2003年02月23日(日) |
風邪をひきながら映画漬け |
今週の月曜日から風邪をひいている。。。頭がぼおっとし、くしゃみと鼻水が。 もしかしたら、これは花粉症か? いや、イギリスの花粉症はもっと春から 夏にかけての期間のはず。やはり風邪かと自分に自問自答している。
部屋で休んでいると具合がよくなり、木・金と忙しくしていたら今日はまた 少し調子が悪い。
低空飛行を続けながら、なぜか今週に見たかった映画が大学内で上映され、 一日おきに三本の映画を観た。
まず一本目は、フィンランドの監督アキ・カウリスマキの新作「過去のない男」: 公園で親父狩りにあって記憶をなくした溶接工が、ホームレスや救世軍の人々に 助けられながら、名前をもたずに人生を再び取り戻すという話。 フィンランド人の女友達と一緒に観にいったので、よく意味がわからなかったところや、社会背景、出てくるミュージシャンのことなどを見終わったあとに説明してもらえたのが良かった。 劇中に救世軍の歌手として出てくる女性は、かの国では往年の有名歌手で、そのバックバンドの男の子たちは、国では人気のあるロックバンドのメンバーだという。 どおりで、甘いマスクと甘い声なわけだ。
二本目はケン・ローチの「Sweet Sixteen」これは日本でも今年の冬公開していたので、観た人も多いと思う。 期待を裏切らない素晴らしい作品。グラスゴー訛りが聞き取れなくて、細かいセリフがわからなくても十分味わえた。何より、主人公の少年リアムの顔がいい。 もう、本当に、なんなんだよ。やってられないよ。っていう時の、せつない痛々しい表情。時折みせるはっとするほどあどけない表情。そして、暴力と麻薬の売買を通して、したたかにワルになっていく大人びた表情。 麻薬の売人の母の恋人、麻薬中毒で恋人の罪をかぶって服役中の母親、未婚の母で将来のために市民大学に通う姉。母の恋人から暴行を受け、憎しみながらも、その麻薬を売ることしか、リアムに金を稼ぐ手段はなかった。そして。。。 ラスト海辺にたたずむシーンは「大人はわかってくれない」を思い出せせる。 やり場の無い苦しさを抱えてたどり着いた海辺で、彼は何を思ったのか。 携帯電話から聞こえる姉の優しい声。 どんなに強がっても、どんなにタフでも、彼はまだ16歳で、彼が置かれた環境の中で、他に何ができただろう。彼は自分の才覚と身体を駆使して、闘った。母親と、姉と一緒に暮らすことを夢見て、走り続けた。誰が彼を責められるだろう?
主人公のリアム役の少年は、オーディションに選ばれた当時、17歳のプロサッカー選手だったそうだが、(どおりで劇中に甥っ子とふざけてするサッカーが妙に上手かったわけだ)今は、退団して、本格的に俳優をめざすそう。 彼だけでなく、他の俳優たちもみな自然な演技で、リアリティーを感じさせた。 とてもシンプルに見えて、とてつもない傑作。ケン・ローチの力量をはっきりと見せられた感じである。
三本目は、「ロード・オブ・ザ・リング(ス) 二つの塔」。 うーん、これは別にコメントする必要もないと思うのだけれど、この物語が好きなので、私にとっては必見の映画。私的には観て損はないとおもうけれど、ファンタジーが好きじゃない人にとっては、単にニュージーランドの自然が美しいだけという意見も。
11'09'でも思ったけれどやっぱり、ケン・ローチは圧倒的。 イギリスではすごい新人映画監督が出てくるたびに、ケン・ローチ以来の、とか、ケン・ローチの再来といった形容詞がつけられるけれど、それも無理ないのかも。 彼の人々に対する目にはなんの偏りも感じられない。映画を通して、真剣に、耳を傾け、目を凝らし、この世界で起こっていることを真摯に見つめ続ける彼の姿が浮かんでくるようだ。ケン・ローチという知性をもつイギリスの映画界はまだまだ力を持ち続けるんじゃないかと思う。
今、イギリスのニュースはイラク情勢に関する情報(といっても主にアメリカの動向だが)で溢れています。。。
