2002年09月30日(月) |
Our Autumn Term start |
From today, our autumn term has started. I will be busy after now...I am afraid that I will write less diary in this site than before. During the last week, I watched two movies. One is " The importance being earnest", the other is "Minority Report".
I enjoyed the former one, because the actors, who played the role in the movie and the script of it are very nice. There are much British humor in the movie. On the other hand, latter one is not so interesting. The most exciting scenes in this movie can be seen in the preview. I love Philip. K Dick, but the movie seems not to succeed in creating his world.
Today, we had lunch party in our department of university. Our department is small and teachers are very friendly. I still could not find another japanese student in my course. But, I met nice Chinese and British (she will do translation from French into English) classmates.
I felt something blue...there are many reasons. Today, I walked for long time, and my ankle got pain again. It is one reason. Also, I found some Japanese people, who are very exclusive. They can be seen to choose some rich and fashionable asian people as a group of member. I felt some uncomfortable about their attitudes for others. It's might be ok... Not only here, that kind of people can be seen everywhere.
今日は、朝から大学の登録の日で、8時半に家を出て、9時に大学の登録する建物の前に並び、11時には登録を終えて、買い物をして12時に帰宅。
ハラペコだったので、ラーメンでお昼を済ませようと思っていたら、ちょうど お向かいの部屋のDもお昼を食べる〜と言うので、ラーメンを彼の分も作ってあげて一緒に食べた。
その後、3時に中国人の男友達Lから電話があり、オフキャンに住むBの 家でパーティーをするから来ないかと誘われ、4時過ぎにテスコに待ち合わせ (すごくイギリスっぽい)して、材料を買ってからBの家に行った。
他に彼らが誘った女性のSが来れなかったので、結局女は私だけで、中国人の 男の子五人と私というメンバーのパーティー。彼らは私が、一時期住んでいた 寮のフラットメイト(同じキッチンをシェアする寮生)で、みんなで 一緒に住んでいたころを懐かしみながらも、Bの住んでいるタウンハウスが とても住み心地が良さそうで、寮に住んでいる私たちは大学の外に家を借りるのは なんていいんだろうと羨しがった。 彼らのキッチンで一緒に料理したり、ワインを飲んだり、そしてリビングリームのTVをソファーで見たり(これが寮生活にはない贅沢なのよー)した。
料理担当はBとLと私、Bを私とLはクッキング・マスターと仰ぎ、彼の作る 中華料理の手順を一生懸命を覚えようとした。Lは一ヶ月前に初めて会ったころは とても料理上手とは言えなかったのに、今では私より、味わいのある料理をつくる。彼の料理はスマップでいう、香取君風で、料理なれていないゆえに、アイデアが斬新で想像していた以上に美味しいということがよくある。 1時間半もかけて、5品くらいの料理をつくり、たった15分で平らげてしまったけど、最初乾杯のときに、Bが「みんなの学問の成就と健康を心から祈って」ときはなんだかジンときた。
晩御飯の後は、リビングでみんなでTVでやっていたジム・キャリーの「ライアー・ライアー」を見た。ジム・キャリーの映画を見たのは初めてだったけど、みんなで笑いながら見るにはぴったりの映画で、これも思っていた以上に楽しめた。
ともかく、今晩はとても楽しかった。LとBは私の個人的な相談にも乗ってくれたり、帰りははるかに遠い、私の寮まで送ってくれたりして、とても親切だ。 5歳も年下だけど、二人とも人間できてるなあと思う。これからは、大学が始まって、こういう時間も少なくなるだろうけど、彼らとキャンパスのあちこちで時々会えることを楽しみにしている。
In this University, I got a nice Korean friend. She is the first Korean friend for me. Today, she invited me in her flat.
