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「暗幕」日記

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2002年03月31日(日) リンクの常識とその啓蒙/[常識]という言葉に足をすくわれる

※日付ずれ本日で解消。

リンクの常識とその啓蒙


「常識」を根拠に他人を糾弾する快感

あるいは問題は「常識」という言葉の方であったかもしれないです。私がマイノリティであろうがそうでなかろうが、また、私が何かを「常識」ということにして問答無用に自分の立場を通そうとするかどうかには関係なく、「常識」という語が含まれてしまうことで感情的に反発を喚起するであろうと推測できる根拠となる現実がありふれたものとしてあった。お二方はそう言いたかったのであろうと思うのです。
自分が常識の側に立つということにしてしまえば、問答無用で自分の立場を通せる。批判や反論を受け付けないことができる。私が対立を避けようとする人マジョリティの傲慢と書いたときには、こういう、説明なしでも理解してもらえて当然、そのように遇されない場合は相手が悪いことにしてしまえる、という思考プロセスも念頭にあった(そしてそれに対する私の否定感情も)。
という文脈の下では「マイノリティのお墨付き取り合い合戦」「自分はいかに社会的弱者で、特別な配慮を当然受けられるはずだ合戦」というのも当然おこるだろう、いや、すでに起こっているのであろうが…議論かもしれないが目的がすりかわっている気が。そこには、私がwebに期待している、立場の異なる者同士が意見交換し、批判し、反論する、関係調整に貢献できる議論という側面は既にない。



常識が常識でなくなるとき

自分がそれまで当たり前のこととしてきたそのことが、ある人には了解されていないと感じたとき、そしてその「常識」にその人も従って欲しいと願うとき、どうするのが良いか。自分とその人との間では、そのことはもはや「常識」ではない。なぜそのことが、自分を含めた、その人の知らない世界では「暗黙のルール」とされているのか、具体例を含めて納得できるようにしなければならない。
The title of my diary is undetermined.
自分の欲することにたいして何もコストかけず、常識の名を借りて相手に要求するってのがいただけないよ。 さらにこういう人もいるな。きちんとした説明をしないばかりか「常識」の名も借りず、目の前の相手に「理解」「了解」を要求するのって何様だろうね。

そこで

tDiaryBBSでは、webサイトのあり方について、私のサイトの場合とその根拠を随時書いてみるつもりだ。感想・反論・意見などあったらお気軽にどうぞ。(まだ実質リンクとメールについてしか記事はないですが。)

考え過ぎ

[追記:0329 12:31]の続き。どういうのが「きちんと」になるのか、千差万別の意見が出そうな気がするからです。出たって良いじゃないか。その別の意見とやらが出てきたらその時、どこがどのように違うか、主張の論拠と合理性はどうかも考察できる。私ができるのは「私の考えではこれが『きちんと』だし、『相手を正当に扱う』ことになっているのです。」と言うところまでだ。言葉の定義を厳密に考え過ぎると何も言えなくなる。


*********************
※この下を書いたのは実際は30日です。

無断リンクについて、とその言い方(2)

えーと今ちょっとくたびれたんで、ぼーっとディスプレイ眺めてます。すれちがってこんぐらがって私も真意が未だによくわからないテキストについて、最初に読んだ日付に戻ることにしました。ketketさん これ、もしかしてketketさんの目には、要求対要求の構図に見えているのかなと。今現実に起こっているのはそういうことじゃないですよね。「こういうのが常識ですあなた知らないんですか」って口調のメール私ももらったことあるけど、でもそれはネット界でも異常な言い方でしょう。
文中リンクについて書いた私のテキストと、それから派生したいくつかの話題に対して、ご自分のスタンスや反論を日記に書かれたり、メールや各所掲示板でもいろいろ感想をいただきましたが、予想以上に健全な意見交換の場として機能してるんだと思いました。

それと、これは私の書き方が悪かったのですが、対立を避けようとする人は、なりふり構わず何かを言おうとしている人の言いたいことを、「読み手として」私は汲み取ろうとしているのだ、と書いたのであることはご理解いただけているでしょうか?



無断リンクについて、とその言い方

対立を避けようとする人で、説明なしに「マイノリティ」と書いたのは我ながらまずかったですね。ひとつのまとまりを構成しているそのテキストを読めば理解されるように書かなければ。(しかしここ数日、この日記からもたくさんリンクしていたので、そのリンク先それぞれ、仮に1日分としても既に大量の文書量になっていたんですが)
捕捉:
武蔵野よるねこさん
素光さん
明日中に、このお二方に対してはレスするつもりです。
[追記:331 テキストへのリンクはこのページの上方へ移動しました]

カウンター:4701(0330 11:21)。
リファラーだけでは、リンク元のどこで話題にされてるのか分からない場合もありますね。

カウンター:4802(0330 23:35)。
あーあー…。どう考えても多すぎるよ…。半日で100回ってたのは見間違いじゃなかったのか、カウンターをアクセス状況の目安にできなくなってしまった…。(注:今までカウンターの下二桁しか見ていなかったので混乱していた。試しに記録とってみたのです。)







2002年03月30日(土) 私の前提/リンクされたくない理由を想像する

※日付ずれてます。本日は29日。

「個人攻撃をしない」ことについて

text monkey(free talk 0329)※ログが流れた後に移動するはずのURLにリンクしています。

私のスタンスは変わっていません。3月3日の「個人攻撃/人格攻撃をしない」ということは、別の言い方をすればこういうことです。「あの人はこういう人だから」ではなく「あの人が書いたこのテキストを読んだ限りでは」という前提で他人と関わるということです。
ところで、日記には直接該当箇所にリンクしても構わないんですよ。サイトトップの「about」ページの改訂が遅れているのが問題なんですが…。


私の前提

今まで書いてきたことのまとめ。テキストサイトを通じて交流するための。私の姿勢。

  • 公の場で文章を発表できる権力の自覚。
    たいていの場合自分で声をあげないと無視されているという意味で私はマイノリティであるが同時に、ここで考えや感じたことを公に発表できるという意味で私は一つの権力を有している。このことを忘れないようにしたい。
  • 他人の書いたテキストに言及する場合、たとえ挑発的な筆致で書かれていてもその挑発に乗らず、1)相手が何を言いたかったのか理解しようと努め、2)反論はその内容に対してすること。[1)の過程で、相手の文章を自分の言葉で要約し、その解釈で合っているかどうか確認する段階が場合によっては必要になる]
     なお、このことは表現について言及する行為を禁止していない。「反論」はできなくても「反応」の一形態ではある。
  • 書き手としては、表現を選ぶこと。読む人を感情的に反発させるのは戦略上まずい。

 私のテキストは、読者によって評価されるだろう。私が何を、どのように書くかという実際の行動によって、私という人間も評価されるだろう。ここに「前提」として何を書こうとも。
そろそろ日記内全文検索が必要になってきた。ある内容を書いたのは何日前の日記だったか、記憶のみで取り出すのがむつかしくなってきたからだ。ということで備忘録の意味でここにまとめておく。


リンクされたくない理由を想像する

他のサイト管理者とは関わりたくない。
自サイトでコンテンツを発表する以外のことを一切したくない、という人もいるかもしれない。(何でlocalでなく、webでやるのかという疑問は残るが)
自サイトに対するリンクコメントについてもコントロールしたい
リンクコメントも他人が書くものなので、私はコントロールできないと思っている。リンクされたこと、そのリンク形態(コメントも含めて)も自サイトへの反応であろうと私は思う。もちろん、それによって不快になることはある。
関連:
ひとこと言いたい(3月28日、『「日記読み日記」の被害者だと思っている人へ』 わたしが書いたコメントにかかわらず、それぞれの考えでそのサイトに評価を下すのではないでしょうか。 
そうですよね。紹介文をうのみにするほど、読み手はnaiveではないと思います。リンクコメントから興味をもって別の日記に飛ぶことはあるけど、「言及されてたのと違う話のようだなあ」と感じることあるし。
きつい言い方
思うのは「わたしはこんなに傷ついた」と言ってる人の「傷ついた」ポイントは、ほんとは相手の言い方じゃなくて、批判されること自体なんだろうと。 そういう人もいますね。「この自分に向かって反論されることがあるなんて思いもしなかった」って顔する人。
千絵胡椒さんのレスわたしが嫌だなあ、と思うのは、議論の場に入らない傍観者の位置にいる人が、当事者の言い方に対してあれこれささやきだす場合だけだ。議論の焦点をぼかすだけで意味がないばかりか、当事者の立場をあやうくしかねないと思うから。
傍観者にもそういう影響力がある、ということを自覚してほしいと思っている。

完全に同意。
ぶらぷらす(3月28日、無関心でいられる人には敵わない) 何を言っても「えーわかんなーい、どっちでもイイよー」って言う人には、絶対に敵わないと思う。相手は問題を理解しようとする努力も放棄しているんだから。だからといってホントに何でもいいワケじゃなく、結果が直接自分に影響してくると文句を言うのだ。
私にとってどうでも良いことには触れないことにしている。流れがヘンな方に行きそうになったら、異議申立ては早い方が良いと思っている。



いや、だからそんなことは言ってませんって。

タイピングマニア つまりそれだけ解釈などどうにでもできるし、それは読み手に任せるしかないということなわけで、 この部分は同意します。書くときには誤読されにくいよう努めますがそれはもちろん、自分の言いたいことが確実に伝わってほしいからです。そして、読み手としては、多少表現がまずくても、「この内容をどうしても言いたいんだ!」ということは読み取っていると思いますが(ketketさんに対しても)。

それから、ketketさんの日記について暴言と言ったのは他ならぬご自分で(昨日の日記でタイピングマニアから引用しているのはそういうことです)、私ではありません。私はketketさんのテキストが暴言かどうかわからないので、ご自分で書いていらしているならきっとご自分でも暴言のつもりなのだろうと思いました。
私は自分が暴言を書きまくってる自覚はありませんが、 さて、どっちが本当なのでしょう。


