今日は大学の先輩二人に会った。。。。と言っても、一人は私の元彼のFで もう一人はその親友のT。大学時代から、社会人になった最初の数年間。私たちはよく三人で飲みに行った。たまに、その親友が女の子を連れてきて、四人で飲むこともあったけど、三人で飲むことが圧倒的に多かったし、三人で飲むのが私はとても好きだった。
もう、10年近い付き合いになる私たち。私と彼が別れたあとも、一年に一度くらい こうして会っては飲んでいる。
二人とも今年30才を超えた。TV制作会社に勤めるTは今年の春昇進してディレクターになった。 「おめでとうございます。」というと、「まあな」。 付き合ってる彼女とそろそろ結婚をするかもという彼に、「結婚したら教えてくださいね。おめでとうぐらいは言いたいので。」と言うと、「そりゃ知らせるよ。」と。
別れ際、「まあ、適当にがんばれよ」とFが言い、 「まあ、(イギリスから)無事に帰って来いよ」とTに言われて、ジーンときた。
彼らは暖かくそして時に厳しい。。。きっと、いくつになっても、二人は私の先輩なんだと思う。と同時に、いつまでも彼らと友人でいられたらと切に願った。
今日から二泊三日。大阪の祖母の顔を見に行ってきます。 ぐふふ。食い倒れるかな・・・・
昨日の夜は下北沢で広島風お好み焼きを食べたがイマイチだった。 やっぱ、お好み焼きは大阪でっしゃろ。
というわけで、行ってきます。
本日は日曜日。 午後、両親と一緒に世田谷・上野毛にある五島美術館へ中国陶磁器展を見に行き、 夕方、高校時代からの友人とその彼氏(最近彼からプロポーズされたそうな)と 表参道で待ち合わせて、何軒かショップをのぞいた後に、青山の家具ショップが経営するカフェで晩御飯プラス飲み。
友人の彼はとてものんびりした人で、私とは初対面なのに、気取らずにおしゃべり。人見知りすると聞いていたけど、お酒がはいるとますます楽しい人で、 ああ、楽しくなってきた。家にいるみたい。。。 とそのカフェのリラックス系空間も手伝って三人でダラダラ飲みながら話しながらくつろいでいた。彼は友人がトイレに行っている間に、いい彼女だから嬉しい。 と私にぼそっと言っていて、それを聞いたら私まで嬉しくなった。 それに、アボガドの前菜が美味しかったー。
そのカフェで働いている女性もかわいらしくて、私が「で。。シマシマのね、シャツを・・・」と話していたところに追加のオーダーを取りに来て、「はい、シマシマ?・・・ですか(笑)」。
地図を見ないでもわかっている場所で、お店の人に言葉が通じて、10年来の友人と一緒に、隣の座席に置いたバッグのことを気にせずに深夜まで飲める。 母国語・なじみの場所・友人・安全性。 東京のこういうところは最高だね。 まあ、東京で暮らすことの大変さはもちろんあるけれど、やっぱり生まれ育った 都市というのはなんて居心地がいいのだろうと実感する。
今日で私は29歳になりました。
今までいろんな人に支えられ、助けられてどうにか30歳近くまで 生きてこれて、それは本当にラッキーなことだと思っています。。。 私とかかわった多くの人たちに、両親に、姉に心から感謝。
今日、夜、外出から帰ると両親がハッピーバースデイの歌を歌ってくれ 丸ごとのケーキには「誕生日おめでとう**」と私の名前が。。。 こんなの何年ぶりだろうと、すごく嬉しくて、うふふふふと笑っていたら、 母に変な笑い方と言われた。 しかも、そのケーキ自体もすごく美味しくて(オレンジとチョコレートのムース をスポンジではさんだもの)東京のケーキはやっぱり最高!!と思った。
私の精神状態や周囲の状況はいつも変化していて なんだか毎年脱皮を繰り返しているように感じている。
薄い膜がはがれてそこから抜け出していくように、この10年変わらないね。と 言われ続ける私も、少しずつ変化しているのだと思いたい。
我々はどこから来て、どこへ行くのか。。。
ゴーギャンの絵のタイトルにもなっているこのフレーズが頭に浮かんで ふっと考えさせられることがある。
