BENJAMIN TREE
kouya



 なんとなく

落ち着いてきたなと、言う感じなんだけれど、夕方になると
「あ、ばばちゃんの様子見に行かなきゃ」
って思うようになった。
なんで夕方かって言うと、大抵仕事の後お見舞いに行ってたから夕方になるわけで。
日によっては6時ごろ行って、8時過ぎまで帰してくれなかったなぁ、なんて思い出す。

あのうちにいけば、「どうした?」なんて言って、だるそうに迎えてくれそうな気がする。

2003年11月25日(火)



 行ってきました、結婚式

今日は従妹のねーちゃんの結婚式に行ってきた。
正直な感想、良かった。
兄貴の結婚式のときはひたすらたいくつだったのにな。

まず、式は人前式だった。
だから、胡散臭い神父はいなかったし、聖歌を強要されることはなかった。
ふたりの誓いの言葉は、率直な言葉で等身大の二人の言葉って感じだった。
披露宴の料理、うまかった♪
式と披露宴の司会をしてくれたのがねーちゃんの高校時代の同級生らしいんだけど、文化放送のアナウンサーさんなんだって。
鈴木さんていうんだけど、鈴木さんにんいをお礼していいか二人で考えたんだって。
それがブーケ。
そういえば、式の後投げなかったなぁって思い出して、そういうプレゼントっていいなぁって思った。
大事な友達なんだなぁって。
二名の祝辞のあと、できるだけ多くの人から祝辞を欲しいっていう二人の希望で、何もしらされず司会の鈴木さんにいきなり指名された三名から祝辞。
いきなりでも喋れるもんだね。
こういうの、楽しい。
で、新郎新婦がお色直しに行くわけだけど、なんと、新婦のドレスの色あてクイズ。
ヒントは意外な色。
答えは茶とベージュのドレスだったんだけど、「ベージュor茶」って書いたオレが見事ぴたり賞いただきました。
これは今回の結婚式を楽しみにしてて、でも出席できなかったおかんにお土産。
帰っておかんに開けてもらったら、ヘチマたわしとかブラシとかのお手入れセットだった。
最後にお決まりの両親への花束贈呈なんだけど、その前に新婦の妹(従妹)夫妻のクラリネット&サックス演奏があったんだけど、すごく上手なのね。
どうやら、セミプロさんらしい。
すごくあったかい感じの披露宴だったよ。
幸い、朝薬を飲んで、東京に着く頃に飲み足したら、眠くはなったけど具合悪くなることはなくてよかった。


追記

初めての付け爪をつかってみたんだけど、これって外すのにリムーバーが要るのね。汗
明日買ってこなきゃ外せないよ。
明日が仕事じゃなくてよかった。苦笑

2003年11月22日(土)



 結婚式に

従妹の結婚式に、両親の代わりにオレと弟で行ってくることになった。
用意が出来てなくて、今日、夕方におかんと買い物にいって、スーツと靴、バックを買ってきた。
計4万円ちょっと。
オレって、意外と安上がりかも。

式は土曜なんだけど、場所はお台場らしい。
無事に行って帰れるのかものすごく不安である。
今から薬ケースの中身が心配で、一日に何度も開けて確認してしまう。
とにかく心配で、始めの頃に処方されていた、今は飲んでいない薬まで入れては出したりしてる。


2003年11月20日(木)



 動悸

仕事をしているとホッとする。
きっと、自分に「価値」があると思えるから。

忙しいと安心する。
きっと、余計なことを考えずに済むから。

でも、そういう時ほど動悸がするのは何でだろう。
どうして苦しくなるんだろう。

9月から行かないでいた精神科の診察を、やっと受ける気になったのはそのせいだ。
ん?そのおかげだ、というべきだろうか。
今までの飲み残しの薬を、その時々に応じて飲み分けて繋いできたけれど、さすがにしんどくなってきた、というのが本音だ。
けれど、仕事や祝日の振り替えなどのせいで来月の予約になってしまった。
まだしばらくは耐えなければ。

鬱は良くなった。
・・・と書くと語弊があるけれど、気持ちの浮き沈みや抑鬱状態は改善されてる。
けれど、動悸といった身体症状は残っている。
だから、まだ診察は受けなければいけないとは思うんだけれど、気が進まない。

もう自分は大丈夫。

そう思いたいだけなのかもしれないけれど、
手元に薬がある。
だからこそ安心だという気持ちがある。

結局は頼っているのに。

2003年11月18日(火)



