diary of radio pollution
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2010年02月21日(日) 流行の

鮮度の高い感情を。

となると、世にはtwitterがありますが、まったく参加もしてないし、ましてや不定期で旧来のこんな日記なるものを継続している身としては、時にはそんなことをしてみてもよいかな、という感じで。

つい先程、弟の知り合いの方から素晴らしい物をいただきました。中身や経緯はさておき、その方とは会ったことが無く、弟を介してそれは受け渡されました。つまり、弟という一人の人間を通して、その方は、大変に貴重な物を譲ってくれたのです。もちろん、そこには弟とその方との間にある信頼関係があり今回の一件が成立しているわけですが、おそらく、好きなものが共通しているので嬉しい、というその方の純粋な気持ちの行為に、ただただ嬉しくなりました。

tricot


2010年02月12日(金) 再会

過去最高に太った。

とは書きつつも、初対面の人が見れば何とも思わない程度だと思うのは自分だけであろうか・・・先日、一番痩せていた時を知る人に会った際は、少し太ったね、と言われた程度だから、あながち間違っていないと思う。まぁ、そういうことで。

体の調子は少し良くなったものの、何だか先の見えない感は否めない。痛みを感じない楽な生活は果たしてやって来るのだろうか?確信の持てないことに金を払い続ける。どうしても、ここまで払った金額、これから払うであろう金額を考えると、あれが買えたな、とか主に物欲が頭を過ぎる。安っぽい思考との葛藤とは、我ながら呆れてくる。でも、本来そんなものか、この頭。

一日で長編小説を一気に読み終える。ここ最近では珍しく真に没頭した作品だった。なんだか様々な小説を本格的に読み出した頃の初々しい気持ちを思い出した。それと同時に悔しい思いもした。実は、自身が頭のなかでぼんやりと描いていた作品(活字作品か音楽作品かは不明)のプロットを、それは見事に目の前で緻密に組み立て完結させていた。圧倒的に、周回遅れで、突き放されてゴールされた感じ。残念だけど、嬉しくもあり、これはこれで清々しい。作者には敬意を表して、別の作品を数冊購入。

体を気遣って、運動や外出を控えていたが、さすがに引篭もり過ぎで少し肥えたので、貴重な外出の折には歩いてみることにした。但し、ゆっくりと。

過去にも、このようなゆったりとした気分の時期があった。それは、既述の、小説を読み出した頃。もちろん、その頃に比べれば、至り方も異なるし、こちらに少しの変化はあるが、今は、ひょっこりと現れたこの親友との再会を懐かしんでいる。もしかしたら、彼は、こいつ老けて少し太ったな、と思っているかもしれない。

tricot


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