diary of radio pollution
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あちら、こちらへ。
東京で住み始めてから、わけあって様々な街へ行っている。23区内はもちろんのこと、浦和、横浜、八王子、相模原、町田、東村山、川崎、甲府等々。関東は広い。
そして、今日も風が強かった。自転車には、つらい向かい風。丸一日休みがあれば、おにぎりとお茶持って、自転車に乗り海でも見に行きたいところ。
地震はまだ治まらない。最近の大きな地震の際には決まってよく揺れる建物の中にいる。その直後訪れる、地震酔い。
今宵、素晴らしい曲と出会った。ささやかな幸せで、リピート再生。
koji
地震酔いの日々。
相変わらず、余震の連続で揺れる。パソコンに緊急地震速報を通知するソフトを入れたので、慌てずに待つ余裕はできたものの、ふと我に返ると、なんだろう、この生活は?という考えに至る。
深夜、自転車で走っていると、向かい風で押し戻されそうになる。関東特有の強風なのだろうか、それすら恐ろしさを感じる。
ここは世界有数の大都会で、ありのままの自然というものは程遠いが、東京、この関東のおかれている状況に、少しの自然現象すら敏感に反応してしまう。だけど、それらの発する情報に耳を傾け、鼻で匂い嗅ぎ、眼で確かめ、感じたことを読み解き、行動しないと、もう手遅れなんだと思う。
十年以上、春は桜を楽しみに過ごし、ぶらりと桜を見に出かけていたが、今年はどこへ行く間もなく散ってしまった。自転車で桜の下を走り抜けた際、舞う花びらの中で一瞬見上げたのが印象的だった。
自転車のフレームに、一枚の桜の花びらが乾燥して貼り付いている。そのせめての春の印を、今も何となくそのままにしている。
koji
ようやく訪れた春の息吹。
震災と寒波の影響で、やけに長い三月を過ごした気分だ。今週、東京の桜は開花し、気候は穏やかになったものの、まだ決して日々の生活が安定したわけではない。
街中にいると、原発に対する人々の関心も薄れてゆくのを感じる。遠い日の、ことのように。
昨晩、サトルさんのライブを見に行った。引越してから初めてライブへ足を運び、また、以前からの知り合いに会ったものも初めてだ。少し東京へ移り住んだ実感を得た。
この先、放射能に汚染された雨に濡れ、放射能に汚染されたシャワーを浴び、放射能に汚染された水を飲む。ここに居る限り、そんな生活しかないのだろうか。
koji
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