 明日は仕事

ここのところ病院に詰めていたり、葬儀やなんかでばたばたしていたし、葬儀が済んでからはばばちゃんちの整理があったりで、なんか忙しかったなぁ。

今日は久々に親父とゆっくり話する時間があったんだ。
ばばちゃんが亡くなった日の主治医の話で、剖検(ご遺体解剖)のことを「一応みなさんに聞いているのだけれども」という前置きのもと、どうするか聞かれたとき、おとうもおかんもどう答えていいか分からなかったんだろうな。
答えられずにいたんだけど、オレがでしゃばったらいけないかな、と思いながらオレが答えちゃったんだよね。
「やらないで欲しい」って。
ばばちゃん、癌の原発は大腸なんだけど、今まで6年の間に何度も再発繰り返してて、肺に副腎に肝臓にって何度も手術しててさ、
「もう手術はしたくない」って、何度も言ってたんだ。
オレはそれを聞いてるから、死んでまで体を開けられるのは忍びないって思って
「生前『もう手術はしたくない』と言っていたので、これ以上体を開かないでください」
って、言わせてもらった。
それで良かったって思ってる。
遺言を残せずに逝ったばばちゃんだからこそ、望んでいたことは叶えてあげたいし。
親父には今日、それを感謝された。
親父としては、ただ感情的に嫌だったらしくて、でも、それをどう表現していいか分からなかったらしいんだ。


実は今月後半からの勤務が分からなくて、「もしかして今日は仕事か?」と思いながら朝一でクリニックに電話したんだ。
で、今週の勤務を確認したら火曜・木曜・金曜とのこと。
だから、明日からはまたいつも通りの生活に戻るんだよね。
明日は診察の方かな。リハビリの方かな。
診察の方がいいな、なんて密かに思ってたりする。
どちらかといえば診察の方が忙しいから、集中していられるだろうし。
・・・大好きな採血もあるしね(ぉぃ


2003年11月17日(月)



 

ばばちゃんは月になった。

戒名
「照月妙恵大姉」

今日は、月が見えない。

2003年11月15日(土)



 ばばちゃん11・「最期」



12日、仕事を終えて病院に行く。
午後6時すぎ。
オーバーテーブルに夕食がおいてあったけれど、おかんはいない。
ちょうど入れ違いで家に帰っていたらしい。
ばばちゃんは痰がからんで苦しそうに息をしている。
ほとんど肩で息をしている状態なのだけど、どうしても苦しくて嫌だということで吸引はしないでいた。
更「おばあちゃん、具合は?」
ば「悪い」
更「ご飯食べられそう?」
ば「いらない。下げていいよ」
更「あいよ。」

ベッドサイドに腰掛けて、手をにぎって話をする。
他愛もない話。
昨日はこんなに悪くなかったのにな、と思いながら。
一緒に行った弟は、ばばちゃんの状態の悪さに圧倒されて壁に寄りかかって無言でいる。
話しかけなきゃ口を開かない。
弟に話を振りながらばばちゃんに話しかける。
この様子じゃ今月いっぱいはもたないなぁ。。。
そんな風に思いながら。

7時半頃おかんが来て交替する。
更「明日は(仕事)半日だし、今夜オレが付き添う?」
おかん「だったら明日お願い。今日はいいよ」
更「りょーかい」

家に帰るとおとうが台所に立ってて、でもここのところ片付けをしてなかったから洗い物が山になってて怒られた。
とりあえず粗い物して、鶏肉の唐揚げを作って夕食を食べ終えたのが9時半過ぎ。
さすがに疲れた。
で、一番風呂いただき。
湯船に使って一息ついたところでおとうの声が聞こえた。

おとう「病院行くぞ」

酒を飲んだおとうの代わりに弟の運転で病院に急ぐ。
病室のドアを開けるとばばちゃんが寝てた。
「なんだ、落ち着いてるみたいじゃん」と言いかけておかんの真っ赤な目に気付いた。
一瞬、意味が分からなかった。
慌ててばばちゃんに視線をもどすと穏やかに、息を引き取っていた。
22時07分。享年71歳。
結局、最後の最後には間に合わなかった。
あんなに泣くおかんの姿、初めて見た。

主治医の説明の後、エンジェルケア(死後の処置)を一緒にさせてもらった。
初めてのエンジェルケアが身内だなんて、なんか皮肉な気がした。
でも、いままで苦しんでたばばちゃんの身体を、きれいしにて送り出してあげたかった。
泣きながらだったから、かえって看護婦さんの邪魔しちゃったかもしれないけれど。

葬儀社の車にナビとして乗り、ばばちゃんと一緒にばばちゃんの家に帰った。
布団を敷いてばばちゃんを休ませ、オレらもばばちゃんちに泊まった。


◆ばばちゃん12・「お通夜。葬儀」


ばばちゃんちは建物が古いせいもあり、寒かった。
コタツで足を温めながら寝たくらい。
おとうは寒くて寝付けず、折を見ては線香をあげていた。

朝8時。
クリニックに電話して事情を話しお休みをもらう。
この日は一日パシリで買い物に飛び回っていた。
お寺さんの都合でお通夜は8時からになる。
無事入棺を済ませ、通夜振る舞いでもいろいろと走り回る。
この日はおとうの弟さん一家も泊まるため、オレはうちに帰って寝た。

