diary of radio pollution
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寝る前は、何ともなかったが。
起床後、窓を開けると、そこは雪国だった。相当な積雪。自転車で仕事へ行かないといけないので、気分が滅入る。いつもは通らない大通りを選んで、出勤。
閏年だからというわけでもなく、時間や年月を考えてしまう。止まる時間と、進む年月。そういえば、東京へ来て、一昨日で一年が経っていた。
残雪の中、今年の如月も終わる。
koji
輝く記憶。
休日でゆっくり過ごしていると、親友からメール。訃報だった。
彼とは、十代後半を共に過ごした。連絡をくれた親友と三人で、夜中、遠いところまで車でよく出掛けた。服の趣味が近かったので、主に借りてばかりだったが、貸し借りもよくした。そういえば、借りたままの高級スーツも一着ある。一人暮らしの部屋の合鍵を、いつでも勝手に来れるようにと、預けてくれていた。車を三人で買いに行ったりもした。銭湯に行こうとしたら休みで、結局なぜか実家の風呂に入りに行った。思い返せば、次から次へと記憶が蘇る。
親友を通して、近況は聞いてはいたが、最後に会ったのは、もう数年前。
本当に懐の大きな奴だった。
koji
ロングライド。
昼過ぎ起床。窓のカーテンの隙間から暖かな日差しが射して来る。急いで洗濯。部屋干は、気分が滅入るので、嫌いだ。
自転車で立川へ。車で駅前には来たことがあったが、自転車で来ると、また違った町並みに映る。吉祥寺とは異なる、中規模都市か。これといった魅力もあまりなさそうだったので、さっさと用事を済ませ、帰路へ。
急激に気温が下がり始めたので、急いで漕いで体を温める。交通事故現場を二度も目撃する。
お気に入りのお店へ立ち寄り、古本と雑貨を散財する。楽しい話をして、時間を過ごす。そんなことが出来るのも、あと少しか。
koji
何時間、立っていただろう。
仕事を終え帰宅後、深夜に晩御飯を食べ終えたあとだった。太腿の裏がつり始め、椅子からベッドへ転げ落ち、痛みをかばいながら楽な姿勢を探していると、次は反対側の太腿がつり始め、そうこうしている内に、足の他の箇所も釣り始め、ただただ悶絶。
最近、毎週末に足がつる。疲労と年齢か。
koji
旅行の始まり。
特にここへ書くこともなく、仕事だけに明け暮れた日。往路の雨が、復路で止んでいたことは、とても良かった。小さなことが、今は必要なのだろう。
あと、また旅行熱にうなされ始めた。メヒコの太平洋岸で、ハンモックに揺られ読書をしていた日々が愛しい。広い青い空と、強い波の音。バンガロウの庇の下、本から眼を離すと、風に靡くハイビスカス。あそこには、変わらない日々があるのだろう。
そして、学んだこと。ただ、何も知らない、ということか。
koji
硬さが必要。
ベッドマットの寝心地の良さ。なぜ、早く買わなかったのか、と思わされる。寝る前に、寝転んで本を読むのも苦ではない。
少し部屋の片付けをしたら、読んでいない本が出てくる出てくる、大漁。読みかけの本もあったり、早く読みたい本もあるが、今読んでいる本が、一ページ二段組の六百ページ越え。味わって読む遅読の者としては、先は長い。また、一ページで眠りに落ちる日もあるので、先は長い。読もうとする意思があるだけでも、生活に余裕が出てきた証拠だろう。
石鹸の香、質も買って良かった。シャワーを浴びるのが楽しい。そして、洗剤も納得の一品。
昼間の春のような日差しの中、洗濯物を干すのが心地よい。しかし、夜半の今、雨粒が聞こえる。アメリカのラジオを聴きながら。西海岸は、朝のプログラム。
koji
何となく、下の方へ。
この日記の過去の日付を見たら、先月で早十年が経っていた。期間に置き換えると、小学一年生が高校へ入学していることに驚いた。もうそんなに過ぎ去ったのかと。それは、老けて当然だった。
今宵は少し、暖かくなった兆しを感じる。夜、自転車を走らせていても、手袋が必要なかった。日中の陽も、若干長くなってきている。三寒四温。過ぎれば春も近し、とは気が早いか。
仕事の打ち合わせをしている際、何だか大切なことを忘れていることに気付いた。今の自分に照らし合わせてみての結果だが、尚更、この十年の間にしてきたことを大切に思う。
そして、また十年後。このサイトがあればの話だが、これを見た自分は何を考えるのか。そして、見ることは出来るのだろうか。
koji
眠りに安らぎを。
半年以上迷い悩んでいたベッドマットをついに購入した。そして、たまたま見つけた理想の石鹸、洗剤も届いた。午前は宅配ラッシュ。その後、二度寝。
伊太利と米国から海を渡り、この部屋へとやって来た。
シャワーを浴び、寝て、明日の朝、洗濯をするのが、一大イベントに感じてくる。
久しぶりに車を運転し、今宵は、よい感じに眠い。相性は、どうだろう。安眠か。
koji
混沌としてきたな。
最近、またもや地震が多い気がする。というか、確実に体感地震が多発している。もうすぐあれから一年経つが、どうも一年周期というのが気に掛かる。
先週から、週一日だが休日を過ごせている。ただ、家から出ずにゆっくりとするだけだが、なんだか東京へ来てからほとんど休んでいなかっただけに、罪悪感すら感じてしまう。もう一日あれば、部屋の片付けやら、創作やらできるのだが、寝たくって、ただただ時の流れに身を任せているような。
喫茶店、工務店、洋裁店、電気店、運送屋等々、あれやこれや店での肩書き。何でも屋としての才能を発揮している。そして、器用貧乏だな、とつくづく思わされる。そして、今日も要望の棚を作り、珈琲を淹れる。
ちょこちょこと、古本、古雑貨、古着を購入してしまう。あまり物を増やさないように、と心掛けていたが、一年も経たない内に部屋が散らかってきている。東京に完全にやられている。
koji
油断をすると、時計の針は進む。
今年初めて、一日中家で過ごす。今出来る、最高の幸せだろうか。全てを忘れ、眠り続けた。
日頃、ここに書くことを考えていたりするのだが、いざ書こうとすると大抵は忘れている。
店がリニューアルオープンして、少し経ったが、まだまだ足りないことが多い。ただ、何かアイディアが浮かんでも、忙しくすぐ忘れてしまうので、書き残さなければならない衰えた我が記憶力。
これを書きつつ、同時進行でしていたことを、すでに忘れている事実。
koji
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