ある意味ブラクラ

今非常に困っています。どうやら私の日記に関連する話題が展開されているようなんですが、その日記を私は読めません。IEで開くと9割の確率でブラウザが固まります。OSも2回再起動する羽目になりました。ひらけるときも文字化けしていて、未だに内容が私にはわかりません。
その不具合の原因も私にはわかりません。あるレンタル掲示板は、広告のActiveXのせいでブラウザが落ちるため閲覧すらできないという話を聞いたことがありますが、そのレンタル日記には広告はついてません。同じレンタル元の他の日記では再現されません。レンタルした人が可能なカスタマイズの種類についても私は知っていますが、そのうちのどれが問題であるのか私には特定できません。
こういう場合、「ブラウザが落ちて読めない」ことを日記作者さんに連絡しても良いものでしょうかね。

[追記:0329 12:31]風聞帳でコメントいただきました。

→或る表現の仕方をした、或る言い回しをした、ということそのものが、ひとつのものの見方、ひとつの考えを意味しうる。言い方の品のなさで判断をすべきではないということは、内容で判断というより、表現をきちんと判断するという言い方が適切だとおもう。 (jouno, 03/29, 12:24:14)

「言い方の品のなさで判断をすべきではない」というのは、従来私が用いていた「表現より内容で判断」という表現よりも、私の言いたかった内容を適切に表していると感じます。しかしその代わりに「表現をきちんと判断する」と言うのが良いか私には今判断できません。どういうのが「きちんと」になるのか、千差万別の意見が出そうな気がするからです。

ガラスの文学士とその驚嘆すべき冒険に満ちた遍歴時代(03/29 言葉とコップ)に対する私のレス。

→水とコップのようには、「内容と表現」は分離できない。この比喩を根拠に、昨日私が言いたかったことについて「表現より内容を」と書いたのは適切ではなかったと認めます。「実際、ひとがある言い回しをえらび〜」の段落は完全に同意。では昨日の日記はどのように書くのが適当かについては、時間をおいて考えてみようと思います。 (梅矢, 03/29, 12:50:16)
ガラスの文学士とその驚嘆すべき冒険に満ちた遍歴時代(03/29 2nd 言葉とコップ revision)も参照されたし。
※ログが流れた後に移動するはずのURLにリンクしています。


2002年03月29日(金) 理解されようと努めることはみっともないか/異なる意見が存在するとき対立もまた存在する

日付はずれています。これを書いているのは実際は3月28日。

私も言いたい!(3月27日分) 理解できたら謝らないといけないのか? 「あなたがそのように考える筋道はわかった」「傷ついたと言うあなたの気持ちは理解した」「けれど私はこのことを言いたい」「私の発言を取り下げるわけにはいかない」。そういう場合もある。
自分の真意を伝えることは、みっともないかもしれない行為なのか。
[追記]ご本人が「みっともないかもしれない」と考えている具体的な内容。コメントは特になし。
私も言いたい!(3月28日分)誤解を解こうともがいている自分が、どうしようもなくみっともなく思えるときがある

対立を避けようとする人
なりふり構わず声をあげずにはいられない人は、周囲に自分がどう見えるかなんて構ってはいられない。「言い方」「表現」よりは「内容」に私は注目したい。言わずにはいられない気持ちを汲み取りたい。
マイノリティーに対しては対立はすでに存在していて、「まあまあ、双方とも仲良くしようよ」と宥める人は、その対立を見えなくする装置として働く。無自覚なマジョリティの傲慢だと言っては言い過ぎだろうか。

ピクシーさんへレス。 もちろん、受け入れやすい表現を吟味するのは発信側の責任だと思います。しかし、内容と同じくらいに表現に注意を払うことができるのは余裕がある場合で、発信者はそうできないくらいせっぱつまっているかもしれない。その「言い方」で足を取られて「内容」までたどりついてもらえないかもしれないことは重々わかっていてそれでも、何かを言わずにはいられない場合についてあえて言っているのです。

ひるねこメモ医者は患者より社会的に強者なので、きょうここで扱ったケースとは全然違います。医療的アドバイスが患者の治癒に効果的に働くよう心がけるのが専門家としての義務だと思う。
こうして反応を並べてみると、上の文章は真意があまり伝わっていないようですね。これは私の書き手としての技術不足を表しています。

素光さんへレス。 その解釈は私の意図と違います。「まあまあ…」と外から介入して対立を回避しようとしている人は、対立も辞さずに周囲と異なる意見を述べようとしているマイノリティの危機感を理解していない。よってマジョリティの側にいるのだと私は考えています。参考までにここのログと前後のコメントも見てください。それから、対立と喧嘩は違います。意見の相違・立場の対立が存在することを認めたうえで、どのように共存するかの模索もありえるのだと思います。

[追記:0328 14:33]もしかして全然理解されてなかったのか? きょうの日記の第二段落以降は、「のみこみにくい文章に対しても、その真意を理解しようと努め、評価は内容についてのみ行なう」という、読み手としての私の姿勢であることが。

[追記:0328 22:21]ketketさんのテキストにリンクしなかったのは、きょうのこの日記はそれへの反論じゃないからなんです。「宥める」人たちの理由として千絵さんが解釈したようなものを仮定して、それに対しては私はこのような立場を取る、というのが今日の「暗幕日記」だったんです。
タイピングマニア 私の書き方がよくなかったようですが、他人の文章を読んで反論するときには、内容に焦点を当てるべきだというのが私の主張で、
言われたあなたのほうが言い方なんていう瑣末なことで不快感を感じて拒絶なんかしないで、というのは全然私の言いたかったことではないんです。
ただわざわざ相手に不快感を与えるような言い方でというのは私の書いたものにも感じたのでしょうか、そうであればわれわれはお互いのテキストによって互いに不快を感じていたわけですね。
私は本日の日記がketketさんによってそのような読み方(誤読と言っても良ければ)をされるとは予期していませんでした。ketketさんが不快になったとしたらそれは結果で、私が意図したものではありません。
私が言わずにおれなかった気持ちは汲み取られるのかなと思いました。少なくともこれを書かれたことで、少し、こちらに情報が示されました。けれども私にはketketさんの気持ちはわかりません。ご自分では暴言を書きまくっておきながら、自分と違う意見はすべて暴言に見えるのでしょうか。 訂正:
ご自分で暴言を書きまくっているからこそ、自分と違う意見がすべて暴言に見えるのでしょうか。あるいは、
ご自分では暴言を書きまくっておきながら、他人には批判されたくないというのは虫が良すぎませんか。

それにしてもきょうの日記はできがよくなかったんだなあ。反応くださった方ありがとうございました。おかげさまで「私の言いたいことが全然伝わっていない」ということが確かめられました。



2002年03月28日(木) ささやかな野望〜webが進化を促進する

ささやかな野望〜web世界の可能性

なぜだろう
私には野望がある。webでの交流を通じて、ヒトは自分と違う他人と共存する仕組みを学べるだろう。現実世界とは異なり利害関係はない。地域社会とは違い失敗してもまた一からやりなおせる(失敗の程度にもよるが)。

公開された掲示板でのやりとりを「馴れ合い」と呼ぶ人の中にも、うらやましい気持ちが宿ってはいないだろうか。参加してみれば良い。ただし、クラブ員として認められるには資格が要る。

お互いが使っている用語の定義確認からはじめて、根気よく丁寧に意見交換を進める。体力も気力も要る。そうまでしなくとも、あなたには別に、もう友達はいるからと思うかもしれない。だとしても一度はあかの他人と、逃げずに向き合う経験はした方が良い。

誰かにきちんと話を聞いてもらえた経験はあった方が良い。
無理してバカやらなくても、持ち上げて安心させなくても。ふつうに話せば聞いてもらえると実感して欲しい。相応の自信さえあれば、的はずれの中傷などでは傷ついたりしない。


2002年03月27日(水) 無断リンクとwebサイトを通じた交流(承前)

昨日から日付がずれたので、実際ここ書いてるのは26日です。

無断リンクとwebサイトを通じた交流(承前)
捕捉6KOKOROの風景
捕捉7才蔵(3月26日)
捕捉8BOOKS by 麻弥
捕捉9お兄ちゃま酔っぱらいにっき♪ 過去ログからも参考記事
捕捉10日記じゃんくしょん(daisukeさん、捕捉7に対するコメント)

解析

私が解析つけるときに、そもそもリンク元が取れるものを第1に考えてたのは特殊だったかもしれない。自分以外にも誰かが見ているのを確認するためだけだったら、カウンターで十分ですしね。解析で取れる情報がどのようにこのサイトの運営に参考になるか、というのは話がずれるのでやめておきますが。

リンクもリンク連絡も自分ではコントロールできない他人の行動。自サイトに解析仕込んでリファラー取ってれば、それだけ自分でコントロールできる範囲が広がる。他人の行動に関して「リンクしてくれない、勝手にリンクされたかも…」と孤独に悩むよりは、さっさと解析つけて情報とった方が精神衛生上ましかと。「あっこんなところからリンクされてるー。でも全然影響なかったねー」ってなるかもしれないし。

ネット初心者の論理に合わせてリンク自粛の風潮が蔓延することへの危惧には同感。


当サイトのリンク方針

【暗幕】では独立したリンクページは今のところ作る予定がないので、以下文中リンクの話。
タイムリーにも昨日、無断リンクへの抗議が風聞帳に投稿されたのには正直驚きました。テキスト庵・ReadMe!等の更新報告サイトに登録している事実は他のテキストサイトからの文中リンクも暗黙に了解しているものとそれまで私は思っていたので。よって修正。

1)サイトにリンクポリシーの記載がない場合
1)a 数日テキストを読んで、他者への文中リンクがある場合は、勝手にリンクする。
1)b それまで他者への文中リンク、サイトURLの紹介など一切ない場合はリンクしない。

2)サイトにリンクポリシーの記載がある場合、それに従う。

次に、当方へのリンクについて。
この日記へのリンクははるのも切るのもご自由に。アンカーは、ついてる日とついてない日があるのですがついてる時はyyyymmdd.html#TOC*の形式で段落に直接リンクできます(yyyy=西暦年、mm=月2桁、dd=日2桁、*=半角数字。下の段落から番号振ってます)。事前事後連絡は不要ですが、メールでひとことURLをご連絡くださると嬉しいです。(この「エンピツ」のメールフォームが使えます)


こんなのあったんだ

ReadMe! 独自ランキング グラフ化されるのは便利ですね。アクセスカウンター代わりに使うのはずうずうしいかな?