今朝は5時半に起こされる。
着物の着付けを近所の美容師さんに頼んだおかんが着物をとりに戻った時に、うまく玄関の鍵が開かなかったから。
で、寝なおして6時半に起きなければいけないのを寝過ごす。
7時におとうから電話を受け慌てて着替える。
この朝は本当に寒かった。
霜が下りていて、庭の木が真っ白だった。

9時。
真っ白に霜の降りた朝、ばばちゃんは旅立った。


灰寄席での葬儀委員長M沢さんの挨拶。
(葬儀委員長はばばちゃんちのお向かいさん。)
ばばちゃんは、外泊でうちに来ていた間、一度着替えを取りに、とばばちゃんちに戻っていたことがあった。
3時間くらい、ばばちゃんを一人にしたときだと思うけれど、M沢さんに挨拶にいっていたらしい。
「今までありがとう。もうここに帰ってくることはないと思うから」
・・・と。
オレたちの前では一度もそんな素振り見せたことなかったのに。
弱気な姿、見せたことなかったのに。
病気のこと、予後のこと、ばばちゃんには話さなかったけど、ばばちゃんの体のことはばばちゃんが一番よく分かってたんだなぁ。
ばばちゃんが亡くなって主治医の説明を受けたとき、少し泣いた。
でも、この二日自分でも驚くくらい落ち着いていた。
でも、それは忙しくて考える暇がなかったのかもしれない。
M沢さんのその話を聞いて、二日分泣けた。

明日から、ばばちゃんの家は借家だから整理で忙しくなる。
また、泣いていられない日が続きそうだ。



2003年11月14日(金)



 訃報


ばばちゃん。。。


2003年11月12日 22時07分 永眠

享年71歳



2003年11月12日(水)



 ばばちゃん・10

今日は昼頃から7時半まで付き添う。
2時過ぎ頃から傾眠傾向。
3時ごろから呼びかけに反応しなくなる。
でも、ふと目を覚まして会話して、また眠ってしまう。の繰り返し。
具合が悪いんだろうな、っていう感じ。

そばにいて不安が強くなる。

一人が寂しいということで、おかんと交替。
おかんは夜中くらいまで付き添うとのこと。
明日は仕事。
集中しなきゃ。自分を叱咤激励。

2003年11月11日(火)



 HP復活

今日は車の都合で未だ病院には行けず。
こういうとき、自分の車がないのは痛い。

というわけで(ぉぃ、HP復活させました。
・・・全然せつめいになってないけれども。

先月ムンテラ聞いて、ばばちゃんの介護に専念するために閉鎖したHPだけど、なくしたらすごいストレス。
日記だけは書いてたけど、やっぱり自分の中にこもっちゃうのを感じた。
不健全だなぁって感じだったのでやっぱりHPを持とうということで。
実際、オレ友達少ないし、吐き出せる場所がないんだよね。
親だっていっぱいいっぱいなのに、オレがいろいろ愚痴ってるわけにもいかないし。

そんなわけで、当面のところ重かったり暗かったりするけれど、嫌な人は近づかないでね、ということで報告終わり。

2003年11月10日(月)



 ばばちゃん・9

午前中、病院から呼び出しがあったらしい。
オレは寝てたから知らないんだけど。汗
どうも、個室になってしまったら一人でいるのが寂しいらしい。
誰かがいれば安心する、そんな感じなのかな。
確かに、あの部屋は場所が悪い。
北側だというのもあって薄暗いし、廊下の音が筒抜け。
足音やガチャガチャした音だけ聞こえるのは不安を煽る。
うちにいるときにもそういう節はあったっけかな。
「おばあちゃんの部屋」に布団がしいてあっても、居間に毛布を持ってきて横になってた。
多分、激しい痛みは薬で緩和されていても、「だるさ」はどうにもならないってことだったんじゃないかな。
目に見える症状はなくても肝機能が著しく下がっていたわけだし、どうにもならないだるさや、徐々に体の自由がきかなくなっていくことはものすごい不安だと思う。

ばばちゃんはきっと寂しいんじゃないかな。
仕事が休みの日は、オレが付き添うことにした。

2003年11月09日(日)