今日は1人で映画を大学のアートセンターに観にいった。タイトルは "Once Upon A Time In The Midlands" Midlandsというのうのは私が住む、Warwickを含むイングランド内陸部の 地域を指す。日本でいえば、中部地方といった感じだろうか。 題からして地味な映画なのだが、ストーリーも地味だった。 しかし、私は想像以上に楽しめた。役者がなかなかすごいのだ。
まず、主演がトレイン・スポッティング、フル・モンティーのロバート・カーライル。そして、その彼の相手役が、ノッティング・ヒルの恋人で妹の恋人役をやっていたり、リトル・ニッキ−(わけわかんない悪魔映画、私はたまたまCATVで見たんだけどかなりでイカレてた、ああいうの、私は好きです。)で悪魔ブラザーズの極悪非道なお兄さん役をやっていたりするウェールズ出身の個性派俳優リス・エヴァンス。 私は、ローバート・カーライルの演じる、暴力をいかにもふるいそうなダメ男ってほんと苦手で、この映画観ていても、ムカムカしちゃったんだけど、リス・エヴァンズがあまりにも誠実で、強がっている姿が可愛らしいので、目が離せなかった。
筋は、ジミー(カーライル)というやさぐれ男が三年ぶに、別れた女シェリーと彼らの間の娘、そして彼の家族の住む町へ戻ってくるんだけど、彼女と娘は新しい彼氏・デック(エヴァンズ)と幸せに暮らしてる。彼が戻ってきて、彼らの生活や関係にひびが入って。。。
最後は、ハッピーエンドなんだけど、血のつながりと、家族の関係に関して考えさせられた。物語の途中、デックは家を出て行き、代わりに父親面をするジミーに馴染めない娘に向かってシェリーは言う、 「デックが恋しいのね? でも、あなたの父親はジミーなのよ」 そして最後にシェリーは、「私の家族なの。壊したくないのよ」。 果たして彼女がそう宣言する相手はジミーなのか、デックのなのかそれは見てのお楽しみ。。。
離婚や片親家庭が当たり前となったイギリスではいかにもリアリティのある設定の中で、真剣に自分のパートナーを、子供を、愛することを貫こうとして、傷つき迷い悩む人々の姿がいとおしく感じられる。
また、家族でビンゴゲームをしに行くところ、母子がキッチンで朝シリアルを食べるところなどイギリスの労働階級の日常生活の実体がリアルに伝わってくる映画です。家族関係が美化されていないところと、全編にユーモアにあふれているところが、なんともいえずよい作品でした。
2002年09月24日(火) |
Clumsy Girl -不器用な女 |
Today, I did nothing important....only enjoy reading web site and write some Japanese documents.
In night, I enjoyed cooking chinese dishes... I suggested my Japanese friends to make a Mailing List in our University by Japanese students.
After I finished my dinner, my neighbor Daniel visited me and we drunk his red wine together. We talked some personal things each other, for example, he is 35 years old and divorced his wife 1 year ago. He said the divorce tired him out, and now he want to make new friends and think about his life in this time.
At a glance, he thought I am a very sporty girl, but I know actually I am not. I told him I am not good at sports and often tumble down. He said "you are clumsy girl. My ex-wife was also clumsy. I always worried about her."
I could not understand what the word of clumsy mean. After I checked my dictionary. It said "1.moving in an awkward way and tending to break things 2.said or done carelessly in a way."
I think it is very suitable word for me... I am clumsy in both my body and mind.
After we cheered our friendship and talking about friendship. I learned from him a word of "kindred spirit". It means nice friends who thinks and feels the way you do, who can share your feeling together, or who belong to same kind of group of you.
I think it means very similar idea of 「類は友を呼ぶ」in Japanese.
新しい寮の隣人、Dと親しくなった。 彼の専攻はMaster of Business Administration、いわゆるMBAというやつだ。 彼は8月の終わりまで、ロンドンの金融系情報会社で働いていて、そこの仕事をやめて、大学院に来た中国系シンガポリアン。前妻とは数年前に離婚したという×イチの30代の男性。 噂には聞いていたが、この大学のMBAの学生の多くはリッチな感じ。 TESCO(イギリスでもっとも一般的なスーパーマーケットチェーン)に行くのに、アウディやベンツに乗っていく。私もダニエルのアウディに便乗させてもらって、TESCOへ車でお買い物デビュー。ダニエルは料理が好きではないみたいで、 お礼に晩御飯を一緒にどう?と言ったら喜んでいた。
昨日は、他の友達が持参した豚挽きでミートボールスープを作った。 醤油とトリガラスープベースでオリエンタルな味。 「It's just Jpanese taste!」というダニエル。 シンガポールには日本料理の店が数多くあるらしい。
MBAの人たちは、やっぱり他の学部とは違って、何かと「MBAだから。。」 と口にする気がする。やっぱりそれなりのプライドと自負があるのだろう。 この大学のMBAの学費は年間400万ちょっと、これをポーンと払えるくらいの 収入がない人は来ない、ということらしい。
寮の入り口で、日本人と韓国人の他のMBA学生に会って立ち話。。。 「MBAをやってる方ですよね」と私。 「どうしてわかるの?」と彼ら。 「雰囲気でわかりますよ」と私。(だって、そんなスラックスはいてシャツ着てたらビジネスマンて明らかでしょ!!)