私の大好きな漫画に吉田秋生の「河よりも長くゆるやかに」というのがある。 まるで河が上流から下流にしたがってゆるやかになっていくように、人は人生の中で、少しずつ汚れていきながら、いろんなものを許容して、流れて、生きていくのかな。
今日の誕生日は私にとって良き一日でした。
今日は雨の中、下北沢まで行って、髪を切って来ました。 半年ぶりに、背中の真ん中まで伸びた髪をばっさりと肩につくかつかないか、 くらいまで短く切った。 鏡の中には見慣れない自分、切ったあと会った人には大人っぽくなったと言われた。
7ヶ月ぶりに訪れた行きつけの美容院では、ここ3年くらい切ってもらっていた女性がちょうど、独立のため先月退社したということで、前回来たときに彼女のアシスタントをしていたIくんが私の担当をすることになった。 辞めてしまったAさんは20代の女性で初めて店長に抜擢された人物だったらしい。私は彼女が店長であったことすら知らないで通っていたし、そのIくんも、あんな店長らしくない店長は他にいませんね。と言っていた。 彼女の退職の日はスタッフほぼ全員70名が集まり、彼女は号泣していたそうだ。 彼女はとても気さくでサバサバした、明るい人柄で、申し合わせてもいないのに、退職パーティーに送られた花束はひまわりばかりだったそう。 周囲の人はみな、彼女のことをひまわりのような人だと印象をもっていたのだろう。
私は彼女のセンスや考え方がとても好きだったし、とても実力のある人だし 独立しても彼女ならやっていけると信じているが、東京の都心で店舗を構えて一人でやっていくのは並大抵のことではないと思う。彼女の独立が成功をすることを心から祈りたい。
日本に帰ってそうそう、もう数年出ていなかった喘息が起きかけた。 息も絶え絶え、友人の車で区役所に行き、保険証の更新を受け、 その足で近所の病院に行った。
薬を飲むと呼吸は楽になり、急に元気になったら眠気が襲ってきた。 家に帰って床に横になり、本を手にとる。すると眠気は醒め、しばし本を読んだ。
着いた早々から、須賀敦子全集を読み始めた。 須賀敦子の全集は去年、誕生日プレゼントに誰か買ってくれないかしら? と思っていたほど、私が欲しかったものであり。 今年の春に、母が買ったと聞いて、家に帰って読むのを楽しみにしていたものだ。
この一ヶ月くらい、自分の存在意義をどこに置けばいいのかとずっと悩んでいたこと、日本に帰って、日本はどうなってしまっているのだろう? と不安を感じたこと、そんな私の気持ちに対して、心に響く一節を彼女の文章にみたのでそれをここに紹介したい。
(中略)日本人は、自分たちの国が、世界のなかで確実に精神の後進国であることを真剣に考えずにはいられなくなった。いったい、何を忘れてきたのだろう、なにをないがしろにしてきたのだろうと、私たちは苦しい自問をくりかえしている。だが、答えは、たぶん、簡単にはみつからないだろう。強いていえば、この国では、手早い答えをみつけることが競争に勝つことだと、そんなくだらないことばかりに力を入れてきたのだから。 人が生きるのは、答えをみつけるためでもないし、だれかと、なにかと、競争するためなどではけっしてありえない。ひたすらそれぞれが信じる方向に向けて、じぶんを充実させる、そのことを、私たちは根本のところで忘れて走ってきたのではないだろうか。
(須賀敦子全集第4巻 砂のように眠る−むかし「戦後」という時代があった 解説より)
私が、あいまいに考えていたこと、イメージ的には持っていたけれど、うまく言語化できなかったことがここに、シンプルな文章で、まさにそのとおり!という感じに書かれている。
答えは簡単には見つからない。悩んでもがいていくこと自体が人生の時なのだと思う。
今日、無事に成田国際空港に到着。
8日間のロンドン・パリ旅行の後の帰国にて 充実しつつも疲労の色は隠せない。
30度の気温と蒸し暑さに圧倒されながらも、22キロを超えるスーツケースを 佐川急便に預けると、京成線で都内某所の実家に向かって小旅行。
