月のシズク
mamico



 あたかも、春の夜のように

雨が降る前だからだろうか。
空気がとてもなまぬるく、まるで桜の咲く夜みたいだ。

コートのボタンをひとつ外して、自転車に乗った。
風がぜんぜん冷たくない。ちょっと湿気をおびて、ぬるいかんじ。
どこに隠れていたのか、近所の猫たちもちらほら姿を現す。
まだ冬毛で全身がボンボンにふくれているけれど、
気持ちよさそうに毛繕いしている。

夜の闇に咲く、白い桜の木を想像する。
そう思っただけで、私の心はわずかに狂い出す。





2001年02月28日(水)



 遠い花火

今月で部長さんが退職(転職?)するので恵比寿で送別会があった。
会社を出る直前に左目のコンタクトを落としてしまって一騒動あり、
すっかり遅れての開始となりました。結局コンタクトは出てこなかったけれど、
這いつくばって探してくれたみなさんありがとう。
保証期間だったので5000円で再購入できるそうです。お騒がせしました。

で、恵比寿のガーデンタワー38Fに場所を取ってあったのですが、さすがですね。
一面、ばばーんとガラス張り。そして絶好の夜景スポット。
同じフロアのお店には、昼間ランチを食べに何度か足を運んだことは
あったのですが、夜景は素敵です。窓際に座らせてもらったら、
バカみたいに外ばかり見ていました。東京タワーも近くだし。

それで、発見してしまったのです。
遠く、遠くに上がる色とりどりの花火を。
方向から推測して、午後8時半に365日花火を上げ続ける場所といえば、
そうTDL(千葉弁でいう「でず」)さすがにちっこいし、火薬の音も聞こえない
んですけど(あたりまえや)遠くに上がる花火も可憐で見とれてしまいました。
「今頃、ミッキーが踊っているんだろうね」なんて言いながら。

台場パレットタウンの観覧車も、羽田空港も見えて、ゴージャスな夜だこと。
それにしても、なんで東京タワーと富士山を見たら拝んでしまうんだろ。
単に高いものが好きなだけなんでしょうかね。



2001年02月27日(火)



 思い込み

日頃、私は自分のことを、まぁニュートラルでフレキシブルな人間だと
思っている。(多少の語弊はお許しください)
でも「方向」のことに関しては、マグナム級の思い込みの激しさである。
そう、私は自他共に認める方向音痴。

午後、錦糸町の墨田トリフォニーホールでの演奏会に向かった。
吉祥寺で380円の切符を買い、お茶の水で黄色い総武線に乗り換えて
「次は錦糸町」という電光掲示の案内も確認した(つもりだ)。
駅に降りて改札を通ろうとすると、ガッシャンと自動改札の扉に行く手を阻まれる。
「ん!?」と見ると「乗り越し精算をしてください」のメッセージが見える。
あれぇ〜、確かに「錦糸町=380円」の掲示を確認したのになぁ、
おっかしいなぁ(ぶつぶつ)と思いながら自動精算機に切符を差し込み、
超過料金70円を投入する。

改札を出て、チラシの裏の地図を見ながら会場をめざす。
なんとなく私が知っている錦糸町と違う。「そごうがあったはずだけど、
ありゃ倒産したからなくなったのかな」とムリヤリ自分を納得させようとするも、
横断歩道を渡る寸前で一抹の不安に襲われ、そのへんのおねえちゃんに
おそるおそる「あのぅ〜」と声をかける。

「ああ、トリフォニーならあっちの道をずぅぅーと線路沿いに歩いてください。
あ、でも一駅乗った方が早いですよ」
と言われ、はたと気づく。JRの駅をはるかに、もう一度みやると「亀戸」の文字。
うっそだろーーー、と心の中で叫びながら「ああ、ありがとうございました」
と踵を返す。おいおい、自動改札でひっかかった時点で気付けよ、と思うが、
私の方向音痴にまつわる激しい思い込みについて思い出す。

