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HELEN&HEAVEN
Helen
MAIL

2005年08月31日(水)
朗読デビュー その2


今までお勤めしていたものだから、「京ことば」の練習は、月に2回程度の個人レッスンだけだった。

お勤めをやめてからは平日に行われる「京ことばの会」に参加できる♪

会場は京都駅近くの施設である。

長テーブルと近代的なイスがセッティングされた広めの部屋には、常時20人前後のメンバーがいる。

全員、女性(年配の)ばかりだと思っていたら、ある日、一人のオッサンが居た。

腹話術師らしい…。お人形の名前はケンタ君らしい…。他にも、もう一人オッサンがいたらしいが「会合時間が長すぎるから。」という理由で止めたそうだ。( ´_ゝ`)フーン

最前列には、メンバー側と向かい合わせに、男性講師・女性講師・主催者(女性)が座られる。
真ん中の女性講師が私の京ことばの先生だ。
この頃は、ブームなせいか月に1度、東京の教室に日帰りで「京都の事」を教えに行かれる。

さて…

座る席順は決まってないのだが、会でおそらく最年長と思われる、お上品な老婦人と相席になるようになった。

「○○どすやろ?」
「××どすにゃわ。」
と、取ってつけたような京都弁は私の年代ぐらいが言うといやらしく聞こえるのだが、この方のお口から発せられると、まっさらの天ぷら油ぐらいツルツル自然で、イヤミがない。

実は私も私の先生もこの方のファンである。

「私の知ってる事は戦前の事だけどす…。」と控えめに仰るのだが、その古き良き京ことばを、今や死語となりつつある昔の京ことばを知ってらっしゃるのは、その方の年齢から上だと思う。

先月は「下鴨神社」の七不思議について教えて貰った。

今月は旅行に行った折り、こんな可愛いものを見つけたので、その方のために買い求めた。




おみくじになっている。

会が始まる前にコッソリ渡した。「H瀬さん、長生きしてネ♪」

H瀬さんは恐縮して押し戴き、休み時間に…

「これ、何やとお思いやすぅ?」

手の平に乗るくらいの小さなタッパのふたを開けた。




「お一つどーぞ♪」

不謹慎にも私は、ヒイィィィ!!!!(゜ロ゜ノ)ノ 「鹿のフン、喰わされるーう!」

内心、焦った。

H瀬さん:「これ、私のミネラル源どす。黒砂糖。お塩の取りすぎは身体に悪おすやろ?朝一杯の水と一緒にこれを食べるんどす。」

C=(^◇^ ; ホッ! 黒砂糖か。良かった。

一つ、口に入れると“シュッ”と溶けるのには、驚いた。

普通の堅い黒砂糖しか食べたことなかったよ。

お金持ちの召し上がる黒砂糖は、違うなぁ

結局、「入れ物ごと、持って行っておくれやす。」とH瀬さんが懇願するので、ありがたく戴いた。

これを「出張朗読の日のお守りにしよう!」と、心に決めていたからだ。


つづく…





2005年08月24日(水)
朗読でびゅー その1





京都で生まれ、京都で育った私だが、母方が他府県から京都の亡父へ嫁いで来たのと、他府県のお友達が多いせいか、私の京都弁には、ところどころイントネーションの違いがある…。

それは、大西良慶の「ゆっくりしいや」の朗読録音を進めていて、つくずく感じいったことだ。
ミキサーの方は私より年上で、やはり京都生まれの京都育ちだからして、イントネーションのダメだしチェックを幾度となくくらう。

「これは、本格的に誰かに(京都弁を)教わらないとだめだ。」真剣に探し始めた。

京都には、いろんな京都弁に関わるNPOがあるのだが、そんななかで今、月1でレッスンに通っている「京ことば」の先生と、あるご縁でお知り合いになった。

世間一般の企業では定年を過ぎた年齢の女性だけれど、自分でお商売をしてらっしゃるせいかとても若々しい。

朗読の世界は、私が甘く見ていたより遙か奥深くて、そして…京ことば(教えて貰っている先生は、京都弁という言い方を敬遠される)は、私が想像するより遙か難しい。
たった一つの単語だのに、何度、矯正されても上手く言えなくて、最初の方はよく半泣きになった。

間の取り方も難しい…。

今年の6月にお勤めを辞めてから後の7月から、やっと平日に月2回開かれている「京言葉の会」に参加することができた。

京ことばが心底むずかしい言葉だと思い知ったのは、やはり他府県出身者が(京ことばの会)続かずに脱落して行かれる事を聞いたからだ。

脱落せずに続けることの可能をもたれるのは、せいぜい大阪や滋賀県の近畿圏内の方だと聞く。
京都で生まれ育った私でも、難易度が高く高く、ハードルがものすごーーーーく高く感じられる。
幸いにまだ、スランプらしいスランプには陥ってはいずに無我夢中でやっているが、「そのうちに(スランプが)来るわよ。(ΦωΦ)ふふふ・・・・」と、京ことばの先生に脅されている。(笑)

さて、この「京ことばの会」は、役員以外は素人のボランティア集団で、とても安価な会費で運営されている。
借りている会場は、福祉の会場なので平日だと無料で貸して貰えるそうだ。

