diary of radio pollution
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まだ続く。
日記サイトが復活していた。詳しい原因はわからないが、またこの黒い画面が帰ってきた。
黒バックに白の文字なので、この後に他のサイトを見たら目がチカチカする、とかこの際置いておいて、慣れ親しんだ画面を見た瞬間、やはりこれなんだなと思う自分がいた。
日記と歩んだ日々が、愛しく感じる。
koji
日々のこと。
まだ、あいかわらず繋がらない日記。調べると、他にも困っている人達がいた。しかし、誰も原因がわからない。
その中には、十年ぐらい書き続けている人達もいて、自分と同じような気分なのだろう。突然、理由もなく終わるのは淋しいし納得できないようだった。
今は何となく毎日書こう、と記録しているが、また突然、間が空くかもしれない。先のことなんてわからないが、書けるだけ書こうと思う。
koji
さてさて。
相変わらず、アクセス出来ず。バックアップの重要さは、こうならないと気付かないが、こうなるとすでに遅い。
新しい場所を探して移行するのも面倒だ。
ただただ、無くなるのは淋しい。
koji
さて、どうしたものか。
ホットサンドの試作品を、いくつか作ってみる。どれも満足の一品。少しメヒコを懐かしむ。
帰宅後、日記を書こうとするが、繋がらず。調べてみても、原因もわからず。このまま、永遠に繋がらなかったら過去の全ての書き込みを失うのか、と思うと、感慨深くなる。
koji
チョコレート一択。
常日頃から色々と考えないといけないことが多いが、さらにまた増えた。そして、難易度が高くなってゆく。
とりあえず、チョコレートパフェを食べる。しかも、普段はまず行くことがないファンシーな店で食べる。
ファンシーな店には、ファンシーさが好きそうな若い女子しかいなかった。こんな髭面には真逆の場所だ。
帰宅後、日記を書こうとすると、なぜか繋がらない。
koji
トップは、高さ120cm。
昨晩、急な電話が一本。明日、ロープを張れ、と。
プロレスイベントのロープ。イベント当日なので、細部にこだわることは出来ず、近所のホームセンターにて材料を物色。頭をフル回転して、何とかありあわせの物を抱えて店へ。そして、身軽になってから次は生地屋へ。布を二点、綿等を購入。そして、準備が整ったので作り始める。
まず、ハンマードリルがないので、必死で壁に穴を開け、どうにか金具を取り付けロープを張る。そして、次は生地を裁断、ミシンで縫い上げ、綿を入れ、設置する。
何とか完成させた。そして、好評だった。
koji
懐かしい思い出。
FC東京狂の日本人と米国人との約束の為、アウェー仙台戦を見に行く予定だったが、いつも放映しているパブが放映しないとのことで、こちらも遠征で明大前のバーへ。
キックオフ数分前に到着すると、テーブルをしっかりと確保した男達に出迎えられる。
試合は惜しくもドロー。アウェーなので、及第点というところだろう。終了後も、飲むのが大好きな二人に付き合い飲む。今日は遠征ということもあり、意外に早くお開き。
酒は適度に。
koji
しんどい仕事だが、楽しめる。
店の大掃除をする。身体の中から湧き上がる熱い衝動。これまでに培ってきた能力を遺憾なく発揮する場がやって来た。
前日の仕込みから、すでに仕事は始まっている。手際良く、抜かりなく、準備する。
当日も、状況、進行を把握し、困難、または人がやりたくないような面倒な箇所は率先して動く。ついでに指示も出す。無駄なく動き、店全体の作業が無事に終了する。
久しぶりに汗をかき、身体を動かしたのはもちろん気持ち良いが、それ以上に、掃除をしている充足感と、まだまだ現役、即戦力であろうことが、嬉しかったりする。
そして、掃除の醍醐味は、身体も場所もスッキリすることだと思う。
koji
レンガ上の。
通勤路のよく引っ掛かる信号。赤の間、ペダルから足を下ろしたくないので、ちょうど角にあるレンガの植え込みの淵に手を置いて待っている。
先日のこと。いつものように角で信号が変わるのを待っていると、レンガの上になぜかきゅうりの切れ端が転がっていた。瑞々しい物体は、まだ置かれてそれほど経っていないように感じられた。
次の日のこと。いつもの交差点に差し掛かり、やはり信号は赤になった。そして、それまで存在を忘れていたレンガに目を向けると、やや干からびたきゅうりと、それに群がる蟻。蟻はきゅうりにも群がるのか、と思いつつも信号が変わり、後にする。
数日間、信号がタイミングよく通過できたり、所用で別ルートからの出勤だったりと、レンガの上のきゅうりのことなど、すっかりと忘れていた。