2002年03月26日(火) リンクに関する作法と日記サイトの交流方法

なぜか本日の日記領域に加筆できないので先取り。

リンク連絡は常識?

情報元はBooks by 麻弥(3月20日)リンク連絡は基本的なマナー?HP運営者の約9割が「連絡欲しい」 Japan.internet.comによる調査結果。「リンクを張ったら連絡して欲しい」約9割には私も唖然。リンク元を知りたかったら、解析つければ良いだけのことなのに。解析方法を知らないのか、それとも連絡するのが「常識・マナー」とだと思っているのか…。「無断リンクを不快に感じる」も4割ですか。他方、自分がリンクする場合「リンクを張ったことがない」の35パーセントを除けば「大抵の場合連絡する」が6割、「場合によっては」を加えると9割が連絡していることになるんですね。

私がここで日記はじめたのは、日記書き同士は文中リンクでお互いのスタンスを参照・確認しながら、自サイトでは持論を展開するというやり方で交流できるのが魅力だったんですが…。この交流方法は成立しづらくなってるのかな。…。(ところで、リンクに関する考え方は人それぞれなので、私の場合相手構わずリンクすることはないです、念の為)。

[追記:0325 13:00]解析つけたくない なるほど。考え方は人それぞれですね。私はサイトを立ち上げて最初に設置するのがトップページのアクセス解析です。確かに、知る必要のないことまで見えてしまうこともあるのですが。(そういう時こそ見なかったことにします。)解析を通して見えてくるものは、サイト運営にはおおいに参考になる情報なのですよ。「相手方がリンク連絡する手間を省く」メリットもあります。


[追記:0325 15:27]ぴくめも。(3月25日)
ただ、「解析をつける」というのに抵抗があるので、「つければいいのに。」と簡単に言われると、少し違うと思うだけです。


解析CGIを設置する以外に、アクセスログを取ってくれるサービスをレンタルするって選択肢もあるので。他人頼みの連絡待ちで「無断リンクされてるかも…」と不安になるよりは、自分で何とかした方が精神衛生上良いと私は思うわけです。ピクシーさんは無断リンクOKだそうですので当てはまりませんが。

私は、誰がどの時間に見にきているか分かるような解析は特に嫌で。私に知られずひっそりと読みたい人もいるだろう、とか、ひっそりリンクしたい人もいるだろう。とか、なんとなく思うわけです。

うーん…。「ひっそり」というのがわからない。たぶんピクシーさんは解析使ったことがなくて、どういう情報が取れるか具体的にご存知ないのだろうと思うのですが。ログから個人までは特定できないです(のべアクセスが10人越えると物理的にも無理)。それと、アクセス時刻がわかるのは重宝。昼間見てくれる人が多ければ午前中に更新しようと思うし、昼間めったになければ夜になってから更新しようと思うし。リファラーはもちろん新たにリンクしてくれたサイトの確認のほかに、どの更新報告サイトから来てくれる人が多いか、宣伝効果が当方でわかるということもありますしね。
私は読者からの反応を吸い上げたい。メール・ゲストブックを通していただくものも、当サイトへのアクセス行動自体も反応です。

捕捉:coffeebreak* 同意。いるのかなぁ? 無断リンクを発見してそのリンク先に文句をつけることが目的の人。もしもいるとしたら、却ってその行動自体「無断リンク」する正当な理由を与えてしまうことになりそう(サイトにはリンクポリシーが明記されてないにも関わらず文句つける人の場合です)。

====私の風聞帳への投稿=========
(無断リンクしないで欲しいとの、風聞帳への投稿に対して)
テキスト庵・ReadMe等への登録は、日記に対する自由な反応を前提としていると私は今まで了解していたのですが違う人もいたみたいですね。ジェジェさんのように他人の日記を踏まえて書くいわゆる「日記読み日記」においては、引用元を明示し読者が参照する便宜のために文中リンクはして当たり前だと思っていたのですが。 (梅矢, 03/25, 14:55:20)
==========

捕捉2:kera-ma-go(3月25日) そうですか…。レンタル解析も利用できない人がいるとは知りませんでした。各種無料レンタルサービスにセットでアクセス解析がついてくるぐらいまでならないと
「エンピツ」「tDiary.net」ではリファラーが取れますが…。少数派なのかな、やはり、まだ。lycosはどうなんでしょう?
書いてて思い出したので麻弥さんの別の日の日記にリンク。あると良いですねこういうパッケージサービス。 翌日の日記も一読をお勧めします。

捕捉3ひとこと言いたい(3月25日) そうそう。「けなされてた」からって、読者が皆先方に便乗して叩く側に回ると決まった訳じゃないですよね。言及の仕方がまずければ、ウォッチされるのはけなした方。
[追記:0325 19:46]でもその不快感をあらわす手段がテキスト風聞帳への投稿っていうのに、ちょっとうけた。←あ、これ、私にか!(笑)。

捕捉4無料サービスで提供している機能 情報ありがとうございます。lycosは最新20件、Tripodは10件のリファラーが閲覧可能ですか。これでは余程まめに解析ページを見に行かないと見逃してしまいそうですね。(ちなみにこの【暗幕】日記でさえ、1日30-60程度のアクセスがあります。それにしても本日のページヴューは異常です。)
↑では例示しただけで具体的に書いてなかったので補足。「エンピツ」では当日と前日の2日分表示されます(閲覧は登録者のみ。Cookie認証)。「tDiary.net」では誰でも半永久的にリファラーが見られます(非表示はサイト元ごとに可能)。これも要望の声が高ければ、じょじょに標準機能に含まれるようになっていくのではないでしょうかね。

捕捉5[削除。公の場で書くようなことではなかった。]

ところで、使わせてもらってて何なんですが、風聞帳へのレスって書きづらい。ログも流れっぱなしだし。気軽に投稿できるのは良いんだけどね。

0330捕捉:哀しきくちぶえ♪

0411捕捉:雑文日記4号館(3月25日)ずいぶん長く潜伏されてしまった。



0422補足:日々雑考03月28日
明らかにおかしいと思うのは無断リンクがマナー違反だと考える人が多数派だという「メディアの報道の仕方」であってその数字自体ではないと思う


また解明しようとする対象に対し、調査はその手段として適切であったか、という点も批判されるべきであろうと思う


2002年03月25日(月)

見えない膜が
撥ね返しでもしたように
顔のない誰か
投げたはずの言葉が
膜を破るどころか
膜を突き通すどころか
ひっかきもせずに 力無く 落ちた

レーザーのように細く
真心を 捉えるように
コマの芯じゃなし
あれは間違いだった
ナイフで 削る 言葉 力無く 折れた

水蒸気のように
息に含まれ 大気に混ざり 
溶けて 吸い込まれて行く
あれも
言葉だ


2002年03月24日(日) キャッチアップ/夢記録:水着

キャッチアップ ReadMeにこんな機能があることをきょうまで知らなかった。ここを見て来た人、期待はずれでスマン。夢で一番印象の強かったのがこの「水着」だったからこのタイトルにしたんだけど。

反応する方法(2):自サイトBBSと「風聞帳」「じゃんくしょん」
日記登録サイトの、感想掲示板はどちらも、過去ログが保存されない。また、ログごとにアンカーもついていない。したがって、「風聞帳」「じゃんくしょん」に書き込まれた内容に対して反応する方法を考えあぐねる。
しかしそんなことを言えば、この「暗幕」のゲストブックもレンタルの、ログ保存がないものなので…。まぁこれは、反応が多いようなら自設置の、過去ログ自動作成のものに切りかえるつもりだから良いんだけど。

反応する方法(3):心を動かされたけれど筆者に対して何も返せない場合ってあるもんだね。

【夢の内容】1)健康診断で保健室にクラス単位で並んでいる。(…はずだが、私のクラスからは5人程度しか来ていない。)奥の部屋では一つ学年が上の三年生が、用事を頼まれたのにもかかわらずだらだらしていて、私たち5人は上級生の面子をつぶすことなくおだてて、手伝いもして早く仕事を終わらせようと働きかける。なぜか水着。

2)数学の授業で、カッターナイフとカッティングシートと透明なアクリル定規が必要だった。私はその連絡を受けてなかったのだが机の中に定規はみつかる。

3)明日の木曜日は体育と社会科がある。学校に置いてある教科書・ノートのほかに持って行くものが多いので忘れ物をしないよう点検する。しかし学期がわりのため明日も半日は行事でつぶれるのだが。


2002年03月23日(土) しばらく休みます

しばらく夢記録以外に更新止まります。
現在カウンタは2819。


2002年03月22日(金) テキストサイト:反応する方法/文体

前ページ | 次ページ 日記じゃんくしょん(仮) 風聞帳と違うところみっけ。トップから押し出された先も、今のところまだ読めるみたい。どのくらい保存されるのかな、過去ログ。
…と思ったら実際はリンクになってなかった。掲示板のログ移動リンクと早とちり。

