誌(2002/07/18)での「許し」というのは、羊飼いの唄(2002/07/15「心がけたいコト」)からの引用*1であるとはじめて認識した。MUSICA FICTA 胡桃の中の航海日誌の双方とも、続くコメントが発表されているが、本日の日記では初出テキストのみを扱っていることをお断りしておく。



高遠さんのところから飛んでいずしさんの「許す」を見たときの私も「なんと傲慢な」と感じてしまった。

「許す」ことを心がけたほうが良いと思っている。

と書いているいずしさんは、自分と価値観の違う存在を見ると「許せない」と思うのだろう。私はいずしさんと同じ価値観を常に持っているとは保証できないので、私の存在はいずしさんにとって「許されない」ということになる。自分の存在が、他人の好き嫌いによって許されたり許されなかったりするというのは私にとっては理不尽なので私は怒りを感じる。



一方ゆきさんのテキストを読んだときはそれほどの怒りを感じなかった。

わたしがそういった自分とは(かなり)異なる考えや対人関係のあり方を持つ人と出会って、実際に付き合っていくときには、いかにその人のそういった傾向をいかに「許せるか」に心を砕きたいと思う。許せるか、という言い方はちとキツイような気もするけれど、「人は人、わたしはわたし」として、相手のあり方を認められるかどうかってコトだ。

この文脈で「許し」と言うのは、ご本人も書かれているがやや不適切で、「許容」や「容認」といったほうが近いと思う。自分が持っている価値判断で受け入れたり拒絶したりする前に、その人のありのままはそれとして認める、というニュアンスだ。



「許す」というのは「認める」とは違う。「許す」と言うと、自分の価値判断は確固として存在していて、その基準に合致することを認める、と言われていると感じる。つまり、「心がけたいコト」(羊飼いの唄)「価値観の違いと許し」(胡桃の中の航海日誌)では、自分と異なる価値観(とその持ち主)に対する態度が全く異なっている。


名指しで申し訳ないが言わせてもらう、私は「許され」たくなんかない。こういう人とは無関係でいたい。いずしさんが彼自身として存在しているのと同じく、私も私として確固たる存在としてある。不愉快な思いをしてまで彼に対して証明するまでもない事実としてある。


脚注*1「引用」
自分の説や論を有利に・説明(証明)するために、他人の説や事例をもってきて使うこと。典拠:『新明解国語辞典』第三版、三省堂


2002年07月18日(木) 夢記録:怪物捕獲

【夢の内容】
友人Aと話しながら学校内を歩いていた。もう正課は終わってあとは帰るだけだ。途中でAは私の知らない同級生に誘われていたが、Aはこのまま私の家まで同行するつもりらしい。
ある研究室にさしかかるとスチール棚の戸がところどころ開いたままになっていて、中の本や資料も整理中のような様相を呈していた。Aとそこに現れたBは研究室の主E先生の不正の証拠を調査しているところなのだが、これほど堂々とやっては証拠隠滅のおそれがあるばかりでなくA達の身も危ない。…という説明をその場から少しでも離れてからAにしようとしたが、Aはその場から頑として動かない。
こうなれば私だけでも外に出ようと屋外に出ると、Aの保護者であるオカマのCが日傘をさして和服で三者面談か何かの用事で校門を入ってくるところだった。事情をCにも知らせようと急ぐがまだおいつかないうちにCは知り合いを見つけたらしく私のいるところとは逸れた方向に向かう。Cが知り合いDと話し込んでいるところにようやくたどりついて声をかけようとした側を、身長170cm、中肉の機械的な動きをする人物が通り過ぎる。
「それ捕まえて! Aが危ない」とCに向かって叫ぶ。
人間に見えるそれはEが従えている傭兵ロボットなのだ。
Cはみかけはともかく、格闘技の名人で、ロボット1体なら任せておいても大丈夫だ。
平行する動く道路上にいるかのように、あと2体、同型のロボットが通過していく。
Cがロボットを倒して廃水孔に押し込んだとき、別のマンホールから顔色の悪い、見知った顔が現れた。「Sさん助けて!」と叫んだところで、名札にフルネームが書いてあるのを見て別人のT教授とわかった。あらためて「T先生助けて!」というと気を悪くしたふうもなく「で、ボクは何をすればいいの?」と答える。

【今思うこと】
問題は、調査をターゲットに秘密に行なっていないことよりも、調査権限がはっきりしない現状で勝手に研究室の資料を動かしていることだと思う。
目覚めて気がついて笑った、Tのフルネームとは掲示板荒らしで有名な某固定ハンドルであった。



2002年07月17日(水) 自己嫌悪を少し離れて観ると

死んでしまいたいと思うのと、
自分をぶっ殺したくなるのと

消えてしまいたくなるのと、
自分を消したくなるのと

違うのは そう感じる 主体の性質だけで

自分自身をふがいないと地団太ふみ
できないことできなかったこと
しでかしてしまったこととりかえしのつかないことに
かき乱され
自分を見失いかねない ところは 同じ



