「暗幕」日記
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************* 説明が必要ですか?意見として表明されているあるstatementにたいして、人格否定をせずに反論することは可能ですと私は論点を設定しました。なるほど、とっかかりのために私が残していったすべての質問に答える必要はない。しかし肝心の論点を見落としているようでは、議論は成立しえないと見なされても仕方ないのではないですか。 ところで。「人格否定をしないために」という大義名分はすでに破られているようですね。 参考:D-Point:22日 23日 当サイト:20日、21日、22日、および23日のログの中に混ざってます。(以上のリンクは別窓で開きます) ※なお、この件に関しては今度こそ終了とさせていただきます。
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サイトに公開する文章を書く覚悟。忘れてはいけない。自分の書いた文章がwebに置かれたことで派生する影響力について。500ヒットサイトは決して大手ではないが、1日で500人に伝わったら社内報なみの情報伝達力といえる。
私がここに雑文を書く意味は何か。思考を文章化して外に出すことで全体像や論旨の流れが捉えやすくなる。私以外の他人に見てもらえる場にさらし、反応をみることで、書かれた言葉が意図した内容を過不足なく伝えているか検証できる。 My Life as a Dog 2/25私自身は、ひねくれてみようとか、斬新な切り口を提供しようなどというよりは、むしろ当たり前のこととして書いている。だから私と感性の近い人が読んだら、「当たり前のことをくどくどと書いてるなあ」という感想を持つ。ちなみに、当たり前のことを書くのはおおいに結構だと私は考えている。 書く作業がひと段落してPCから顔をあげたとき、書かれたものが当たり前すぎるように思えて消したくなることがあります。文章に近づきすぎて、客観的視点を見失っている状態かもしれません。
*********** 題名:1日1ブロックの「エンピツ」仕様をカバーする方法
なんだ、見出しをマークアップしておけばいいんじゃん。↓のブロックに直接リンクしてみるテスト。http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=65980&pg=20020228#TOC1 さらに、"id"を使ってみるテスト。http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=65980&pg=20020228#TOC0
どっちもOK。 サイトトップのリンクポリシーにもそのうち付け加えておこう。
*********** おとといの晩のTV番組「伊東家の食卓」裏技コーナーで、待ち合わせに遅刻者を出しにくい時刻指定方法というのを紹介していた。ある中学校に協力してもらって行なった実験で遅刻常習者を姓と顔写真を出して特定していたがTVでそれはまずいんじゃないか。 という訳でここでは学校名も個人名も出してません。せいぜい3桁/日ヒットのこんなマイナーサイトでも、学年集会で通達したくらいの効果にはなりますしね。
業務連絡この日記は明日から次の火曜日まで更新を休みます。
2002年02月27日(水) |
個人サイト界の富の偏在 |
この項経済学を知ってる人には穴だらけだと思います。間違っている箇所はぜひ教えてください。 「人生ゲーム」というゲームがありました。コンピューターゲームではなく双六様の家庭用ゲームで、何度かのりニューアルを経て今も売られてはいると思います。今現物が手元にないので記憶で書いてますが、かつて私が遊んでいた初期の頃のそれは、学校を卒業して社会に出たプレイヤーが、ゴールまでにどれほど所持金を増やせるか競うゲームでした。ゴール直前で所持金額を質問され、ある金額を超えていれば億万長者のマンションに、足りなければ「貧乏農場」にたどり着くことになっていました。 ちょっと脱線なので字下げ。引用じゃないですけど。どうして「農場」だったのだろうね。小作でなく自作農で、「農場」と呼ばれるほどの固定資産を持っているなら全然「貧乏」ではないと思いますが。 その「人生ゲーム」を我々は、最初に全員に2万円分の借金を課すローカルルールで遊んでいました。これだけ借りがあっても滅多に農場行きにならなかったです。もしも全部のコマ分、指定された金銭収支を出したらかなりプラスだったんじゃないかと思います。 プレイヤー全員が億万長者になれるのはもちろんゲームという閉じた世界だからで、ゲームのセットには、推奨人数を十分長者にできる模擬紙幣が予め入ってもいます。この中では、模擬紙幣という誰もが欲しがる財が供給過剰であるというだけで。
さて、今までのは前振りです。個人サイト群に対する需要と供給はどうなっているかを考えます(話を金銭の絡まない、非営利サイトに絞ります)。各サイトに供給されるアクセスとは、個人であるという点でサイト管理者と同等な訪問者が、個人サイト閲覧に割く時間と労力の総和ではないでしょうか。そのパイを、(ここを含め)あまたのサイトで分け合っている現状だと思います。 個人サイトの世界で供給が足りているかどうか私は明言できません。自分のサイトに欲しいアクセス(需要)は人それぞれでしょうから。しかし通貨同様に、偏在していることだけは確かです。 **************
創作:幾何学心模様 ・問い:地球上でとある1点から最も遠い地点はどこか。 答え:その1点に可能な限り近接した隣。べクトルが逆なら、地球1周分で最も遠い。
・問い:地平線の向こうで、2本の平行線は一致するか。 答え:それは目の錯覚である。嘘だと思うなら「地平線」まで行ってみればわかる。なお、「てっぺんまで登れば星に手が届く木」「虹への足がかりがある世界の果て」なども同様。
・問い:XYZ座標すべて合わせた。あの人に会えないのはなぜか。 答え:あなたが解く方程式は次元が一つ抜けている。4次元め、すなわち時間という座標を考慮にいれないといけない。あなたの時計が壊れているのにあなたは気がついていない。もしくは、相手と時間がずれてしまった。
2002年02月26日(火) |
レンタル日記の利点/待ち人来たる |
使ってみて実感しました、結構便利なシステムです、この「エンピツ」。
・CGI設置の手間がなくすぐに書き始められる CGI可のwebサイトスペースを借りて好みのCGIを自分で設置する手もありますが、欲しい機能を過不足なく実現しようと思うとそれなりに手間です。特にこの「エンピツ」は、保存される日記の分量は気にしなくて良く、日付ごとにマークアップされるところは欲しかった機能でした。さらにアクセスログを取るサービスとメールフォームもついてきます。他の「エンピツ」ユーザーと交流したい人のために「Myエンピツ」(エンピツ専用のブックマーク)「投票ボタン」もあります。一方特に交流を望まない人のためには、自分の日記を公開リストに載せない設定もできます。 ※ユーザーの中からランダムに飛ぶ機能もあるようです。ここへも、平均して毎日1アクセス程度この「ランダム」から来る方があります。「非公開」ユーザーのところへは飛ばさないようになってるんでしょうね?!
