女の世紀を旅する
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2008年02月29日(金) |
『夜と霧』 アウシュヴィツ収容所の極限体験(1) |
『夜と霧』アウシュヴィツ収容所の極限体験
以下はトキオ通信から
●『夜と霧』(ヴィクトール・E・フランクル/みすず書房)
1 心理学者、強制収容所を体験する 2 第一段階、ショック 3 空想でも希望 4 心の元気が必要 5 人間は慣れる存在 6 第二段階、感情の消失 7 何もなくても幸せになれる方法 8 心を動かすもの 9 ユーモア 10 苦痛をまぬがれる幸せ 11 苦悩も生きることの一部 12 内面的な勝利 13 自分の未来を信じる 14 逆転の発想 15 行動で答えを出す 16 解放−現実感の無さ 17 どうして耐え忍ぶことができたのか 18 高い代償で得られるもの
『夜と霧』のテーマの一つは、「希望」ではないかと思います。
『夜と霧 新版』(amazon.co.jp)
1 心理学者、強制収容所を体験する
『夜と霧』は、原題「心理学者、強制収容所を体験する」の通りに、心理学者である著者フランクルが第二次世界大戦中に、ナチスにより強制収容所に入れられていた時の体験について書かれています。 ナチス・ドイツの小規模強制収容所での過酷な経験について、フランクルは「心理学の立場から解明」しようとしています。
重労働、貧しい食料、劣悪な環境、ナチス親衛隊員や収容所監視兵だけでなく被収容者間での酷い人間関係。そして、「ガス室送り」(処刑)の恐怖。いつまで続くかわからない収容所生活。 このような状況の中で、人は何を心の支えに生きていけるのでしょうか?
私としては、幸せと希望をもつことについて考えるヒントが見つかればいいな、と思っています。
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2 第一段階、ショック 『夜と霧』(フランクル)より
「収容所生活への被収容者の心の反応は三段階に分けられる。それは、施設に収容される段階、まさに収容所生活そのものの段階、そして収容所からの出所ないし解放の段階だ。
第一段階の特徴は、収容ショックとでも言おうか。
「駅の看板がある――アウシュヴィッツだ!」 この瞬間、だれもかれも、心臓が止まりそうになる。アウシュヴィッツと聞けばぴんとくるものがあった。あいまいなだけいっそうおぞましい、ガス室や焼却炉や大量殺戮をひっくるめたなにか! 」
自分の大きい不幸が明らかになった時、人は心理的に強いショックを受けます。 ショックは強い恐怖感や不安感を生み、人を混乱させます。とても落ちついて考えられなくなってしまいます。
大きい不幸という現実を受け入れることができないと、苦しみと混乱が長く続くことになってしまいます。 と言っても、大きい不幸を心が受け入れてくれるまでには、誰でも相当に時間がかかってしまうでしょう。 長い時間がたてば誰でも自然に現実を受け入れること(あきらめる、そして忘れていくことも含めて)になるのでしょうが、すぐに現実の大きい不幸を受け入れることは難しいのです。
不幸な出来事による強いショックを受けた時には、どうしたらいいのでしょうか? ショックな現実をそのまま受けとめ、悲しみや怒りや悔しさや情けなさや不安や恐怖などの感情を「今はしかたがない(ハオハオ)」とひたすら受け入れようと努力するしかないような気がします。 悪感情に誘われて湧き起こる様々な考えはストップしたほうがいいでしょう。特に悪いことを考えてしまうのに対しては、「今このように思うのも無理はない(ハオハオ)。だから、今は余計なことを考えるのはよそう」のように考えられたら、と思います。
などと、今は書けますが、実際に自分がそういう状況になった時に、それができるかどうか。 私の場合には、「ハオハオ」が心の中に出てくれば、なんとかできるような気もしていますが。
あとは、心身の休養と栄養を心がけ、心が受け入れられるのを待ち、希望をもつことから始めて立ち上がり、ここ(現実)から幸せに向かって歩き出せたら、と思うのですが。
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3 空想でも希望 『夜と霧』(フランクル)より
「精神医学では、いわゆる恩赦妄想という病像が知られている。死刑を宣告された者が処刑の直前に、土壇場で自分は恩赦されるのだ、と空想しはじめるのだ。それと同じで、わたしたちも希望にしがみつき、最後の瞬間まで、事態はそんなに悪くないだろうと信じた。」
「希望」は、空想でも妄想でもいいのだと思います。 それでも、心の中が少しでも明るくなればいいのです。絶望しているよりもずっといいのです。
「希望をもつことは心の作業」です。 また、希望をもとうという意志が大切なのです。 絶望しそうになった時こそ、自ら希望をもとうと心の中で努力したほうがいいと思うのです。
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4 心の元気が必要 『夜と霧』(フランクル)より
「わたしたちがまだもっていた幻想は、ひとつまたひとつと潰えていった。そうなると、思いもよらない感情がこみあげた。やけくそのユーモアだ! やけくそのユーモアのほかにもうひとつ、わたしたちの心を占めた感情があった。好奇心だ。」
希望をもつ、そして、持ち続けるためには、心の元気が必要なのかもしれません。 心に元気がない時には、なかなか希望も湧いてこないのではないでしょうか。
心を元気にする方法はいろいろあると思います。 心の休養・栄養・運動になるようなことがいいのでしょう。 ユーモアや好奇心も、心を元気にする方法の一つなのだと思います。
なかなか希望がもてない時には、まず、心を元気にすることを考えたほうがいいのかもしれません。
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5 人間は慣れる存在 『夜と霧』(フランクル)より