結局、朝のうちに到着したものの、まっすぐ帰宅しても、家に着いたのは 1時過ぎ。到着早々、昼食に父と母とそうめんを食べる。
夕方荷物が届き、お土産やベニスやイギリスで撮った友人たちの 写真を母にみせ、近況報告。
TVでモーニング娘と某バンドによる「楽園ベイベー」のJ-popのビデオクリップを見てあまりの幼稚さに。。。!!! 彼らの歌詞には哲学も思考もまったく見られない。もう、考えることを放棄しているようにさえ見える。 日本は、子供文化の国だと思っていたけれど、この幼稚さがヒットチャートを 席巻していることに呆然。
パリを旅して、大人の女がここではなんて尊重されているのだろうと感じた。今年で29歳になろうとする私に、東京での居場所はあるのか?と疑問を感じる。 まあ、29歳にして、私の精神性が子供っぽいことは否めなく、自分も日本的幼児性を大いに保っているとわかっているのだが。。。。
うーん、日本の食べ物や美術や、技術やものづくりへの精神を私はこよなく愛するが。。。どこへ行こうとしているのか日本、この先が心配だ。。。自分がここに帰ってきて、居場所があるのかはもっと心配だけどねー
日本からお正月に運んできたお餅を友達と4人で食べた。 蓬もちだった、1人あたり2個食べてみんなお腹がいっぱいになったと言っていた。中国の旧正月パーティーのとき、中国のお餅を食べさせてもらったのだが、それはもう、お餅自体がとても甘くて、日本のものとはだいぶ違っていた。
今日、中国人と台湾人の友達は、私が焼いたもちを持ってくると、まず、これに味はあるのかと聞いてきて、私は味はない、と言うと、ふーんと変な顔をしていた。 日本ではこうやって食べるのだと言って、醤油をつけて、のりで巻いてお皿にのっけたら、美味しいと食べてくれたので、一安心したが、これはすぐにお腹がいっぱいになってしまうと言っていた。
ここを去るまであと二日、友達の1人に手紙をもらった、その内容はちょっと感動的なもので、言わなくても、彼女も私も同じように感じていたところがあったのだなと思って、嬉しかった。
環境の変化を前に、かなり淋しくなってきました今日この頃です。
2002年07月02日(火) |
テスト結果と寮の申し込み |
今日こそは、秋から行くWarwick大学の寮の申込書を送らなければと思ったのが、よく読むと、申し込みと同時に数万円分、寮費を前払いしろと書いてある。 そこで、朝起きて、まずしたことが、Warwick大学の私の入るコースの秘書さんに、本当に私はWarwick大学へ入れるのかということを確認する旨のメールを送った。 私のもらった書類は条件なし、合格通知だと思っていたのだが、その前払いの寮費のところに「いかなる理由にせよ、返金はできません」とあったので、万が一のことがあっては大変、と思って、メールを朝一番で送って、 私のもらった通知は、unconditional (絶対的な)なのか?と聞いたら、昼には、その担当秘書から、あなたが受け取った通知は unconditional offer(条件なし合格)なので、心配いりません、9月に会えるのを楽しみにしています。 という、メールの返事が届いたので、ほっと胸をなでおろして、銀行に行って小切手を切り、寮の申し込み書類と一緒に大学へ送った。
そして、その昼に通知が来るまでの間に、自分の学部の秘書の成績の責任者のところへ行き、成績表をプリントアウトしてもらった。 ベニスのアートに関する、例の大変だった試験の成績は悪くなかったのだが、英語のコースのの試験の成績が悪すぎた。。。これは、どうしたものだろう。。。 あとは、趣味で取った中国語が全体の成績の平均値を下げていた。。。
ああ、やっぱり今年の夏は、Z会の参考書で、単語と文法の基礎をやらないとダメだ。うっ、また落ち込んできたよ。
英語の文法やライティングでこの本がおすすめ。。。というのがあったら教えてください。
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