・ブラウザからのデザイン変更 そして環境設定画面から、実際の日記のイメージを確認できるのは便利です。CGIでデザイン変更する場合、ひながたファイルを作る→アップロード→日記を書いて確認、という段階を経るのですが、エンピツの場合このプロセスが短縮されてます。
・一方不満も リファラーを2日分確認できるのは良いのですが、認証をCookieで行なっています。パスワード認証にしてもらえると有難いです。(出先からも確認できるので)
今のところ1日分の日記を複数ブロック作ることができません。ここ数日のように1日のうちに複数の話題を書いてしまうと後の参照に不便です。
「日記を書く」操作には日記のタイトルリストからは行けません。(昨日以前の)特定の記事を編集する場合、一旦日記インデックスを見て日付を確認してから「書く/編集する」操作をしなければいけません。連載小説を何種類か毎日すこしずつ書き進む、といった利用には向かない感じです。(あるトピックを短期集中連載、というなら良さそうなんですが)
********* 創作:待ち人来たる
閉めておいたはずの窓の外を気配がよぎる 外を見ても誰もいない 少し前の過去を探っても同じ
そんなときは立ち上がって お茶を新しくいれる もうすぐやってくる何か 現れたとき ずっと自分が待ち望んでいたと気づく何かが やってくる
********** 【夢の内容】 ある掲示板で、自分が書き込みした直前の書きこみが現在音信不通の古い知り合いだった。しかもちょうどメールアドレスの変更を管理人さんに告知していた。 書きこまれたメールアドレスを頼りに、知り合いの個人サイトを探し始める。
2002年02月25日(月) |
サイトデザインとアクセスアップ/夢記録:初夏のキャンプ |
昨日あたりいろいろな日記で話題にあがっていたアクセシビリティーについてですが。これから書く内容はそれらのサイトさんと直接関係はありません。私も当サイトの現状で気にかかる部分があり、修正しようと思いつつも先のばしになっています。思い出させてもらったのでTo Do リストの代わりにここにメモする程度のことです。
当サイトの場合、文字色と背景のコントラスト、文字サイズは十分読みやすく作ってあると思います。読みやすくするよう行間もCSSで150%空けてます。(エンピツでは、リストや引用タグを使うことでこの行間指定が無効になった日がありましたので最近またデザインを修正しました。)
私の使っているディスプレイは暗いのと明るいのの両極端で、暗い方でアクセスした黒地にダークブルー文字のサイトさんは申し訳ないですが回れ右します。明るい方では白地にグレーの、別の環境から見ればさぞかしおしゃれそうなサイトさんはナビゲーションリンクが「見えない」。
サイトデザインは人それぞれお好みになされば良いと思いますし、表示確認用に使用できるブラウザも限られているのが普通なのですべての環境で正常に見えるようにとは要求が厳しすぎますが、内容に触れる以前に「読めない」「読む気がしない」ページはやはりもったいないです。
更新報告サイトに登録しているのは、自分の書いたものを多くの方に読んでもらいたいという欲求が私にもあるからです。アクセス数は多ければ多いほど良いとは考えていませんが、来てくださるお客さんに不便をかけるようなことは避けたいです。今またこのサイトで変えたく思っている箇所があって、具体的には書きませんがそのうち変更します。私のすることですからふた月くらい先になるような気もしますが。
******************* このページのソースは、私が書いたんじゃありませんが。
CGIで作成されたページをAnother HTML-lint gatewayにかけてみると、すさまじい点数が返ってきます。W3C勧告からすればあまりお勧めできないソースであるのはわかっていて使うのは、コンテンツのアップロードが楽だからです。自分でperlスクリプトを書く余裕はなおさらありません。
自分でhtml文書を書いてアップロードするときもない訳ではありませんが。CGIを使ってなかった頃、テキストは書いたのにHTML化する元気がなくて、サイトに反映できたのは脱稿の2週間も後だったことがありました。今はエディタで直に打っているのと、フィルターを使ってHTML化するのが半々くらいです。「適切にマークアップされた」html文書を吐き出すCGIがあれば大変ありがたいのですがね。
きょう久しぶりにNetscape4.77で見て、あるページでCSSの背景色指定が効いてないのに気がつきました。(文字色を灰色にしてなくて良かった!) ま、暇をみてぼちぼち改善していきましょう。
[2.26追記]このページはAnother HTML-lintの採点では−67点です。細かいところを直して5点ほど稼いだ結果ですが、「すさまじい」というほどではありませんでしたね(なんて書くとまたどこかでお叱りをうけるかな?)
******************* 【夢の内容】 友人たちと高原の別荘地でキャンプをしている。バンガローが少し離れていて両方を行き来しながら連絡を取る。鍋で紅茶を作って移動中の飲み物にする。 横から見ると三角形の不安定な乳母車を押す途中、赤ん坊と一緒にのせていた握り寿司の海老が落ちたので戻す。季節は初夏の昼間、明るい印象。
テキスト庵、あめぞう2000ヘッドラインなどから来てくださった方へ。 web日記における断言形式の是非については終わりました。当サイトでは20日、21日、22日、および本日(23日)のログの中です。(リンクは別窓で開きます) ************** 【夢の内容】 1)杏仁豆腐を食べている。さわやかな甘さで気分がよくなる。
2)庭の藁山から小型犬が二匹飛び出してきた。よそで飼われているらしい高価そうな犬なのだがなぜか我が家がお気に入りでよく紛れ込んでいる。くずれた山からいろいろな虫がはいだしてきたのをかたっぱしから食べている。
3)(実際には6畳ほどの)コンピューター室を改造して書庫兼用の広い部屋にした。プリンタもA3のポスターが印刷できる大型のものが据付けられているしルーターはケーブルをたどってどこにあるか探すほどだ。 部屋の主にある資料のありかを聞いた。探していた別の資料も一緒にみつかった。
【思うこと】 1)夢で食べるものは腹にももたれず現実よりも分子量が小さい物質でできているような気がする。甘すぎて苦手なシロップが、まさにそのとき食べたかったような味がした。
************** 創作:ブロックカレンダーに赤線を引く
愛の死を鮮明につきつけられた日付は 命日のように記憶に刻まれる その曜日、その日付、その季節を境に 側にぼっかりと空いた空洞を かつての暖かい実体の喪失とともに見る そこからは冷たい風がくる
日付が変わる瞬間をわざわざ待ってカレンダーに朱色の線を引く なにもかもめちゃくちゃにしてしまいそうな荒廃を あのサインペンが支えていた ペン先がきしむ音で私は かろうじて一日を保っていた
まだ残っている 薄赤い二本の筋
************* 0時ちょっと前に、右下のアクセスカウンターが1000を越えました。訪問ありがとうございます。
2002年02月23日(土) |
決めつけられたくない |
テキスト庵などから来てくださった方へ。 すみません、読みにくいですよね。web日記における断言形式の是非については終わってます。当サイトでは20日、21日、22日、および本日(23日)のログの中に混ざってます。(以上のリンクは別窓で開きます)
*************** My Life as a Dog 2月23日そう、私が毛嫌いするのもその、 物議を醸すような内容を、あたかも事実であるかのように断定する 「決めつけ」なのです。 他にもいいこと書いてありますが言及はやめときます。
**************** 題名:意見に対して、人格否定をせずに反論することは可能です
やはりかみあわないD-Point 私は「できる」と言い、龍成さんは「できない」と言う。私は龍成さんへの人格非難をせずに反論していたつもりですが…。受け手のとり様までは私にはわかりかねますのでというのが↓の「これらさえも」に続く保留でした。 そして今回も、故意か無意識かはわかりませんが、私の書き込み中の一番重要な問い「私の一連の批判を人格否定として受け取ったのか」への回答が抜けています。抜けていることがすなわち回答なのかもしれませんが。 なお、タイトルは龍成さんのところでレスした#99015から引用しています。(「思う」とは私は書きませんでしたがこれにもレスされていません。)
「特定の条件で成立しない事例を示していただければ検証出来るので議論しやすいです。特定の条件以外での成立するしないの事例なども出てくればさらに議論は発展します。 これには同意します。ですが…
「思う」を避けて、持論を事実のように断定形で書こうとしている派のやっていることは、「一意見」に対する検証が個人的な問題にまで発展しないようにすることです。「前提」「大勢」「趨勢」として流通させたいワケではありません。 なぜその前提がこの文章になるのか私にはわかりません。
いずれにせよ話はおしまいのようです。
************ 断定派の主張は、意見のすりかえではないのか
龍成さん
2.「意見」は個人的な考え方を拠り所とする考察です。その個人的な考え方というのは、自身の経験や判断によって培われたものです。よって、「意見」に反論をする際に必要になるのは、相手の経験によって培われた考え方・思想そのものの否定なのです。しかしこれは人格攻撃にも酷似しており、仮に私がそうやって相手の考え方を否定したとしたら、その反論もまた自ら経験について詳しく解説せねばなりません。言いたくないことは言わないのが普通です、当然そのような反論など出来るはずもなく、議論はそこで収束してしまうのです。
うーん…つっこみ所満載ですが…。 「意見に反論するためには、考え方・思想そのものの否定が必要」これがそもそも間違っていますね。私がこれまで、ここやD-Pointで展開した反論は「否定→人格攻撃」でしたか?(私は龍成さんの書き込みを「個人的意見」とみなして反論しているのは言うまでもありません。) 龍成さんがこれらさえも「人格攻撃」と思っているのであれば、話はここでおしまいです。議論になりません。 「人格攻撃でない」と思えるのであれば、「必要」としている前提は崩れます。
ある条件下でのみ成立している事例を「前提」「大勢」「趨勢」として流通させたいと故意に思っている人がいます。「みんな持っているから私も欲しい、買って」と親におねだりする戦法が一例です。 「思う」を避けて、持論を事実のように断定形で書こうとしている派のやっていることはこれとどう違うのでしょう。客観的には同じに見えますが違いますか?