::::::::
よそ様のサイトに対して反応を返すとき、私の場合は。
1) 個人情報を含む場合…メール
2) ちょっとしたメモ程度の連絡事項…掲示板
3) 少し込み入った反応、持論を丁寧に展開したい場合…文中リンクして自サイトの日記で(隠し日記とか、リンクを禁止しているサイトさんを除く)
すべてがこの規則で対応しているわけじゃないですが、書き手の方への連絡手段としてはこのような原則で対応しています。
テキスト庵の風聞帳を使わせていただくのは私の場合2)のバリエーションです。掲示板のないサイトさんの場合、手軽に反応が送れるのは良いです。
あと、自サイトに書くよりもテキスト庵とか日記才人の方がたくさんの人に見てもらえると思っている人もいるんじゃないでしょうか。それから自サイトへのアクセス増については、私は投稿時、署名とともにURLを残しているのですが(mailto:リンクで自動的にメーラーが立ち上がるのが好きではないので)、多少貢献しているかもしれませんね。でもそれは、余所様の掲示板に書いてURLも残すのと同じ程度です(私の場合)

こんな言い訳めいたことを書きたくなったのは、ここへ大したことを書いてないにもかかわらず、風聞帳へ半日で3ログも投稿してしまった後ろめたさがあるからです。

掲示板というのは、たとえ実質は書きっぱなしになっていたり、訪問者・管理人の感想・お礼レスのセットが続く状態であったとしても、全体の調和を把握してから書き込むよう暗黙の強制力が働いています。自分のニュートラルな文体が、既にそこに書き込まれているものとあまりにかけ離れている場合、書き込み辛く感じても不思議はないです。
日記じゃんくしょんが、新たな交流の場になるかどうか。しばらく、様子を見守ってみるつもりです。

[追記]テキスト庵・日記才人へ登録されているにもかかわらず、登録サイトへリンクをはっていないサイトさんは、2)bの風聞帳・日記じゃんくしょんで取り上げられる確率はかなり低くなります。目的のサイトさんを日記登録サイトのリストから「探す」という手間が必要になるからです。私がこの日記に「風聞帳へ投稿」リンクをつけたのは、この「探し出す」作業が場合によっては結構手間なのがわかったからです。

さざんかの宿 そういうことは書かない方がいいんじゃないかなあ。自分の直観を確かめたい好奇心はわかるけど。その日記を特定するには情報が足りないからまだ良いですが。仮にそうだとして、自分がそれ(ハンドル変更とサイト移転)を当人から知らされていないのであれば。ハンドルもサイト名も変えて再出発したい事情があったのかもしれないですし。
 ちなみに私は、文体で個人を特定できないと思ってます。だって自分で書いたもので、ときどき書いたことを忘れた場合、「なんか見たことあるような文章だな」と思いつつも読み通して最後に署名を見てはじめて、自分で書いたことを思い出す体たらくですもん。私も他人と取り違えられたことあるし。

Kuriさんへレス。単位が「年」ならまだ良いですよ(笑)。私は3日前に書いたこと忘れたことあります。1週間前なら確実に覚えてません。(だからこの日記、似たような話がループしてるんだ。いや、中身は同じでも料理の仕方を変えて出すのには意味があるんですけどね)

[0322追記]「忘れてる」ってのは語弊があるな。推敲をくりかえした結果書いてる本人(私)は、実際に載ってるのの数倍の分量を見て/考えてることになるので、ここに現存している版にはどういう表現で書いたかは、見ないとわからないということです。自サイトの文章はさすがに自分で書いたことは覚えてます。二つ上の段落の「署名ではじめて」云々は、投稿した文章が雑誌に掲載されていたのを、それを知らずに見たときの話です。

[0324追記]風聞帳へ投稿された記事へのレス。この掲示板は流れて次のページに落ちたら消えるので、あとでここのリンクも直しておかないといけない。その前に、反応自体も記録しておけない。尤も、「気軽に書き込む」ためには書き込みが半永久的に残る掲示板でない方が良いのだろう。



2002年03月21日(木) 適正なアクセス数/特定しない/本:双調平家物語2-4

適正なアクセス数

私とここを見てくださっている訪問者との関係は1対多となる。その「多」の数はどのくらいが適正かは、サイトの性格による。このサイトの構成を見る限り、管理人と訪問者との交流よりも不特定多数向けコンテンツの発表に主眼を置いたサイトであるので、交流系よりも対応できるカウント数は多くなるが、そろそろaboutページを書き換えた方が良いかなと思う。サイトに既に書かれていることを読んでない/理解していない反応が出てくるのを危惧しているからだ。こうした反応は経験では、100hit/dayを越えたあたりから散見される。一から説明するより、URLを示して「ここを見てね」と返すほうが手間が省けるのは言うまでもない。


特定しない

こもりうた 坊やは良い子だねんねしなの歌詞は、赤ん坊を男児に限定していることで、適用ケースを自ら狭めている。ゆりかごのうたはそういうことはない。

なるべく多くの人に届くように、限定条件をつけない挿話を書いている。「これはおまえのことだ」とつきつけられては逃げたくなる。「こういうことってあるよね」と先に浸透して欲しい。「これって、もしかして自分のことかも、自分の遭遇している事例に役立つ話かも」と思い当たるのは、了解した後でいい。


本:為政者の資質


双調平家物語〈2〉栄花の巻(1)...
双調平家物語 (3)
双調平家物語〈4〉栄花の巻(3) bk1
最高権力者に必要な資質とは、どれだけ己を空しうできるかだ。


2002年03月20日(水) 建設的な意見交換への切望

「建設的な意見交換」への切望

胡桃の中の航海日誌 なるほど、「テキストを主体としたwebサイトを通じての交流」という意味ならば、私は拒絶していない。テキスト風聞帳や日記じゃんくしょんといった、感想を気軽に書ける場の存在が相互のコミュニケーションを活性化させるというのにも異論はない。しかしその内実と、私が持っている「コミュニティ」なる語の持つ中身はまだ断絶がある。
日記才人やテキスト庵などへの登録の有無に関係なく、webを通じて広い世界に言葉を発信したその瞬間から、それを見た人からの反応は覚悟しないといけないであろう。同時に、他人のwebサイトに対して適切な反応を返す義務も生じたと私は考えている。(尤も、自分のサイトに対する反応への対処と、他人のサイトにレスポンスを返す行為とでは前者の方を優先すべきなので、余暇の絶対量に比べてアクセス数・反応数が多いサイト持ちは後者の行動に割く時間や労力の余剰がなくなってしまうのは仕方ないと思う。参考:個別的な意見交換をお断りする理由 in じぶん更新日記)
「webを通じた健全な交流」「建設的な意見交換」への憧れが私にもあるが現実はまだ遠い。



夢記録:装身具を借りる

【夢の内容】1)出発 1泊旅行なのに手ぶらで家を出る。着替えもない。
2)先方での夕食はきちんとした服装をしないといけないらしい。連れの一人は黒いTシャツにGパンだったが、そのTシャツも真珠の飾りを縫い付けたものにいつの間にか変わっている。私は今夜寝るまでは今来ているシャンブレーのワンピースで過ごすつもりだったが、黒いジャージーのワンピースに替えた方が良いかと思い始める。先方の若い姉妹がアクセサリーを貸してくれるという。屋根裏からラピスラズリの円形のイヤリングが落ちてきた。拾ったらハート型の、ピアスが3色揃っていた。
3)上代の部族社会。母の実家である一族に出向いたら、ちょうど陰謀の最中だった。さっきまでそこに座っていた男たちは何か理由があって、ここを離れてすぐ捕らえられて処刑されるのだと言う。


過剰反応・web日記の意味(2)

コミュニティという言葉がなぜ昨日のような文章を私に書かせたのか半日考えていた。コミュニティ[ー]→共同体、地域社会という連想で反発してしまったらしい。

例えば目的を考える。ネットの伝播力を利用して恋人や結婚相手を探す人(日記のタイトルで容易に想像される)は、書く目的においては私と対極に位置する。その書き手がまちがって私にコンタクトしてもお互いに時間の無駄であろう。つまり、単にwebで文章を発表しているというだけでは、共同体を形成する前提としての共通項としては弱いのではないか。

たくさんの日記リンクが並んでいる。その中にはもしかして、自分と波長の合う相手がいるかもしれない。サイト名・分類・題名などを手がかりにある日記に飛んでみる。読んでみて何かを思い、文章にできそうであれば文中リンクして日記を書く。これは確かに一つの交流だ。

残念ながら「見なかったことにしよう」と思うこともある。先日のように、登録サイトに並んだ文字を見るのも苦痛な場合もある。テキスト庵でさえ登録テキストは2000を越えた。同じサイトに登録しているからといって共同体といえるのだろうか。

※題名と内容が合ってないですが今夜はここまでで。

[追記]窓のとおく(3月19日)偶然ですが「見なかったことにはしないで」には思わず笑っちゃいました。「見なかったことにする」と「なかった[ない]ことにする」は違いますってば。黙殺すると思われたら私が悲しいので。



2002年03月19日(火) 私にとってのweb日記の意味

検出しました 今思うこと→国家は何のための存在か。「主権在民」の現憲法下では、国家権力が国民と対立するというのは矛盾がある。問題は、国民というのは一律の存在でないことで、同国人間(かん)で利害が対立する場合がある。そこで国家権力を持つ側は、自分を第一に保護されるべき国民と規定し、自分と対立する個人の自由を制限しようとするかもしれない。

