ふうこの英国留学日記-その後

2002年08月26日(月) Byebye UEA life


あと20分で私は10ヶ月暮らした大学UEAを出て行く。

いろんなことがあって、悩んだりもしたけど
とにかくこの大学で出会えた人々に感謝したい気持ちでいっぱいだ。

こんなに仲良くなる人たちには次の大学ではもう会えないかもしれないと
思う。

今までありがとう、頑張ってね。私も頑張ります。

再会の日を楽しみに。。。お互い元気で生きていこうね。

またね



2002年08月24日(土) alone


久しぶりに完全に1人の時間を持つ。
日本にいたときはなかなかじっくりと考える時間がなかったので
いいことだと思う。
しかし、これからの新しい生活のことを考えるとなんだかブルーになる。
去年イギリスに来たときはあんなに希望に胸をふくらませていたのに。。。

日本に一ヶ月以上もいたせいだろうか?
イギリスの新しい環境でやっていかなければならないことに緊張を感じる。
しかも、この先の慣れない分野の勉強とその先のキャリアのことまで
考えてしまうとそれだけで疲れてしまうようなところがある。

そして、何より私を精神的に落ち込ませているのは
親しい人間との別離だと思う。

新しい出会いがあれば、別れもあってそれは前にも書いたけど
本当に仕方のないこと。
しかし、親しい人間と別れること、自分の中の一部のようになっていた
その人と完全に離れることは、自分が想像していた以上のダメージを
私にもたらしているようだ。

私ができることはとても限られていて、たとえばイギリスで勉強するという
ことで私は他のことをする機会を失っている。何かを得ようとするためには、
何かを諦めなければならない。

人生は取り返しがつかないとわかっているから、私はいつも戸惑い迷う。
自分はどこへ向かって歩いているんだろう?
どこへ辿りつくんだろう?

すべてが不透明で曖昧だ。何を信じればいいんだろう?
たぶん自分を信じないとだめなんだと思うのだが
私は自分を信じられないから、こんなに不安にかられるのだ。

人間の自意識というのはなぜあるんだろう。
孤独や劣等感ばかりにさいなまれるとき自意識なんかなかったら
どんなに楽だろうかと思う。

どんなに誰かを愛しても、孤独は深まるばかりに思う。

明日は笑えるようになるとといいな。




2002年08月23日(金) safely come back


本日、無事イギリスの田舎町ノリッジへ戻ってきました。

帰るなり明日ノリッジを離れるという友達のお別れパーティーに
顔を出すことになり。。。しかし、11時前には眠いし、気分悪いしで
先に帰らせてもらった。。。

でも、なんだか戻ってきて誰とも会わないのも淋しかったので
戻ってくるなり、友人に何人か会えたのは嬉しかった。

しかし。。。月曜に引越しの予定なのだが、まだレンタカーの手配ができていない。。。ううう、どうするべきか? 

しかも、運びきれない荷物を預かってもらおうと思っていた友達が
明日からニースに遊びに行くことになったといって、頼れなくなってしまった。

うーん、どうにかこうにかするしかないのだが、どの方法をとるかが問題だ。
こういうときは、どこまで友達に頼っていいものか、どこまでお金払って
会社とかのサービスに頼むべきか、そこが悩みどころ。。。
時間もなく、しかも4連休窓口がしまっているので、溢れた荷物を
自分で郵送することもできず。
まあ、金曜日の夜に戻ってきた私が考え甘すぎたとしかいえない。

ない頭つかって考えます。。。






2002年08月14日(水) 秋田旅行


8月11日から14日まで生まれて初めて、父の故郷秋田へ行ってきました。
久々の家族旅行、ふうちゃんの世話を母の友人にお願いして
家族四人で三泊四日の秋田の旅。
もう、父の両親はとうに亡くなっており、大曲にあった父の実家ももうすでにない。そんななか、父の従弟が住んでいるという、父の家の本家があった村に
行ってみることになった。