******************* 夢記録 【夢の内容】 1)夜の道をある目的地に向かって歩いている。なぜ歩いて移動しているかといえば深夜には交通機関が通っていないからだ。連れの歩幅は私の半分くらいだが、こちらの歩く速度とあまり変わらない。徒歩で消費する体力については考慮する必要はないらしい。
2)1)の夢に並行して。 フィールド調査のための出張パーティーに参加する準備をしている。機材と書類と着替え等を、集めてはカバンに入れている。場所は職場で、夜で、間に業者の清掃も入る。
********** アクセスカウンター ここ数日イレギュラーでアクセス数が瞬間的に跳ね上がったので今のうちに。
所詮個人の趣味サイトなのでここはあんまり手をかけないつもりです。この日記も掲示板もレンタルにしてますし。アクセスログをとるCGIだけはリファラーもとれるスクリプトを自分でも設置してますが、ブラウザでアクセスした時カウンタでも状況を確認できるのは便利です。要するに自分以外にも見てくださっている方があることがわかれば安心。
6hot(hit)バッヂをサイトインデックスに貼ってはありますが、ウチへのアクセス数は今も十分すぎると思っています。万人受けするとは思えない私が好き勝手なことを書き散らしているだけの、シンプルといえば聞こえは良いが実は飾り立てる気が皆無なだけのそっけないこのサイトに。
WEBの孤島のようなページを新しく作成して、どこからもリンクはらないでいたら自分以外の最初のアクセスは何になるだろうと、わくわくしながら工事してました。アクセスカウンターで見た「2」の次に見たのは「4」で、「3」は誰だろう、はじめての自分以外のアクセスを確認して興味が全開になりました。判明してみれば何のことはない、更新記録用に借りたレンタル日記の方がサイトの確認に来られてたのでした。教訓:どんなアクセスにも根拠がある。知ってもらわないことには足を運んでもらえない。
メールのシグネイチャに添えたり、余所様の掲示板に書き込むついでに残したりしたURLはまったく使用されないということは経験上なかったです。そうして足を運んできてくれた方が、また来てくださるかどうかはコンテンツ次第です。私は私の書くものが、多くの人に受けるとは思っていません。少数でも気に入った方がおられるならば十分報われた思いがします。
まぁあんまり神経質になる必要もなさそうだと思っています。私も人間なのでアクセス数や得票数に一喜一憂しないではないのですが、「この日はたくさん人が来てくれたからこういうコンテンツを次も」などといった器用さは私には無理な相談ですので。
************ あーもう何やってるんだろう。まとまったコンテンツを作る時間がないからこそこの日記で、こま切れの雑文を申し訳にアップしているのに。その日記で余計に時間を割かれるようなことをしてどうするんだよ>自分。
昨日おとといのページビューは50を越えた。ますますいい加減なことは書けなくなるな…。
************ web日記の文章は読み物としての質を疑われても仕方ないと思う。一般化に無理があったり前提が不適切であったりする文章が私の狭い行動範囲でも珍しくない現状であるからして。私は自分の書いた内容に誤りが含まれていないかどうか、情報が正確であるかどうか、筋がわかりやすくまた論理的かどうか、常に気にしつつも新たな表現を求めて挑戦し続けているのですがなんかむなしくなってきました。
2002年02月22日(金) |
断定と意見と個人攻撃と |
決め付けは良くないかどうか 「決まっている」だの「はずがない」だの、断定が多いですね。私がこうした物言いを避けるのは、たやすく反証されうるからです。「そうでない」例を一つ挙げることができれば論破されたことになるからです。 必要のない断定は、かえって主張を弱めることになると思いますが如何でしょう。 私が異議を唱えていることは気づいても、既に論破されていることにはお気づきでない?