しかるべき資料を手元において、いずれちゃんと書いた方が良いかもしれない。そのうち。

コミュニティ 参加していると見なされているのか? 最近思うことがあったので、念の為ここで意志表示しておく。
私が責任を負うのは当サイト「暗幕」に置いたコンテンツのみであり、リンク先の内容には関知しない。私のリンクには引用以外の意味はない。
風聞帳その他いかなる掲示板で展開されている話題に対して、言及しないことは言及しない以上の意図をもたない。当サイトで扱う内容は私が恣意的に選択したもので、たまたまある話題には触れなかったからといって同系統の別の話題を扱う資格を失うことにはならない(←まったく、何でこんな当たり前のこと書かなきゃいけないんだよ!)
ある日記のある文章に対して共感したからといって、その人の書くすべての文章に同意するとは限らない。興味をもってブックマークしている日記はあるが、その事実と、書き手と私が友人かどうかということはイコールではない。
私はwebで文章を公開しているので、利用はご自由に。ただし、不適切な利用と私が見なした場合はしかるべき対応をさせていただく。…こんなところかな。

サイトトップの注意書きに、この日記のアンカー説明が抜けていますね。直そう直そうと思って早ひと月。別コンテンツも、未だに書き下ろす時間が取れないし。

ここを見に来てくださる方は何を求めて来るのだろう。私にはわからない。暇つぶしには重いだろうし。


2002年03月18日(月) 不審者の処理/人間の定義

自分が出した命令によって害された王

挿話は私の創作じゃありませんが出典が今わからない。
城門に深夜立ち戻った王は、門番に誰何された。王は答えることができない。さきほどたわむれかかった少女にさるぐつわを着せられたからだ。王は知らなかったことだが、城に近い草原で花摘みをしていた少女は、恋人を兵士に取られて戦死させられたので王に恨みを持っていた。
王は門番に銃殺された。名を問われて答えない者は不審者として殺せとは、他ならぬ王が出した命令だった。

自分のやったことは思いがけぬ速さで自分自身に返ってくる。
王はその命令を出したとき、誰何の声が聞こえない人、声が門番まで届かない人のことは落ちていたのだと思う。

たぶんこのコメントは、この話の趣旨に応えたものではないと思う。
実際はどんな話だったか忘れてしまった。覚えている限りを再構成したつもりなのだが。



人間の定義

人間とは、その地域・その時代のマジョリティが「こういうのが人間である」とぼんやりとみなす範囲内にあるヒトである。
私はときどき自分が人間かどうかわからなくなるのは、私はマイノリティーであるからである。私は自分が常に人間扱いされる確信を持てない。私を区別するのは私でない他人であって、私ではないので。


日記へのコメント掲示板

日記じゃんくしょん 

日記才人が、登録日記に対してコメントできる掲示板(テキスト風聞帳の日記才人版)をはじめた。当座コメント不許可にさせていただきました。風聞帳ひとつでさえ定期巡回しかねますので。この日記に関する感想はゲストブックか、日記でリンクしてコメントされない限り、気づかない可能性が高いです。


2002年03月17日(日) 投書欄を埋めた一言が「怖い」

窓のとおく(3月15日)「追記」 可能でしたらそうしたでしょう。今回の件では「怖い」気持ちが先に立ってしまってどうしても読み直すことができませんでした。ホームグラウンド(この日記)でも言及してません。
「怖い」からと黙っていれば、数が「世論」として利用されて社会制度として定着する可能性もある。…という妄想が浮かぶほど私も恐怖にかられている。こんな私はこの件に関して冷静に説得力ある文章が書ける自信がない。「異議あり」とだけは言いたい言っておかなければと思うがどう言えば良いかまだ見つからない。


2002年03月16日(土) ある老人の死/創作:星を灯す

今朝、親戚の長老が亡くなった。

脳梗塞で倒れてしばらく入院していた。「あと1週間」と言われておととい母が、意識のない彼を見舞いに行ってきたところだった。高校・大学の保証人になってもらった方なのだが、家にかけてきた電話がまれに見る無礼なものであったことしか今は思い出せない。大人気なく私も「どなたですか」と冷たく応じていやがらせをしていた。家にかかってくる電話で「…ちゃんいる?」と家人の下の名前を開口一番、名乗りもせずに呼ぶのは彼だけなので私も二度目からは察してはいたのだが。

彼からの最後の電話を覚えている。電話口で何を言っているのかわからないほど弱弱しい声で、聞き返すと病院からかけてきたらしかった。彼の用件は何であったか忘れたが、例によって諾えない件であったような記憶がある。

「男だから」「年長者だから」というだけの理由で甘やかす気風は既に私の家にはなかった。

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創作:星を灯す

星を灯しに行く
もうここへは帰ってこない

あの窓の下に 子どもがひとり 眠っている
井戸のように深い一人部屋
同じ年頃の子どもはあまた居るが
孤独を語る友は 居ない

無彩色な日々
堅い机の上の帳面から顔を上げれば
そこだけは青い窓 
子どもの手では届かない

あの窓の下に 子どもがひとり
暮すのを私は知っている
私が出たあとの設備を 彼らが 遊ばせておくはずがないと知っている

もう気づいただろうか
あの部屋の引き出しに
特別なろうそくを置いてきた
説明書きも一緒に

個室で火を使うことは禁止されている
だからそのろうそくは
一度しか使えない
「火をつけてごらん まばゆい炎の中に
一番みたかったものが見えるよ」

あの部屋に
希望をひとつ 置いてきた
辛かった過去の私に
その辛さから抜け出した私が贈った

そしてまた
私は星を架ける
見えるはずだ
あの部屋の窓からも


2002年03月15日(金) 「Myエンピツ」の設定について、ある疑い

【夢の内容】
一人ぐらしの異性の家に一晩泊めてもらう。起きたら日は高く上っていて、家主はとうに仕事に出かけていた。リビングに昨夜めいめいが手洗いして干した洗濯物がかかっている。自分の分は乾いている順に旅行かばんにしまう。
自分のものでないのは靴下ばかりで、種類はいろいろあるが色はすべて生成り色ばかりだ。きちんとひろげてなくて縮んだまま小物干しにひっかかっているのをついでに伸ばして干し直しておく。待ち合わせまではずいぶん時間があって、私にはすることがない。家主の帰宅も夜になる。専業主婦を疑似体験している気分だ。

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疑い:「Myエンピツ」の設定について
マイエンピツ登録告知(whoismy)の「告知しない」設定がもしかして効いてないのか?
(「エンピツ」で日記を書いていない方へ補足:他の「エンピツ」利用者の日記をブックマークできる機能は、そのブックマークの事実を日記執筆者に非通知にもできるはずだったのですが…。)「Myエンピツ」のCookie認証や、表示日数設定がときどきリセットされてたりもするので…。

自分の日記をブックマークしてくれている方があるとわかるのは実際うれしい。私はこの設定を最初からずっと非通知にして(安心して)、短い間に「Myエンピツ」リストに入れたり外したりを繰り返していた。どこかの時点でそれが非通知でなくなっていたとすると、がっかりした方もあったかもしれない(一人増えた「Myエンピツ」登録者がいつの間にか消えたと知って)。ああこの設定、自分で確認できないのがもどかしい…。



2002年03月14日(木) その足をどけろ/夢記録:玉造の里

創作:その足をどけろ

怒鳴られる理由がわかっていない顔
のいてくれ その足をどけてくれ

それは眼鏡の残骸
亡き友の
骨も残らなかった
形見となるはずの

壊す前に
砕く前に
だからその足をどけろ

この土地の歴史を
この場所と私の因縁を
知らないのはよくわかった
私もまた
説明する暇もないし
説明してやる気はない
(だからこの先も知らされないままだろう 不本意ながら)

だからのいてくれ
ここから失せてくれ
その瞬間に絶望してしまったのだ
われわれの間に言葉などないと

*********
夢記録:玉造の里
【夢の内容】
宝石のカッティング工房の周りで遊んでいる。野草をつんだ傍らを、磨かれた石をいれた箱を持っておじさんが通った。目の前の地面の黒い湿った土の上に、ブリリアントカットされたインペリアルトパーズが落ちている。色もはっきり出ていて子どもながら高価なものだとわかる。拾い上げてみていたらさきほどのおじさんが戻ってきたので渡した。また落ちていた同種の宝石は、渡したものより一段発色が薄かった。

サイコロ玉を彫刻した試作品をおじさんは見せにきた。ラズベリーレッドに染めたサイコロに、火・風・水・砂を表す連続模様をそれぞれ刻んで、攪拌機に入れてガラガラころがして元のサイコロ面だけ色を剥落させたものだ。その中でもっともみっともない模様を私は摘み取る。それは、模様に規則性がないばかりでなく、皮膚病のような粒が浮き上がったこぶもついていた。


2002年03月13日(水) 代理出産は引き合うか

In the afternoon(3月12日) ある女性Aは、子どもの持てないBのために自分の身体を貸して出産する契約に同意しました。この契約がAにとって金銭的に見合うかどうかという議論をします。生殖技術の現状について手元に資料がないので、具体的なデータなしですむ範囲で書きます。生殖技術が不妊女性への福音になるかどうか等の話はまた別の機会に。

冒頭に記した条件から、AとBについてある程度の想像ができます。まず、AよりもBのほうがお金持ちです。Bは借り腹としてのAと、Aに受胎させ安全に出産させるための技術に対して支払えるほど金持ちです。Aは定職がない可能性が高い。というのは、女性が出産した後も以前と同等の条件で雇用される可能性は少ないからです(既に職業があるのにそれを中断してまで代理出産に同意するとは考えづらい)。Aには一人以上の子どもがいます(それまでに死亡させていなければ)。代理出産に応募できるAは、少なくとも1回、健康な赤ん坊を正常分娩した経験があるはずなので。したがって、Aの生活は苦しい。

子どもを生み、育てる行為は、効率を優先する資本主義社会にはなじまない。当の女性にとっても、最低10か月、労働機会を奪われ、あるいは退職して、そのまま働き続けていれば得られたはずの金銭や仕事をあきらめ、それでも生むのは金銭以外の、報われることが何かあるからなのだろう。ただしその「何か」はこの場合AではなくBに帰属されるものだ。