「人間はなにごとにも慣れる存在だ、と定義したドストエフスキーがいかに正しかったかを思わずにはいられない。人間はなにごとにも慣れることができるというが、それはほんとうか、ほんとうならそれはどこまで可能か、と訊かれたら、わたしは、ほんとうだ、どこまでも可能だ、と答えるだろう。」
人間はどんなに過酷なことにも、時間がたてば慣れることができるということなのでしょうか。 逆を言えば、慣れることができない人は生きていけないということなのかもしれませんが。
いずれ慣れることを信じて、「慣れるまで我慢すればいい」と考えることができそうです。
「そのうち慣れる」というのも、希望の一つだと思います。 その希望を叶えてくれる、(慣れる)力が人間にはあるということなのではないでしょうか。
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6 第二段階、感情の消滅(アパシー) 『夜と霧』(フランクル)より
「被収容者はショックの第一段階から、第二段階である感動の消滅段階へと移行した。内面がじわじわと死んでいったのだ。 感情の消滅や鈍磨、内面の冷淡さと無関心。これら、被収容者の心理的反応の第二段階の特徴は、ほどなく毎日毎時殴られることにたいしても、なにも感じなくさせた。この不感無感は、被収容者の心をとっさに囲う、なくてはならない盾なのだ。」
心を閉ざすのは、自分(の心)を守るためなのです。 でも、いつまでも心を閉ざしていては、幸せにはなれません。 嵐の時には戸締まりをしても、嵐が過ぎ去ったら、窓を開けて希望の光を入れたほうがいいのでしょう。
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7 何もなくても幸せになれる方法 『夜と霧』(フランクル)より
「人は、この世にはもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、わたしは理解したのだ。 収容所に入れられ、なにかをして自己実現する道を断たれるという、思いつくかぎりでもっとも悲惨な状況、できるのはただこの耐えがたい苦痛に耐えることしかない状況にあっても、人は内に秘めた愛する人のまなざしや愛する人の面影を精神力で呼び出すことにより、満たされることができるのだ。」
人は、愛する人のことを心の中で想うだけでも、少しは幸せになれるのです。
人は、感謝をすることで、幸せな気もちになれます。 人は、何らかの希望をもつだけで、心の中を少しは明るくできます。 人は、夢の実現を想うだけで、幸せの予感を感じることができます。 人は、自分の幸せを「幸せだなぁ」と思うことで、幸せを感じることができます。
人は、精神力・心の働きだけで、それなりに幸せになれるのでしょう。 そもそも幸せは(心で)感じるものです。 うまく心を働かせ、感じられる幸せ(幸福感)は幻想ではないと思います。
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8 心を動かすもの 『夜と霧』(フランクル)より
「被収容者の内面が深まると、たまに芸術や自然に接することが強烈な経験となった。この経験は、世界やしんそこ恐怖すべき状況を忘れさせてあまりあるほど圧倒的だった。」
過酷な状況の中でも、山々の風景、沈んでいく太陽と夕景、夜明けなどの美しい自然に感動し、歌、詩、音楽、お笑いなどの芸術を愉しみにしたということです。
感情が消滅していくような状況だからこそ、心動かすものを求めるのではないでしょうか。感動できること、愉しめることなど、心を動かされることがとても大きなことに思えてくるのでしょう。 また、心が何かに集中している時には、その分イヤなことも忘れられるということもあるのでしょう。
希望をなくして心が動けなくなった時には、心動かすものに触れ、夢中になれるものに集中することが、役に立つのかもしれません。
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9 ユーモア 『夜と霧』(フランクル)より
「ユーモアも自分を見失わないための魂の武器だ。ユーモアとは、知られているように、ほんの数秒でも、周囲から距離をとり、状況に打ちひしがれないために、人間という存在にそなわっているなにかなのだ。」
ユーモアを、おかしい、楽しい、おもしろいと感じることは、心にいいでしょう。 笑いは、心にも、身体にもいいそうです。
ユーモアを感じられれば、心の中が少しは明るくなるでしょう。 ユーモアは、その場(と、そこにいる人の心)を明るくするのだと思います。
ジョークなどのユーモアを考えることは、イヤなことやつらいことを忘れられる(考えなくてすむ)効果もありそうです。 ユーモアを考えるためにも感じるためにも、心の余裕が必要なのだと思います。
たとえ短時間でもユーモアを感じられれば、少しは心の力を抜くことができるでしょう。 ずっと張りつめた心はいつか切れてしまうでしょうが、少しでもゆるむ時があれば、それだけつらさにも耐えられるのではないでしょうか。
つらい時こそ、心をゆるめることが必要だと思います。そのための方法の一つがユーモアなのでしょう。
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10 苦痛をまぬがれる幸せ 『夜と霧』(フランクル)より
「ほんのささいな恐怖をまぬがれることができれば、わたしたちは運命に感謝した。 もちろん、収容所生活のこうした惨めな「喜び」は、苦痛をまぬがれるという、ショーペンハウアーが言う否定的な意味での幸せにほかならないし、それらもここまで述べてきたように、「……よりはまだまし」という意味でしかない。」
積極的な喜びには、ほんの小さなものですら、ごくまれにしか出会えなかった。 「不幸でない幸せ」というのがあります。 大きい不幸を経験した人は、今自分がそうでないこと、それをまぬがれることでも、「まだ幸せ」と思うことが可能なのでしょう。
不幸を知らない人は、不幸でない幸せはわからないし、実際に不幸に出遭ってしまった時の衝撃は大きいのではないでしょうか。
不幸を知っている(経験した)ということは、一つの財産なのかもしれません。
続く
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