「思う」「こう考える」に対しては、反論ができないか、そう思う「個人」への批判になるというのも頷けません。その人がそのような持論に至った思考の筋道は論理的に説明がつくはずで、その筋道のどこかに、自分でも納得できるポイントを見つけられないでしょうか。(この筋道とは、個人的な経験または事情とイコールではありません。)その人と自分との違いはその先なので、相互理解に続く議論をそこから始めるということにならないでしょうか。
断定された内容が実は個人的意見であり他人である私には納得できないものであった場合、「その事実は私に関しては理にかなっていない」で話はおしまいになります。個人的意見として提出されていれば、いろいろな考え方もあるね、でもどうしてそんな風に考えるようになったのかなと、理解してみようかなと思います(私の場合)。今気づいたのですが、もしかして龍成さんと私が想定している状況は、断定した場合と意見として書いた場合がそっくり逆になっているのかもしれません。
またもしかして「そのように考えるあなたはおかしい」というような難癖をつけられたことがおありだからかもしれません、これほどまでに「思う」を忌避されるのは(私もときどき言われますが)。どのように書こうと言いがかりをつけたい人はつけるのですから書きたいように書けばよろしいと思います。
ところで不吉な予言を既に…。もう十分めんどくさいことになっていますし。
************** 創作:ある女主人の話 玉砂利に箒の目がつけられた庭。玄関には季節の花。リビングにはやわらかく明るい色調の絵画。居心地よく整えられたその家の女主人が、 体重の1/4を失う大病から最近回復したばかりだと知ったのはつい昨日のことだった。
さりげない日常にはそれを取り戻そうとする死に物狂いの努力が隠れていたのだ。 ************* 高岡さん自分の意見を事実と区別するためには語尾を「思う」とする以外にもやり方はいろいろありますが。「主観的事実」はそれが「主観」であることを明示して公開して欲しい。乏しい経験や狭い見識で垂れ流された持論が「事実」として流通することで、不愉快になったり迷惑する人もいるのです。(つい先日のトピックを持ち出すのさえ私は不愉快なので例示しませんが) web日記に書かれたstatementが全て主観的事実とは限らない。ですからその区別は必要だと私は思います。
龍成さんふう。見事にかみ合ってないね。
********** 【夢の内容】 1)新築された宿舎の個室についているバスルーム。今回の部屋は白いが別の部屋はパパラチア・サファイヤのような透明感のあるオレンジ色で美しい。
2)学校の中庭を横切ろうとしたら時代劇のTV生中継中だった。あわててはうようにしてフレームアウトする位置まで移動したが。脇役の若い着物姿の女性が「"みっちゃん"が話しかけるのはどなたでしたでしょう?」と聞いている。
【思うこと】2)番組製作会社の方でも事前に対策すべきだったのではなかろうか。入場できないようロープをはるとか、毎日登校している生徒には周知させるとか。
ですから、公開する前に事実の吟味が必要なのです。数学の定理「直線とは〜」まで遡る必要はないでしょうが(たぶん)、「自分が当然と思ってきたこのことは、どれほどの説明を付加すれば読む人も了解してもらえるだろうか」ほどの検証は。 まして、意見をstatementに混入させたり、しかもその発言主が実は本人でなかったりした日にゃ…。
********* 議論が成立できない要因:私見
さらに続きです。
そもそも議論が成立しないでしょう。個人的意見に過ぎないものを自明の前提として自らのテキストに取り込む書き手が相手では。「わたしはこう思う、なぜなら〜」と論拠があらかじめ提示されてこそ、その人の思考の道筋を追うことができるし、自分とどこが異なってそのような結論に至ったのかを思いめぐらすことができる。彼の人と自分との道筋が最初に分かたれたポイントに焦点を当てて反論するのがたぶん最も簡単で相互理解にも近い。
仮に非難を避ける目的で、わざと「思う」を避けて断定口調で書く人はその前提からして間違えていると私は思う。それを自明の理と思わない他人が読む。そのとき感じる違和感は、そのような粗雑な一般化を公開された文章でしている個人に向けられることになるかもしれない。
ついでですのでその2。 前提も経験した事象説明もなしでただ「私はこう思う」「これが当然だ」としか書いていない文章に反論する場合、相手の主張する主題を自分の言葉で言い換え、明示されていない前提条件を推測してその範囲内でと但し書きをつけてから反論しないといけない(自分はそんなことは言ってないと逃げられないように)。めんどくさいです。
そしてその3。 議論の場に赴くにあたり、テキストの内容とそれを書いた個人の人格とは切り離して考えなければならない。議論の材料はその場に公開されている文章がすべてで、反論はそこから読み取れる内容を元に行なわなければならない。 ネットで文章を発表している個人として、私も彼の人も対等であるので、私は彼の人の人格を云々する立場にはない(と私は思う)。ものを考え文章を練り上げるには膨大なエネルギーを必要とするので、相手の感情を傷つけてしまったら最後、建設的な議論は期待できないと思って良い。
あなたがそれを書く目的は何ですか? webサイトの存在意義にもつながりそうな問いですが。 自分の主張をあくまで通したいのか、 他人と切磋琢磨したいのか。 ほめて認めてもらいたいのか、 共感されて慰めを得たいのか。 「やばい」と小さな声が囁くなら、無理はやめましょう。実害がないなら放置。退却を決めるのも一つの勇気です。
****** 夢記録:楽譜寄贈 【夢の内容】 職場の資料室にイタリア歌曲の楽譜を寄贈する。何か関連があって資料室の責任者が探していたのを入手したのだ。蔵書印を押す前に「本当にあなたは使わないのか」と念を押される。「もう私はピアノをひかないからいらない」と答える。 コンピューター関連の資料に混じって高さも厚さも規格外のその楽譜が書棚に挿入される。
****** あなたが「事実」と思っていることの普遍性
昨日の日記に補足。
自分が、断定的に言いきれる事実だと思っているそのことが、どれだけ普遍性があるか検証する必要があると思います。少なくとも公に発表する場合は。 簡単な例を出します。 「Aは23歳である」 「Aはやさしい人間である」 前者は客観的に検証可能ですが、後者は人によって判断が分かれるstatementでしょう。何をもって「やさしい」とするのかが人によってその内実は違いますし。AさんはBさんに対するときとCさんに対するときで態度が多少異なるほうが普通ですし。
まぁ所要時間せいぜい30分で書ける日記文で「断定」された内容は、(隠れた)前提条件が揃って成立する「限定された事実」程度に思っておくのが無難ですね。さらに、異論を出されて反論する過程でその前提を小出しにしたりすると嫌われます。
高岡さん七つの文字 いずしさん胡桃の中の航海日誌2月19日分
事実と意見は分けて書くことにしています。そのように教わったからでもあるし。「こう思う」私のことを変だという意見は既に耳タコなので最早何とも思いません。要するに非難を避ける意図で「…と思う」という表現を避けるということはしません。
しかし私がこの日記で断定口調を用いたからといってそれが事実とは限らないかもしれない。学術論文では、同じフィールドに立つ者なら誰でも、そこに書かれている手順で追試ができる。あるいは、書かれている思考の筋道を辿れば誰もが納得できる論旨が通っている。そのように書くのは論文であって、毎日書くこの短文ではそこまで丁寧に筋を通せません。私も大学に籍のある研究者ではないですし。
さらにいやらしいことに、この日記のカテゴリーは「文芸・創作」です。つまり私はフィクションを織り交ぜて書くこともできる。断定は事実ではなく暗喩かもしれない。事実のふりをして、普遍性のある真実を炙り出そうとはしています。そういうわけでこの雑文のどこがどれだけ事実で、その論拠がどこにあるかは、私が書かない限り誰にもわからないことです。
