風のひとり言
kaze



 さらに。。。

まったくもって・・・
悪いことは重なるというか、連続するというか・・・

先日ぶっ飛んだHDの修復も終わらないのにも関わらず、
今度は別のHDがぶっ飛びまして・・・(泣)

自分で増設した、大容量内蔵HDなんですが、
某ソフトをインストールした途端に、
そのHDを認識しなくなってしまいまして。
システムを覗いてみるとHDが存在するにはしている。
が、ディスク管理を見てみると

「このドライブはフォーマットされてません」

えと。。。
つい数秒前まであった数多くのファイルはどこいったんだ〜

ってことで・・・
泣く泣くフォーマットをかけた後、またレスキューソフトに御出動いただきまして。
そのHDチェックをするのに14時間もかかりました。。。
はぁぁぁぁ

しっかし・・・
前回のトラブルは、MSのウィルスだろうと予想はついたけど、
今回のは意味がわからん。。。
だって、インストール先に指定したHDとは別のHDがやられたんだよ!
もっとも・・・そっちがやられたら、さらに大事だったんだけど。。。

本当に大事なファイルはこまめに保存しておくべきだね〜@教訓
しかもHDに入れておくのではなく、CDなりDVDなりに焼くことをお薦めします。
ちなみに今までの私は・・・
デジカメの写真に関して、消えたら完全にOUTなんで
全てのHDに保存してきてました<おいっ(汗)
まぁ、それが功を奏して完全削除にはいたらなかったんだけどね。
それでも、ネガもなく二度と見ることが出来なくなってしまう
そういった写真に関しては、少なくとも別の媒体に保存するよう心掛けよう〜
と・・・つくづく思いました。

完全復旧への道は・・・かなり険しく、そして遠い・・・







2003年10月30日(木)



 

久しぶりの更新気分(汗)
それもこれも全ては・・・マイクロソフトの陰謀にやられてしまったためで。。。

実は、またまたPCがぶっ飛んでしまいました(泣)
(ということで、今回はその顛末を更新にしてしまおー)

マイデスクPCのOSはWIN2000なのですが、最近やたら調子が悪くて。
少量のファイルをごみ箱に移動しようとするだけで固まってみたりと、
どうも扱いに不満なのか、仕事放棄しているような様子があったんです。
仕方がないので、OSの再インストールを試みました。
WIN2000の盤を使い、上書きインストール。
こうすれば、他のアプリケーションなどに影響を与えずにできますから。

で・・・再インストール完了。
次にOSをUPグレードしてやらねばなりません。
つまり・・・CDROM以降の情報、更新などをインストールするわけですが、
ここにマイクロソフトの罠がはってありました。

サービスパック4という最新版をインストールしている途中で、
いきなり画面が青一色!
しかもなんだか英文が書かれており、その下では数字がカウントUPしています。
いや〜〜〜〜〜な予感とともに、数字を眺めていると、
丁度100で再起動し始めました。
ところが・・・
再起動したのも束の間、WINDOWSの画面まで行きながらまた再起動。
そしてまた・・・
延々と再起動を繰り返すという、壊れたレコード状態になってしまったではありませんか!
呆然と・・・そして焦る自分の気持ちを無視して、PCくんは相変わらず再起動を繰り返します。

原因不明のこの症状になす術なく、30分ほど経過。。。
そしてようやく思い立ち、LANケーブルをノートPCに繋ぎ替え、検索開始。
なんとか同じ症状の情報を見つけたそこには!
「マイクロソフトの馬鹿やろう〜〜〜〜」の文字。
どうもバグかなんかのせいで、結局は再インストールしか手立てはない様子。

諦めて再度再インストールを試みようとした時点で、また悩みました。
BIOSの設定を変更して、CDROMから読み込ませようとしても言うことを聞いてくれないのです。
もうお手上げ(泣)

結局悩んだ末に、ノートPCからWIN2000の起動ディスクを作成し、
それを使っての再インストールに成功。
が・・・ここでとんでもないトラブルが待ち構えていました。