子どもの持てない女性の血縁が、代わりに出産したケースがある。腹を痛めた子どもは血縁の実子となるので、ひきわたしたあとも血縁だ。
あかの他人の代わりに妊娠・出産し、金銭とひきかえに子どもを引き渡す契約をした、Aのケースでは、子どもは残らない。それではと、金銭的に引き合うかどうかを考えている。

代理出産の代価はどのくらいが相当だろう。出産が場合によっては母子の生命に関わることを考えれば、Aに支払う分だけでも、被保険者死亡時に支払われる保険金額になっておかしくないと個人的には思う。最低ラインでも、職業婦人が無給でも産休・育児休暇を必要とするであろう期間分の年収が必要だろう。この場合の年収は、BではなくAの労働単価で算出されるであろう、Aの代理出産という行為で本来得られたはずの収入が得られなかった、得られなかったのはAが労働した報酬金額であって、Bが出産を免れたために達成できた労働ではないので。

代理出産は職業ではない。人ひとりにこれだけのリスクを負わせるだけの対価を支払える個人は限られている。(代価には生殖技術に対するものも含まれるから、Aに渡る分は全部ではない。1回の代理出産で得られる報酬で、A母子はどれだけの期間暮らせるだろうか)

胎児が備え持つ遺伝子が誰のものであれ、自分の身体で育てている間に情愛もわくであろう。金銭と引き換えに引き渡し二度とその子に関わらないということが心情として可能なのか。また、同じ女性としてAにそれを強いるB側の不妊女性はそのことについてどう考えるのか。

あるいは。Bは女性ではないかもしれない。「不妊の女性のために子どもを生んであげる」とAは思っていたかもしれないけれど。実際のところはどうかわからない。生まれた子はBカップルの実子になると信じて同意したけれど、引き渡したあとその子がどうなるかはわからない。「代理出産」に関する法的規制がなければB側はやりたい放題だ。望まれたのは安価な労働力かもしれないし、この先いささか問題があるので自主規制→化学的に合成できない有機物の提供源かもしれない。

女性とは「生む」性です。言い換えれば「生むか生まないか自分の意志で決定できる」ということです。「自らの意志に関わらず生むこと乃至は生まないことを強制される」のであれば奴隷です。しかし女性の自己決定権というものはまだ当たり前のものとはなってはいない。「家の存続のために俺の血をひく子を生め」という強制力もあるところにはあるし。「結婚して子どもを持って一人前」(独り身や、子なしカップルは一人前でない。そのカップルも異性間のものしか眼中になく、同性カップルは論外)という社会的偏見も当たり前のようにあるし。生殖技術を考える場合見落としてはいけないと私が思うのは、「子どもがほしい」「生んであげてもよい」という女性の気持ちは、それらの背景と無関係ではありえないということです。

目の前の子どもや赤ん坊を「かわいい」と思う気持ちすべてが社会的強制だとは私も思わない。「子どもなんて好きじゃない、かわいいとは思えない」と女性が言えるようになったお蔭で、「母性愛は本能だ」というのは社会的おしつけだと女性自身も気づきはじめている。女性に罪悪感を負わせる罠はいたるところに仕掛けられていて、「どうしても子どもを」と願うのはその罪悪感から来たものかもしれない。

収拾がつかなくなった。この調子だといつまでたっても終わりそうにないので一旦手を止めます。続きは未定。

[追記]In the afternoon(3月13日) なぜ今詩野さんが代理出産について「考え込む」ことになったのかそのきっかけはタレントさんの決意表明だったとわかった。そんな今日この頃(3月8日) 向井さんのケースでは、私の危惧は無用で少なくとも彼女たちの実子として育ててもらえそうだ。

でも最 先端の生殖技術によって、妊娠出産を他人にお任せしなければならないけ れども、我が子を抱くための選択肢が生まれる。

それは本当に当の女性にとっての選択肢なのか。「技術的に可能」→「生むことへの社会的強制」がまた一つ加わるだけではないのか。費用も、女性の身体への負担も考慮されることなく無責任な発言の集積としての。

私の生活の現状では子どもを受け入れる余裕を持たない。まかりまちがって将来、ひとりの子どもの成長を身近で見届けたい誘惑にかられても、自分の血をひく子を生み出すよりは、保護者のいない、まだ成人の保護を必要とする年齢の他人を受け入れる方を選ぶと思う。これは私が私自身親から受け継いだ資質の一部を憎んでいて次世代に伝えたくないと思っている特殊事情があるからだ。要するに、養子ではなぜいけないのか、実子にこだわる心情が私にはわからない。

もしかして私の筆致はあるタイプの女性に対してひどく冷たいものになってしまったかもしれない。「生みたいのに生めない、子どもが欲しいのにできない」女性を一層苦しめる意図で書いたものではない。「子どもができない」事実を彼女らに対して、一層負担にさせ罪悪感を負わせる仕組みに光を当てたかった。



2002年03月12日(火) 訪問者との交流を考える/創作:沐浴

訪問者との交流を考える

よるねこの日々(3/11)文章メインのサイトだったら、この「エンピツ」だけでも十分じゃないかと昨夜思いました。エンピツにデフォルトでついている、訪問者が日記の書き手にコンタクトする手段はtDiarynetと違ってメールフォームなんですが。

訪問者からのコンタクトを拒絶していない証に、ゲストブックも借りてきました(タイトル画像はBBSとなってますが。深く考えてません)。設置しておいてよかったと思うのは開設してから今までにどちらも使われたことがあるからです。

日記サイト同士の文中リンクであれ、自サイトもしくは余所様の掲示板での応酬であれ、意見交換が成立すればそれはそれでまた面白いと思います。仮に成立したとしてもそれは結果であって、私一人ががんばってどうこうできるものでもない。対話は一人でできるものでなし。

自分でも忘れそうなので書いておきますがそもそもこの日記は、本来の雑文・オリジナル小説というコンテンツを作る暇が取れないので穴埋めに始めたものでした。本音としては私はこれ以上この日記に手間をかけたくない。で、この日記はこのまま行きます。ツッコミ機能は追加しない(ツッコミできるCGIには置き換えない)方向で。

[追記]まかりまちがって100hit/dayコンスタントにあるサイトになったら、日記をCGIで書くのはそろそろ危ないと思う。というわけでしばらくは、テキスト庵には更新報告をあげないつもり。

[加えて追記]…と思ったのですがすいません、直前の宣言撤回します。とんでもないところから探して来てくださった方があったみたいで…。詳しくは書きませんが反省。素直に更新報告することにします。ブックマーク代わりに使われてるのはエンピツと日記才人だけじゃなかったのでした。


創作:沐浴

黒い岩に ほとばしる熱い湯
なめらかな水肌 漂うは湯気
今は春 水面には花びら
(夏は菖蒲 秋には紅葉 そして冬には柑子)
薬湯 出で湯

ほぐれてゆくこわばり
とけだすしこり
生まれ変わりの湯

手の中に隠して
流れに紛れさせて
そっと放つ 小さな魚のように





2002年03月11日(月) 夢記録:更衣室の棚/占領された洗濯機

【夢の内容】
1)温水プールに久しぶりに運動に行く。更衣室の、中ほどの3つほどの棚が私物に占領されているらしく、鍵も扉もなく、セルごとに包装紙の色調が統一された箱で埋まっている。着替えたいのだが鍵付きの空いているセルがみつからない。

2)まだ日は高いがだるいので着替えて眠ってしまいたい。宿舎共同の洗濯機を覗いたら髪の長い女性が大量の洗濯物をかかえて戻ってくるところだった。洗濯機の洗濯槽にも脱水槽にも濡れた衣類がつみ上がっている。パジャマに着替えるだけ着替えて眠ってしまおうか、洗濯機が空くまで。

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メモ・論理的文章を書くための参考サイト:
日本語ライティングの世界

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カウンタ。今2001です。

更新サイトへの更新報告は、毎回ユニークな一言コメントを添えたほうが良い。

当座その場で書いてアップできる内容はこっちに。
ある程度まとまった分量を書く場合の場を今設定中。


2002年03月10日(日) 夢記録:牢獄ホテル

【夢の内容】
記者クラブの会議に出席するためにホテルにつく。渡されていた鍵を入り口で渡して代わりにルームキーを受け取る。
「5557」という奇妙な数字の部屋はツインで、同僚の異性の記者と同室である。部屋番号のナンバリングはでたらめで、2階と思ったのに上一桁が「2」の部屋と「7」の部屋が混在していたりする。坂の上に立っているそのホテルは、表の入り口と裏の入り口の階数も違う。われわれが入ったのと逆の入り口は中学生・高校生の修学旅行で使う団体用らしい。

鍵を持っているのは私だ。同室の者が着く前に部屋を探し当てて荷物を置いておかねばならない。

20時すぎ食堂の表で暇そうにしていた料理人に尋ねてやっと「5557」の位置がわかる。同じ階の、角を曲がったすぐ先だった。「食事は終わってしまったがあと20分くらいなら何か食べられるものが残っている」と料理人。

二人部屋は4畳半ほどの畳部屋でほかに床の間も押し入れも何もない。修学旅行生のそばに当座に置いた私の荷物が、なぜか先に部屋に放り出してある。(なぜ生徒のものでないとわかったのか、そして持ち主はこの部屋だとなぜわかったのか。)同宿人もじきにやってきて「これは寝るためだけの部屋だ」と言う。申し訳のように小さな食卓と、50年前のデザインの細長い椅子が2脚備え付けてあるのが見える。布団もよそからもってこないといけないようだ。「BがCDをもってきていてそれを聞きたいので、自分はBの部屋に行く、これではあんまりだ」と同宿人が言う。Bは私も顔みしりで人なつこく感じの良い人だ。「だったら私の方がBと部屋を交換することにしては」と提案する。Bは一人部屋ならもっと狭いはずだ。



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お休み。
まとまったものを書きたいのでしばらくこの日記を休みます。
ネットには繋いでいるのでメール・BBSで連絡はつきます。