・・・ホームを駆け抜けて、錦糸町で飛び降りて、走りましたさ。
間に合ってよかったけれど、私の思い込みって!?反省しろや。>自分



2001年02月25日(日)



 麻布十番の男

午後、チェロを弾いていると電話が鳴った。
両膝に楽器をひっかけたまま受話器を取ると、耳に懐かしい声がする。
「よう、ひさしぶり。今、東京やねん」

高校の同級生で年に数回しか会わない男トモダチ。
あのころは特に仲が良かったという記憶はないが、ひょんな機会で
一緒にアメリカへ行ったりした。奴は京都の大学へ、私は東京へ来て以来、
不定期ながらも連絡を取ったり食事をしたりする仲だ。

この7年の間に、奴の人間的な器は深く広くなった。
使う言葉も立ち振る舞いも、すべてにおいて。

「部屋、探しにきたんや。来月の中旬くらいに引っ越しや。」
そう、大学院を修了して4月からは東京で今をトキメく外資系の大手金融企業に
勤務する。完璧な英語を喋り、明晰な言葉で語り、説得力のある論文を
書き上げてきた男だ。奴のような優秀な人間は、企業側も引く手あまたで
各界からお声がかかっていたそうだ。それでも、奴はとても冷静に自己と
将来を考え、的確な判断を下した。見事なまでに。

「で、どこに住むの?」
「麻布十番や。東京タワーが見える部屋やで」
私は大爆笑した。おいおい、成金野郎にも程があるじゃないか。
さらっと、嫌味なんてこれっぽっちも感じさせないで、
奴は超東京的な土地に住むことを告げる。

「なんか、どんどん君がギャグみたいになっていくわ」
そう言うと、すこし間をおいて「せやな」と笑いながら奴は言った。



2001年02月24日(土)



 春のひだまりの中で

2月というのに、驚くほどあたたかな朝だった。
ちょうど桜が咲き始める頃の空気だ。ふわりとなまぬるい日差し。

あまりに気持ちがいいので、会社の裏手にある公園でお昼を食べた。
コンビニで「三色そぼろ弁当」とペットボトルのお茶、それといちごの
アイスクリームを買って。遊んでいる子供を見たことのない、
長細い公園のへらべったい滑り台に座って足を投げ出す。
春の粒子が薄い皮のジャケットにまとわりついてくる。

「このまま脱走したいね」と何度も言い合いながら、
私たちは春のひだまりにとろとろと心を溶かした。




2001年02月22日(木)



 感応する人々

さっき入浴中に『コンセント』完読。

私の読書時間は、帰りの電車の中と入浴中のみ。
朝の電車はもっぱら、不足した睡眠を補うためにあてられる。
昨日の帰りに読み始めたから、二日間、トータル時間にして3時間弱くらいだろう。
文章をいちいち最初から最後まで舐めるように読むと時間がかかるので、
漢字を拾っていくのが私の速読術だ。

最初は「狙っている」書き口に少し抵抗を感じていたが、
そのうちするすると言葉が私の中に入ってきた。

すっかり忘れていたことだが、「コンセント」という単語で私は「プラグ」を
イメージしていた。そう、コンセントは壁にあるプラグの差し込み口のことだ。
電力供給するための出口、そして入り口。私たちの記憶は、世界のどこかにある
ホストにデータとして蓄積されていて、人は無意識のうちにそこにアクセスして、
データを言語化、視覚化、音声化しているのではないか、という問いかけがあった。

つまり集合的な記憶によって、人々は生きているということ。
(だと理解したのだけれど)

だから誰かが誰かに「感応する」のは、とても自然であり重要なことなのだ。
感応しすぎて、自己の境界線が崩れるのも問題だけれど、頑なに自我を
閉じこめるのも危険。すべてがガヤガヤと騒々しい世の中で、感応する対象に
チャンネリングするのは難しい。