他のデーターを消去することを恐れ、増設した内蔵HDははずしたものの、
外付けしてあったHDの存在をすっかり忘れていました。
OSを最初からインストールする際に、フォーマットかけるのですが、
その外付けHDが表示されていたにも関わらず、
誤ってフォーマットしてしまったのですからさぁ大変!
外付け80GBのうち約45GB程使用していたデーターが全てなくなってしまったのです。

もう泣きそう。。。

結局それは、ファイル修復ソフトを使って修復を試みたものの・・・
完全復旧はありえません(泣)
例えば、700MBあった動画などが、全て1MBに分解された状態で復活。
これって自分でつなげていかなくてはいけないのか????
まぁ、JPEGの写真とかはそのまま復活したんですけど、
泣く泣く諦めたファイルは数知れず・・・
もっとも自分のせいなんだから、仕方のないことなんだけど、
それでも間接的に、OS再インストールさせたマイクロソフトに怒りを覚える今日この頃。
相変わらずPCに向かって、復旧活動を続けております。

はぁぁあぁあぁぁぁぁあぁぁぁあぁぁあ

以上!本日の更新は、「OS再インストールの罠」についてお送りしました。
って、自分でやり方を覚えておくために書いたんだけど(笑)

それにしても、いざという時に備え、
OSの起動ディスクは予め作っておいたほうが良いですよ〜<皆さん。




2003年10月26日(日)



 運命

先日亡くなった友人の初七日にあわせ、
女房と次男を連れて、事故現場に花を手向けに訪れた。

近所ということもあり、過去何遍となく通った交差点。
事故の詳細がわからないのだが、
見通しの良い交差点、しかも一方通行出口での事故。
4メートルも飛ばされた割りには、自転車が無傷だったとか、
頭を打った以外に外傷はほとんど見受けられなかったとか、
そんな噂が飛び交っている事を総合していくと、
どんな状況だったかが皆目見当もつかない。
然しながら、間違いなくその場で彼女が事故に遭ったのは事実であるし、
そしてまた、彼女が既にこの世に居ないことも事実として認識しなくてはならない。

女房が言うには、
「まったく、ドジしちゃってさぁ〜」
「もう〜、いつまでもメソメソしないでよね!」
そんな彼女の明るい声が脳裏をよぎるらしい。
確かにそういうキャラであり、自分にも聞こえてきそうだった。

事故というものを考える時、いつも思うことがある。
全くの赤の他人同士。
その両者がいつものようにそれぞれの朝を迎え、
それぞれの生活から家を出る。
そしてその事故が起きる現場、
その何時何分何秒というそのタイミング、
その「時」に向かってそれぞれの道を進んでいく。
その先に何があるのか、
そんな想像も出来ず、何もわからないまま・・・

そんな当たり前と言えば当たり前のことであるが、
それが妙に「不思議」(という言葉が適切であるかどうか定かでない)と言うか、
妙な気持ちに感じてしまう。

たった1秒、いや0.5秒でも構わない。
どこかで時間を費やすことがあったならば、
どこかで時間が早まることがあったならば、
その事故に遭遇しないかもしれないのだ。
すんでのところで、回避できたかもしれないのだ。

その、点と点を強制的につないでしまう。
見えない糸によって導かれた結果の事故。
それが「運命」というべきものならば、
なんだかやりきれない思いにとらわれる。
これが「運命のいたずら」とでも言うことなのであれば、
人間なんてそんな「運命」に逆らえないのかもしれない。

人の命のちっぽけさ、儚さを、改めて思ってしまう。

もっともこれは、「事故」に限らず、
色々なシチュエーションも考えられることなんだけど。
人との出会いに関してもそうだろう。
そのタイミング、その一瞬に向けて、
人は見えない糸で操られているのかもしれない。

そういえば引越しをして、落ち着いたら彼女を招く予定であった。
実現不可能になってしまった約束事が、
心残りであり、非常に残念な気持ちで一杯だ。




2003年10月23日(木)



 訃報

女房の親友の訃報が届いたのは、自分が出張中のことだった。
切羽詰った感じのメールに、すぐに折り返し電話を入れると、
2日前に幼稚園の運動会で会ったばかりの、Nさんの訃報の知らせであった。

