ふうこの英国留学日記-その後

2003年08月25日(月) イギリス生活の終わり


無事修士論文を提出し、もぬけの殻状態の週末を過ごしました。
心配してくれて、励ましてくれた方ありがとうございました。
あとは、日本へ帰る便の予約。
運送会社の手配。

ノリッジにいる友達に連絡をとって会える日を決めたり。。。
うーん、もう、本当に今回はいろんな人とお別れなんだと思うと悲しい。

ヨーロッパ内にいればまた会えるよね。。。と思っていたけど
もう、日本に帰ってしまうと本当に二度と会えないかもしれないんだな。。

って思ったり。

留学生活はディズニーランドみたいなものなのかな?
現実の社会に戻ってショックを受けるのが怖い。
イギリス留学から帰って日本で働きはじめた人たちはどんな気持ちがしたんだろう。

私がこの1年で一番学んだことは「孤独感」だったと思う。
そして、またここで培った人間関係を離れて孤独を抱えて、日本に帰る。
どこへ行っても、人は孤独から逃れられないのかもしれない。

孤独感がどうの。。。と言っていられないほど、慌しい日々が待っているかも
しれない。そうだといいな。それもきっと、自分次第だろう。





2003年08月18日(月) 大丈夫 マイフレンド


ああ、あと提出まで3日なのにまだ論文が完成していない。
泣きたくなる。

パニックの神様が降臨しそうなのだが、パニックに陥っても
時間を無駄にするだけなので落ち着かなければと言い聞かす。

たぶん、提出が終わったら、1週間くらい寝こむかも、というか
寝ていたい。

大丈夫、マイフレンド どうにかなる。
君はこれを切り抜けられる。。。。

と不安の中で自分に言い聞かせる。

ありがとう。マイフレンド
いつも助けてくれて。。。やってみるわ。
そうね。きっとできるわね。

不安と、精神的、体力的疲れがごちゃまぜになって何がなんだか
わからなくなってくる。

でも、きっと大丈夫 マイフレンド



2003年08月05日(火) Life is beautiful


小沢健二のシングルを集めたCDが発売されるという情報をネットで見つけた。
私は彼の曲が大好きだった。とくに「Life」と今度CDに収録されるという
全盛期のラブソングが。

「いつだって可笑しいほど誰もが誰か
愛し愛されて生きるのさ
それだけがただ僕らを悩める時にも
未来の世界へ連れてく」(愛し、愛されて生きるのさ より)

そうであって欲しいと思う。

昨日は、親しい友人の誕生日だったのだが、カードにこう書いた。

「自分の人生を、あなたがこれから出会う人たちを愛し、彼らからも愛されますように。そして、美しい人生を生きてください。」

これは、私の大叔母が母の結婚の時に手紙に書いていたセリフをもじったものだ。
美しい人生を。。。というのは私も母へのカードに書いていた言葉だったので、
世代が変わっても、私たちは同じようなことをいつも願っているのだなと感じた。

私の友人のイギリスでの友人の1人に、先天性の心臓疾患で、17歳の時に心臓の大手術をして助かったという人がいる。彼はその手術が成功するまで人並みに運動もできず、自分が何歳まで生きられるのか、と常に考えていたそうだ。そして、18歳手術が成功し、人並みの運動を許されるようになった彼の生活は一変し、死を近くに感じ続けていた彼は哲学とバイオテクノロジーを専攻に選んだ。
大学に入ってからは今までの分を取り戻すかのように人一倍活動的な人間になったと言っていた。

中国人の友達が言っていた。。僕があと半年生まれるのが遅かったら、一人っ子政策が厳しくなったときだったから、僕の親は僕を中絶してたと思う。そしたら、ここにいて、君に会うことはなかったね。

生きていることは当たり前ではなくて、私たちは様々な危険や障害、不運をすり抜けてここにいる。そして、誰かと出会って、友達になったり、愛し合ったりする。
そんなことをふと実感する。

生きてさえいてくれればいい。。。と誰かのことを思う。
でも、人の生活は単に生きていればそれでいいというものではない。
死んでしまいたいと思うほど、辛いことって人生にあると思う。
でも、絶望に近づいた人間ほど逆に生きたいという自分の意志に気付かされる
ことが多いのではないか。

ときどき、生きて自分でこうして、行動して、感じて、考えることができることが
とてつもなく貴重な瞬間であることに気付く。当たり前のことが当たり前でない。
すべては過ぎていってしまうけど、その何かと触れ合って感じることができた瞬間の喜び。それはとてつもない。

やっぱり、「愛し、愛されて生きる」しかないんだと思う。




2003年08月01日(金) Grapevineな女


最近、ベトナム系アメリカ人の友達ができて、何人かで男女関係について
はなしていたところ。。。彼が Grapevineな女の子という言い方をしたので
えっつ?と思って。どういう意味と聞いてみると、グレイプバインはぶどうのつるという意味で、彼は男に依存してしまう女性のことをそれ自体では立つことのできないぶどうのつるにたとえていたのであった。

うーん、これはなるほどと思った。
他の大きな木の幹にからみついてしか、高いところにいけないぶどうのつる。
女性の人生は相手の男性次第で変わってしまうのだろうか?彼は、お金持ちや社会的ステイタスの高い男性を得て、いい暮らしを得ようとする女性もある意味Grapevineな女かもと言っていた。彼はそういう女性もいてもいいし、現にそうして
幸せになっている人はいっぱいいると言っていたが、私は自分はGrapeivineな女にはなりたくないと思った。

たぶん、妬みもあるのだろう。世の中には良いパートナーを得、それをきっかけに
人生をステップアップする女性も大勢いる。私のイメージではそういう女性は才色兼備で、育ちもよく、(簡単にいうとエレガントな美人?)自分がそれに値すると信じているタイプの女性だと思えて仕方がない。自分が、そういうタイプではないこととを踏まえて、まず、楽はできないだろうというところから始まっているので、簡単にはいえない。美しく着飾って、地位も資産もあるような男性の伴侶をするのもそれなりに大変だろうし、そういうふうに生きられる人はそうすればいいんだと思う。

きっと何も思い決める必要はないんだろう。ただ、自分の幹で立たない、つるであることは何だか不安で、たよりなくて、細くてもいいから、フラフラしてもいいから、自分の幹を持つ女性になりたいと思うのだ。
台風が来たら、大木にからみつくつるは無事でも、細い苗木はすぐに倒れてしまうかもしれない。つるをうらやましく思うこともあるだろう。でも、自分で根をはって、幹を立つことができたら。。。どんなに心強く感じることだろう。

私は怖い。1人で立とうとしたときに、嵐がきて立ち上がれなくなることが。
1人で立とうとすることと、誰かを強く求めることは矛盾していると思っていたが
きっとそうではないのだ。私は嵐の時に、踏ん張れる強さを持つために誰かが必要なのだと今は思う。

こうやって、考えてみると、私は今まで何度倒れそうになったときに、家族、友人に助けられてきたことだろう!と改めて思う。
この場を借りて、お礼を言いたいです。実際的なことから、すごく精神的なことまで、私は本当に支えられてきたと思う。願わくば、せっかく支えてもらってきたのだから、この私の細い幹が、無事根を張って生きていけますように。。。


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