diary of radio pollution
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どこへ向かっているのか。
出勤時間が少し遅かったため、ようやく旅の疲れは解消される。ただ、忙しないのは相変わらずで、出勤時にホームセンターに寄りつつ、あれこれパーツを購入。出勤後、すぐにちょっとした工具の取り付けにかかる。
先日、買ってもらったハンマードリルを初めて試してみたが、今までの苦労は何だったのか、というほどあっさり作業終了。格段に出来ることが増えたのは嬉しい。
また一つ、おっさんの玩具を手に入れてしまった。
koji
帰宅、そして出勤。
時間と金銭の制約上、夜行バスを利用した。早朝の電車、バスを乗り継いで帰宅。溜まった洗濯をしてしばらくすると、眠気に襲われ就寝。一時間と少し。
何とか起床するも、猛烈な疲労と眠気と戦いながらの出勤。
味気無い、旅行後の一日か。
koji
旅の終わり。
これまた普段なら起きない時間に起床。日中が多いと、一日が長く感じる。そして、普段なら食べない朝食も、和の朝ご飯ということでいただく。これだけで、非日常だ。
さすがに朝風呂、というほどの欲張りでもないので、さっさと準備して宿を後にする。それにしても、今まで泊まった宿の中で金銭面も含め、最も理想に近い宿だった。
車に乗込み、とこれもまた今となっては非日常。そして、向かうは高村山荘。道中、見渡す景色の中の家屋には近代的な物も入り混じるが、また昨日の遠野ように岩手の思い描いたイメージと重なる。そして、高村山荘は、光太郎の晩年の姿が未だそこに見えるような場所にあった。現在は、観光用に整備されてはいるが、当時の佇まいを想像するだけで、ここを選んだ理由に共感できる。冬の岩手の厳しさは経験したことはないが、それを含めても、これは理想郷だろう。岩手に住みたくなる。
その後、車で移動し、宮沢賢治記念館へ。しかし、どうもしっくりこない。高村山荘は、質素で素晴らしい所にあり、晩年の光太郎らしいのだが、こちらの賢治記念館は、とても豪華で、どうもしっくりこない。生前はほとんど無名に近い人物だっただけに、この現在の奉られたような感じは、賢治の思想や本質から外れているような気がした。
さらに車で移動し、また遠野へ。めがね橋を見に行く。立派な橋だった。当時の面影もありつつ、あの時代にこの橋を見れば、銀河鉄道も走らせることは可能だろう。だが、現在の周辺の風景も、これまた同じく記念館のように味気ない。変わりゆく風景か。
とにかく、珈琲度が足りないので、街中へ移動。珈琲屋さんを探しつつ、イギリス海岸へ。しかし、これもまた時代の移り変わりには勝てないのか、近年は川が増水傾向らしく、一部しか見られなかった。小石を眺めたり、水切りをしたりして過す。
珈琲が足りない。珈琲を探して、適当な一件に入るも、奇跡の出会いはなかった。ここで、花巻タイムアップ。車に乗込み、高速へ。
高速を南下していると、陽が暮れてくる。すると、夕焼けへと空は変化してゆく。今回の目的に、夏の田舎で夕焼けを過す、というのがあり、場所はあまり良くないが、最後の最後で何とか達成する。PAエリアに車を止めて、ひたすら暮れるまで夕焼けの中を過す。
のんびりし過ぎたので、慌てて仙台へ。そして、レンタカーを返却する前に、渡せなかったお土産を一人には渡すことができた。久々の再会も。
再度訪れた、仙台の夜。牛タンを探して徘徊し、適当に入った店で食したが大満足。
終わりゆく夏の旅。あと何度、夏を迎えることができるのだろう。
koji
吾唯知足。
昨晩の寿司屋の帰路、またもやお土産を渡していないことに気付く。一日、二回も渡しそびれ、二つも鞄に大切に入れながら、ただただ歩いていただけの自分に呆れる。うっかりにも程がある。疲れていたから、ということにする。
普段、起きないような時間に起床。身支度を整え、レンタカーを借りに行く。さすがに、昨日からの睡眠不足による疲労、そして、昨晩の大酒、十分に寝たとはいえ、いつものような心地とは異なる。まぁ酒は年なので、ほどほどにということか。