ある日のこと。また信号が赤になる。いつものようにレンガの上に手を置いて、ふと思い出す。きゅうりは、どこか。探したが見つからなかった。
通い慣れた通勤路に、よいアクセントを与えてくれた。
koji
予想外。
やはり、まだ肌寒い。うっかり薄着などしたものなら風邪をひいてしまいそうだ。
カキ氷屋の出店を予定していたが、キャンセルに。こんな日に、誰も食べたくないだろうし、誰も文句は言わないだろう。
明日からは、暑いらしい。こうなると、信じ難いことだ。
知り合いに、京都産の万願寺とうがらしをいただいた。焼いて、鰹節をかけて、ポン酢で食す。酒でも飲んで、といきたいが、ここは我慢。
koji
明日には使いたいのか。
そして、まだ肌寒い。通勤から長袖を着用。いったいどうなっているのか。
仕事中に、急な依頼が舞い込んでくる。しかも、今日中に完成希望とのこと。大きなカーテンをミシンで縫う。所々に、細工をしながら。
慣れない古いミシンで急いで作ったわりには、出来は悪くない。先日、オーバーホールしてみたが、まだどうも調子が悪い。これ以上は、素人には不可能か。
koji
いや夏。
急に寒くなってきた。これまでの気温の上昇が嘘のように。今年は夏が無かったな、というほどの秋のような肌寒さ。これぐらいが生活には心地よいが、夏本番が来なければならない。
それしても、四季折々、という感じは年々曖昧になってきている。境目の無いような、いきなりすっ飛ばすような、はたまた急に舞い戻ったりと。
政治、経済、気候と、わけのわからないものばかりの国になっている。
koji
貧乏暇無。
店に居る間、ずっと英語を話した。久しぶりに頭が独特の疲労を覚える。とにかく日頃、あまり外国人とも接しなくなったし、海外にも行ってないので、英語力は落ちる一方。
これではいけないな、と思いつつもテキストまで手が届かない。適度に仕事して、適度に勉強して、適度に自分の時間を持てれば、それだけで幸せなのだが、それが今は遠い。
koji
新品。
起床後、店へ行って仕事をするべきか、それとも在宅ワークか考えてみたが、窓を開けると、すんなり後者に決定する。
それにしても、暑い。ついにエアコンを入れてしまう。頭が痛くなってきたので、これは熱中症の恐れ有りとの判断。
さすが新品、それも初めてフル稼働させるだけあって、すぐに冷える。
先日、ラップトップが熱暴走システムダウン完全に落ちたので購入したファン付き台座の効果もあって、PC作業が快適。
だが、しかし仕事は進まない。在宅ワークには、緊張感がない。
koji
そんな一日。
久しぶりに他所へライブを見に行く。有名でもないし、曲も全てカバー、高校生の頃のような気分。しかし、内容が面白かった。そこは、大人だ。
下北沢まで自転車で行ってみたが、まぁ近い。古着屋を覗いてみたが、とくに欲しいものはなく、バンダナ二枚だけ購入。気持ちは大きく、金額は小さく散財してやろうと考えていたのに、不完全燃焼。
帰り道、知り合いの家へお邪魔すると、結局、朝まで話し込んでしまう。最近、自分の中で発見した、二・五次元を理解してもらえる。
koji
ランナーズ・ハイのような仕事。
三連休も、いよいよ大詰め。このまだ一日残っているのが堪える。ただ、最近は足が攣らなくなってきた。
よくなっているのか、さらにわるくなったか。いずれわかることか。
去年に比べると、無茶苦茶な仕事の仕方はしなくなったので、適度に運動をしたいが家に帰ると、そんな気分もどこへやら。
もう四十時間眠らず肉体労働とか、出来ればしたくない。
koji
私は、おろち。
いつもなら今日で一段落、ということだが世は三連休。中日か。
意外な職業の人と知り合った。少し前から知ってはいたが、初めて職業を知らされた。いかにも東京な仕事。そして、共通の話題が、楳図かずお先生だった。
先日、ようやく吉祥寺にて楳図先生にばったりと会えた。そして、あらためて読み返す作品。
やはり「神の左手 悪魔の右手」か、「わたしは真悟」か、いや「おろち」だ。
koji
余裕の感。
一週間経つのが早い。そして、時間の流れるのも早い。世は三連休なので、月曜まで仕事なのが、やけに遠い。
京都は祇園祭のカウントダウンだろう。もうすぐ、梅雨が明ける。
それにしても、東京の夏は過しやすい。京都で生まれ育つと、夏は苦行だった。それがないだけで、暑さなんてどうにでもなる。
koji
脱ぎ捨てる。
気付けば週末、ということが多い。時が過ぎるのが、早く忙しない。
英訳の仕事があったので、こつこつそれを仕上げる。中途半端にタイムアップ。
