2004年03月19日(金)


バスに揺られて駅へ行く。
この町には二つの駅があり、僕らはそのうちのマチュピチュ方面への列車に乗り込んだ。
マチュピチュへはこの列車でしばらく山を下らなければならない。
高山病の人には願ってもない場所だろう。
高原列車に揺られること数時間、85kmとか82km駅(終点まであと○○km)とか
適当すぎる名前の駅を通り過ぎ、終点に着きましたー!

速攻で降りてバスを見つける。
ガイドのにーちゃんのおかげで一番に貸し切りバスを予約することが出来た。
それにのって山道をぐるぐるのぼっていく。
豪華そうなホテルとレストランの脇に到着、ここから遺跡へ行くのだ。
ちなみにこのホテル、一泊5万円で、こないだディカプリオが恋人と来たらしい。
さて、マチュピチュ遺跡へレッツラゴー!!

元気なうちに、まず前景が見える上のほうに上る。
遺跡とワイナピチュが一望できます。感動です。(´Д⊂)
ちなみにワイナピチュとは若い峰という意味で北の聖山です。
となるとマチュピチュとは?はい、年老いた峰という意味で南の聖山です。
北、南とくれば当然西、東もありますね。
このマチュピチュ遺跡は、東西南北の聖山にかこまれた聖なる土地なのです。
以上のことから、マチュピチュ遺跡は別にマチュピチュっつー山にあるわけでは
ないことがわかりますね。ええそうなんです、マチュピチュは南にあるんですわ。
ここは、四方の山と、下に流れるウルバンバ川に守られている、そんな遺跡です。
ホント、感動です。(´Д⊂)

それから僕らは北側の入り口を見学しました。
それから自由時間になり、僕は南側も探検し、最後には迷子になって
昼飯も満足に食えなくなるくらいの時刻にようやく出口発見しました。
おなかが空くまま帰路につく。
いやちょっとくらいは食べましたけどね。

列車に揺られてクスコへ戻ると、もうだいぶ真っ暗になっていた。
そうやって一日でマチュピチュまで行ったわけだけど、やっぱり物足りない。
もっともっといっぱい見たかった。
マチュピチュに行く途中だって色んな遺跡があるはずだし。
時間がないってやだよねー…。
でもね、奴隷決めたんだ。
今度は4日間かけてインカ道を歩くと。
昔は危険だったけど、今は簡素な宿泊施設とか出来てだいぶいい環境で歩けるらしい。
何日かけたってかまわない。
マチュピチュを歩いて遺跡までたどり着く。
絶対行くぞ。
奴隷はそう硬く決意しました。



2004年03月18日(木)


朝は3:30起床、今日はクスコへ向かう。
この地方では、お昼過ぎになると乱気流が発生する。
また、クスコは霧がかかりやすい。
そういった理由のためクスコへの飛行機は午前中に終わってしまうのだ。

案の定待たされること数時間、ようやく9時ごろになって出発。
一時間後クスコ着。
空は快晴!
リマにいたときガイドのおばちゃんは、高山病について実にネガティブなことばかり
(2,3日はシャワーは我慢のつもりで! 飛行機から一歩降りると途端にかかる!)
だったが、クスコのガイドのにーちゃん(職業フォトグラファー)のいうことは、
「大体疲れから来てるだけで、3割もかかる人なんていません」と断言していた。
実際そうだった。
おまけに治らなかった肩こりもずいぶん楽になった。

ホテルについてコカ茶を飲む。
コカ茶は高山病によく効くお茶で、現地の人が好んで飲むものである。
材料はコカの葉、つまりはコカインの素となる葉っぱなのでお土産には出来ない。
尤もコカイン作れるほどの量と全然違うんだけど、国外持ち込みは禁止なんだと。
でそのお味はというと、イナゴの味がした。

さて、クスコの町の中心となるアルマス広場に出かける。
広場は人がいっぱい。
お昼時には飯を食いに帰宅する学生たちもいる。
チェックのスカートの制服を着た子やジャージ姿で下校する子もいて、微笑ましい。