「京言葉の会」での学習内容は具体的に…

1)軽く発生練習
2)京ことば辞典の研鑽
3)決まった題目の読み合わせ

…を、3時間程度のあいだにやる。

今は、京都に昔走っていたという【ちんちん電車】の読み合わせをしている。
これも、面白い内容なので、またアップしたい。

さて…

「京ことばの会」の主旨は「古き良き・京ことばを後世まで伝えていく。」ことに集約されている。

【京ことば】というのは、字に起こすとスゴク難しい。
いわゆる「語りことば」「話しことば」の特性を持っているので、口承伝承でしか方法が無いのだ。

京ことばの先生が、ある日、スーパーに行かれた時の話しをされた。

「こないだねぇ、スーパーで買い物してたら後ろのほうで“なんやこれ?【しがんだ】みたいやなぁ〜。て、老夫婦の話し声が聞こえて来たんです。」

「その【しがんだ】て言葉があんまりなつかしうて面白うて一人で笑ってしまいました。」

【しがんだ】?なんやそれ!聞いたことないぞ。

私:「それって、繊維の多い食べ物を【しがむ】という意味ですか?」

発音も意味も、まったく違うらしい…。

京ことば先生:「なんて言うのかなぁ〜。貧乏たらしい、貧相なって言う意味や。よぅ、おばあちゃんなんかが“あっこの子、なんやしら【しがんだ】みたいな子ぉやなぁ…。”って言うてはったわ。」

このように死語化しつつある“京ことば”も多い。

ちなみに、スーパーで「しがんだみたいやなぁ〜。」と仰っておられた老夫婦の手には【アボガド】があったそうだ。(爆)

京ことば先生:「ちょうどアボガドが要る日ィやってん。私、恥ずかしいしコーナー1週してからアボガド取りに行ったんです。」

…と、このように京都人は恥の意識が強いように思われる。

さてさて…

「京ことばの会」では、ボランティアで老人ホームやディケアセンターでの出張朗読をやっているらしい…。

月に数カ所、決まって出張朗読に行くところがあるようだ。

「8月の24日の水曜日、○○ディケアセンターへ行ける人はいらっしゃいませんか〜?」

京ことばの会:会長でもあり私の個人レッスンの先生が、7月下旬の京ことばの会で仰った。

このような平日の午後の会なので、お勤めしてらっしゃる方は来られないし、比較的お忙しい主婦の方が多いようだ。
皆さん、ご用事がある様子…。

σ(^^) 私は新人だから、声をかけられないだろう…。たかをくくっていた。

20人ほどのメンバーが座っている部屋の中を、先生が練り歩き尋ねられても、誰の手も挙がらない…。

先生が近づいて来られたので、視線を合わさないように俯いていた…。

と、「Helenさんは、どうなの?」

キ…(-_-)キ(_- )キ!(-  )  キタ━━━━━━\(T▽T)/━━━━━━ !!!!!

ひゃーーーっ!タスケテクレー!ヽ(´Д`;ヽ≡/;´Д`)/

おいら、超・超・超ど級の内弁慶で、あがり症なんだよーーーお!!

そんでも毎日、食っちゃ寝してるだけの暇人で、断る理由も瞬時に思い浮かばない。

私:「べ、別に用事はないですけどォ…。」

先生:「ほな、お願いするわね。(*゜▽゜) ケロッ」


続けて…「題目は今、練習している宗旦ぎつね で行きましょう。」


(´ヘ`;) トンでもないことになった!

心の焦りと裏腹に、時間だけが、どんどん過ぎてゆく。


つづく…



2005年08月19日(金)
おばはんアタック



 
(2005年5月 サンタモニカビーチにて)



無事、先方の両親に挨拶をすませて、幾日か過ぎたらバレンタインデーだ。

むほほほ…(・∀・) 点数を稼ぐチャンスだわ。

点数を稼ぐとは言っても、私の場合、飽き性なんですぐに尻切れトンボになってしまったりもするけれど…。(;´д`)

それでも、最初が肝心!最初が肝心なのよ!!(と、自分で自分をしったげきれい)

稀少なお菓子作りのレパートリーのうちの一つ→【シフォンケーキ】を生クリーム・チョコ・可愛い粒イチゴで、「(」゜ロ゜)」 これでもか〜っ?!」というぐらい大げさにデコレイト仕上げをした。

そして、尊敬する料理の達人eriさんから教わった【コーンフレーククッキー】を初めて焼いてみた。
この【コーンフレーククッキー】は、外側の衣のコーンフレークが中のクッキーの歯触りと対比して、あとを引いてたまらないほどオイシイ。

特に【歯ごたえ】のある食べ物が大好きな義母のお気に召したようだ。

…ちなみに、渾身の作のデコレイトシフォンケーキは、ママさんバレー仲間のおくちに入った、義父が糖尿気味だから…。(/_;)

旦那様の親族や義母のママさんバレー仲間の方々から、結婚のお祝いがザクザク集まって来て、根が貧乏性の私はコワイよ。
いつも悩むんだけど、お祝い返しは、超・悩ましい…。
何を返したら良いのか、わからないんです、好みがあるから。

この時は、ママ(義母)が、全部、お返しを送ってくれて金銭的にも助かった。(´▽`) ホッ
お祝い返しは、お茶。
ママの弟さんは岡山県のお茶屋さん。
お茶は、京都から仕入れているらしい。
時々、ママからその弟さんのお店のお茶を貰う。
逆輸入。ひょほほほほ…(´∇`)