 ばばちゃん・8

昨夜、肝性脳症のため意識不明の状態に陥ったらしい。
今日の午後、やっと呼びかけに応じるようになり、夕方過ぎには話ができるようになったとのこと。
病院からの連絡はなく(本人が要らないと言ったらしい)、夜面会に行って初めて知った。
主治医が不在だったが、チームの医師がいたため、説明を受けた。
すでに肝臓は転移病巣でひどい状態であることはきていたが、いよいよ目に見える症状が出てきたということだ。
おかんもおとうも気付かなかったようだけれど眼球に黄疸が出ていた。
これから更に肝機能の低下が進めば、今日のように治療に対する成果はあがらなくなっていくだろう。
軽い肺炎、心不全状態も併発しているようだが、直接命に関わるのはやはり肝不全だろうということが予測されている。
今まで、先週末うちに来ていたときには、まだ元気そうに見えていた。
けれど、それは症状が見て取れるほど進んでいなかったに過ぎない。
こうして見て取れる症状が出るほどになれば、あとは見る間に悪化していくことが考えられる。

今後苦痛緩和については積極的に治療していくが、蘇生などは行わず、穏やかに看取る方向で治療をしていくそうだ。
もう、見守るしかないのかな。。。

2003年11月08日(土)



 ばばちゃん・7

昨日の朝、「脱腸かもしれない」とばばちゃんが青い顔してた。
さすがに陰部のことでみせてはくれなかったけれど、とにかく病院へ行くということでおかんに任せてオレは仕事へ。

夕方話を聞いたら「塩分の摂りすぎ」と言われたらしい。

「?」

訳分からん。

塩分の摂りすぎで陰部に浮腫が起きたってことか?
・・・分からん。
でもまぁ、もし脱腸おこしてたとしたら体力的に手術という方向になるかどうかは疑問なわけで、外科的な処置が必要でないならそれに越したことはないわけで。
とりあえず利尿剤が再開になったし、早く改善されることを期待するのみである。

今日は千葉から叔母さんといとこがばばちゃんに面会に来てた。
ばばちゃんからすると次男の嫁と孫。
二時間くらい話してた。
駅〜病院〜駅の送り迎えをして、ミルクティーおごってもらいましたとさ。
・・・実はおいしくなくってちょっとがっかり。
時間があればもっとおいしい喫茶店に行ったんだけど、新幹線の時間もあったから駅にある喫茶店に入ったのでした。

あそこのミルクティーはもう飲まないぞ

2003年11月07日(金)



 ばばちゃん・6

今日は出かけていて夜、10時過ぎに帰ったから知らなかったけど、4時ごろ、塩モヒを飲んだらしい。
で、今(夜11時)塩モヒ追加。
何か、無理して起きてたせいだとは言っているけれど、どんな様子だったのか分からなくて心配だ。

2003年11月03日(月)



 ばばちゃん・5

ホントは、明日までってことで外泊の許可を取ったんだけど、具合もいいし先生も調子良ければまだ外泊してていいって言ってくれてたので、期間延長することになった。
あとは病棟に電話して薬だけ処方してもらえれば大丈夫。
うちにいれば結構ご飯も食べてるし、顔色も悪くないし、目の届くところにいてくれるわけだから安心できる。


◆ばばちゃん5.5(ホントのこと)


ばばちゃんは主治医から余命わずかと言われていることを知らない。

ばばちゃんは、あと5年先のことを話している。

どれだけ生きられるかは、ばばちゃん自身がどれだけ生きようとするかで違ってくるのだろうけど、ホントのことは教えないでおくべきなのだろうか。
告知について、いつも頭の隅にひっかかっている。
誰のための告知なのだろうか。
両親は、知らない方が幸せ、と隠すことを決め込んでいる。
それでいいのか、と思う。
その反面、例えば教えた方がいいのだとしたらその確固たる理由を、オレは言えない。

ばばちゃん。
あなたの肝臓は癌に侵されてめちゃめちゃです。
その肝臓がどれだけ耐えてくれるのか。。。
オレには祈るしかできません。



2003年11月02日(日)



 ばばちゃん・4

ばばちゃんがうちに来て二日。

うちには、家を建てた当時(17年前)から通称「おばあちゃんの部屋」という部屋があった。
けれど、ばばちゃんは独居を決め込んでいくら誘ってもうちに来てはくれなかった。
それが、やっときてくれたと思えばそのころには死期を宣告された後。。。
あとどれだけ、この部屋にばばちゃんがいてくれるだろうか。
どうしても悪い方へ考えてしまうけれど、「この調子ならまだまだ大丈夫だな」
というばばちゃんと一緒に笑いながら、笑顔がぎこちなくはないか心配している自分がいる。
疲れて寝ているばばちゃんを夕飯だと起こしに行ったとき、声を掛けてもなかなか目を覚まさないと呼吸を忘れそうになる。

ムンテラを聞いたことを後悔してしまう。

今日は、頓服の塩モヒを飲んだ。

2003年11月01日(土)
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