diary of radio pollution
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三十数年前の、三十路過ぎ。
休日、本を読んで過す。読んでは、少し寝て、起きて、また読む。幾日か過ぎ去ったような感覚に陥る。
休日も終わろうとしている頃、読みかけだった昔の雑誌に眼を通していると止まらなくなる。
自身が生れ、五ヶ月程経った頃に発行された雑誌。記事や広告が輝いている。好きな作家が、まだ存命だったり、今は無き会社の広告が掲載されていたりと、完全に夢見心地になる。
ほぼ読み終え、時計を見ると、午前四時前。
三十数年を一飛びして、明日で今年の文月も終えようとしている。
koji
安い古着のTシャツ。
百日紅が満開。夏を感じる。ようやく蝉も鳴き出した。
昨日は、若人と古着屋巡り。自転車での走行距離40km。かなり我慢して、二着だけ購入。それにしても若人と戯れるのは、忘れた感覚を思い出すので興味深い。熟れるのを通り越し、最早、こちらは発酵している感を抱くほどに、接していてフレッシュだ。人生の先輩に与えてもらったことの数々を、ようやく形は違えど与える立場になった、ということだろうか。
今宵、いつもより早く仕事が終わったので、古着屋を覗く。まったく飽きない。
Tシャツを漁っていると、懐かしい一枚を見つける。米国の企業物で、高校生の頃に気に入って着ていたものと同じTシャツ。たしか、それも東京の古着屋で購入した気がする。昨日、若人と過したからだろうか、買うことにする。
あれから幾年月経ったのか。
koji
待ち侘びていた。
現役で大好きなバンドがあった。いつも新作を楽しみに待っていたが、ここ最近音沙汰無し。リリースの頻度も遅いバンドだけに、のん気にかまえていた。
先日、ある人にオススメのバンドとして、そのバンドを紹介した。早速、CDを買ってみます、と。
後日、その方から、ボーカルの方は、少し前にお亡くなりなられたのですね、と言われ、すぐに理解出来なかった。そんなはずはない。
すぐにネットで調べてみたら、本当に亡くなっていた。
まったく来日しないバンドだったが、ちょうど英国滞在中にライブを見ることが出来た。もう二度と見ることはできない。一度だけでも見れたから、それで幸せなのだろう。
楽しみを一つ、失った。
koji
申し訳ない。
先日、ライブの出演依頼があった。何年振りだろうか。
前作の最終ライブを終え、それから新しい作品の制作に取り掛かり、数年前、集中する為にメキシコへ執筆しに行ったが、旅中、ほぼ書き上げたものの納得がいかず白紙に戻したので、まだまともに書き上げた詩は一つもない。つまり、演奏できる曲がない。
カバーだけの演奏も有りかと、深夜にギターを弾いてみるも、とてもまともな音が鳴らないし、声も出ない。
せっかくの依頼だが、すぐに断ることにした。
心残りなのは、かなり昔に行った東京でのライブを見た外国人の方からのオファーだったこと。五年以上も前の演奏を今日まで覚えていてくれて、こんなに嬉しいことはない。
演奏は下手糞でも何でもよいが、今は、一音、一声に賭けることができない。つまり、演奏はできない、ということになる。
koji
次々と襲い掛かる。
部屋の片隅、忘れて開けていない分厚い封筒があったので見てみると、税金の納付書。しかも、額が大きい。少し途方に暮れ、現状の払わなければならない税金の合計をざっと計算してみると、全てのことが嫌になる。
完全に税金を払うだけの為に生きている。これでは、ささやかな楽しみも難しくなるばかり。
気を取り直し、読書を始めるも、どうも頭に気持ち良く入ってはこない。諦めて、寝ようと横になるも、最近流行の深夜地震に起され、完全に目覚める。
そして、少食にしていた為に空腹が胃を刺激してくるので、クラッカーを食べる午前二時。
せめて良い夢が見れれば幸い。
koji
絶妙な。
先月、七月中旬に会おうと約束していたが、音沙汰無し。いつ連絡が来るのだろうと待っていたら、本人が突然やって来る。それもまたよい。
最後のメールに書いてあった今後のこと。近いようで遠い所からやって来て、遠くて近い所へ。これまでもずっとそうだった。