私は、こういう人種とは違う世界で生きてきたので、彼らのライフスタイルを 考察してみるのも面白い機会だと思っている。
2002年09月22日(日) |
New Room!! |
I moved to new accomodation on campus yesterday. Previously, I had lived in contemporary accomodation, Cryfield on campus for four weeks
On friday, we(it means me and my flatmates) had a party, George ( my nice Hong Kong Boy flatmates) had a nice speech for us. We changed our e-mail address each other and swore to have party again.
My moving should be terrible, the reasons areI have too many stuffes already, and I could not bring heavy stuffes, because my anckel still have some pain. However, many friends and Taxi driver (I booked black cab for my moving) helped me very much. As a result, my moving finished smoothly.
Finally, I settled in my permanent address ( it mean I can live here for 1year).
I up loaded some pictures on the Web. Here is address....
http://www.asahi-net.or.jp/~cr7a-tkhs/Warwick/photo1.html
My course will start this Friday,therefore, I planned to go back Norwich in this week, but I gave up to go there in this time, because of my ankle sprain. It is recovering day by day, but I could not walk normaly and I worry about my ankle still now. I could not go anywhere now, only I was restricted in my University.
Now I know that walking ability is how important in our life... Please take care for your body, I really feel "Without pay attention, You will be some injured in your life."
いろいろ考えてきたけれど、 後悔はいろいろするけど、 今まで本気で好きになった人を あんな人を好きだったなんてと後悔したことは一度も ない。
一度でも、自分が心から好きだと思った人は 絶対嫌いになんかなれない。 ずっとどこかで好きでいつづけている。
以前は、誰かを愛していたら、他の人は愛せないと 思っていたけど、今は過去に愛した人を心の中に持ち続けながら 今、目の前にいる人を愛することができるということを知っている。
でも、特別な相手というのは、1人だけ。。。 相手にとって、私が特別なたった一人の女性でありたいから 相手も私にとって、唯一の特別な男性として扱いたい。
これって、窮屈な考え方でしょうか?
自由に個人的に生きることが当たり前になって、だれかにために 何かを我慢したり、捧げたり、努力したり、そういうことを が少なくなってるのかもしれない。 厳しい競争の中で、自分のことでみんな精一杯で人のことまで、かまう 余裕がなくなっているのかもしれない。
でも、国家とか経済とか、そういうマスなものが信じられない中で 身近な人間関係が信じられなくて何を信じられるって言うんだろう。
信頼できる関係ほど価値のあるものはないと思う。 でも、それは決して損得からは生まれない。。。損得を超えたところで つながっているからこそ、信頼できるようになるのだと思う。
24歳の女性に、どうやって人脈を作ったらいいか? と質問されたことがある。 ビジネス書には、転職のためには人脈を作ることが大事とよく書いてある。
信頼できる関係は、異業種交流会の名刺交換から生まれるものではなく そういう関係を求め合う人間同志の長年の真摯な交流からしか育っていかないと思う。
信頼できて、お互いがお互いにとって特別だと感じて、尊重しあえる、 私は、そういう関係を自分が愛する男性との間で築けたらと願っている。
2002年09月18日(水) |
雨降って地固まればいいんだけど |
今日、明日締め切りのLibrary project も無事終わりそうだったので、 息抜きに、久しぶりにノリッジで一緒だった女友達に電話をかけた。 昨日、彼女からメールが来ていたのを思い出して、連絡しようと思っていたのだ。
彼女と話しているうちに、最近、人間関係で悩んでいたことが、 また復活してきて、彼女のせいじゃないのだが、また、いろいろ嫌なことを 思い出し、電話を切ったあと、とてもブルーになって、イラついて 勉強に戻れなくなってしまった。
ふと頭にうかぶのは、 「だーれのせいでもありゃしない〜、みんなオイラが悪いのさ〜」 (って歌知ってる?)