それにしても、テンガロン、ウエスタン装備でないだけで、これほど涼しいとは。
koji
ブーツ。
やはり、暑い。そして、ブーツがこれまた熱い。ウエスタンブーツも、この国の気候には合わない。
過剰な湿度があってこその気候、自然風景。しかし、この季節は堪える。琵琶湖が恋しい。
koji
ハット。
カウボーイの格好をしている。そういう約束のあるイベント。それにしても、この国の気候には、テンガロンハットは合わない。とても蒸れる。被っているだけで、シャワーを浴びたような頭になる。
一応、メヒコで購入した、夏向けの白いテンガロンなのだが。
koji
希臘から桑港へ。
以前からずっと行きたかった植物園へ。
一応、朝起きれたら、と思っていたが、それとなりに起床し、続洗濯物を干してから出発。
平日午前中の植物園には、ほぼ老人しかいない。
初めてだったので、それなりに回ってみて、落ちつける場所を探そうと歩いてみたが、あまりの暑さに早々疲れる。売店にてチップスターを購入し、芝生の日陰になった所にブランケットを広げて寝転ぶ。
うつ伏せで本を読んでいたが、しばらくすると汗ばんでくる。足元がやけに熱い。上体を起し振り返ると、日陰が移動していた。体を動かし、再度日陰のなかへ。そして、またしばらくすると汗ばむ。振り返ると、また日陰が移動していた。これ以上は、ブランケットからはみ出てしまうので、諦めて大幅に位置を移動した。これで大丈夫だと思っていたが、まぁ太陽は常に動いているわけで、しばらくして芝生から追い出される。
仕方なしに、項垂れるように歩き、喫煙所へ。しかし、どうみても炎天下白日の下に、それはあった。でも、煙草は吸う。汗をかきながら。
まさにフラフラになりながら、歩いて行くと、温室に辿り着く。この暑さの中、温室かぁ、と目眩もしてきそうだったが、入ってしまう。
中は意外に換気も適度にされ、それほど暑くはなかった。温室よりも暑い外に別れを告げ、熱帯の植物を観賞する。どことなくメヒコを思い出す。異なる植物の景色というのは、簡単に旅の気分に浸れる。また、異国情緒溢れる大きな葉っぱは、それだけで非日常的。
楽しんだのも束の間、所詮温室なんて狭いもので、別れを告げたはずの現実へと舞い戻る。日陰のベンチに座りながら、薔薇を眺める。キレイに並びすぎた、改良された花々。どうしても魅力を感じない。そうこうしている内に、団体の老人が隣のベンチに座り始めて話をし出したので、そっと立ち去る。
また炎天下に放り出された。噴水の水がキラキラと輝く。こういう暑い日は、琵琶湖湖畔を思い出す。しかし、今は遠い。
暑さに霞む先にパルテノン神殿が、いやお世辞にもそうは見えない神殿風の建物。アクロポリス程もない、坂を上り椅子に座る。風も抜けて、最高に気持ち良かった。ようやく居場所を見つけた。
しばらく本を読んでいると、いつしかうたた寝をしていた。暑さで疲労し、涼しい場所で腰を据えたので無理もない。
一時間ばかり起きては寝てを繰り返していると、横に二人の老人がやって来る。これがまた声が大きいで話す。すっかり目覚め、本に目を戻す。読みかけの本を一冊読み終える。
サンフランシスコの本だったので、旅を思い出す。そういえば、サンフランシスコの公園で、よく歩きつかれ芝生の上で昼寝していたな。
koji
説明しても一緒だろうが。
晴れた日。ここぞとばかりに洗濯物を干す。
出勤。普段、仕事で建物の中にいるので、外で仕事をすることになる。ほのぼのした時間になった。
店に戻り、一人裁断作業をする。大きな生地を広げ、黙々と、いや音楽を大音量でかけながら、作業をする。
時折、同僚の方々が曲について一言告げるのだが、皆、聞くのは同じこと。
「アニソン?」
「いや、声優さんのオリジナル曲」
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香。
雨具の準備をして出掛けると、雨は降らず。怠ると、雨は降る。ずっと人生そんなことばかりか。ちなみに、また傘を差さなくなった。
雨のことを考えると、洗濯物が溜まる。部屋干しは、惨めな気分になるので避けたいところ。
晴れた日に、パリッと干したいものだが、今は梅雨か。そして、明けたら夕立か。
koji
日本人だな。
七夕。ここ数年、そんなことも忘れて生活していた。
笹を飾るあれこれを折り紙で作ることになった。こういった記憶は、手先に残っているもので、わりと作れてしまう。
この折り紙の文化は日本人の独特の才能だ。海外で折り紙を折るだけで、驚かれる。手先の細かい作業、そして培われてきた文化。