ある晩…伊藤ネコと仕事の遅い旦那様の帰りをマターリ待っていると(実は、熱心には待ってない、だって、そのような密月はとうに過ぎちゃった・笑)…

義母から電話がかかってきて、義母の(お祝いをいただいた)ママさんバレー仲間が数名、次の週末に旦那様の実家に来るので「もし、良かったら・時間があれば」コーンフレーククッキーを焼いて来てくれないか?とのこと。

義母は、なかなか奥ゆかしい。
遠慮が先立ちやすい性格のようだ。
だからって、息子にも遠慮してちゃ、ダメでつよ。
いつまで経っても嫁さんを連れて来ないんだから。(笑)

さてさて…
今年2月のバレンタインデーも過ぎたある日曜日。

若(?)夫婦二人で来るように言われていたのだが、夫は、早々に趣味の木材屋さんとの先約をいれた。
「(木材屋さんの)社長に店番を頼まれちゃった!♪〜( ̄ε ̄;) 」って、あんた!
確信犯だ、間違いない。

激しく人見知りで、仏頂面の彼を連れて行っても仕方ないだろう。

…というわけで、σ(^^) わ・た・し一人で戦地(?)へ赴きましたとも。
ママさんバレーチーム4人 VS Helen

義父は…ゴルフの打ちっ放しに行ってしまったそうだ。

男って!!!

ママさんバレーチームは、上から下まで私を値踏みし、とうのたっている新婦の年齢を執拗に尋ねるのだ。

私:「企業秘密です。」
 :「ガスがバス爆発するので言えません。」(ちょっと逆さに言ってみたが、誰も気づいてくれない。(T.T)

それにしても、おばさんチームのアタックは容赦がない!

私:「うっ!急に腹痛がっ!"/(;-_-) イテテ・・・」

あの手・この手でかわすのよHelen!コートの中では一人なのだから!!

ドラえもんのポケットよろしく、あっちの引き出し・こっちの引き出しから、いろんな話題を出してみた。
ちょうど、昨年末に誘われた消費者フォーラムでの『悪徳商法対応策』の話しが大いに役立った。

大好きな“悪徳商法被害者救済の会 会長:堺 次夫”先生の講演内容を引用させていただいたの。

私:「今、名簿業者で一番売れている名簿は何だと思われますか?」

おばさんチーム:「???」

私:「赤ちゃん名簿でつよ!( ̄^ ̄) エッヘン」

続けて…「そのココロは、揺りかごから墓場まで騙せるから!」

更に輪をかけて…「みなさま、新聞は隅から隅まで読んでくだたい!たいてい悪徳商法関係の記事は小さいでございます!」←これも消費者フォーラムでの受け売り…。ヾ(´ε`*)ゝ エヘヘ

堺先生、M本先生…心からありがとうございました。

あとは、おばさんチームが好き勝手お話してくれるから比較的ラクでした。

合間に、ちょっとノロケてみる。いいですか?これも点数稼ぎの伏線なのですよ!にひひひひ… ↓

私:「本日は、“男前”の旦那様が来られなくてごめんなさい。」

(゜д゜)<あらまぁ! 普通、親(実母)が、自分の息子の自慢をするものだのに!と、おばさん某が応えた。

顔が良いことと、頭の良いことは別ものだ。←心の声

わたしゃ、イ・ビョンホンみたいな一重まぶたの醤油顔が好きなんだよ。

一言でいえば、ツルリ顔ですか?
残念ながら、彼の顔にも出会った頃ではなくて、それなりの(十年ほど)年数の歴史が刻まれている。
大きな声じゃいえないけれど、顔も毛髪もそれなりに…。(▼-▼*) エヘ

彼の性格は悪くない。

お金持ち云々ではなく、『お育ちがいい』と表現した方が的確かも知れない。

以前、彼にとってもヒドイ・・・||||(・・、)事をしたことがあります。
(まぁ、痴話喧嘩というやつをしたんだが)報復に、彼の大切なフィギュアを一握り、こっそり捨ててやった。

捨ててから罪の意識に駆られ「この事は一生黙って、墓場まで持って行こう。」(我ながら大袈裟やナァ)と誓いをたてたのだが…

彼は、毎日〃伊藤ネコに「なぁ、いっちゃん。フィギュアどこへ持って行ったん?どこへやったん?」とひつこく尋ねるのであります。

とっとと忘れやがれ、このヘンタイっ!!

1週間ぐらい、ネコ相手の彼の繰り言が続いたあげく、私の方が辛抱たまらなくなった。

私:「ぐでぐでぐでぐで、伊っちゃん相手にうるさいねん!!あんたが、デリカシーのないことをするさかい、うちが捨てたんっ!(`ヘ´) フンダ!!!」

彼の顔色は一瞬にして青白く変わり、私は。。゛(ノ><)ゝ ヒィィィぶたれるっ!と内心思いました。

想像に反して、彼は黙ってその場から離れ、台所の換気扇の下へタバコを吸いに行った。

クールダウンしてたんだよ、いじらしいやつ。(T.T)
あたしゃσ(・・) ホロッとしたよ。

…と、このように私がどんなにギャースカ怒っても、意地悪な事をしても、なんだか『とても悪い人間の私』というものを再認識させる手法を持っている、スゴクずっこいヤツであります、それはもしかしたら彼の天性かもしれないけれど…。(笑)