車を得てから、ひたすら下道を北上。知らない道、初めての土地を走るのは最高に気分が良い。しばらく走り、松島へ。
徐々に近づくにつれ、光景が京都の日本海側のように感じる。何となく懐かしい感じだろうか。松島はさすが有名観光地か、老若男女入り乱れている。時間はなかったので遊覧船には乗らず、陸から少し眺めて移動することにする。歩いていると、ここで初めて津波の傷跡に出会う。胸の高さぐらいの位置に津波跡の記録。松島を後にする。
さらに北上を続ける。目的地は陸前高田市。どこか津波の被災地を訪れてみようと、よく知る者に尋ねたら、即この街の名前が出た。
道中、何気なく車を走らせていると、海岸の近くの道路に出る。しばらく走らせて、ようやくある事柄に気付く。ただの更地だと思っていた場所をよく見ると、建物の基礎はあるが、千切り取られたような痕跡。そして、プレハブの建物の多いこと。知らない間に、津波の被災地に入り込んでいた。普段、都市部で暮らしていると、田舎の光景に疎い、ということだろうか。何もない所を勝手にただの野原や更地だと思い込んでいた。この瞬間から、ニュースで見た様々な光景が、現実となり始める。
気仙沼を通る。港の辺りの低い土地は、これまでに見たことのない光景だった。繁華街であったであろう辺りに辛うじて残った建物は、コンクリートのしっかりとしたものだけで、あとはその間を道が通るのみ。砂埃ぽい白んだ世界が夏の陽光に照らされ、廃墟が物静かに暑さの中で佇んでいた。これだけで十分に衝撃だった。異質な現実の中を抜けながら、気仙沼を去る。
陸前高田は、気仙沼の隣街というような距離だろうか。先ほどの気仙沼の少しづつだが復興へ動き出している雰囲気がまだ心に残っていたので、なおさらこの街の光景は衝撃だった。壊滅という単語が、そこには広がっていた。本当に大きな建物しか残っておらず、ただ広い更地があるだけ。そして、ところどころに未だ山積みの瓦礫。街へと入り込むにつれ、残された建物に近づくにつれ、次第に我が失われてゆく錯覚に陥る。その時、突然、車のナビゲーションが前方の踏み切りを注意するよう促す。もちろん、そこには踏切などありはしなかった。ナビゲーションの画面には、他にもコンビニやガソリンスタンドなど、今は存在しない一瞬にして消えてしまったものが記載されていた。夏の午後、訪れたかさえ定かではない街、自身の確実な存在が霞む時間に居た。
遠野の田舎道を抜ける。ようやく小さい頃から思い描いた岩手に出会った。長年の想像がそこにあり、幼少の記憶と現在が結ばれる。また一つ、パズルのピースが埋まる。
夕刻前、花巻の温泉へ到着。露天風呂で汗を流し、客室にて浴衣でじっくりと日が暮れる刻を過す。山の音、川の音、虫の音、障子から射す淡い光、陰影礼賛。
友人と語り尽くす夏の夜。
koji
初めての東北。
足取りも重く、駅まで歩く。以前に比べて、荷物はコンパクトになってきた。ここは、やや成長したようだ。
新宿にて友人と待ち合わせだったが、少し早く家を出たので待つことになった。眠気と戦いながらギラギラした眼で待つ、朝から暑い新宿。
友人と合流後、荷物のコンパクトさに驚かされる。家を出る際に感じたコンパクトさなんて恥ずかしくなってくるほどの量だった。甘さを痛感する。
その後、バスに乗込んで埼玉辺りで爆睡。しかし、休憩のサービスエリアごとに起きてしまう。その間も、確実に個人の日本最北端到達記録を塗り替える。そして、福島。少なくとも高速道路上には、他と変わらないであろう日常があった。もしかしたら、気付かない、感じないことがあったのかもしれない。
昼過ぎには仙台に到着。暑いが日陰はやや涼しいか。歩いて知り合いが働くラーメン屋へ移動。
サプライズ訪問をしようと黙って行ってみると、休憩中でいなかった。ラーメンを食べた後、電話をして少し話をする。会えないのもまた面白いから良しとする。かなり移動してから、お土産を渡すのを忘れていることに気付く。
