ふとネットで目にした文章で、小さい頃の自分を思い出した。
夕飯の話。 調理も焼くだけで、食べるにもそんなに難しいことはないから、 食卓には秋刀魚がのぼることが多かった。 秋刀魚はうちでは一人一匹食べられる事は珍しく、 頭のほう半分と尻尾のほう半分に分けて食べる事が大半だった。
母は「あんたたちはこっちを食べなさい」と、 子供たちに、食べやすくて面積が大きい多い尻尾のほうをよこした。 父は、母がそう言う前に尻尾のほうに先に手をつけ、怒られることもあった。 そんな風景を思い出した。
頭のついた魚の骨をとるのは未だに苦手だけれど、 でも、子供のほうにおいしいものを沢山分けてくれる母は、 なんだかんだ言いつつ、本当に優しかったのだと思った。 父は未だにそういう子供っぽいところがあるけれど、なぜか憎めない。
懐かしい。 ここのところ、家族のことを思い出しては、切なくなる。
叶わなかった思いは、叶わなかったからこそ美しい、 とは誰が言ったか忘れたけれど、本当にその通りだと思う。 人のものは人のものだから良く見えるけれど、 私のものになってしまったらきっと良く見えないだろう。 切ないからこそ美しい。
そんなことをふと思ったけれど。
私は進む事にした。辛い事は半分に、楽しい事は倍にするべく進む。 現実的な道をとることにした。誰の苦情も文句も受けない。 これからはあることに体力と気力を集中させたい。 もう、愚痴も言わないし、聞かない。 色々残した事やけりをつけたい事もあるにはあるけれど、 許さないまま忘れていく、そういう事がいくつかあってもいいとは思う。
実家のご近所さんは、田舎には珍しいことなのだが、 実家住まいの30代から40代の独身男女が、かなりの割合で存在する。 私が知っている独身男女は全員、普通の人でちゃんと働いている。 結婚できないのろいにかけられたような場所だ。
そのなかでくっついちゃえよ、と思わないでもないが、 男女比のバランスが悪い。 それに、私の、実家での振舞いはなぜか近所に筒抜けだ。 逆に、相手の両親も、どんな人物かは大まかにはわかる。 それを考えると実家のご近所さん同士でどうにかなるとは思えない。
そんななかで実家暮らしをしていたものだから、 ご近所の目なんてものは楽勝で、 実家暮らしは寂しくないし心地がよい。 いつまでも子供でいられるから。
ただその都合のいい生活が長く続くはずもない…と思って、 ご縁がありますようにと神頼みをしたところ、相手が現れてくれた。 相手に対しちょっとなぁ、と思うところはあるが、お互い様のはずだ。 今のところは楽しくやっている。 これからどうなるかについては、話し合ってはいる。
取りとめもなく書いていたら眠たくなってきた。 とりあえず幸せだという事にしてそろそろ寝なきゃ。
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