昔、英国にて仲良くなった子供達に折り紙を折ってあげた。眼を輝かし、他にも折って欲しいとせがまれた。みんな手裏剣が気に入っていた。
そんな子達も今は中学生ぐらいだろうか。
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と肴。
四日も間が空くと、どうも調子が狂う。あと、一週間でこれだけ酒を飲むと、また悪い酒の常習性が出てきそうだ。
どれも深酒をしたわけではないし、適度な飲み方を心掛けている。しかし、旨い酒というのは、心に残るものだ。
決して高い酒ではなく、素晴らしい時間に注がれた酒というのは格別だ。残りの人生、飲む酒は全てそうでありたい。
koji
今週は、なぜか不思議な日になる。
起床すると、突然の思い掛けないメールが一通。来るはずのない相棒がこちらへと向かっている。
突然、今日も特別な日になった。急いで身支度をし、待ち合わせ場所へ。
そして今日もまた、数年振りだった。そして、目の前に居る顔を見ただけで、今日ここへ来た理由も何となくだがわかった。
項垂れるような暑さの中、久しぶりに二人で歩き、また話をした。遠く離れていた距離が、今日は無い。この時間を、どれだけ過したことだろう。
親しんだ風景が変わってゆくかのごとく、知らない間の経験が人を育む。そこには、可憐でありながら、力強く成長した相棒の姿が垣間見えた。
時折、突然思い出すことがある。そんな時は決まって、突然メールが届く。だが、今日は突然やって来た。
たくさんの大事な時間を共有したのだろう、今も同じ呼吸の中で生きている。
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掴めそうで、形はない。
我慢ならない部屋の現状に、手を入れる。
開け放した窓の外で、季節外れの羽毛布団が風に靡く姿、部屋では二箱の玉葱が唯一の獣道を塞いでいる。
夕刻、昨年野暮用で知り合った侍のような恩人に、玉葱を献上する。新しい奉公先が決まったようで何より。
深夜、ヘッドフォンでいる筈のない声に耳を傾ける。いない筈の声を聴いていると、こちらの現実があまりに酷く変わってしまったことに気付かされる。
二・五次元辺りの話。
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十時間あまり。
日は変わり、曇り空。いつもの友人と酒を酌み交わす日。
引越し先は、遠くはなかった。自転車に跨り、道中雨にもやられながら、初めての道を進む。日本的な狭くも、よく整えられた庭先に彼の家はあった。
彼を象徴するかのように物は少なく、目に付くものは、ギターと選び抜かれたレコード。彼の部屋は、彼のようだった。
そして、珈琲が出てくる。これも、彼から切り離すことはできない。そして、酒が出てくる。これもまた、彼から切り離すことはできない。
彼との会話は、実に今を満たしてくれる。アプローチは異なれど、向かう先でまた彼を見かけることだろう。
そんな時、また珈琲を、そして酒を、一緒に飲みたい友人。
koji
十二年の先に。
先日、思い掛けないメールが届いた。送り主は、古い友人。初めて出会ったのが二十代前半だったろうから、かれこれ十年来の付き合い。
そして、久しぶりに会うことになった。
日中の暑さに陰りが出始めた夕暮れ、普段の乗ることもない路線をいくつか乗り継ぎ、初めて訪れた駅に降り立つ。
彼女は好奇心旺盛だが、どこか控え目で、人を惹きつける魅力がある。衝動的な行動の先に、彼女しか得れないであろう何かがあり、またそれは彼女の人生を新たな方向に導いてきた。
会っていなかった数年の空白、彼女はやはり今まで通りに道を進み、久しぶり交差する一点で再会した。
今も変わらず、昔のままの優しい眼を持った女性だった。そして、その眼の先は、何を見ているのだろうか。これからも彼女には、また新たな人との出会いがあり、また新たな道を歩むことだろう。
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なものが勝るのか。
まだ、余韻に浸っている。精神破壊イベント。さらなる上を目指したい欲求。
梅雨らしい天候、暑さがまとわりつく。エスプレッソマシーンは、伊太利の太陽と命名しようか。
前日の土曜に早くも足が攣る。一日早くなった。そして、起床後にも伸びをしただけで、足は攣る。週末の全ての記憶は、足が攣るに消されてしまう。
暑さと痛み。記憶の底に残ったものは、これだけか。いや、数日前の余韻が、どこからともなく湧いてくる。
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