そのような人格を育て、与えてくれた義父母には感謝したい…。

そっと伝えてみたよ、こっ恥ずかしいけれど。

私は、私という人格を10年ほど前から育て直していて、それは今も続いているけれど、

☆ボランティアしかり…
★オフ会しかり…
☆歯医者のじぃちゃんの小間使い(笑)しかり…
★声楽しかり…
☆今は京ことばのレッスン…だけれど、その他も諸々…。

まったく持って、何のおとがめもなしに自由にさせて貰ったよ。

それは、ハッキリと結婚という実態に踏み込めなかった彼の罪悪感の裏返しだったかもしれないけれど、世の中、本末転倒した恩着せがましい輩が多い中で、私自身、自然体で生きて来られたのは幸いだったと思う。

こんなにエキセントリックで変態がかってて(ぉ!変態はお互い様か・笑)気まぐれのわがままの自己中の…

これ以上書くと、立ち直れないかもしれないので、もう、勘弁してください。(笑)

私と同居している彼に対して、ときどき罪悪感を感じる。
ことばの暴力はおそらく私の方がひどくって、極道の妻ばりのドスの利いた説教は、威圧し過ぎやろ?と、怒りながらも、もう一人の自分が客観視しているわけだが、お腹に溜め込んでなんて生きていけない。

彼の長所で短所でもあるニブイところは、こんな時でもいかんなく発揮され…
私がどんなに怒り狂っている晩でも、布団に入って5分ほどで寝息をたてておるのですよ、ヤツは!

恐らく…
「また、犬がギャンギャン吠えてる。(ノ*゜▽゜*) ケロりん♪」ぐらいにしか思っていないのであります。

そうして一人取り残された感の私は…
なんだか観音様の手のひらで転がされているような非力さ・無力さを感じ、深夜、布団の端を噛んで悔しさにかきくれるのであります。トホホ

結局は、喧嘩らしいケンカというものは、皆無に等しい。
いつも私の独り相撲。

んー

元来、天秤座の平和主義の私(日和見主義だなんて仰らないでネ♪)に取っては、割れ鍋に綴じ蓋(ちょっと使い方が違うが、よしとして下さい)なのだろう。

さて…

思いのたけを一気に綴ろうと欲張って、とりとめもなく脱線しちゃいました。
ごめんなさい。
お話をおばさんアタックに戻しましょう。

徒然なるままに、会話のキャッチボールをしていると、おばさんAがポツリ仰った。

「あのなー、○○ちゃん(義母のニックネーム)とBさんとで毎晩ウオーキングしているのやけどなー。正月明けの初歩きのとき、ネコちゃんの様子を聞いたんよ。(主人の実家のネコは老齢で病気がちなんです)
そしたら○○ちゃんが、『それどころ(ネコどころ)ぢゃないのよっ!うちの○○(夫の名前)が、○○が!勝手に籍入れて結婚しちゃったっ!!(@Д@; アセアセ・・・』
私たち(おばさんAB)どう返事していいかわかんないから、しばらく無言で黙々と歩き続けるだけだったんよ。(;´д`)トホホ… まったくあの時ほど、返事に困ったことは無かったワー!」

えらい、すいません。(*_ _)ノ

おでを責めてくれるなよ。
自分のふがいない息子を責めろよ。

…なーんてことは、もちろん口に出せず。
謝るばかりだった。

一同、苦笑い。

勝負は…フィフティ・フィフティだったのかな?(笑)


…つづき、読む?





2005年08月11日(木)
ご挨拶





さぁ、いよいよ向こうのご両親に初お目見えです。

その数日前…
「いやだなぁ、キンチョウするなぁ。( -.-) =зフウー」なんて、叔母を前に一人ごちていると、しきりに着物での訪問を勧められる。

いやですよ、着物なんて仰々しいし、ただでさえ緊張のあまり息苦しくなりそうな予感なのに、輪をかけて苦しい服装でいかなくてもいいではないですか。
和装はすでに婚礼写真の数時間で懲りていて、あの時は最後の方には気絶しそうだった。なんとか気合いで乗り切ったのよー。
なんどとなく堅く堅く辞退したんだけども、叔母の意志は固い。

叔母は、正確には亡くなった私の父親の弟の嫁にあたる。
父親が生きていた頃はよく借金の申し込みなんかに来ていたが、父が亡くなってからはなんとなく疎遠になった。

…というような事を別に責める気はさらさらない。
母が寡婦になった以上、無い袖は振れないし、もともと血縁関係のない母と叔父とは親戚づきあいする理由もないからだ。
いがみ合っているわけでもなし、いざ事がおこれば歩み寄れるスタンスを持つのが親戚かなと思う。

で…
この何年も疎遠であった叔父夫婦と交流するようになった、悲しいきっかけがあったわけだが、叔母の心情を察するとむげに好意を断れない。

押し問答のすえ、着付けてもらうことになった着物が上記の訪問着です。

髪型は、おばの好みでおばん臭くなった。(しゃれ)

電車でとなり駅に済む叔父夫妻の家で着付けて貰い、主人の迎えをまった。


たいていは時間に正確な彼がやってこない。
電話したら、寝ていた。(その少し前から風邪気味だった)
彼が実家に行きたくないのは見え見えなんだけど、いつまでも先送りにしてはおけないし、男ならキチンと筋を通さねばね。