原因は交通事故。
聞くところによると、自転車に乗ったNさんはバイクと車の両方に跳ねられ、
4メートル近く飛ばされた後、頭部より落下。
死因は脳内出血によるものだという。

Nさんとは、娘が幼稚園時代からの付き合いである。
長女とはずっと同じクラスであり、中学2年になって初めてクラスが分かれた。
そして、現在うちの次男と同じ幼稚園に通わせている5歳になった娘さんも居る。
世話焼きのこの娘さんに、次男はいつも面倒を見てもらっていたようだ。
さばさばした性格で、屈託のない笑顔が印象的。
誰にでも平等に接し、とても気軽に声をかけてくる・・・
そんな明るい女性だった。
女房ともウマがあうのか、かなり仲良くしてもらっていたようだ。

そんなNさんの突然の訃報。
簡単には信じられない現実が、そこにはあった。
通夜・葬儀と参列した今でも、Nさんの笑顔、声が頭の中を駆け巡る。

5歳のHちゃんは、「母親の死」を知ってか知らずか、
ニコニコと参列者を出迎え、園の友達らに手を振ってくる。
それが幼児特有のものなのか、
それともいつもと違う周りの大人たちの姿に、
天性の感覚でその場を明るくしようとしているのか・・・
いずれにしてもその姿は痛々しく、さらに参列者の涙を誘う。
聞けば、母親が遺体となって自宅に戻った後、
母親のそばで「ママ起きてよ〜一緒にお風呂はいろう〜」と言っていたらしい。
「ママが起きてくれない」と言うHちゃんを目の前に、
周囲の大人たちは何を語れるだろう。

一つの幸せな家庭が一瞬にして壊された。
そして、恐らくは加害者側の家庭もまたこれから一生苦しむことになるだろう。
加害者を怨むことは簡単なことかもしれない。
しかし、輪禍の犠牲となったNさんの死を無駄にしないためには、
ハンドルを握るものとして、明日は我が身と考えなければならない。
被害者にも加害者にもなりえる立場として、
『自分だけは事故を起こさない』などという過信は捨て、
『いつ起きても不思議ではない』ことを念頭に入れ、運転に勤しまねばならない。

彼女の死を、ただの不幸な出来事として風化させるのではなく、
その犠牲を無駄にしない意識をもつことが、一つの供養にもなるだろう。

Nさんのご冥福を心よりお祈りします。




2003年10月19日(日)



 親子関係

「パパ 暇ジャン!」

中学1年生の息子に言われた言葉。

事の起こりは数日前、翌日の天気が雨模様だと話していた時だった。
もし夜まで雨が降っていたら、塾まで車で送って欲しいと言う息子に、
「何で?」と聞き返した答えがそれであった。

そりゃさ、確かに引きこもりがちに家には居るけどさ。。。
言うに事欠いて、「暇ジャン!」はないだろう。。。
しかも、一応「親」なんだし、その「親」に対して言う言葉として、
それが適切なのかどうか。。。

考えてみれば、自分は親に対してそういう言い方は決してしなかった。
ある意味親は絶対であったし、同時に一線を引いていたように思える。
それが良いことかと言われれば、YESとは言えない。
では逆に、昨今増えつつある『友達感覚の親子』が良いかと言えば、
それもどうなんだろうか。

親子のあるべき姿と言うのは、
型にはまった「これ」と言うものがあるわけでもなく、
人間一人一人個性があるように、
親子の姿もまた色々な個性があるべきだろう。
人間同士の付き合いである以上、
そこに感情が介在する以上、
誰かと同じ親子関係を築くことなど無理な話である。
それぞれの考え方が一つでも違うだけで、そこに誤差が生じてくるものだ。

うちの親子関係はどうなんだろう?
冒頭の台詞が吐けるということは、
息子は身構えるでもなく、気楽に本音を言うことが出来ているのか?
それとも調子に乗っているだけか?
ま・・・後先考えずに思ったことを口に出すところが息子。
利己的な考え方だけが作用しただけに思う。