私はは、チョムスキーのMedia Controlという本を読んでいる途中で、いろいろ考えさせられることが。 今学期のレポートでは、ニュースを素材にして、マスメディアにおける翻訳が異文化コミュニケーションの媒体になっているということを書こうかと思っています。 アメリカのメディアがいかにアメリカが国外で行っている殺戮について 語らないか。。。いかにアメリカ人は知らされていないか。。。 情報操作と一言でいうと簡単だけれど、今のように、メディアが増えて情報が氾濫している中では、その実体は複雑に入り組んでいるようです。
日本の外務省の「国益のためにイラク攻撃への賛否は表明しない」は 情けないと思いました。国益って。。。アメリカが実際は一枚岩でないように、 日本も一枚岩ではない。国益が意味する利益ってなんなんだろう。 賛否は表明しないということは、日本としての意見を表明することができないほど 日本はアメリカに対して弱い立場にあるということを明らかにしているだけじゃないの。イギリスはアメリカと一緒になって戦争をしようとしている側だけれど、先の土曜日にロンドンでは大規模な反戦デモが行なわれた。 私は行かなかったけれど、私のいる大学からもバスが何台もチャーターされ、デモに参加する学生を運んでいた。私の友人の何人かも土曜の早朝に大学からバスに乗ってロンドンへ向かった。
私がこちらで友人になったアメリカ人は、アメリカのイラク攻撃に対して皆批判的なので、ブッシュに心から賛成している人は実際どこにいるんだろうと感じる。行くところに行けば、いっぱいいるのだろうが。
自分が国籍をもつ国が、自分の帰属する国が、自分個人の思想や意向とはまったく異なる方向にどんどん過激に進んでいくとき、個人はどう対処したらいいのだろう?それも異国にいたら、その国に属するものとして周囲からは見られ、居心地の悪さを感じながら、言い訳をしてもむなしく、葛藤を感じ続けるだろう。 国家の行為を個人の責任に置き換えることは難しい。 韓国人の友達が、ある日本人男性と知り合いになったとき、彼は彼女が韓国人だと知るや、謝罪を始めたそうだ。「日本人が韓国人に対して過去に行なってきたことに対して、いち日本人として心から謝罪したい」と頭を下げたという。 彼女は現代的な人なので、驚いて、なんかそこまでする彼に違和感を感じたと言っていた。 私は日本人である。けれど、日本政府の発表する意向は私のもとのは一致しない。 国民はそれぞれ、個人として意見や思想をもつ権利が許されている(はず)。 しかし、もし日本において多勢の個人が、「自分の利益のために、ことの賛否については表明しない」となってしまったらどうなるのだろう。 中国人の友人に言われた。 「中国では日本がいかに中国を残忍なやり方で侵略したかについて学校で習う。僕は、日本人の友達も多いし、日本のドラマやゲームも大好きだだ。なんで、こんなに穏やかで優しい国民性をもつ日本人が、戦争の時にあんなにも極端に過激になれたのか不思議に思う」
私もそう思う。大勢の外国人に、日本人は穏やかで優しく、礼儀正しく、思いやりがあるというようなことを言われる。でも、その一方、完ぺき主義で、容赦なく、 計算高く、規則に厳格なところもあると私は思う。 1人の人間の中に美徳と欠点が相反しながら共存するように、国家もひとつの人格のようなもので、短所と長所を矛盾しながら内包しているのではないか。そして、その欠点と美点はもっともっと複雑な形で影響しあい、お互いを変化させていく。
私は私という一つの意志を持った有機体で、自分が何をしているのかを自覚し、コントロールしようとすることができる(難しいこともあるが)。 国家が一つの有機体のようなものだとしたら、一体何が国家をうごかしているのだろう。ブッシュを動かしているものは何なんだろう? 利益? 誰のための? 彼のための? 次回の選挙で勝つため? 中東でのアメリカの権力と利益を守るため?