でもでも。。。私だって、やっぱ傷つくし、いっぱいいい加減なことしていきたけど、やっぱり、人に真面目に対応しようと今回頑張ってみたりしたのに、 その結果、思いもよらず、自分にとってすごーくつらい反応が返ってきたり、もう何なの?って感じ。 まあ、私の思い込みの強さがいけないんだろうけど。
なんか、正直で真面目に人に対応してると、うまく行かなくって いい加減に適当にやってるほうが、うまくいったりすることも多々あるんだよねー。
でも、バランスとって、うまく立ち回って、そういうのができない性質なんだ私は。やろうとしてもすぐ顔に出ちゃうからダメなんだけど。 その場、その場で真剣にぶつかって、短気なせいか保留にするのが苦手。
お世辞を言われるより、ひりひりするようなリアリティを求めてるところもある。 でも、現実にさらされると、うろたえてしまう。 一見立ち直ったよう見えても、悲しみや怒りはぶりかえす。
どうして、こんなに自分の幸せを他人に依存してしまうのだろう。
私は、私のことを見捨てるわけにはいかない。。。のだから、どうにか 持ちこたえるしかないのだ。精神的余裕が欠如の今日この頃です。
(ここまでは17日の深夜のできごと)
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After I wrote this diary, I got a call from my best friend in Japan. I talked with her over 1 hour, and my feeling became much bettere than before. Now, I calm down myself, and recover from my mental depression. She is always my great adviser ..., thank her so much indeed.
I submitted my Library Project in this morning, and now I can feel releasing my self from intensive mood of study.
I think I need some nice food to enjoy myself with my flatmates. I chose to cook Thai Food 'Pad Thai'(Fried Rice Noodle) in our kitchen, because I found materials and ingredients in food store of our university.
I love Thai Food very much, but it is first time to cook 'Pad Thai' myself. However, I could enjoy the taste and mood of Thai Food, and I was happy with it.
I would like to say thank for my friends and thank you for foods, which make me survive!
私は宇田多ヒカルの結婚の話を聞いてもそんなに驚かなかったのだが、 最近、いろいろなところで、彼女の結婚が19歳で15歳年上の人と結婚した、 というところにばかりフォーカスがあたって論じられているように感じて、 なんとなく違和感を感じていた。
日本に帰国した際に、彼女の最近のビデオクリップ「sakuraドロップス」と「travelling」の映像を入手し、それをイギリスにも持ってきて、何度も見ている。両方とも、とても凝ったすばらしい映像で、映像の作り手と宇田多ヒカルのプロモ制作に対する意気込み、熱意、そして双方の才能とイマジーネーションに感嘆させられた。 私は宇田多ヒカルは完ぺき主義者だと思った。彼女はすごく努力家で、常に上を目指していて、自分の中のハードルがとても、高い人だ。こんなすごい仕事をめいいっぱいやったら、本当にきついだろうし、体を壊してしまうのもわかる気がした。
そして、久しぶりに、彼女のオフィシャルサイトを覗いた私は、彼女の宇田多ヒカルの結婚相手が最近のビデオの監督であることを知った。 サイトには、監督であるキリヤ氏の制作についてのインタビューと、病後のヒッキ−のインタビューの両方が掲載してあり、そこには別に繋がりはつけられていないのだが、彼女の心理状況や、キリヤ氏の宇田多ヒカルと仕事をし始めてから、今にいたるまでの彼の彼女に対する尊敬と共感、理解が感じられ、私は、二人が結婚するにいたったことに対してとても納得がいった。
一言でいえば、才能あるアーティスト同士が出会って、刺激を受けあい、理解しあい、愛し合って結婚した(ようにみえる)。それだけの話。 彼が15歳年上だとか、10代で結婚は早いとか、そういうふうにとらえるのは違うと思った。
宇田多ヒカルの精神は十分大人に感じられる、10代で大人な人間もいれば、40代でまだまだ子供な人もいる。ある程度以上大人になってしまったら、実際の年齢なんて関係なくなってしまうと思うのは私だけだろうか?