初めての出会いは、そんな移動の最中、少し滞在した地点。それから遠い所で会ったり、近い所で会ったり。
今は滅多に会えないが、会ってもこれほどまでに距離が近く感じることも他にあまりない。
まるで、己の心の中に住んでいて、ときどきひょっこりと出てくる親友。
koji
そこの街に何があるのだろうか。
明方就寝し、仕事の為の起床までの数時間。夢は頻繁に見るが、今朝は、なんだが印象的な夢だった。
時間も経つごとに内容も遠くへ消え掛かり、もうあまり憶えていないが、妙な点だけ今もはっきりと記憶している。
なぜか突然、飛行機で海外へ行くことにし、その日の便のチケットを旅行代理店で押さえるが、購入した時刻からして、どう考えても空港に間に合わない。それで行き先を変えることにし、地図を見ながら、気になった街を選び、そこへ行くことにするのだが、聞いたこともない知らない街で、どう見ても国際空港も無さそうな小さな街。しかし、直行便。
街の名は、はっきりと憶えていないが、地図上の位置は、しっかりと記憶していた。米国の、わりと特徴的な地形で有名な地域。
一日中、ことあるごとに思い出し、気になったので調べてみたが、残念ながら、そのような街はなかった。
もしかしたら、特徴的な地形が小さいサイズで、似たような土地はないだろうか、と考えてみたりする。どうしても、忘れることが出来ない。
今度、時間のある時に、探してみようと思う。
koji
身体が知っている。
今月に入り、同僚の退職による若干の配置転換があり、暫定的に日によっては以前の職種に就くことになってしまった。
他に人材がいないので仕方なくだが、やはり大変な仕事。これから年末にかけて、個人的なことに時間を割きたいところだが、どうも簡単にはそうさせてはくれないようだ。
そんな中でも、やるしかないし、本も読んで勉強の日々。体調管理しないと。
koji
へんてこりんな気候。
暑い。昨日、梅雨明けした途端、猛暑。確実に身体が慣れていない。七夕の前に梅雨が明けるとは、記憶にない。今年は、とくに長い暑い夏になりそうだ。
先日、時を同じく、職場に若い新人が二人入ってきた。タイプの異なる若者達。職場の、そして人生の先輩として、それぞれの特徴を活かし、成長の手助けをできれば、と考える。まぁ、へんてこりんな先輩だろうが。
彼らの年齢を自身に置き換えて眺めてみたりする。懐かしくもあり、また様々なことを思い出す。まぁ、へんてこりんな人生かもしれない。
しかし、まだ振り返っている暇なんてない。三十路オーバーの大人として、身が引き締まる思い。まぁ、へんてこりんなおっさんだ。
より一層、己に厳しく。
koji
ドアの向こうの景色。
すっかり地震とご無沙汰している。怪しいぐらいの静けさを感じる。もちろん、来ないに越したことはないが。
家の玄関を出ると高木があり、白い細かい花を咲かしている。足元には散った花弁が風に吹かれ、隅に堆積している。
調べてみたらチシャノキに似ている。そこで、表に出て葉を一枚取ってきて観察する。すると、チシャノキの葉には周囲にギザギザがあり、この葉の周囲は真直ぐなので、どうやら違う。気になり始める。
葉の特徴を見比べつつ、ようやく辿り着く。トウネズミモチ。
koji
夕涼み。
休日一日目は寝て過ぎて、二日目は家に引き篭もり本を読もうと思っていたが、あれこれ用事を思い出し外出。
まず、煙草のストックがないので買いに行き、次は不動産屋へ。年月が経つのは早いもので、賃貸更新の手続き。さらに、税金やらを国に納め、一日で相当な出費。こんなに一度に現金を支払ったのは久しぶりで、目減りする残高のことを考えると、どうしても節約思考が働く。
しかし、珈琲ぐらいの贅沢は、明日への糧とばかりに、喫茶店へ。読書。
その後、図書館へ行き、棚を眺めていると、出てくる出てくる欲しい本。もちろん買うに値する本だが、本日の出費のことを考えると、大人しく借りることにする。
買った本は積まれ、借りた本は期限を気にし、早く読了するので、それはそれで良いのだが。
帰宅後、木々の合間から射す夕日を眺めながら、近所を散歩。
koji
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