珈琲屋を探す。一件目、感で入ってみたが、二人の好みに合わず、即効で退店。二件目を探していると、再会が目的の二人目の人物から連絡が入り合流。 オススメの珈琲屋へ連れて行ってもらい、ようやく珈琲に納得する。
陽もまったく暮れていない夕刻。開店と同時ぐらいに居酒屋へ。魚と日本酒をたらふく。二件目に寿司屋へ移動し、さらに日本酒を浴びる。相当久しぶりの大酒となった。
初めての仙台に溶ける。
koji
永遠に、こうなのだろう。
朝から忙しく過していたら、いつの間にか夕刻。時間は流れて、足はクタクタ。仕事を終えて帰宅すると、日付も変わる頃。明日から旅に行く。そして、旅支度は、これから。いつものことで、まったく成長していないが、こういうのが好きなのだろう。
深夜、一時間だけ横になってみるが、絶対に朝寝過ごす自信があったので、中途半端な体調で荷造りをし、早朝家を出る。
koji
卒業までの道のり。
炎天下、帽子も被らずいると、頭が痛くなる。しかし、帽子は熱い。熱いか、痛いか。どうもこうも、辛い。
仕事中は終始忙しく、時間を駆け抜ける。
休憩の合間、先日、突然実家を訪ねてきたという友人に電話する。まともに話すのは、中学以来だ。
幾度目かの人生のターニングポイントを迎えたようで、なんでも急に飲みに誘いたくなったらしい。帰省の際の再会を約束し、電話を切る。
クラスの落ちこぼれ二人で、高校受験の勉強を一緒にしたことなんて、霞みかけていた記憶だ。
koji
ここにも生活があった。
夕刻前、少し遅く出勤すると、進路の先に人が歩いている。後姿からして、知っているような気がしたので、少し速度を落としながら顔を覗き込む。やはり、そうだった。
USBのハブを近所の電気屋へ買いに行くという、なんとも、ご近所さんらしいローカル会話。
こういうのを久しぶり、いや東京で初めてしたような気がする。
koji
またか。
出勤路でいつものように信号に引っ掛かる。そして、植え込みの淵に手を掛け、視線を横にやると、在った。そこに、きゅうり再び。
暑さで少し干からびかけたきゅうりは、前回より少し大きくも、ただ今回もまた数センチ程の切れ端。
草木が刈り取られた土の表面で横たわる、きゅうり。
信号は青に変わったので、何事もなく立ち去る。
koji
至り交差する点。
自宅にて夕刻前まで読書やら。涼しくなってから外出。これぐらいの気候なら快適。
仕事の打ち合わせから、余談に移り、日付が変わる頃まで話し込む。酒を飲んだのもあるだろうが、夏の夜の良い時間だった。
稀に出会う、生い立ちの近しい人だったからか。
koji
未成熟ということにしておこう。
旧友の共通の知人から、結婚の話を聞く。徐々に独身も減ってくる年齢ではあるが、未だに同級生、古くの友人、知人の結婚程、実感が湧かないものもない。
昨今のニュースで話題になる、結婚、独身のあれこれは、他人事のようでならない。
昔からそうだが、どうも年相応の生活というのは、かけ離れている。
koji
休日らしい。
やはり暑さで目覚める。おちおち寝てもいられない。
散髪がてら街へ。暑いので、また短くしたが、髭に髪が短いと、見た目が怖くなってしまう。もしくは、面白キャラか。
行ったことのない、駅の反対側へ行ってみると、意外に栄えていた。古本屋にて文庫を漁る。
珈琲屋にて読書をしようと入ったが、あまり集中出来ず。
帰宅後、読書。
なんて、有意義な。
koji
寝させてくれない。
通常の仕事の忙しさが増し、心地よい疲労もありつつ、それは良いのだが、暑さ故に、体が休まらない。
明方まで涼しいので、ついつい起きてしまい、午前の夏の厳しい陽光に起される。やや睡眠不足か。
koji
最近、多い。
怪しい空だと思いつつ、革の鞄で雨合羽も持たずに出掛ける。通勤路の半ばを過ぎた辺りで振り出す雨。大きなガレージの屋根付き部分へ逃げる。様子を伺っていると、本降り。そして、雷。
三十分過ぎた頃、風の流れと反対の方向から人が少しずつやって来る。小雨になる。おそらく、向こうは止んでいるだろうと、再度出発。