初日は武家屋敷と桜で有名だと言う、角館を散策。
武家屋敷の見事な黒塀に沿って歩き、武家屋敷の中を三軒ほど見学した後で
名物の工芸品樺細工の小箱を買ったりする。
晩は田沢湖のそばのホテル。お盆ということでめぼしい温泉は混雑していて
この日の宿だけは私がネットで予約しました。リーズナブルな
ホテルでも、家族揃っての旅行というのはにぎやかでなんだか楽しい。
田沢湖は水深日本一のカルデラ湖で本当に木々に囲まれた透明感のある水が美しい神秘的な湖でした。

二日目は父が子供時代をすごした大曲を父の幼馴染のトラさんに案内していただく。トラさんは父の母校である大曲高校の教員だった方で、そのつてで大曲高校の
中を見学。文武両道をめざす学校で、この十数年進学率があがる一方で
部活動でも優秀な成績をおさめているらしく、校内にはトロフィーや優勝旗が
数多く飾られていた。
お盆の真っ最中だというのに、図書館に勉強しにきたり部活の練習にきている生徒が大勢いて、見知らぬ私たち家族に、こんにちは!と元気に挨拶をしてくる。校則で禁止しているそうだが、茶髪やパーマヘアの生徒、ルーズソックスの
生徒は皆無、東京で茶髪の女子高生を見慣れている私には、なんとも新鮮に映る。

知らない人でも会ったら、気持ちよく挨拶をする。。。
そういう文化が生きているだな、と私自身もそういう行動に慣れていないことに
気づかされた。

大曲から秋田経由で電車で奥羽本線の森岳へ。二日目の夜は森岳温泉に泊まる。
三日目森岳から車で父の従弟の住む某村へ。親戚宅はお盆の真っ最中で、到着するなり仏壇におまいり。その後、近所にあるお墓におまいり。
家に戻ると、親戚のおばさんが用意してくれた、山菜尽くしの昼食に舌鼓を打った。

最後の夜は、電車で秋田まで戻り秋田温泉さとみに宿泊。ここはすばらしい宿で、ぜひ人にもすすめたい。
サービスがすばらしく。従業員の教育がすみずみまで行き届いているのを感じた。
温泉もとても清潔でひろびろとしていて、肌の上でとろっとすべるようなあたりのやわらかい良質泉。

東京で生まれ育っていると、まるで日本には東京しかないようなものの見方をして
しまうことがある。私にとって、日本の地方を旅するということは、時に外国
を旅する以上の発見がある。自分の中に流れる秋田の血・・・それを実感することのできる旅だった。

あと、秋田はお米が美味しくて毎日ごはんおかわりしてたら太ってしまったよ。








2002年08月04日(日) 麻布十番で


今日は麻布十番の隠れ家的カフェで女友達と夕方の4時から夜の11時まで
三人で7時間存分に語り合った。
三人とも独身で、友人二人は東京で働きながら一人暮らしをしている。

この一年、仕事を辞めたり、恋人と別れたり、仕事でも人間関係でもまた新たな出会いがあったりと私たちの状況は変化してきた。いろいろあって、大変な年齢なのかもしれない。

私たちは、自分で何かを決断し、選択し、実行していくことを常に迫られているように感じるし、その一方、納得できる結果を得るためには自分で選び取っていったほうが、周囲の状況に単に流されるよりはいいと思って、あえて、自分で決断することをよしとしているところもあるように思う。

この年齢になると、自分の思うようにいかないこと、自分で思うようにできること、そういうことがだんだんわかってきていて、無駄に空回りすることが少なくなってきたように思う。その分、悲しいけど、あきらめを知り、妥協を知り、それでも自分にできるベストは尽くしたいよなあ、と思う。

私のためを思って、厳しいことを、本人も気がつかなかった本当のことを言ってくれる友人。私の傷口を理解しつつ、触れないようにそっと見守ってくれる友人。そういう友人たちほどありがたいものはない。

ありがとう。私は今も不安で、悩んでいるけれど、悩み続けている私を見放すこともなく、時間やエネルギーを使って相手をしてくれて、本当にありがとう。

と、彼らに言いたい。








 < 過去  INDEX  未来 >


ふうこ [MAIL]

My追加