diary of radio pollution
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流れて、どこへ。
こちらへ来てから、人と知り合い、そして別れる。短期間の内に三人は去り、また数日で二人去るらしい。これは、大都市の東京だからだろう。
同世代、年下、五十代の人。東京に残る人、四国へ行く人、海外へ行く人。それぞれの人生の数日に少し現れた人として、どこまでその人の記憶の中に残るのだろうか。まったく残らないのかもしれない。
少し生活に慣れてきた感はあるものの、ふとした瞬間に落とし穴のような客観的な状態に突然陥る。道行く人々は、どうしてここですれ違い、その後、どこへ行くのか。尾行するわけでもないので、行き先は知らぬが、人の顔を眺めていると、その人の生活の情景が頭の中で繰り広げられる。
東京という所は、個人の想いが強すぎるのだろう。時が止まったような、次元の異なるような、そのような感じで、ときどき人を眺めている。
koji
自転車で行ってみる。
一昨日の昼過ぎ。リサイクルショップで椅子を見ていて、久々の衝動買い。三脚も買ってしまう。一脚で良かったのだが、セールという言葉に財布の紐が緩む。
その後、神保町まで自転車を漕ぐ。暑い暑い。甲州街道は見慣れているので走っていても楽しくなかったが、靖国通は走っているだけで新鮮だった。
とあるビルの9階。エレベーターを降りると正面に金太郎がいた。
金太郎に別れを告げ、以前から見てみたかったスカイツリーに行くことにする。靖国通から少し北上し秋葉原、隅田川を渡り両国国技館、ちらちらと見えるスカイツリーに少しづつ近づく。真下に行く前に、少し離れた場所で休憩。以外に小さい気がする。そして、真下の辺りに行ってみても、何か小さい気がした。東京タワーと異なり、下からずっと細いままの形状なので、そう思うのだろうか。
スカイツリーを背に帰路へ。そのまま西へ行き駒形橋、雷門を遠目に確認しつつ、浅草通を上野まで。アメ横を横切り、不忍池、湯島天神、春日通を西へ。せっかくの本郷なのに、東大の赤門を見るのを忘れ、ビルの合間からドームが見え隠れ、知らぬ間に春日通は北西へ進路を向け、気付けばそこは池袋。帰宅ラッシュの人の波に流されつつJRを越える。立教大の側の新しい道を抜け、西武池袋線に沿って千川通を走る。富士見台でサヨナラし、環八を渡り、吉祥寺通まで。
やはり自転車は、良いな。次の遠征予定は、こうなると神奈川か埼玉か。
koji
照りつける太陽光。
それにしても暑い一日だった。30度はいっていただろうと気温を調べてみると29度。しかし、明日の予報は30度。いよいよ今年も夏の兆しが見え始めた。
季節は変われど、生活に変化はなく、なんだかよくわからないまま生かされているというか、この止まることを知らぬ社会は、以前よりも猛スピードで過去から遠ざかっているのではないだろうか。
全て錯覚であってほしいが、そんなこともなく、ただただ暑い熱帯夜にどうして寝付こうか考えつつ、これを書く。
先日、水無月を食べた。京都に居る時は、毎年食べていたが、こちらにはそんな風習もないのだろうか。偶然通りかかった和菓子屋で購入したが、直球なスタイルではなく、変化球な造りだった。季節の和菓子は、とことん基本的なものが好ましい。
新宿に初めて自転車で行ってみる。いつもは、電車の駅、または高速バスの発着場と、公共機関を通して見ていた風景が、やはり自転車だと大きく異なる。次の遠征予定は、神保町。
日も長くなり、夜明けも早い。鳥が囀りだした午前四時。青い景色が美しい。未だ落ち着かない生活から早く抜け出したいこの頃か。
koji
せっせとお茶を沸かす日々。
例年になく早い梅雨の訪れ。晩春の情緒を楽しむ暇もありはしない。長い水無月になりそうだ。
もう一点、例年にない日々を過ごした震災後の三ヶ月。日付は変わり、11日の早朝。大地震後の三ヶ月大余震があるとすれば今日。何事もなく明日を迎えたい。
梅雨の明けた頃には、山登りへ行きたいものだ。
koji
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