いづれにせよ、生きにくい世の中なのかもしれない。



2001年02月21日(水)



 チューリップの鉢植えが欲しい

春が近づくと花屋の店先が賑わい出す。
お昼に外に出たら、近くの花屋さんの店先にチューリップの鉢植えが並んでいた。
ひとつ400円だって。そんなもんなのかな。

子供の頃、雪が降る前に土の中にひとつづつ球根を埋めた。
雪が溶け出す頃にあたたまった土から、緑の芽がつんつんと顔をのぞかせる。
つぼみがつくまで花の色がわからない。それが楽しみだった。
咲きすぎると、祖母がチョキンチョキンと切って学校へ行く朝に渡してくれた。
赤、黄色、オレンジ、ピンク。オレンジと黄色のツートーンのが好きだったな。

そんなことを思い出していたら、無性にチューリップの鉢植えが欲しくなった。
今週末にでも買いに行こう。


2001年02月20日(火)



 『コンセント』と『アンテナ』

このタイトルを見て「ああ、田口ランディね」と気付く人も少なくないだろう。
ちょっと前まで、書店の新刊コーナー、あるいは話題作コーナーに必ず
平積みされていたから。この人、ランディさんとはいえ、もちろんライター名で
日本人女性(子持ち)です。MSNでメールマガジンも配信していて、
読者数は相当なものと聞いています。

どちらの作品も、たとえて言うなら「現代社会の隙間に転がり落ちた、
石の形をした人間の心」のような、かなりディープでダークなものです。
文字を追っていくと、脳味噌より先に肉体の方が反応してしまって。
それは決して良い意味での反応ではなく、どちらかというと「そっちへ行っては
危険だぞ」というアラート的反応。それと「やはりここに戻ってきたのだね」
というダークサイドへのアリ地獄的煽動。

私も何度も書店で立ち読みしては、レジに持っていくか悩んだのですが
結局今までリタイアしていました。だから断片的には眼を通しているのですが、
ちゃんと向き合ってストーリーの中に入っていけるだけの決意みたいのが定まって
いなかったのです。それで、昨年末に図書館で予約を入れ、やっと順番が回って
きたのです。

期限は2週間。時間的には十分なのですが、仕事で疲れた精神が
理性的にストーリーを受け入れられるかが問題。ちょっと自信ないな。



2001年02月19日(月)



 ボクの背中には羽がある

ご存知、KinkiKidsの新曲タイトルです。
いえ別に彼らのファンというわけじゃないんですけど、
このタイトルに身に覚えがあるもので。(笑)

わたくし、人体(じんたい)、つまり人間を形作る骨やら筋肉やらに
なぜか惹かれてしまって、プールサイドなんかで、ぶしつけなくらい
他人の身体を眺めて(観察して)しまうのです。

女性なら二の腕、男性ならふくらはぎの形にこだわりますね。
程良く筋肉が付いていて、しなやかな動きをする肉体は見ていて気持ちいい。
あとは、肩胛骨。

シャツや薄手のセーターの内側に隠れた肩胛骨が、うっすらと輪郭を
現していると、もう触れたくて触れたくてうずうずしちゃいます。
(いえ、触れたりはしませんが。)じっと見ていると、そこからぬぬぬっと
羽が生えてくるんじゃないかと、いつも思ってしまうのです。

みんながそれぞれ肩胛骨の内側に羽をしまっているのって、すてきじゃないですか。
お家に帰ってリラックスすると、ぬぬぬっと羽が出てきて「あら、おとうさん。
今日は疲れているみたいですね。羽が毛羽立っていますよ。撥水用のクリームを
塗ってさしあげますわ」なんて会話、実は日常的に行われていたりしてね。

羽を持っている男の子がいたら、ぜったいに惚れちゃうんだろうな。





2001年02月18日(日)



