愚者
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2006年04月24日(月) 幸福論その3

(幸福論その2からの続き)

 私は若くして家庭を持った。
同世代には、同じ年齢の娘を持つ親は少ない。
子供の親となり、一家の主となり、責任感も持ち
何とかここまでやってきたと思う。

 慌しい毎日の繰り返しで、自分の時間などは無に等しい。
心休まる時間など、この先ずっとないのだろうか?と
落胆することもよくあることだ。

 まわりから見れば私は幸せものに見えるだろう。
仕事にも恵まれ、家庭円満、何の不満があるのか?と
思うかも知れない。
確かに、私自身が波風を立てるようなことをしなければ
我家はずっと安泰だと思うことはよくある。

 友人の一人は子供がいない、その理由も知らない。
もう一人の友人には3才になる子供がいる。
まだ、子供の教育や躾に夢中で、先のことまでは
考えられないと思うし、私もそうだった。

 娘二人にどう教えればいいのだろうか?
世の中の定説どおりのことを言えばいいのか?
それとも自分のやりたいことを優先させればいいのか?
私には判断できない。

 私の人生はもう半分以上が終っているから
あまり高望みすることや、夢を抱くことなどはない。
ほんの少しの期待と、ほんの少しの希望があるだけだ。

 自分自身の幸せよりは、娘の幸せについて考えると
人並みのものになってしまう。
いい大学を出て、いい会社に入って、いい相手を見つけて
いい家庭を持って・・・それがやはり幸せなのだろうか?

 世間で言われている一般論がやはり正しいのなら
私には幸せになる権利はない。
それは間違っている、とキレイごとを教えることは
間違っているのだろうか?
ここ数年、ずっとそれで頭を悩ましている。

まだまだこの話は続く・・・

 


2006年04月23日(日) 幸福論その2

(幸福論その1からの続き) 
 
 結局、誰も「幸せ」とは何か?が分かっていない、と
また同じ話の堂々巡りが続き、結論は出なかった。

 私と友人二人とは高校時代、同じバンドを組んでいた
良くも悪くもすべてが理解しあえる、30年近い付き合いである。
バンドで演奏していた曲は、ボーカルが作詞・作曲したものが多かった。

 彼の作った曲で、今でも鮮明に覚えている詞のくだりに
「僕はただ幸せになりたい・・・誰にも邪魔されずに!」
という、一節がある。
この歌の、このフレーズがずっと頭から離れないでいる。

 お互いに、社会人になってからも、彼らと年に一度は
顔を合わせ、酒を酌み交わし、昔話に花を咲かせる。
高校生の頃、私たちは社会に適合できるのだろうか?
苦悩や不安を隠すかのように、バンドに没頭しバカなこと
ばかりの言動や行動を取っていたことなどである。

 このときに、閃いたのがこの歌の一部だったと
後々に彼から、他の曲の題材などといっしょに聞かされた。
幸せに飢えていて、それを掴み取ろうと必死だった。
破滅していくのを待っているだけ、若いときはそんな気がしていた。

 三人とも家庭を持ち、家族と暮らすことが当たり前になっても
幸せというものを実感できずにいるようだ。
たぶん、この先もなかなか分からないのだろう、幸せとは。


2006年04月22日(土) 幸福論その1

 友人と久しぶりに人生について話した。
幸せとは何だろう?その話題になり、彼と私の身の回りの
成功者について、彼らは幸せなのだろうか?になった。

 一時代を築いたが、破滅して身を隠した人たち
今もとても裕福で豪勢な生活をしているが、金の亡者となったり
あるいは、女に狂ってしまって家族を省みずに家庭は崩壊し
一家断絶になってしまった人たちのこと、などなどである。

 本当に人生に於いての成功を勝ち取り、仕事にも家庭にも
充実した人もいるという話もしたが、彼らが幸せなのかどうか?
は、結局答えが出ず仕舞いだった。

 我々もそろそろ、ドーンと花火を打ち上げるか?
そろそろ人生の波に乗って、大成功してもいいだろう?
友人二人と、昔そんな話をしたことを思い出した。

 その話をしてから数年後、この話題になったときに
我々に足りないものは、結局のところ欲なんじゃないのかな?
という結論に達した。
何ごとにも於いて、貪欲さが足りないから、成功には程遠いと
そのときは、妙に納得したことを覚えている。

 ただ、それが幸せか否か?となると、その答えは
・・・であった。
金持ちになること、家庭をもつこと、仕事で成功すること。
人それぞれ、尺度が違うとは思うが、本当にそれが
幸せと呼べるのだろうか?
そもそも幸せとは何だろう?ここで、話は行き詰まってしまった。