「登録」ボタンを押して文章を日記CGIに確定させる。言葉は私から切り離されて、それ自身で言葉の海を漂いはじめます。そこから何を読み取ろうが読者の勝手だと思っています。
題名:ごく若い方へ
サイトの方のインデックスページに、ホワイトリボンをつけました。当サイトは全年齢対象のつもりで作っているので、性表現・残酷表現はありません。まあ実際には、小中学生がわざわざこんなもってまわった書き方をする変人のサイトを読みにくることは多分ないでしょうけれどね。
公立の小中学校に専用回線が引かれるとかで、今の子どもさんはネットを使える環境に最初から放り込まれることになるのですね。でも当分は、受信だけに使って、メール以外の発信は義務教育終えてからの楽しみにとっておいた方が良いと思います。 文字だけのやりとりできちんと交流できる人は大人であってもそう多くないです。問題を自分の中で整理して言葉で表現できる人も、他人が書いた言葉の意味を読み取れる人も多数派ではないのです。あなたが子どもだからといってやさしく接してあげられる状況ではないかもしれません。
世の中には自分と違う人間もいます。自分の乏しい経験や知識では理解できないありようの人間もいます。もしもこの一文を見て心乱されるようでしたらあなたは、ネットに参加するほど成熟していません。 お友達探しはくれぐれも慎重に。
2002年02月19日(火) |
夢記録:出られないランナー |
【夢の内容】 きょうは忘れずにトレーニングスーツを持ってきた。ランニングシューズも新調した。だのにまだロードに出られない。靴を履いて出た昇降口からは、どの門扉もしまっていて舗装されたコースに出られない。 新しい靴の左足はサイズが少し緩い。紐を締め直しても変わらない。いつの間に左右の足の大きさがこんなにも違ってしまったのだろうか。 相棒は出口を求めて狭い中庭をあちこち探して戻ってくるがその度に失望は募る。空は曇っている。きょうもまた、運動できずに終わるのだろうか。
【思うこと】 登校時に時間割を揃える夢から一歩前進している。自分の装備は整ったが状況はまだ、私の参加を許さないといったところか。(夢の中の曇天もその意味を補強している) ランニングに象徴されている"参加"の具体的な意味は何だろう。
いただきものの文旦を一個丸ごとは食べきれずに、剥いた皮を被せたまま食卓に置いておいた。側を通るとふわっとすがすがしい香りが漂う。あまんきみこの童話に、夏みかんを乗せて走るタクシー運転手の話があった。(「白いぼうし」『車のいろは空のいろ1』所収)bk1最初に読んだときは夏みかんよりも車の、酔いを誘う機械と煙草の混じりあった悪臭の方を想像してしまったものだけれど。 花も、造形はかわいらしくとも匂いに癖のあるものは残念に思う。ひっかかりのない、気分をよくしてくれるすっきりした匂いの花を探しているのだけれどカタログではわからない。
切磋琢磨という言葉がある。メノウ玉を磨くには適当な大きさに割った原石を一つの容器に一緒に放り込んでがらがら回転させるのだと言う。メノウ同士こすれあって角が取れて丸い玉になるのだそうだ。
石は擦り合わされないと磨かれることもない。 人は志を同じくする他人と接しないと向上できないかもしれない。
みそは"志を同じくする"という部分で。この例えを借りるならば柔らかい銀細工とダイヤの原石をいっしょくたに放り込むのは乱暴だろう。
それともこの例え自体が現代では大雑把すぎるものになっているのだろうか。石切り場にあるのは産地も組成も同じ似た原石だった昔と違い、今は輸入物も含めてさまざまな硬さの石をどこも扱うようになってしまったとか。
実際にはこの石は石ではなく、自ら意志をもって移動もできるのは忘れてはいけない。琢磨する場を求めて。
【夢の内容】 黒板を使うので自習時間しかできない。ゴキブリ叩き紅白戦のルールは。 まず各組で順番を決める。黒板に碁盤目を書き、適当にゴキブリを配置する。なかにはゴキブリ以外の、蝶や蜂やトンボも書き加える(これらを間違って叩くと減点になる)。 外に出されていたプレイヤーが招き入れられて、垂直に立っている黒板を相手にゴキブリを黒板ふきで手あたり次第叩いて行く。ゴキブリを叩くと得点になる。登録されたすべてのゴキブリを叩くまでの時間を競う。絵が稚拙なせいでプレイヤーと出題者の意図が食い違った場合の対策を次の公式ルール作成委員会で話し合うことになった。
【思うこと】 ルール会議以前に、 一回のプレイごとに黒板一帯を書きなおすので準備に時間がかかりすぎるな、とか、子どもは力まかせにぶったたくだろうので隣の教室から苦情が出そうだな、とか、ゴキブリかそうでないかの判定は出題者グループの間でも議論になりそうだな、とか。目覚めてみるとちゃんとゲームとして成立している方が不思議な遊びに思えてきました…。
2002年02月15日(金) |
自分の特性を消してから自己主張!? |
そうか、みんな主張すべき自分の特性を消してから自己主張をするんだな
引用:橋本治『さらに、ああでもなく、こうでもなく』マドラ出版,2001 bk1
これかもしれない、私がさっぱり分からなかった、私に対する敵意の根拠は。
今更言うまでもないかもしれないが私は特性だらけの人間で、そうした敵意に対しては「ふつうって何?」「私を"異常"だというあんたの言う"正常"って具体的にどういうことよ?」としか言ってこなかった。もちろん納得の行く答えが返ってきた例などなかったのだがそれはこういうことかもしれない。
やっと「そうか……」と納得した。日本じゃ、「特性がある」ということは「平均から逸脱した」ということで、とっても生きづらいことなんだ----
(引用同上)
「逸脱」と見なされるのが嫌で、必死になって自分の「色」を消して、ふと見れば傍らに好き勝手に個性を振りまいている(ように見える)私がいる。そりゃー腹も立つだろう。でもね、同情こそすれ、理解なんてしてやらない。 あなたが没個性なのは、それを自分で選んだからだし、それはあなたの問題だから。羨望とルサンチマンの混じった面倒くさい感情を現実で私にぶつけるより先に、すべきことがあなたにはあるはずだしね。
あなたが想像して怖がっている「逸脱したが故の生きづらさ」って、私が平気で踏み越えられる程度のものなんですよ。尤も私の方は「横並びの安楽」なるものをさっぱり想像できないんでおあいこかもしれないですね。
2002年02月14日(木) |
創作:Rebirth |
Aの話をします。 生まれつき先見(さきみ)の能力があったせいで、Aは人づきあいに用心深くなりました。Aの予知は突然変異で、他人の前でどのようにふるまったら良いか教えてくれる先人は周囲にいませんでした。失望や悲嘆を前もって当事者同様に感じてしまう苦しみを共感してくれるだけでも違ったのでしょうが。警告かそれとも実利的にか、先見は悪い結果に関するものの方が多かったもので。
Aの能力は幸か不幸か実用的でありすぎました。3日後から3年後までの、客観的にも検証可能な時期を予測するものでした。先が見えない他人にはAが理解できない。虚言ではないだけにAは周囲から距離をおかれることとなりました。まだ絶対の愛情を主食として育つはずの、もの心つく前の幼児の頃から。
成長するにつれてますます悲劇的な内容を予見することが多くなっていったのは、受け入れてもらえない悲しみが習慣化され、人生全般に対しても悲観的な態度として、身にまとう空気の色合いまで変えてしまっていたのも要因であることに、ずいぶん後になるまで本人も気づかなかったのです。
19才のある朝見た、何の変哲もない光景に、致命的な色合いを重ねてAは感じ取りました。今日中に自分は死ぬのだと思い込み、そのまま布団に戻り直して、最後の一日を独りで過ごすことに決めました。かつて通ってきたはずの子宮にも似た、湿った暖かい繭の中で。