2002年03月09日(土) 夢記録:伝統工芸/創作:栓

夢記録:伝統工芸

【夢の内容】

1)階段の踊り場で、友達が二人で木でできたおもちゃのセットを売っている。片方は紺色の蛇の目が目立つコマと説明パンフレットがビニール袋に入っている。友達に「あなたが作ったものか」と訊ねたら、そうではなく知り合いの売れ残りを預かって売っているという。その友達が普段つくっているのは本なので納得する。

どこかから「手まりをどこで売っているか知らない」と声がかかる。「売っているところは知らないが作り方なら知っている」と言あげする。『暮しの手帖』第2世紀1号のカラーページに、綿を芯に糸を巻いてつくる手まりの記事があったはずだ。

2)新しいPCのセットアップを手伝うことになっている。まずWindowsXPをインストールする。接続はできていて、インストールディスクも挿入されている。自動でCD-ROMが立ち上がってスピーカーからはミリオンセラーになった邦楽が流れ出す。正直、うるさい。PCの持ち主が来ないと作業ができないので止めたいが。本体は新書のように小さく、薄かった。CD/DVDドライブかと思って操作したらFDドライブカセットが分離した。


人形をもらっても 飾り棚がない
晴れ着は袖も通さぬうちに小さくなってもらわれていった
ぽかりぽかりと浮んだ物思い
口にしても きいてくれる人がいない
声にするより先に 誰かの大声で 消されてしまう 留められてしまう

だから栓をする
出さないほうがいい いっそ消えてしまえ
胸の真中に
ぎゅっ、と、栓をする




2002年03月08日(金) 存在することの苦痛/それならよく知っている

存在することの苦痛

きのう読み終えた娯楽小説は後味がよくなかった。シリーズを通して主要人物だったあるキャラクターが、贖罪のためにその並外れた才能を使って自滅する話だった。(シリーズ自体もそれで完結してしまう。)扱っているテーマやそれまでの人物の描かれ方は割と気に入っていたので殊更残念だった。

「エンピツ」の機能を使って得られるデータを注意深く読めば、ここを読んでいる人がどんな日記を書いているか、並行してどのような日記を読んでいるかがわかる。「エンピツ」のカテゴリーで「苦悩/心」と分類された日記が浮上することがあって私は気になっていた。

自傷行為の事実をwebで読みたいとは私は思わない。
逆に、何かの理由で攻撃衝動を自分に向けざるを得ない人は私の日記にひっかかるだろうとは予想していました。ある種の人々であれば気づくはずの言葉をぼんやりと挿入して書いています。わざとです。

猛毒に触れて、短時間で死ぬのが理想だと何かの折に雑談していました。「でもその薬は苦しいよ」と目の前の人は首をしめられるしぐさをしてみせました。その苦しさなら私には日常だ、と答えました。気がつくと息がちゃんと吸えない、人生はそもそも苦しいことばかりではないのか。

…こういうことを書いた日だけ、「苦悩/心」の人の足跡が残っている。続けて読んでほしいなと思います。そのときと今の私と何が違うのか、感じて欲しいと願っています。今あがいていること、苦しんでいること、それは方法や向きが見当違いかもしれない。簡単に楽になれる方法はないと私は思う。ここには、私に残っている苦痛の爪あとを見にきているのでしょうか。他の私の言葉は希望ではないのか。数年前にそれを経験して知っている私が、今結構楽しく生きて有るという事実は。

創作:それならよく知っている

運命は絶妙のタイミングで手紙を寄越す
答えはきのう読んだ本に書いてあった
舌や胃でなく 目と心が求める糧(かて)もの
どうしても外部記憶装置に移せずに溢れて燃え上がろうとしていた
想いを 吸いとって なだめてくれるもの

それなら よく知っている
ここに来ればそれとわかる
今必要なもの 欲しかったもの
他の誰でもない 今の"私"のためだけに
オーダーメイドで調整されあつらえられたもの

生きる意味を虚空に問う
答えはない
否という託宣なのか
それとも問うことが間違いだったのか
鳩が飛び立つ


夢記録:デパートの食器売り場

小ぶりの湯のみか猪口を買おうと思ってデパートの6階に上った。5階にはポインセチアの大きな鉢が並んでいた。何列もならぶ棚の隅に、果物の飾りのついた小鉢が2種類あった。イチゴとさくらんぼ。イチゴのついたのはガラスのフタだけで、ピルケースのような容器がおまけについている。家にあった、ふたのない吸い口とサイズが合ってるだろうか。値段は210円。よく見るとひびが入っている。さくらんぼのも、他に種類ごとにひとつずつあった商品もすべてどこか壊れている。買う前に気がついて良かったが、なぜすべて壊れているのだろうと残念にも思う。



2002年03月07日(木) 創作:フラスコ

フラスコの中で
混ざり合い 徐々に化学変化を起こす

フラスコに入れられた原料の種類選択と分量は
人知をこえた采配で決められた

誰も知らない
何のために作られたものなのか
何をいったい作っているのか
フラスコの中


2002年03月06日(水) あなたが、私の意見とは相容れない意見を言う権利を私は尊重する

KOKOROの風景 寝る前にたまたま覗いたらもうレスいただいていたので、その場で目を通して要約を「ツッコミ」で書いて「この解釈で合ってますか」とやってます。一行掲示板に対し私には偏見があるのだが、昨夜は先方もまだon lineで、瞬時にレスポンスがあったのは面白かった。

具体的な事例を離れて一般論で書きます。以下にあげた例は千絵胡椒さんの日記とは関係ありません。

あなたの意見は私の意見と相容れないものだが、あなたがそれを言う権利を私は尊重する

読んでいて苦しかった。言いたいことがうまく言えない感じ、言いたかった中身が相手に撥ね返されて全く浸透していない感じがしました。伝わらない原因は相手の理解力の問題と、自分の表現の問題の両方の可能性があって、後者の可能性を捨てきれないために私は同じことを文章は変えて何度も繰り返し語ることがあります。
例えばこんな想像。
語るときに余裕があれば、言われた相手の顔(これは比喩ですね。webの場合はその人が今まで発表した文章から推測したその人の特性ということになるでしょうか)を思い浮べながら、どのように受け取られ得るかまでシュミレーションして真意が伝わるよう心を砕くこともできる。できない場合もある。訴えたい内容を抱えている人間の振るまいは、しばしば「せっぱつまった」「穏当でない」印象を周囲に与えてしまうこともある。
だからといって、表出したそのふるまいを「悪く思われるのはあなただから」という理由でせき止める行為が、まじりけなしの善意とは私には思えない。その動機に「奇妙な」振るまいを見るのがいやだから、とか、喧嘩(論争)が嫌いだから、とか、言われている内容も自分の意見と違うがそれに正面から反論することはしたくない怯懦などが、もしかして混じり込んでいないでしょうか。


行動の成り行き、結果が相手の意に叶うかどうかは、行動の動機が善意か悪意かには無関係である。

何であれその行為が「語る」自分にとって実際的な役に立たず、「言いたい」エネルギーを削ぐ効果になっている点で、その「善意の」人にも自分の拠り所が理解されていないと私は見なします。最低「善意」は「善意」として受け取ってはおきますけれど。「あなたのため」「善意でしたことだから」は、反論されない免罪符にはなり得ない。


再び、言う権利

何であれ自分に寄せられた意見は拝聴することにしている。私も感情を持つ人間なので気に入らない場合もあるが、道理を認めた意見は採用する。(というわけでこのサイトにある文章にwebで言及される場合は、当該箇所に参照リンクされる方がされないより私は嬉しいです。反応するかどうか、する場合もweb上で誰もが見られる形になるかどうかは確約できないですけれど。)
言いたい内容を意見としてまとめて発表するほかに、「言う」権利自体も、持ちつづけるためには戦わないといけないのだろう。面倒くさくてしんどいことです。私が何を、どういう立場で、どのような形式で言うかは自由です。不適切であれば私の言葉が信頼されなくなるだけのこと。


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追記:どうも…この手の話は特に人気があるみたいですね。今夜中にカウンター1800番行きそうです。
ところでここご覧になってる方のうち、ご自分でも日記をwebで公開している方はどのくらいの割合いるんだろう。

更に追記:21:35。自分で1800番ふみました、と記録。






2002年03月05日(火) 本:『からくりからくさ』

梨木香歩『からくりからくさ』新潮文庫,2002 bk1

亡き祖母が残した古い家に、蓉子は人形の「りかさん」と、同年代の若い女友達3人と住む。その家の全員は染物と織物、伝統的な女性の仕事に深く関わっている。あとから思えば集まるべくして集まったのだ。同じものを食べ、よく話し合う四人の前に、一つの謎が生まれ、並行して事件も二つ起こる。
「りかさん」について語る冒頭の文章はまるで、成熟した大人の女性について語っているようだ。私は「人形らしくない」と言いかけて、「人形がそういうものであってなぜいけないのか」「人形はもしかしたら本来そういうものかもしれない」という思いに止められた。ままごとにも似た四人の暮らしを読み進む読者は、知らない間に魔法がかけられてしまっているのだ。
すべてを知っているのは「りかさん」だけで、その「りかさん」は蓉子の祖母を送りにいっていて今は蓉子に話しかけてこない。草木染めは同じ色は二度と出せないし、やってみなければどんな色になるかわからない。ものごとは、なるべきところへなりゆくのだ。その流れの前には、個々人の望み、恐れ、不安などは些細なものかもしれない。
発言権もなく、波立つ感情を表に出すこともできず、ただ機を織り続けた昔の女性たち。対して現代の静かな女所帯に投げ込まれた波瀾は、やがて家の空気に同化される。男権主義者はもはや彼女たちから奪うことはできない。非婚で出産するということももはや彼女たちを損なう事実ではない。
そしてすべてがあるべきところにまとまったとき、「りかさん」も表現の一つになった。その場所、その一瞬しかありえない芸術作品に変わった。