2006年04月20日(木) 信用

 信頼と信用は少し違う意味を持っている。
元広島東洋カープの達川さんは現役時代、ピッチャ−を
「信頼はしても信用はするな!」と思っていたらしい。

 辞書で調べてみると、信頼は信じて頼りにすること
頼りになると信じること、らしいが
信用は、確かなことと信じて受け入れること、らしい。

 血のつながっていない関係で、信用できる人は少ないが
信頼できる人なら大勢いるように思う。
以前、人間不信に陥ったときに、このことは強く感じた。

 お互いを信用してしまうと、共に重荷に感じることもあるし
そうなるまでの人付き合いは結構厄介な場合もある。
それなら、端から自分以外を信頼・信用しない方が良い、と
思ったことも、少なくない。

 人と人のつながりは、奥が深い。
最初の印象で、肌で感じる部分もあるが、話してみると
以外に懐が広かったり、器の大きな人だったり
また、その逆に見かけ倒しの人もいる。

 そういう自分も、人から信頼を得ているのだろうか?
信用されるほどの立派な人間だろうか?と、普段の言動や
行動など、自分を客観的に見ると、やはり人間不信になってしまう。
それでもお互いに信用できる人、は必要だと思う。


2006年04月18日(火) 漸近線

 はるか昔に、誰とも交わらないと心に決めた。
どんなに近づいても、決して接することのない
交わることなどは在りえない、そう思っていた。

 そうなる前は、人と人には揺るぎない信頼関係が
在りうるし、少数の人とそんな関係だと思い込み疑わなかった。
しかし、突然裏切りが明白になり、人間不信になった。
信頼していた人、尊敬に値する人、すべての人が
私の真っ直ぐな気持ちを利用していた。

 人は想定できないことに遭遇すると、呆然とする。
知人の訃報を知っても、しばらくは悲しみが支配する、が
呆然とする期間はそれほど長くない。
それは覚悟が決まるからだと思う。

 想定外のことに見舞われると、呆然とするだけで
何も考えられない時間が長く続く。
考えてもまとまらず、ようやく導き出した答えは
誰も信じることは出来ない、己だけが頼りだ。
そういう考えにたどり着いた。

 人間的に丸くなり、人の顔色を伺いながら
ある程度、見せかけの人間関係を築けるようになり
一部の人からは尊敬されたり、慕われたりもした。
ここ数年で、もう一度人といい関係を作れるのでは?
と思える人にもめぐり会えた。

 人と人との間には中立は存在しないと思っていた。
好き・嫌いのどちらかと、敵・味方のどちらしかないという
閉鎖的な考えが、未だに捨てきれてない。
もう一度本当に人と交わるには、どうすれば良いか?
答えは既に見つかっている。

 自分自身が本当に胸を張れる人間になるには
もう一度、心を開いて話すことを取り戻さなければならないが
閉鎖的な考えや裏切られた悲しみ・憎しみが
私の中に少しでもある限りは無理だろう。

 ただ、そう思えることで、少し心の霧が晴れたようにも
感じられる、が、一度ねじれて汚れてしまった心は
澄み切った空のようには、なかなか戻れない。
一日でも早くそんな日が来ることを願っているのだが
そうなるには、もう少しだけ時間が必要な気がする。


2006年04月17日(月) 禁句

 「生まれて来なければ良かった」
親が子供に、また子供自身が言ってはいけない言葉だ。
どんなに感情的になっても、どれほど怒りに震えても
人には絶対に言ってはいけない言葉がある。

 子供の頃、親と喧嘩をしたときに、頭の悪い私は
「誰が生んでくれと頼んだ、勝手に俺を生みやがって」と
親の逆鱗に触れ、顔の形が変わるくらいの目にあったことがある。
完全に私の失言であるから、殴られた怒りよりも後に
猛烈な後悔となったのを、今でも鮮明に覚えている。

 本来分かり合えるはずの親子でも必ず禁句はある。
その一言が、相手にとっては強烈な一撃となり、親でも
子でもない、という気持ちにさせられることもある。
触れてはいけない部分、それが少なければ少ないほど
いい関係が築けるのは、誰もが分かっている。
それを築き上げる時間や労力を惜しんではいけない。

 お互いに憎しみあうために生まれてきたのではない。
少なくとも、夫婦は他人だが親と子はそうでないはずだ。
子供の言葉に左右されたり、一喜一憂したりでは
本当に信頼できる親子の関係は成立しない。

 親と子だから分かり合える部分もあるが、いがみ合う部分も
あることを、もっと理解しなければならない。
まずは自分から歩み寄らなければ、相手からは寄って来てくれない。
とても簡単なことだけど、それがなかなか出来ない。
それでもいつかきっと、分かってくれると信じていたい。


2006年04月13日(木)

 もう少しで大切なものを失うところだった。
自分の心掛けで、もっと太く強いつながりになるのに
不注意と慢心から、細く切れそうな糸にしてしまった。

 改めて自責の念の意味や、自戒という言葉の
重みを忘れていた、と感じてしまう。
あまりにも短絡過ぎたのは、何故だろう?
いろいろと考えてみたが、よく分からない。

 分からないなりにも、自分自身を分析してみると
相手に甘えていただけなのかも知れない。
自分の理想を押し付けていたのかも知れない。
冷静になればなるほど、情けなくなってしまう。