結局、彼の実家に着いたのは約束の時間を少し過ぎてから。
舅姑は、着物の着付に手間取って時間に遅れたとおもっているだろう。

まったくプレッシャーがきついと、免疫性を失って普段めったにひかない風邪をひくのが彼の特性だ。
風邪が治ったらたっぷり仕返ししてやろう。

玄関チャイムにより現れた彼の母は「はじめまして。」と言った。

私「おかあさん、実は何年か前に、百円ショップでお会いしています。だから二度目ましてです。(笑)」

義母「え〜?あの時から、ずいぶん、経つよー。」

私「はい、おつきあい10年目の節目として入籍させていただきました。事後報告でごめんなさい。」言下に(10年もほったらかしにしておきやがって)という恨みが少しにじみ出てしまったが、姑は天真爛漫な性格なので気づいていないようだった。

姑は私の着物姿をみてたいそうに思ったみたい。

私以外、舅姑も主人も皆、ジーパン姿だった。

シーズンだったので、カニをごちそうになったのだが、私はカニをむくのが非常に苦手。
いつも主人にむいて貰っているのに、横目で訴えても彼は、自分のカニをむくのに熱中するばかりで、こちらは眼中にないようだ。

彼が、あまりゴボゴボ窒息しそうな咳をするので予定より早くおいとました。

案ずるよりは産むが易しのことわざ通り、初対面は意外と気さくなご両親で私の心配は杞憂に終わった。

やはり、現況は主人であります。

彼の実家を訪問する前、電話で驚きとともにこちらの身勝手を責めるような口調の姑に私は言った。

「何度か、○○さん(主人の名前)に、そちらに寄せて貰うように頼んだんですけど、あかんかったんです。なんでかわかりません。私、目は二つやし、ハナも口も一つずつ…おかしいところはありません。(笑)」

しいて難をいえば、姉さん女房なことか。

年齢のことを舅から尋ねられたけれど笑って誤魔化した。
誤魔化しきれるまで、誤魔化しておこうと思う。年配の方にあまり刺激は与えられない。

その後、姑のママさんバレーチームにも(年齢を)激しくつっこまれたけれど、つっぱねた。
歳のことは、ガタガタゆうな!10年前は10歳分若かったんぢゃーい!(ー'`ーメ) ←心の声

その時の攻防は、のちの日記に書きます。

つづく





2005年08月09日(火)
オッサンとオバサンの分け目





独身時代の近年、約数名の方に妙な慰められ(勧め?)方をされた。

「Helenちゃん、あのなぁ〜。近所に(あるいは会社に)オッサンみたいな顔した女の人が居てはるのやけどなー、しっかり結婚してはるねんデー!」


って何かい?わしはオッサン顔のオンナより劣るんかい?(笑)

慰められてるのか、結婚を奨励されているのかワカラナイ。
たぶん、言っている本人もよくわからないと思われ。
でも、そのオッサン顔の女の人、激しく見てみたい。

でもまぁ「オッサン顔のオンナの人でも、結婚できるのやからして、あんたもあきらめずに頑張りなはれ。」という意味合いが大なのだと自分を慰めてみる。(笑)

「女の人やけどなぁ。どこから、どー見ても、おっさんの風貌してはるねん。でも、子供もちゃんと作ってはるでぇ!」

ほんだら、何かい?
おっさん顔の女は子供作ったらあかんのかえ?!と、ちょっとひねくれてみる。
世の中、オッサン顔のみならず…
「あんた!よう、結婚できたなー!」(失礼)と思える風貌の女性と、お買い物にスーパーに行くと出くわす。

男性に対しても電車の中で「この人にも紅顔の美少年時代があったのでしょうね?」と思えるほど、肥大した頭部をこれまた肥大した身体にのっけている男性も居る。
「この人にもピノキオみたいなスラリとしたあんよの時代があったのだ!あったのだ!!」と念仏みたく心の中で繰り返してしまうのです。

それにしても、スーパーで遭遇するのは圧倒的に女性の方が多いのも一因であるが、男性性は狩をする・攻撃する・奪う…などのDNAから伺えるようにアグレッシブなのに対し、女性性はあくまでも、待ち・奪われ・受け入れる性なので、ある程度、奪われる下地がないと奪ってもらえないのではあるまいか…?と、勝手に邪推する。

だから…
そんな中で、オッサン化したおばさんに出会うと、しかもそれが子連れだったりすると、思わず涙ぐみ駆け寄り、肩を抱いて、

「あんた!よう結婚できたなぁ。(しみじみ)良かった良かった!」と訴えたい失礼千万な妄想にとりつかれる。

あまつさえ「ここのご主人はオバサン化したおっさんであるか?夫婦生活はいたしておるのだろうか?この嫁のどこに、性を見いだすのであろうか?」

…とても失礼な妄想が膨らんでしようがない。
これは、物心ついた頃からの私の悪癖であろうか。

「この顔とあの顔がいたしてこの子ができたのカー。(='m') ウププ」これは、あきらかな悪癖である。

遠藤周作は、脱糞する哀愁を帯びた犬の様子を述べていたが、きっとアダルトビデオ以外の普通の(ごく一般の)男女の睦ごとをしている様相は、正視に耐えられるものではないんではないか…と想像する自分の変態性がいやだ。

さて…

余談が長くなりましたが、前回の日記に続きを書こうね。


正月明けて1週間か10日頃だったかしら?

お姑さんから電話があった。

「もしもし○○さん(主人の姓)お宅ですか?こちらも○○です。」と、姑はかなりお茶目である。

確認の後の開口一番は 「びっくりしたー!」でした。

そうでしょう!そうでしょうとも!!