昔の蓉子と「りかさん」については、『りかさん』偕成社,1999 bk1で読めるようです。近いうちに読むことにします。


夢記録:出張準備

【夢の内容】
出張の荷造りをしている。前日になって、宿の手配をした記憶がないことに気づいた。仕事の進み具合によって現地に滞在する日数が1〜2日のびる可能性はあるが。それにしてもついた当日泊まるところは確保しておかなければ。



2002年03月04日(月) 正攻法を採る

KOKOROの風景
正攻法を採ることが問題なのではなく、意見を応酬する過程で論点がずれてしまうことが問題なのだろうと思う。「真っ向から反対」というのはむしろあらまほしき反応で、結論だけでなく前提も揃った正しいargumentで反論してくれれば有意義な議論にもなりうる。

当方の議論の仕方に異議があるなら、その点を論点として立ててくれれば反応の仕様もある。でも、千絵胡椒さんへ届いたのはそういう種類のものではなさそうだ。
結局、議論の仕方にコンセンサスが得られてないのが最大の問題だと思う。自分で「正攻法」と思うならそのやり方を変える必要はない。書き手の姿勢は今まで書いたものに表現されているので、波長が合うと思えば読者もついてくるし、交流もおこるだろう。

はっきり書かれていないのでこれは推測なのだが、「彼ら」次の2点のいずれかに当てはまる人かな。

  • 自分の正当性を疑わず、異なる意見の存在自体容認できない人。
  • 他人を貶めることでしか自尊心を保てない人。

それから、「正攻法」の解釈が千絵胡椒さんの言いたかった内実とずれてるかもしれない。
正攻法
奇襲などを行わず、正正堂堂とする攻撃方法
引用:新明解国語辞典第三版(三省堂)

夢記録:旅

【夢の内容】
1)昼間、出張先から帰るローカル線の駅で、別口で当地に赴いていた上司と同僚に会う。世間話をしていて乗車したら、カバンをホームに置いたままだった。(列車後尾から紺色のスポーツバッグが見える)あわてて降りて、駅員さんと一緒に走っている電車を追いかける。

2)一軒家の我が家に高校の吹奏楽部が合宿している。きょうはひきはらう日。母親はすでに、泊まり客全員分の布団を上げて干している。朝食の世話をし、荷物をとりにくる楽器専用トラックを案内する。

【思うこと】1)最近日常がダイレクトに夢に出ている気がする。待ち合わせ場所のメモを忘れたが何とかなるさと車内で思っていた心中に似ている(実際時間とおりに到着した)。

2)実際の私は自宅に来客があるのが苦手だ。ありていにいえば迷惑する。落ち着けないし、生活リズムが乱れるからだ。



2002年03月03日(日) 論理的に書く

接続プロバイダの回線が不調だったが思ったより早く復旧したので。

テキスト風聞帳へは、最近更新の日記に対してしか投稿できないのか? インデックスページと日記ページの2種類ある雛型の、日記ページにだけリンクを切ったが、最新以外の日記に表示されてしまっては迷惑だろうか?

論理的に書く

議論を成立させるためには、論理的に書く必要がある。私が書き、読んだ人からのフィードバックをいただき、それに基づいてまた私は書く、その過程を有意義にするために、以下のことを私は心がけている。

statementではなくargumentで

結論だけではなく、そう結論づけるに至った前提を必ずつける。私(書き手)には自明の前提かもしれないが、読む人にとっても当然とは限らない。

argument
数個の前提と結論から成る文章・発言。
statement
結論のみを述べる。なぜその結論が得られるのかの理由を述べていない。

意見をwebサイトに載せて読んでもらい、それに対する感想や反論を求めたいならば、感想や反論を書きやすい文章を書かねばならない。その方法の一つとしてargumentとして述べるということがある。
単に結論だけを述べているstatementに対し反論するためには、前提を推論しなければならない。その推論のための材料が十分であるとは限らない。私の文章そのものに対して的確な反論を得るためには、私は文章をargumentとして、つまり結論の根拠をも明確に述べる必要がある。

個人攻撃をしない

私が問題にするのは起こっているそのこと・語られているその意見であって、それをする人・言う人の人格ではない。私にとって迷惑な行為をする人であってもその行為を改めれば共存は可能なのでその人の人格は論点ではない。(他人に対して迷惑な行為をしがちなパーソナリティーというのはあるが、それはこの日記で扱う範囲にない。)さらに、本筋に関係のない刺激的な表現は避ける。言いかえれば人物のある特質について否定的な表現はなるべく避ける。


"隠された前提"の問題

結論を導く前提をすべて明記するとくどく、読みづらくなる。省いても読者が十分読み取れると信頼できる内容が前提であるならば、隠れた前提として省いても良い。

前提の正しさに多少とも疑いがある場合は、発言者はそれを意識的に、あるいは無意識のうちに隠そうとします。(中略)これらの中から、意識的に、あるいは無意識のうちに隠されている「正しさが疑わしい前提」をひろいあげれば、反論は容易にできます。

前提は正しくなければならない。省略する場合は一層、自分の拠って立つところに十分な根拠があるか吟味しなければならない。

この項引用:小野田博一『論理的に話す方法』日本実業出版社,1996bk1


夢記録:同一人からのメール

【夢の内容】知らないハンドルを名乗るメールの差出人は、私がよく見に行っているサイトの管理人さんだった。そのサイトに書いてあるアドレスと、いただいたメールのリターンアドレスが同じなのでわかった。

【思うこと】正夢。




2002年03月02日(土) 本:朴慶南『命さえ忘れなきゃ』


朴慶南『命さえ忘れなきゃ』岩波書店,1997 bk1

神様がつけてくれた名前

言葉も文字も持たない人間は、悪いことをすることで自分を表現するしかないんです。人を刺すことも怖くなかったし、どんな悪いことだってできた。世の中全部を恨んでいました。言葉と文字がないということは、空気を奪われているということと同じことなんですよ」

旧満州から引き揚げてきた難民孤児だったのが5歳くらいのとき、だから文字が書けない。話そうとすると決まって殴られるため、萎縮して満足に話もできない。想像できるだろうか?
言葉は力だ。幸いにもまだ、私の言葉は息の根を止められてはいない。さあ、これで何を話そうか。言えない人を一層苦しめる言葉になっていなければ良いが。

笑い

「お姉ちゃん、笑えないんだよ。笑うというのは、すごく体力を使っちゃうから、笑うと倒れて死んじゃうんだもの」

カンボジアからタイの難民キャンプを経て日本で再開した弟の言葉。これを聞いた姉の方は思わず大笑いをしてしまったそうだ。真面目に理由を答えた弟にしてみれば笑い事ではないだろうが。

親戚によく笑う人がいる。知り合いにいつも微笑んでいる人がいる。私は彼ら彼女らに会うのが好きだ。こちらにもその笑いが移り、少し気持ちが軽くなる。

よく笑う人がいる。いつも微笑んでいる人がいる。私はどちらでもない。

笑うことも泣くこともできなかった時期がある。泣けなくなったのが先だった。それでも、笑いたくもない場面で私はまだ笑っていた。「ここは笑うべき場面だ」と認識したからだ。

そのときのことを抗議したとき言われた、「だって、あなただって笑っていたじゃない」怒りが火のように燃え上がったのを感じた。その矛先は目の前の人から自分自身に向かった。ああ、他人は、外に見えているものしか見ていない。

「笑い」が体力を使うのは本当だ。今、私はおかしいと思う前に笑っている健康を思う。

実際、難民として日本へ来たカンボジア人から、集団労働をさせられていたとき笑うことも泣くことも禁止されていたという話を聞いたことがある。笑うということは過去の生活を懐かしんでいることであり、泣くというのは現在の生活を悲しんでいるとされたからだ。ひたすら、無表情でいるしかなかった。

現実生活では自分の表情さえ自由にならない状況がある。表情は感情の表出であるが、権力者が他人の感情さえ強制しようとする性格であった場合には。たとえば、「その顔が生意気だ」というような怒号とともに殴られたことがないだろうか。
笑いは力だ。泣くのも塞き止められた感情を放出させる、生きるためには必要な機能だ。笑うことも泣くこともできる状態にありたいが、強制もされたくない。


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【夢の内容】
自習時間にかつての担任Aが私の机の上にプリントを置いて行く。放課後会議室に行って、研究チームに参加することになった。
会議室の畳部屋には目的を異にする2チームが同じ名前で存在しているらしい。初対面のBは、Aからもらったプリント内容と違う目的を語る。「おかしいですね、私もC(Bと私の共通の指導教官の名)に呼ばれてここに来ているのですが。私が聞いたのは観測データの解析ソフト開発でした。一方あなたの目的はそれを使った観測にあるようですね。ということは我々の方が実用レベルまで進まない限りあなたはこのテーマでは研究できないし、場合によっては代替観測スケジュールを組む必要がありそうですが違いますか?」と反論する。



2002年03月01日(金) 夢記録:乱調トランプ

【夢の内容】
幼なじみのAと、七並べに似たトランプ遊びをしている。Aはずっと自分のカードを場に出せなくてパスになっている。おかしいと思って積み重ねられたカードを開いたら、場に続くカードはすべて、そこか私の手持ちになっていた。
私も何度もカードさばきを間違える。カードの端のスートが、カードの内容と別の印でマーキングされているのも理由の一つだ。たとえばクラブのカードの端に「■6」と書いてあったりするので見落としてしまう(ダイヤは◆だった)。
全然ゲームにならないのでカードをしまおうとする。枚数を数えていたら別のセットが混じっているのに気づく。サイズも版型も違う、5種類に亙るセットを、どうして一緒くたに混ぜてプレイすることができたのだろう。

【今思うこと】
■◆の記号が、日記システムに使われているアンカーの印に見えてきた。


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