昼が過ぎ日が沈んで真夜中になってもAは死ななかった。
はじめての予測が外れたことにAは混乱しました。時間が経って気持ちが落ち着いてはじめて、Aは才能ということについて思いを巡らせることになりました。自分の先見とはどういうものだろう。今回に限って自分の予知が外れたのはなぜだろう。Aは翌日も、布団の中に潜ったまま考え続けました。
結論が出ました。 今まで先見は自分が生きるために邪魔でしかないと思っていたが、そうではない。自分を生かすための能力であるということ。 だから、自分の死は予見できない。そう思ってしまったのは、受け取った情報の解釈を間違えたのだ。 たとえこの能力がなくなってしまっても、自分の価値がなくなってしまったのではない。なければ良いと思っていた、まだあるのなら、使おう。 飛行機が落ちるのを止めることはできない。けれども、その飛行機に知人が乗ろうとしているのを事前に知ったなら、乗らせないようにすることはできる。自分のこの能力について説明しないままでも。
Aが成人してからずいぶんになります。 相変わらず先見はします。たまにですが、良いことも予知できるようになりました。たとえば、ストーブの側にいるわけでもないのに片側の耳が熱くなったら。 友達から嬉しい誘いがあります。それも一両日中に。
【暗幕】ブックマーク変更のお願い この"エンピツ"からホームへ飛ばれた方へ。ブックマークの変更をお願いします。 http://quasar.gooside.com/ にURLが変更になっています。
自分の言葉がどこまで通用するのか試してみたかったのです。実際にはwebでも、背景と文字色のコントラストとか行間とか、サイトの体裁とかが文字以外の情報を受け手に伝えている訳ですけれど。
私が「何を」言ったかよりも「私が」言ったということの方が重視されるのはなぜ。私が「言った」ことよりも「言っていない」ことを勝手に推測して判断を起こすのはなぜ。私からすればこういう人は変な人だ。気にかかることがあるなら直接訊いてくれればよかったのに。私は間違って誰かを敵視して攻撃したりはしないのだし。
だからはじめよう。直接会うはずもない誰かと対話する可能性をここに開きました。 心配をすればきりがない。一方で現実に今の私のありようは周囲に受け入れられている感触を確認しているからだけれど。
【夢の内容】 妹が母に、猫をもらってきても良いかときいている。友達のところで子猫が生まれて欲しくなってしまったらしい。いつも出歩いていて家に居つかない妹のことだから猫の面倒は結局母か私がみることになるのは今から目にみえているのだが。話の雲行きからするとどうやら猫が来そうである。 実は猫なら家にもういる。俗に管狐と言われる、家に居つく守り神のような生き物が続く家系なのである。うちのはどうやら長子につくらしく、祖母→父→私とオキツネサマ使いは続いてきた。尤もこの話を知っているのは今では私だけで、母は死んだ父から夫婦といえども話されたことはなさそうである。狐使いでない人にはなかなか理解してもらうのは難しい存在なのだ。 家から少しはなれたところに作業小屋がある。そのトイレに入ったら窓から真っ黒い毛むくじゃらの玉のようなものが飛びこんだ。よく見たら犬だった。黒い目でじっとこちらを見上げている。迷子かと窓を見たらよく似た親犬らしきものが心配そうに覗いていた。なあんだ。「あれ」だ。 「おやつおくれよ」子犬は骨の形をした小さなビスケットをかじりながら言う。「今持ってない、今度ね」親もいるし飢えて死にそうという訳ではない。代からしてこいつは私づきの「守り犬」になるはずで、そしてこっちの作業所が本拠地ならば今度来る妹の猫とも競合しないであろう。そしてここは主に「私の」仕事場だ。今食べているようなペットフードなら買い置いておかぬでもない。 管狐の主食は米でも肉でもなく、狐使いが積む「徳」だと聞いた。こいつがこれだけ元気なら、主食の方も足りているのだろう。私はたいして善人でもないが、目の前で無遠慮にビスケットをカリカリやっている子犬を見てほっとした。 家に帰るとちょうどタクシーが止まるところだった。妹が帰ってきた。
【思うこと】 少し書き足せば創作にできそうな夢ですね。バッテリー切れで一日寝こんでました。回復の兆しが出てきた夢です。
自分と共通する部分を他人に認めて「おんなじだね」と言って喜ぶ。仲良しのすべてがこれであってほしくない。一人一人に差異は必ずあってその違いを認めて楽しむということがもっとありふれたことになって欲しい。 もちろん交流のとっかかりとして類似性はあった方が良いのだけれど。同じ部分でしかつきあえないのならそれが他人である必要はどこに?
【夢の内容】 歯周病予防に歯を念入りに磨いている。既に歯茎が腫れていて歯ブラシが赤く染まる。歯間用の、ブラシ部分が小さい専用のに持ち替えて、(現実でも歯医者で言われた)磨き残しの多い箇所を改めて擦る。 鏡の中では歯と歯茎が少し離れて隙間に白い髄?が見える。夢のお蔭か「痛い」とか「浸みる」感覚はなかった。
【思うこと】 現実の単なる投映か、あるいは、口が言葉を発するところから言語能力に関する何かの象徴か。
私はもしかすると結構運がいい。 ・探していた情報が、なぜか全然別のことをしているときに向こうから飛び込んでくるようなことがよくある。 ・電車で、疲れていて立っているのが辛いなと思うときは大体目の前の人が降りることになって座れる。 ・この間書いた話のマウスとは違って、周囲に秩序やルールのようなものが存在しており、それをある程度私も理解できているようだ。 ・一方で楽しんでしまえるほどのsurpriseもある。
世界は案外これで捨てたものではないと言いたいが、言いきってしまって良いものか迷っています。これを読んでいるあなたが今どこに立っているのか私は知らないので。
【夢の内容】 1)改札を通ったあとホームまでは下りの階段になる。その階段がきょうは特に急に感じる。ショッキングピンクでラメ入りで、幅の狭い段の縁に白線も何もないので危険だ。案の定しょっぱなからきちんと段の中に着地できなくてすべるようにして下まで降りる(落ちる←受験関係者の方ごめんなさい)。壁に「お客様のご意見をお聞かせください」と書いたポスターがはってあるが、この階段に関して言うとしたら苦情ですね。
2)転んだとかどこか打ったとかダメージは全くなかった1)に続いて今度はスケートの夢。古靴でスケートができると誰かが言っている。天の川も見えるきれいな夜空が広がっている。フィギュアの規定演技についてある女の子が説明をはじめた。どうやら天の川を目印にすべるらしいが場面は屋根のついた屋内スケート場に変わっていた。
題名:お休み きょうから連休あけまでこの日記は休みます。 面白い夢を起きてからも覚えていたら夢記録はつけるかもしれないですが。
2002年02月07日(木) |
創作:そのとき何かが音を立てて壊れた |
そのとき自分の中で何かが音を立てて壊れた。その音はすぐ近くでしたはずなのに遠く乾いた世界に聞こえた。
れっきとした大人が壊れる瞬間などなかなか立ち会えるものではない。目の前で人が壊れて動かなくなる一部始終を私だって見ていたくなんかなかった。逃げられるものなら疾うにそうしていた。選ばなくてすむなら選びたくなんかなかった。どちらを選んでも、咎められ、責められ、そして憎まれることは避けられないとわかっていた。私は三歳だった。
その少し前から徐々にその人は死につつあったのかもしれない。ときどき私が見えていなかったり、話しかけても聞こえていないようなときがあった。私はあまり世間を知らなかったので、それが異常だということにずっと後まで気がつかなかた。けれど気づいていたとしても何も変わらなかったと今なら思える。壊れずにすむ方法なんて私もまだわからない。
もしかしたら同じ遺伝子をもつ私にも、遅いか早いかの違いだけでいずれ同様に壊れてしまう時限爆弾がセットされてしまっているのかもしれない。