そんな長男と、
父親にはほとんど反抗せず、その反抗心を母親ばかりに向けている長女、
まだまだ本格的な反抗期に入っておらず、
「ママはご飯作ってくれるから好き〜」
「パパはおもちゃ買ったくれるから好き〜」
「だから二人とも大好き〜」
と、そんな言葉で親を手玉に取る次男(笑)
まぁ・・・それなりに役回りがあり、
とりあえず歯車は、順調に回転しているようにも思える。

もっとも、そんな長男の一言に、
少なからず傷ついてしまった哀れな父親も居るんだが・・・(涙)




2003年10月10日(金)



 厄年

そんなわけで、十数年ぶりに寂しい誕生日を迎えたkazeですこんばんは。

まぁ在職中は、「今日俺の誕生日なんだ」などとさりげない言葉で、
「おめでとう〜〜〜」の言葉を頂いたりしていたわけなんですが・・・(って要求してるって)
それがなくなったことで「誕生日」を伝える相手もいなく、
十数年ぶりに寂しかったかな・・・と(笑)

年齢は・・・はっきり言って・・・大台に乗りました(汗)
いや、還暦とかそんなんではないですが。。。

先日、都内の某神社に撮影の下見に行った際、
表にかかっていた看板を見て気が付いたことがありました。
今年はなんと前厄らしい・・・

厄年というのは満年齢ではなく、数えで数えるらしいです。
んでもって男の本厄は25歳、42歳、61歳(ちなみに女性は19歳、33歳、37歳)
その前後の1年を前厄・後厄としています。

厄年には厄払いを行うというのが通例のようですが、
慶びごとを行うことで厄を追い払うという考え方もあるようです。
例えば結婚とか。。。

で、思い直してみたところ・・・
男25歳の本厄時、結婚しました(笑)
前厄時は婚約、後厄では長女出産。
厄年であることすら知らなかった頃です。
まぁこれで当時の「厄」は追い払っていたのかな〜
(結婚自体が厄だったのかもしれないけど^^;;)

さて今年。
前厄の今年に会社を退職しました。
本厄となる来年、後厄となる再来年はどんな年になるのか?
とまぁ今から考え、身構えていても仕方なし。
取りあえずは健康に注意し、ひそかに生きていこうかと思います。

と書いたところで、「厄年」についてお勉強〜〜以下某サイトより転載(ごめんなさい)

人の一生には何度か注意して越えなければならない峠があるといわれる。
この警戒すべき特定の年齢を災厄の多い年として厄年と呼んでいる。
この厄年という考え方は古く、すでに平安時代から広まっており、
厄年は地域によって多少年齢が異なるが、男は二十五歳・四十二歳、女は十九歳・三十三歳とされている。
なかでも男の四十二歳が「死に」に通じ、
女の三十三歳が「散々」に通じるという語呂合わせによって生涯の大厄とされている。
女の十九歳も「十九厄年はらむか死ぬか、運がよければ嫁に行く」といわれ、危険な年まわりとされている。
この厄年とされる年齢は、生理的にも社会的にも人生の一つの転機にあたり
身を慎まなくてはならない年齢という戒めから生まれたものと考えられる。
厄年には前厄・本厄・後厄があり、前後三年間は気をつけなければならないとされる。
厄年になると、厄落し、厄祓いといって地元の社寺に詣で、
厄年に襲いかかる厄難を逃れるための祈願をする。
男親が四十二歳の厄年に生まれた子を厄子といい、
役に立たないとか、丈夫にならない、といって道に捨てるまねをする習俗がある。
このときは、あらかじめ隣人とか親戚に頼んでおいて拾ってもらう。
捨てることによって厄を落したと意識する習わしである。
また厄年に結婚・開業・普請などをするのは、禍いを招くといって避ける。
この場合、年廻りが悪いといって前年に仮祝言を挙げるとか、
翌年に建築を延ばすなどして厄負けにならぬよう留意する。

・・・・・・・・・・
えと。。。
やっぱり。。。
間違ってました(汗)

やはり結婚が「本厄」???







2003年10月03日(金)
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