diary of radio pollution
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2010年10月28日(木) 休息

歩みをしばし止めて。

ここ数日、寝ようとすると過ぎ去った日が打ち返してくる。眠れず、急な冷え込みのために出した冬布団の中で、途方もない時間を過ごしているようだ。ようやく眠りに落ちても、不思議な夢を彷徨い、浅い淵から戻ってくる。今、これを書くのも午前五時前。一番、好きな時間。

あれからどれだけの月日は流れたであろうか、なんてことを想うと、戦前生まれの方々からは、振り返るにはまだ早い、この平和な時代に何を言っているのか、と叱責を受けるであろうが、時にはそんな日が訪れるのも許していただきたい。

メキシコにて、night tellerの次作アルバムのアウトラインになる詩を書いていた。帰国後、それらを再度構築し、いつリリース出来るかもわからない作品と向き合っている。前作からの続きで、三部作の中盤。

未開拓の土地を歩いているような気持ちで、今は先に何があるのか、どこまでこれが続くのか、見当もつかない。ただ、昔から思い描く答えが、そこにあり掴むことができるのであれば幸せだ。

とぼとぼと歩いては、単語と音を拾い、繋ぎ合わせてここまで着た。振り返り軌跡を眺めてみる。今日は、それも良いだろう。

koji


2010年10月24日(日) 西へ向かえ

何だかんだ言っても、惹かれ好きなんだ。

数日前、次に読む本を探して本棚を漁っていると、以前読みかけで終わっていた一冊を見つける。数年前に購入し、すぐ読み始めたのだが、何故か途中で放っておかれたアメリカの歴史を巡る本。また最初からページを捲る。

歴史的名所、人物に出会う旅行記のようなものだが、あの旅行中の疲れを忘れる感覚だろうか、読者も共に旅する感じが、この肩の凝る分厚さも忘れさせてくれる。以前に比べアメリカに関する知識も増えていたからだろう、著者の気持ちが心に響いてくる。

正直なところ、最近アメリカに対して良くは思っていなかった。連日報道されるニュースもあるが、それ以上にこの目で実際見てきたアメリカに対しての積み重なった想いがそうさせていたのだろう。今となっては、初めて訪れた時の浮き立つ気持ちはもちろんなく、先進国の中でもより巨大な力を持ち過ぎた国というイメージ、ただそれが受け入れられなくなっていた。旅行でもトランジットで通過するだけの国。

とにかく、古き良きアメリカを夢見る懐古趣味的な部分が、アメリカの新しい側面を、そういった機会に出会うこと遠ざけていたのかもしれない。歴史の良い所だけを見ていれば、それは安全で楽しいに決まっている。

歴史は浅いのに、この日本以上にややこしい問題が山積みであろう。人種、宗教、政治、経済等々、当事者、国民でもないのに頭が痛くなる。しかし、未だ黎明期なんだと、これからがアメリカの始まりなんだと思わせる力が、あの国の原動力なんだと本を読み終え考えさせられた。

どこまでも続きそうな先の見えない長い道に立った時、絶望も希望も抱えながらも、進み出せるのがアメリカの良いところなんだと。

koji


2010年10月21日(木) 徒歩

靴が壊れるまで。

忙しい時は無理だが、時間と体力に余裕がある場合、とりあえず歩く。もし、疲れたら途中で電車やバスに乗ればよい、と思いながらも、おそらく大抵は完歩している。まぁ、頑固な意地みたいなことも見え隠れしてはいるが・・・

歩いていると、たくさんの情報を得、同時に処理できることは魅力だろう。このスピード社会で見落としている類の単純な部分かもしれない。もちろん、速度を上げていくことで感じる部分もあるが、自身の詩を創造する上で、大事にしたい根幹がこの原始的な行動の先にあるので、やはり一歩づつ踏み出していくこの動作が必要なのだろう。

ここ最近で思い出深い徒歩は、メキシコ旅行中のことだろう。いつも旅行先では、毎日一人でよく歩く。予定を詰め込まない旅行スタイルも当然あるが、日本以外の場所は、より貴重な情報を発見できる。