あるいは。壊れた一部が今も成長を続けているのが私なのかもしれない。はじめてあの音を聞いたあの日、あの午後。
断片的な記憶としてしか存在しないあの時。
夢記録:いろいろなものが壊れてゆく/ひとつになった日
【夢の内容】 1)髪をとかしていたらクシがまっぷたつに折れた。眼鏡もちょっと外しておいておいたら、左目分が、フレームは割れて一部が外れ、レンズも中心を弾丸が通過したような小さな穴が開いてそこから放射状にひびが入っていた。クシはともかく眼鏡がこんな風になったのははじめてだ、買い直すにしても眼鏡屋さんに行くまでに困るので瞬間接着剤を盛ったらレンズのひびだけは目立たなくなった。
2)小ホールの入り口で開場を待っている。外は白いコンクリートの階段が目立ってどれが目的の玄関かぐるぐるまわって探してしまった。関係者用通用口も普段は使えるのだが本日は(ホール職員の)休日なので通用口は閉鎖されていた。 連れの分と合わせて五枚のチケット(昔の切符のような小さいもの)を渡す。係員は誰が私の連れか確認していない様子なので、これならチケットなしでも紛れて入場できるなと思う。
3)グループでかくし芸大会を小ホールでやっている。いよいよ始まるときに、司会者が題を発表した。私のいるグループがトップバッターで、1番目のW君はすぐ出番である。ステージに上がったWは据付けのキーボードで課題をそつなく弾き歌いはじめた。私のいる席から左側の角を挟んだ階段席の別グループの全員が、曲に合わせて肩を組み身体を揺らしながら斉唱をはじめた。突出した声はなくまとまったハーモニーとして聞こえた。
【思うこと】1)の壊れたものは、目覚めて夢でよかったとホッとしました。買い直すのもお金がかかるので夢の中でも困っていましたが爽快感もあった夢です。 この日記で壊れる話ばかりかいているのと関係はあるかな。
2002年02月06日(水) |
実験室から逃げ延びたマウス |
ヒトを壊すのはかんたんだ。マウスを使ったこんな学習実験がある。 マウスを入れる箱を二分して、それぞれに餌箱と電球を設置する。床には電流を流せるようになっている。実験者が観察しやすいよう中心線はあるが、マウスは双方を自由に行き来できる。 第一のルール(ふつうの実験):赤いランプがついて数秒後、その側の床に電流が流れるので、マウスは反対側に逃げて電気ショックを避けるようになる。また、緑のランプがつくとその側の箱に餌が供給されるようにすると、やがてマウスは餌がなくてもそちら側の餌箱に集まるようになる。 赤いランプが点灯してから電流を床に流すまでの時間を次第に短くしても、マウスは状況に適応し、ショックを感じる前に避難することを学習できる。 第二のルール(色信号の変更):第一のルールを学習したマウスを対象に、今度はルールの変更を行なう。赤のランプが餌を、緑のランプが電気ショックを予告するように実験箱を操作する。マウスは最初とまどうが、じきに新しいルールに適応し、緑のランプがついた側からは逃げ、赤いランプのついた側に集まるようになる。 ランダム:さらにルールを変更する。今度は点灯させるランプの色と刺激はでたらめになる。ランプが何色であろうがあるときは電気ショックが与えられ、あるときは餌が与えられる。ランプが点いてから電流を流すまでの秒数もまちまちである。その結果、マウスの行動もまたでたらめになる。自暴自棄のような行動を起こす個体もある。
ほこりっぽい町角に、 実験室から逃げ出したマウスが紛れ込んでいないか? 狂った神の気まぐれな実験室から 逃げ延びた記憶だけを失っている誰かが。
夢記録:濡れた靴下
【夢の内容】リノリウムの床に靴を履いていない足を不用意に下ろした。数センチたまっていた水を靴下が一瞬で吸い込んだ。床の色も靴下の色も白い。アンゴラ混じりの良質の靴下だったのに。
【思ったこと】靴や足が濡れるのは尿意があるときや腎臓機能が衰えているときという解釈がある。どちらも合わない感じがする。今朝起きたときは十分暖かかったし。
2002年02月05日(火) |
書いて発表することの権力 |
本日は3題まとめて投稿します。この「エンピツ」では1日に1文しか書けないので。 ************** 私は理解できない。自分の現状を疑ったことのない人や、それまでの自分の経験や価値観が絶対だと思っていて他人がその枠から少しでも外れると憎悪する人の内面は(その違いを違いとしてあるがままに認めるのではなく)。 私は、よく知らない人に対して決めつけたり間接的な情報によって予断を持ったりはなるべくしたくないと思っているのだがそれでも、一緒にいられない人というのはいる。どうか放っておいてほしい。あなたと私は無関係で、友達でも何でもない。仕事上とか何らかのつきあいがあるならそこだけはきっちり分担を果たせば良いことでしょう。頼むから個人的感情で全体の足を引っ張るな。
私はキーを打って文を書き、webで発表することができる。それはある権力を持っているということでもある。現実に押しつぶされそうになっている人はパソコンを立ち上げる暇さえひねり出すことは難しい。考えるにも、書くのにも最低のエネルギーと健康は必要だと実感する。自分の意図がきちんと伝わるように材料を選び、表現を磨くその神経も体調の悪いときは働きがよくない。 個人の集合をさまざまな属性で分けた群と群の間には力の差が前提としてある。まず数で。男性と女性でも(社会中枢の意志決定の場にどれだけ入りこんでいるか)。頑健な人と病弱者と。 今押しつぶされそうになっている人に、更に重石を載せることだけは、すまいと思っている。
************** ところで今朝、テキスト撰で取り上げられてるのを確認しました。ここで上山達郎さんには、ご愛読および「撰」に採択くださったお礼もかねて返答させていただこうと思います。 まず、安易だとは思いませんでした。何日の日記かはわかりませんが、事実そのような感想をお持ちになられたのでしょうし。それにその比喩が的を射ているかどうかは既に私の関知するところでなく、今後上山さんの書評と私のテキストを対照した読者が個々に判断することだと思います。(たとえば「カフカ的な不条理」を期待してここに飛んでこられた方が、それらしいテキストを見つけられないという事態も十分ありえますので。) それから、自分の書いたものに対する感想についてですが。あまり細かいことは気にしないようにしています。私自身読者の立場では「感銘を受けたが自分の中で湧きあがった感情を適切に言い表す表現が見つからない」と自分に憤ることも少なくありませんので。尤も、公の場で私の文章をミスリードさせるような形で引用された場合はまた別の話です。
[同日追記]テキスト撰のリンク先、インデックスページだった。過去ログに移動したら(来月?)貼り替えないとね。
[同年3月1日追記]はりかえました。
2002年02月04日(月) |
夢記録:オオムラサキ、他 |
【夢の内容】
1)食卓の上に、文房具のパッケージにあるような透明なアクリルケースの箱に黒い毛むくじゃらの何かが入っていた。近づいてみると焦げ茶色の蛾だった。黒い眼がこちらを見たような気がしたがそのままに出勤した。 夜に帰ってきてまだそのままあった。箱の中で動いている。これどうしたのと同居人にきいたら銀行の景品でもらったと答えた。それにしても生き物を、身動きもままならないこんな狭い箱の中に閉じ込めておくのは可哀想だ。外は冬でも、室内ならまだ暖かくしばらくは生きられるだろう。 近づく鋏をどう思ったかは知らないが、君を害するのではなく解放するためだったのだよ。縮んでいた羽根は開かず飛べたのか飛べなかったのか私は見ていない。しばらくしてテーブルの上を見たらいなかった。それからその蛾の姿を私は見ていない。
2)観葉植物の幹におおきなさなぎがついていたのを見ていた。今通ったら鮮やかな青い大きな羽根の蝶が止まっていた。オオムラサキだ。はじめて見た。 花屋さんがさなぎつきで売っているらしい。さっき見たらオスメスのつがいが二組あった。それにしてもオオムラサキは天然記念物では?
