|
|
2011年05月25日(水) ■ |
|
Vol.778 タケノコの季節 |
|
おはようございます。りょうちんです。
お彼岸の間に墓参りに行けなかったことがココロの片隅でずっと気になっていた俺は、ゴールデンウィークが明けた最初の休みを使って久しぶりに墓参りに行った。桶に水を汲もうと集会所に脇にある水道に向かうと、なんだかシンクがかなり傾いている。ここも地震でやられちゃったのかななんて最初は思っていたのだが、良く見るとシンクの下からタケノコが生えてきていて、シンクそのものをぐっと押し上げていた。墓地の隣が竹林だから、これはもうどうしようもない。 その足で実家に寄ると、ご近所からいただいたタケノコがたくさんあった。今朝掘ったばかりの新鮮なタケノコだから、好きなだけ持っていけと父は言う。そうだ、まさにこの季節はタケノコの季節なのだ。雨後のタケノコとはよく言ったもので、雨が降ったあとの竹林ではタケノコが次々に生えてきてしまう。竹の生命力はすごくて、至るところで顔を出したタケノコは放っておけばみるみる成長して立派な竹になってしまうし、そうなると今度は逆に手入れをするのに手間がかかってしまうため、柔らかいタケノコの時分に収穫してしまうのがいちばんなのだそうだ。今年は寒かったせいかタケノコの時期も例年より遅かったが、父のコトバに甘えて大きなタケノコを数本頂戴した。しかし我が家に帰ると相方も職場から立派なタケノコをもらってきていて、翌日にはバイトくんからも自宅の裏山で採れたタケノコをたっぷりいただいた。なんてうれしいタケノコ地獄。 さっそく皮をむいて準備に取り掛かる。糠を入れた水で1時間ほど下茹でして、冷めたらよく洗って冷蔵庫へ。これで数日は大丈夫。あとは小分けにして、タケノコごはん、若竹汁、天ぷら、チンジャオロースー、土佐煮と次々に食卓に並んだ。どれもこれも本当においしくて、旬のものをその季節にいただけることがとてもありがたいと思った。 5月も下旬に入りタケノコの季節はもう終わってしまったが、父がまた教えてくれた。「今度はワラビがたくさん生えてるよ!」。
|
2011年05月07日(土) ■ |
|
Vol.777 今日をのりこえる |
|
おはようございます。りょうちんです。
♪昨日いろいろありまして なんだか足が重いけど ぐっとおへそに力を込めて 今日をのりこえる♪ 真心ブラザーズの「のりこえるの歌」を口ずさんでみた。仕事で疲れきってぐったりしたカラダとココロに、彼らの歌詞はひどく沁みてくる。 東日本大震災は、間接的に俺の仕事にも大きな影響をもたらした。余震が続く中、一刻も早く日常の業務に戻すため普段やり慣れない仕事でパワーを使ったり、あまり計画的とは言えない計画停電に俺らは踊らされたり。震災から2週間もすれば表面的には仕事もほぼ震災前と同じように復旧したものの、世間の自粛ムードから一時的に店の売上も例外なく極端に落ち込み、俺らの業務体制も会社全体で見直しが計られた。これにともない、俺の労働時間は急増し休日もろくに取れなくなった。 春からは今年も高校野球観戦に熱中したいという願望は見事に崩れ、センバツは通勤の間だけカーラジオで聞くのが手一杯だったし、春季大会が始まっても観戦に行くのはほぼ不可能だった。天気が良いほど、悲しい気持ちが胸を締めつける。 体力的に疲労困憊でもゆっくりカラダを休めることができず、見通しのきかない将来に精神的にも追い詰められて、ホントに久しぶりに仕事のせいで打ちのめられそうになった。震災直後から災害ボランティアに行きたくて毎日チェックしていた俺だが、そうすることは今のきつい現状から逃げることになる気もして、結局は仕事を捨てて行くことはできなかった。あの時、何もかもすべてをほっぽり出して被災地へ行きたいと申請していたら、会社は快く送り出してくれていただろうか。 それでも、復興に励む被災者たちの前向きな笑顔に俺は救われた。たいした被害も受けなかった俺はまだ恵まれている。家族も家もすべて失った人たちだって、辛い日々の中でなんとかがんばって今日をのりこえているに違いない。俺も負けてられない。がんばらなくちゃ。俺の背中を押してくれるメロディーは、さらに続く。♪昨日もろもろありまして 気まずい空気を感じます そんな時こそ勇気を出して おはようございます♪