私にはわからない。でも、アメリカが戦争を起こすことで利益をえる人間がいることは確かだろう。誰かの利益のために、大勢の人間の人生が、幸福が、命が犠牲とされる。そうやって、歴史は繰り返されてきたんだろう。
私はとても欲張りな人間だと自分で思う。時にそれを疎ましく思う。 人間というものが欲張りである限り、戦争はなくならないのかもしれない。
2003年02月13日(木) |
かつて愛したあなた - ロシア詩人 プーシキンの詩より |
今日は特別ゲストの講義で、ロシアの詩人プーシキンの翻訳についての講義を聴いた。その講義のなかで、翻訳家でも、研究者でもある講師のアントニー・ウッドが 読んだ詩が気に入ったのでここに掲載する。日本語訳は私の訳。
プーシキンについて知りたい方は以下を参照してください。 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ango/7795/poet19/pushkin/pushkin.html
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I love you once
I loved you once. If love is fire, then embers smoulder in the ashes of this heart. Don't be afraid. Don't worry. Don't remember. I do not want you sad now we're apart.
I loved you without language, without hope, now mad with jealousy, now insecure. I loved you once so purely, so completely, I know who loves you next can't love you more.
かつて愛したあなた
私はかつてあなたを愛した 愛が炎だとしたら、そのおき火はこの心の灰の中でくすぶっている 恐れないで 心配しないで 憶えていようとしないで 今、私たちが別れようしているとき あなたに悲しんで欲しくない
言葉も、希望もなしに私はあなたを愛した 今は嫉妬で気が狂いそう とても不安 私はかつてあなたを本当に純粋に、完全に愛した 私にはわかる 次にあなたを愛する人も 私以上に愛することはできないと
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今はニュース言語の翻訳について勉強中なのだが、詩の翻訳の方がやっぱりロマンチックかつ、情緒的で魅力的。正直こっちに惹かれる。
といいつつ、今晩は明日のプレゼンに備えて、イラク関連のニュースの翻訳に取り組まねば。。。
私が子供だったころ、空は高く、海は青く、山は大きかった。
私が子供だったころ、川は澄み、森は深く、木々はそびえていた。
私が子供だったころ、私は自分は特別な存在だと思っていた。
私が子供だったころ、一日の終わりを世界の終わりのように感じた。
私が子供だったころ、21世紀は期待と不安を抱かせる未来だった。
いつからか、世界は美しいばかりでなく、私は平凡な人間で、 明日はまた同じような一日として、劇的に変化することは滅多になく、 何もなかったように続いていくのだと認識するようになり、 21世紀は現代の世紀になった。
どうして、何に対して私はこんなに苛立っているのか? この焦りはいったいなんなのか?
大事な人が体の具合が悪いということは私をとてもつらい気分にさせる。
私の愛する人々に愛と祝福を。。。そして健康を祈る
2003年02月03日(月) |
Red Dragon |
エッセイが終わったばかりということで、映画を観まくっています。
昨日はトマス・ハリス原作のレクター博士シリーズ第一作「Red Dragon」を やっと観てきました。 うーん、なで肩ナヨナヨ男のエドワード・ノートン大好き。頭もいいのに、情けない感じのFBI捜査官ぶりが、観客やレクターのS(サディズム)を刺激する。 一緒に行った友人は、犯人役のレイフ・ファインズの裸体にうっとりだったらしいが、確かに刺青をした身体は立派だったが、彼がかっこいいとかハンサムだとか全く気付かなかった私。でも、脇役もそれぞれいい味出してるし、面白い映画だったと思います。
それにしても、やっぱり、アンソニー・ホプキンスのレクター博士は最高。 ハンニバルよりも良かったんじゃないかと思うような出来。 目つきや口元だけで、人を喰いそうな色気と狂気を感じさせるのはすごい。 人間の魅力と善良さが比例しないということを彼は体現している。 食欲と性欲というのは切り離せないものなんだろう。
いい夢を見れているかい?と、ニヤリと笑うレクター博士の言葉が脳裏に残る。