家にガールフレンドも連れてきた事のない、女っ気の全くないバイク小僧の息子が勝手に婚姻したのだからしてな!(笑)

冗談にしては「和装」と凝っているしな!(笑)

まぁ、できちゃった婚でないだけましですか?


とりあえず、家に(主人の実家)来なさい。…との事でした。



…なんだか、長くなって来たので続く。(ヲイっ!)





2005年08月05日(金)
たかが結婚 されど結婚





さて…

伴侶となった人の最大の長所であり短所でもあるところは…

『ニブイ』ところ。

ある種の『天然系』とも言えよう。

そこのあなた耳を押さえないで。(笑) (; 」゜ロ゜)」 オーイ!!

・同居人である私が髪型を変えても気づかない

・目の前のモノを??(゜o゜; )ドコドコ( ;゜o゜)?? と探している

・私がヤツの生CDやMDをかっぱらっても気づかない

・先に風呂を使い、後の私が入ろうとした時、湯をすっかり抜いておいてくださる
 (自分の浸かった湯が、新湯かどうかは気づいていない。)

同居を始めて十年間…

ついぞ完全に組み立てられる事の無かった屋根裏部屋のプラモ。
売るには中途半端過ぎて場所ふさぎだったので数週間〜数ヶ月かけて燃えないゴミの日に捨てて行った。
けど、まだ気づいていない。

だいたい彼は溜め込むのが好きで、
友達の結婚式の座席表とか…
イベント施設のパンフとか…
いったい、いつ、どこで、活躍するねん?って品々が多い。

屋根裏を片づけていて、アイスの当たり棒が小さな段ボール箱いっぱい出てきたのには、『新婚さんイラッシャイ』の桂三枝の如く、ひっくり返った。

いつ交換するねん?

事情を聞けば、高校生時分にアルバイトしていたアイスクリーム工場で『大量の当たり棒』を初目撃し感動のあまり、アルバイト期間にせっせと持ち帰っていたそうだ。

って、あんた!ずいぶん昔の話しで今更交換できないですから!残念っ!!

箱一杯にあったのは、他に使いさしの鉛筆たち…。

捨てるに捨てられないけど、使いさしを貰ってくれる奇特な人はいない。

そのうち、処分せねばならないだろう…。


そんな物持ちの良い彼。

私の事も捨てずに置いてくれてありがとう。(T.T)


昨夏いろんな事を乗り越えて、私も新たな人生を送る決心がついた。

それなのに、いざとなると勇気が湧かず私の事を両親に、よぅ紹介できないのです。

まぁ、いいや。

とっくに成人を過ぎている男女なので、先に入籍をした。

それが去年の10月の話し。

11月になっても…
12月になっても…

こちらがスタンバイおっけーなのに、どうしても勇気がでない彼。

よっぽど一人で、挨拶に行こうかと思いましたワ。(爆)

それだけは「早まるな!」と年配の知人に押しとどめられました。(笑)


婚姻は…
まったく係累がないわけではないんだから、二人だけで「めでたし・めでたし♪」と済ますわけには行かんのんだよ。
いったい、この困ったチャンをどうしましょう?

「そんな意気地なしで、この先、だいじょうぶなの?」二人の新たな門出をあやぶむ年配者の声。

まぁ、なんとかなるでしょう。

だいたい男の子は、京ことばの先生曰く「家に友達や彼女をバンバン連れて来て、親になんでも話してくれる息子」と「親にはいっさい自分の交友関係を明かさない秘密主義の息子」と二通りにわかれるらしい。

とくに秘密主義の息子の方は何を尋ねても、何をふっても「あぁ」とか「うん」とか「べつに」の他に単語をはっせず、そればかりか眉間にしわを寄せて思いっ切り「嫌っそーーーな顔」をするので、「こっちも、だんだん尋ねるのが嫌になってくるねん。」と、二人の子息を持つ京ことばの先生はこぼしておられた。

さもありなん…。

のち、姑が同じようなことを言っていた。

いやはや扱いにくい子ではあるけれども、子は子で何でも心配の種にしたがる母親には言いづらい…という部分もあるようだ。結構、親思いなんですよ、方向はちょっと違うと思うけれど…。

さてさて…
どうやって先方の両親に、婚礼の事実をお伝えするか悩んでいるうちに、はや大晦日。(私の方面は告知をとうに済ませておるのにだな。)

私たちは、ほぼ毎年、年賀状に着手するのがトロいんでありますが、婚礼写真付きの年賀はがきをしたためつつ、閃いた。

私:「これ、あんたの実家にも送るし。」

彼:「そんなん送る必要ない。」

私:「今、送って(知らせて)おかないと、あんた一生(両親に婚姻の事実を)言えないでしょ!」

私の内心の声は「いい加減、世話焼かせんなや!ガタガタぬかすとブチ殺す!」…。だいたい十年も待たせておいたのにだな、気の長い話しだとは思わないかね?

そもそも『婚礼写真で年賀状を作る案』も反対だったのです、彼。

曰く「世間一般の写真付き年賀状は送り主の自己満足がにじみでていて、恥ずかしい。」そうだ。

それは自意識過剰というものです、このバカ!

誰も、お前の紋付き袴姿なんて、さして気にもとめてないってば!