 まだまだ私は器が小さいと思う。
やはり私は愚か者だと思う。
相手あっての自分と言っておきながら、自分本位で
思いやりに欠けていたと反省するばかりだ。

 それでも、切れそうになった糸を手繰り寄せ
切れずに無事つながっていたことに感謝しよう。
何ごとにも動じない強固な糸になるように
このことを忘れないためにも、深く心に刻もう。


2006年04月11日(火) 自戒

 私は愚か者だ。
いつも同じことの繰り返しばかりである。
人のことをとやかく言う資格など全くない。

 愚か者にも意地はある。
弱者を守るのが強者の役目なら
私は自分を偽ってでも強者になろう。
それがすべてを敵に回したとしても。

 現代の世の中のように、弱者をいじめるのが
強者なら、世界で一番の弱者になってやろう。
そして強者を打ち負かすことができるように
本来私の考える強者になってやろう。

 そんな思いさえ空回りするばかり。
弱者のくせに、身のほど知らずにもほどがある。
自分をもう少しは賢い人間と思っていたが
その愚かさ加減には悔しくて涙が出そうになる。
そう思いながらこれまで頑張って来た。

 それでも昔も今も世間は愚か者には冷たい。


2006年04月07日(金) 年輪

 20年ぶりに友人と会った。
彼は高校卒業後に、夜の世界へと足を踏み入れた。
音楽家志望で、歌の上手な男だったが資金を稼いで
東京に乗り込む予定でいた。

 20年前に会ったとき、ディスコでDJをやっていたが
その頃はもうそんな夢をあきらめていたように見えた。
ただ、目は死んでなかったことは、はっきりと覚えている。

 20年ぶりに会った彼は、とても様々な経験をしてきたような
風貌で、以前の彼を知る私でさえ、どこかで会っても
分からないくらい、面影は残っていなかった。
それでも、今の彼はそんなことを卑下しているようにも
辛い過去を滲ませるような感じにも見えなかった。

 少しの時間だったが、彼と話をしていると
昔、夢に胸を弾ませた頃がよみがえってきた。
懐かしい笑顔は、長い時間会っていなかったように
思えない、あの頃毎日会っていた友人の顔に見えた。


2006年04月05日(水) 悪夢

 最近は疲れているせいか、あまり夢を見ない。
見ているのかも分からないが、覚えてないのだろうか?

 以前から、同じような夢をよく見ていた。
車を運転していて、スピードは出ていないが
ブレーキを踏んでも全く効かず、延々と車や障害物を
避けて走り続ける、といった夢である。

 この夢を見た後、必ずといっていいほど
暗雲が、立ち込めるようなことがある。
いずれも自分のことではなく、外部からの
あまり良くない知らせや、自分が関係する立場の
人からの何らかの悪い報告などである。

 いつも、この夢の終わりはどこにも衝突せずに
だんだんと消滅していくように目が覚めるのだが
今年の2月頃、この夢を見たときは、無理矢理壁に
車をぶつけて止めてやった。

 この夢を見た後、また同じように雲行きの
怪しくなることが舞い込んできた。
今までの夢の終り方と同調するように、これまでの
心配ごとなどは、知らない間に薄れていっていたが
今回のように、無理矢理終らせてしまった場合は
どうなってしまうのだろうか?

 ずっと、気になってはいるが、これといった
兆候は何も起っていない。
それが逆に不気味であり、気懸かりである。


2006年04月01日(土) 逆境

 認められたくて頑張っている訳じゃない。
でも、ずっと自分を認めてもらいたいと、強く思っていた。
もうかなり昔の話だが、そんな気持ちが強かった。

 仕事、友人、恋愛、すべてにおいて真っ直ぐにとらえていた。
全然余裕などはなかったくせに、人の評価を気にしていた。
それが、無駄なことだと気付いたのは、30をかなり過ぎた頃だろうか?

 人の目や、他人がどう思っているか?
などが少しずつ気にならなくなり、自分の信じる道を歩こう!
と思うようになっていった。
分かってくれる人に認めてもらえれば、それで良い。
そう思えるようになっていった。

 それでも、そんなキレイごとも一瞬にして崩れるほど
とても厳しく辛い仕打ちを余儀なくされることがある。
今まで、仕事や人付き合いから得たものは、人間性を
読み取る眼力や、性格的なものを感じ取る感覚である。
少なくとも、先入観念だけで人を判断することはない。

 愚者と認める自分がそうであるから、他の人はもっとしっかりと
人や、ものごとを見据える力があると思っていた。
しかし、人間として価値のない人の多さに絶望してしまう。

 どんなに流れに逆らおうが、どんなに嫌な思いをしようが
そんな生き物に負ける訳にはいかない。
これからもずっと。


誠幻