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HELEN&HEAVEN
Helen
MAIL

2005年06月23日(木)
から梅雨




梅雨だけど梅雨らしくない今年の梅雨。

諸外国の方は日本へ来て、日本の夏の湿度の高さに驚かれるようだが、湿度さえなければ幾分かは過ごしやすいんだが…と毎年思う。

汗をかいて、乾いて、また汗かいて…。
しまいに身体がネチョついてくる。
腕の関節、膝の関節…曲げるごとに皮膚と皮膚が貼り合わさって、ネットリとしたハグをしやがるんだ。気持ち悪い。

今年の夏は、冷夏なのだろうか…
朝晩は涼しい。
窓を開けておくと涼風が、身体を心地よくなでてくれる。
寒いくらいの晩もあるね。

湿度ムンムンの暑い夏より、いくぶん冷える冬の方が脳は良く回転してくれる。

脳の回転で思い出したけれど、最近、養老孟司のファンである。

ヒットとなった「バカの壁」は賛否両論で、私は他の人の批評により食わず嫌いだったけれど、新聞の記事により急にファンになった。

内容は、どこぞの高校(もしくは中学)へ行って、講義をするというもの。

いろんな著名人がいろんな学校へ行って、たいそう興味深い講演をされていた。

養老氏の言葉のなかで私が魂を奪われたもの。

「なんで生き物(人間)を殺してはいけないか?それは2つとして【同じもの】を作れないから。ハエをハエ叩きで潰すのは容易だ。だけど同じハエを創り出すことは不可能でしょう?」至極たんじゅんな論理だけれど、すごく尊い言葉だと思った。

遅ればせながら本を2冊ほど買って読んでみた。

「現代人がかくも切れやすいわけ」というような内容の章があった。

現代人は目に見えているものだけを信じるというような傾向にあることが一つの難点である。
例えば、寝る事を惜しむ。
寝る事=何も考えていない=何も生産していない無駄な時間 と、とらえているフシがある。

人生の1/3は眠りである。

眠り=無 ではなくて、

ほんとうは眠っている間も心臓はポンプの役割を果たし血液を体内に運んでいるし、DNAもなんらかの動きをしている。
完全に臓器が働くのを止めてしまうと「死」ということになる。

起きて働いて思考している脳は、動き続けている間にカスのようなものが溜まっていく。
そこで睡眠をとることによって、この「カス」がキレイにされるそうだ。

キチンと寝ないとこの「カス」が取れない。
すなわち脳の回転がにぶる。という事に繋がるらしい。

目に見えるものだけを信じるというのは、ちょっとキケンな考えかも知れぬ。

ほんとうは、目に見えないものに大切な何かが隠れていそうな気がする。

例えば「心」は目に見えない。

「あなたを大切に思います。」と、字におこすことは容易でも、口で言うと言霊となり体内より出て行き、それは目に見えない。

見えないから無視するのではなく、見えないものも大切にしましょうという話し。




2005年06月06日(月)
宜保愛ちゃん




…ということで、引き続き輪廻転生を考証してみましょうか。

6月4日の土曜日は私、亡き父のお墓参りに行って来たんですよ。

ゲンキンなもので、何か悩ましいときには続けて参っていたのが、最近の忙しさにかまけて、足遠くなっておりました。

その帰りにいつも寄る大型古本(古着も)店で、これまた亡き宜保アイコさんの本を購入しました。ひゃくえんで。

正確には宜保サンの娘さんが生前の母様のできあがった原稿により発刊に至った本です。

私は宜保サンにタイしては半信半疑だけれど、少なくとも昨今メディアを賑わせている占い師連よりは誠実な感覚を受ける。

願わくば、バッシングに負けないでリベンジして欲しかった。
追悼の意味も込めて、初めて彼女の本を購入し、一気に読んだわけです。

そこに私の求めていた答えが書かれていたわけですが、
少し、抜粋すると…

人間は死ぬと幾通りかのチューブの中を歩いて(三途の川を渡った後ですネ)生まれ変わりへの道を辿ることになるようです。

勿論…
良い意味で生まれ変わらない人もいる。
そんな人は、生前、人のために一生懸命尽くした人なんですって。
菩薩様になるようですよ。
で、亡くなって間もない人がチューブの中をスムーズに歩いていけるように先導したりするのです。

怖いな…と思ったのは、色情因縁のチューブ。
ごろごろした岩だらけの足場の悪い道をいざるようにして、傷だらけになって進まねばならない。

それから生前、他人を苦しめた人は、その怨念によって数歩進んでは数十メートル引き戻されるという苦行をしいられるのです。

だから、端的な話し…
人には善くして、善根を積みましょうということです。

先の尼崎列車脱線事故の記事を読んでいて、ある遺族の方の思いが目にとまりました。
「生前、母は“どんな事があっても人を恨んではいけないよ。”と言ってました。」

これは、深い…
実に深いお母さんの言葉だと思いました。
人を呪わば穴二つ…というように、人を恨んでいると己の身にハネ帰ってくる。
亡くなったお母さんは、我が子にそんな目に遭って欲しくないと思われたのでしょう。

そう…
人を恨んで、同じ場所で足踏みしている暇は我々には無い。
せんのないこと。
それから…
人を恨むというエネルギーも、勿体ない。
そして…
何よりも人を恨むことによって自身の魂が汚れるのはイヤなことですネ。

「人を泣かせて栄華を誇り、幸せに暮らして死んでいく」ような人には、死後、苦行が待っているようです。
((;゚Д゚)ガクガクブルブル

だから、毎日、どうして暮らして行くべきかは、至極、単純なことで…
人生において滅私奉公というか、他人に対して最善を尽くして行く事なのでしょうネ☆

で、そこで、甘い顔をするのと、叱咤激励するのと『最善を尽くす』という次元において違うという出発点を改めて確認し直すということも肝要かなと思う。

愛の鞭…と言うと、聞こえはいいけれど、単なる自己満足だったら相手に迷惑だし…、それなら最初から関わらないでおけばイイんだけれども、関わらずを得ない相手もいるわけで…

いろいろ考えると誠に悩ましいですが、今は、出来る限りのベストを尽くすという結論にしておきましょうかネ。
・・・ (б_б)