方角、道は、もちろん気にしつつ、荷物に気を配り、周辺の雰囲気を感じ、トラブルに巻き込まれないようにあらゆる感覚を研ぎ澄ましながら進む。その状況だけで、すでにお腹いっぱいだが、それらを通し得られ感じる先には、砂金程のものかもしれないが大切な機会が潜む。人かもしれないし、物かもしれないし、環境かもしれないし、それ以外のことかもしれない。

旅も終わりに近づいたプエブラ滞在中のある日。チョルーラという郊外の町へ行ってみることにした。おおよその方角しか分からなかったので、とりあえず、往路はバスに乗車。車窓からの景色を眺めつつ揺られる。その後、目的地を堪能し、帰ろうと思うが復路用のバス停が分からず彷徨う。そうこうしている内に、大きな通りに出る。何となく見覚えがあるな、と思いつつ歩いていると、プエブラ方向の標識とバス停を見つける。とりあえず安心したのか、いつもの考えが頭をよぎる。これは、歩ける距離では?

炎天下の午後。高地の空気の悪い幹線道路沿いを、ひたすら歩く。鞄の中のすっかり温かくなったペットボトルの水を飲みながら、景色の記憶を頼りに歩き続けていると、足取りに変化が現れる。妙だと思い靴を見ると、ソールが大きく剥がれ始めていた。古い靴で、旅行中散々歩き倒したので無理もないが、疲れに暑さ、そしてまだ半分を過ぎた辺りであろう残りの距離を考えると、靴、髪形至上主義の国の路上で汗だくのボロボロな自分の姿に、独り何だか愉快な気持ちになった。

koji


2010年10月19日(火) 趣味と傾向

最近思うこと。

改めて考えてみるまでもなく、趣味が多い。様々なことに興味があり、それらを調べてみなければ気が済まない性格だ。その中から、実践に移る、行動して続くと趣味ということだろうか。

昔から、あれこれとあるが、その時の状況等により移り変わりもあるのが自身の傾向だろう。ただ、基本的に行動に移すからには気に入っていることもあり、しばらくそれらから離れていても、止めたわけではないことが多い。

最近のことを振り返ってみよう。

山登り。頻繁には行かないものの、小さい頃から登らされている影響か、無性に登山欲求に駆られることがある。山や森が好きなのも、こういう理由からだろう。

名所旧跡社寺巡り。歴史は嫌いではないし、知っている事柄の所縁の地を訪れることは興味深い。小説等の物語の聖地巡礼的行動は、好きな作品程気持ちも高ぶる。

ランニング。身体のリズムが悪い時、汗を掻かない季節等の調子を取り戻す為に走ったり、歩いたり。

さて、三点挙げられるが、これらからあるものが見えてくる・・完全に同年代女性の流行の趣味。ただ、最新のウェアに身を包み山頂でお洒落な食事もしなければ、戦国武将を男前のイメージに仕立て上げもしないし、マラソン完走が目標なんて訳もない。それらを差し引くと、残る答えは、所謂一昔前の年を重ねた中高年趣味に向かいつつあるだけだろう。

koji


2010年10月18日(月) 小倉山

麓。

先週に引き続き、今週も嵯峨野へと足を運ぶ。秋が深まる前の静けさを求め。

昼前、家から歩いてひたすら西へ。暑さと冷たさが混じりあった気候は、全てが過ぎ去った冬に懐かしくなる。広沢の池から愛宕山を望みつつ。

目的地の二尊院の辺りは、所謂京都らしさが広がる光景。西山を背に静かにひっそりと佇む。

一月後には色づき始めるであろう紅葉の馬場を抜けて本堂へ。鹿威しの音が静寂の中で、ただ響く。

墓の間を抜け、藤原定家の時雨亭跡へ。木々に囲まれた、小さな空間。当時は、遮る物もなく街を見下ろせたであろう眺め。

三条実隆の墓へ赴き、しばし佇む。夏の蒸し暑い一日を想いながら。

先日の紀貫之、そして今回の藤原定家。百人一首の本を読み返すことになるのは当然か。

koji


2010年10月14日(木) 愛宕山

昔々、比叡山と愛宕山は同じぐらいの高さだった。そして、いつも自分の方が高いと口喧嘩ばかりしていたそうな。ある日のこと、ついに比叡山が怒って手を出し愛宕山の頭にポカリとげんこつ一つ。腫れ上がったこぶで愛宕山の方が大きくなったんだとさ。

