diary of radio pollution
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やはり早朝の静かな時間は好きだな。
個人的な生活環境、日本における生活環境が大きく様変わりし、気付くことが多い。今後、どういった生き方をしていくべきか考える。
先日、友達と話をしていて、良く悪くも色々と考えさせられることが多かった。
二十代の頃に思い描き実行してきたことについて、やり遂げたこともあれば反省点もある。そして、培ったことを発展させる三十代に入り、年齢なんてものはあくまでもわかりやすい区切りだが、また一から地道に進んで行かなくてはならない。生活環境が大きく変わったことにより、眼に見える至らない点が多過ぎるのは、若い頃のツケとでも考えて、一つ一つ丁寧に片付けるしかないだろう。
それにしても、色々と後回しにし過ぎたな。日々勉強の人生は、最後の日まで、か。
今日、やかんを買った。今、出来る贅沢なんてこれぐらいだが、大事に長く使おうと思う。
koji
そういう性格。
わけあって今宵は大井町に。品川区なんてプライベートで来る用事もないので新鮮だが、出来れば昼間に自転車でぶらりとしてみたいものだ。
自身で予定を管理して仕事をしていると、どうも丸一日休日にあてることに不安を感じる。先日も半分休みのような一日だったが、仕事の探し物でホームセンターに数時間。楽しいのだが、どうも仕事に追われている感じは否めない。
同時進行であれこれ仕事をしつつ、区切りもないことが多いので、昔のようにまたもや果てしない道を歩いているような感覚に陥る。こういうスタイルが向いていないのは百も承知なのだが。
近々、休日と称して遠出しようと目論む。ただ、予定を立てていると、やはり少し仕事を絡ませてしまう。
koji
今は少し遠い。
東京に住んでから、最近ようやく自身のペースが出来てきた気がする。引越して早々の地震で、準備していた予定も意気込みも全てリセットされた感じで、この以前とは異なる世界、自身の生活の中に見出すものは何だろうか、ということに、少しは具体的に動ける余裕が生まれたのかもしれない。
そうなると見えて気付くのが詩や作品のこと。ここへ来る以前、ここ数年前からそうなのだが、個人的に生活の変化が著しく、墨国逃避期間を除いては、詩作をほとんど行っていない。そして、それからも一年が経ち、大半を書き上げていたものの、以降は、筆を入れられていない。
残念ながら、今のところ実生活と頭の中の世界に上手く折り合いをつけて作品を書き上げれるほど、器用には出来ていない。しかし、今だからこそ、新しい様式を築いていくときなのだろうと考えている。時間は掛かるかもしれないが、やはり周囲に散らかったものを一つ一つ片付けることが最良なのだろう。
もし詩が本当に書けなくなったら、実生活もそこには存在しないのだから。
koji
何となく思い出したこと。
一年前のちょうどこの頃、墨国のクエルナバカにて、一人苦しんでいた。風邪でもないだろうし、単なる腹痛でもないだろうし、とにかく謎の病にベッドの上でもがき苦しむ日々。持参していた、薬も効かないし、辛さに変な波があり、少し治まり大丈夫か、としばらく外出してみると、ぶっ倒れそうになるほど。今までお世話になることはなかった保険をついに使うとか、快復するまで街の移動を延期するとか色々考えたが、何かここにいてはいけない気がして、優れない身体に鞭を打ち、重いバックパックを担いで早朝発のプエブラ行きバスに乗り込んだ。
手元に日記がないので詳細は忘れたが、残っている画像データの記録からして、2、3日ぐらいは、苦しんでいたか。言葉の通じない異国で、金もない人間は体調が悪くなったら終わりだな、と病床の朦朧とする頭で色々考えていた。
koji
隣町へ。
大きなバックパックに荷物を詰め自転車に乗り六往復+ギターで一往復。自動車の有難味を痛感する。
今さらメルトダウンと言われても、そんなことは予想の範囲内。ほとんどの人は普段の暮らしに戻っている今、様々なことを考えさせられる。
高い所から夜景を見ていると、見た目には何も変わらない景色が、昔の平和な頃と違うなんてことは感じない。ここがどこだということも、どうでもよくなってくる。しかし、目に映る物も、肌に触れ、吸う大気も、今や異なる別の物。毎日見る景色も、以前と比べ刻一刻と変わっているのだろう。
koji
地震は忘れた頃にやって来るのだろうか。
余震は続く日々。最近、大きな揺れはあまりないが、それはそれでエネルギーが溜まって、大放出なんてことにもなりかねない。個人的にも、ここ数日が怪しいのではないかと疑っている。
この季節、子猫をよく街に見かける。連れて帰りたい衝動にも駆られるが、経済力の無さに情けなくなる。ペット有りでも借りれる賃貸、食費等々・・・お互いに精一杯生きるしかないのか。
こちらに来てからというもの、やはり知識、経験が豊富な人が多いのか、いとも簡単に趣味が同じや似ている人に出くわす。やはり、こういった話をしている時間が、一番心地良く、楽しい。
些細なことでもいい。小さな楽しみを、日々の生活に。
koji
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