 ダウンしちゃいました

朝起きて、こりゃもうかなわんというくらい喉が死んでいました。
吉祥寺にある町の診療所へ行くと「じゃぁ、ちゅーしゃ、しよーかね(にやり)」
と、じいさん先生が上目遣いで私をちらりと見て、こともなげに言う。
ううう、痛いの嫌なのに、しっかり上腕に筋肉注射を打たれる。

今年の風邪は、喉から来るらしいです。
みなさんも気をつけてくださいね。
ということで、わたくし、ただいまヤク漬けでダウンしております。

追記:聞いた話では、駅のホームのあちらこちらで
ハートが飛び散っていたそうです。祝 St.VD!





2001年02月14日(水)



 喉が・・・

これって風邪かしら。
唾液を呑み込むのもつらい。
喉の内側からセメントで固められたような不具合です。

黙っていろってことかしらね。(沈黙)




2001年02月13日(火)



 そんなに買ってどーすんだ!?

銀座に行ったついでに、ぷらりとプランタンに入ったら、あんらま、すごいこと。
バレンタイン目前の休日とあって、特設コーナーには黒山の人だかり。
あまーいチョコレートの香りと、おねぇちゃんたちの香水の匂いで
呼吸困難寸前です。

今年は義理チョコが激減するという予想らしいが(誰がそんな暇な
予想を立てるんだろ)銀座のおねぇちゃんたちは鼻の穴広げて
「それ10個、あとそっちのも10個。あ、袋はいいから」
なんて明らかにバラ撒きチョコと分かるそれを買い込んでいるではないですか。
そういうのって、ちょっと見苦しいわ。

あー、ベルギーチョコ、あたしも食べたい。
誰かくれないかしらん?



2001年02月12日(月)



 スイム ハイ

ランニング ハイなるものが存在するなら、
きっとスイム ハイもあるはず。>私が知らないだけ?
なんの予定もない休日には、近くの市民プールに泳ぎに行くのですが、
ひさびさ、ハイです。はい。

もともと体力がそんなにあるわけじゃないので、スポーツはあまり
しないのですが水泳だけはべつ。基本的に「水の子」なので、
プールや海を目の前にすると居ても立ってもいられないのです。
ざばーん、どぼーん、ばっちゃんばっちゃんと、潜り、泳ぎ、遊ぶ。

今日は2000メートルくらい泳いだあたりで、あれ?っと思うくらい
右腕が軽くなったのです。つらいときは、クロールで水をかく腕が重くて
重くて上にあがらなくなるのに、突然、くくっと軽くなったのです。

ちゃんと前に進めているのかしら、水をつかまえているのかしら、
と不安がっていたのですが、前を見るとぐんぐん25メートルの壁が近づいてくる。
ありゃりゃ、こりゃ不思議だと楽しくなって、何度もターンを繰り返していたら、
だんだん頭がぐらぐらしてきて断念。今、両足がふるふるしています。

で、これからチェロを担いでバスと電車を乗り継いで
祐天寺までコンチェルトの練習。
果たして私の右肩は8kgのチェロに耐えられるのかどうか。
頭は覚醒しているのに、肉体の方がナチュラル ハイでごじゃります。



2001年02月11日(日)



 ドルチェ

これは往々にして起こりうることなんですけれど、イタリアンを食べに行くと
なかなか最後のドルチェ(デザート)まで辿り着けないのです、わたくし。

だいたい飢餓状態でレストランに着くことが多く、胃袋のサイズを忘れて
手当たり次第に注文しちゃうのがいけないんだろうけれど。
すぐに空腹になって「おなかすいた」と騒ぐくせに、満腹になるのも
人一倍早くて「おなかいっぱい」と満たされてしまう。とすると、
メニューの裏側に陳列された、甘美なデザートが入るスペースなんてないわけで、
コーヒーで締めておしまいなのです。これがなんとも悔しい。

