愚者
DiaryINDEXpastwill


2006年03月27日(月) 現代考

 今は軽薄短小の時代になったと思う。
昔の方がすべて良いと言うわけでもないが
古き良き時代は、やはり否めない。

 昔はどこの食堂でも大盛りと言えば
大人でも二の足を踏むくらい、てんこ盛りだったが
今はプチ何とか、の小盛りが主流である。
昔のものは紙・インクなどがしっかりと作られていた。
今の紙はすぐに風化してボロボロになってしまう。

 ヒット曲と言えば、昔は半年くらいずっと歌われていたが
現在流行りの曲も3ヶ月もすれば、昔ヒットした曲のように感じる。
テレビ番組にしても、ドラマ・バラエティ・アニメのどれを
とっても、子供の頃見ていた番組の方がはるかにレベルが高かった。

 昔はものを粗末にしない風潮があった。
作り手の深い思い入れが、すべてに反映されていた。
食べ物であったり、衣服であったり、歌やドラマであっても
作り手の気持ちがこもっていた。

 もの作りに携わっている一人の人間として
今も昔も変わらぬもの、を作って行きたい。
思い入れが無くなったら、もの作りから撤退する。
ずっとそんな気持ちで仕事をしたい。


2006年03月25日(土) 後悔

 人は罪深い生き物だと思う。
昨夜、仕事の上でも私的な部分でも尊敬して止まない
上司と飲みに行った。

 私より七つ年下の上司だが、素晴らしい人だ。
彼は私が年上だからという訳でもないが
とても信頼してくれている。
仕事のこと、私生活のこと、いろいろな部分で
私に相談ごとを持ちかけてくれる。

 上司ではあるが、私のほうが少し人生を多く過ごしてきたから
彼の悩みを聞くと、随分昔に私が悩んでいたことと重なる。
思い返すと、後悔ばかりの人生を歩んできた。
若い人と話をすると、自分が歩んできた道を振り返ってしまう。

 10代から今に至るまで、そのときは必死に考えて
行動したり、いろんなことを言ったり・・・と
自分の中では一番良い答えを出してきたつもりだ。

 だが、思い返すと「何てバカなことをしたんだろう・・・」と
自分を憎み、許せないことがほとんどだ。
いつまでも若い気でいても、そんなことを思うときは
自分も大人になったんだなぁ、と感心すらしてしまう。

 自分のことも大事ではあるが、今は人のために
悩んでいたい。
娘たち、親、兄弟、友人、職場で気の合う少数の人たちの
ことを大事にしていたいと思う。

 若い人たちには、私が起こした間違いを真似して欲しくない。
誰でも後悔はするが、一生懸命考えてのことなら仕方ない。
そんなことを伝えて行きたい、と思っている。
そう考えるのは、もう若くはない証拠だろう。


2006年03月22日(水) 環境

 人はよく、いい環境で暮らしたいとか
いい環境で仕事をしたい、と口にする。
あるいは、家庭を持っている人などは
いい環境で子供を育てたい、などと言う。

 杓子定規ではあるが、いい環境というものは
与えてもらうものではない。
自らの手で作り上げていくものだと思っている。
一人で行なうのは難しいが、協力者がいれば
それほど難しいことではない。

 いい環境で仕事をしたいのなら、職場の雰囲気を
盛り上げるように努力すればいい。
いい環境で子供を育てたいなら、夫婦協力して
子供がのびのびと育つような家庭を作り上げればいい。
仕事が忙しくても、環境が良いと職場に行くのが楽しくなるし
家族と過ごす時間が少なくても、貴重な時間を上手に
団欒の時間にすれば、家庭も楽しくなる。

 子供の頃に遭遇した辛いトラウマが、私をそんな
気持ちに駆り立てるのは分かっている。
だから、和や環境を大切にしたい反面、それを否定する人には
必要以上に過激な言動や行動をとってしまうし
この上なく攻撃型の人間になってしまう。

 努力、忍耐、継続のすべてが満たされたとき、その人に
とって最良の環境が出来上がる。
それほど容易いことではないが、やれば出来るものである。


2006年03月21日(火) 継続

 継続は力なり、そんな言葉がある。
元来飽き性の私には、耳が痛くなる言葉だ。
3日坊主でやめてしまったことはどれくらいあるだろう?

 そんな私でも、今年で結婚20周年を迎えようとしている。
一口に20年と言っても振り返ると、とても長い年月である。
10年一昔というなら、二昔を所帯持ちとして過ごして来た。

 20年もの間、家族を愛し家族のために・・・と
言いたいところだが、決してそうでもない。
幾度となく、一人になりたいと思ったり、また
20年の間、家内には悪いが
「何故もっと早くこの女性と出逢わなかったのだろう?」と
思う素晴らしい女性もいた、
今の生活にしがみついていたいといった執着心も
実のところ、それほど強く持っていない。

 それでも、すべてを捨ててやり直そうとしたり
別の女性と新たな人生を共にしようとしたことも
全く頭に無かったと言えば嘘になる、が、やはり
今の生活に波風を立てたくない、が先に頭を過ぎった。

 それを、継続と考えるのか、臆病と捕らえるかは
自分では判断できない。
今もその考えは変わっていない。
臆病だと自分を責める気持ちもあるが
よく耐え忍んでいる、と誉めたい気持ちもある。

 仕事も付き合いもすべて含めて、人生は継続
より忍耐が大事なのだろう。


2006年03月20日(月) 憧れ

 子供の頃、いろいろな憧れを持っていた。
大人になるなら、こんな大人になりたい。
恋人にするなら、こんな恋人が欲しい。

 子供から、少しずつ大人に近づいても
形を変えて、憧れは持っていた。
理想に近い像を描いて、そうなりたいと思ったり
女性と付き合うようになっても、相手に対して
密かに理想の恋人になって欲しいと願った。