それから12角の石を見た。
これ奥行きどうなってんだ?奥行きまで12角に合わせて作ったのがすごくね?
それから聖堂を見た。
スペインの文化とインカの技術が雑じっていて、スペインが邪魔だった。
それから農民の家を見た。
テンジクネズミが可愛かった。
夕飯はバイキング。
パンはうまいのに他は…。やはりバイキングはよろしくないよ。
デザートは相変わらず甘ったるそうなケーキばかり。
それを数個も皿にのっけていくデブな欧米人(おっさんばっか)がすごいと思った。
夕食後はホテルに戻って休むはずだったが、僕らは元気いっぱいだったので
もう9時過ぎで閉まりかけだったお土産屋さんの通りを歩いていた。
4ドルで、変な小さいトーテムポールみたいの楽器を買った。
他のメンツはおじさんおばさんが多かったので休む人ばかりでつまらない。
高山病?コカ茶?ハッ。ていうこのスタンス。
どうやらこのクスコという高山地帯、僕にはとても体に合うらしい。

ところで、どこでもそうだが日本人は有名である。
こんな日本とまったく反対側の地でも、日本のことを知らない人はいない。
当然物乞いもいる。
目が死んでいる。
たぶん世界中の物乞いが、そう。
リマのガイドのおばちゃんは言っていた。
「貧乏でかわいそうってわけでもない。日本の子供と目の輝きが全然違う」。
気のせい。





2004年03月17日(水)


肩こりの痛みをおして起床。
朝食は簡単なものだったが美味しく普通に食えたので感動。
だってバイキングじゃないんだよ!
これからの食事に期待。

パチャカマック遺跡へ。
砂漠だー。
ここで初めてインカ犬(ペルー犬)を見る。
体温が非常に高いため、生まれながらに毛が無い犬だ。
ぶっちゃけ不気味だった。

元ペルー大使館邸。バスで通りかかっただけ。
たいしたもんでもなかった。っていうか土地がもったいない。

昼食はOpenCafeみたいなところでみんなで長テーブルに着席、ちょっと恥ずかしい。
こういう観光客を見るたびに、僕らは普通のテーブルでよかったと思っていた。
サラダのあとのメインディッシュは、なんとチキンの丸焼き1クォーター+ポテト。
大量すぎる。さすがに残す。
このチキンの丸焼きは、金持ちも貧乏人もみんなが大好物らしい。
デザートはアイスクリーム、けど甘すぎて食えなかった。
甘いという理由で食えなくなるほどの甘さ、僕は今まで知らない。
とりあえず、アメリカ大陸に来たら「甘いもの好き♪」とは絶対言わないぞ。

愛の公園。
「愛し合うのは若い人たちだけでも金持ちの人たちだけでもない。
貧乏人だって年老いた人だって愛し合ったっていいじゃないか。」
という主張がこもった愛し合う男女の巨大な像のある公園。
だからペルーの人口増えてくんじゃねぇの。

黄金博物館。
個人(大農家)のコレクション。
黄金はもちろんのこと、ミイラ数体、世界各国の拳銃や軍服、日本の甲冑や刀まである。
このオーナーは、こうして自分のコレクションを博物館にしたのだが、
あまりに泥棒が入るので、もう撮影禁止は絶対。
カメラを見ただけで追い出して、その人を案内したガイドも二度と入れない。
でもオーナーも今はもう亡くなって、息子さんが管理してるんだと。
だから以前より粗雑な展示になっちゃってるらしい。
もったいないねえ。

マジョール広場。
大きな教会があったのでミサに途中参加した。
でも何言ってるのかわかんないので途中退席した。

土産物屋で少し物色。そのあとホテルで夕食。

ところで、ペルーの人口は2714万8000人で、リマの人口は774万人といわれているが、
実はそれに+αの人口がある。
それは不法居住者たち。
砂山の斜面にはおんぼろの家々がたくさん集まっている。
遺跡にまで入り込んでくるので、見張りがいないと大変なんだそうだ。
(「うずまき」のラスト辺りを彷彿とさせたのは僕だけ?)
でもそういたところには水道も下水道も通っておらず、水は買わねばならない。
フジモリはそこに目をつけ、「下水道を通す」「不法居住から登録へ」などという
公約でもって選挙に勝ったらしい。
不法居住者らは貧乏だがとても大家族。
近隣ともつながりを持ち、選挙に際して使えるので、そう邪険にも出来ない存在だ。
公約を守ってくれたフジモリに対し、好感を持つ不法居住者たちも結構いるんだと。