エプロンを鞄に被せながら。
koji
聞えたら抜く。
布団を干すには適した日だった。その後、ミシンに歌わせていると、雲行きが怪しくなる。シーツ類は乾いていたので、取り込み様子を伺う。そして、ミシンの作業も終了し、晩御飯の準備をしていると、落雷。その後、世界は一転。
PCの電源を事前に抜いていた慎重さが役立つ。
koji
頭が痛くなるほどの。
葉月も折り返し、沿道の百日紅も見頃か。昼過ぎに自転車を漕いでいても、あまり人影を見ない程の暑さ。昼間なのに、ひっそりとしている。
出勤後、仕事をこなす。地味ながら、一人で生地を裁断するのは嫌いではない。小部屋に篭もり、一心不乱に裁ちばさみを走らせる。
そんなに親しいわけではないが、いつも話をしていて感じの良い人がいる。職業は画家。おそらく感性が近く、考え方も近いのかもしれない。
寒い冬の一日に思い返す、夏のイメージに最も適した一日だった。
koji
と日々の暮らし。
日付をすっかりと忘れていて、昼過ぎに終戦の日だと気付く。ここ数年、この日付を基点に歩んできた自国に関して、考えさせられることが多い。
出勤後、仕事を少々。帰宅後、ミシンを少々。
狭い自室にて、今日を想う。
koji
夢と現実の狭間。
昨日の反動か、夕刻まで寝てしまう。昨日、夢の話をしていたからだろうか、夢を見たようだが上手く思い出せない。良い夢だったことは、覚えている。
どこにも出掛ける気がしないので、一日家で過す。結局、何をしていたのかも上手く思い出せない。
koji
もてなされたら、もてなし返す、さらに倍。
昼前から起床。溜まった洗濯物を干す。夏の太陽が気持ちよく乾かす。洗濯機計二回。そして掃除、その後、日本酒を調達しに近所の酒屋へ。
昼過ぎ。友人がやって来る。恒例になりつつある、もてなす会。まずは、チーズケーキと珈琲。その後、第一次の宴に突入し、万願寺唐辛子とお揚げの生姜醤油炒め。夕刻、近所の田舎情緒を味わえる場所へ移動し、暮れ行く時間をビールで過す。帰宅後、砂ずりともやしの炒めものから日本酒へ移行。それぞれ用意した日本酒を開ける。本日のメインディッシュは、鶏肉、葱、豆腐の醤油煮込み。いよいよ宴も佳境へ。〆は盛り蕎麦で終了。と思いきや、前回の友人宅で食料を食い散らかした倍返しとばかりに、追加で冷麦投入。さらっと食べ終え間髪入れずにアイスを食べさせ、真打登場でゴルビーを振舞う。その間も日本酒をちびちびと。
深夜、雨の振る中話し込んでいると、すっかり朝になっていた。友人帰宅。即就寝。
koji
それはそれで美味しい。
昼前、友人は帰っていった。そして、穏やかな週末は続く。
最近、頭の中でグルグルと回っているアイディア。実現に動き出すべく、色々と調べたいこと、行きたい所があるのだが、来週はいよいよお盆に突入するので、業者がストップ。妄想だけが先行する。
帰宅後、友人が残していったアイスを食べる。急に人が居なくなった部屋。
koji
素晴らしいコスパ。
世はお盆に突入したのだろうか。穏やかな週末。
シルクスクリーンを刷る。出来栄えはよかった。エプロンを商品として並べる。夕刻、話をしていると営業が終わる。穏やかな一日だった。
帰り道、またやって来た友人とコンビニへ。昨日、購入したアイスを再度探しにいったのだが、見当たらず。一日の間に、忽然と消えたアイス。晩御飯を食べて早めの就寝。
koji
しかし蕎麦。
明方までデザイン仕事をしていたのと、暑さで熟睡出来ず。出勤後、営業しつつ、シルクスクリーンの準備をする。
またもや理不尽なこと。遠くを眺めてしまう。そして旅に行きたくなる。
夜は、自棄うどんを食べに行こうと出かけたが、蕎麦屋で酒を飲んで蕎麦で〆る。
koji
静かに仕事をする。
久しぶりに特殊な形態で営業する。黙々と仕込みを済ませ、空いた時間を利用し、デザインの仕事をこなす。
穏やかながらも適度に忙しく、理想的な一日だった。こういう日が、続けば良いのに。
koji
二回目。
