ふうこの英国留学日記-その後

2002年12月13日(金) 寒いよ、暗いよ


帰国日変更して、イギリスで部屋にこもって勉強している。。。

今日は、食べ物の買出しに行ったり、他の日本人のフラットに、晩御飯食べに
いったりして、遊んだけれど、昨日、今日と1日800wordのペースで書いているので、一応、勉強も進んでいる。

800Wordのペースで毎日書ければ、一週間で論文一本かけちゃうんだけど、
書くことが見つかるまでの、資料探し、資料の読み込みがたいへんなのよ。。。

しかも、今は書きやすいところから書いてるから、すぐに文字数は増える。
だーが、この調子だと、引用とか入れたら、すぐに5000wordくらいいってしまいそう。

論文は長さより、中身の濃さだよねー。ふう。

イギリスは、冬至を目前に9時ころ明るくなり3時半くらいには暗くなるという日々が続いています。今日なんて、昼間雨が降って天気が悪かったから、明るかったのは、昼間と言える明るさがあったのは2-3時間しかなかったのではないかな?

朝だから、明るくて起きるということがなく、あまり、昼と夜の感覚がなくなってきて。。。朝の3-4時に寝て、10-11時に起きるという生活パターンに定着しつつある。

日本に帰ると、時差ぼけになるのかな?ちょうどよかったりして?



2002年12月12日(木) 帰国日変更

12月13日には日本に帰国する予定でしたが、勉強がはかどらない。。。もっと
勉強してからじゃなくちゃ帰れないようーと思って、帰国日を遅らせること出来ないかな?と試しにエアチケット買った旅行会社にメール送って見たら、あっさり、何の手数料もなしに、変更ができた、というより、変更できましたとの連絡。

12日イギリス出発のところ、18日出発になりました。
たかが6日、されど6日。論文を書かなければならないものにとっては
この6日は大きい(ハズ)。
授業が終わってからの6日間は貴重です。論文を書くのに集中できると思いきや、
9日から図書館が夜の7時で閉まってしまうことが判明。とほほ。

勉強時間を朝型に切り替えないと、ゆっくり図書館でDVDを見る時間がとれないよー。うー、部屋でDVDが観れたら、こんな思いをしないで済むのになあ。

東京は雪が積もったらしいですが、こちらもとてーも寒いです。
なんと朝の気温は-2,3度。こんなに寒いの生まれて初めてだよ!

ノリッジよりも、内陸の方が寒いんだなー、やっぱり。

というわけで、去年は2,3度しか着なかったダウンジャケット活躍中。
手袋、マフラー、帽子というフル装備じゃないと夕方以降は外に出られない。
寒さに強くなってきた気がする、それとも皮下脂肪があつくなったのかしら?



2002年12月06日(金) 廊下でクリケット


寮の廊下で、ゴンゴンバンと音がするので、なんだろうと思って覗いてみたら。。。。
来週、月曜日から金曜日まで毎日試験だという状況のMBAのフラットメイト(イギリス人とインド人)が三人集まって、廊下でクリケットをしていた。

ごめん、5分だけね。というのだが、私は好奇心から覗いて見ただけで、こういう騒音は全然かまわない。 Never mind! と言っておいたけど、相当ストレスがたまっているのかしら、夜中に廊下でクリケットはじめたくなるくらい。。(笑)

アルベルトとは、別れを惜しんだのに、
また図書館でばったり会って、金曜の夜だというのに
(真面目な私たち、クリスマス前の学期末の金曜の夜は図書館はガラガラ、みんなパーティーしてるよ。)
夜遅くまで隣で勉強してた。また、月曜日に図書館で会って、一緒にコーヒーブレイクしようね。。。と言って別れた。彼も12月11日までイギリスにいるらしい。

勉強は面白くなってきたけど、問題は私の英語を書く力の問題。
書きたいことが思うようにかける英語力がない。。。つらいわー。

いくつかクリスマスパーティーに誘われたが、私がイギリスを発った後なので
参加することができず、残念。もっと遅く日本帰りたかったよー。

でも、日本でも讃岐うどんを食べるとか、楽しい計画(私的には)いっぱいあるからいいもーん。クリスマスは丸亀の「一鶴」で、鳥の足たべるもんねー。(情報ありがとうR)




2002年12月05日(木) 論文とJOYとアルベルト


やっと、勉強に本腰が入ってきて、毎週、教授と1時間くらい話をしている。

先週、あまりにもう興奮して、話終わって、部屋をでるときに、汗だくになって
思わず、「ありがとうございました。大変、興奮しました」
と言ったら、「私もそれを聞いて嬉しいわ」と笑われてしまった。

今週も、相変わらずで、先週のように汗だくにはなっていなかったけれど、
教授に薦められた論文が難しすぎて、読んでると胃が痛くなるんですー、もうお手上げです。と手を上げて言ったら、
「あの人の書くものは、難解で有名なの。私でも頭痛がするのよ! あの論文が理解できたらたいていのものは理解できるわよ。私だって7年勉強して、やっとここまで来たんだから、そう簡単じゃないわよー。」って頭を指して笑っていた。

Joyはとっつきにくいけど、仲良くなると、すごく話しやすい素敵な先生。

TVウーマンだっただけあって、アカデミックな雰囲気があんまりない。
コミックの話になったら、「日本のコミックは素晴らしいわね。私も以前コレクションしてたんだけど、夫に整理させられて、手放したわーーー」って残念そうな顔してた。文化学とかやってると、資料と言う名の、漫画雑誌、ビデオが膨大になり、いつもご主人にどうにかして、と言われているらしい。