でもでも、今日はちゃんとセーブしておいたので、念願の「かぼちゃのプリン」
をいただけました。見ためは普通の焼きプリンで色もぜんぜん黄色くないのに、
スプーンですくってそっと口に入れるとちゃーんと「かぼちゃっぽさ」がする。
ちょっとざらっとした重みのあるプリンだけど、甘すぎず絶妙。

女の子+ドルチェ=笑顔 ですなぁ。




2001年02月10日(土)



 めろめろ

めずらしく金曜の夜に遊びに出た。というか、飲みなんだけれど。
苦楽を共にしたトモダチって一緒にいてほっとします。

そこでなぜか日本語講座をすこし。
あのですねぇ、最近私が好んで使っている言葉をひとつ

めろめろ
メロメロ
めろんめろん

「私は君にめろめろなの」なんて台詞、こっぱずかしくて言えないけれど
「めろめろ」って「ぞっこん」よりもずきゅんときませんか?




2001年02月09日(金)



 擬似世界を創るもの

私が所属する部署(という言い方は正しいのかわからないが)では、
コンピュータ系の技術翻訳やソフトのローカライズをするので、
定期的に「部内教育」なるものが開催されます。今回は「CGの世界」

最近、3D系の大きなソフトのローカライズが回ってきたのでみなさん興味深々。
平面にワールド座標(x,y,z)なるものを設けて、擬似空間をつくります。
で、そこには「カメラ」と「ライト」なるものが存在して、
作られた物体を追うのです。

「真っ暗な空間に"存在する物体"を照らし"世界"を作り出します」という言葉に
思わず膝をたたく。(いえ、ほんとに膝を叩いたわけじゃないですけれど)

そっか、世界という空間認識には、その造形を照らし出す光と、
映し出すためのカメラアイが必要なのね。
と感心していて、肝心のレクチャーの内容をすっかり忘れてしまいました。

それにしてもCG系のソフトはどれも高価ですね。
10万〜50万もするらしいですぜい、あねさん。



2001年02月08日(木)



 その瞬間

会社から出たら、ちょうど雨が雪に変わる瞬間を見ました。

ずっしりと水分を含んで、べちょべちょした白いものが(いわゆる「みぞれ」が)
じゃりじゃりと空から落ちてくる風景はぜんぜんロマンチックなんかじゃ
なっくて、もの悲しさだけが体温を奪ってゆく。

コートに落ちて溶けずにいる白い小さな塊を見ていると、人間もいつか
こうして溶けてさっぱりと消えてゆくような気がして、首筋がひんやりとした。

今年は東京にもほんとうによく雪が降りますね。
とはいえ、会社の中では半袖でふらふらしてるんですけれど。




2001年02月07日(水)



 限定商品:ブールフロマージュ

普段は限定商品と銘打って売り出されているモノの前を素通りするんですけど、
吉祥寺ロンロン1Fの某パン屋さんの限定商品「ブールフロマージュ」には弱いんです。

具合が悪くて早めに退社したら、ちょうど7時の部のパンが焼き上がっていて、
吸い寄せられるように焼きたてのあっちっちのをトレイに載せてもらいました。
袋の中からぷーんと香ばしいチーズの匂いが漂ってきて、
その場でむしゃぶりつきたくなるのを必死で我慢して家に帰ってきました。

ドアを開けて、コートを着たままかじりついたのは言うまでもないですね。
うーん、至福の瞬間です。(これ直径30センチくらいあるのです)


2001年02月06日(火)



 流転するグノーシス

普段から眠りは浅い方なのだけど、
ここ最近はずっとレム睡眠の波間を漂っているようです。

昨日は機関銃で一斉射撃をくらい、身体中ボコボコの穴だらけになって
何度も死ぬ夢を見ました。

ぐらりと目覚めたら「グノーシス」という言葉だけが、
ずっと頭の中に響いていました。
なんの暗示か、はたまた気まぐれな私の潜在意識か。
というわけで、ただいま「グノーシス」を調査中です。