3)親戚でマンガを書いている同年代の女性(以下A)のマンションへ遊びに行く。着くと、商業誌でも仲良しと書いている同ジャンルの女性マンガ家(B)もいる。美貌で有名な人だが、今は吹き出物が目立つ。もしかして修羅場だったのかな? にしては雰囲気がのどかだ。「あそびに来たならこのノートに何か書いて行って」とAに渡されたスパイラルメモは、1ページ1日で時間ごとに何か記録があった。持参の万年筆とブルーブラックのインクで名前と時刻を書き込む。この紙はペン先にひっかからず書きやすい。何でもメモにする習慣は、いつもネタ出しに追われる必要性から身についたものかな。
4)よく見る、遅刻なのになかなか学校に行けない夢。もう8時を過ぎたのに家から出発できない。今日は水曜日で体育があったはずなのに運動着も持ってない。 やっと歩き出したら身体が重くて地面についた足も滑って、進むどころか後退しないので精一杯に感じる。囲いもない工事現場の近くの道で、同級生の男子生徒4人が私を追い越して行く。剣道の授業なのか袋に入った長いものをそれぞれが持っている。私を認めて声をかけてきたが、ストライドが違うのかどんどん遅れていくのは顧みてもくれない。
【思ったこと】3)のBの吹き出物が出た顔は、現実のBさんではなく、不仲になった友人の象徴に思われる。 4)の夢は、睡眠不足で疲労が溜まっているときによく見る。そのままの意味であろう。 1)2)の蝶はわからない。
この日記を書くときたいていはオン書きです。回線をつなぐ前に大筋だけ決めておいて、ブラウザを開いて直接書きこんで行き適当な分量にまとまったら始めから読み直して少し直してそのまま「投稿」しています。この程度の短文でも毎日続けるためにはその位でちょうど良い。
読者として想定しているのはもちろん、今ここを読んでいる(であろう)あなた、私が日記更新を連絡した各所の見出しを見てリンクから飛んできてくれたあなたなのですが、実を言うと私はあなたのことをよく知らない。
ReadMeとか日記才人とかリストを見ていると皆さん足を運んでもらおうと涙ぐましい努力で目立つ見出しをつけておられるようで。私は日記自体を書くことで精力を使い果してしまうので、内容に添った題名を考えるので精一杯です(しかもときどき日記タイトルと登録キャッチとが違っていたりする)。それでも来てくださる方があるのは本当にありがたい。
もちろん私は生身の人間である(某所でお待ちしている"さくら"とは違い)ので調子の良い時ばかりではなくて。慣れたものばかり書いていては筆力は衰えるばかりだと思うので苦手な分野も挑戦して失敗することもあります。おそらくある程度日数がまとまれば私の波のようなものも浮き彫りになるだろうとは恐ろしい予測です。ま、いいか。私は作家でも随筆家でも評論家でもないし。
前置きが長くなりました。良い文章とは何かと言う問いは実は乱暴で、場合によりけりというのが正しいと私は思う。たとえば借金を申し込む手紙なら結果的に送金が届けば良いので、その金の必要性を論理的に訴えるかそれとも現在の苦境を(大袈裟に)描写して情に訴えるかは相手次第。htmlメールは読めないと何度メールで言ってやっても相変わらずOUTLOOK EXPRESSの設定をデフォルトのままでメールしてくる悪友にはそのメーラーの脆弱性とコンピューターウイルスが如何にはた迷惑なものかを説明して納得してもらうのが早道かと思ったり。
伝える意味がないので一切説明をしない場合もある。手塚治虫のマンガ「ジャングル大帝」で、白いライオンの主人公レオの誤解をあえて解くことをしなかった台詞というのがありました。メスライオン「ライヤ」を巡ってレオと別のオスライオンが争った結果、相手ライオンは片目をつぶされて退場、残ったレオも気絶したところへ兵隊アリの大群が迫ってきます。兵隊アリは進路にあるモノはすべて、--ゾウでさえ--食い尽くす大食漢で、自分で動けないレオを助けるためにその場に埋めてライヤも立ち去ります。アリがすっかり去ったあと息を吹き返したレオは、ライヤに見捨てられたと誤解して再会時に彼女をなじったのでした。
はじめてそのマンガを読んだとき「あのときアリが…いいえ、もう過ぎたことだわ」と言ったきりそれ以上説明も弁解もしないライヤを私ははがゆく思ったものでした。けれども、訴える意味がないと判断して言い争わないライヤの行為も今なら選択肢の一つに思えるのです。
残念ながら言葉が意図した効果をあげる場合ばかりではない。「そういうつもりではなかった」結果に至る原因が、私の表現能力の不足であるならもっと精進したい。ネットで日記を発信する者として忘れてはならないと思うのは、あなたには立ち去る自由があるということです。私以外のアクセスがここに続く限り、私の言葉はまだ価値を失っていないと信ずることができる。
えーと全然論理的じゃないですが。はじめから終わりまで一本つながってる論旨もないし。先日wordで文章チェックしたら10くらいダメ出しが出ました。(どれも必然性があって乱調にしてるんでスペルチェック以外は直しませんでしたが)
塩粒が風に吹き寄せられて積もった脆い柱は、闇の中で、大地を見渡すようにまっすぐ立っていた。その星では自転周期の関係で、一年と一日の区別はあまり意味がない。つまり公転周期の半分が昼、半分が夜という(地表全体が地球の両極のような)星だった。
その年に生まれた柱は光というものを知らなかった。先がすこし傾いたその姿は、夜明けを待っているようにも見えた。
夜が次第に薄くなる。はじめに黒っぽい青が生まれた。 黒一色だった世界は、色が滲み出した地平線の大気で空と大地に二分された。色の素、光の源は、地平線のすぐ下に来ている大星だ。 この星は光を出さない。光って見えるのは母星からの光を反射しているからだ。 そしてちっぽけなこの柱も、光を受けて輝くだろう。それは何色の光だろうか?
夜明け前のそのとき、誰も知ってはいなかった。母星から放射される有害な光線は、みるみるうちに塩粒を分解して蒸発させてしまうだろうことに。
2002年02月01日(金) |
創作:城で育てられた子どもの話 |
その子どもは堅牢な城の中で大切に育てられていた。寒さを感じる前に衣服は着せ掛けられていたし、のどが渇いたと思う間もなく適温の特製茶が差し出されていた。子どもが語るのは要求だけで、二度と同じことを言う必要もほとんどなかった。彼らの世話は行き届き過ぎていた。国の大切な一粒種であるその子が城の中に生きて存在している事実が彼らには重要だったので。
城の外は戦争だった。彼らがその子どもを決して外に出さなかった理由の一つがそれだった。生まれてから城の外に出たことのなかった子どもは、国を巻き込んだ戦乱が起こっているのも知らなかった。やがてその国はよその軍団に攻め込まれて、草木の一本まで焼き払われた。子どもの住む城一つだけを残して。
戦争が終わって大分経っていた。子どもはぼんやりと気がついた。この頃空気が薄くて、なんだか力も入らない。自分の周りにいつもあったはずのあたたかな何かの気配がすっかりなくなっている。 子どもの視力は正常だった。欠けていたのは他の人間を認識する能力だった。それでも子どもははじめて、自分以外に誰も聞いていない言葉を発した。 「ミンナ、ドコ…?」
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