2002年07月13日(土) 存在するということは身体だけでも精神だけでもなく

KOKOROの風景

相手にとってもその方が楽なはずだ、と思って使った表現が、実は一番残酷であったことがわかってしまって、でもだからといって、どうにもしようがないまま時は過ぎていく。生きていれば、時は経つ。ただただそのことに耐えられなくて、時を止めてしまうこともあるのだろう。

身体性を超えたものを求めるなら、身体を滅ぼすことは、ごく自然なことかもしれない。

身体と精神(思考と感情)は、対立するものとして語られることが多いけれど、今この世での存在は、その両者が分かちがたく絡まり合ったものとしての存在だと思う。

自分がしたことによる事態の進展が、その行動を選択し実行したときには想像だにしなかった内容で、そのような事態を引き起こす行動と意志決定をした自分が許せない気持ちになったとき、自分の存在自体を消してしまいたくなる。そうした価値判断をさせるこの世界から逃亡したいという衝動は、身体を壊して、心身両輪から成る(現世での)自分を消そうとする行動に結びつくこともあるのだろう。

あわてなくてもいずれはそうなるのだから、今は、身体がなければできないことをするのが良いと今の私は思う。だましだまし使ってはきたものの、あちこちガタのきているこの身体が稼動するのは、長く見積もっても100年はないだろうけれど。





2002年07月11日(木) 韜晦/テキスト庵仕様変更

気が抜ける

一つは『韜晦』ということに関して。私は実は韜晦という行為は、どちらかというと自己確認のための手段だと思っていたのだ。韜晦してみる、つまりかっこをつけてみることで自分の美意識を探るというか、そういうふうに考えているところがあった。

----「第3の私」7月9日より引用

これを見て思わず辞書を引き直してしまった。もしかしてこの語に対する私の理解が間違っていたのだろうかと心配になったので。


とうかい【韜晦】--する [「韜」は隠す意、「晦」はくらます意]自分の才能や本心を何かほかの事で隠すこと。
----『新明解国語辞典』三省堂より引用

表現された文章でわざわざ韜晦などをする場合は、「才能や本心を隠す」必要がある場合に決まっていると私は思っていたのだが。読み解かれることを前提に書く文章であえて「わかりにくくする」ことの意味を考えずに、「かっこつけ」だけでそうしていたのかこの人は。



あれっ


テキスト庵の新着リストで、サブタイトルの表示文字数が制限されたね。80字を越える分は省略されてしまうようだ。
[凡ミス訂正 ×60→○80]

[追記:2002/07/18 17:00]テキスト庵運営者の方からメールをいただきました。「字数制限機能を付けたことも、その予定もない」そうです。この件に関しましては私の完全な勘違いでした。ここに訂正してお詫びいたします。



2002年07月09日(火) [業務連絡]/リファレンスのできる司書実現案

ホームのプロバイダがサーバーダウンしているようです。

[追記:15:00]復旧した模様。
[追記:22:39]と思ったら、今度はtDiaryのサーバ(TCNWEB)ーが落ちている模様。仕方ないのでここにメモ。cygwinのsetup.exeがversion 2.249.2.5に。

自由塾日誌24(2002年7月8日付)より、引用。


司書を専門家にするよりは専門家を司書にしたほうが簡単だと思う。オーバードクターでくすぶっているような人間が大勢いるのだから、彼らに司書になって貰えば、一気に司書の専門性は増す。

これ実現しないかなあ。同一都道府県内では、市町村ごとに分野を割り振って。理学系マグネットは◎市、文学系マグネットは×市、というふうに図書館ごとに蔵書だけでなく司書にも特色を持たせる。司書は非常勤にして、非番のときは自分の研究ができる。(本当は、研究ができる余裕をもたせて雇ってほしいけれど。いやできればせめて、各館に文系理系一人ずつくらいは専門分野のリファレンスができる司書がいてほしい。)




2002年07月08日(月) 夢記録:数字のアップリケ

【夢の内容】
学童保育のような薄暗い部屋で、数字を布で作っている。傷口に当てる布のような薄い透けるような帯と布で1から10までを作る。最後の8はテープでなく広がりのある布を渡された。鉛筆で高校生がアタリを取ったのがゆがんでいるのであらためてかきなおして裁つ。


2002年07月07日(日) 夢記録:プレゼンテーションの資料

【夢の内容】
1)自宅に集まって共同研究のための議論をしている。私の本棚にあるタイトルを引用しながら話す人物がいるので、その度に、自分でも忘れているその本を取り出すために走り回る。それにしても私の本棚の分類は、自分以外にはよくわからないだろうなと思う(一応、内容ごとに分類して並べてあるのだが)