|
2011年05月05日(木) ■ |
|
Vol.776 伊豆大島体験記・後編 |
|
おはようございます。りょうちんです。
前回の続き、伊豆大島体験記・後編。 さすがに朝まで熟睡できるはずもなく。幸い避難指示は解除されたので港のフェリー乗り場へ行ってみたが、大津波警報が出ている限りフェリーは動かないと言われた。翌日は仕事の予定だったが、当面は伊豆大島から出られないと腹をくくる。と同時に、それなら仕方ないと割り切って俺らは観光を再開する決意を固めた。 午後になって大島公園の動物園にいると、島内アナウンスが流れた。大津波警報が津波注意報に変わったので、伊東行きの臨時便が出航するとのこと。伊東から千葉まではかなり遠回りになるのでさんざん迷ったが、またいつ津波が来るかもわからないし東海道線も動き始めたらしいので、俺らは再び港へ向かうことにした。 港では町長や役場の職員たちが、大勢見送りに来てくれていた。こんなVIP待遇を受けるなんてそうそうないと思いつつ、伊豆大島での2日間を思い返してみる。震災のせいで夜まつりも椿まつりも中止になり浜の湯も臨時休業になってしまったが、各所で出会う伊豆大島の人たちは誰もが温かかった。椿園のおじさんも土産屋のおばちゃんも観光案内所の職員もレンタカー屋のスタッフも、大変な時に伊豆大島に来ちゃったねぇと口をそろえて言ってくれた。くさや屋のおばちゃんは乗りかけた車まで追いかけてきて、手作りマフィンとお茶を俺らに押し付けて帰っていった。泊まれなかった船宿に帰り際にごあいさつに行くと、ご主人と女将さんは夕食で出るはずの金目鯛とあしたばを保冷箱に入れて持たせてくれた。困った時はお互いさまの精神は、25年前の三原山の噴火で全島避難を経験しているからか。本当にありがたい。予定は大幅に狂ったが、普段できないことをたくさん体験できた。 伊東からはのんびり各駅停車で帰ってきた。帰宅したのは日付も変わる頃になってしまったが、翌日の仕事には支障はなさそうだ。自宅では地震でTVがぶっ飛んでてびっくりしたけれど。伊豆大島で出会った人たちに感謝の気持ちを込めて、後日お礼の手紙を送った。来年また椿が咲く頃、もう一度伊豆大島に行こうと思う。
|
2011年05月04日(水) ■ |
|
Vol.775 伊豆大島体験記・前編 |
|
おはようございます。りょうちんです。
相方と上手く連休を重ねられたので、急遽伊豆大島に行こうと思い立った。3月11日の朝、俺らは館山発伊豆大島行きの高速フェリーに乗る。東日本大震災が起きた日、その時ふたりは千葉を離れ伊豆大島にいた。 名物のくさや定食とべっこう丼をランチで食べて、午後からは三原山に登った。飛ばされそうなくらいの強風だったが、登山道も後半に入った頃、地面がぐらぐら揺れているのに気がついた。直後、かすかに聞こえるサイレンの音。島内アナウンスは風に消されてほとんど聞こえなかったが、見晴台まで戻ると駐在さんに大津波警報が出たから海岸線には行けないことを告げられた。 カーラジオからの情報で大きな被害が出ていることは知っていたが、それでも俺らはのんきに観光を続け、夕方予約してあった港近くの船宿に向かった。しかし港に入るかなり手前から立ち入り禁止に。避難指示に従い、俺らも住民が避難しているコミュニティセンターに行くようお巡りさんに言われた。そこで船宿のご主人と女将さんに会う。ふたりともとても恐縮していたが、「こんな時だから仕方ないですよ!」と俺らは笑った。パイプ椅子に座り消防団の人が用意してくれたお茶を飲んで避難していると、観光客は町役場に移動してほしいとのこと。借りていたレンタカーで今度は役場に向かうと、ホールにはすでに大勢の観光客が集められていた。 やがて町長直々のごあいさつ。津波のためフェリーの運行が再開されるのはいつになるかわからないこと、今夜泊まる宿がない人は町役場が高台にある宿泊施設を斡旋することなどをご説明される。お見舞金までいただいて夜もずいぶん更け込んだ頃、俺らは紹介されたホテルへ向かった。観光客数と部屋数の関係で、生まれて初めての相部屋を体験する。新鮮な魚を期待して来た伊豆大島だが、夕食はホテルで出されたおにぎりとカップ麺に変わった。 俺らの伊豆大島体験記・前編はここまで。後編に続く。
|
|