「11'09"01 September 11」というタイトルの映画を観た。
これはSeptember 11にNYで起きたことに対して、 世界11カ国の名だたる映画監督11人が11分9秒という限られた時間の中で それぞれの見方でこの事件を描いたオムニバス映画である。 日本からは今村昌平、アメリカからはショーン・ペン、イギリスは からは、ケン・ローチが監督として参加している。 たった、11分とはいえ、とても中身の濃いものもあり、ショッキングなくらいの感動を受けた。この事件に関して、これだけいろいろな受け止めかたがあるということを肌で感じさせてくれるとても意味のある映画だと思った。 日本で公開されたら、見ることをオススメしたい。
2001年9月11日の事件があったころ、世界の各地ではどんなことが起きていたのだろうか?()内は監督の国
イラクの女教師は、アメリカの爆撃に備えてシェルター作りに借り出される子供たちを集めて、アメリカで何が起こったかを理解させようとし、子供たちに黙祷をさせようとした。(イラクの)
NYに在住する聾唖のフランス人女性は彼との愛の終わりに世界の終わりを予感していたが、彼は埃にまみれて命からがら彼女のところに帰ってくる。ニュースを聞いていない彼女は何が起きたかわかっていない。(フランス)
映画監督は、事件の翌日の記者会見で話すことを断わる。 そして、悩める彼は、アメリカとの紛争で死んだ若者が見えるようになり、彼との対話を通して何かを掴んでいく。(エジプト)
アメリカ在住のイスラム教徒の母親は事件後行方不明になった息子を心配する。彼が、周囲からロに加わっていたのではないかととの疑いをかけられる。息子は現場で救助のために死んだとわかり、容疑者から、一挙にヒーロー扱いをされる。(インド)
病気の母を抱えて、学校に行く余裕もなくなった少年は、ビン・ラディンらしき人物を見かけ、賞金を稼ぐために彼を捕まえようとするが。。。。(アフリカ)
1973年の9月11日、チリで何が起きていたか? アメリカは我々をテロリストを呼んだ。多くの仲間が虐殺され、拷問を受けた。ロンドン在住のチリ移民が9月11日にNYで起きた事件から、故国で起きたこと、死んだ自分の両親に思いをはせる。(イギリス)
飛行機の飛ぶ音。爆音。世界中の言葉で流れるそのニュース。ビルから降ってくる人々。無音の中で、崩れ落ちるビル。 Does God's light guide us, or blid us? 神の光は我々を導くのか、盲目にするのか?(メキシコ)
イスラエルの繁華街。爆音、血みどろになって倒れる女性。燃え上がる車。路上に置かれた鞄の中に残された時限爆弾を処理する男。現場に群がるカメラマン、TVレポーター。しかし、中継はされない。NYで大きな事件が起こったから。。。(イスラエル)
太った白人の老人の孤独な生活。部屋が暗いと、死んだ妻の洋服に向かって話し掛ける。ある朝、ビルが消えて、彼の暗かった部屋に光が差し込む。。。(アメリカ)
故郷を離れて暮らす少女と母、紛争で足を失った隣人の青年。少女は今日も不眠症で眠れずに、故郷に帰る日を待ちわびる。街にデモに出かけた彼女は、集会所のTVでNYのニュースを目にする。いてもいられなくなった彼女は、車椅子の彼とたった2人のデモ行進を始めるが。。。(ボスニア)
太平洋戦争当時、戦争から帰ってきたユウキチは口も聞けず、地べたをはいずる、蛇になってしまった。人間を止めた方がいいと思うようなことが戦地であったのだろうか?(日本)
私は特に、イラク、エジプト、インド、アフリカ、の監督の作品に心を強く揺さぶられた。中でも、ケン・ローチの11分は素晴らしかった。改めて、この監督の視点のするどさと力量に感心させられた。 それぞれの国で、それぞれの立場で、個人として、September 11をどう解釈するのか?その表現は、それぞれ違うし、立場のとり方も複雑だし、でも、とても私には教えられることが多かった。世界の多様性、多重構造を一本の映画でこれだけ、描けるというのはオムニバスならではだと思う。たった11分でも、力のある監督達はそれぞれの世界観をそこに浮き彫りにすることに成功している。ただ、日本人として、残念だったのが、今村昌平だけが、現在を描かなかったことだった。私は彼の監督作品も好きだし、期待していたのだが、September 11をテーマとして、現在を描いていなかったのは彼だけだった。
アメリカとこれだけ深いつながりを持つ日本として、September 11を現代日本としてはどう捉えているのかを描いて欲しかった。太平洋戦争の時の復員軍人を描くのは、反戦メッセージにはなっているが、他の国の監督たちが描いた、現在も進行中であるSeptember 11が世界に投げかけている波紋についてのシリアスな状況と比べていると何かズレている印象は否めなかった。
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