2)ポータブルのワープロに入力した内容をやっとプリントする。付属のドットプリンタは紙送りが心配だが眠くてどうしようもない。あと2枚印刷する分はセットされているなと一瞥してこたつにつっぷす。

3)集まりは今夜のはずだったのに、朝が来ても誰も来た形跡がない。市外の者もいるから足がなかったのだろうか? 朝食はパンが食べたい。


2002年07月06日(土) 本:これで古典がよくわかる

これで古典がよくわかる(ちくま文庫) bk1
複雑なことをわかりやすく書くのはむずかしい。

「それができるようになるにはどうすればいいのか?」ということの答えは一つです。「"むずかしい内容"をこわがらず、"むずかしい内容をもった文章"に慣れる」----これだけです。

橋本治による古典の入門書である。古典をわかるには「行き当たりばったりで"へー"と言って感心してる」で良い。そういう人が「万葉集」「日本書紀」から「徒然草」まで、その時代にどのような経過でその文体が生まれたかを読み解いている。私が面白いと思ったところを要約してみる。

・男は漢文、女は仮名文字。しかし男も和歌をする。それは、漢文だけでは女性とコミュニケーションできないから。和歌とはラブレターであった。(p73-「漢字ばかりじゃ女にもてない」)

・「漢字+カタカナ」の和漢混淆文の起源は、漢文の読み下し文である。女性向きの「物語」を読んで「本当のことであるはずがない」と怒る光源氏は、漢文で書かれた「縁起」「今昔物語」は信じただろう(p23- )

・「文学にしか自分の生きる意味を見出せない」「元祖おたく青年」源実朝の率直さと、存在そのものが「万葉集」になってしまっている帝王・後鳥羽上皇(p135-「2・鎌倉時代はこんな時代」)

・「徒然草」の冒頭を書いた卜部兼好は「若い奴」だと(橋本は)思う。「あやしうこそものぐるほしけれ」のくだりは勢いに任せて書き、しかも「破り捨つ」もせずに残っている。「オレにだって、自分なりのエッセイは書けるんだぜ」と思って書き始めて、気がついたら清少納言の『枕草子』みたいなもんになってるし、おまけにその中には『源氏物語』が入り込んでる。こうなりゃ頭をかかえるしかないでしょう。それで、「どうせオレが書いたのなんかすぐに破って捨てちゃうんだ、見なきゃいいだろ!」と開き直ったんですね。(p183-「人間の書いた『徒然草』」

まだ言葉にできない「複雑な内容」を自分の中に持っていて、それが誰か他人によってすでに文章化されてるのを見つけたら、うれしい。「こう言えば/書けばよかったんだ」と思えるから。古典のなかの人も現代人も同じ人間性を持っている。古文には日本語の起源や変化過程が残っていて、日本語を日常的に使っている私には取りつく島がないほどには思えない。


[[カウンターメモ 12:42 10299]


2002年07月02日(火) 神像の眼

光る眼を持つ神の像が安置されている
王の玉座近く 広場の中心 そして国全体を見下ろせる丘の上に

かつて像の眼窩には
天然のルビーがはまっていたという
今のそれは 人工のまがいものだ

「これが汝らの神か」
外つ国の王は呆れてそう言った
「たとえ眼がガラスでなく宝石であったとしても
たとえその眼が光を捉えていたとしても
その光はそこからどこへも流れない
その瞳に映った情報を取りまとめ処理する中枢も持たない」

「そうではない、かの国の王よ」
今や過去のものとなった国の血をひく老人は答えた
「神は生きていた
その眼光が己の心を闇なく照らすと皆が信じていた時には
神の眼を育て 守り そして秩序は保たれた
神の眼力を信じぬ者によって宝石が失われたとき
おわしました神はわれらから 神の力とともに失われたのだ」

老人は悼む
若き王の未来を
己の言葉が王の胸に落ちた音を 老人は 聞いた
そのとき一筋の光とともに
いつか見たのと似た情景が目の前に現れたのだ

この国も 永くない 


2002年07月01日(月) 夢記録:注射/奨学生

【夢の内容】
1)学校の小会議室で、声楽クラスのお茶会がある。台風がきているにもかかわらず出席者は多い。あと一人、先生が待っている人がいて、「今回のチャンスに挑戦するか、そして今後も歌を続けるかどうかは自分で決めて欲しい」と彼女について語っている。
テーブルには誰かが持ってきた洋菓子が乗っていて、既に箱の半分は空いている。最後の一人、待たれていた彼女が来た。

2)自分で自分の右腕に注射する。虫刺されの跡のような、ぷくんとふくらんだところに針を刺した。「素人がそんなことをしてはいけない」と声がするが構わず針を刺す。抵抗があって、針の先が曲がってしまった。アンプルの半分ほど注入したところで針を抜いた。容器の底が抜けてしまったので、紙コップに立ててしまう。

【思うこと】
2)夢の最初は虫の毒を中和する薬品と思っていたが、次第にインシュリン注射のような気がしてきた。


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