diary of radio pollution
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秋眠も暁を覚えず。
灯りを消して、床に就く。暗闇の中の様々な記憶。
近い記憶がやって来る。横たわる身体だけを残し、別の空間へ。次々と異なるベッドと部屋が現れる。やがて遠い所へ行き着く。一昔前だ。
音楽と淡い灯りが訪れる。一時期、暗闇だと目が冴えてしまうので、そうしないと眠れなかった。
瞼を閉じ、いつも思い描く色と幾何学模様が現れる。ふわふわと浮いては落ち視野の外へ。また新しいのが現れ、それを繰り返す。眺めていると、いつしか寝ていることがある。
昔、よく現れる不快な物があった。ここに書くのも不愉快だ。それが出てきてしまったら、目を開けなければならない。そうすれば、一応は消えてなくなることになっている。思い出すだけで、歯が疼く。
未だに、うつ伏せか、仰向けか、どちらが寝付くに最適か、判断しかねる。
幼少の頃、寝る前に聞いていたNHKラジオドラマを録音したカセット。物語は銀河鉄道の夜だったが、その後に中途半端に録音された次の番組の物語が気になり続けて、数十年。モグラとか、そんな話だったような気がする。
koji
悴む指先に秋。
予報通りの突然の気候変化を、湯に浸した手に思う。この急速な移り変わりは身体によくはない。風邪をこじらせないよう、気遣わなければならない。
外出時、久しぶりの上着。この時期の軽い服装は、身軽であるので心地よい。四季のあるこの国において、この短い期間にしかできないコーディネイトは好きだ。木枯らし吹くまで楽しみたい。
koji
長かった夏。
随分と暑さに苦しめられた今年の夏。ようやく朝夕の気温は落ち着き始め、彼岸で辻褄を合わせたように秋に突入するらしいニュース。
ニュースを読んでいると、昨今、根幹を揺るがすような事が多いように感じる。新たな時代に対する過去の事物の変化は、一抹の淋しさもあるが受け入れていかねばならないであろう。しかし、そのような範疇を超えた脅威に恐ろしさを感じる。
国内外、崖っぷちまでもうすぐなのか、すでに足元には暗い闇が広がっているのか。石はすでに坂道を転がり、いや落下し始め、まだまだ落ちて苦しめられるのであろうか。斜陽、極東の島国。
そして、中秋の名月を覆う暗雲。
koji
涼しい夜。
メヒコ・オルメカ文明展を見に博物館へ。二度の渡墨では、マヤに関する文明には直接触れていないので、個人的な気分の盛り上がりはなく、淡々と眺めて鑑賞した。当然だが、発掘された現地に赴き出会う、これに勝るものはない。片道数時間掛けバスを乗り継ぎ、日本人に会ったこともない人がいるような田舎の山間部の遺跡の中、独り向き合う古代の声は、遠く太平洋を越えたここまでは届かない。
久しぶりに本屋へ行き、決まった本棚の新刊を眺めて歩いていると思い掛けない本を発見する。まさかそんな物が刊行、と手に取り、さらに、新たに一冊。計二冊をレジに持って行き、約五千円。予想外に高かったが、手持ちで足りた。久方ぶりに、本屋で偶然発見、迷わず購入、高揚して帰宅、という一連の動作をした。ネット通販は便利だが・・・
読みかけの碁に関する一冊を読み終え、六十年代の米国へのページを急いで開く。やはりいつもの温かく心地よい時間が漂う。不眠症なのか、衰えることなく時間は過ぎて行く。いいや、時差で眠れないのか。
旅行中、米国で開いた小説に、その土地の香りは味わい深い気持ちを与えてくれた。古代、六十年代に比べれば便利な世の中ではあるだろうが・・・取留めない気持ちも、今の世に思う。
koji
太平洋を越えて。
久しぶりにCDを購入した。好きなミュージシャンの新譜以外だと、珍しく新しい人の音源。
基本的に好きなミュージシャンは、インディーシーンのさらにマイナーな人やバンドが多い。それでも以前なら国内で探せば在ったのだが、最近は取り扱っている店が見つからない。時代の流れで最近は洋楽とか売れないだろうし、さらにマイナーな物になると皆無だ。
仕方がないので、国外から通販で購入。いつ届くやら、気長に待つとしよう。
koji
自動車。
独り、夜間運転しているといつも思い出す人がいる。Shannon O'Donnell。あれは寒い冬のことで、彼女の車はガス欠に事故。
運転していると思わず浮かんだ独り言を、ついレコーダーに録音したくなる。あと、チョコチップ・クッキー。
夜の道路には、独りの運転手が大勢いて、彼らは、それぞれの思いを抱き、それぞれの道の上を走っている。
koji
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