2004年03月16日(火)


2〜3時間の睡眠を経て再試へ臨む。
前期でも後期でも無かった問いに驚きを隠せなかったが、
プリントにあった事項だったのでなんとか半分くらいは書く。
70分といわず30分で早々に席を立ち、
スーツケースをチャリのかごの上に乗せ、どうにかバランスをとりながら駅へ。
30分で終わらせてよかった。予定より早いから新幹線に乗らなくてもよさそうだ。
草津4号の特急に乗車、特急料金はもちろん徴収だが、そこはスイカの見せ所、
大宮あたりで徴収員が来たので「本庄から乗りました」といって料金をごまかす。
上野着、京成上野へ歩き、スカイライナーに乗車、成田には集合28分前に着いた。

受付を済ませてからだらだらし、17:00搭乗。
デューティーフリーにてご主人への土産マルボロのカートンはすでに購入済みだ。
飛行機会社はJALだった。
ここで驚くべき光景を目にする。

エコノミーにモニタが付いている!!

ちょっと前までビジネスクラスのみのサービスだったのが、エコノミーにも登場!!
1年程度でここまで進化したかー!!
感動のあまり、飛び立つ前から麻雀に熱中。
飛んでからもあらゆるゲームに手を出し、ソリティア、オセロ、碁、上海、
ブロック崩し、
JALオリジナルゲームなどもしてみたが、結局麻雀に落ち着いた。
途中から「半落ち」を見て樹木希林の演技にうるうる。
で、そんなモニタばっか見てるから疲れてきて、でもロスまではまだ8時間かー
とか思うとますます疲れてきて、座ってるのでろくに眠ることも出来ず、ロス着。

おお、昨日の12:30ごろに若返ったぜ。
もちろん機内で昼飯は2度ほど食った。だいぶ気持ちわりー。

乗り換えのために一旦出て、また荷物を預けて搭乗手続きをする。面倒くせー。
しかもケースのカギは開けとかなければならない。なんかやな感じ。
それからリマ行きのチケットを取るためにカウンターに行ったのだが、
いつまで経ってもくっちゃべってて席を取ってくれない。
しまいにはその受付の男、同僚の女の子をナンパしだす。
チーフっぽい男がいたときはちゃんと仕事してたのに、なんだそりゃ。
搭乗時刻になってしまい、添乗員さんが訴えてようやくチケットをくれた。
チケットを手渡す債には「おまっとさーんありがとございましたーさよならー」だ。
Too late !!
それから手荷物チェックの行列に並ぶ。
なんとロスでは履いてる靴まで脱がねばならない。それが普通らしいけど。
んでようやくリマ行きに搭乗。
こちらもモニタが付いてたが、ゲームはつまんねーし映画は字幕ないし、やることない。
着いたのは夜中の1:00過ぎ。時差は14時間だから日本はもう昼過ぎか?
疲れますた。



2004年03月09日(火)


明日は10日。
何の日か。

再試申込締切の日である。

成績表まだ届いてねーじゃん!!

成績表が届いていないイコール再試予定もわからない。
卒業できるか否かさえもわからない。
こんなに待ってたんだ。もう教務課へ行こう。そして訴えよう。
僕はそう決めて、夕方になってから教務課へ行き現状を訴えた。

教務課員は、送り返されてきた成績表を調べてみても、やはり無いと言う。
発送状況を調べてみても、4日にはすでに発送しているという。
では、卒業できるかどうかだけでも教えてくださいと、僕は食い下がる。
教務課員は、その旨を承って調べてみる。
そして待たされた挙句、一言。

「こちらではわかりかねます。また明日来てください」

聞き返しましたね。

「…え…?明日ですか…?明日締め切りですよね?明日まで待つんですか?」

「はい、そうしてください」

「卒業できるかどうかもわからないと…?」

「はい、明日まだ届いてなかったらそのとき」

「…(絶句)」

追い出された。
そして僕は悟った。
ああもう僕は卒業できないんだなと。
こんな事務員の下で管理されてたら、そりゃ単位の問題なく落ちるわなと。
僕の目には涙がたまっていった。
卒業がかかっている本人が直接来て学生証を提示して、シカト。
明日成績表が届かなくて、もし単位が落ちていたら…。
あんまりだ。



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