最近は、図書館でアルベルトと一緒によく勉強している。アルベルトは
同じ翻訳学コースのイタリア人。もう、翻訳者として翻訳書を一冊出版した経験があり、クラスでは能弁かつ、よく勉強している学生だ。イタリア人のくせに、お洒落じゃないし、女性に対して平等に接する。私にも、他の女性にも、国籍・年代を問わずまったく同じように話しかける。(キレイな若い女の人ばかりを追いかけ回さないという意味。こういう男性って意外と少ない。)
本と山を愛する硬派で、日曜日にばったり会ったら、風景写真を撮るのが趣味とカメラを持って歩いてた。
でも、ちょっと前に、以前同棲していた彼女のがひどい女だったので、しばらく女の子はこりごり。。。というのを聞いて、ガッカリ。別れた彼女のことを悪く言う人は良くないなあと。

まあ、でも普段、私たちの話題は授業で扱った翻訳論と、イタリア文化と、詩の形態などについてなので、十分楽しい。今では、イタリア式ジェスチャーで、目と動きだけで、
「あとで、コーヒー飲まない?」「もう少し待って」と図書館内で合図を送り
合うまでに仲良くなった。

もう、今日で、授業も終わって、アルベルトともしばらくお別れ。
良いクリスマスをね。。。と言って別れた。

ああ、日本に帰るまであと数日、それまで必死で勉強しなくっちゃ!!



2002年12月04日(水) 明日には明日の風が吹く


数日前、いろいろと思うところあって、朝まで眠ることもできずにいた。
約3ヶ月くらいぶりに、1人ベッドの中でずっと泣いていた。

いろいろ考えたら、いっぱい悲しくなった。
結局、悲しいのは自分はなんてふがいない存在なんだろうと実感するしたからなのかもしれない。

ブリジット・ジョーンズダイアリー(原文)から引用。

When someone leaves you, apart from missing them, apart from the fact that the whole little world you've created together collapses, and that everything you see or do reminds you of them, the worst is the thought that they tried you out and, in the end, the whole sum of parts which adds up to you got stamped REJECT by the one you love.
How can you not be left with the personal confidence of a passed-over British Rail sandwich?

相手に去られたとき、彼を恋しく思うこと、一緒に作ってきた小さな世界が壊れること、目にするすべてのものが彼を思い出させること、そんなことよりも、一番つらいのは、彼が自分を連れ出そうとしたけれど、結局終わりには、愛する相手から「拒否された」人間として烙印を押されてしまった、という思いだ。
どうやって、まるでぺしゃんこになった英国国営鉄道のサンドイッチみたいな、自信をもちつづけられるっていうんだろう。

(翻訳byふうこ)

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本当にその通りだと思う。
自分は愛する人に拒否された。。。という思いは、私の女性としての自信を全く失わせた。外見や、印象で判断されたならこんなに傷つかない。彼はそれなりに、私を知ったたうえで、私を拒否したのだ。

この数ヶ月間の自信喪失に基づく、不安感やみじめな感覚は、いろいろな形で私に影響をあたえ、私の行動の足を引っ張ってきた。

私は、私らしくいようと思う。
私は立ち直って、歩き出さないといけない。
自分で歩いて行くほか、進む方法はないのだから。
私は大丈夫。まだまだいけるはず。

ありがとう、M。私は女友達と家族には本当に恵まれていると思う。

こういう、長い夜を乗り越えて、私たちは確実に強くなっていくと信じてる。



2002年12月01日(日) トリコロール 青の愛


ポーランドの監督、クシシュトフ・キェシロフスキの「トリコロール 青の愛」を9年ぶりに見た。
アート系ヨーロッパ映画が好きな人なら、多くの人が話題にしていたし、観た人も多いだろう。

私も観た覚えはあるのだが、ジュリエット・ビノシュが青いモビールに触れるところ、夫と子供を交通事故で失う話、というくらいしか記憶がなかった。
そして、今回見直してみて、まったく初めて観た映画のようにこの映画を味わった。
私は、なぜ私がこうまでも、この映画についてほとんど忘れていたのかいぶかしく思った。私は、印象の強かった映画は細部まで良く覚えている。

たぶん、20歳の私にはこの映画は大きな意味をも持たなかったのだろう。
この映画に描かれていることが理解できなかったのだろう。
それは、言語に置き換えることが不可能な世界。映像と音楽によって初めて成り立つ、描き出されたイメージの連続。

あと、この映画の重要なエピソードで、私の記憶に不思議にもまったく残っていなかった、死んだ夫の愛人が夫の子供を妊娠しているということが、明らかになるところは、今の私には胸にせまった。死に別れてしまうこと、生きているうちに別れてしまうこと、そして、相手の死の後に、相手の裏切りを知ること。どれもつらいが、相手の死後に愛していた夫の愛人とその子供の存在を受け入れることは、夫の子である娘も夫と同時に失った彼女にとっては、とてつもない煩悶を心に起こす。

しかも、その愛人に、「彼は、あなたのことをよく話していました。とても優しくて、だれからも愛される女性だと、私にさえも優しい」と泣かれるのだ。。

私は一体この映画の何を観ていたのだろう。
喪失のあとの孤独と彷徨、そして、そんな中でも人は新たに人生を求めようとする。自分を生かすために、誰かを生かすために。



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