ただ、アムロのときもそうだったけれど、こういうニュースが、30代の独身男性の多くを喜ばせると同時に、夢を見させてしまうのだと思うと、29歳の女としてはビミョ−です。
まあ、私は素直に彼女の歌が好きないちファンなので、信頼できる人に出会えておめでとう。良かったね。と言ってあげたいです。
2002年09月16日(月) |
Using English !! |
These days, I am busy to finish my library Project, which means short essay (1500-2000 word) as my pre-sessional course's assignment.
I am afraid to write my diary in English, but one of my friend insists that it is better to write some English everyday to progress my English.
I would have lots of mistakes and errors, if you are enough kind to point out some of them, please tell me.
Anyway, I still feel unstable and some pain on my ankle, but I feel it is recovering gradually.
My big issue in this week is moving to another accomodation on campus. I hope I can get nice flatmates and sunny room in this time. Please keep your finger cross for me.
2002年09月13日(金) |
穏やかかつ悲しき日々 |
相変わらず、足の捻挫で思うように動けない。勉強がはかどらない。。。 何気にイライラ焦燥感がつのってきている。
課題もプレゼンも、全部なげだしてしまいたい。 準備コースなので、別に必修なわけではないのだ。 しかし、そうするわけにはいかない。今できるだけの勉強は しておくべきなのだと、自分を戒める声が聞こえる。 仕事もしないで、この1年翻訳の勉強に費やすと決心をしたのだから。
他人は足を引きずる私に優しい。私は足の悪い人の気持ちが生まれて初めて 少しわかった気がした。信号を渡るとき、待ってくれる車、歩行者が青信号でも 私が通り終わるのを待ちかねるようにすぐ、横断歩道に入ってくる車。 後ろからわざわざ声をかけてきて、どこまで行くのか?手助けは必要かと 聞いてくれたイギリス人の女性。
様々な人の、様々な反応。 授業を休む私に対して、ひまそう、という人、勉強遅れてしまって 大変ね。という人。無理しないで、休むのはしかたないじゃないと 言われると一番楽なんだが。
大半の人は優しいが、ときにある冷たい態度、哀れむような視線。 そんな中で、他人の助けがなければ、生活していけないというのは とてもつらい。この無力感。 障害がある人というのは、小さい頃から、こういう思いをし続けているのだ。
それと同時に、私の面倒をみてくれている親しい友の存在は本当にありがたいと思う。つらくとも、彼がいてくれたことに感謝せねばならない。
外は雲ひとつない青空が広がっていて、気持ちのいい風が窓から入ってくる。 部屋にこもっているだけでも、天気の良さや窓の外の緑の輝きはいつも変わらず、人の気持ちを明るくしてくれる。
勉強も進まず、かといって日中出歩くわけにもいかないせいか、寝つきが悪く 昨夜はは先日他の日本の学生から頂いた、「17歳だった!」by原田宗典を夜中の二時半まで読んでいた。辛くなったときは日本語の軽いよみものへ逃避行というわけ。
結構、おもしろくて、深夜1人で読んでいるにもかかわらず、何度も噴出してしまい怪しい人に。そうだったよなー、十代の頃って、やたらと自意識が過剰で、すぐに自分のおかれてる状況に酔ってたし、人にも平気でひどいことしてたし、今から思うと、何も深く考えてなかった気がする。
制服のスカート短くしたり、下北でスニーカーを探し回ったり、ソニプラでフランス製の文具選んだり、隠れてお酒飲んだり、そんなことばかりにエネルギー使って、喜んでいたあの頃の私。
年をとるっていいこともいっぱいあるけど、やっぱあの10代の無責任さは今となっては決して手に入らないものだよなあ。 でも、年をとることのマイナスをプラスに変えていけるような人間になれたらいいなと思う。
