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HELEN&HEAVEN
Helen
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2004年10月16日(土)
ジィちゃま先生と大西良慶2

少し、年上の先達に聞くと京都で大西良慶を知らない人間は、モグリなんだそうである。(爆)

ちっとも知らなかった。(エセ京都人?)

本の表題の「ゆっくりしいや」が、なんとなく「ぼちぼちいこか〜」のジィ様先生の口癖に似ていて、気持ちが和んだ。

パラパラと内容をめくると16章おおまかにわかれていて、口述筆記のような形になっている。
口述筆記は、現代では作家のマスターベーション垂れ流し風情がして、なんとなく抵抗があったのだが、最近はそうでもない。

大西良慶貫首が逝去されてから5,6年経つそうな…。

母曰く「あのぼんさん(お坊さんの意)は、来る人・来る人にお灸を据えまくって(真の意味での鍼灸)はってん。ぼんさん自身も26歳の時、病を患ってあやうかったんやでぇ。鍼灸で寿命を延ばさはってん。」…と、お灸マニア(笑)の彼女は言う。

書籍はPHP研究所員がインタビューを文書に起こされたもの。
巻末の研究所員の所見では「貫首の大意とずれているかも知れない。」と危惧されていたが、そのへんはこれから貫首の書籍を探し出して、体感してみようかと思っている。

さて…
明治から平成の100年を生きてきた人の言葉は、やはり違う。

皆さん、年寄り年寄りとバカにするけれど、若い人間になくて年寄りにないもの…決して追いつけないものがある。

それは、何か?

『経験』 … 経験に基づく智恵である。

その経験が曲がっていようが真っ直ぐであろうが、我々には逆立ちしたって真似できない、各個人独自の経験に基づく智恵を持っている。

だから、先達の仰ることは素直に耳を傾けてみましょうネ♪(笑)

最初、この書籍自体を先に見つかった『ジィちゃま先生が一番欲しかった本』と併せて、東京へ送るつもりだった。

しかし… ふと、ある考えが浮かんだ。

「年取るとな〜、目がつらいねん。」しょっちゅう、拡大コピーやテープへの吹き込みを頼まれていたことを思い出した。

「そうだ、録音もつけて送ろう。」

幸いに、私には声楽の先生関係のプロデューサーの知人が居る。

彼の自宅の一部を改装したスタジオで、朗読録音の試みは始まった。







2004年10月15日(金)
ジィちゃま先生と大西良慶

長年、私の歯の面倒を見て下さり、そして長期に渡って人生の師であった歯医者のジィちゃま先生(81歳亥)は、GW前に東京に転居された。

今秋まで2,3度の電話のやり取りがあった。

一度は私の携帯に着信履歴があったので「先生、何かご用でした〜?」とかけ直すと、

「はて〜〜〜〜?何やったけかな〜?忘れてしもうた〜〜〜。」

可愛いんだけど、リーチ感が強い。

彼が京都で開業している頃はよく会社に「今日の仕事帰り、(医院へ)寄ってくれるか〜?」と電話がかかってきた。

会社の者は皆「Helenさんって歯医者さんと友達なのー?!すっごーい!!」って驚くけれど、実際は、そんなご大層なものではない。
極端な話し、ていのいい『パシリ』なんである。

★ 文書の拡大コピー
☆ 文書のワープロ打ちによる清書
★ 彼の愛飲する葉巻や両切りタバコの調達
☆ 彼の要求する書籍のネットでの調達
★ 咬合の実験アルバイト
☆ wowowでの映画録画

ビデオのダビングや拡大コピー、文書打ちなんかは1件につき、¥1,000ぐらいもらっていたから、あながちただ働きではない。

それより私は私の人生の上において一番大切に思う【知的財産】(無形のものであるが)を彼からいただいた。

政治・経済・哲学・雑学等…彼からは、人生80年生きてきたノウハウを、たぶん一部にしか過ぎないだろうけれど、学んだ。
私には、両祖父の思い出がないから、肉親のように接してきたつもりだ。

そんなジィちゃま先生が探していた書籍がひょんな事から見つかった。
たまさか、京都駅の地下街の一画で期間限定の『古本フェア』がやっていたんである。

ジィちゃま先生はいかんせん、歳だから、本の題名を少し誤って私に伝えていたんだな。
いくらネットで検索しても、ひっかからなかったハズだ。

その本が、たまたま、立ち止まって見た通路に面していた本棚にあった。

「(゜O゜;アッ!」

その本がなかったら、その古本フェアも素通りし、いつも通り、電車乗り場まで行っていただろう。

すぐさま、その本を手に取り、そして数冊隣にあったのが、今回、朗読の試みをしている『清水寺貫首・大西良慶の “ゆっくりしいや〜”』である。