だって婚礼の場合、花嫁が主人公なんだからさ。♪〜(・ε・ )

この人は精神年齢が幼いのか、どうも、格好ばかしつけたがる。

「あんたが思うほど、誰もあんたのことを気にとめてないのやで。」と、私も意地が悪いと思うんだけれど、ことあるごとに、一生懸命、現実を説いてやっているのだ。
この頃、少し、認識し始めたか?(笑)

まぁ、好きなようにしたらええやん。

私だけが婚礼画像付き年賀状を送りまくった。


そうして…
不承不承、彼の実家にも婚礼画像付き年賀状が送られたのでおま。

なんてったって、行く年来る年を見終わって深夜3時頃(元日の早朝)に投函しに行ったのだからして、配達されるのは早くても1月の3日。

ところが…
3日過ぎても、4日過ぎても、彼の実家からはナシのつぶてなのです。

元日過ぎて、彼の実家より遠方の親友の家に年始に行ったのだが「あんたの画像付き年賀状ちゃんと届いてたヨー。」との事だった。

だから、近隣に住む彼の両親に届いていないはずはないのだけれど…。

( ゚д゚)ハッ! そうか、きっと田舎に帰ってらっしゃるのだわ。

それとも… 彼の実家の愛猫が老齢のため年末から病院通いをしていたので、もっと悪化しているのかなぁ…。

などと勝手に想像していた。


ふたを開けてみると年賀状は、キチンと届いていて…

私が呑気に想像するよりも、先方はうろたえていらっしゃったのであった。(笑)

つづく…








2005年08月02日(火)
花嫁人形




1 きんらんどんすの 帯しめながら
  花嫁御寮は なぜ泣くのだろ

2 文金島田に 髪結いながら
  花嫁御寮は なぜ泣くのだろ

3 あねさんごっこの 花嫁人形は
  赤い鹿(か)の子の 振袖着てる

4 泣けば鹿の子の たもとがきれる
  涙で鹿の子の 赤い紅(べに)にじむ

5 泣くに泣かれぬ 花嫁人形は
  赤い鹿の子の 千代紙衣装



ほんと花嫁はなぜ、泣くんだろう?

私の邪推では、「自分自身だけであったのが相手の人生をも担う重責」「単独から共同体への不自由さ」に押しつぶされそうになるんではあるまいか。

もちろん嬉し泣き…や、マタニティブルーなどの要因も考えられるだろうが。

一部したしい友には「急に子供を産まねば!という意識が芽生えた」と告白したが、私と同居人のスタンスは一生同じままで続くと思っていたので、正直、この心境の変化には自分がたまげた。

同居人とも「子供は要らない派」だったからだ。

ケッコンに対しては「してもしなくてもよい。強いて言えば、墓場メイトと同居しているという感じ。将来、50歳60歳代で棺桶タイムに思いを馳せる時、入籍しても遅くはないのでは…。」というコンセプトが同居生活の間固まって来つつあった。

それが、急になぜ「子供」?

ここ近年、親しい友人や、親戚関係が相次いで亡くなったのが起因すると思う。

輪廻転生思想は、ともするとこの現世に厭世感をもたらす危険を孕んでいるので、盲信するわけにはいかないが…
笑われるかも知れないが、亡くなった彼らを「もう一度産み治さねば!」と、なぜか、ふと思ってしまった。

仏教では亡くなった魂は、中庸の時期を過ぎ45日目にはもう新たに母体に宿っているというから亡くなって数ヶ月から数年経っている人を産み治すには、タイムリミットはとうに過ぎている。

なおかつ、同じ日本のこの京都に産まれてくるとも考えにくい。
どれくらいの確率か…。
そして故人が生まれ変わりを望んでいないとしたら…。
望んでいてもいなくても、無理矢理、新たな母胎に押し込められるとしたら…。

凡夫の狭い了見では推し量りがたい。

きっかけは「産み治し」という問題提起であったが、だんだん最初の主旨はおぼろげになり、単に「新たな生命を作らねば・産まねば!」という意識に変わって来た。

ちゃらんぽらんのようでいて、真面目な部分も併せ持つ私は(笑)、
「子供を作る前に、まず、婚姻やな。」と順番を遵守したのである。

もっとも、その「婚姻」においてまず「意志を親に明確にする」という順番は守らずに、入籍を済ませた(婚姻の事実の)後、報告したモノだから、双方(主に同居人の両親)は、相当、驚かれたようだ。

のち、義母のママさんバレー仲間が(義母が)そうとう、うろたえていた…事実をあきらかにした。マァァァ!(Ф_ゝФ)マァァァ!

うろたえてたってお義母様(笑)

同じ駅を挟んで対面に位置する、ごく近所の同じ地域に住んでいて人間のメスと猫のメスが10年も同居している事実に気づかないでいたという事実の方が驚愕ですよ。

まぁ、事の善悪は論じたくないが、この場合悪いのは同居人であった。

10年間、私は向こうの実家を一度も訪れたことはない。

くれぐれも私が避けていたのではございませんことよ。

何度か「挨拶に伺いたいのですけれど。」と同居人に交渉してみたのだが、その返事は曖昧か、「うん」と同意してはみても、結局、二の足を踏み親に言えないのであった。

「私の事が恥ずかしいのですか?」と疑問をぶつけたこともある。


そうではなくて…
彼はエディプスコンプレックスが強く、そして、誰に対しても(親に対しても)秘密主義のところがあるのが最たる要因であるように思われる。

さて…
入籍のあとは、報告だ。

こればっかりは、同居人も避けられまいて…
しかし、自分で報告する勇気がなかなか湧かないようだ。

知恵を絞れ、私!