2001年02月05日(月)



 スーパーマーケットの恐怖

苦手な場所というのが結構ある。

ディズニーランド、病院の待合室、ゲームセンター、キャッチの多い歓楽街、
そして、休の日のスーパーマーケット。
とくに夕食の買い出しの時間帯はちょっとした恐怖だ。

学生の頃はこまめに買い出しに行けたが、働き始めてからは問答無用で
土日の作業となった。とすると、必然的に一週間分の買い物になってしまう。
なんだかんだと仕事が忙しくて平日に飲みに行くこともめったにないので、
家で食事を摂ることが多い。でも、ごはんを作ってくれる便利な人なんて
いないので、せっせとひとりで作ってひとりで食べる。
とすると、私の一週間分の食料はいつもかなりの量になってしまう。

牛乳、トロピカーナのオレンジジュース、6個入りの卵パック、納豆、
トマトは必須のアイテム。それに加えて、冷凍保存用の肉、お魚、きゅうり、
桃のヨーグルト、朝食用のパンなんかも。なんだかんだと無作為にカゴに
放り込んでゆくと、すぐにいっぱいになってしまう。

でもちゃんと吟味しないと、後で運ぶときにすごく苦労してしまう。これが恐怖。
車で買い物に付き合ってくれるイージーなボーイフレンドなんていないので、
両手に持てるくらい、自転車のカゴに収まるくらいを目安にモノを選ぶ。

私がのろのろとカートを押してあれやこれやと選んでいると、
いきなり子供がお菓子売り場から飛び出してきたり、
奥さんに強制的に連行された旦那さんが、ぐちぐちと文句をたれていたりする。
それにレジに長い列ができるし、店員さんもレジ打ちする品物が多いので
自然と不機嫌だったり。重いカゴをよいしょと台の上にのせると、
ちょっと泣きたくなってしまった。また買いすぎだ。
まったく、どうやって運ぶんだよー、って。

透明な買い物袋を手に(最近、なかなかこれを開けられない)
ぼーっと突っ立っていると、向かいにいた奥さんが手際よく食材を
袋に詰めていた。お肉やお魚は個別にビニール袋に入れて、
重い物は下、果物や卵は上に乗るように実に見事な手さばきである。
呆気にとられて見ていたら、ふたつの大きな袋を右手に提げて、左手には
しっかりと子供の手を握ってエスカレーターを昇っていく。

ああ、ほんと、母って強いんだな。
我慢弱い私にはちょっとマネできそうにないです。




2001年02月03日(土)



 □■はじめに■□

こうやって一日の終わりに言葉を綴ることは(勝手ながら)誰のためでもなく、
わたしへのごほうびだと思っている。これらが無気力な感情の垂れ流しと、
苦痛のみによって排出されているとしても、その日を生きた証拠として
言葉を生む、それは喜び。

深夜残業や翌日の授業の予習を終えて、使い古したボロ雑巾のような心持ちでも、
ベットにもぐり込むまでのほんのしばらくの時間は、確実にわたしだけのもの。
その喜び。

私が生きた時間を思い出し、ココロにじっと耳を傾け、アタマの中を
駆けめぐっていた言葉を慎重にひろってゆく。そして、私のパーツを
積み重ねてゆく。言葉という道具を使って、私はわたしが存在した時間を、
自分で再構築してあげる。

とても不器用な人間だから、私はそうすることでしか自分を知ることができない。
カラダやココロで感じたことを、いちいち言葉に置き換えなければ、
私は自分が何者であるかわからなくなる。いとも簡単に自己を喪失してまうのだ。

だから、いちにち頑張って生きたごほうびをあげる。
アナタはねこんなこと感じていたのよ、とワタシに教えてあげる。

もし、私が言葉を無くしてしまったら、
きっと同時にわたしも消滅してしまうだろう。


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2001年02月02日(金)
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