昼から出勤。エプロンを洗い、干す。そして、明日からの営業に備え、買出し。それにしても涼しい一日。もうこのまま秋でもよいのではなかろうか、と季節感の崩壊したことも考えてしまう。
夕刻、久しぶりの味スタへFC東京を見に行く。そして、明らかに足りない物があることに薄々感付いていたので、マフラータオルを購入。そして、ゴール裏へ。やはり、スタジアムは大きい。もう今年はこの壮大な感覚を味わえないと思っていたので、気分も高揚する。
前半は0−0のまま、後半へ。そして、二点入れての完封勝ち。今宵は涼しく、心身共に心地よい。
koji
珈琲と煙草。
山の友人が、荷をほどく音で目覚める。コンパクトにするのが得意な友人らしく、かなり考えられた装備。そして、軽い。
遅い昼ご飯に同伴するため、行ったことがなかった最寄り駅のカレー屋へ。このままいけば、東京中のインド、ネパールのカレー屋を網羅しそうな勢いでカレー屋巡りをしている友人。
食後、珈琲を飲みに別の店舗へ。そして、外の席にて往来を眺めながら話し込む。京都に居る時も、行き着けの珈琲屋で同じように外の席で往来を眺めながら話していたな、などと思い出す。
夕刻前、友人は一時的にまた旅立つ。
帰宅後は、内職でミシン。明方まで。
koji
下りてくる。
休日のはずだったが、一日早く山から下りて来ることになった友人を迎えるため、大掃除をする。ちょうど手狭に感じていた部屋だったので、キレイに広くなり良かった。
夜、日に焼けた客人登場。冒険談を聞く。そして、山に行きたくなるのは、当然のこと。
koji
そして印象。
昨日のことが、ことあるごとに思い返してくる。後味の悪い二日目。気分も晴れないまま、一日が終わる。
酒でも飲めば楽なのだろうが、そんな毎日酒ばかり飲んでいると、また身体を壊すし、そうもいかない。
煙草を吸って、煙のように見届けるしかないのだろうか。
koji
勘弁していただきたい。
顔もよく知らない、ましてや言葉も交わしたこともない、そんな人に突然怒鳴りながらからまれる。理不尽極まりないことは、この世の中に起こるということは多々あるのだが、いざ自分が巻き込まれると、一瞬、頭の中が「?」で埋め尽くされる。
状況をこと細かく説明し、こちらは別になにも怒っているわけではないことを伝えると、納得いかない様子で立ち去って行った。
この年で喧嘩なんてしたくはないものだが、その場では話しをしながらも、そういうこともありえるな、なんて考えていた。
幸い大事に至らず終わったが、何とも後味の悪い日になってしまった。
koji
今月のコーディネイト。
どんなに暑くても、寒くても、カウボーイになる日。この日本の気候にカウボーイの服装は合わないのは、先月で嫌になるほど思い知らされている。ダサい、とか、恥ずかしい、とかはさておき、大変な服装だ。
少し趣向を変え、崩したファッションとして、Tシャツを着てみた。それだけで、涼しい。
秋になれば、これもまた懐かしい思い出となる。
koji
目を疑う景色。
先日のきゅうりの植え込み。信号待ちでいつものように止まると、そこには、低木はもちろんのこと、草一本無かった。レンガの淵と、その中に静まる土。
ただ、よく目を凝らして見ると、無数の白い何かが。
殻だった。この年になると、そこに殻があることにピンとこなくて、貝塚か、とか、化石か、とかありえないことを思ってしまう。
それは、ただの小さなカタツムリの殻だった。
koji
まったく異なる。
夏、葉月。今年も、暑いのだろうか、という思いもありつつ、去年まで生活の一部だった野暮用が今年はないので、照りつける暑さも通勤時ぐらいのもの。
昨年までは、人が休んでいる間に動いていたので、世に言う夏休みというのは、忙しなかった。
それが無くなると、それはそれで淋しくもあり、懐かしくもある。
汗まみれの汚れた顔で、見上げる空は、やけに眩しかったし、好きだった。
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