 憧れはずっと持っていてもいいと思う。
それが無残に打ち砕かれても、思うのは自由だ。
子供の頃、描いていた憧れとは違う大人になっても
憧れを抱いていた女性と結婚できなかったとしても
いつかきっと、憧れに近づけるようにしたい。
子供の頃から描いていたように。


2006年03月18日(土) 記憶

 今日、昔テレビで見ていたドラマのリメイクを見た。
昔といっても幼少の頃で、ところどころ記憶が飛んでいるが
それでもしっかりと内容は覚えている。

 今の韓流ドラマよりも、もっと純愛というものを
知らしめてくれる。
結末は悲恋以外の何者でもない。

 見ていて、昔付き合った女性のことが頭に浮かんだ。
恋愛は受身だったが、若さゆえ、多くの女性に失礼な
行動や言動をしたように思う。
相手のことを気遣っているつもりが、心萎えたときは
自分勝手なわがままを言ったり、相手を傷つけたり
情けない男だった。

 今くらい大人の気持ちでいれば、もっと上手に
付き合えただろうし、きれいに別れを告げられただろう。
そんなことが頭を駆けめぐり、涙がこぼれそうになった。


2006年03月17日(金) 残酷な記憶

 以前、女性に溺愛されたことがある。
付き合い始めた頃は、彼女の気持ちが嬉しく
「もし別れても、ずっと恋人のような関係でいてね」
「本気で人を好きになるってこういうことなのね」と
言われて、有頂天になったものだ。
私も真剣に彼女のことを愛し始めていた。

 しばらく付き合っていくと、彼女の気持ちが
私より、遥かに強いものだと気付き始めてからは
次第に自分には重たく感じ出した。

 ついつい、態度に出てしまい、彼女がそれを
察して「もう会わないほうがいいわね?」と切り出した。
内心、ホッとして安堵の笑顔を見せたのがいけなかった。

 しばらくして、自分の罪の意識に苛まれ、ちゃんと
彼女に謝ろうと思い、電話してみたが、彼女の反応は
とても冷ややかだった。
「あのときの安堵の表情は付き合っていたときに初めて見た顔だった」
と言われたときは、言葉を返せなかった。

 その後、彼女とは会っていないし、連絡もとっていない。
もし、どこかで会ったとしても、あの頃のような顔では
話せないだろう。
残酷な記憶が強く残っている限りは。


2006年03月16日(木) 青天

 どんなに辛いときでも、どんなに悲しいときでも
笑って生きていこう。
この世の苦しみを一人で背負ったような
悲しい顔をしていると、そんな人相になってしまう。
そんな人を見ても可哀相だとは思えない。

 強がりだと分からないように、明るく振舞い
一人のときに涙する、そんな人の悲しみには
言葉はかけられないが、一緒に泣いてあげたい。

 これまでの歴史上、止まなかった雨はない。
悲しみの雨もいつかは上がり、きっと晴れた空になる。
曇り空の上には、雲一つない青空が広がっている。
だから、太陽のように笑っていたい。
どんなときでも。


2006年03月14日(火) 教育

 私が生まれた時代は、ちょうど高度成長期だった。
まだ貧しい時代ではあったが、現代社会のような
ストレスなどはそれほど存在してなかった。

 子供の頃、今から思えば間違った教育もあったと思うが
まだマニュアルなどは存在せずに、世間から教えられることや
学校の内外でも、学ぶ機会はたくさんあった。

 学校教育といえば、やはり間違った教え方が
多かったように思えて仕方がない。
私たちが、間違って教えられたことを、次の世代には
修正して伝えなければいけないし、それが私たち世代の
使命だと、ずっと思っていた。

 しかし、間違いは間違いを生み、さらに加速しているようだ。
算数や国語などよりも、もっと大事なことを教えることが
何よりも大切だということを知って欲しい。
せめて、私が関わった次の世代の人たちには。
 


2006年03月12日(日) 言葉

 昔、本か何かで知った言葉に
「真実を隠すために言葉は生まれた」
という哲学者の一説がある。
言い得て妙だとは思ったが、少し違うようにも思う。

 言葉にすれば陳腐になってしまう。
それが重みのある言葉であればあるほど
言葉にしてはいけないときもある。

 心を言葉に出来るなら、きっと伝えられるだろう。
そこには嘘や偽りのない、飾らない真実だけが
存在することを。


2006年03月11日(土) 願い

 人に頼られたときに、自分の至らなさを痛感する。
私ごときが、人の役に立てるのか?と。

 人を頼ろうとするときに、自分の卑屈さを感じる。
この人は本当に信用できるのだろうか?と。

 人の痛みは、その人にしか分からない。
理解しようとすればするほど、出てくる言葉は
薄っぺらいものに変わり、歪んで伝わる。

 人として、本当に成長したいと思う。
社会的な地位や、権力などとは無縁でも
人として、真っ直ぐに生きたいと思う。


2006年03月07日(火) 距離

 人と人との距離について、最近よく考える。
親しい人とは、自然に心の距離が近づく。
ただ、あまりにも近すぎて、それが足かせになり
言えないことも増えるような気もする。

 お互いが距離を見失ったり、距離を誤り
相手の近すぎるところへ踏み込んでしまうこともある。
それが何を意味するかは、言葉にするのは難しい。

 分かっていても言葉にできないこともある。
逆に言葉で伝えなくても、心で交わす会話もある。
それが許された、ほんの一握りの相手とは
ずっと良い距離で付き合っていたいと思う。

 悲しみも喜びも分かち合える相手となら
そんな良い関係をずっと継続したい。


誠幻