足は相変わらずです、湿布をずっと貼っていたら痒くなって引っかいて、そこにすぐトウガラシエキス入りの湿布を貼ったら、ピリピリ痛くて。。。なんてバカなことしてます。
父母へ 湿布を送ってくれてありがとう、無事、友達が部屋まで届けてくれました。
アイタタタタ。 というわけで、この医療の遅れたイギリスで先日、久々にテニスなぞをしたところ、ひどい捻挫をしてしまいました。 まず、怪我をしたのが金曜の午後だったため、土日の間は腫れた足首を氷水で冷やす以外にできることもなく、月曜の朝に大学のヘルスセンターに行って登録することからはじめ、(足が腫れて歩けないのに。。)、そこで、松葉杖を借り、タクシーで住所を聞いた病院に乗りつけ、良くわからなかったけど、外科ということで、Emergency&Accidentというところに連れて行かれ、自動車事故で血まみれになった人が運ばれる中で、3時間くらい待ったあげく、やっと先生に足を見てもらい、レントゲンをとり、またしばらく待ったあと、靭帯の損傷だけで骨折はしてないから、処置は痛み止めを飲むだけ。。。。との診断をくだされた。
病院に行く前に土日の間調べた、日本のスポーツ医療のHPでは、靭帯に損傷のある場合は足首をテーピングや弾性包帯で正しい位置に固定することが、事後3週間は必要と書いてあったのに、こちらではまったくそういう処置はしないとのこと。。。。
しかも、靭帯損傷の捻挫場合は、5日から10日後は体重が患部にかからないよう松葉杖等を使うことが望ましいと日本語アドバイスにはあるのに、ヘルスセンターの看護婦は腫れ上がった足を目の前にあなたは自分で歩く訓練を開始すべき!とのたまった。。。。
恐るべきイギリスの医療水準!
私の友達が、イギリスの時刻表どおりにうごかない交通機関や、美味しいといえない食事や、憂鬱な天気は我慢できても、医療だけはどうにも長年住むには辛い。。。と言っていたことを思い出した。まさにその通りだと思う。
私は今までたいした怪我も病気もイギリスにいる間にしたことがなかったので、実感できなかったけれど、今回はまさに、公共医療の貧しさに直面。
日本って医療に関しては、問題は多々あれど、とても恵まれた環境にあるということを身をもって知ることができた一件でした。
なんて。。。9月11日、あの事件から1年経っても、私は相変わらず、まったく落ち着くことなく、日々を過ごしています。日本滞在中にガストでやった、女の賞味期限占いでは、もう賞味期限は切れてますので、そろそろ落ち着きましょうと書いてあったのにもかかわらず、まだまだ私のまわりはざわざわのしっぱなし。
捻挫して、体の自由を失って、勉強も遅れて、人間関係も混線気味な中、もうやぶれかぶれな今日この頃です。
わーい。やっと自分の部屋でネットが使えるようになったよー。 というのもプロキシの設定が手動で前の大学ののサーバーになっていたままでした。
どおりで、Warwickのネットからはじかれたわけだ。うふふ。 昨日とうって変わって、(勉強は進んでないけど)ネットも携帯も使えるようになって元気復活。夜の、ああ、淋しいなと思う時間に時間の制約なく メールを読むことができて、嬉しい。
今日名前を漢字で書いて教えた中国人に、**はいい名前だ。 カラフルって意味以外に中国だとインテリジェントって意味もあるよ。 あと、男性は使わない漢字だし女性らしい名前だね。 と言われてなんだか顔がほころんでしまった。
まあ、勉強は大変で。。。 昨晩は頭がおかしくなりそうでした。。 昨年のからの留学生活では一度もなかったくらい勉強がつらい!?と 初めて思った。
イタリア建築に関する比率を主題にしたわけのわからん論文でもここまで、辛くはなかったのは、やっぱり私がイタリア・アートを愛していたからかしら?
翻訳学・文化学というのはとても哲学的かつ観念的で、文学的知識も要求されるしもう大変よ。論文が難しくって、読もうとしても字面を追うだけで理解できないのだもの。まあ、英語の力をごりごりつけることが目的なのだから、要求水準が 高いほうがためになるのだろうけど。。。
というわけで、わけのわからん論文を読むのを諦めて、寝る前に村上春樹と柴田元幸の「翻訳夜話」を再読していたら、彼らの言っていることがイギリスの翻訳理論とかぶるところがあったりして、なかなか面白くかつためになりました。 やっぱ、日本語って。。。いいよなあ、と日本語恋しい夜でした。
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