あの手でいかなんだら…

この手がある。

すでに絡めては使った。(笑)


つづく…










2005年08月01日(月)
ケッコンしたって本当ですか?

まず、最初に…
繊細なeisensteinさんのハートおよび一部の皆様のお気持ちを攪乱させてしまったこと心よりお詫びいたします。(*_ _)ノ

思うに『トカゲのしっぽ切り』…

『思わせぶりなストリッパーが最後の一枚をなかなか剥いでくれない…』

の様な状態ではなかったかと独断で想像しています。

だって、最初のコンセプトが『ネットアイドル♪』だったんだもーん。(←殴

いえ、冗談ではなく皆さん、本当に殴っていいです、ハイ。


正直に申し上げまして、私が今の家に転がり込んだのは10年ほど前…

その数年後に伊藤猫も転がり込んでこられたのでおます。

人間の♀および猫の♀を、気前よく引き受けてくださった家主と昨年の10月に入籍いたしました。
(* ̄┏Д┓ ̄*) ポッ

入籍より遡る事『10年前』から、ずーっと同じスタンスで同棲し続けていたので、婚姻の報告には実家の母および友人関係、お世話になった諸先生方のアドレナリンやらドーパミンを多量に放出させるような事態に至り「驚いた!」とのお褒めの(←何か違うし)言葉をいただきました。

ええと、一部の親しい人には事前に、他の人々には事後報告でございました。

さて…
入籍日は、おりしも天災の爪痕を日本全国に残して行った『大型台風23号』の、近畿上陸の朝の事でした。(2004年・昨年の話しですね。)

お仕事の関係上、行くことの難しかった家主を置いて、私は一人で役所に出かけたのでございます、じゃじゃ降りの雨の中…。
その前日でしたか、親しいネッ友さんに「お役所の業務が始まるのは、朝何時ですか?」とトンマな質問を携帯メールでしました。その節は、ごめんなさい。

業務開始時間を気にしないと行けなかったのは、わたくし、半日有給しか取ってなくて午後から出勤だったのでございます。

「あんたと○○君(←夫の名前)の字は似ているから、委任状を持って行くのやでー!」と、友達にクドク念押しされた私は、家主をせっついて委任状を書いて貰いました。

手前どもの役所は数年前、不正でどえらく吊し上げられた役所でございます。
そのせいか、窓口ではいたって親切・懇切・丁寧…。
せっかく委任状を書いて貰ったのに「要らないですよー。」と笑顔で返されたんですが、返されても…。
無理矢理「(委任状)受け取ってくだたーい!」押しつけて来ました。

彼の本籍地は他府県、私は京都市内と…それぞれ、籍の場所が違ったので、郵便小為替で取り寄せ、現住所で新たに戸籍を作りました。
戸籍抄本(謄本)申請のフォーマットはネットでダウンロードできます。
便利な世の中だなぁ…。

私の新姓での「実印登録も一緒に済まされますか?」との問いに、パニックになった私は旧姓での実印を差し出してしまいました。(赤恥)

いろいろと「エエかいな?(だいじょうぶかな?)」客観的な知人がいたら不安になるほどの、うろたえぶりをみせ、無事、入籍の運びとなったのでございます。

そして、午後から、素知らぬ顔で出勤しました。

何変わらぬ日常…
紙切れ一枚提出したところで、私の日常に変化はみられない。
変わりはしない…。

「ケッコンしたんだよっ!」 心の中で叫びつつ、何食わぬ顔で業務を続けました。

いつまでポーカーフェイスを維持していられるのか…。
そもそも、それほどまでに大事ではないから、ポーカーフェイス云々以前の問題ではないか?

しかし、名字が変わると銀行口座および種々の公的な文書(例えば運転免許証など)の名義変更手続きをせねばならない。
会社にもいつまでも黙っておけない。
でも、会社では婚姻の事実は伏せて貰おう、仕事は旧姓で続けさせていただかねば。(親会社の前例としては婚礼すると新姓を名乗らねばならない。弊社では大抵婚礼のち退社か婚礼前に辞めてしまう。)
いじめっ子ナ○ちゃんが荒れると、余波が大きくなり誰の手にもおえなくなっちゃう…。

夫婦に関わる人間総てがすべて…
「心からおめでとう。」という気持ちの人ばかりではない…というのは、残念ながら事実の一部である。

とりもなおさず…
大事に育て上げた一人息子の長男(妹二人)を、どこぞの馬の骨にσ(^^;) かっさわれた母親の心情はいかばかりか…
自分が反対の立場に立つと胸が痛い。

機は確かに熟していた…と、おぼろげながら確信していたような気がするが、私のとった行為は果たして、正しかったのかどうか…。

・とっても喜んで下さった方
・難色を示した方
・口先だけで祝いを言い本当はくそ面白くない方(笑)
・驚きのあとに喜びが来た方

エトセトラ・エトセトラ…

反応は実に種々多様でございました。

続きを書くだけで、数日分の日記ができあがりそうです。(笑)

私たち夫婦は、とても恥ずかしがり屋(?)でシャイなので(笑)、式はあげずに婚礼写真だけ取りに行きました、ちょうど、ボランティアで知り合った方が、婚礼センターに勤めてらしたので…。

それでは、証拠写真↓






今日はこれから出かけねばならないので、また、続きを書きますね。
・△・)ノ バイバイ