亡くなった祖父から幼少の頃に聞いた話。先週の比叡山に引き続き、友人と今週は愛宕山へ。

清滝で車を降りると、すぐ目の前に大きな愛宕山がそびえる。9月の温かさ、という本日の予報も渓谷では少し肌寒い。

太陽は雲に隠れ、風も微か。登るにつれ温まる身体は汗を掻く。ひんやりした冷たさが覆う。のんびり歩き、昼前には山頂の神社に到着。少し開けた境内では、登山者達が少し早い昼食を広げていた。何となく、あまり人の来ない静かな場所が好きなので、下山予定のルートを少し進みつつ昼食に適した場所を探す。

それにしてもあまり陽が出てこない。ときおり見せる陽だまりを見つけ、しばしの日光浴。平坦な道をしばらく行くと、明らかに急な下り坂。この先に良さそうな昼食ポイントは無さそうだと回りを見渡すと、少し上に開けた場所。さらに気付かなかったが、すぐ側にそこへと続く上への脇道。登ってみるとそこは予想以上に良いポイントだった。

昼食、恒例のおにぎりと味噌汁。友人の振舞ってくれる味噌汁のグレードが上がっていた。とにかく冷えた身体に染渡る温かい味噌汁は嬉しい。

選んだ下山ルートは、賑わった往路と異なり静かだった。途中で急激な下り、沢の側を通る道も現れ、大きな岩の上で小休憩。少し顔を出した太陽が暖かい。

無事に下山後、帰路恒例のアイスを今日も暑かったであろう下界のコンビニで購入。

夏の夕刻のような錯覚を覚える。

koji


2010年10月10日(日) 迷子

この世界のどこか。

先日、帰宅すると一通のメール。イギリスの友人からだった。久しぶりだな、と思い読んでみると、どうやら軽く心配している様子。

四月、渡墨する前、あれこれメールでやりとりしていて、旅行に行くことも伝えていた。向こうに着いて早々メールが一通着たので、これから海辺へ行ってくること、そして葉書でも送ること、を送信した。それから月日は流れて、十月。

メールの文頭、お前はまだどこかの海に居て、足は海に浸かり、頭は砂に埋まっているのか?と。文中、少し心配している感じで書かれ、そして文末、俺への葉書はどこいった?と。

葉書は、海を離れた後に訪れたクエルナバカにてイギリスへ向けて投函した。五月も半ばのことだった。

とりあえず、急いで返事を書き、無事に日本に帰ったことを告げた。

ところで、あの時、書いた葉書は、どこへいったのであろう。
さすがメキシコの郵便局。

今も、どこかを旅している葉書。

koji


2010年10月07日(木) 比叡山

越えて向こうへ。

朝十時、友人と修学院から出発。約二十年振りの比叡登山。十月にしては、暑いぐらいの気候が清々しい。

いくつかのルートがある中、地図を見ながら雲母坂を選択する。杖になる木を探して歩くが、すぐには見つからない。道から外れた場所でようやく手頃な折れた枝を発見する。そうこうしている内、前半でかなりの高さを一気に攻略したようだった。

後半は、わりと緩やかに登っていく。電波塔の横を抜け、ロープウェイの下を通り過ぎ、数年前に訪れたことのあるスキー場後に辿り着く。あのときも秋で、秋桜畑が広がっていた。しかし、今はその面影もない。

頂上付近に近づくにつれ、ロープウェイの駅、駐車場があったりで、突然人が多くなる。頂上は大勢の人々が入れ替わり立ち代り記念撮影しているので、早々に退散する。

そこから滋賀側へ向かうと静寂が訪れる。静かな道を下ると墓が姿を現す。木々が開けた視界の先には、琵琶湖を望む景色。眺めの良いところに墓はある、とは友人の一言。

景色の良い所で、少し遅い昼飯にする。おにぎりと味噌汁。風が薄を揺らし、何かの綿毛が舞い上がる。幻想的な景色の向こうに広がる琵琶湖。

坂本ケーブルの駅の側を抜け、紀貫之の墓へ向かう。その後、急な下り坂を進み下山。坂本の少し南の辺りに出てくる。そこから歩いて浜大津へ。電車に乗り込んで帰京。

ゴールに設定していたUrBANGUILDにてビールを飲んで終了。汗を掻いた身体にアルコールが染み渡る。

koji


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