diary of radio pollution
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2011年11月30日(水) 変化

もしくは、成長だろうか。

慌しい日々が続く。来年から、またもや生活が劇的に変化する予定なので、今は、その準備やら毎日のことに振り回されている。ただ、以前のように突っ走るのではなく、どこか冷静な気持ちも片隅に抱えつつ過ごせている。

久方ぶりに、人前で演奏らしきことをした。ギターでもなく、歌ってもいないが、懐かしい気分だった。もちろん、ブランクはあるが、まだまだ指先にまで神経を集中させれるものだと知る。

新たな感情、意識が芽生えているのを実感している。過去に無い距離感が、この世との間に一層あるようで、それは、静かに揺れる炎のように穏やか。しかし、二面性のある現在の生活スタイルにおいて、終始そういった状況下にあるわけではなく、激しく揺れ動く感情の裏側に芯があるような感じか。なんとか無事に過ごせているのも、これのおかげであるのは確かだと。

そして、また今年も、師走に辿り着く。

koji


2011年11月05日(土)

最近の小さなこと。

眠れなくなってきている。先日の登山後は例外で、さすがによく寝たが、通常の睡眠時間が著しく減ってきている。寝るのは得意だったのだが。

自転車を漕いでいると、虫が眼に入ってくる。先日なんて、二日間で計五回程進入され、今年に入ってからは、もう十回ぐらいはやられている。瞬きで避けきれたこともあるが、あの独特の痛みは辛い。

koji


2011年11月03日(木) 反省

考えさせられる。

常日頃、書き言葉には注意を払っているが、話し言葉はあまり綺麗ではない。関西弁が少し混じる口調には、ここ関東では不快に聞こえる表現もある。

とある古本屋にて、探している本があったので、店員の年配の女性に尋ねたところ、一瞬、返答に戸惑った。

A訳のBのやつはありますか?と、すると、「本」はあるけど、「やつ」はない、と。

たしかに、丁寧な言葉を用いるなら、「やつ」では駄目だろう。しかも、言葉が詰まった本という品物を売る店。「やつ」は、拙かった、と「本」と言い直した。

結局、探していた本は無かった。そのまま、お礼を言って、フラフラと酩酊したような感覚で店を後にした。人でごった返す歩道を歩きながら、頭の中から先程の出来事が離れなかった。その後も、一日中そのことがことあるごとに思い返される。

これを書きながらも、ただただ己の言葉の選択に情けなく思う。

koji


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